自民党の総裁選挙は安倍さんが無事三選を果たして、現政権がこの先3年、日本の政権を担うことになった。
私たち国民は前回の総選挙で自民党に白紙委任したことになっているので、その間に日本国憲法がどういじられようが、拉致問題が進展しなくても、もりかけ問題が解決しなくても、私たちにはどうしようもない。
ツイッターでは多くの野党勢力があれこれ言っているけど、前回の総選挙で四分五裂した人たちなので、負け犬の遠吠えでなんだか悲しい。
深刻な状況だとわかっているけど、どうしようもない。
石破さんは頑張ったけど、自民党自体もやっぱり何も変わらない。

この前、安室奈美恵が引退した。
NHKが全国ニュースで報道したほどだが、何か世の中は変わったのだろうか。
彼女が小室哲哉の曲を歌っていた頃は好きだったが、そのあとはこれというほどの曲は歌っていなかったように思う。
アムラーは1990年代のことだそうだから、今から25年ぐらい前の話か。
そうすると私が30前後のことだから、カラオケで小室ファミリーの曲を歌っていたあたりだろうか。
彼の曲にまつわる思い出は色々あるけれど、いまの私にどれだけの変化を与えていたのかはわからない。
中学生の頃はまったKISS、高校生になってはまったローリングストーンズに比べて私に影響を及ぼしただろうかとおもうと、そうでもない。
何かが変わる、というのはどんなことをいうのか。
世の中の出来事は全て自分の目を通して入ってきた情報で、人はそれらを自分の”個人的な”解釈によって咀嚼して適応する。
結局のところ、全ては自分を中心として周りでいろいろなことが起きていて、自分が生きている限り、自分は自分で何も変わらない。
自分が大きなトンネルの中にいる限り、周囲の漆黒は何も変わらない。
何かを変えようと思って命を削ってみたところで、人生が終わってしまったらそれまでだけど何かが変わるかはわからないから、急いで終える必要もない。

希望という光に向かって生きるのならば、その光だけを目指して生きていたらいい。
何かが変わるとか、何も変わらないとか、考えてはいけない。
そういう場合、大抵は周囲の人であったり、社会が変わるとか、変わらないという話であって、自分が変わる、変わらないという話ではない。
周りの人や社会に期待してはいけない。
このブログも変わらない
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