今日は6月30日、 今年ももう半年経ってしまった。梅雨も半ば、いよいよ集中豪雨に気をつけないといけない季節になってきた。
温暖化による気候の変動せいで、最近は季節の移り変わりが早まっているということを言う人が多い。特に春と秋が短くて冬が終わると二、三週間で夏が来るなんて言う人もいる。
まあ、その言い方は極端にしてもそれに近い思いをしている人は少なくないのだろう。
だが、そんな話を聞くと、ずいぶん気の毒な人たちだと思う。
私は鎌倉のように自然を多く残しているところに住んでいるから、四季の移り変わりを感じるのは当たり前だが、都内でだって四季は感じることができる。
毎朝毎晩三、四十分歩いているからだろうが、そこかしこに自然はあって、決して短くなんてなっていない。
季節感が薄れているということは、多くの人が言っているので噓ではない感覚なのだろうが、そう感じるのは、皆が皆忙しすぎる生活を送っているからではないだろうか。
たとえ、都会のコンクリートジャングルであっても、そこには様々な植栽がある。
それらを見て、感じることで季節を感じることは出来るのではないかと思う。そんな場所に連れてこられた木々はつらいだろうが、それでも懸命に生きている。
毎年、葉が芽生え、色づき、また落ちる。
それこそが季節であり、それを見過ごして生きていてはつまらない。
ほんの少しでも、自然を探しながら生きていけば、人生は豊かになる。
温暖化による気候の変動せいで、最近は季節の移り変わりが早まっているということを言う人が多い。特に春と秋が短くて冬が終わると二、三週間で夏が来るなんて言う人もいる。
まあ、その言い方は極端にしてもそれに近い思いをしている人は少なくないのだろう。
だが、そんな話を聞くと、ずいぶん気の毒な人たちだと思う。
私は鎌倉のように自然を多く残しているところに住んでいるから、四季の移り変わりを感じるのは当たり前だが、都内でだって四季は感じることができる。
毎朝毎晩三、四十分歩いているからだろうが、そこかしこに自然はあって、決して短くなんてなっていない。
季節感が薄れているということは、多くの人が言っているので噓ではない感覚なのだろうが、そう感じるのは、皆が皆忙しすぎる生活を送っているからではないだろうか。
たとえ、都会のコンクリートジャングルであっても、そこには様々な植栽がある。
それらを見て、感じることで季節を感じることは出来るのではないかと思う。そんな場所に連れてこられた木々はつらいだろうが、それでも懸命に生きている。
毎年、葉が芽生え、色づき、また落ちる。
それこそが季節であり、それを見過ごして生きていてはつまらない。
ほんの少しでも、自然を探しながら生きていけば、人生は豊かになる。