こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

寒い台風

2009年08月31日 | 通勤・交通・旅行
寒い。
台風がこれから来るというのに、半袖では寒いほどの気温。

20度切ってるんじゃないかと思うが・・・

今年は、酷暑は訪れず、このまま秋が進んでいくんだろうけど、温暖化というのはやっぱり、大きな気温の変動の中での、ほんのごくわずかのことを言っているだけなのかな?なんて、思ったりしてしまう。

数十億年からすれば、一、二万年って、どれだけ?

地球と太陽の良好な関係が、この先何年続くかはわからないが、この良好な関係が終わる前に、人類は終わってしまうように思える。

まあ、私の人生、長くて残り50年。
温暖化防止の努力をしつつ、残りの人生、楽しみましょう。

がんばること、なまけること

2009年08月27日 | 日々思うこと、考えること
築地書館というところから出ている「怠惰を手に入れる方法」という、アメリカの大金持ちの書いた本(著者は妹)を読んだ。
毎日、何もしないでだらだらすごして生きることを奨める本で、休日の朝に読むと、一日中何もする気がおこらなくなること請け合いの本だ。

さて、この”怠惰”だが、どう定義づければいいのだろう。本の中では、結婚、恋愛、ダイエット、仕事一般などがいろいろな意味でストレスを生じるもので、こういったことを極力やめていくことが心の安定につながっていく、といったように述べられている。
そりゃ、まあ、証券会社に日に何度か電話することで、われわれの何百倍ものお金を得ている人だったら、そんなにあくせくしなくてもいいだろうが・・・結局最後まで読んで、悲しい気持ちしか残らなかった。

年間3万人以上の人が自殺するほどまでに追い込まれてしまう日本という社会で、”怠惰”を手にしうるのは”富裕層”と呼ばれる1%程度の人々しかできない。
この人たちの富はもともと継承されてきているもので、遠く奈良時代にすでに格差は固定しており、その他の人は結局その他の人で、怠けることは許されず、馬車馬のように働き続け、自殺か過労死でドロップアウトするか、死ぬまで働き続けるかしなくてはいけない。

しりあがり寿が、巻末で、「みんな、頑張り過ぎだよ」などと、いっているが、これを真に受けたら・・・と、不安になる。
日本ではやっぱり頑張らないといけなくて、なまけることはできないように思う。

空からカバンが降ってきた

2009年08月24日 | わたしのこと
某研究会主催の勉強会のチューターを無事(かどうか本当のところは判らないが・・・)済ませた帰路(飛行機)にてあった怖かったこと。

通路側の座席にて頭が少し通路に出る様な格好で眠っていたら、突然、頭の上をものがかすめて目が覚めた。
次の瞬間、目の前で重そうなビジネス鞄が通路に激突してバウンドしていた。
どうやら、乗務員の女性が荷物置きの蓋を開いたと同時に滑り落ちたらしいのだが、落ちる方向によっては首の骨が折れてもおかしくない様な状況であった。今思い出しても、背筋が凍り付きそうに怖かった。
人生一寸先は闇とはまさにこのことだなと思えた。
それとも、好事魔多し、か。

いずれにせよ、幸せと不幸せは表裏一体、飛行機が墜落でもすればあきらめざろうえないのかもしれないが、飛行機の中で、鞄が落っこちてきて、首の骨を折るなんてことになったら、何とも言えない。

結局は今を精一杯生きるしかないのだが・・・人生はなにがおこるか判らない。

ライオンの危機

2009年08月21日 | 日々思うこと、考えること
あと、20年でライオンが絶滅の恐れにあるという。
現在の生息数は2000頭あまり。
人間で2000人といったら、通勤電車一編成分くらいだ。それに比べてライオン達は・・・

世界中からライオンを助けてあげるべく援助が必要ではないのかと思う。

ライオンだけでなく、すべての自然を守るところに来ていると思うし、人間はこれ以上増えなくてもいいのではないか。テクノロジーの進歩はとどまるところを知らないだろうが、そろそろ歩をゆるめてみてはどうだろう。

発展途上国の人々は、では発展途上のままでいろ、という訳ではない。先進国による援助で、自然を守ってもらう。これは、ブラジルの熱帯雨林も同じ話だ。
乗り越えるべくハードルは、多々あり、考えだすときりがないが、ボーダーレス化を進め、実現していくしかないように思うが。

病理医よ、もっとプライドを持て(2)

2009年08月20日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

前回からのつづき

「解剖をしていると明かせない。」
病理解剖の目的と意義を正しく理解し、行っていれば、一般の人にも堂々と言えるものだ。必要以上に病理解剖のグロテスクな部分を意識しているのではないだろうか。人の体の中は思った以上に複雑で、血も多い。病気が原因で亡くなったのだから、ほうぼうが傷んでいるのも仕方が無い。
しかしながら、筒井康隆の小説に出てくる様な光景にであったことは無い。やはり、一般の人の想像する人体解剖と、トレーニングを積んだ病理医が行う、病理解剖を同じレベルで語る意味は全くない。解剖について一般の人に語るときには、ご遺体に対する礼を失すること無く、その意義を述べることが大事だと思う。

「看護婦(師)さんと知り合いになれない。」
問題外。そんなの、病理に入る前に判っていたことだ。
笑い話で言っているのだろうが、この先生が別のところで言っている通り、「孤独に耐えること」は病理の仕事の一つとも言えることであり、3K科として絶滅に瀕している原因の一つだ。
だからこそ、臨床の華やかさに勝るとも劣らない、病理のすばらしさを発見し、広めていかなくては、この先病理に入ってくる医者は増えない。
医師不足対策で、産科、小児科、外科が挙げられているが、病理はこれらの”絶滅危惧科”どころではなく、”絶滅寸前科”となっている。

病理医は素直に自分たちの仕事に誇りを持って、それを前面に出したらどうなのだろう。
私が槍玉に挙げている先生も、きっと心の中では「ドクターズドクター」である病理医がそれをいったら、臨床医に煙たがられるだろう、という様な気持ちで謙遜していっているだけだと思うのだが・・・


中学受験は必要か?(2)

2009年08月19日 | 日々思うこと、考えること
中学受験は必要か?というタイトルで、コメントを書いたが、その中で言っていた、「できるやつ、というのは、ここしか行くところがないから東大に行くやつ・・・」と、この前会った。
念のため、彼に大学受験のための勉強をしたか確認したが、やっぱりしなかったと言っていた。でも、”受験勉強”をしたくないので、普段から勉強をしていたと言っていたが、どういう勉強なのかは聞き忘れた。
でも、受験勉強をしなかったせいで、順位が7番まで落ちた、と嘆いていた。

彼は某国立大学で教授を務めているが、会えば普通の話をするし、普通に飲む。だが、話していると”できる”ことがよくわかり、昔と同じように尊敬する。彼もわざわざ鎌倉まで来てくれるのだから、私のことをそう軽んじている訳ではない。

娘が中学受験で大変だ。などという話をしたら、彼にとっては中学受験が人生で最もつらかったとのこと。そのときは、午前午後と模擬試験を受けに行かされ、好きな古典の本(古文)が読めなかったことがつらかったという(!)。

このような友人を持てるということが、中学受験のメリットということになるが、やっぱり、小学6年でやるべきことは、彼にもあったし(古文を読むこと)、ほかの子にもあるのではないだろうか。
6年間の連続した時間というのは魅力的だが・・・

残念ながら結論は出そうにない。
結局は娘には中学受験をさせる訳で、遠泳も無事泳いだ今となっては、つべこべ言っても仕方がなさそうだ。

病理医よ、もっとプライドを持て(1)

2009年08月18日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

病理診断とか病理医のブログをみていたら、ある病理医がこのように回答しているのがあった。

『*この仕事についてよかったと思ったことは?
よかったと思うこと。そうですね。患者の「ムンテラ」をしなくていいこと。人が少ないから才能がなくてもやっていけること。
*この仕事について、しまった!と思ったことは?
一般の人に職業をあかせない。「解剖してる」とは言えないです。看護婦さんと知り合う機会が少ない。』

なんか、すごい、というか、こういうことを平気で言っちゃう神経というのがすごい。医者になって、患者と接しないですむことが”よかったこと”、って、そりゃ、まあ自分の趣味と実益が合致することが、職業としては理想的であるわけで、患者と接しないことがよかったって、じゃあ、なんで医者になったの?この先生、前段ではそもそも臨床医になりたかった、なんて言ってるだけどねえ。

病理診断科で外来をやると、患者さんの切実な思いがよくわかる。病理医は直接は何もしてあげられないけど、病気を理解させてあげることは患者さんやその家族にとっては精神的に、結局は肉体的に大変な利益をもたらすものです。病理外来についても、「診断病理(病理学会で発行している雑誌)」の中でいろいろ言われていましたが・・・

さらに、人が少ないから才能が無くても  って、先生の言う才能ってなんですか?卒業した医学部の偏差値?論文の数?それとも診断能力?臨床とのコミュニケーション能力?
病院病理で大事なのは、もちろん後2者なわけで、この先生もコンサルテーション(ほかの先生に相談すること)の重要性は言っているので、というとは、コミュニケーション能力のことか?
それとも、この先生は大学教授を目指しているのだろうか?確かに、教室員の数なんて毎年2人もいればいい方だから、教授レースについては楽かもね。私も、病理に進むことを決めたとき、同級生に、「なんで?えらくなりたいから?」と聞かれたことを思い出す。そのときは、その質問の意味自体よく判らなかったが、そういうことか?とも勘ぐりたくなる。
こういう病理医は、勘弁してくれ

いずれにせよ、こういった表現をして、病理をくさす病理医がいるから、病理医はますます自虐的になって、引きこもりになって、人気が無くなっていく。
なんで、「病理なんて」的な発言が多いのか、この20年間いつも不思議に思っている。

私は、たまたま患者さんと話す機会が少ないだけであり、才能のうち、大学入試のための受験勉強については、たいしたことは無かったものの、標本を一日中丁寧に見ることもできるし、解剖や外科材料の切り出しもそこそこ上手だし、診断もあまり間違えないで出すことはできる。臨床医とのカンファレンスもそれなりにこなしている。これは、人が少ないからやっていられるのではなく、私の好きな病理医の仕事がこういうものであるからだ。「そんなことは判っている」なんていうなら、そもそも、病理医の仕事を自虐ネタにしないで欲しい。

つづく


テンション

2009年08月17日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
ここ4、5年のうちに病理関係の勉強会が8月に多く開催されるようになってきた。
大学の教室で勉強している先生方から教えて欲しいことは山ほどあり、各種講習会に参加したいのはやまやまなのだが、キャリアが20年以上になるとそうもいかないらしく、数年前から某研究会の講習会のチューターとしてかり出されている。

講義でも、勉強会でも、最も重要なポイントは大多数の普通の疾患から、見落としてはいけない疾患を見いだすテクニックの伝授であり、そのために、見落としてはいけない少数の疾患を理解し、教えないといけない。

私の勤務している病院は、まあまあ症例数はあるものの、難しい病気はやっぱり難しい。先週末にぱらぱら論文を読んだら、結構内容的に今の私では人様に話すのはきついことが再認識されたので、テンションを上げて勉強することにする。

残念

2009年08月10日 | 鎌倉暮らし
鎌倉花火大会は、台風9号のため中止。
8月10日が雨で延期、というのは一度くらいあった様な気がするが、いきなり中止とは。とても残念。予備日をとれないほど不景気なのか・・・

夕方になって鎌倉近辺の雨は小康状態、というか夕焼けも見えたが、海は大荒れ。
由比ケ浜には遊泳禁止の赤旗がはためいていたし、サーファーは頑張っていたが、すごい高波。

鎌倉花火大会の最大の目玉は水中花火だが、とてもできる状態ではないし、観客だって高波にさらわれてしまう可能性がある。
花火大会でこわいのは、終わった後酔っぱらいが海に足をつけることで、ひどいと腰くらいまでは平気で入ってしまう。
雨は降ってないけど、今年はやっぱり中止しか選択肢は無かったですね。
主催者の方達の英断、というか当たり前の決断には文句のつけようがありませんね。

鎌倉出身の妻に誘われて来るようになった鎌倉花火大会(妻と知り合うまで花火には興味が無かった)、ほぼ毎年、20年間見続けてきて、鎌倉に移り住むようになった理由の一つにもなっていたのだが、その花火がみれないとは、つくづく残念だ。

逗子の豊泳会の遠泳大会が開催できたのは、間一髪だった。

豊泳会 遠泳大会

2009年08月09日 | 家族のこと
今日は、豊泳会の葉山森戸海岸ー逗子海岸間3.5キロの遠泳大会。
小六の娘は小学校生活最後の参加だ。

3度目ということもあり、無難に泳ぎきったがつくづく大したものだと思う。

台風9号のせいか、今日はすごくうねっていた。裕次郎灯台の先あたりでは、みんながかぶっている黄色い帽子が、ぐぐっと上がったかと思うと、次の瞬間、ぐーっと沈んで、波間に消えてしまう、という感じで森戸神社の方へ行き、外海へ。

足がつかないところと言っても、海水浴場の遊泳区域の端っこのブイまでも行ったことの無い身からすると、娘たちは、足のつかない、というか、すごいところを泳いでいる訳で、すくなくとも海底は見えない(らしい)。

台風9号のおかげというか、逗子湾へは波に乗って、例年よりこころなしか早く着いた。
中学受験が心配だ、なんて書いたが、小学生のうちにこんな経験をすることができたなんて、肉体的にもさらには精神的にもすばらしいことだ。
人生の糧として生かして欲しい。

おつかれさま


練習

2009年08月08日 | 家族のこと

いよいよ明日、娘達が森戸海岸ー逗子海岸の遠泳大会に挑む。
娘は小4、小5とやってきて、小6の今年は三度目、遠泳自体はほとんど心配はなさそう。

夏休み中の私は、のんびりと逗子海岸で練習見物。遊泳区域を示すブイを越えて泳ぎ出てゆく子供達の姿を見ると本当にすごいと思う。
海では体が浮くというのは私も頭ではわかっているが、うねりとしょっぱさで恐怖を感じてしまう・・・
子供達は、そんなこと関係ないかのようにうねる海に出て行く。目印の黄色い帽子が見え隠れすると、心配にもなるが、ほどなく隊列を組んで帰ってくる。たいしたもんだ。

あしたは、みんな無事完泳して欲しいものだ。


秋田犬

2009年08月05日 | 日々思うこと、考えること
”失跡(しっせき)”報道で、小首をかしげつつ、NHKにチャンネルを変えて“おはよう日本”をみていると、今度は”秋田犬”を「あきたいぬ」って読んでいる。
忠犬ハチ公のハリウッド版の映画に関する話で、「あきたいぬ」って、”あきたけん”だろ?と思っていたら、最後まで訂正無し。しまゆりも全く反応せず。

ネットで調べたら、秋田の人は「秋田”いぬ”」と言うらしい。
私のこれまでの人生、柴犬は”しばけん”、だったり”しばいぬ”だったり。土佐犬は”とさけん”だ。洋犬は”ようけん”で、”よういぬ”ではない。日本犬も”にほんけん”だ。
アメリカで見た犬のコンテストでは”Akita"の表示だったので、どちらかわからない。
たぶん、TBSにしてもNHKにしても、アナウンサーはめちゃくちゃ優秀なので、正しい用法でしゃべっているんだろうが、実情とは若干違う様な気もする。これも、私だけか?

”失跡(しっせき)???”

2009年08月05日 | 日々思うこと、考えること
TBSの朝のニュースで、芸能人の失踪について朝刊の見出しにあった”失跡”という字を”しっせき”と読んでいた。
”しっせき?”これは、失踪ではないのか、と不安になりながらも、”失跡”の”跡”の字は”奇跡”の”跡”だし・・・などと自問自答しつつ着替えていると、あとの方で、アナウンサーが”○○さん、失踪事件については後ほど報道します”とのこと、少なくとも”失跡”=”失踪”だということは理解できた。
それにしても”失跡”とは。
ネットで調べてみると、”失踪”の”踪”の字が常用漢字ではないため、”失跡”という字をあてているとのことらしい。

恐ろしい。失踪は”しっそう”で、”しっせき”とは等価ではない。
だって、失踪の踪は錯綜の綜で、跡は足跡の跡でしょ、前者は「自分の意志でどこかに行っちゃった」、後者は「足取りをつかめなくなった」みたいな感じがするんだけど、私だけ?

それにしてもTBSのアナウンサー、こんな変読新熟語が読めるなんて、よく勉強していると感心してしまった。だけど、常用漢字ではないから、なんて理由で使い慣れない言葉を普及させないで欲しい。言葉を守らなくてはならない人が、こういった言葉を率先して覚えて、流布していくこともどうかと思う。日本語の乱れっていうけど、裏で乱している人々がいるのが恐ろしい。

私がボキャ貧なだけなんだが・・・

等価

2009年08月05日 | 日々思うこと、考えること
俳優でミュージシャン(というのがそもそもよくわからないが)という芸能人が合成麻薬を使ったかどで逮捕された。場所は六本木ヒルズで、一緒にいた女性は亡くなったという。
報道内容からみえてくるのは、我が国の価値基準のていたらくぶりだ。
六本木ヒルズには、心をお金で買えると考えている人、インチキをして金儲けしたことを僻からと考えている人、などが以前より住んでいたが、俳優でミュージシャンも住んでいて、その人は女性と麻薬を使用している。
格差社会が進行していくなかで、六本木ヒルズは上流の象徴として存在している。そしてその上流とは、虚業で儲けた人とか、麻薬を使う芸能人とかと等価だ。
そうでない人も、住んでいるだろうが、半端な儲け方をしている人には住めない。家賃月額数百万ッて、払える訳無いでしょ。
医者でも、そういうところに住みたい医者は勤務医ではいられないから、病院勤めを専門医をとったあたりでさっさと辞めて開業する。もちろんオフィス医院なので、地域医療の向上にはいっさい役立たない。
我が国の価値基準はどんどんそういったところに収斂していっていると思う。
生き馬の目を抜く、という言葉もあるくらいだから、時代はいつになってもお金のある人の勝ちなのかもしれないが、水戸黄門でも悪役はナントカ問屋であって、庶民はお金がなくても善人だ。その庶民がみんな金儲けに血眼になってしまわざろうえないのは、お金=六本木ヒルズだからだ。情報共有が進んでいるために、金持ちがどれだけ息をひそめていても、格差は否応無しに実感してしまう。だけど、もっと別の価値観を見いだす必要があると思うが・・・
私は、一緒に打ち合わせをする人もいないので、六本木ヒルズに住みたいとは思わない。ただ、附設とか灘を出た人にとっては、自分の成功と等価なものであるのかもしれない。

Google車?

2009年08月04日 | 通勤・交通・旅行
職場の近くを歩いていたら、変な車が走っていた。
天井にはおかしなカメラをつけていた。おお!これがGoogle号か?と思いつつ、思わず写真をとった。
ストリートビューの今の写真は冬バージョンで、ちょっと寒々としているので、今度は夏らしく緑豊かになるかな?
店とかも、レストランがゴルフショップに変わっているし、そば屋はドラッグストアに変わっている。
銀座とか渋谷はどうなっているのかな?
50年くらい経ったら、Google今昔マップとか、Google思い出マップなんてのができてたりして、
時の経つのは本当に早いからね。

とにかく、更新がとても楽しみだ。