こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

夕飯は駅弁

2017年06月30日 | 通勤・交通・旅行

今日は、岡山県で小さな学会があった。

昨日、夜まで仕事をし、東京駅から新幹線で昨晩のうちに岡山に入り、今日一日勉強して帰ってきた。ちなみに、この記事、帰りの新幹線の中、ほろ酔い気分で書いている。ということで、今日はアルコールの話が出てくる、お酒の話が苦手な方はここまでにしていただきたい。

往復の時間帯が夕食どきとなったので、食事は新幹線の中でとった。往復とも19時前に出発し、到着が22時近くとなるのでは致し方ない。そんなわけで昨日今日と夕食は駅弁となった。

駅弁を買うにあたって驚いたのは、東京駅の駅弁コーナー。

東京駅では八重洲方面から横須賀線のホームのある丸の内側に抜けることが多いので、この店の前を通ることも少なくないのだが、いざ自分が駅弁を買うことになって初めてそのすごさに驚いた。品揃えもすごいし、人もすごい。一体、一日に何食売れているのだろう。

さすが、新幹線が何本も出ている駅は違うものだと思う。なお、駅ナカの他の店で、つまみも買った。

そこでコロ健が選んだのは、これ。

知人の結婚式で米沢に行って以来、米沢牛はお気に入りだ。一番搾りをつけたらいうことはない。

新横浜を出たところで食事を始めた。

と、ここで気になることが一つ。

どうも、駅弁のお箸というのは短い。まるで、子供用だ。この弁当についていたのは、多少長かったように思えたけど、それでも、割ったところが指の間に当たるし、操作性が悪い。手の小さい人は我慢できるかもしれないが、私は気になる。

とはいえ、ほとんど冷めてしまっているにもかかわらず、それなりに美味しくいただいた。

このあと、少しウトウトし、目が覚めたところで、角ハイを一本開けたら岡山に着いた。結構あっという間だった。

アウェイの学会で、知り合いは一人もおらず、投宿後すぐに寝て、今朝は9時からしっかり話を聞いて、質問もいくつかした。この学会、私にとっては初挑戦の領域で、聞く話、どれもが興味深かった。

そして、帰り。少し時間が余ってしまい、駅ナカで食べようかとも思ったが、何せ、3時間半だ。列車内で時間を潰すにはバカにできない。お土産屋で時間を潰したのちに、帰りの夕食に選んだのは、これ。

ままかり、鰆(さわら)&黄ニラ。岡山に行ってわざわざ牛肉弁当を選ぶ必要もあるまいと、海の幸弁当を選んだ。

味はちょっと淡泊だったが、黄ニラの握りが意外と美味しく、素朴な味がいい。関東に比べると味が薄い。

このあと、二杯目の岡山づくりを飲みながら、このブログを書いている。新幹線は長旅なので、夕食であればアルコール付きで食事をしても良さそうに思うが、いいのかなー?とちょっと思ったりする。

それにしても、二日続けて、車内で駅弁。やっぱり味気ない。家族みんなで食べる夕食の美味しさを改めて思う。

岡山にはビール工場がある

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乗ってる電車が止まったら

2017年06月29日 | 通勤・交通・旅行

つい先日の出勤時、車両故障とかで私の乗っているより、3本ぐらい先を走っていた電車(JR横須賀線)が都内の駅で止まってしまった。電車内で待つことおよそ20分、やっと動き出したのはよかったのだけど、ノロノロ運転。それでもなんとか都内にはたどり着いたので、そこから他の線に乗り換えて病院に行くことにした。そこまではまずまの選択だったのだけど、慣れない路線、乗り換えを間違えてタイムロス。さらには、乗り継いだ電車にも不具合が生じたとのことでさらに15分線路の上で、立ち往生。結局、いつもより1時間余計にかかって病院にたどり着いた(片道3時間)。結局、あまり関係のない、ある意味間抜けな駅で遅延証明書を受け取ることとなってしまった。

 

その日は、私が切り出しの当番、さらには学生実習の指導当番でもあったのて相当焦ったのだが、LINEで同僚の名前を探して、「〇〇先生、横須賀線が止まってしまい、乗り継いだ電車も止まって線路の上で立ち往生です。(切り出しの始まる)〇〇時には間に合いそうにありません。申し訳ありませんが、先に始めておいてくれませんか?コロ健」と送れば、その数分後には、「了解です。なんとかやっておきます。大丈夫ですから、ごゆっくりおいでください」と返事が来る。

それにしても、今の世の中ずいぶんと便利になった。LINEの目的がこういった、緊急時、災害時のための連絡だから、こういう時にこそ利用するのが最適だが、なるほどすごい。ひと昔前だったら、駅の公衆電話に長蛇の列というのが定番だったことを思うと隔世の感がある。

都内は地下鉄まで含めるといろんなルートを選ぶことができるが、路線によっては帰って、遠回りだったり、ノロノロだったりと、思ったようにいかないこともままある。鉄道に詳しい人のアドバイスもあまり当てにならない。というのも、大抵そういう人(てっちゃん)は種類に関わらず、電車に乗るのが好きなので、というか苦にならないので却って遠回りのルートを勧めてきたりするからだ。

雨にはたたられなかったが

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ジメジメイヤイヤ

2017年06月28日 | 日々思うこと、考えること

うーん、梅雨らしい梅雨といえばそうだが、本当に、雨季だ。毎日ジメジメしていて憂鬱になる。気圧の低さによる頭痛もうっとうしい。気温はそれほど高くはならないが、とにかく湿度が高い。湿度90%とかって目を疑ってしまう。5月中のカラッとした空気が懐かしい。日本人というのは、この季節の移り変わりというストレスによく耐えていると思う。この耐性こそが日本人の平均寿命の高さに貢献しているような気すらする。

職場に滑り込んでしまえば、比較的快適な状態で仕事に集中できるというのは、恵まれていると思う。

この時期の私の楽しみは、クチナシ。おととい、今年最初の1輪が咲き、夜、帰宅時には大好きなかぐわしい香りで迎えてくれた。早いもので、この玄関先のクチナシ、植えてからもう6年目となる。今年は、つぼみのつき方が少ないのが、気がかりだ。

愛情を持って

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親はいつまで親なのか

2017年06月27日 | 家族のこと

ツバメが天井に巣を作ってしまったために閉鎖していた鎌倉駅の自動改札機1台が通ることができるようになった。

親ツバメがこの前とは反対方向の梁にとまっていて盛んにさえずっていた、あれ?と思って頭上を見上げたら、子ツバメと思しき小鳥が2、3羽、巣のあたりを飛んでいた。どうやら無事巣立ったようだ。今はもう、子ツバメたちの飛行訓練というところか。それにしても、さすがはツバメ、あんまり早く飛び回っていたので、写真を撮ることはできなかった。

昨晩、NHKテレビで”卒母”についての話があった。なんていうことはない、子供がある程度の歳になったら、独り立ちさせ、親も子供から離れる、というようなことで、人間誰しも同じような話に行き着く。そして、子を持つ親は誰しもがそのことであれやこれやと悩む。いつの時代も変わらないことだ。

ツバメにしても人間にしても、生まれたばかりに自立して生きていくことはできないので、生きる手助けをしてやる。それをどこまでやってやるかは、動物によって、そして人間であれば家庭によってそれぞれ異なる。昨晩の番組でも、卒母宣言をしたのは、頑張った末に大成功を収めた漫画家(西原理恵子)であり、経済的にも社会的にも恵まれた状態にあるからこそ、できること、言えること、がそここにのぞいていて、諸手を挙げてご意見に賛同できるような内容ではなかった。

 家庭ごとに事情は異なるので、子育てにマニュアルなどない。親になってみたところで、自分のやっていることが子供にとって、もしくは自分にとって正しいのかどうかなんてわかりはしない。数日前の夕食どき、息子が「僕は、〇〇(妹)の実験台だったんだよね」と言っていた。どういうことかと聞いてみたら「僕にやらせてよかったことはやらせて、よくなかったことはやらせてこなかったでしょ?」とのこと。当たり前といえば当たり前のことだが、息子にとっては、自分が妹の前に立って進んできたという自負があるのだろう。親として、そういうことに気を配っていたかとおもうと、心もとない。子供には子供の思いがある。自分だってそうだったではないか、と思い起こす。そして、ある時母が、「なんにもわからなくて、(子育てなんて)もう夢中だったわよ」と言っていたのを思い出す。

ひとたび子供を持ったら、その時から親となる。たとえ、その子と血が繋がっていなくとも、血肉を分けて育てるのであればそれだけで親子だ。”卒母”したサイバラさんにしたところで、子供たちが自立するためであれば援助は惜しまないと言っていた。結局、親をやめることなんてできないということだ。

親子の関係、どうしようもないほど、深く、切っても切れない。

親はいつまでも親だし、子供はいつまでも子供だ。

 日本は恵まれている

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東海道新幹線に乗る時の座席選び

2017年06月26日 | 通勤・交通・旅行

近畿・中国地方へ出張するときは新幹線を使う。広島以遠であれば飛行機もありらしいが、鎌倉から新横浜の方が羽田まで行くより楽だ。

新幹線でどちら側に乗るかというのはなかなか悩ましい。海を見ながら行くか、富士山を見ながら行くか。

新幹線の普通車の座席配置は海側が3列、山側が2列になっている。下の図では左が大阪方面で、上が北(富士山側)となる。

電源コンセントを確保したいので、窓側の席というのが前提となる。私は閉所が苦手なので、3列シートはなるべく避けたいところなのだが、海を見たいとなるとA列を選ぶこととなる。以前は比較的このA列を選んでいたが、奥に座るのがやはりおっくうになって、E列を選ぶようになった。富士山も見えて嬉しい。

思っていたほど、長い時間見えないのが残念だが、学会の準備をしながらの移動だと、ふと顔を上げた時、富士山の姿が見えるとなんだかホッとする。

この前の大阪からの帰りには夕映えする富士山の写真を撮ることができた。ここ数年待っていた風景だ。

難点は、このE列というのは、なかなかとることが難しい。

E列が取れない場合は、通路側のC列かD列に座ることにする。D列は二人がけの微妙な緊張感があってちょっと苦手なので、C列を選ぶことが多い。

A列の人はすっかり寝込んでいる人が多いようだし、B列に座る人は東京名古屋の移動の人が多いので、あまり気にならない。

知人でグリーン車での愉しみ(サービス)をフェイスブックやインスタに投稿している人がいて、羨ましいと思うが、残念ながらそのチャンスはなさそうだ。E列に座ることができて、美しい富士山の姿に出会えることを慰めとするしかなさそうだ。

今度も見えるかな?

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雨の日曜日

2017年06月25日 | 日々思うこと、考えること

いよいよ梅雨本番。

朝から大雨。折角の日曜日だが、季節がら仕方ない。

降り出す前に散歩に連れて行こうと思っていたが、それもできず、フラットコーテッドレトリバーのナイトを留守番させて、近所のスーパーまで買い物。帰って来てからも庭仕事もできないで家の中でごろごろしていた。

夕方になって雨もやんだので、街中まで散歩に連れて出たら、案外観光客の人が多かった。若いカップルが多かった。

仲のいい人たちは、それなりに

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結婚は永遠でないからこそ価値がある

2017年06月24日 | 愛と女性とジェンダーと

帰宅途中の電車の中で、仕事帰りらしい若い男女3人が楽しげに話しをしていた。すらっとした男前の青年一人に、割と可愛い顔をした女性二人。互いに仲が良さそうだった。女性二人がよく喋り、男性は聞き役になっていた。

いつの間にか話題は結婚の話になった。

「誰かいい人がいたらいいんだけどね、でも、居そうにないからもういいかな?と思っているの」

「今って、3組に1組が離婚するんでしょ?離婚率、高すぎない?」

「(子供は欲しいから)養育費だけ払ってくれて、私(と子供)を養ってくれる人がいたらいいんだけど」

などと言っている。それって、考えすぎじゃないのかな?

結婚はこうあるべきだという時代ではないので、何を言ってもいいし、若いうちはいつでも結婚できると思っているので、婚期を逃すということも考えていないのだろう。二人とも、これまで”男性に何かを頼んで断られたことはそれほどはない”という容姿だ。

 

そのうち、一人が、

「ねえ、◯◯◯⚪︎(雑誌名)の”結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私はあなたと結婚したいのです”っていうCM観たことある?」

と言ったら、片方の女性も「あ、知ってるよ、それ」とすぐに応じた。

即答するって二人ともどんだけ、結婚意識してるんだよ!と、勝手にツッコミを入れながら聞いていたら、

「あの、CMって、結婚できた人の言い分だよね。私どうも受け入れられない」「そうだねー」なんて応じていたが、本心はどうだったのだろう?

そのうち、3人は明るく笑いながら電車を降りて行った。

 

結婚観は人それぞれなので、それがどうあるべきとは思わないが、結婚という行為は一通りしかない。結婚の形態は場所によっては若干異なったりするので、どれが正しいとも言えない。結婚して、子供をもうけるかどうするかというのも二人の自由なので、少子化問題とは別に考えたい。

それでも、好きになった誰かと一緒になるということは幸せだし、愛の結晶ができたら生活が少々苦しくなっても乗り越えるしかない。

 

結婚のことを揶揄する冗談は昔から数多くある。それぞれ一理ある。

私も、結婚を目前にした友人に「毎朝、毎朝、起きたらまずは、その人と顔をあわせることになるね」などと、タチの悪いことを言ってからかったことがある。でも、結婚はとても辛いことだ。

どれほど、愛し合っていても、結ばれた二人にはいつかは別れがやってくる。離婚だけではない、事故、事件、病気そして寿命が来て永遠に別れることは結婚した二人には必然のことだ。どれほど毎朝、顔を突き合わせてもやがてはそれができなくなる日が来る。

結婚とは、初めから別れるためにすることだと思えば、離婚のプレッシャーはなくなるはずだ。

それに、今、愛することのできる人がいたら、”もっと(条件の)いい人探し”ではなく、その人と一緒になったらいいのではないだろうか。

男性にしてみても、自信がなくても怖がらずに家庭を持てばいいのではないだろうか。

そして、一緒になったら、互いが生きている間、”毎朝、顔をつきあわせることのできる幸せ”を噛み締めながら、仲良く(時には喧嘩をしながらも)愛し合っていけばいい。

二人が一緒に居られる時間というのは意外と短い。だからこそ、結婚することで絆を持ったら、愛を確かなものとして愛を深めていくことが幸せなのではないかと思う。

 無理にでもとは言えませんが

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病理医だけの病理のカンファレンス

2017年06月23日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

病理医が病理医同士で話し合う機会というのはなかなかない。

日常の病理診断業務はどうしても臨床医が介在してしまうし、病理診断科の部屋には病理医以外の人があれこれ出入りする。というか、それが当たり前といえば当たり前のことだ。誰も訪ねてこないような病理診断科では問題だ。

一般病院だと病理医は一人か二人、そもそも話し相手となる病理医がいなかったり、互いに忙しかったりしてなかなか他の病理医とディスカッションする時間が持てない。お互い仲が悪かったりしたら、絶望的だ。

ところが、病理医だけで話すことのできる機会がある。

それは、病理解剖のカンファレンス。

カンファレンスでは病理解剖で摘出した臓器についての肉眼所見の検討を複数の病理医で行い、今後の組織学的診断への道筋を考える。

A先生のこういう見立て、B先生のあんな見立て、というように多くの病理医がそれぞれ意見を出し合ううちに、亡くなられた方の病気の経過、死因が見えてくる。もちろん、肉眼診断は病理解剖という長い作業の途中に過ぎない(病理解剖で思うこと(4/10)(5/10))。

病理医の目標の一つは肉眼診断でミクロ診断までできるようになることであり、それぞれの病理医はこれまでの知識と経験を一言一言に込めて話す。そういう意味で、このカンファレンスは参加する病理医にとってはとてもタフなものとなる。このカンファレンスは病理医だけのとても濃密な場だ。

今度移った施設は大学病院なので、一般病院と違って病理医の数が多く、カンファレンスの時間を取ることができ、そこであれこれとディスカッションができる。病理医の共通言語である”病理総論”にもとづいた正しい病態を表現する用語を用いて、互いの意見を交換する。

こんなカンファレンスを、静かな地下の解剖室で病理医だけが集まって、延々と(およそ1時間)行う。同僚は皆、熱心な病理医で、その病理医だけの濃密な時間だ。病理医の少ない施設に長らくいたので、このようなカンファレンスは久しぶりで、とても嬉しかった。

最近は、病理解剖が減少傾向にあるので、余計に貴重な機会を逃さないよう、充実したカンファレンスを行なっていきたいと、熱心にディスカッションをしている同僚たちに混じって気持ちを新たにした。

テレビドラマに映ることはありません

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鎌倉駅の大屋根のツバメの巣

2017年06月22日 | 鎌倉暮らし

アジサイで大にぎわいの鎌倉界隈。

先週末の午前、用事があって北鎌倉駅で降りたらものすごい混雑、さらにはアジサイで有名な明月院に並ぶ人の列が駅のすぐそばまで来ていて驚いた。 もちろん鎌倉のアジサイの名所は明月院だけではなく、鎌倉駅を経由して長谷寺、成就院へ行く人もいる。また、アジサイはさておき鶴岡八幡宮にはほとんどの人が参拝する。鎌倉駅はこの時期、いつにも増して混雑する。そして駅に七夕飾りが置かれた数日前の帰り、自動改札の一つが通れなくなっていることに気がついた。どうしたことかと思ったら、この頭上にツバメが巣を作ったとのこと。そのフンが落ちて来たら大変と考えたのかどうか分からないけど、とにかく巣の真下に当たるところを通行止めとしたようだ。

通行止の改札機には「ツバメ子育て中」とある。

こう書いてあっても、なんで通行止にしなくてはいけないのかが分からない人は少なくないだろうけど、そういう人はまあ、仕方ない、分からないままで諦めてもらおう。

2枚目の写真で、上を見上げている人たちの視線の先にそのツバメの巣がある。この3月にリニューアルしたばかりの鎌倉駅の大屋根の下に、早速居をかまえたツバメの一家の巣だ。

写真の上の方の円の中で、ずいぶん高いところに巣はある。

以前の勤務先の病院の最寄り駅に毎年巣を作るツバメは知っていたけど、鎌倉駅は初めてのような気がする。少なくとも改札口というのはなかったのではないか。

巣からは雛が3羽、顔を出している。最初に気がついた駅員さんは、よく気がついたな、と感心したが、果たしてこの真下がこの改札なのかはよく分からない。とにかくここが安全と、親ツバメが選んだ場所なのだろう。確かに、カラスも猫もリスもやってくることはなさそうだ。

親ツバメは全体が見渡せるところなのか、少し離れたところにとまって周囲を警戒していた。大したものだ。

今年の通行止は1台でも、来年以降たくさん巣ができてもっと閉鎖することにならないか心配したが、鳥には縄張りがあるだろうから、この新しい大屋根の下に居を構えるのは、この先も、このツバメ一家だけだろうと、心配はしないでいる。

鎌倉のアジサイの見頃は、今週末あたりが最高だろうから駅は人でごった返すに違いない。ただでさえ改札口は混雑するだろうけど、やさしい気持ちで見守ってあげるしかない。

都市で生き抜く動物たち、という話を最近テレビで放送しているのを見たけど、これも動物と人間が共存していく姿の一つなのだと考えさせられる。

 ヒナが落ちてこないかが心配

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大雨と人間

2017年06月21日 | 日々思うこと、考えること

ずいぶんとひどい雨が降った一日だった。駅までの往復で濡れてしまったが、一番の雨雲が通り過ぎたのは日中で、その間私は窓のない部屋でひたすら顕微鏡を覗き込んで仕事をしていた。時々手洗いに立つときには、小さな窓から中庭に降る雨が見えるが、木もなく流れる雲もみえず、コンクリの床に降るのを見るだけでは、雨の程度も風の様子もあまりよくわからない。


雨が降るたびに思うのは、清掃局の方々のご苦労だ。今日はペットボトルと剪定材の日だったので少しホッとした。ペットボトルも枝葉もビニール袋に入れてあるのであまり濡れない。これが紙類の日だったりすると気の毒になる。かといって、回収を先延ばしされても困るので、申し訳なく思いつつもお願いすることとなる。


以前、このブログに、"コロ健さん(私のこと)は夏の炎天下で仕事をするようなことはないでしょう?"というようなコメントをいただいたことがある。たしかにそうで、そういう意味では私の労働環境は悪いものではない。そのコメントはそれきりで終わっていたけれど、炎天下で大変な思いをしながら仕事をしている人もいるのですよ、といいたいという想いを感じた。



風雨は天からの恵みであって、降らないでいたら困るのは私たちだけど、度が過ぎても困る。夏の暑さもそう。でも、自然に包まれて生きていくということは、人間が地球上で生きていくことの前提で、文明化が進んでも結局のところ自然から逃れることはできない。などということを、吹き返しの強い風の吹くホームで考えた。

帰ってきたらバラがだいぶ散っていた

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悩みなんて、心のゴミだから

2017年06月20日 | 生き方について考える

どれほど物事がうまく運んでいる時でも、嫌なことがふと頭をよぎることがある。他人から見たら杞憂と言われてしまいそうなことまであれこれ思いというのは生じるものだ。

プラス思考の人だったりしたら、そんなことが頭をよぎってもすぐに考え方を変えることができるのだろうけど、私にはそれがなかなか上手にできない。

 

それにしても、嫌な思いというのは次から次へと呆れるほど湧いてくる。深刻なものから、軽いものまで取り混ぜて出てくるのでどう整理したらいいのかわからなくなる。この前、テレビで”ゴミ屋敷”の話が出ていたけど、こういう”嫌なこと”というのは、”心のゴミ”なのかもしれない。

飲み終わった薬の袋のようなものから、捨てるに捨てられない靴、もう使わなくなった脚立。大小取り混ぜて色々なものがあるが、心のゴミも同じようなものなのではないか。そして、現実のゴミの一部は実際に私の心のゴミとなって、いつのまにか心の一部を占めるようになる。

その、ゴミ屋敷の住人さんも、最初は台所でとどまっていたゴミがやがて外へと溢れ出て、風呂場へと行き、最後には寝室まで侵食し、その家には住むことができなくなってしまったという。整理がなかなかできない人、モノを捨てることが下手な人というのはいるものだ。私も人のことは言えない。そして、心のゴミも行き場を失ったら同じようなことになる。

実際のゴミは人に頼めば物理的に捨ててしまってくれるけど、心のゴミは捨てにくい。私は心のゴミを捨てるのも上手くない。

悩みといえば、人間関係、過去のしがらみ、現在もめていること。そのほかにも、社会情勢、環境問題、政治腐敗からひいきのスポーツチームの成績、芸能だののゴシップ。人の悩みなんて、十人十色、挙げはじめたらキリがない。でも、それが嫌だからといって人から逃げ出すことはできない。その時々に、対応することは必要だ。全てから逃げ回ることなんてとてもできない。そもそも、人間何かをするときは、自分のために何かをするのだ。今ある自分の存在を否定することもできない。

でも、終わったら、心を切り替えてみようと思う。

心を切り替えたら、それまであったことはすっかり忘れよう。いつまで引きずっても、それは心のゴミにしかならない。

今ある嫌なことも、きっちり原因を突き止めて、心のあるべきところに、目に見える棚のようなところにしまい、いつでも捨てることができるようにしよう。

家と同じで、心にもキャパシティーがある。心はいい思い出だけで満たし、心をゴミ屋敷にしないために、心のゴミはしっかり捨てよう。

心も断捨離

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タイムワープな一日

2017年06月19日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

朝職場に入ったと思ったら、あっという間に昼で、気がついたらもう終業、なんていうことがある。
日が長くなっているので、お日様はまだまだ昼間なのに時間だけが過ぎていることになる。

隣同僚が、「ああ、もう4時過ぎ。タイムワープ(=タイムトラベル)しているようですよね。」と話しかけてくるともなく、つぶやいていた。

私にとっても今日はまさしくそんな一日だった。こういう日、たまにはあっていいけど、そうそうたくさんあっては困りものだ。
週明けだからまあ、こんなものなのだろう。
今週もいろいろある。
さて、明日から少しづつペースを上げていこう。

明日も明後日も・・・ではいけない

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父の日なんて

2017年06月18日 | 家族のこと

義父の命日で、墓参に。義父の命日は時々父の日と重なる。

横にいた妻に父は居るがもう会うことはできない。

その足で二人で東京の父のところに行き、ちょっとしたプレゼントを渡した。

私はまだ父と会って話すことができる。

私たちの誰しもが父や母を持っている。でも、誰もが父や母に会えるわけではない。父の日のセールの宣伝を見ながら、これでいいのかと思った。 こういう、父の日とか母の日、そんなに大々的にやらなくてもいいように思うのだけど。

 

私も嬉しいのですが

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太ってしまった(3)・・・ピラティスに挑戦!?

2017年06月17日 | スポーツ・健康・ダイエット

昨日からの続き)

往復4時間近くを通勤にかけている状況で、体を動かす時間をどうやって捻出するか。

都内の乗り換え駅の近くにあるジムに入会して、今のところ最低でも週に1回は行って体を動かしている。週末はできるだけ犬の散歩に出かけるようにしている。でも、それだけではとても足りない。

そもそも、歩く時間を30分にしたのは、脂肪が燃焼し始めるのが動き始めてから20分以降だからなのだけど、それだけの時間はどうやっても取れない。

まずは、朝晩、いつの間にかほとんど妻に送り迎えをしてもらっていた駅までの往復を、歩きにする。駅までは15分なので、通勤時間はついに片道2時間を超えてしまうことになるけど、仕方ない。時間は”捻出”しなくてはならないものだ。

あとは、電車の中しかない。

行きも帰りも、ほぼずっと座っていられるのだけど、これに甘んじてはいけない。どこかのタイミングでジムで習ったピラティスを行ってみよう。

ピラティスの動きはそれほど大きくはないので、ぎゅうぎゅう詰めの状態でなければ周りの人の迷惑になることはない。

行う動作は二つ。

一つは、呼吸法。鼻から軽く吸って、ゆっくり吐く。胸が開いて閉じるのをゆっくり感じることが大事だ。大きな筋肉を使ったら目立つので、小さな筋肉だけを使う。

もう一つは、その時、お尻に力を入れる。この時、使っている筋肉に意識を向けることが大事だ。ついでに瞑想のイメージも合わせることができるようになったらいいかもしれない。

まずは、これだけのことがしっかり、”自然に”できるようになることを目指そう。

大船東戸塚間は8分、横浜新川崎間は9分。駅と駅の間の時間を把握していたら、インターバル込みで体を動かすことができる。

どれほどの効果があるかはわからないけど、やらないよりはやった方がいいに違いない。

ただ、電車の中はメール出しとか、ブログ書きとか、論文読みとか、学会の準備だの、小説を読んだりとか色々と忙しい。PCとかスマホをいじりながら、ピラティスの動きができるようになったらすごいことだと思うけど、果たしてそんなことできるようになるだろうか?

変なおじさん、にならないように

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太ってしまった(2)・・・これが生活習慣病

2017年06月16日 | スポーツ・健康・ダイエット

昨日のつづき)

新しい職場に異動し、通勤時間そのものはそれほど延びていなくて、それほど変化はないと自分に言い聞かせていたが、実際には”ウォーキング”という大切な時間を失っていた。

これまでで一番短かった時でも、朝晩にすれば34分、長い時には朝晩合わせて70分も歩いていた。ところが、今は合わせて10分にもならない。”駅近職場”などと言って喜んでいる場合ではない。

短期間での急激な体重変動は病気の兆候だけど、これでは病気でなくとも体重が増える。いや、これは肥満という立派な病気だ。

そして原因は、

運動不足

これが、そうか。これまでの人生で、少しずつ上がる体重を見てそのとことを少しずつ感じることはあったが、これほど短期間に、これほど如実に体重の変化として直面することはなかった。

あちらこちらの風景の写真を撮りながらだったので、ちんたら歩いているようだったけど、それでもずいぶん歩いていたということになる。

なんとなくおかしいとは思っていた。4月の中旬ごろに、早くも通勤が少々辛く感じられるようになっていた。新しい職場にこれといったストレスがあるわけでもないのにどうしたことかとその時は感じた。

でもそれは、急に歩かなくなったことを脳がおかしいと察知したからに違いない。それまで長らく続けてきた習慣が急に途切れた時には、こういうことが起こる。

気分転換になっていいだろうと、その頃にはスポーツジムにも入会した。すぐに体は反応したようで、体重は減少に転じた。

”おお、このまま行ってくれるか”と思っていたのだが、体重はすぐに増加に転じた。短期的にすぐ動員されるような脂肪が減っただけだったのだろう。

”おかしい”。そこで今回の通勤時間の分析に至った。そして、原因を突き止めることができた。

 

ジムに行くと行っても、週に1、2度。毎日通うのは難しい。

衝撃的な写真のテレビコマーシャルで話題となったダイエットプログラムを提供するジムがある。あれは、相当な効果があるだろうし、嘘は全くないに違いない。

ただし、期間限定。

プログラム期間中はしっかり痩せるだろう。トレーナーもついてくれている。3ヶ月もあれば、10kgぐらい簡単かもしれない。

でも、その期間がすぎて、元の生活に戻ったら、その体型を維持し続けるのは難しいだろう。

 

リバウンド

 

別に、本人が悪いわけでも、そのジムが悪いわけでもない。人生そんなものだ。元の生活に戻るのはとても簡単。

だから、”生活習慣病”。

運動不足を解消するには、生活習慣を改善することが何より必要だ。だから、私が毎日朝晩、30分ずつ歩くということを通勤時間内に組み込んでいたことは、体にとって、とても良い生活習慣の改善だった。8年前に、それこそ”背水の陣”で歩くことを自分に課したことは全く間違っていなかったのだ。

 

仕事や何かの用が入ったとき、ジムには行かない。ところが、通勤における徒歩だったら抜くわけにはいかない。

実はジムに行くのも最近億劫に感じ始めていた。このまま、やめてしまおうかとも思っていたのだけど、運動不足解消の代替案が見つからない状況では、飽きたからといって、おいそれとやめるわけにはいかない。少なくとも、週に1度は行っておきたい。

それにしても、今度ばかりは難しい局面に立たされている。それでも、あの時、思い浮かんだようなことがまた閃くことを期待しているのだが。

果たして解決策は

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