こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

病理と臨床、それぞれの目

2014年08月31日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

病理と臨床、といっても、わが国における病理医のための唯一の和文雑誌のことではない。
敢えていえば、病理医の目と臨床医の目、といったところのことである。
ある研究を一緒にやっている臨床の先生がいる。大変優秀で、いろんなことを知っている。その研究分野であれば、病理学的なことにも大変造詣が深く、私なんかを研究チームは入れる必要があるのかと思うこともある。

だが、ディスカッションをすると、不肖コロ健が研究チームに加わらせてもらっている理由がわかる。
彼は私が彼とは違う目を持っていることを知っているのだ。

 

昨日今日の診断講習会、臨床医の参加も多かった。

病理サイドの主催なので、薬屋さんからの援助はない。受講生は当然のことながら、参加費交通費自腹である。これって、薬屋さんに論文を書かせるような医者があとを断たない日本ではすごいことだと思う。

それだけ、この講習会が価値あるものだといえるわけで、誇らしい気持ちにさえなる。

こういう臨床医たちの役に立つことのできる病理医になりたいとつくづく思う。

 

少しつかれました
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病理診断講習会、一日目

2014年08月30日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

診断講習会、一日目、無事終わった。レジデント相手の予行演習もよかったみたいだ。

この分野のトップレベルの先生方の講義はわかりやすく、コロ健自身のためにもなる内容だった。

実習はこんな感じで、受講生の先生方それぞれが、PCを使って勉強。

これだけの設備となると、やっぱり大学でないとできないかな。

この勉強会、二日間の開催、明日も頑張っていこう。

予習の甲斐も多少はあった
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今どきの顕微鏡実習

2014年08月29日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

明日からの診断講習会の予習をしている。今年は講師として講義を行う事は無く、小グループに別れてからの実習のチューターとして病理診断の説明を行う。

こういったことは、はっきりいって私には荷が重く、大変である。

この秋の連戦の、最初の山場である。

実習には、病理標本を電子化したバーチャルスライドというものを使う。標本を画像に取り込んで、モニタ上で観察するもので、実際の顕微鏡に比べて解像度は落ちるものの、説明する程度ならば十分。人数分のコンピューターがあればいいので、顕微鏡よりも場所をとらないし、用意も簡単だ。

それにみんなが同じ標本を診ることができる。データはUSBメモリに入っているので、予習ができる。先日、レジデントの一人を相手にしてプレゼンの練習をした。

おかげで、全部の症例に目を通すことはできた。

それにしても、今どきの顕微鏡実習は昔と違ってお手軽だ。昔は、顕微鏡にしがみつくようにしてのぞき込んで、 組織細胞をスケッチしていた。

今でも、病理医の仕事は顕微鏡をのぞいてなんぼである。ステージの上で標本を動かす距離とか深さまでもが診断に関わる。

医学生や、一般の医者は病気を理解することができれば十分なので、この電子化データで必要かつ十分である。

 

症例全部に目を通したが、理解はまだまだ。もう少し、勉強しなければいけない。

 

量は膨大
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歩くだけでも病気の予防

2014年08月28日 | 通勤・交通・旅行

このブログの中で、何度も書いているが、都内の駅を降りてから勤務先の病院まで、朝晩片道35分ほど歩いている。歩数は 片道5,000歩ほどで、朝晩往復で歩数は10,000歩を超える。距離にして7キロメートル。鎌倉から都内という遠距離通勤で、ジムに行くような体を動かす時間が一切無く、それでいて、メタボ体型にどんどん変身しつつあった頃、どうしたものかと考えた挙げ句、背水の陣で歩き始めて、早いものでもう5年近くになる。

体調が少々すぐれなくても、夏の暑さの中でも、朝晩の通勤での歩きを欠かしてはいけない。雨にも負けず風にも負けずである。

残念ながら、メタボ体型の改善にはいたっていないが、幸いメタボリックシンドロームにはいたっていない。5年前の決断が無ければ今頃、糖尿病か高血圧症の症状が出ていたかもしれない。

 

だが、毎日歩き続けるのはつらくなる時もある。だから、一気に涼しくなって来た昨日今日、今年も一夏乗り切ったかと思え、妙な充実感さえ持ってしまう。

 

そんなコロ健、先日テレビでちょっと嬉しいことを聞いた。何でも、横浜市が市民の健康増進のため万歩計を配るとのこと。私は鎌倉市民のため(とても)残念なことにその恩恵に預かることができないのが残念なのだが、そのニュースの中でウオーキングの効用についての説明があったのだ。

ちなみに、病気予防の目安として、毎日の歩行が、

       2,000歩/日で、寝たきりの予防。

       5,000歩/日で、要介護、認知症の予防、心疾患、脳卒中の予防。

       8,000歩/日で、動脈硬化、ロコモティヴシンドローム、骨粗しょう症、高血圧症、糖尿病の予防。

になるとのこと。具体的に書いてあるが、疾患はバラバラで、心疾患、脳卒中はすぐにもなりそうだし、動脈硬化、高血圧はもう少し先の話。寝たきりだの認知症はずいぶん先の話だ。それに、それぞれがオーバーラップして発症してくることなので、厳密にどの疾患を抑えたらいいかというのは難しい。

とはいえ、転ばぬ先の杖という言葉もある、して悪いことではないだろう。それに、ここに挙げられてはいないけれど、歩くことは免疫力の向上にもつながる。

 

いくら歩いたところで、結局は”あっさりと”これらの疾患に罹患することになるかもしれないし、歩いているときに交通事故にあうかもしれない。これまでに車にひかれそうになったことは一度や二度ではない。

そうなったら元も子もないが、人生そんなものと思って生きていなければ、がっかりすることばかりになってしまう。

 

メタボの次はロコモか
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朝、早い電車で

2014年08月27日 | 通勤・交通・旅行

始業前にカンファレンスがある日は、いつもより30分ぐらい早い電車に乗る。

時間通りに着くのだと、クールダウンすることができず、汗だくでカンファレンスに臨むことになり、自分が大変なだけでなく、周りの人にも迷惑がかかるので、仕方ない。

朝早くに鎌倉駅に着いてまず驚くのは駅で降りてくる人の多さ。こんな朝早くから、鎌倉に何の用だろうと思うほどだ。朝帰りのような人も、数人見受けられるが、ほとんどの皆さんは仕事だろう。

いっぽう私が乗る上り。ホームで並んでいる人の列はもちろん短い。それでも、始発から、数本目の電車なのに、横浜に着く頃までにはずいぶん混んでくる。都内で乗り換える電車も、駅のコンコースを含めそこそこ混んでいる。

朝早くから、ずいぶん多くの人が働いているものだとつくづく思う。

 

ずいぶん混んでいるといっても、朝早くの電車はぎゅうぎゅう詰めというほどではないので、今日のように雨で傘を持っていても、人に当たったりしないかということにまでは気を遣わないで済むので、普段よりはやはり楽だ。

ベタな言い方になってしまうが、早起きは三文の得というが、こういうことを言うのだろう。

 

一気に涼しくなってきた
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体調不良をあなどるな

2014年08月26日 | 日々思うこと、考えること

 鬼の霍乱、とまではいかないけれど、不肖コロ健ちょっと体調を崩してしまったようだ。

昨日の朝、とてもすごい寝汗で目が覚めた。どうやら、お腹を冷やしてをひいてしまっていたようだ。

これとは関係ないけれど、腰痛と肩こりは相変わらずだし、胃も少々しくしくする。

 

ただの夏風邪だとは思うが、この年(50歳)になるとこれが何かの重い病気の前兆かとも思ってしまう。

軽い体調不良を馬鹿にしてはいけない。

 

このまま休みなしで2週間飛ばして、3週間目に入ることは無謀なような気もするのだが、予定は決まっているし、仕事を断ったり、中断したりしたら困る人もいる。第一、普段の仕事がある。

 

昨日も書いたとおり、ただ単に帰るのが面倒だからといって、医局で時間をつぶすようなことだけはしないでおこう。

 

涼しくなって、油断した
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だらだら仕事は厳禁です。

2014年08月25日 | 日々思うこと、考えること

朝の気温はまだ25度を超えているし、湿度も高い。それでも残暑は一服の気配だ。

仕事の不調を暑さを言い訳にしていられるのも、そろそろ終わりになる。

不肖コロ健、今日から、3週間、ほとんど休みなしとなる。遠征も含まれている。秋の学会シーズン、その後も厳しい日が続く。

あまり無理しないで持続できるペースでこの秋を乗り越えたい。それには、むしろだらだら仕事厳禁でいかなくてはいけない。

通勤電車中で勉強もしないといけないので、このブログも少々ライトにしないといけないかな。

 

自分でやる
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試合の応援というもの

2014年08月24日 | 家族のこと

今年夏の甲子園もいよいよベスト4が出そろった。あと2つ勝てば日本一ともなれば、応援にもさぞ力が入ることだろう。

不肖コロ健、子供が二人いるが、上の子は昔、バスケットボールをしていた。下の子は現役でバレーボールをやっている。上の子がバスケをやっていた頃は、ずいぶん応援に行った。今日は今日で下の子のバレー試合の応援に行った。娘達にしても、現在開催中のバレーボールのワールドグランプリの応援に行っていた。誰かの応援をしている時、それなりに楽しむことができるのだが、声をからしてまでするこの応援という行為、一体なんなのだろうとふと思った。

 

ただ単に試合に勝ってほしいだけなのだが、誰かを応援する時、こちらは応援する対象をどう捉えているのだろうか。その先には何があるのだろう。

自分の子供であったり後輩であったりする場合、自分を投影でもしているのだろうか。それが、地域や国へと広がっていく。

だが、まあ、所詮は同じ人間同士、楽しくゲームができることが一番だろう。

これが、戦争で競い合うような事になってしまったらたまったものではない。

日本では平和にスポーツが行えていて、これを応援できるということに、深く感謝しないといけないだろう。

私のような大声の父親に応援されて、息子も娘もさぞや迷惑だったろうが、幸いこれまで応援に来るな、応援するな、という事は言われていない。

 

今宵のブラジル戦やいかに 
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怒ったら、怒っただけ、自分を失う。

2014年08月23日 | 生き方について考える

よく怒る人がいる。怒りっぽい人だ。

こういう人にはあまり近づきたくない。こういう人は人が近づいて来ないから、孤独になる。

さほど怒ることのない人でも、たまに怒ったりすると「あの人、実はこわいんだ。」ということになり、幾人かの人は去って行く。そして、少し寂しくなる。

こと人間に限っていえば他人は自分の一部だ。だから人に対して怒る、というのは自分の何かを失うことだ。

生きて行く上で、最も大切なのは人だ。

お金は大切だけど、結局は二の次だ。お金を持っていても、働いてくれる人がいなくては役に立たない。もしも抜けられない無人島に漂着したら、お金は役に立たない。流された人同士で怒らず仲良くやっていくしかない。

 

 

人を失いたくなければ、怒ってはいけない。

自分の意に添わないことをするから相手を怒る。いつの間にか、それには悪意が混じる。けれども怒られる方は怒られたくてしたことではない。わざとなんかしていない。

仕事でなんて、特にそうだろう。だから、怒らず、相手を受け入れる。

そうやって、怒りを抑える。

 

人間社会は複雑だから、何でもかんでも解決できるなんて思わない方がいい。まずは、目の前の人、周囲の人に対して怒らない。

そんなことから始めてみたら、人、すなわち自分の一部を失うことは無い。

嫌われたっていい、なんていうことを言う人がいるけれど、あれは真実ではない。

人は人がいてこそ人でいることができる。

だから、怒りに任せて人を失うようなことをしてはいけない。

 

 

我慢するのではなくて 
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毎日、何かしよう

2014年08月22日 | 生き方について考える

帰り、駅のホーム。

今日一日、何をしたのだろうかと振り返る。

「何をした?」

「何もしていない。」

医者として、一人の人間として、私以外の誰かの、それとも社会に何か貢献したのだろうか。ただ単に一日が過ぎるのに身を任せていただけではないのか。

明日の私はどうだろう。結局今日と同じように過ごしているのだろうか。それでは仕方ない。ならば、今からでも変わらないといけない。

朝、駅のホーム。

今日一日、何をするのだろうかと考える。

少なくともしなければいけない仕事で、一日が詰まっている。

おそらくそれが終わった時には、昨日と同じことを考えるだろう。これはこれで仕方ないことだ。仕事なんてどれもこんなものだけど、それでも何かを見つけ出さないといけない。

「何をしよう?」ではなく、

「何かしよう」。

それが具体的に何かということはわからない。仕事以外にだって、できることはいくらでもある。

つまるところ、一瞬一瞬より良い生き方を考えながら生きて行くしかない。 

 

生かされていることに感謝して
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これもひとつのトランス状態か

2014年08月21日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

不肖コロ健、四六時中病理のことを考えているわけではない。仕事をしている間がほとんどなので、起きている時間の70%ぐらいか。
だから、残りの3割の普段の生活で病気の成り立ちとか、細胞の特性だとかを考えるというようなことはほとんどない。
歩きながら、マクロファージ(白血球の一種)が活性化して肉芽腫(炎症の一つの形)を形成したけど、その活性化の度合いがひどくて、こんなになってしまったのではないか、などということを考えたりしない。

だが、仕事とか、研究とかで、顕微鏡をとおして標本を診ていると、壮大なストーリーが頭の中に浮かぶ。


ウイルス感染がマクロファージの活性化をきたして、肉芽腫形成を引き起こしたわけだけど、これって、サイトカインストームに近い病態だったのではないか。とすると、今のところ沈静化しているけど、別の部にあるという同じような病変も組織学的には同様の所見ではないのだろうか。
なんて、言葉が頭の中にポンポン出てくるし、目の前の細胞たちの戦いにドキドキしてしまう。

普段は、人間関係だの、自分自身のことだの、社会のこと、世界のことだのあれこれ考えているのだが、いざ標本を目の前にすると、人間が変わる。不思議な現象である。ひょっとして、これってトランス状態?

 

なんだか神がかって、標本の向こうにある病気の本態がほの見える瞬間なのだ。

こんな瞬間を持てるという僥倖を神様に感謝したい。

 

だがそれも一瞬。マクロファージの救援に精鋭のリンパ球がやってきて、組織は炎症だの壊死だのと、病像は一気に複雑化して(よくわからなくなって)しまい本態は闇の中へと去って行く。

 

 

論文を読んでいてもこういうトランス状態になることは滅多にない。他人の考え方が出発点なので、仕方のないことだ。

病理医たるものまずは標本をじっくり診る。何ごとにおいても、病理医はこうあるべきだろう。

 

勉強も忘れずに
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日本人とマスク

2014年08月20日 | 日々思うこと、考えること

おととい、NHKの特ダネ投稿DO画の夏休み特集「外国人が見た驚きのニッポン」で、日本の珍しい風習を取材しているポーランドのYoutuberの若者のことがテレビで紹介されていた。

その驚きの一つに日本人のマスク、というのがあった。

そもそもは新型インフルエンザが流行したときに、感染防止のために多くの人が買い求めたのが始まりだった。あの時は幸いSARSの来襲は無く、症状の弱い豚インフルエンザだけで終わった。これが、2009年4月のことだから、わずか5年前、というか5年でずいぶんマスクが普及した。外国人が見たら驚くほどのマスクの普及率だ。

冬場など、駅のコンコースですれ違う人のほとんどがマスクをしている。

だがマスクのおかげで、乾燥のひどい日本の冬、マスクの保湿効果は抜群の快適さを多くの日本人にもたらした。だから、冬の間は乗客の2、3割はマスクを着けているし、このブログの記事にもなる(それ、ちょっと違います(1)・・・マスクの表裏マスクのつけ方)。

 

夏でもマスクを着けている人は少なくない。ちなみに今朝、私が運良く座ることのできた横須賀線の四人がけシートでは、私以外の三人がマスクを着けている。私もかばんにマスクを忍ばせているので、これを着けて一役完成させてもよかったのだが、自分受けして笑ってしまいそうなのでやめておくことにした。

だが、この横須賀線の空調からすると、都内までの一時間、マスクを着けている方がはっきり言って楽である。周りの三人ともマスクを着けてぐっすり寝ている。

かのYoutuberの若者たちはどこかの公園でマスクを試しに着けていた。服装から見ると暖かい季節。それでマスクを着けたら蒸れていやだと言っていたが、当たり前だ。これはマスクの目的に合った正しい使い方ではない。

寒くて空気が乾燥している冬場とか、冷やし過ぎの室内、車内でこそマスクを着けるのだ。

日本人はきわめて高いレベルで生活のクオリティの向上を目指している。そしてそれは、ぎゅうぎゅうづめの満員電車の中とかにあったりするのだ。

ちなみにマスクを上下逆さまに着けている人は三人中一人だった。

 

ある意味とても贅沢な国
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1週間て、ホントあっという間

2014年08月19日 | 日々思うこと、考えること

急におかしなシリーズを書き連ねてしまったが、これまでの後悔の多い医者人生の反省を5回に分けて書いたということでお許しいただきたい。そもそも、スケジュールがもう、積んでしまっているのをみて、やや動転していたような気もする。

さて、この間にあったことを。

14日(木)残暑が厳しい。冷感グッズを追加購入。シャツクールはより大型のボトル。北極圏ゲルを使っても、なかなか汗は止められない。やっぱり着替えは必要。

15日(金) 終戦記念日。今年は戦争で死ぬということが伝わってくる番組が多かったように思う。13日の水曜にあったペリリュー島についてのNHKスペシャルには衝撃を受けた。これからも、もっと戦争で死ぬことの悲惨さを強調する番組が増えていいと思う。戦争での死は、あってはならない悲惨なことなのだから。

レジデントの勉強会があった。よく勉強していて驚いた。こういう若い医者もいるのか。よく指導してあげたい。

 

16日(土) 休日出勤。夜、義母(未亡人)の誕生会を横浜のとんかつ屋で開いた。ずいぶん混んでいて驚いたが、お盆休みは毎年そうらしい。

プレゼントは新江ノ島水族館の年間パスポート。どちらも喜んでもらえたようだ。

17日(日) 9月のダブル学会の準備で、今日も病院に。だいぶ切羽詰まってきている。今週末は完全オフは無し。というか、そんな悠長なこと言ってられない。

夜、両親が弟を連れて遊びに来てくれた。息子も娘もいて皆で食事。食事をしていたら、母が戦争の時の話をしてくれた。

「戦争の時のことは思い出したくなかったけど、もうすぐ死ぬかと思うと、あの時のことを伝えておかなくてはいけないと思うの。私以外にも、そういうお年寄りが増えていると思うわ。」と言っていた。

18日(月) お盆休み明け。通勤ラッシュが戻ってきた。まだ学生がいないだけましだが。

昨日、研究関連のメールを出しまくったら、その返事が全部きていた。休みでもみんなしっかりやっている。通常業務でいっぱいいっぱいで、確認の返事を出しただけで終わった。

今度の夏の学校のテキストが来た。予習しないといけない。

19日(火)すなわち今日。 カンファレンスダブルヘッダー。17時半からの外科系と、18時半からの内科系のと。掛け持ちは、難しい。どっちもできはいまいち。はっきり言って、それぞれ半日ぐらいかけて準備したかったのだが、通常の診断が押せ押せで一時間ほどしか時間はとれず。いろいろと突っ込まれ、思っていたようなプレゼンはできず。70点と80点程度のでき。医者は常に満点を取らなくてはいけない、今回不足だったところは臨床医に埋めてもらおう。

21時前に病院を出ることができた。

外に出たら、猛烈な蒸し暑さ。さらに落ち込んだが、仕方ない。帽子以外は朝と同じようにして駅に向かった。汗だくになって歩いたところで、いっこうに体重が減るわけではないが、歩かなければ家には帰ることができない。 


それにしても、1週間なんて、あっという間だ。

朝、部活の前に早起きして勉強していた娘と話をしたら、あと10日もしたら学校が始まるそうだ。夏休みも、あっという間に終わってしまう。学生は学生なりにいろいろと大変そうだ。

 

 

だってもう明日は水曜日
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デキる医学者になるために(5/5)自分一人でやっているのではない

2014年08月18日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

一つの研究を行う時、自分でやっていることなんて、実はたいしたことは無い。

臨床の現場であれば、コメディカル(看護師、放射線技師、臨床検査技師、薬剤師など)のおかげがあってのことだし、ラボ(研究室)であれば、実験補助員のおかげである。デキる医学者は、常に謙虚で、このことをよく知っている。

研究を推進するために助けてくれる人への感謝を忘れず、成功したときにはともにその栄誉を分かち合うぐらいの気持ちを持っている。それでも自分が主役になること、脚光を浴びるのは自分であることを、謙虚に受け止め、思い上がらない。

だから、その人たちのためにも頑張る。有能なスタッフはそういう人にこそ集まるべきである。

まあ、このことは医学研究に限らず、臨床医でもそうだし、社会一般でもそうなので、いまさらということではある。

 

 

さてこれまでのことをまとめると、

デキる医学者とは、謙虚で、根気よく勉強し、すべてを自分で遂行する強い意思を持った医者、ということになる。

 

残念ながら、不肖コロ健、これら一つも満たしていない。かくありたいと、夢を書き連ねただけだ。

だが、こういうデキる医者、私の周りにもけっこういることを考えると、世の中にはたくさんいるのだろう。こういう医者と一緒に仕事をすると、自分も高められる。

才能があっても、こういうことを知らないで潰れる若い医者は多い。この文が、一人でもいいからそんな才能溢れる医学徒の目に触れたら嬉しい。

 

できそうにふるまっているだけのエセ医学者にひっかからないよう、普段から注意しておかないといけない。病理医はこういう医学者モドキの医者に利用されやすいので、特に注意が必要だ。

 

 このシリーズこれで終わり

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デキる医学者になるために(4/5)無知を開き直らない

2014年08月17日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

昔、学会で「知らないから教えてもらおうと思って、この演題を出したんです」と発言している演者がいて、腰を抜かした。

自分が知らないことを完全に開き直っていた。これはさすがに馬鹿だと思った。

と同時に、この若い医者はこのままずっとこんな医者人生を送るのだろうかと思うと哀れに思えた。それを正すことも出来ない、というか、自分もそう考えているであろう先輩医師ともども、負の連鎖は続いていくのだろう。

 

かくいう不肖コロ健も、あるこぢんまりした研究会で一席話し終えたら、フロアから「私たちは、先生がなにを勉強して、なにを呈示しているかを聞きに来ているんだよ。こんなんじゃあ意味が無いじゃない。」と言われたことがある。

準備不足のまま発表した演題だった。とくに、論文を読み込んでいないとこのようなことになる。

 

少々の自分の経験だけで、世の中の大部分をカバーしていると思っている。だから、経験したことの無い症例があったりすると教科書を熟読したり、論文を漁る前に、人に聞く。勉強したのは国試までで、その先の勉強方法を教えてくれるような先輩医師にも恵まれないままとなってしまう。

井の中の蛙、大海を知らず。である。

 

さすがに冒頭に挙げたような馬鹿は最近減ってきたが、勉強していないで発表とかする医者は多い。そういう医者、勉強不足で済みません、調べていません、とこれまた開き直って謝る。まあ、自分の非を認めているので、これはいいのだが、これを言わなくて済むように勉強しておかねばいけない。

 

あと、知ったかぶりも必ずバレるので、やってはいけない。

 

自戒の念を込めて 

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