こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

佐世保日帰りは少し遠かった

2023年10月31日 | 通勤・交通・旅行
今日は所用で長崎佐世保へ。
友人にはハウステンボスで講演でもするのかと訊かれたが、まさかそんなのではなく地味な日帰り仕事。
暗いうちに家を出て、ベイブリッジの上から朝日を拝んだ。

佐世保に来たのは初めてで嬉しいといえば嬉しいのだが、もうあちこち行きたいという歳でもないし、そもそも飛行機はあまり好きではないので仕事でなければわざわざ行くことはなかっただろう。
先日、ご近所の元国際線のパイロットの方をわが家にお招きして一緒にお食事をした。
飛行機に関するいろいろな話を聞かせてくださり、空の安全がどの様に守られているかを知った。
そういうことを知ってから乗ると随分見方も変わるものだし、保安検査から始まって、旅行カバンの重さまでがいかに重要かがよくわかる。
長崎空港からバスで佐世保入り、商店会のなかほどには白井晟一の手による十八銀行本店、おお、日曜美術館でいたのと同じだとちょっと感激した。
商店街を抜けたところの病院で仕事。
終わったら外はもう夕闇。
佐世保駅に戻って、港の方をちょっと散歩。
さすがは元軍港で、自衛艦が停泊していた。
帰りのバスからの景色は真っ暗で何も楽しめず。
行きは空いていて快適だったが、帰りは結構混んでいてちょっと気分が悪くなった。
次の講演の準備をしてなんとかやり過ごそうと思う。
次行く時はハウステンボスに

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人はなんのために生きているのか

2023年10月30日 | 生き方について考える
昨日一昨日、私は日本ののどかな休日を1日過ごし、日本という国がいかに自由で平和であるかを実感した。
渋谷のセンター街には外国人を含め、老若男女が楽しげにウロウロしていたし、鎌倉のお祭りには何万人もの人が各地から集まった。
多くの人がそれぞれ楽しい時間を過ごしていた。
平和=命の保障がある、ということであれば、いまのところ日本ほど自由で平和な国はないのではないだろうか。

情報が瞬時にそのまま伝わる時代となり、同じ地球上の遠く離れた国で多数の人が殺されていることがわかる。
それぞれの立場、考え方もわかる。
イスラエルによる侵攻が進むパレスチナガザ地区では飢えと略奪が起きていて、状況は混沌としている。

ハマスは、人質を取り、自国内では最も攻撃されにくい病院の下に司令部などを作っている。
人間の盾だ。
もし、私が空しか見えない壁に囲まれた土地に、人間の盾として生まれていたら、どんな人間になっていただろう。
いかなる状況でも生きようとする力を持たなくてはならないのだろうが、この様なことが続いたら私は絶望しか無い人間になっていたに違いない。

今、ウクライナとパレスチナ、二つの地域で殺し合いが行われている。
当事者は武力しか解決の道はないと考えているのだから、この様になってしまったが、解決の道はなぜ武力だけなのか。

理屈だけではなんともならないこと、理不尽なことに立ち向かうためだけに生まれてきた人がいる。
でも、その人たちにもきっと希望はある。
どうしたら、その希望を実現可能なものにできるか、でもそれが他人の希望を奪うものであってはならない。
人間の存在をどう考えたらいいのかがわからなくなる。

死ぬために生まれてきたとはいえ

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日本人のお祭り好きは平和のあかし

2023年10月29日 | 鎌倉暮らし
今朝は雨が降ったり止んだり、鎌倉で大きなお祭りがあるので心配だったが、降っても小雨だった。

昨晩、高校の同窓会の打ち合わせで渋谷に行った。
よせばいいのにと思うが、去年も同じ週末に行っていたので呑気なものだ。
スクランブル交差点には多くの人が来ていたが、警察も頑張って交通整理をしていて混乱はなかったようだ。
ハロウィン本番は明日の夜だからまだ気は抜けないだろう。

そして今日は円覚寺の洪鐘弁天大祭

詳細はリンク先を読んでいただくとして、なんと60年に1度の祭り、交通規制もしっかりして多くの人が楽しんだ。
私も朝から沿道に並んで昼過ぎまで見物した。
久しぶりのお祭りで心も洗われた。
クライマックスでは円覚寺の中にお神輿が入っていくのだが、考えてみると仏教と神道が一緒だ、日本のこういう精神性が他の国にもあったら平和なのにと、隣の外国人観光客と話した。
たくさん歩いた

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これからの日本はどんな目標を持って進んでいったらいいだろう

2023年10月28日 | 日本のこと、世界のこと
行楽日和の晴天。
もちろん鎌倉にはたくさんの人がきている。
今日はいつもより少しゆっくりめに出てきた。



世界は混沌としていて、誰も先を見通すことなどできなくなっている。
中国では政権内でさまざまな動きがあるようで、昨日は李克強元首相の死去が伝えられた。
ワグネルのプリコジン氏はやはり殺害された様で、消息は一切消えてしまった。
人は死ぬと過去のものとなり、やがて忘れられていく。

日本のGDPがドイツに抜かれ世界第4位になりそうだということだが、そのうちインドにも抜かれて5位になる日も近いだろう。
日本がこんなになってしまったのは、外圧による骨抜き政策によるものだと私は思っている。
その際たるものは週休2日だろう。
そして、プラザ合意によるバブル崩壊。

日本は外圧を跳ね返すことができないまま、いよいよ少子化に突入してしまい、日本人は目標を持つことができなくなってしまった。

もともと、お山の大将的な考えの人が多いので、口では”オールジャパン”と言っても、実際に協力して世界に挑戦しようということができない。

医療の分野でも、日本中のデータを集約したらそこそこ世界に伍していけるのに、それができない。
自分の施設だけの小さなデータで書いた論文など誰も読まない。
かといって、”オールジャパン”になったら、今度は協力はするけど汗をかくのは真平だ、ということになる。
これではどうしようもない。

外圧+日本人独自の価値観=国力の低下

負のスパイラルから脱するにはどうしたいいだろう。

日本は不死鳥でいられるか

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人は笑顔に集まってくる

2023年10月27日 | 人間関係
昨日の講演を乗り切ることができて、ちょっとホッとした。
今朝のBGMはおとといまでのクラシックからエド・シーランに変えた。
気持ち悪いことだが、心なしか口元が緩んでいるのがわかる。
逆にいうと、昨日までどれほど不機嫌そうな顔だったかということ。

よく言われるのだが、私は仕事でテンパってしまうと顔が怖くなるらしい。
自分ではその様なことはないと思っているが、たびたびそう言われるのだからそうなのだろう。
気をつけなくてはいけないと思っているが、自分でそのタイミングを掴むのは難しいことだし、分かったとしてもその時に怖い顔になっているのかどうかが分からない。

再来週に1時間ものの講演が待っている。
講演内容は教育的なものなので、これまでの仕事をまとめるだけで済む。
怖い顔になってしまうことがない様に早めに準備を進めよう。

毎朝、出かける時には妻に、
”今日も笑顔でね!”
と言われる。
そのたびに、口角を上げ、"笑った様な顔”を作って出てくる。
人は本当の笑顔にだけ集まってくるわけで、取ってつけた様な笑顔などだれも見向きもしないだろうが、今日の私の笑顔はどんなだろう?
周りの人に幸せになってもらいたいと、よく思っているが、幸せな気持ちにさせないでいるのは私の方の問題なのかもしれない。
はい、チーズ

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結局そのまま講演へ突入

2023年10月26日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今日は講演で福岡に遠征。
この間小倉まで行って、新幹線では辛いと悟ったので飛行機。
(国際線ターミナル越しに富士山)
飛行機は満席で、パニックになるかとちょっと心配したが、発表スライド作りに専念して、小一時間をなんとかやり過ごした。
とはいうものの、飛行機の中で散々唸っても、さらには会場に着くまで粘っても、結局いいアイディアは降ってこなかった。
そんなわけで焦りは募るばかりだったのだが、会場に着き旧知の臨床医や病理医と立ち話をするうち話が見え始め、ストンと腑に落ちるところがありスライドを少し手直ししただけでそのまま話した。
司会の手際もよく、多くの人が発言してディスカッションは盛り上がって。
全セッションが終わって外に出たら、空には残照。
それにしても参加者のみなさん、一日中、熱心に聴講、発表、ディスカッションをしていたものだ。
どんなところでも勉強する人は勉強している。
質問の内容、発表の内容を聞いているだけで勉強になる。
いつも思うが、雲の上の偏差値の医学部に入った人たちとディスカッションすることができるなんていうのはありがたいことで、元来怠け者の私はこういう人たちに巻き込まれて引っ張っていってもらうしかない。
それはそれでいい。

今日も1日いい天気だったよう、空には雲ひとつない。
そして、いい月も。

帰りの飛行機では別のスライド作りに手をつけたが、これまた大変そうで、とりあえずは今日のエントリーを仕上げることにした。
羽田までは電車、福岡空港からも地下鉄だった、ある意味どこでもドアの様なものだ。
明日の締め切りにはちょっと

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アイディアよ降ってこい!

2023年10月25日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
少し曇りがち。
昨日、インフルエンザワクチンを打ったが、新型コロナウイルスワクチンほど痛くない。
筋肉注射ではないので当然といえば当然だが、それにしてもずいぶん違うものだ。

例によって時間が無くなってきた。
明日はちょっとした講演があるのと、今週いっぱいが締め切りの講演スライドの事前提出がある。
とりあえず今週がちょっとした山で、切羽詰まれば何か出てくるだろうと高を括っていたのだが、なかなかアイディアが降ってこないでいる。
ここ数日講演内容のことで夜中に何度も目を覚ましているのだが、何も浮かんでこないのだ。

疾患概念がなかなか落ち着かず、2、3年前の話が遺伝子解析導入のせいで余計にややこしくなっている。
ちょうど、肉眼所見と顕微鏡所見と遺伝子情報が入り混じっている状況で、では診断には何が一番大切か、ということがディスカッションのポイントになる。

画像所見を含む肉眼所見は、病巣への直接のアプローチを考える上で、とくに外科的治療に最も大切なこととなる。
でも、私たち病理医が観察・診断する顕微鏡所見は病気の発生・進展を考える上で必要で、かつては肉眼所見と顕微鏡所見をあわせたらそれで病気の大半は方がついた。
それが遺伝子解析が一般的になってきたせいで、流れは大きく変わってきた。
肉眼的、顕微鏡的に同じに見えても、遺伝子異常の種類によっては発症機序が異なってしまう。
治療は同じ、所見も同じでも、将来的に何が起こるかわからないということになる。

などと、話すことをまとめていたら、考えが少し降ってきたので、今日のブログ書きはここまでにして、まずは明日のスライド作成に取り掛かることにする。
集中力

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こんなことでマスクをつけるようになるとは

2023年10月24日 | 日々思うこと、考えること
少し冷たい空気が寝起きには気持ちが良い。
今年は秋らしい秋が続いていて、短くなったとかなんとかいう文句はつけられないように思う。
ちょっと困るのは、乾燥気味で喉がヒリヒリすること。
とくに電車の空調は余計に乾燥していて今日はマスクをつけた。
アフターコロナでマスクをつけるのは本意ではなく、できたら2月3月の花粉症の時期まで粘りたかったのだが、今度は咳が止まらなくなると、おかしなことになって困る。

このことをしよう、このことに使おうと思っていたことが最初の思惑と異なることになるのを何と言えばいいのだろう。
見込み違いとか見当違い、それとも計算違いでもなるのだろうが、どれもちょっと違う。
こんなはずではというか想定外、か。


東日本大地震は東電にとっては想定外の大地震と津波で、さらにはその事後処理も想定外のことの連続。
この先、何十年もこのようなことが続いたら、処理水もずいぶん出てしまうはずで、一体どうなるのだろうか。
処理費用は電気代に跳ね返ってくるのでひと事ではない。
でも、想定など、人が勝手に決めたことで、甘くしようとしたらいくらでも甘くなる。
石橋だって落ちる時は落ちる。
マスクも、コロナ禍がなければ、花粉症対策、それこそ空気の乾燥対策ということにでもなるのだろうが、そうはいかなかった。

人生、一時が万事思った通りになどいかない。
思っていたこととは逆のことが起こると覚悟しておけば落ち着いて対処できるかもしれない。
そうすれば、落ち込む前に反撃に出ることができる。
備えよ常に

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それぞれの国、人々の民主主義

2023年10月23日 | 日本のこと、世界のこと
週末に季節は一歩進んで、先週は半袖の上にジャンパーだったが、きょうは長袖を着ている。
空気は乾いていて、穏やかなひがもう少し続くようだ。
今年は鎌倉も紅葉が期待できるのではないかと思っているが、どうなるだろう。

EU本部のあるブリュッセルでパレスチナ問題に関する大規模なデモが行われたというニュースを見た。
一般市民の政治への意識の高さが見える。
日本でそんなことをしたら特定の政党の差金かと思われるのが関の山で社会全体に問題意識を広げることなどできない。
こういうところが民主主義を自ら勝ち取ってきたヨーロッパの国々と日本の違いだが、逆にいうとそれはヨーロッパというごく一部の国でのことで、世界中では日本のような国が圧倒的ではないか。

血で勝ち取った民主主義、その民主主義を輸入して始まった民主主義、解放等なのもとに始まった民主主義、実質的には独裁政治に陥っている民主主義、いつ軍部が出てきてしまうかわからない民主主義、そのほか様々な形の民主主義がそれぞれの国にあり、機能していたり機能不全に陥っていたりする。

日本では昨日、衆参の補選がそれぞれ一つ行われた。
選挙結果に対する評価は与野党それぞれあるが、いずれも論点は経済対策、それをどうするかの方法論になってしまっているのではないだろうか。
公約にはほかのことも含まれているだろうから、世界における日本のプレゼンスを述べてもいるのかもしれないが、結局、世界のことより自分たちの生活の方がよほど大切で、例えば私もガソリン税は安くしてほしい。
ただ、ウクライナ、パレスチナの安定は世界の食料、エネルギー問題に直結するので、そういう観点から和平交渉についてが話題になってもよかったのではないか。
いずれにせよ、これが日本の民主主義なのだ。
二人とも男

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アイ・オブ・ザ・病理医

2023年10月22日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
半日仕事のあと、職場を出たら、アプローチの横にシロツメクサが群生していた。
ふと、四葉のクローバーを探す名人という人がいたのをテレビで見たことを思い出した。
そういえば、私は病理医なんだから、四葉のクローバーを認識しようと思ったら、案外簡単にできるのではないかと思って、少し顔を近づけてみたらあっさり見つかった。
コツはわからないが、病理医の目、というかそんなものがあって、どこかで普段の顕微鏡仕事で腫瘍細胞を見つけることと共通することを無意識にやっているのだろう。

昨日はその後、都内で病理学教室の同窓会があった。
私(コロ健)は某医科大学の出身で、そことは別の大学の病理学教室に入った。
学生時代に病理学の薫陶を受けた素晴らしい先生がいて、その先生の弟子になりたかったのだが、当時は助教授(今でいう准教授、その後他所の大学の教授になった)で弟子をとっても学位を取らせるまでの面倒を見てやれないので、その先生の出身校の病理学教室を紹介してやると言われてそちらへ進んだ。

紹介された病理学教室は伝統ある名門で、入った時から今に至るまで分不相応なところと思っているものの、かれこれ30年以上のお付き合いとなってしまった。
今年、久しぶりに対面での同窓会を開くというので出席した。
コロナ禍でしばらくお会いしなうちに何人かの先生が鬼籍に入り、定年で引退された先生もずいぶん老けてしまっていて、時間が経つのは全く早い。
そうかと思えば、ひとまわり下の後輩がどこかの大学の教授になっていたりして、自分だけ年が止まっているような気もする。

何はともあれ、お世話になった先生、見たことのない若手等々あれこれの人と立ち話をしたり、会釈だけで済ませたりするうち、距離感というのはいつまで経っても変わらないものだと余計なことを考えた。
会が終わってからはよく飲むメンツで飲み直し、あれこれ語り合った。
私の愚痴も少し聞いてもらうと、誰も同じような人間関係問題を抱えていて、そうならないようにするにはどうするかという話になりずいぶん役に立った。
人間しょせん一人とはいうものの、愚痴を聞いてくれる仲間がいるというだけでもずいぶん幸せなものだ。
病理医は一人というわけではない。
見つかったのはたまたまかも

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考えなくてはいけないのは私のことか社会のことか

2023年10月21日 | 生き方について考える
パレスチナとイスラエルの問題は落とし所がなかなか見つからないようだが、そこにいる人たちの命は日々削られているということを忘れてはいけない。
日本という安全地帯にいる私が何を考え、何を発信したらいいのかはわからないが、ウクライナ問題とともにとにかく何かを考えなくてはいけない。
私のような一市民がどのような立ち位置にあろうがどうでもいいが、それは日本政府にしてもあまり変わらないような気がする。
米国ですら何ら有効な手立てを持っていないのだから仕方ない。

パレスチナ人とユダヤ人、武装組織と一般人、武力と石油、その他もろもろのことを一つ一つ分けて考えたとしても、いったんほぐした糸を一本に再び撚り合わせることは不可能に近い。
それでも考えなくてはいけない、いや、考えてしまうのが人間だ。

世界で大きなことが起こっている一方で、瑣末なことにも悩まされる。
指先に薔薇の棘が刺さっただけでどうしようもないほどの苦痛を感じて、絶望してしまうことすらある。
そうすると、例えばワクチンを打つ打たないも、大きなお世話で、他人から見たら勝手にしろというような問題ではないか。

人間に与えられた時間は限りがあって、その中で衣食住とともにあれこれ考えながら生きなくてはいけない。
ずいぶんと忙しい話だが、そのことをやめてしまったら、それが自分自身に帰結する問題だとしても、人間としての存在価値はずいぶん軽いものとなってしまう。
続けること

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人生を楽しんできたか、楽しんでいけるか

2023年10月20日 | 生き方について考える
強い南風が吹いていて、今日の鎌倉は生暖かい。
ところによっては雨が降って、季節がまた進む。
今のところ時速60キロの人生
谷村新司さんが74歳で亡くなった。
このところ夜空が澄んでいて星がよく見えるので、昴を探した。
オリオン座からまずはアルデバランを探し、そのもう少し上に、ぼんやりとした青い星団を見つけた。
それにしても74歳とは若い。そう思いながら、しばし夜空に目を凝らした。


この前、私より歳の若い病理医二人の雑談が耳に入った。
まだ30代の若い方が、

 80までは生きたいですね、といってもまだ40年以上か。

と言い、相手の年長の方が、 

 うーん、あと30年か、なんとかなるかな?

と独り言で応じていた。

もうすぐ還暦の私には20年、二人とも若いなと、そして自分がもう棺桶に片足を入れていると感じた。
彼らにとって、というか人間だれしもその辺りが潮時なのだろう。
私もそう思ったし、その先は認知症にならないでいたらもうけものだ。
一寸先は闇だが、癌などの重病に罹るということがない、とか日本がどこかの国との戦争にならないと仮定して、残り20年、どうやって生きよう。

生きていく上で何よりも大切なことは、その長短にかかわらず、人生は楽しいものでなくてはいけないということ。
これまでの人生を振り返るとその時々は死にたくなるほどとても辛いと思えることが山ほどあったし、今でもほうりだしたくなるようなことがいくらでもある。
それでも今、私はこうして生きている。
天の配剤と言っていいのかはわからないが、生きているということ、生かされていることだけでもとてもありがたく、結局のところこれまでの人生、そう悪いものではなかったとも言える。

人生を楽しむ、などというとクレジットカードかサラ金のキャッチフレーズのようだけど、お金がなくても楽しむことはできる。
何より大切なのは周りの人とうまくやること。
人間所詮一人とはいえ社会生活抜きには生きていけず、その上で人との接触を避けることはできない。
人とうまくやるということは、他人のことを思いながら生きるということであって、今の言葉で言ったらダイバーシティを意識するということ。
気がつくのが遅かったように思うが、今がスタートと思って始めてみたら人生がもっと楽しくなるような気がする。
一人でも多くの人が幸せに

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気持ち、考えてあげましたか?

2023年10月19日 | 人間関係
人間関係で困っていた。

あれこれの人に相談もしてもなかなか埒が開かず、途方に暮れていた。
先日、これまでにも何度か悩みを相談したことのある友人に話したら相原因を教えてくれた。

 その人、こういう傾向ありませんか?

といくつかの行動パターンを尋ねられ、心当たりがあると答えたら。

 やっぱりそうですか、そういう人いるんですよ、先生はあまりそういう人に会うことがないからわからなかったんでしょうね。
 僕は、先生よりは人と会うことが多いから、初めて人と会う時にはそういう傾向がないか、必ずみますよ。

 先生、その人の気持ちちゃんと考えてあげなくちゃ。
 その人は悪い人じゃないんです、サボっているわけでもない。
 一生懸命頑張っているんですよ、それを先生はそれをちゃんとみてあげてきましたか?

と言われ、そういうことだったか、そういうタイプの人がいるのを知ってはいたが、あらかじめそのことを知っていたからといって、どうにかできたかはわからなかった。
こんな状況になって、やっとそのことがわかった、というかその人に大切なことを教えてもらった。

これまでのことを思い出し、どうしようかと考えたら、私に非があり私から謝る以外に解決策は無いという結論に至った。
案ずるよりは産むが易し、どうせいつか謝るのなら早い方がいいとすぐに謝った。

すでに形式的には謝っていたが、改めて考え違いをしていたということを伝えたらよく聞いてくれた。
すぐには修復できないことかもしれないが、ギクシャクしていたことは解消されそうに思う。
途方に暮れていたのは何も私だけではなかった。



人間やはり相手の気持ちになって考えることが大切だ。
誠実に生きている人に対してはとくにそうだし、その生き方を否定してはいけない。
私というのはつくづく単純な人間で、人には善人と悪人しかいないと思っていた。
でも人間はずっと多様で、善人の中にだっていろいろな人がいて、上手に立ち回ることのできない人もいる、そういう人のことを責めたり否定してはいけない。
そういうことがわかる人というのは多くの人と仲良く生きることができるし、そういうことがわからない人というのは時としていじめっ子とまでなってしまう。
これまでそんなよくことわかっていると思ったが、ダイバーシティとは何かが分かっていなかった私はなにもわかっていなかった。
傲慢だった

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もう10月半ばすぎ、というより気がついたら今ってもう2023年だよ

2023年10月18日 | 生き方について考える
昨日、新型コロナワクチンの7回目を打ってもらった。
前回(5月)同様、オミクロン株XBB.1.5。
結局のところマスクをしないでいても罹っていないので、不要かもしれないが、費用負担もなく、因縁をつける筋合いはない。
例によって、一晩明けても左肩がズーンと重く痛いが、こればかりは仕方ない。
インフルエンザワクチンもあるが、これは来週に打ってもらうつもり。

それにしてももう、10月も中旬から下旬に移るところだと思ったら、びっくりしたが、それよりもカレンダーを見たら2023という数字が目に飛び込んできた。
2023年、それももう年末に向かっている。
『2001年宇宙の旅』がSF映画の最高傑作と思っている人間としては、その設定年を20年以上もすぎてしまったのはちょっと長生きしすぎたんじゃないかとさえ思える。

時間を感じるスピードというのは、年齢×時間に例えることができると聞いた。
すなわち1歳児は時速1キロで動いているだけだが、20歳で時速20キロ、60歳だと時速60キロで走っていることになる。
90歳にでもなったら時速90キロだからあっという間に毎日が過ぎているのかもしれない。
あと、10年も経ったら私も時速70キロで走行することになるので、だいぶ快適か。
でもその時なんのために走っていると思わないだろうか。

次から次へと新しいことが目の前に出現していた右肩上がりの時代の人たちは、この先にも何かワクワクできそうなことが起きると思い、少しでも長く生きていたいと思ったかもしれないが、AIがこの世を支配するようになる未来に楽しみを持つことは難しい。
結婚、子育てすら、人類にとっての必要性不明瞭となってしまった今、では何を目標に、何に対してモチベーションを上げていったらいいのだろう。

どれほどのスピードで走ったところで、結局のところ人間はその目標を見つけることなどできないまま、いつの間にか歳をとっているのかもしれない。
余命に対してかも知れない

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生きるために争うということ

2023年10月17日 | 日本のこと、世界のこと
圧倒的な火力を有するイスラエルが総力を上げて攻撃したら、そこにいるパレスチナ人のすべてを殺してしまうこともできるだろう。
イスラエルが行おうとしているのは、あくまでもハマスによる奇襲攻撃に対する反攻だが、それをアメリカが日本による真珠湾攻撃に対して、最後は原爆まで落として多数の一般民間人を殺戮したことと比べてしまう。

あの時アメリカはハマスに相当する軍部を解体することが目的だったのか、武力的にこの国を制圧することが目的だったのか、どちらだったのだろう。
GHQは日本をどうしたかったのか、どうしたのかということはもう歴史の彼方にある。
もちろん、具体的なことは記録に残されているものの、意思決定がどのようになされたかということ、今となってその結果をどう評価するかはその後の日本の歴史を考えるとよくわからない。
人類の愚かな歴史はこうして繰り返されていくのか。



万物流転、ある瞬間から先には無限の可能性があるが、その無限分の1の細い道を全ての事象が受け入れながら時間と共に進んでいく。
正しい選択だと思っても、それは別の視点からは全くの誤りであることは往々にしてある。

全ての人に受け入れられることなどあるわけないし、そもそも人間の存在は他の生物にとっては邪魔なだけかもしれない。

この国のあちこちでクマやイノシシの駆除の問題が起こっているが、それは人間がクマやイノシシの領域を侵しているからで、クマには武器がないので一方的に殺されているだけだ。
人間同士の戦争を、動物の駆除の話と一緒にすることはできないものの、生存のためという大義という点からは似通ったことではないだろうか。
正義は規定できない

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