ここ数日、夜明けの空は毎朝同じようで区別がつかないが、時間は徐々に早まっていて、実は少しずつ変化している。寒さは和らいで、少しだけひんやりした空気は体を気持ちよく目覚めさせてくれる。新聞を取りにでたついでに庭の草木の写真を少し撮って回った。すべてが少しずつ変わっている。
いつも思うが、モミジの葉は天ぷらにして食べてしまいたい可愛らしさ。ブルーベリーも小さな白い花をたくさんつけた。このあと実をつけるがあらかたリスに食われてしまうのだろうと思うとそれがちょっと残念だ。あいつら、少しは残しておけばいいものをことごとく食い尽くすので本当に困ってしまう。
新緑は新たな命を感じさせてくれるが、なんということはない、木々が夏にかけて一斉に成長していくための変化がまた始まったというだけと考えたら、当たり前のことだ。人間もそんなように劇的に姿を変えながら成長できたら面白いだろうに、それでも日々少しずつ変化していく。今日で退職、異動、そんな人が職場にも街にもたくさんいた。その一方で、油断して変わることを忘れ、旧態然とした姿勢のままでいたりする人もいる。
コロナ禍で劇的に世界が変貌しているのに変わろうとしない人たち、とくに政治家と官僚には本当に困ったものだ。彼らには自分たちの行動が社会に不利益を与えているかもしれないという謙虚さはないのだろうか。自分はそんなことに与してなどいないと言いはる人もいるだろうが、その集団の中にそういう人がいるということは自浄作用が働いていないということ。自分たちの社会的な責任を考え、特権意識を捨て去るというように変化して欲しい。
宴会やって更迭とは