某雑誌の依頼原稿で、「著者紹介」を書いて欲しい、とあった。項目の一つに、「夢はなんですか」とあり、はたと困ってしまった。
考えてみると、「ああしたい、こうしたい」などという近視眼的なことを挙げていけば、人生の局面局面で、いくらでも出てくる。しかし、こういう場合の夢ともなると、自分なりに一生をかけて達成したいこと、となろう。
さてそういったものを私は今、持っているか。父親との相克を経て医者になろうと決意した時。障害を持って生まれた弟を治してあげたい、と思った。病理医になって、自分なりの病理医像を作り、医療のなかでの病理の認知度の向上を夢見たこともあるし、いまでも、ある程度継続している。そして、50歳近くなり、残された時間も体力も余り無くなってきたところで、いまさらの夢とは。
原稿には、該当分野のさらなる研究、発展を目指して頑張ります!というようなことを書くことになろうが、これでは、エントロピーは見かけ上縮小するばかりだ。そうはいっても、ほんの小さな事象であっても夢を持って追求すべき真実はそこにこそあるかもしれない。
もう少し時間をおいて、考えてから(〆切に間に合うように)書いてみよう。
さて、私は変わり映えなく4月1日を迎えるが、新しい一歩を踏み出すあなた、どんな夢を持って歩み始めるのだろう。そのとき、夢を言葉にして、口に出してみるといいかもしれない。
考えてみると、「ああしたい、こうしたい」などという近視眼的なことを挙げていけば、人生の局面局面で、いくらでも出てくる。しかし、こういう場合の夢ともなると、自分なりに一生をかけて達成したいこと、となろう。
さてそういったものを私は今、持っているか。父親との相克を経て医者になろうと決意した時。障害を持って生まれた弟を治してあげたい、と思った。病理医になって、自分なりの病理医像を作り、医療のなかでの病理の認知度の向上を夢見たこともあるし、いまでも、ある程度継続している。そして、50歳近くなり、残された時間も体力も余り無くなってきたところで、いまさらの夢とは。
原稿には、該当分野のさらなる研究、発展を目指して頑張ります!というようなことを書くことになろうが、これでは、エントロピーは見かけ上縮小するばかりだ。そうはいっても、ほんの小さな事象であっても夢を持って追求すべき真実はそこにこそあるかもしれない。
もう少し時間をおいて、考えてから(〆切に間に合うように)書いてみよう。
さて、私は変わり映えなく4月1日を迎えるが、新しい一歩を踏み出すあなた、どんな夢を持って歩み始めるのだろう。そのとき、夢を言葉にして、口に出してみるといいかもしれない。