こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

子育てに費やした時間をどう考えるか

2024年07月25日 | 妻の名言
温度調整の難しい日が続く。
今朝は少し曇りがちだったので暑さは昨日ほどではなかったもののそれでも頭が痛くなる。
この状態というのは軽い熱中症が継続して起きているのかもしれないと考えると若干心配になる。
できることといえば水分補給と塩キャンディーぐらいのもので、できる限り体調を維持したい。

妻と一緒に朝食を食べていたら、息子にLINEをしたという。
どうしたの?と尋ねると呆れ顔で、

  今日は(息子の)誕生日でしょう

と返された。
そうだった、10年前の今日、二十歳になった息子がもう三十、早いものだ。

順風満帆そのものに見えるむすこの人生にも、いろいろある。
息子より20日ほど先に生まれた大谷翔平にもあれほどたくさんのことが降りかかっているのだから、おそらくどんな30歳も大なり小なり色々ある。
この”いろいろ”をどうとるか、どう表現するかはその人それぞれで、彼自身がどう考えているかなど誰にもわからないし本人だってどの様に表現したらいいかはわからないだろう。
ましてや他人の私から見たってわかるわけがない。

それが幸せなのかそうでないのか、幸せとは何なのか、すべては相対的であり、絶対的な評価は困難だ。

親になってからの30年という年月は決して短いものではない。
これは相対的なものではないと思う。
娘の分を入れると人生の半分以上を子育てに費やしたことになるが、これは良いことだったと思えるのは、幸せなことだと思う。
放っておいては育たない

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私はまだまだ男性視点

2024年04月09日 | 妻の名言
細目に窓を開けて写真を撮ろうとしただけでびしょ濡れになるほどの強い風雨。
花散らしの雨とならなければ、明日からはしばらく晴天で絶好のお花見日和が続く。

昨日、駅のエスカレーターで盗撮犯を捕まえ損ねた。
私を不自然に追い越して、私の前の女性との間に入り込んだ男がいて、よもやと思い、その男の手元を覗き込んだらレンズを上に向けてスカートの中にスマホを差し入れているのがみえた。

 おまえ、なにしてるんだ

ととっさにそいつの襟首をつかんで、

 こいつ女の子のスカートの中の写真を撮ってるぞ

と叫んだら、私の後ろにいた男性も一緒に飛びかかってくれて押さえつけようとしたのだが、下りのエスカレーターの上まで引きずられてしまった。
ステップの下を覗き込んだら、このまま転がり落ちたらこちらが大怪我をしそうだと一瞬怯んだところで、振り切られ、脱兎の如く逃げていった。

ホーム上で押さえつけたら良かったのかもしれないが、残念ながら私には格闘技の心得はなく、取り逃してしまった。
役立たずといえばそれまで。
駅前の交番に、女性とその友人とで行って状況を説明した。
盗撮犯と揉み合った時に左手の薬指を捻挫してしまい、今日は朝から猛烈に痛い。

ああいうのは見逃してしまったほうが身のためだったろうか。
もしかしたら逆襲されてナイフででも刺されていたかもしれない。
そもそも私はなぜとっさに捕まえようとしたのだろうか。

妻にことの顛末を話したとき、私が

 あんな短いスカートじゃあ(そういうことをされても仕方ないよね)

と同意を求めて言ったら、

 そんなことないわよ、あれはオシャレなんだから(何も悪くないわ)

と返され、続けて、

 そもそも欲情してそんなことをする男の方が悪いのよ

とピシャリと言われた。
そうか、オシャレと考えたらそのことに罪はない。
まだまだ私は男性視点で社会を見ているのだと反省した。

偶然見えてしまうことはあっても、それを写真やビデオに撮ったら盗撮という犯罪だし、混雑した場所で体の一部が偶然相手の女性の胸や尻に当たることはあるが、それを無理にやったら痴漢だ。

李下に冠を正さず、君子危うきに近寄らず。

おかしなことにならないように気をつけることは、女性に対するマナーだ。
薬指の捻挫のおかげでそのことが分かったような気がする。
根本的に間違っている

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それならそれをしなければいいだけのこと

2023年11月16日 | 妻の名言
今日もずいぶん冷えるということだったが、豈図らんやなんだか生暖かく、穏やかな朝。
そんな朝なのだが、嫌な夢を見て寝覚が悪い。
さっさと忘れてしまいたいほど嫌な夢だったのだが、逆にあまりにも私の嫌なところばかりだったので、神様のお告げと思って残すことにした。

その夢とは、
私がトップの立場にある職場の私の部屋に入っていくと、それほど広くない部屋の中で何人かが大型の機械のデモの準備をしていた。
さらには私が普段使っている机に、数年前に辞めてしまった後輩がすまし顔で座っているではないか。
すぐに怒りが湧き出て、そいつをどかし、自分の机に荷物を置いたが、背中からは作業の音が聞こえてくる。
自分のラボで自分の預かり知らないことが行われていることに怒りを感じ、イライラは募るばかり。
部屋を出て隣の部屋に行き、なんでこんなデモが勝手に行われているのかと教室員に問い糺すのだが、だれも口を濁して答えようとしない。
埒が開かないので機械の置いてある部屋に戻ったら、件の後輩がその機械を楽しげにいじっている。
いいかげんにしろと、それをやめさせ部屋から追い出し、業者にも機械をさっさと持ち帰る様に言って、みんなが怖そうな顔をしている中廊下に出たら、かつてその後輩に疎んじられて嫌な思いをさせられた先輩がいた。

  「先生、お久しぶりです」

と挨拶し、かくかくしかじかこんなことがありまして、とひとしきり嘆いたら、

  「そんなもんだよ」

と声をかけられて終わった。
そして、部屋に戻って業者のうちの責任者を捕まえて、

  「いい加減、どうしてこんなことになったのか言ったらどうなんだ」

と詰問したところ、

  「なんで、こんなにきつい言い方で言われなきゃならないんですか。
  冗談じゃない、あなたと私はそもそも関係ないでしょ、それなのにそんな言い方をされるれる筋合いなんてありませんよ」

と逆ギレされた。
そして、

  『しまった、言いすぎた。私の悪いところ全てが出てしまった。』

と気がついたところで目が覚めた。


この夢、とてもリアルで、私のとった最悪の行動が、あまりにも実際に起こしてしまいそう、というかもうどこかで何度もしてきてしまったようで、私にとってそれは衝撃だった。
嫉妬心、気の短さ、仮借のなさそして自己肯定感の欠如と劣等感、そういった普段から私が自分に対して嫌だと思っていることが一気に押し寄せてきた。


そのうち忘れるだろうからこのまま胸の内に留めておこうと思っていたのだが、耐えきれず、出かける前に妻に話した。

すると、ちゃんと自己分析ができているじゃない。
それがわかったのなら、それをしなければいいだけじゃない。
よかったわね。

と言われ、

あと、あなたが他の人のことを見下して使う"あいつら"、それも使わないようにね。

と付け足された。
嫌な夢、で終わるところだったが、妻の言葉で救われた。

いやな自分を目の当たりにして

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お花が美しく咲きいい香りを出すのは自分を見て褒めて欲しいから

2023年07月21日 | 妻の名言
東海以西が昨日梅雨明けとなったらしいが、鎌倉の空にはまだ厚い雲がかかっている。
それでも昨晩は、涼しくて冷房を入れず、窓を開けて眠ることができた、と言いたいところだが、別の意味で寝付けなかった。
夜中に目が覚め、何度も寝返りと打って唸っていたら、妻のことを起こしてしまった。

 なに?眠れないの?

と、尋ねられたので、このところ、職場が少しギクシャクしていて悩んでいると相談したら、

 けんちゃん、ちゃんとみんなのこと褒めてる?助かります、いい仕事ありがとう、お疲れ様、ありがとうって、言ってる?

と尋ねられた。
特段、そんなことはしてないないと答えると、

 それではダメよ、みんな自分がどう思われているか、自分の仕事がどう評価されているかということを気にしているのよ。
 仕事なんて、そのために頑張っているようなものなんだから、そのことに対してきちんと声をかけてあげなくちゃ。

プロがする仕事なんだからダメだったらダメと言うけど、悪くなければそんなこと言う必要はないのでは?
と訊くと、

 それではダメ、お花だってそうでしょ?
 自分の方をみて欲しいから美しく咲くのだし、自分の方に来て欲しいからいい香りを出すのよ。
 そして、人はそのお花を美しい、いい香りだと愛でるのでしょ?

生物学的にはちょっと違うんじゃないかと思ったが、例えとしては確かにそうだと思って首肯し、なんだか安心して、いつのまにか眠ってしまった。

私自身、褒められることなく生きているとは思うが、臨床医に喜んでもらえるであろうことこそが、患者さんの役に立つことだろうと考えながら仕事をしている。
そのバロメーターの一つは臨床医がどれだけ部屋に顔を出してくれるかで、自分なりには私が赴任してから増えたと思う。
声にしてはくれないけれど、私にはそれで十分だ。
でも、職場内ではどうかというと、評価する人は私以外にいない。
となると、私がちゃんと言葉にしてあげなくてはいけないと反省した。

などと、あれこれ考えていたら降りる駅を乗り過ごして、遅刻してしまった。
しっかりしろ

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気分が落ち込むのは低気圧のせいだから気にしない

2022年05月13日 | 妻の名言
 湿度が高くなるせいで雨の日はメガネが曇る。もちろん、マスクをしてさえいなければこんなことにはならないのだが、こればかりは仕方がない。屋外でのマスク着用は不要だろうという意見が出始めたところで、岸田総理はまだ時期尚早と。これに対して、立憲民主党が、総理は外遊中マスクを着用していなかったじゃないかと指摘していた。確かにそうだが、出席していた国々の首脳が皆マスクを着用していなかったのに、日本の総理だけマスクで顔を隠しているというのもどうか。それに、海外ではもとより、日本においてもそもそもマスク着用は義務ではないわけで、揚げ足取りに近い。

 今日はもう金曜日。連休ボケがなかなか抜けない一週間だったが、病理医が関わるような重篤な疾患の患者さんが途切れるようなことはなく、それなりに忙しく過ごした。ここで話は少し逸れるが、病理医が関わるということは、患者さんから体の一部を切除するということで、個人個人にとってはほんの小さなほくろひとつであったとしても重大なことだ。話を戻すと、これで表をマスクなしで歩いてもいいことになりそうで、明日明後日が待ち遠しい。散歩が減った理由は、フラットコーテッドレトリバーのナイトが死んだというのもあるが、なんと言ってもマスクをつけての散歩が息苦しいということに他ならない。
 
 梅雨の前触れのような雨続きの天候で気分も晴れない。このところ私の気分がすぐれないと妻にこぼしていたら、それは低気圧が迫っているせいだからあまり気にするなとのこと。気分というのは上がったり下がったりするが、それは気圧の変動に連動しているにすぎないのというのが妻の持論で、私がクヨクヨしたり落ち込んでいるといつもそう言って励ましてくれる。私としては、ウィズコロナ時代という暗い世の中に、ロシアによるウクライナ侵攻という凶悪な事態が生じ、鬱々とした気分はピークに近づき、さらに個人的には仕事は徐々に溜まって首が回らなくなりつつあるし、朝ドラでは主人公の家族が悲惨なことになり、大河ドラマは毎週陰鬱なことばかりある、などが原因だと思っているが、どうもそれは考えすぎらしい。

 明日天気になって、プーチン大統領が根を上げて特別軍事行動の中止を宣言し、大谷翔平がホームランをかっ飛ばし、ドラマの主人公に幸運が訪れたら気分なんてあっという間に晴れるのだろう。病院に行ったらまた、難しい患者さんの診断が待っているし、山積みのマッペの高さは変わっていないが、やる気が出たらその山も少しは低くできるだろう。気持ちの変化なんて、そうやって日々変わるものだし、変わるものだから楽しいことも悲しいこともある。仕事にしたって、何でもかんでもできるわけがない。そんな当たり前のことに気がつかせてくれた、妻に感謝しつつ今日一日もしっかり頑張っていこうと思う。
やるのは自分

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あなたがその程度だからちょうどいいのよ

2021年09月10日 | 妻の名言
昨日の大雨のせいもあるのだろう、ちょっとジメジメしている。
目が覚めた時には雲に覆われていた空、家を出る頃には青空がのぞいていた。
天気予報では今日はいい天気になるとのこと、というかなって欲しい。
日照不足で発育が今一つのプランター菜園のナスやトマト、そして草花に光を!
少し暑さがぶり返してくるらしいので、久しぶりの半袖ワイシャツで出てきた。

このところ講演・講義の資料の締め切りが次から次へと迫ってきていて、アップアップだ。
このブログを書いている時間もないはずなのだけど、まだ書いていられるのだからそうでもないのかもしれないが、これはこれで頭の切り替えだからまあいいか。

頼まれた仕事を断らないというのは、亡くなった父のモットーで、それは私も踏襲している。

”一度断ったら、次は頼んでもらえないよ”

というのは、多分本当だと思っている。
そのせいで、父は膨大な仕事を抱え込んでいたが、なんとかやっていた。
父の足元にも及ばないが、私も分野は違うがあれこれ仕事を引き受けている。
だが、泥縄とも言える仕事の回し方には少々不満がある。

そもそも、それほどの力量がないのに、人様に読んでもらったり、聞いてもらったりすることをするなんてことはおこがましいと自覚している。
困るのは再度仕事を頼んでくる方で、なんで私なのだろう、とその都度思う。

 妻に相談したら、

”あなたが、その程度だから、いいんじゃない?”

と、教えてくれた。

 ”頭のいい人の話って、却ってわからないじゃない。
 それよりはあなたみたいなレベルの人の話の方がよくわかるのよ。”

私が凡庸であるからこそ、私が書いたり話したりする相手にわかってもらえるのだという。
知のトップクラスの人と話すには足りない力量も、私のレベルを求めている人もいるということだ。
確かに、雑誌にしても講演にしても、

 ”わかりやすく解説していただき、ありがとうございました”

と司会者に締めくくられる。
私が唸ってしまうような講演のあとで聞く賞賛の言葉とはほど遠い。

そんなふうに考えてみたら、これまでやってきたことを見る人はみていて、このような仕事であれば、あいつに任せようということになるのだろう。
確かに、私が受ける仕事は書き物が主体で、取りまとめとかそういったことはない。
それ相応のレベルというのがあるということだ。

ならばこの先も気楽にやっていったらいい。
私の力量に見合った仕事が周りの人に期待されていることだし、私もそれを続けることが無理がなくていい。

まずは力を自覚する

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上に立つ人は笑顔

2021年02月16日 | 妻の名言
まさに台風一過といった趣の雲ひとつない空。今日からは北風が強くなりそうで、明後日あたりからまた寒くなるらしい。今日の北海道は猛烈な大雪になるということなので、どうしても外出しなくてはいけない方は十分ご注意してください。

気の進まない仕事があって、昨日から元気がなかった。それを見抜かれたのか、朝、駅の近くまで私を車で送ってくれた妻が、降りぎわに

「上に立つ人は笑顔」

と声をかけてくれた。
上といっても私は中間管理職の上の方ぐらいのポジションだが、指示を出せばその通り動いてくれる人が何人かいる。このくらい顔のまま職場に行ったら、その人たちが不安になり、不愉快になるだろうと妻は思ったのだろう。というか、そう思わせるほど暗くて不機嫌な顔をしていたに違いない。車を降りるとき、

「いっ!」

と、無理やり口角をあげた。
そういえば、昨晩、NHKの「逆転人生」という番組で、いわゆる”職人気質”でやっていたら、店の雰囲気は悪くなるわ、従業員は辞めていくわ、おかげで評判は悪くなるわで、赤字に転落したレストランの店主が、サイゼリアにバイト修行に出て、”自分に問題があるのではないか、自分が変わらなくてはいけないのではないか”と発想を変えたという話をやっていた。従業員のいうことに耳を傾け、いいアイディアは採用して、自らも後片付けなどを積極的に行っていくうち、お店の評判は回復し、コロナ禍であっても経営は順調だという。今度、ぜひ一度お邪魔してみたいものだ。
その店主さんは、変わらなくてはならない、と思ったもののはじめのうちは、どういていいかわからなかったそうだ。私もいきなり”笑顔で”といわれても、いざとなるとどこまでできるかわからない。それでも最近、科内でのミーティングを開催することにして意見を交換する機会を作ってきたし、臨床他科とのカンファレンスは赴任してすぐに始め今でも続いている。少なくとも殻に閉じこもることはしないようにしている。それでも、そんな折に私が仏頂面では元も子もない。今日1日、笑顔で過ごす。妻の言うとおりにしてみようと思った。
結果というと、午前中はまずまずの推移。といっても、一人でいる時間が長かったので問題にはならなかったが、時折口をきくとどうも塩梅が悪い。外科の迅速診断を行っていたら、気のいい医長がやってきて、診断をディスカッションしているうち明るくなった。こんな風に周りを笑顔にして、元気をくれる人というのを見習いたいものだと思う。

結局そのあとも調子が出たり出なかったり。気の進まなかった仕事というのも案ずるより産むが易しで、皆で頑張ったら案外楽しく乗り切ることができた。ついつい笑顔のことを忘れてしまったが、それでも時々思い出しては、マスクの下で引き攣りながら、口角を上げながら1日が終わった。
日の出と日の入り

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みんなを笑顔で迎えましょう!

2020年08月14日 | 妻の名言
昨日からお盆。
それなのに電車が案外混んでいるのは、帰省できずに東京に残った人が多いからか。
今日も快晴、朝から暑かった。マスクをしての呼吸が苦しい。

自分の中の黒くて重い芯のようなもののことを考えていたせいで顔つきまで悪くなっていたのか、それとも朝からしょうもないことを言う私を心配したのか、妻からLINEがはいってきた。

”笑顔でいますか?
お父さんたちとナイトが帰ってきています。
健ちゃんの優しい顔を見て安心してくれると良いわね。”

コロ健、どうやら心の中はすっかり見通されていたみたい。

義理の父は12年前、私の父はこの5月に亡くなった。昨年暮れにはフラットコーテッドレトリバーのナイトも死んでいる。妻によれば、あの世では義父と父がナイトの頭をかわるがわる撫でつつ酒を酌み交わしているらしい。義父とナイトはこの世での面識はなかったが、お互い楽しくやっているのだろう。なんと羨ましいことか、私もその宴に加わりたい。
そんな二人と一匹がお盆に帰ってきている。せっかく帰ってきてくれたのに、私のイラついた顔を見せたら、心配でお盆が明けても帰ってくれないかもしれない。

姿は見えないし、声も聞こえないけど、いると思えばそこにいる。
逝ってしまった人は、いつも心の中に生きていますよ、と教えてくれたブロ友さんのコメントを思い出す。
今年のお盆はその言葉が身に沁みる。
今日から休み、仕事のことはしばし忘れて穏やかな気持ちで過ごしたい。

コロも一緒に

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今日も一日笑顔でいよう!

2019年07月05日 | 妻の名言
出がけに、妻からで「今日も一日笑顔でね。」と言われた。
「健ちゃんは、切羽詰まると怖くなって、声をかけづらくなっちゃうから。」とその理由も付け加えられた。
「そういうのって、他の人も同じじゃない?」と反駁すると、
「そんなことないわよ、みんなそういうのは表に出さないでいるものよ。」
「元々、おっかない人だっているじゃない。」
「そんなことないわよ、みんなもとはいい人なんだから。」
 
たしかに、私は仕事がいっぱいいっぱいになると近寄りがたくなると言われたことがある。それをたしなめられたこともあった。私としては、仕事に集中しているだけで、誰かに当たっているわけではないので、罪の意識はあまりないのだが、それでは社会人としては不十分ということだし、妻からみたらまだまだ改善の余地がある、ということなのだろう。
周囲から何も期待されていなければそんな必要はないのだろうけど、私のような人間はそうあるべきということなのだろう。
私のそういうところを一番よく知っている妻がそのことを口にしたからにはここのところの私は危険水域近くにいるのだろう。危うく、氷のカーテンをしてしまうところだった。
 
笑顔笑顔で、一日を過ごそう!口の形を笑顔にするだけでも違うというから、そうしよう。
 

危なくなったらブログを見る

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包み込むような温かい気持ちで

2019年01月10日 | 妻の名言

ここ数日来、煮詰まりつつあった考え事を妻に相談した。鏡を見て自分の仏頂面と対話しても妙案が浮かばず、精神的にも限界に近づいていた。

「健ちゃん、人と話す時にまた眉間にしわを寄せて深刻な顔をしているんじゃない?そんなんだったら、誰だってあなたと一緒に暗ーい気持ちになってしまうわよ。挙げ句の果てには、”この人大丈夫かな?”なんてことになりかねないわよ」

図星をつかれ、どぎまぎしていたら、

「あのね、人と話す時は、相手の人を柔らかい心で包み込むようにするの。そうしたら、相手の人も安心してあなたのいうことに耳を傾けてくれるわよ。」

そうか、もし自分がそうしてもらったら、わかってあげよう、力になってあげよう、そういう気持ちになるかもしれない。すくなくとも喧嘩腰、対立するような状態で話をしてもお互いいいことは何一つない。

イソップ物語の中に「北風と太陽」という話がある。あの話は、北風の冷たさと太陽の暑さの対比で、暑ければそりゃあ上着を脱ぎたくもなるというものだ。

妻が私に教えてくれたのは、そういうことではなくて、もっと相手を思い、ともに幸せになる、そういったアプローチのやり方だった。

人に動いてもらおう、そう考えたら相手をinvolve(巻き込む)しなくてはいけない。そのためには、どうしたらいいか。

必要なのは薄っぺらな笑顔ではないし、おためごかしの誘い文句でもない。ましてやお情けちょうだいの苦しい顔でもない。誰だって、子供だってついてきやしない。

相手を柔らかく優しく包み込む優しく温かい気持ちがあれば、笑顔があふれ、相手の目を見て、心のレベルで話すことができる。

そして私は救われた

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妻への感謝

2018年12月05日 | 妻の名言

私の誕生日はもう少し先なのだけど、息子の都合で昨晩、妻と息子が私の誕生会をしてくれた。娘が留学中で不在なのは残念だが仕方がない。誕生会といっても、いまさら将来への抱負なんてことを話すことはなく、普段の夕食と同じように他愛のない会話をしながら妻の手料理を美味しくいただいた。食後、紅茶をいれ、ロウソクを5本だけ立てた、小さめの、それでも3人には多めのバースデイケーキを食べた。

ささやかな誕生会のあと、妻と二人になり、プレゼントのお礼を言いながら、ふと思ったことを尋ねた。

「いつもありがとう。ところで、僕には何を求めているの?」

すると妻は、「ありがとう、と言ってくれたらいいの」と答えた。「たとえば何かした時に、よく出来てたらよくやったね、とか、そんなことを言ってくれたらいいわ」と。続けて、「私には”お疲れさま”はいらないのよ。」と。

言われてハッとした。私は、いつも自分のことばかり。仕事が大変、体調が今ひとつ、そんなことばかりで、私はこれまでどれだけ妻が考えていること、思っていることにどれほど気を配ってきだだろう。妻の誕生日だとか結婚記念日だとか、その都度お祝いをするけれどそれらは、それらの行事そのものが目的化しているだけで、心から妻のこと、妻を含めた夫婦のことを祝っていただろうか。私は”そうすればいいだろう”とばかりに、本当に大切なことが何かわかっていなかった。

私はこれまでどれほど妻のことを思ってきただろうかと考えると、情けない気持ちになった。このブログでも、”妻の名言”などといって、妻があれこれ私を励ましてくれるたり、ねぎらってくれたりする言葉を残しているけど、私は言葉をかけてもらうばかりで、私から妻にそういう言葉をかけてあげたことがこれまでどれほどあったろう。

”あーあ、やっちまった”、どころではない。結婚して以来、ずっとそうだったのだから取り返しがつかない。よくこれまで愛想をつかされずにきたものだ。失われた夫婦の時間を取り返すことができないなら、この先どうしたらいいのだろうかと考えることはある意味浅はかなことだ。まずは、妻の希望通り、「ありがとう」という言葉を忘れずに毎日を過ごすことから始めよう。そして、それは家族にも、周りの人に対しても。

いつだって、今がスタート

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今までそれにぶら下がってきたんでしょ?

2018年06月29日 | 妻の名言

 先輩の先生たちが定年とかで第一線から退くようになって、だんだんとあちらこちらのあれこれの仕事が回ってくるようになった。
  処理能力の有無にかかわらず、次の私たちの世代が対応しなくてはいけない。
  同世代ではすでに教授とかに出世して活躍している人は何人もいて、そういう人がみんなで手分けしてやってくれたらいいと思うのだけどそうもいかないようだ。そういう人たちはもちろん教室の運営もあるし、外の仕事も大きな学会の運営とかに関わっていて、それより小さな、ずっと小さな仕事には手が回らず、そういったことが私のような末端のところに持ち込まれてくる。小さい仕事と言っても、数十から数百人は関わっているので、適当にうっちゃっておけばいいわけではない。どれももうしんどいからと断ってしまいたいのだけど、そうもできずに引き受けてしまう。その挙句、仕事がもうパンパンになっている。

 「もう、あれもこれもでほんと、大変だよ。」と妻にこぼしたら。

 「文句言ってもしょうがないでしょ!今までそれにぶら下がってやってきたんだから。今度はあなたがそれをもり立てていくのが筋っていうものでしょ?ついでに言っておくけど、そういう仕事をする時にイヤイヤオーラを出しちゃダメよ。あなたはそれがよくわかるんだから」

 と、だめ押しまでされてしまった。

 ぶら下がってきた、というかこれまで多くの先輩方のお世話になってやってきた。思い返せば、社会人になってから自分で頑張ったことなんてほとんどない。全て、素晴らしい先輩が、時には後輩が私がより良い方向に進むことができるようにお膳立てして、助けてきてくれた。そうしてくれた人のことは良く覚えているし、どうしてくれたかも良く覚えている。

 ならば、今度は私がそれをする番。

 それも、「いやいや」ではなくて、「喜んで」。

 人生で起こる出来事の多くは人との関わりの中から生まれ、人との関わりの中からやるべきことが出てくる。そう考えてみたら、人間、自分でやっていることなんてほんの少ししかない。それら全てのことに対して自分は幸運な人間だと感謝の気持ちを持っていたら、嫌な顔一つしないでやっていけるはずだ。

感謝の気持ちを忘れずに

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妻からの警告

2018年05月16日 | 妻の名言

”私も(コロ)健ちゃんと一緒にそうしてあげようか?”

私が例によってまた、なんのために生きているのか?などと昨日から言い出したものだから、妻から、”じゃあ一緒に思い悩んで、ダークサイドに行ってあげようか?”というようなことを言われてしまったのだ。去年も同じようなことを言われたのに、また言われてしまった(『私の方が大変なのよ、だってそっちの方が楽だもの2017年08月21日)。

それは私が困るからやめてくれと言ったら、

”マイナスとマイナスがくっつけば、プラスになるでしょ?それでいいんじゃない?”

などと追いうちをかけてくる。すごい考え方で、たしかにそれもありかもしれないが、もしもうまくいかなかったときのリスクが高い。

ということで、人生を暗めに悩み多きものとして考えることはやめた。

そうはいってもなー、人生悩ましいことは多い。悩みなど一切なく、毎日のことにがんばって精力を傾注していけたらいいのだけど、なんでそうならないのだろう?

でもとにかく、あんまり悩んでいると、妻もその悩みに付き合うと、おどされているのだか警告されているのかわからないことになってしまった。これからは、その辺りにも気をつけなくては。

あんまり妻に依存するのも考えものということか。

プラスマイナスゼロならいいか

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主婦の仕事も一緒よ

2018年04月17日 | 妻の名言

仕事がどんどん増えて泣けてきそうだ。能力の高い人なら、パッパと片付けることもできるのだろうけど、私にはもういっぱいいっぱい。職場の同僚は、”先生が人気者だからですよ”と慰めてくれる。あちこち施設を移っても私のことを覚えてくれる人がいるということはありがたいことだし、この先も私がやれることがまだ残っているということは喜ぶべきことだ。それにも限度というものがある。

というようなわけで、(例によって)妻の前でため息をついついてしまう。妻からは以前にも「ため息は周りの人にうつるから」と、気をつけるように言われているのだけど、それでもあれとこれとと考えるとつい出てしまう。

「何と何がため息の原因なの?全部言ってみなさい。」と質され、昨日見舞った病気で入院している親戚のこと、仕事がどんどん溜まって行くばかりで、いっこうにはける気配がないこと、などなど言ったら、親戚の話は後日話すとして、仕事に関しては、

「それ、主婦だって一緒よ。毎日毎日、洗濯物は溜まるばかり、来る日も来る日も食事を作って、掃除だっていくらやってもキリがない。

私なんて、その都度、ありがとうも言ってもらえないのよ。」

と、諭された。

子供二人と同居しているということもあるけれど、家事はたくさんある。どれも手を抜いたら、あっという間にゴミ屋敷になってしまう。食事もただ炒め物を出したらいいというわけではなくて、栄養バランスを考えながら作ったら半日ぐらいあっという間にすぎてしまう。子育ても加わったら、健康管理、教育指導までも抱え込む。以前に書いたこともあるけど、プロの主婦というのは、上手下手は関係なく、本当に重労働だ(「主婦の仕事は重労働」)。内容は違うけど、私の仕事のプレッシャーとなんら変わることはない。どれひとつ、手を抜けず、代わりもいない。何かの免許があるわけでもない分、モチベーションを保つのも難しい。それを維持するのは家族への愛情しかない。

ため息をついているばかりでは家事は進まない。私の仕事も一緒、ため息をついているばかりでは何も進まない。

「あなたの仕事も私の仕事と一緒で、一つ一つ、片付けていくしかないでしょう?」

結局は、そうやってなんとかやり過ごしているけど、その都度ため息をつく必要はない。妻を見習って、目の前にあるあれこれをまとめて、なんだか大きなものにしてみることなく、一つ一つのことを片付けていくしかない。

自分だけが大そうな仕事をしているわけではない。

どんな仕事も全うできたら大したもの

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余計なことは考えない、なるようにしかならないから

2018年04月09日 | 妻の名言

仕事仕事と負荷が多いからか、日本の政治に呆れることが多いからか、なんとなく気の休まる間がなく、なんとなく気が重い。

妻にも心配されてしまったので、逆に、どうしたら(妻のように)ポジティブでいられるか、聞いてみた。

そうしたら「余計なことは考えないの、なるようにしかならないから。」と教えられた。

たしかに、夜中目が覚めてしまってから、あれこれ考え始めてしばらく眠れないことがあっても、何かが変わるわけではない。何も変わらない。寝て起きて、1日が始まり、物事はそれなりに進んで行く。どうしようもないことなどなく、全てはなるようにしかならない。因果応報、結果はすでにそこにあるのかもしれない。そしてその結果へのプロセスを自分で切り開いて行くだけのことだ。人間の悩みというのは頭の中で作り上げているだけのもの、心配してなにかがどうなるというものではない。一体なんのための悩みなのかすらよくわからなくなる。『杞憂』という言葉がある。取り越し苦労のことだけど、全ての悩みなんてそんなものだ。

さあ、新しい週が始まる。

今、自分ができることを、自分にも相手に対しても、誠実に真面目にやるしかない。

その先はなるようにしかならない。

みんなきっとうまくいく

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