台風一過の日本列島、8月も今日で終わり。明日から多くの学校で授業が再開する。ニュースや新聞には学校に行くのが辛い子供たちの自殺防止についての記事が目立つ。
なぜ死にたくなるほど学校が嫌なのか。一番の理由はいじめだろう。精神的、肉体的な暴力を受けるということはとても辛いことだ。できれば、そういう悪意に満ちた同級生が平気な顔をしている学校には行きたくない。それ以外にも理由はある。私は成績がそれほど良くなかったので、その成績表を家に持ち帰り、親にがっかりされるのが辛かった。だから、学期初めよりも終業式、救いようのない通知表を持ち帰る電車に乗ったまま何処かへ消えてしまいたかった。
死ぬということは案外簡単だ。前にも書いたけど、自殺した人のうちには、心のどこかで引き返そうと思いながら、あまりのあっけなさに驚きながら亡くなっていった人が少なからずいるのではないか。
人生で辛いことは何も学校にだけあるわけではない。人との諍いは生きている限り起こるし、それが元で殺し合いをすることになる。自分のことをいじめるヤツらを殺したいとまでは思わなくても、ドラえもんに懲らしめて欲しいとは思う。でも、懲らしめたヤツらはどんな思いをするか、ジャイアンやスネ夫の悩みは漫画からはわからない。
学校で無理をして居場所(=友人)を作る必要はない。とはいえそれで寂しいのならば、学校には行かなければいい。そもそも、すべての子供が学校というシステムに合うなどということなどありえないのだ。そういう子にはそういう教育の場が必要なだけだということを理解しなくてはいけない。
そろそろそれぞれの子のいや人間の個性を伸ばしていくということに真剣に取り組んではどうなのだろう。
社会への適合性が高ければ偉いというわけではない