こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

いろんなこと

2008年02月28日 | 通勤・交通・旅行
帰りの電車が人身事故で止まってしまった。
   ・・・なんで・・・
理由はよくわからないが、途中駅で1時間、足止めを喰らってしまい、帰りには普段の倍かかってしまい、足はむくむは、膝はガクガク、鞄を提げる肩はコリコリ。
最悪だったのは、復旧した後の満員電車で押しつぶされそうになって、つぶされまいと体を支えたら、肘で押し返された。振り返ったら「寄りかからないでください」と老夫婦の旦那にいわれた。なんだかね、悲しくなって、「そんなことしていません」と、丁重に言って終わらせた。
そのあと、電車とホームの間に落ちそうになった酔っぱらいを支えたり、ホームで友人同士でじゃれあっている中学生に、「危ない」と、大声で注意したり・・・
いろんな事があった。
ほんと、いろいろあって、疲れる帰宅でした。

病理医を目指したわけ3   後日談

2008年02月25日 | あの頃のこと…思い出話
というわけで、病理医を20年近くやってきているが、何かいいことがあったか?
と言われれば、やはり女性が周りにあまりいないことか。
でも、ちょっとさびしい。
とすると???
当直がないこと、患者さんに振り回されないこと。
でも、どうだろう?当直がないといってもオンコールはあるし・・・そうそう、自由ではない。
患者さんに振り回されないといっても、我々の顧客である医者には振り回されている。
春秋の学会シーズンになれば、所見だ、写真だの依頼が殺到する。
これは、私が見つけた所見だ!!!なんて、こと思うのはしょっちゅう。
ということは、今、私はハッピーか?
病理医になってよかったこと。なんだろう???
後輩に、病理医になることを勧めるか?
どうする?

最後は、自分で決める、決めたことを後悔しない。 そうとしか言えないのだろうか?

散歩

2008年02月24日 | 鎌倉暮らし
我が家からほど近い東勝寺橋。最近、きれいに塗り替えられ、たもとの石碑の字も鮮やかだ。この橋はアーチ橋になっていて、川べりから見上げるとなかなかきれいな形をしている。
この橋を登った奥は、北条一族の滅亡の場所で、血が川のように流れたと言い伝えられている。滑川も血で染まったのだろうか?
今日は、よい天気で鎌倉にはいつもどおり、たくさんの人が来ていた。特に今日は中高年の女性が多かった。若者には北風がチト厳しかったか。
春はすぐそこまで来ているね。

月曜日

2008年02月23日 | 日々思うこと、考えること
月曜日の朝は通勤電車で人身事故が多い。どんなことを思いながら人生の幕を降ろすのだろう。
「智に働けば角が立つ、情に掉(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みにくい。」
夏目漱石はこういった。一生懸命真面目に生きているつもりでも、知らないうちに人に迷惑をかけているのかもしれない。
一生懸命生きていても、望みの人生は手に入らない。
私は、どうだろう?
満員電車に揺られ、毎日毎日圧倒的な量の仕事に押しつぶされそうになりながら…
でも、ほかの人と一緒に懸命に生きている。
職場で、私はどうしているだろう。人に迷惑をかけている?いない?
世の中に役に立っている?立っていない?
そんなことを考え出すと、きりがない。
だから、人間何も考えないで生きていかなくてはならない。のかもしれない。
なんて、人生辛いことは多いけど、こうやってああだこうだ考えることはできる。
また、生きていこう。

歴史・・・いま、自分がいるということ

2008年02月22日 | 日々思うこと、考えること
この前、友人の妹が主演しているということで、映画を観た。
映画はそれなりに楽しめたのだが、ふと思ったことがあった。
豊臣家はつぶれてしまったのだが、そのとき徳川家に対抗しなければどうだったろうか?ということ。意思決定を行うのは、常に一人かせいぜい二、三人だと思う。せいぜい何人かでの意思決定が、何十、何千の人の運命を決定する。その決定が、悶絶の苦しみののちから出てくるものであればいいが、何の下調べもないまま、その場の気まぐれで決まってしまうとしたら、それはひどい話だ。
戦争では、指揮官の意思決定の遅れが、何万人もの命につながる。結構、そんなこともしょっちゅう起きているのではなかろうか?
政治でも、経済でもそのような局面はいくらでもあるだろう。

人生でも、そう。 
あのとき、こうしていれば。というのは、いつもある。

歴史の中に私たちはいる。そして、自分は人に生かされているということを知る。

早い早い!!

2008年02月17日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
時間がどんどん過ぎていく。
ついこの間大雪だったのがうそのように、もう2月は半分が過ぎた。このまま、3月に突入して、学会シーズンが開幕する。レジデントも来る。研究は遅々として進まず、八方塞がり。
昨日、小さな研究会に顔を出して思ったこと。
それぞれの分野で、それぞれの専門家がしのぎを削っているということ。
教科書に出てくることは、そのごく一部で、今の私は教科書で見ていないところもある。すなわち、精神科や整形外科の進歩のことなんて知らないわけで、そこまでいかなくても、結構メジャーな分野でもどんどん進歩している。
時間はどんどん進んでいる。
早い早いと嘆いていても仕方がないが、そのスピードについていく力を持っていないと、退場になってしまうのだろうか…

発見

2008年02月09日 | 鎌倉暮らし
鎌倉には写真のような石碑が80以上もある。これは”鎌倉青年団”が明治の終わりから昭和の初めにかけて、建てたもので、二の鳥居のたもとにある「段葛」などは目にしたことがある人も多いと思う。
5年前、息子が小3、娘が年長のとき、鎌倉中の石碑を探した。週末ごとに子供や家内とひとつ、ふたつと探して1年近くかかったが、おかげで東京都大田区生まれにしては、結構鎌倉の地理に詳しくなれたとおもう。
でも…このあいだ、観光客さんに浄妙寺妙本寺を勘違いして教えてしまったが…
それはさておき、娘と犬の散歩をしていたら、安養院の裏に散歩道があるのだが、そこで、石碑を発見した。
なんでも、石碑を設置した鎌倉青年団のメンバーの一人で、関東大震災に被災して亡くなった方のものだそうだ。顕彰碑というか、そういったものなんだと思うが、例によって字がよく読めず、細かい内容はわからなかった。
それにしても、びっくりした。ネットで検索したら、鎌倉青年団の石碑としては藤沢市村岡にももうひとつあるそうだ。見覚えはあるが、鎌倉市外にも建てていたとは…
犬も歩けば棒に当たる。   この場合、犬”と”あるけば、か。

いじめとタバコと飲酒運転 2

2008年02月08日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
道路で歩きながらタバコを吸っている人がいる。後ろを歩いているときは死ぬほど苦しいし、すれちがってもその人が歩いてきたところににおいが残っている。そういう人を見ると憎しみすら湧いてくる。

とはいっても、ほんの15年前まではタバコはどこでも吸えた。
私もどこでも吸っていた。
電車で並んでいるときも吸っていた
   だが、いつのまにか喫煙コーナーができ、私鉄は全線禁煙になった
タクシーに乗ったときは、ほとんど必ず吸っていた
   だが、神奈川、東京のタクシーも禁煙になった
初詣で並んでいるときも吸っていた
   こういう奴は今でもいるが、だいぶ減った、
路上は、以前すべて喫煙所だと思っていたが、路上禁煙がどんどん広がっている。

私は何度も禁煙に挑戦したが、何度も失敗した。
でも、禁煙包囲網が最大の契機だった。
数年前に私の勤務先でも喫煙所が極端に制限されるということがあった。例の煙吸収マシン(あれも、すさまじい機械だが…)にかじりついて吸っていた時思った。
「なんで、こんなみじめな思いまでして吸わなくてはいけないのだろう?」
これでニコチンから離脱できた。

タバコを吸える場所を無くしてほしい。今、タバコを吸っている人(=ニコチン中毒患者)も吸える場所が無くなれば、すぐに止められる。
あとは、路上喫煙だけだ。



病理医をめざしたわけ

2008年02月08日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

死んだ祖父に「お前には女難の相がある」といわれていたせいもあり、「女性がいない職場」というのが、私が専門を決めていく上で大事なこととなった。
おふくろがかねてから言っていたことに、「病院は女の職場よ」というのがあった。今では、男性の看護師も随分増えてきたが、20年ほど前は普通の病棟の看護師さんといえば看護“婦”さんだった。
女性”恐怖症”というか、自分に女難の相があるといわれて育った私にとって、社会生活を送る上で女性は避けるべき存在であった。
というわけで、私が病理医になったわけは、「職場に女性がいない科」を探した結果だった。ほかに、看護師さんが少ない職場というと放射線科くらいしかない。これに、この前の手術実習のときの“病理医かっこいい!”幻想が加わり、病理医を選ぶこととなった。
実際は、病理など臨床検査部門(これからは検査部門ではなく、診断部門に移行するのだが…)には臨床検査技師さんがいて、臨床検査技師さんには結構女性も多く、まあ私の目論見通りとはいかなかったのだが…
後日談はまた別の機会に


老化 今の自分が一番若い

2008年02月08日 | 日々思うこと、考えること

髪の毛が薄くなるにつれ、頭皮に直接当たる冬の冷気が厳しくなってくる。
かといって、寒さそのものに対しては多少強くなったように思える。加齢のせいで鈍感になったからか?


北京五輪馬場馬術に67歳で出場することが決まった選手がいる。体力の向上、精神力の向上を常に心がけていれば、日常生活において加齢というものはあまり関係ないかもしれない。
でも、その選手の髪の毛はふさふさだったな・・・やっぱりハゲはダメなのかな?


ハゲが改善されなかったといって、施術料などでとられた500万円近くをとりかえした人がいた。その精神力たるやすごい、加齢などどこ吹く風だ。

そもそも500万円以上も髪の毛に投資したということがすごい。
人間のエネルギーなんてどこに潜んでいるか、わからない。


膝痛、老眼、禿頭、物忘れ、老化は放っておけばどんどん進む、だけどどうやって受け入れ折り合いをつけていくか。
今が、一番若い、その思いを常に持って、前向きに生きていきたい。


公共の感覚

2008年02月08日 | 日々思うこと、考えること
朝の駅前、急に駅舎と道路が浮かび上がるようにみえた。それと同時に「あ、人間って、こうやって地球の表面にコンクリ貼って、線路伸ばして、建物を建てて、それをみんなでやってるんだな」と感じた。
冬の寒さがそう思わせたのか、ただ単に年を取ってそんな思いができるようになったのかは、わからない。
人は一人では生きていけない
というのは、当たり前のことで、ほかの動物のように毛皮も牙も翼も無い。異常に未熟な状態で生まれ落ち、けっして一人では育つことはできない。
”成功者”の中にはあたかも自分ひとりの才覚でそこまで至ったかのような態度でふるまう人がいるが、それは間違いだろう。
これまで、営々と築かれてきた人類の財産の上に乗っかっているにすぎない。
だから、人間に上下なんて、ない。
誰もが同じ小さな地球の上で暮らしている。
そのことを自覚すれば人と人との諍いはとるにたらないものであることがわかるんじゃないだろうか。
そんなことを思った瞬間だった。

今年の冬は・・・

2008年02月06日 | 日々思うこと、考えること
温暖化のことを心配していたら、今年は冬らしい冬になっているように思う。
ただ、北極がどうなっているのかわからないし、ツンドラは減っているみたいだ。立春も過ぎ、すこしずつ暖かくなっていくんだろう。
三寒四温
日本は季節感があって、そこに住む私たちは本当に幸せだ。

だけど、冬は要注意、スキーコースを外れて滑ったり、冬用タイヤを使わずに運転するようなことはしないように!
楽しく冬を過ごしましょう

節分

2008年02月03日 | 鎌倉暮らし
雪の中、鶴岡八幡宮と鎌倉宮の豆まきに。
今年は節分が日曜日にあるということで、むちゃくちゃ込むんじゃないかとかみさんは心配していたが、雪のせいか、ほとんど人出はなかった。
そりゃそうだな、横横も通行止めになって、東海道も一時運休だったりして、鎌倉へのアクセスもひどかったからね。
明日は晴れて、気温も上がるようだけど、朝のうちは滑らないように気をつけないと。
鬼は外!福は内!

二月一日

2008年02月01日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今日は少しだけ電車が空いていた。私立中の入試日だからだろう。思えば三十年余り前、母校へ向かう坂道を母とともに歩いたのをはっきり覚えている。
だが・・・そのとき、母がつぶやいた言葉のほうは、もっとよく覚えている。
先輩たち(確か高二)が道案内に立ってくれていた。私の母校の隣、というか塀ひとつ隔てた向こうに、日本でトップの国立の進学校があるのだが、母は「いつもは○○(隣の国立トップ校)に押されちゃってるんでしょうけど、今日は、(自分の学校を受験しに来る子を誘導して)晴れ晴れしていられるわね」って、そりゃねーだろ、息子がこれから受験する学校のこと、そんなふうにいうか???
結局、そのまま合格して、他の学校も受けなかった。
その後6年間、楽しい学校生活を送ったわけだが、隣の”超”進学校にはなんとなく、コンプレックスを持ったままだった。
まあ、いろんな思いが錯綜するだろうが、私のような受験の思い出、というのも、なかなか複雑なものがある。
このあとも、試験がある受験生もいるだろう、体調を崩さないよう、がんばってね。