こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

ここのところの医師の受難の報に接して

2022年01月31日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 昨年12月17日に起きた大阪での心療内科クリニックの放火事件に続き、今度は埼玉で訪問診療を行っていた医師が散弾銃で殺された。2ヶ月で2人の医師が殺されるなどというのはどう考えても異常なことだが、今後は職業上のリスク因子として考慮しなくてはならないことかもしれない。亡くなられた医師ならびに被害者の方に心からお見舞い申し上げる。いずれの事件の容疑者も、医者を殺し、自分も死んでしまおうというなんとも身勝手な論理で動いていたようで、なんともいたたまれない。

 それぞれ、いわゆるモンスターペイシェントによる犯罪となるが、その存在は、もうずっと前から問題になっていて、昔のエントリー(医者というブルーカラー;2013年6月) にもそのことが少し出ている。私は患者さんを普段直接診ることのない病理医だが、人と接するのが嫌だからこの仕事を選んだわけではなく、日常業務はチームのメンバーの一人としておそらくは問題なく過ごしている。そんな私でも、今回のコロナ禍では予防接種の問診業務を行って、医療知識のない方に接する機会があった。

 全部で1000人ぐらいの人と接したと思うが、十人十色、ずいぶんいろいろな人と接することができた。ほとんどの人はとくに問題なかったが、数名は自分が持っていたのとは異なる感じを受けた。そんな違和感を感じたのはあくまでも私の感覚で、別の、医者であればそんなものは感じなかったかもしれない。だが、違和感のない人であってもどう豹変するかなどわからない。

 人間のことをどう分析したところで、どこでどうスイッチが入るかわからないわけで、私自身もそのうちの一人だ。ただ、その振れ幅は以前よりずっと大きくなってきているのではないか、その原因はネット社会の情報過多だったり、コロナ禍に巣篭もりで人との接触が減ったからだったりするかもしれない。ただもう、時代は変化してしまって、医者は安全な職業ではなく、顧客(患者)とのトラブルには常に備えておかなくてはならないのは確かだろう。
悲劇を繰り返さない対策を

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寒かった日曜日、今日もなんとか書くだけ書いた

2022年01月30日 | 日々思うこと、考えること
 今日も1日寒かった。
 あれこれやっていたらあっという間に1日過ぎた。1年4ヶ月ぶりに帰ってきた割に、娘はほとんど変わっておらずいささか拍子抜けしたほどで、すっかりわが家の子に戻った。
 日曜日はなんだかあれこれ書くことができない。

 毎日、すなわちウィークエンドも含めてそれなりのテンションでエントリーが書けないのはどうしてなのだろう?

 ブログというのが自分が生きていく事項の中で必須のものではないからだろうか?それとも他に理由があるか。
 まあ、明日からまた、楽しく書いていくことにします。
 今日は、ちょっと飲んでしまったので、このあたりで終わりにします。
また明日から

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帰国していた娘が帰宅した

2022年01月29日 | 家族のこと
 寒いけれど、日が長くなってきたことを感じる今日この頃。今朝からNHK大河ドラマ”鎌倉殿の13人”のキャンペーンのための特番が長谷寺から中継されていて、初めのうちは曇っていた。最後まで見なかったのでわからないが、番組の終わる時間頃にこちら(山)の方は晴れたが、海の方はどうだったろう。

 先週イギリス留学から帰国していた娘が、新型コロナウイルス感染症に関する水際対策のために六日間のホテル幽閉から解放されてわが家に帰ってきた。留学期間中よりも、この一週間の方が長く感じられたほどだが、とにかく元気に帰ってきてくれてよかった。出かける前とほとんど変わっていなかったが、とにかく国内からのリモートではなくあちらにいっていることができたのは幸運だった。
 羽田空港に迎えにいったが、国際線ターミナルは閑散としていた。早く賑わいが戻ってきてほしいものだ。
夕焼けが美しかった

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人との距離はどうなっていくのだろうか

2022年01月28日 | 日々思うこと、考えること
 今朝は、埼玉での立てこもり事件のニュースでいっぺんに目が覚めた。犠牲者が出たとのこと、とても悲しく残念だ。昨日、警察に出頭した大学入試共通テストのカンニングの犯人は19歳の隠れ浪人女子大学生だったそうだ。海外では、ウクライナをめぐる米露の対立は深刻さが増しこそすれ沈静化する兆しはなかなかみえてこない、北朝鮮は此処を先途とミサイルを撃ちまくっている。そして中国ではもうまもなく冬季オリンピックが開幕する。人の数だけ事件があってもおかしくはないが、昔からこんなにあっただろうか、あったけど闇に葬られていただけだったのだろうか。

 私のことに立ち返ると、一昨日から妻の手製の布マスクをやめて不織布マスクを使うようになった。これは新型コロナ分科会の尾身会長がNHKで、

 布マスクやウレタンマスクではなく、不織布マスクを使ってください

と宣言したからで、こうなると布マスク=悪のようになってしまうので、せっかく妻が作ってくれた布マスクだが、私もあきらめた。布マスクはウレタンよりはよほど性能はいいのにと思うと少し残念だ。

 マスク生活が始まってほぼ2年になる。すなわち、人の顔をまともに見なくなって2年ということだ。人と集まることも減り、互いの距離というものを忘れつつあるように思う今日この頃。距離といってもよく言う”パーソナルスペース”とかそんなものではない。人と接するとき、背格好、服装、物腰、表情などを見てから近づく。もう少し近づき、少なくとも互いのにおいがわかるぐらいになる。話しているうちに相手の息遣い、目の動き、体温など感じるようになり、互いを理解するようになる。

 それが、マスク・リモート生活で、日常生活でそんな他人との距離感を把握することが難しくなってきている。当たり前のようにあることに対するありがたさというのは、失ってみて初めて分かるが、人間同士の距離感というものもそんなことの一つだろう。最近は握手をする人をテレビの中でちらほらみるが、あれはもう我慢できない人の行動だ。おかしな事件が頻発しているのも人との距離が失われているからだと思うし、実際コロナ禍が直接の引き金になっている事件はあるに違いない。

 人間は社会的な動物であって、それなくして生きていくことはできない。いくら頑張っても霞を食って生きていくことはできないのだ。だとすれば、この人との距離感が失われつつあるこの時代にどうやって新しい距離感というものを構築していくかを人類皆で考えなくてはいけない。
忘れないうちに

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男性更年期の原因はコロナ禍による行動変容

2022年01月27日 | 人間関係
 朝の忙しさをつい忘れて美しい空をぼんやり見ているうち、いつの間にか明るくなって、それを写真に収めるタイミングを逸してしまうことがよくある。去年も同じように朝焼けの美しさを書いているエントリーがあったが、そのタイトルは”これからはどうやって人間関係を築いていけばいいのだろう(2021年2月10日)”で、今日書こうと思っていたのと似た内容で少し驚いた。

 昨晩、NHKのニュースで男性更年期の問題を取り上げたコーナーがあった。その原因として男性ホルモンの一つであるテストステロンの減少をあげていた。男性更年期の話自体は以前より知っていて、このところ元気が出ない私もそろそろ検査しなくてはいけないかと思っていた。放送の中ではコロナ禍による人との接触の制限がテストステロン減少につながっている可能性を伝えていた。

 男性の場合、人と接触することでテストステロンの分泌量が上がるそうだ。他人と接触することが男性の活力、というかそういったものに関係しているのだろう。たしかに戦う時には攻守を問わず、多量の男性ホルモンが分泌されているに違いない。他人との接触というのは、少なからずストレスを伴うことで、そのこと自体が戦いということだ。それがコロナ禍でずっと家にいて、画面越しにしか接触できなくなるとしたら、ストレスはずっと軽減するだろうが不要となる男性ホルモンの分泌も著減する。そうなると、かつて大量に分泌されていた男性ホルモンの枯渇が更年期症状として出てくる。

 このことが問題になるのもいつまで続くだろう。多くの人が自身をアバターに投影するようになり、直接他人と触れ合う機会が減少していったら、男性ホルモンそのものの分泌がなくなっていくのではないだろうか。他人との接触というのは、その人が発する声のみならず、表情、体臭、体温、すべてを感じることだ。そういったものがほとんど失われてしまう未来は、コロナ禍にかかわらずやってくるものであり、そんな未来に向かって人類はどう変貌していくのだろう。
私は変化についていけるか

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人間の存在意義と死ぬまでの時間の長さ

2022年01月26日 | 生き方について考える
 昨夜の雨が夜中のうちに雪になることはなかった。雲に覆われていたおかげか気温は5度。天気の移り変わりのサイクルが少しずつ早まり、春が近づいていることを感じる。新型コロナウイルス感染症の感染爆発はとどまるところを知らず、検査資材の不足が問題となっていて、私たちの病院でも2週後あたりにくるピークの時期に、いかに効率的に運用するかで頭を悩ませることになりそう。水際対策でホテルの一室に閉じ込められている娘はずいぶんきつい状況のようで、少々のことでは音を上げないできたが、今回は大変だと妻にこぼしている。私だったら9分9厘気が変になっているだろう。
 
 電車内で、喫煙者を注意した高校生が逆ギレされて重傷を負ったとか、運転手が助手席のインコに気を取られて2人が亡くなった交通事故とか、気の毒な事件が日々あいかわらず起きている。まともな人が理不尽な状況に陥ってしまうというのは何故なのか。だからそれを理不尽というのだろうが、なんともやるせない。だから、理不尽だの、やるせないだのといった言葉があるわけで、多くの人が同じようなことに直面し、同じような気持ちを感じるのだ。

 そもそも、なぜ自分は存在し、生かされているのかを考えてみると、わからなくなる。遺伝情報の担体としての自分の身体を育み(最初のうちは親など年長者により育まれ)、守ることが生きるということなのだろうが、では、逆に”生かされている”と考えた時、自分の遺伝情報が必要なものなのかという疑問が生じる。遺伝情報の多様性が生物の存続のために必要であり、そのために様々な遺伝情報が組み合わせるのだが、その結果が今の文明化社会だとしたら結果としてはどうであっただろう。

 そんなふうに考えなくても、この社会は未来のより洗練された素晴らしい社会ーユートピアーに至るまでの過渡期と考えたらいいのかもしれないが、その只中にいる私たち現代人はまだまだ発展途上の未開の社会さしずめディストピアにいるということだ。

 理不尽なことを積み重ね、その一つ一つずつからほんの少しだけ前に進む。そうやって、人間は進歩していかなくてはいけないのだが、残念ながら寿命があって、毎度毎度同じような”学ぶ時間が間に合わない”未熟な人間があとをたたないのは残念なことだ。死の間際となれば多くのことに対する気づきがあるかもしれないが、認知症にでもなっていたらそれもままならない。これもまた、やるせない。
考えながら生きる

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やるせない 遣る瀬無い:心のやりどころがない。思いを晴らす方法がない。胸が鬱積して心が晴れない。
りふじん 理不尽:道理を尽くさないこと。道理に合わないこと。無理無体(強いて行うこと。無法に強制すること)。
ユートピア utopia:トマス=モーアの造語で、どこにもない良い場所のこと。想像上の理想的な社会。理想郷。↔ディストピア(暗黒郷、地獄郷)
広辞苑 第6版より

新型コロナの水際対策を垣間見て

2022年01月25日 | 自然災害・事故・感染症
 今朝はそれなりに寒かったが、体はもう慣れている。凍結さえなければあまり心配はないので、足元を注意しながら玄関を出る。
 昨夜は横浜で勉強会があり、帰国者が待機するためのホテルに閉じ込められている娘に差し入れ持って行くついでに妻に帰り拾ってもらった。私が荷物を持っていくと、正面玄関前に、”差し入れ、デリバリー”用の受付カウンターがあり、そこまで持って行き、受付のおじさんに用向きを伝えると、トランシーバーで中に連絡し、4、5分のうちに係りの人がやってきて、荷物を受け取ってくれた。すぐに届けてくれたようで、果物を喜んで食べたというラインがきた。出所まであと4日だが、ヨーロッパからの帰国は時差ボケがひどいというので、ちょうどいい調整期間に充ててくれたらいいような気はする。
 
 3食弁当、廊下にも出られない、閉門蟄居、幽閉の状態で、いくらいい部屋でも、閉所恐怖の私だったらは拘禁症状を発症してしまうだろうと思う。万に一つそんなことになってしまう場合は、精神安定剤を一週間分持っていかなくてはなるまい。水際対策の厳しさが伝わってきた。

 勉強会では、コロナの第6波の話題も出て、詳しい先生によるとこの先2、3週間は医療逼迫が続くであろうという見解。第6波の収束までには2月いっぱいかかると覚悟していたので、改めて驚きはしない。とにかく不用意なことをして感染することが無いように気をつけて生活しよう。
いい経験

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利他的であることがもっとも効果的な感染対策

2022年01月24日 | 自然災害・事故・感染症
 昨夜来の雨のおかげで今朝の気温は5度。お湿りも少々あって体は少し楽だ。ただ、昨日の土いじりで腰を屈めることが多かったせいか少し痛い。

 昨日の新型コロナ新規感染者数は54、000人ということだ。ヨーロッパでは近いうちに人口の半分が感染する可能性があるということで、

 それじゃあもう、新型コロナは普通の風邪じゃないか

と考えるようになった。インフルエンザにしたって、基礎疾患のある人が感染したら、ウイルス感染自体悪さをするし、基礎疾患にも悪さをする。ぶっ叩かれすぎで、新型コロナがその道への進化を選んだのだろうと考えた。

 ただ、昨日イギリスから娘が帰国して、一週間ほど隔離されることになったのは仕方がないと思った。やっぱり海外から国内に入ってくるという動きはまだ気持ち悪い。でも、外国人も含めてでの話で、仕事以外にもどんどん海外からの入国は認めて行ったらいいように思う。そして、国内対策をしっかりやって日本も経済を回していかなくては、世界との競争でどんどん負けていく。

 国内対策の最たるものが咳エチケット、マスク着用の徹底ではなかろうか。マスクの効用は自分が感染しないため、という感覚が強いが、それだけではない、というかむしろその目的は、

 (もし自分が感染していたとしても)他人にはうつさない

という利他的行動だ。
 
 利他という言葉を広辞苑で引くと、

 自分を犠牲にして他人に利益を与えること、他人の幸福を願うこと、

 とある。換言すれば

 ”面倒な”マスクをすることで他人にコロナをうつさない、他人がコロナにならないようにすること、

 となる。自分さえかからなければいい、という考えでは感染症対策はままならない。

 欧米ではこの利他的行動が忌避され、国家からの要請は自由人権の侵害と捉えられ、暴動になりかねない状況で、結果としてノーマスクがまかり通っていることに比べ、日本のマスク着用率のバカ高さは称賛に値する。屋外でもほとんどの人がマスクを着用している。日本人の場合、利他的行動を好んで行なっているのか、それとも同調圧力が強いからなのかわからない。おそらくその両方だろう。

 そのおかげで私自身感染を免れているが、オミクロン株になってからの感染者の増加は想像以上のもので、すぐ横に感染者がいてもおかしくない状況だ。ピークアウトまであと1ヶ月と予想しているが、それまで切り抜けることができるか、いくら嫌でもマスクをつけて踏ん張ろう。
助け合う社会

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1日あれこれぼーっと考えながら

2022年01月23日 | ガーデニング・菜園・花・緑
 朝、雲が多かったので空の写真を撮らないでいたら、1日そのまま過ごしてしまった。

 毎日、必ず朝写真を撮る

と、決めておいたらいいのだろうが、まあそこまですることもない。

 今日は1日薄曇り。
 パンジー、ラナンキュラス、プリムラなどで、ビタミンカラー中心の寄せ植え鉢を2つ作った。暖かい日差しの中でやるつもりだったのに残念。それでもなんとか仕上げた。植え込んでいる間は仕事のことはすっかり忘れて、ぼーっとしていられた。仕事のことは忘れていたものの、ブログのことはちょくちょく思い出した。
 小鳥たちは、私がベランダにいる間はいないが、部屋の中に入った途端、すぐに餌台にやってくる。メジロとシジュウカラが喧嘩もせず順繰りに餌をついばんでいた。ヒヨドリも来ていたが、どうもこの餌台だと食べづらいようだった。もちろん、リスもやってくるが、ぶら下がっている方はリス対策済みの餌台なので、すぐどこかに行ってしまう。
 夕方、娘がイギリス留学から帰国した。隔離期間があるので、わが家に帰ってくるのはもうしばらく先。飛行機に乗るときには抗原検査は陰性だったようだから、それほど心配することはないだろう。
あとしばらく

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最後はヨタヨタだったけど

2022年01月22日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 長かった。

 あれこれの原稿をずーっと抱えてきたが、やっと最後の1本を脱稿した。最後のは青息吐息、それこそヨタヨタしながらなんとか書き上げた。1年で9本、よくやったものだ。どんな原稿かといったところでいわゆる依頼原稿とか分担執筆とかで、大したことはない。

 そんなもの書いている暇があったら論文の1本でも書け

と、とても厳しかった私の指導教授だったら言っただろうが、還暦手前のおっさんにはこれが精一杯だ。考えてみたら、あの人から見たらブログもこんな原稿も同じようなものだろう。

 書くのに費やす時間とプレッシャーに比べたらごくわずかな原稿料だったり、そこに名前を乗せてもらうだけのような原稿もあったりとかで、一体なんのために書いているのだろうかと疑問に思うのはいつものことだが、かと言って誰からもお声がかからなくなったら寂しいと思う。

 死んだ親父のモットーだった、頼まれた仕事は断らない、というのを実践してきて、確かに一旦断ったら次はないということを感じながら、後悔しながら結局引き受けてきた。

 このある意味”モテ期”のようなことがこの先あるとは思えないので、せいぜいいいい思い出として大切にしておきたい。
天気は良かった

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世界は春に向けて

2022年01月21日 | 日本のこと、世界のこと
 今朝、ゴミを出しに行く前に土の際にほとんどばら蒔きのようにしていたムスカリが2つほど咲いてた。厳寒の最中でも春は足音を立ててやってきているようだ。明日か明後日にはバラとレモンに肥料をやろう。

 今日から日本の多くの地域で新型コロナウイルス感染症に対してまんえん防止等重点措置が実施される(NHK)。これを機にピークアウトに持っていけたらイギリスと同じようにコロナから解放されるかもしれない。イギリスではオミクロン株が終息傾向にあるとして、マスク着用義務を終了するが、日本もほとんどの人が感染対策をしているのだからそれで良いのに、どうしてそうしないのかわからない。別の変異株が出てきたら、また戻せば良いだけだ。
 
 そんなイギリスだが、ジョンソン首相が官邸でのパーティーへの参加が問題となっていて、身内の保守党からも辞任要求が出ている。日本であったらさしずめ、一昨年の春にでも桜を見る会をノーマスクで盛大にやったというようなところだろうか。あの人、確か結構早い段階で感染していたがそうだったのか。そうすると、少なくとも総理大臣が感染していないという点で、この国は結構優秀だ。

 ヨーロッパというところは実にいろいろなことが起こる。ウクライナに対するロシアの圧力も深刻だ。そのままでいるのが嫌だから出て行かれたのに、出て行ったあとの行動も支配しようとしているとしか思えない。民族的な問題があるのでわかったようなことを書くわけにはいかないが、なんとなく男女の関係のように見えてしまう。米国は仲介役となることができるだろうか。

 フランスではこの4月に大統領選挙が行われる。若さもあってか、いまひとつ影の薄いマクロン大統領が再選を果たすかどうかというところだ。その候補者選びを見ていると、フランスの歴史というものを感じる。レ・ミゼラブルを読みきって、フランス人の思想的背景をなんとなくかじった身としては彼の国の政治に革命以来の民族としての血がしっかり流れているということを感じる。これは、イギリスの国会の中継を見ての議会制民主主義の源流を感じることとも通じる。

 そういうヨーロッパの政治体制を垣間見ると、日本の民主主義とは一体なんなのだろうと考える。あんまり長すぎて、今や自民党の政治がいいのか悪いのかもわからなくなっているが、それはさておき世襲政治家が多いのは健全な民主主義と言えるのかと思う。誰にでも職業選択の自由というものがあるので、政治家の子供に政治家になるなとはいえないが、政治を家業としているような一族もいる。かといって、選挙で落ちたらただの人である政治家になるつもりもないし、右から左まであれこれ言いたい放題の人をまとめていくような仕事を自分ではしようと思えない。国民の側にだっていろいろ考えなくてはいけないことはあって、例えば定数是正といって、都市住民の声ばかり大きくなってきた最近の傾向も疑問だ。

 あんまり長々と書いていたら、職場の手前。仕事の準備をしなくてはいけないのでこの辺で。

 基本的には選挙権があり、行動の自由がほぼ確保されているというこの国に住んでいることができるというだけで、しばらくはまた様子を見ていこう。
世界に春を
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通勤電車から感じる人間としての生き方の原則

2022年01月20日 | 生き方について考える
 大寒の朝の鎌倉は0度。寒さに体が慣れてきているのでそれほど苦痛ではないが、駅のホームで電車を待つうち気がつけば手はかじかんでいる。厳しい寒さはしばらく続く。

 電車というのは多種多様な人が狭い空間の中に長時間押し込められる特異な空間だ。そんなものに1日往復4時間も乗っている自分はよく気が狂わないでいると思う。ホームでは歩きスマホにぶつかられそうになりながら電車までたどり着いても、空席があるとは限らないし、あったとしても今度は太かったり細かったりする人がおもいおもいの間隔で座っている間に尻をねじ込むようにして座らなくてはならない。

 いざ座ったら隣の人が思い切りタバコ臭い時などは思わず立ち上がってしまう。ゲームに夢中なのはまったく問題ないが、肘を張って動いていたり、完全に消音になっていなかったりすると、やっぱり嫌になって立ち上がってしまう。ノートパソコンのキータッチの音も度を越すと騒音だ。歩きスマホにしても、ニコチン臭の人も、ゲーマーも、ビジネスマンもなんで、このおっさんが、自分の前に立っていたり、急に席を立ち上がったかなんてわかりはしない。それは自分の経験からよくわかる。

 生きていると、どこかのタイミングで自分の不行状を自覚したり、誰かに注意されたりする。反省ばかりの人生だ。そういうことを経て自分を改めることができたのは幸運だったと言える。人様に迷惑をかけることというのは私自身のプライドを守る上で大切なことだ。電車の中では、できれば姿を消してひっそりとしていたいがそうはいかない。そして、このことは社会生活一般のことにも共通したことだ。

 コロナに感染したとしても他人にはうつさない、自動車を運転しても人に迷惑なことはしない、もっと原則的なことを言えば、嘘をついて人を惑わすことはしない、盗まない、傷つけない。日々の小さな不満というのが、人間が生きていく上での大原則につながっているということを日々心に留めていたい。
自省の姿勢

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死ぬまで働いて5千万なんて、とても無理

2022年01月19日 | 日本のこと、世界のこと
 昨晩は寒々とした満月。昨晩もわが地区の電柱の付け替え工事が行われた。今朝も時間通りに無事終わったようで、大工事があった跡は全くなくなっていた。体は徐々に慣れてきたとはいえ寒い、老後は軽井沢か八ヶ岳か北海道に住んで、妻と二人日向ぼっこしながら晴耕雨読の生活を送って過ごしたいと思っていたが、それらの地の冬の過酷な気温をみるとおじけづく。それどころか老後の生活というのが大変なことになりそうだという話を出かける前のニュースで見て、朝からがっくりきた。

 経済評論家の森永卓郎さんが、30年後にもらえる年金は今の半分、老後には(金融庁のいう)2000万どころか、5000万は必要、などということをインタビューの中で話していた。老後の貧困に陥らないためには亡くなるまで働かなくてはいけないとも。15年前に”年収300万時代が来る”と予言していた(実際はそれ以上だと言っている)人の言なので、あながち妄言ともいえない(
森永卓郎さん語る「年収」      NHKニュースおはよう日本 2022年1月19日 )。消費税が給料が上がらない原因だとも。

 仮に現役の間に2億円稼いだとしても、その4分の1の5千万をコツコツ貯めることなんてできるわけがない。税金でがっぽり持って行かれ、子育てでもしたら貯金なんてできるわけがない。亡くなるまで働くといってもいつまでも元気でいられるわけではない。生きている限り働いているしかないといわれても、では一体何歳まで生るのか自分でもわからない。死んでしまえば後は野となれ山となれだが、死ぬのはいろいろ大変だ。
 カードの払いが多いのは無駄遣いがすぎるのではないかと思っていたら、それは消費税が10%にもなっていたからだと気がついた。これではたしかに景気も悪くなる。というようなことを考え、暗い気持ちになったのだ。

 別のニュースでは、アメリカのIT富豪の資産はコロナ禍で倍増したそうだ。8兆円が17兆円になったとかで、感染症とITはよほど相性が良かったようだ。栄枯盛衰は世の常なので、いつかはまた転換点があるだろうが、私が亡くなるまでに富の再分配が行われることは決してない。

 どの程度のお金があったら幸せだという基準はない。どんな生活ができたら幸せかというのも相対的なものでこれといった基準はない。森永さんは生活のスケールダウンとか、ちょっと田舎に住んで野菜でも作れと言っていた。バブル期のような生活をダウンさせるのではなく、そこそこ質素に暮らしている人間にもっとダウンさせろといわれても削るところを見いだすのはなかなか難しい。野菜作りもいいけれど、土地が必要だし、誰もが出来る体力はない。
お先真っ暗

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迷惑がらずに感謝の気持ちを表そう

2022年01月18日 | 日々思うこと、考えること
 今朝も寒い。だが、月明かりがあったとはいえ夜中はもっとだったに違いない。私の住む地区に電線、電話線を供給している木の電柱2本がずいぶん傾いていたため、コンクリのそれに変えるということになり、昨晩その工事が行われた。道路が狭いこともあって、0時から6時という工事時間が設定されていて、寝入る時に窓越しに外を見たら、工事の行われる2本の木の電柱の立っている場所がそれぞれライトの明かりによって煌々と照らされていた。それを見て、こんなに寒いのに工事をしてくれるなんてありがたいひとたちだと思った。夜間の騒音でもを指摘しようとしていると勘違いされては申し訳ないので、わざわざ写真を撮るようなマネはしなかった。朝には、魔法のように新しい電柱が立っていた。こんな寒い時間にこうやって働いてくれる人がいるから、社会の基礎は守られているのだと目の当たりにした。
 そんなことを思いながら朝のNHKニュースを視ていたら、郵便配達員が郵便受けの扉のダイアル式の鍵を開けてまで大きな郵送物を入れて困る、ということが流れていた。配達員さんは親切心から郵便箱の扉を開けて配達しただけだと私は思うのだが、それを通報したという人は、気持ちが悪いと言っていた。人によってはダイアルを動かしていない人もいるだろうし、一目盛りしかずらしていないような人もいる。そもそも郵便受けに郵便物を配る人がわざわざ中のものをのぞいたり盗んだりするだろうか?良かれと思ってしたであろうことが裏目に出てしまってその配達員さんが気の毒だった。そもそも、NHKに垂れ込む前に郵便局に相談したらよかったのに。日本郵政は全国の郵便局にそのようなことをしないように通達を出すと言っていたが、これからは、郵便局が遠い人は、不在通知を受け取って、時間をかけて郵便物を取りに行かなくてはならない。顔見知りばかりの地区でそんなことになったらたがいにギスギスすることになりかねない。置き配の時代だというのにどういうことなのだろうか。
 世の中に様々な考えの人がいるのは重々承知ではある。でも、なにか行動に移す前に少し考えた方が良いのではないかと思えることもある。物騒な事件が多く発生し、警戒感を強める人の気持ちはわかる。街の診療所が放火されたり、こんな小さな集落でこんなことがと驚いてしまうような事件もある。だが、多少は互いを信じて行動しても良いのではないだろうか。とくにエッセンシャルワーカーへの信頼は大切だ。公共事業の現場で働く人、事業所の清掃に従事する人など、社会を支えてくれているエッセンシャルワーカーの人たちに対して感謝することは、その人たちへの応援だ。道路工事とかトイレ掃除、郵便配達などなど、公共的な仕事は往々にして個人の行動と重なることがある。だからといってなくてはならない仕事であって、お疲れ様です、ありがとう、そういった言葉をかける機会があったらなるべくそうする。たいていの人はそれに応じてくれる。
どこまで人を信じるか

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トンガの大噴火と阪神淡路大震災から27年

2022年01月17日 | 自然災害・事故・感染症
 自然はなぜこんな姿を私に見せてくれるのだろう、美しい朝焼けは写真などに残すまでもなく心にしっかりと残る。色々あった先週末だったが、時間は静かに流れているが、世界は絶えず慌ただしく変動している。それぞれの人がそれぞれの考えで動き、地殻は常に動いていて、次に何か起こるかなど誰にもわからない。

 今年の大学受験生は気の毒だった。コロナに加え、傷害事件にトンガの海底火山の大噴火による津波。こんな状況でどれだけの人が落ち着いて試験に臨むことができただろうか。余談になるが、昨日は朝から頭痛というかなんとなくおかしな感じがしていた。風邪かさもなくばコロナ禍と思ったが発熱も味覚障害もない。妻も同じようなことを言っていたので不思議に思っていたが、もしかするとトンガの地震のせいではないかと考えた。

 昨日の津波はこれまで経験してきた地震によるものとは異なるメカニズムで発生した可能性が高いとかで、詳細はよくわからないらしい。もし、仮説として考えられている局所的な気圧の変化によるものとしたら、同じ波という観点から、音波となって日本にまで及んでいた可能性もあるのではないかと思った。”ショックウェーブ”とでも言ったらいいのだろうか、想像以上のことが起こるのが現実の世界だ。これをお読みの方で同じような感覚に捉われた方はいなかっただろうか。

 6434人の方が亡くなった阪神淡路大震災から今日で27年。大火事、崩落した高速道路の映像が思い出される。トンガの方々の無事を祈るばかりだが、こういうことがあると、地球はやっぱり大きく、小さな陸地の上に地衣類のように張り付いている生物などというものはほんの儚い存在なのだと自覚する。そんな幻のような存在の一つである人間、人新世だなんだとこの世の春を謳歌しているが、やがては消え去ってしまう運命にある。それなのに人間は互いにいがみ合い、時には殺し合うという人間の行動は不可解であり、理解することは難しい。どうしたら、すべての人が幸せになることができるのだろうと考えるが、これまでに人間が作ってきた社会システムの範疇で解決することは不可能だろう。
ご破算で願いまして

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