こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

おまけの1日

2014年03月31日 | 日々思うこと、考えること
時間には切れ間が無く、私が眠っている間も含め、連続して流れている。
だから、人間の作った暦など時間の流れには全く関係ない。それでも今日のように、年度末に1日だけ挟まって週日があるとおまけで得をしたような気がする。

まあ、原稿の締め切りが延びたわけではないのだが、それでもちょっとだけ助かった。



昨日の嵐、ずいぶんひどいものだったけど、春をずいぶん運んできてくれたようだ。一斉に芽吹いたように見えて、木々が美しい。
この時期、霞で富士山が見えなくなってくるが、今朝はよく見えた。桜の花とともに、美しい。



おまけの1日だとしても、年度末の大切な1日、しっかり仕事をして1日を終えた。

夜はまた風が強かった
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春の嵐で頭が痛い

2014年03月30日 | 日々思うこと、考えること
寒冷前線の影響で関東地方は春の嵐に見舞われた。
緊急の手術があって病理も病院に出てきたのだが、頭が痛い。低気圧のせいだろう。
私は低気圧に弱い。
今日のタイトルはそのままで恥ずかしいが、ほかにいいものが思い浮かばない。

一仕事終えて帰りにみた病院の桜は仁王立ちで頑張っていた。



時期が少しずれたので花散らしの雨とはならずに済んだようだが、花曇りが続くらしく、今週いっぱい天気はあまりよくないらしい。
窓の外は、強風が吹いている。今日、お花見の場所取りをさせられている人は、お気の毒としかいいようがない。

帰りがけ、横浜駅近くの床屋に寄ったら近くの川が増水しているので注意とのアナウンスがあったのでみたら本当に増水していてびっくりした。



鎌倉に帰ってきたら、風もすっかりやんで星空がきれいだった。段葛の桜はまだ3分ぐらいで、これから本番。

いつの間にか頭痛は消えていた。



明日からしばらくお花見日和 
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年を見てギョッとした

2014年03月29日 | 通勤・交通・旅行
通勤定期を購入した。
年度末近くなると券売機が混むのだが、この春は消費税が上がるので特に年度末は混むと駅の放送でも散々言われている。何はともあれ、無事購入することができてよかった。



Suica式になって定期券に書かれていることをみることがほとんどなくなって、駅名すら意識しないでいたが、こうして半年に1度確認することになる。
行き先と、自分の名前を一瞥したが、そのあと自分の年齢が目に飛び込んできた。

コロ健様 50才

先日、といってももう4ヶ月前になるが、50歳になって以来初めて自分の年を認識した時だった。
なんというか、ギョッとしたというか、びっくりしたというか。

いよいよ、不肖コロ健も本格的な中年、それも後期中年(前期高齢者65歳の前という意味)にさしかかったのだと実感した。
ああ、もう通勤電車で、マナーの悪い若者に対して舌打ちしたりとか、駆け込み乗車のために階段を駆け上がったりとかというような、さまざまな無理はしない方がいいと思った。



継続定期も購入したし、いろいろな別れがあって、いよいよ年度が改まることを意識する。

どんな出会いがあるのだろう、楽しみにしたい。

履歴書を書くことも無いし ナイト にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ    コロ クリックよろしくお願いします


インターネットが最後の審判?

2014年03月28日 | 電脳化社会

これも科学の進歩のおかげなのだろう。

これまでうやむやにされていたこと、よくわからないまま放っておかれたことがどんどんあきらかになってきている。

犯罪捜査におけるDNA鑑定はそのうちの代表的なものの一つだろう。昨日は、48年もの長期間の拘留が無実の罪のためだったということが明らかになった。48年は人一人の人生にとって絶望的に長い時間であるが、それでも無実が明らかになってよかった。日々死刑執行の恐怖と背中合わせに生きてきた孤独な人生を思うと涙せずにはいられない。それでも、よかったですね、と遠くからでも言いたい。

さて、科学の進歩といえばやはりインターネットの発達があげられる。はじめはメールの交換だけの機能しかなかったように思っていたが、今や、膨大な情報量の蓄積、共有を可能にしている。

国家機密から個人情報まで、多くの情報がネット上に溢れている。ロックがかかっていても、そのうち明けられてしまうに違いない。多くの歴史についても、様々な観点からの証拠が提出されつつあり、これらを統合することによって新たな事実が出てきている。

私の場合、これまで、医学研究でしか認識していなかったが、ネットによりさまざまなことについてメタ解析が自然と行われている。いろんな人がいろんなことに気がついてきている。

人類の暗黒の歴史、現在でも起こっている非人道的な行為。

そういったものも、いつかネット上に流れ、明らかになる日が来るに違いない。それも近い将来。

星新一の作品に「時の渦」というのがある。内容を明かすと興ざめではあるが、今日のインターネットのもたらすものを考えると、もしかするとインターネットの出現こそがイエスの再臨かと思えた。

 

真実は一つ 
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花の季節

2014年03月27日 | ガーデニング・菜園・花・緑

花は植物にとっては次世代を残すための器官であり、そのどれもが美しい。

春とはそんな、多くの花が開く季節であり、そう考えるとエロティックな季節であるといえる。

今年の冬は2度の大雪でわが家の2本あるミモザはいずれも大きな被害を受けたのだけど、折れた枝の先に花をつけて頑張ってくれた。

チューリップも蕾が目立ってきた。

桜は昨日開花宣言が出た、来週いっぱいは楽しめそうだ。

 

寒さはちょっと残っていますが 
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これ、買ったときは高かったのよ

2014年03月26日 | 日々思うこと、考えること
ガラクタ、という言葉がある。値打ちのないもの、という意味だが、元々はどれもが値段がついていたものだ。

買ったときはけっこうな値段だったが、いったん誰かの手に渡り中古となると値段はとたんに下がる。
「これ、買ったときは高かったのよ」とは、たくさんの、今やガラクタとなってしまった品物を捨てるに捨てられないでいる人がよくつぶやく言葉だ。


わが家にも、そんな中古品が多くある。亡くなった義理の父が買い求めた高級家具。
どれも思い出と手あかにまみれている。

新品には思い出も手あかもついていない。
だから、どんなものでも多少は欲しいと思う。だから、同じものなら新品の方が中古よりいい。それは当然だ。

だけど、新品を売るには売れないというリスクがある。
どんなに高価な品でも値段とものの価値が折り合わなければ誰も買ってくれない。仕入れは無駄となっていまう。



要らなくなって売られるのが中古品、在庫のリスクを抱えるのが新品。

中古品の値段がどうして極端に下がるのかやっとわかった。
だから、「買ったときはたかかったのよ」という言葉、たしかにそうだったかもしれないけど、価値の押しつけに意味は無い。

商品の値段とはリスクの値段 
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若さの貯金

2014年03月24日 | スポーツ・健康・ダイエット

最近、気がつくと猫背になっていることが多い。
歳のせいで、背筋が弱くなっているせいだろうか。

背をまっすぐに伸ばしていることがつらくて、知らず知らずのうちに、背中が丸まっている。

板の間にでも寝て首の後ろをのばしたくなるほどだが、それはそれで痛くてあまりしたくない。


不肖コロ健、もともと体幹系が弱い。

中学高校のバスケット部で腹筋・背筋を嫌というほど鍛えられた。

今のところひどい猫背ではないと思うのだが、それはその頃鍛えられたおかげだと思う。

なら、今もやればいいのだけどやればやったで体を痛めてしまうし、スポーツをやりたくても時間がない。

この間、テレビで同志社&神戸製鋼で活躍したラグビーの平尾選手がコメンテーターとして出ていたが、大変すばらしい体格、姿勢だった。

彼の場合今でもしばしば体を動かしているのかもしれないが、若い時分の鍛え方が全然違うのだろうと感じた。

要するに、若さの貯金とでもいえようか。



若さの貯金にはいろいろな方法があるだろうが、何を貯金するかはよく考えないといけない。

体ばかり鍛えて、頭の方が空っぽというわけにもいかないし、そのまた逆では年を取ったときに困る。

だが、年を取ってから頭を鍛えるというのもそれはそれで大変である。

ものが覚えられなくなる、というよりは覚えていようという気力がなくなるのだろう。

だから、頭も若いうちにしか鍛えることはできない。

バランスが大事ということだが、私の場合は少々頭の方の鍛え方が足りなかったのだろうと思うと、それはそれで後悔している。

必ずしも体育会系がいいというわけではない 
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家族旅行で思ったこと

2014年03月23日 | 家族のこと

連休を利用して、コロ健一家と両親と弟とで旅行に来た。

宿は海にほど近い場所にあり、この記事は波の音を聞きながら書いている。

父は数年前から杖をついて歩くようになった。いつも親父と私の挟まれて苦労していた母も、少々年を重ねてきたと思うことがある。
ダウン症の弟は今も元気だけど、やっぱりちょっと頑固さが増している。



仕事を離れてゆっくり休んで久しぶりに親と長い時間一緒にいると、子供の頃のこと、思春期の頃のこと、そして今のこと、いろいろなことがないまぜとなって思いが押し寄せてくる。

親父が私を医者にしたかったこと、それに応じようと一浪して1.5流私立医大に滑り込んだこと、それらのこと、どれももういいじゃないと思う。

コロ健も、そのあとの人生はそれなりに自分の考えで歩いてきた。一番は父と同じ内科医(勤務医)にはならず、病理医を選んだ。
その後のこと、いろんなことを思い出す。一体、何歳まであれこれ考えていればいいだろう。

今は両親が元気でいてくれたらほかに何も望むものは無いと思える。

親子とか兄弟とは
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ロシアのクリミア編入で思うこと

2014年03月22日 | 日々思うこと、考えること
ロシアのプーチン大統領がウクライナの南部に位置するクリミア自治共和国の編入に関する条約に署名をしたらしい。彼の国ではプーチン大統領の支持率が急上昇中とのこと。
このことで願うのは、無用な戦いで人が死ぬことなど起こらないこと。



このことで感じるのは、人間という存在のバカバカしさだ。
クリミア半島と民族闘争は別としてその名前はナイチンゲールが活躍したクリミア戦争だ。
昔からいろいろあった地域ということはわかるが、戦争のあった1850年頃と今とで、状況はあまり変わってないような気がする。

人間は地球上に飽和していてもうどこにも行けない。仕方がないので今ある地面の線引きを繰り返している。
そんなことをいくらやっても、もう意味がない。インターネットの発達で情報だけは格差がなく、どこの誰が何をどれだけ持っているかなど、その気になれば調べることすらできる。基本的にすべての情報はオンラインでつながっている。

それでも、指導者層の多くは自分のため、自国のため、他人、他国を出し抜くことに知恵を出している。

フロンティアなんて、とっくに消滅している(1890年)今の地球上で、人類はこれ以上前に進むことはできないということを、皆知るべきだし、これからの指導者とは世界すべての指導者でなくてはいけない。

考え方にパラダイムシフトを 
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加速してくる車

2014年03月20日 | 通勤・交通・旅行
病院の裏口の手前に、幅4メートルほどの道路がある。


病院手前の公園から病院に入るには、この道路を渡らなくてはならない。

この前、この道路を渡ろうと左右をみたら、100メートルほど先の交差点を曲がってきた白いワンボックスカーが見えた。
まあ曲がってきたばかりだし、歩いて渡っても十分間に合うと思って、道路を横切り始めたら、その車、べた踏みという感じで加速して、私の方に猛然と突っ込んできたのだ。
もちろんその車にはねられるようなことはなかったのだが、嫌な感じだった。

間合いをとられて、目の前を横切られたのがむかついたのだろうが、燃費の悪い運転をするものだ。

こういうのも安全運転義務違反には違いなく、焦った私がつまづいたりしたら、それだけで違反にもなる。
ちなみにここに横断歩道は無い。だが、この100メートル先の横断歩道で待っていても誰も止まってくれることはない。



朝晩、この国の交通マナーに期待してはいけないと思い知らされながら歩いている。

そこのけそこのけ車が通る 
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頭が重い!

2014年03月19日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
18時を過ぎてくると、頭が重くて支えているのがつらくなってくる。
顕微鏡にしがみついて、はや6時間。途中で臨床医と一緒にディスカッション顕微鏡を覗いたり、蛍光顕微鏡とか電子顕微鏡とか言った特殊な顕微鏡を覗いているので、それらを加えると8時間近く顕微鏡を覗いている。
好きでやっている仕事なので、顕微鏡を覗いている時間の長さについてどうこう思うわけではないが、頭が重いのには困る。



頭を支えている首が悲鳴を上げてくるのだ。
こんな時は、頭を外したくなるのだが、そうもいかない。

首を回したり、肩を回したりするがなかなかうっとうしさは取れない。
トイレにでも立てばいいのだが、せっかく集中できているのでテンションのリセットはしたくない。だが、ごまかしごまかしやっていても限界は来る。2時間ほど粘ったが断念した。

帰り道、首を回したり、亀のように縮めたりしながら歩くのだが、それぐらいで凝りはとれない。内視鏡を担ぐのがキツイと言っていた消化器内科の知り合いがいて気の毒に思ったことがあったが、病理医もそれなりにしんどいことがある。

風呂で、ストレッチをしながらそんなことを思い出した。


終わらない・・・
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自分を追いつめていただけの私

2014年03月18日 | 生き方について考える
私、コロ健、意外と真面目な性格なのかも知れない。
いや、正しくはそんなことはまったくなく、真面目を演じてそのように自分を追い込んでいるにすぎない。

今朝、横須賀線が線路のトラブルで遅れた。その車内アナウンスが入った途端にドキドキして、息がつまりそうになった。時々ある症状で、閉所恐怖症があるのだと思っていたが、この時電車は駅のホームに止まっていて、ドアは開いていた。
そこで、症状の原因が遅刻への恐怖感だったということがわかった。最初に症状が出たのは、広島での学会に向かう途中、新幹線が立ち往生したとき。この時も、遅れたらどうしようと、必死に思っていたのを覚えている。
電車の遅れは自分のせいでないとわかっていても、もっと早く出ていれば、別のルートを使っていれば、などと思ってしまう。
そう思ったところでなにも変わらない。もともとはそんなこと気にするようなタイプではなかった。



本質的に私はクヨクヨしただらしのない人間だった。それなのに、いつからか表面上正義感の強い真面目人間を演じるようになっていた。以前の私というのを覚えているということは、どこかにターニングポイントがあったはず。

私が変わったとき、それはいつだったのだろうか。

このブログでも時々書いているが、私は若い頃、いろいろとやっかいなことを起こした。その度ごとに、「こんなんじゃいけない、もっと真面目にならなきゃ、もっとストイックにならなきゃ」と自分に言い聞かせてきた。



今でも、それは続いている。心の箍(たが)が外れてしまうのが怖いのだ。

だから、遅刻しそうになったとき、自分が周りにかけてしまう迷惑を思い、ドキドキしてしまったのだ。
待ち合わせに遅刻しそうな時もそう。だが、遅刻はストレスの一つに過ぎない。ほかにもそんな局面はある。

こんなことを繰り返してしまうようになっては元も子もない。元々の自分を思い出すということも必要な気がする。


本当の自分を忘れずに 
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揃ってご帰還

2014年03月17日 | 通勤・交通・旅行
やっと春の訪れが実感できるようになってきた。それにしてもこの冬は寒くて、雪が多かった。この冬はほとんど毎日、鎌倉駅まで車で送り迎えしてもらった。そして、たいがいは妻にお願いした。これは何も私に限った話ではなく、普段は歩く大学生の息子もあまりに寒い日は頼んでいたし、娘の帰りが遅くなってしまったら頼まれなくても迎えに行く。

先日、娘と私が一本違いの横須賀線で鎌倉駅に到着した。息子は逆方向から乗ってくるのだが、私たちと時間はほぼ同じだった。
その日はちょうど雨で子供達も車で待っていてくれた。車に乗り込んだら、「おかえりなさい」と妻にずいぶん嬉しそうに言われた。

ずいぶん機嫌がいいと思ったが、すぐにみんながいっぺんに帰って来たのがとてもうれしいのだとわかった。



妻は主婦で、朝から皆が寝るまで家事をしている。
夫がサラリーマンであれば、昼間は一人である。子供がいても小さい時は子育てに追われているが、それも学校に上がるまで。家事に追われているばかりで、主婦というものは結構孤独なものだと思う。



だから、3人がいっぺんに帰ってきたりしたら、とてもうれしいだろう。
その夜は、妻のうれしさが伝わってきて、私も子供達もうれしかった。


みんな、お帰り!
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インターネットを探してもみつからなかったもの

2014年03月16日 | 電脳化社会

ちょっとわからないことがあると、若い先生などは”グーグル先生教えて!”とかいってネットですぐ検索する。私にしても人のことは言えなくて、用語の意味が分からないときはまずはネットで言葉を検索する。

ああ、あの病気の言い換えか、とかふーん、そんな疾患だったのか、とか理解する。
もう少し調べたければPubMedで科学論文を検索すれば、Freeの論文や、病院で契約していくれている一部の論文を読むことができるので、だいたいのことはそれで足りてしまう。

昨年の秋口に、『なにが書いてあるのか、誰が書いたものか(1)~(4)』ということを書いた。その時に感じたのは、このネット社会のなかでの、いわば知識の飽和だ。情報飽和については『情報飽和社会』として言葉そのものについて書いた。
他にもネットについて考えた記事はあるのだが、ここで実はネットには大事なことが欠落しているということに気がついた。



それは、考え方。
ネットにはほとんどすべての知識が網羅されている。
だけど、それをどう処理して、整合性をもたせていくかについてはでていない。
知識と知恵の違い、それはネットをいくら探してもわからないことだ。知識を集積してもネットはそこに到達することはできない。

将棋は苦戦しているようですね(電王戦
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とりあえず一段落

2014年03月15日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
昨晩の研究会での病理解説の講演、まずまずの出来だった。

セッションは1時間。臨床医が患者さんの経過を15分ほど話したあと、病理医がその患者さんから採取された組織の病理診断の解説として20分ほど話す。
そして、そのあとディスカッションに続く。このディスカッションがこの研究会の目玉である。
病変の解釈について病理医同士が意見を戦わせるのだ。参加者のほとんどは臨床医で、病理医同士のディスカッションを聞いて勉強するのだ。
ここで、準備が足りないと発表している病理医はサンドバッグのようになってしまう。
昨晩も多くの発言があって、とても盛り上がった。コロ健、なんとかサンドバッグにはならずに済んで発表を終えた。
聴衆は7、80人、というところだったと思うが、臨床医の皆さんには満足いただけたと思う。

発表などがある時はいつも相談に乗ってくれる教室の先輩にも、ずいぶんとほめてもらった。本当のところは、今回もその先輩に疾患をどのように解釈して、どう発表するか、相談に乗ってもらっていた。
その先輩が、発表のあと一杯やったのだが、そのときに「コロ健くん、ずいぶんいい発表だったよ。堂々としていて。内容もとても良かったし、ぼくもまだまだ頑張らないといけないと思ったよ。」
と言っていただいたのだ。
まあ、その発表はまったくその先生のおかげであったのだけど、恩着せがましいことは一切おっしゃらずにそういって、おごってもくれた。



楽しく飲んだのだが、飲み過ぎて今日一日二日酔い気味になってしまった。
昨日の発表で、とりあえず一段落。2月22日に2つの学会でそれぞれ1演題、3月7、8日の学会で1演題そして昨晩。4週間で4演題はきつかった。この連戦が始まる前に内科医の親父にこぼしたら、「病理は、あれもこれもだから、大変だろう」と言われた。たしかに、全部の発表が全く違う種類の内容で、発表内容の重複は一切無く、画像の使い回しもできなかった。

先輩にも、「コロ健君、ちょっと頑張り過ぎじゃない?」と言われた。
たしかに、無理しすぎていたと思う。今度の連休はちょっと一息ついて、4月からの学会シーズンに備えようと思う。




それにしてもキツかった 
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