毎年恒例にしていた今年のボツ記事、いざ書こうと思ったら去年の書きかけ記事がたくさん出てきた。そこで、『今年のボツ記事 2016(!)』を1年遅れで書いた。と言っても書きかけていたものをコピペしただけだが。
いよいよ、これが本当の今年のボツ記事。やっぱり、記事にならなかったのはそれなりに原因はある。
『捨てる神あれば、拾う神あり』
今回、東京都知事選挙に出馬した、小池百合子さん。自民党から見捨てられ、応援を得られず、それでも自らは自民党員として頑張った。
彼女のインタビューで、「捨てる神あれば拾う神あり」と、党には見放されたけど、応援してくれる人がいたことを述べ、それを頼みとして頑張り通したのだろう。
『病理のこと・・・シリーズ集』(という、これまでの病理関連記事をまとめようとした)
病理診断科のこと
(1)・・・2007-11-21 (2)・・・2007-11-24 (3)・・・2007-11-25
病院で死ぬことと病理解剖
注1) 日本の医療はなぜ、何も変わらないのか?・・・2010-01-30
注2) なぜ、私の代わりの病理医はいなかったのか?・・・2010-01-30
注3) 病理解剖は何のために行うのか?・・・2010-01-30
病理医になるための勉強
上(2012年02月18日)下(2012年02月19日)
医療を哲学的に考えてみる
(1)(2013年08月05日) (2)『医療』の定義、医術(2013年08月07日) (3)『医療』の定義、病気(2013年08月08日)(4)『医療』の定義、治す(2013年08月14日) (5)『医療』の定義(2013年08月23日) (6)『哲学的に考えてみる』の定義(2013年09月12日) (7)患者の願いはなにか(2013年12月03日)
病理医になるには
『久しぶりにお相撲をみて』
昨日、一昨日とお相撲をテレビ桟敷で観戦した。
たっぷりみるといって、42人中13人が外国出身だった。
『継続は力になるかな?』
このブログが書けなくなりそうになると、「継続は力なり、頑張って続けてください」というコメントをいただいたことがある。
『自分の周りにあることしか話さない人』
昨日、私の歓迎会があって、二次会にカラオケにいった。この前も書いた通りカラオケは好きで若い頃はずいぶんと楽しんだ。だが数年ぶりとなると何を歌っていいかわからない。なんせ、私の半分くらいの歳の人もいる。結局、自分のオハコを何曲かうたって、温かい拍手をいただいた。だが歌いながら別の私が
あのさー、お前、なん年前の曲を、歌ってるの?それも立て続けに。
心の奥からそんな声が聞こえてきた。
"自分の周りにあることしか話さない人。"
コロ健のやってることはそれかい⁉︎なんて、思ってしまった。
私は芸能人でもなんでもないので、あまり余計なことを考える必要なんてないのだけど、年をとると余計なことばかり考えてしまう。宴会は参加している人みんなが楽しまなくては意味がない。
『医学と医療と病理学』
『ヤンキーの方が、勉強ができただけで出世したような人よりも、よほど礼をわきまえている。』
この歳になるまで気がつかなかったことがある。「おい、みっともないからやめなよ。」なんて周囲のことを気にするようなことを大人が言ったら何となくその人はヤンキーっぽい。
『"こんな人たち"の生活とバラマキのために私の収入の多くを税金として納めている。』
税金を納める、ということは国を支える人間の一員として義務であることはよくわかっている。国民の誰もが税金を納めなくなったら国体護持は叶わない。
『そんなに不機嫌にしていたら、誰も近づいてこないわよ』
先日の出張の朝、忙しくてイライラしていたら「そんな顔で行ったりしたら、周りの人に嫌われちゃうわよ!」と妻に言われた。
これには続きがあって、「わかっている?”私”だからあなたがそんなでも耐えていられるけれど、そうでない人だったらあっという間にどこかに行ってしまうわよ。それでもいいの?」というものだった。
以前、私は”仕事がいっぱいいっぱいになると、イライラして周りの人が怖くて近づけなる”と言われたことがあった。妻も、そのことは知っていたようで、あまり言いたくはなかったようだったが、先日はよほどひどかったのだろう。私に対して忠告しないではいられなかったようだ。
たしかに、最近また忙しくなってきた。世の中には私などよりもっと忙しい人、多くの仕事を抱えている人というのはいくらでもいる。だが、私には現状が大変なのだ。この歳で新しい職場に4月に移り仕事に慣れてきたところで、学会の仕事やら、研究のことなどとあれこれある。
私でなくてもできるようなことばかりだろうけど、もっとふさわしい人はいるだろうが、私が適任者の一人であることも間違いない。そんな私が引き受けたことでいっぱいいっぱいになっている。そして不機嫌になる。
これまでにも、そういったことはたしかにあった。だから、それを思い出して妻は私に忠告したのだろう。
『初期研修医への病理診断学の指導』
医師臨床研修制度が10年前に始まった時、私は専門病院に勤めていたので、研修医というと後期研修医すなわち将来の方向性がある程度決まっている医者のことだった。医師国家試験に合格してすぐに来る初期研修の医者というのがどんな存在、というか何を考えているのかよくわからないでいた。昨年、一般病院に勤務し初めて初期研修医に接して、どんな感じか少しわかった。今年は、初期研修医指導の2年目、新しい大学病院に移ってからは初めてだ。
初期研修医が病理診断学の研修プログラムの中で学ぶのは、CPCレポートという病理解剖の所見をまとめることで、これを病理医が指導する。病理解剖は病理医として初歩の初歩であり、究極の仕事でもある。研修期間という限られた時間しかない中でそんな大それたことをマスターするなんて土台無理な話なのだけど、病理診断学のさわりだけでも学んで欲しい。
初期研修医なんて学生の延長みたいなもの、なんていうことをまだ初期研修医を知らなかった頃、小耳に挟んだことがあったけど、そんなことはなくて、皆さんよく勉強していて感心した。これが、1年目の医者だったらどうだったかわからないけど、ここでは2年目の医者というのもある程度臨床的なことを理解しているという点では良いのだろう。
そんなことより、嬉しかったのは熱心に病理医のいうことに耳を傾けてくれること。医療の現場で何かとないがしろにされている感を感じるけれど、この研修期間に病理診断学の重要性を少しでも教えることで、そういったことも解消されていくだろうと思える。
『ご恩は忘れずに』
昔お世話になった人。
『考えれば考えるほど悲しくなる国』
昨年、パナマ文書というのが漏れて大騒ぎになって先日は、某国のジャーナリストが暗殺されてニュースになったが、今度はパラダイス文書。
ケイマン諸島の租税回避地での文書が漏れた。アメリカの高官だとか、有名歌手、日本の有名漫画家がお金を預けていたということで騒ぎになっている。超富裕層の税逃ればかりではなくて、仙台では勤務していた医師のみならず病院ぐるみで、公正であることが絶対条件である治験に絡む医療機器会社の未公開株を利用しての売却益を得ていたということも話題になっている。一億円以上儲けた医者もいるということだ。その会社が租税回避地に登記していたということで蓄財が明るみに出た。
稼いだ金の一部を税金として支払うのはなかなか辛いが、結局のところ、その国にいる限りはその法律に従うしかない。無駄な税金は払いたくないけど、一定のものは仕方ない。でも、会計検査院の決算報告で国の無駄遣いが874億円というのには涙を禁じ得ない。トランプ米大統領の訪日に合わせてのイバンカ基金への寄付だの武器購入ももちろん税金。女性の起業、国土防衛のためになるのであればこれらを頭ごなしにダメとは言わないけれど、今目の前には貧困で苦しんでいるシングルマザーや被虐待児がたくさんいるし、紛争国では難民が大量に発生している。そちらの方に回すお金は足りているのだろうか。
トリクルダウンという言葉がある(『金持ちがもっと金持ちになると、貧乏人も金持ちに・・・なるわけない(2008年10月20日)』)けれど、あれはどこまで本当なのだろう。お金持ちは儲けた金をこぼしたりしない。儲けたら儲けた分を溜め込んで、それを周りの人や物に使うということはないのではないか?
日本はもう借金まみれのお金が無い国だ。そんな国なのに、過去(ほんの20年前)の栄光を忘れられずに無理をしているように思える。
『国を背負う人たち』
先日、東南アジアのある国の病理医数名が私の勤務先に視察としていらっしゃった。
『ルイヴィトンとかグッチは日本に無い』
いわゆるブランド品、日本人女性の10人に1人は愛用しているだろう。男性でも財布とかネクタイは一つぐらい何か持っている人は少なからずいるのではないか。
かつて日本製品が世界各地で受け入れられていったのはその品質の高さ故だった。いわゆるブランド品はその品質を保持するためにたゆまぬ努力を続けている。どこかで手を抜いてしまったのか、最近とんと見なくなったブランドもある。
『ブログを夜書き始めると元気が出ない』
週末の学会の準備が遅々として進んでいないのに、通常の仕事、というか本業の方が忙しくて、何も進まない。さらに、今日ショックなことがあった。
その学会ではセッション一つのお世話をしているのだけど、そのプログラムが主催者側のミスで落丁。全く参る。erratumを出してもらったところで、国際学会なので相手の先生方が気を悪くしないでくれたらいいのだがと心配になる。セッションの場ではホスト国を代表して謝るのは私になるので、私の拙い英語でお詫びの気持ちが伝わるだろうか、今から心配だ。国際問題というのは、意思疎通が上手にできないために生ずるに違いない。
それにしても忙しい。ヘトヘトだ。
こういう時は免疫力も落ちやすくて、先日来の風邪がまた悪化しそう。といっても、誰も助けてくれはしない。私は私で踏ん張らないとならない。
なんてことを、帰りの電車の中で書いていると、なんだか自分が哀れに思えて来る。夜になってからブログを書き始めるということはあまりないので、こんきもは比較的元気なブログだと思っている。だから、こういうのはあまり良くないのだが、今日のプログラムの件はさすがに落ち込んだ。
でもまあ、そうは言ってももう仕方がない。主催者だってやりたくてやったみすではない。今夜無事に眠れたら、寝て起きたら気持ちを変えていくしかない。
というか、準備しろ。これでは逃げているだけだ。
日に二度更新というのもどうか
『一昨日の夕食の献立』
一昨日、夕食は家でとった。
その時のメニューはなんだったか、直ぐには思い出せない。
これは作ってくれた人に対してとても失礼なことだ。
『コロの復調』
先日来、ご心配をおかけしてきたマルチーズのコロだが、おかげさまで復調の兆しが見えてきた。
3系統ともの高度の貧血になって、精も根も尽き果てたようになっていたのだけど、クッシング症候群(副腎皮質機能亢進症)に対する薬を休薬したら症状が改善してきたのだ。薬剤性の副腎皮質機能低下の状態だったのではないかと推測している。
今回のコロの経過は、脱毛と多飲多尿、皮膚の張りの低下などからクッシング症候群(副腎皮質機能亢進症)が疑われ、検査をしたらACTHが高いことがわかって、クッシング症候群と診断された。クッシング症候群は犬でもしばしばみられる病気で、副腎からのステロイドが多く分泌されることで、前記のような症状が出る。したがって、このステロイドが副腎で合成されるのをブロックする薬を飲んで、症状を抑える。
薬物治療の効果は良かったのだけど、どうやら長期投与が良くなかったようだ。
『病気が急によく見える瞬間』
こういうことを書くと、お前は一体何年病理医をやっているのだ、と呆れられてしまいそうだけど、やっぱりそういう時はある。
病理診断をしていると、病気の成り立ちが急に分かる瞬間がある。もともと、誰もが知っていることなのだろうけど、自分で病気の本体を理解しない限りは自分で診断したことにはならない。
癌の診断をする時、その腫瘍の顔とか浸潤の広がりとか、そういったものが理解できていないといつまでたっても癌取り扱い規約に振り回されることになる。
それ以外の病気でもそうだ。
病理標本をじーっと診ていると眼前に患者さんの病態が一気に広がって見えるのだ。そして、それを文章、すなわち診断書に記載する。
『従軍慰安婦問題について考えること』
韓国が従軍慰安婦問題についての日韓合意を見直そうという動きがある。
この問題については、双方の国、いや世界中で風化させることなく語り継ぐ必要があるだろうけど、他国の大使館の前にその問題を象徴するような像を置くというようなことは礼を失していると思う。
日本のニュースでは割と大きい問題として報道されているが、韓国でもやはりそうなのだろうか。行きすぎた対応は両国間の関係を悪化させる以外ない様に思う。
それぞれいいテーマではあった
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