こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

平成最後の日は通常勤務と床屋

2019年04月30日 | 日本のこと、世界のこと

平成31年4月30日、平成最後の日。私の平成最後の出勤日は残念ながら朝から大雨。休日ダイヤで電車の本数が少なくて、いつも以上に乗り継ぎの時間が気になってしまったが、それはなんとか間に合った。

今日、天皇陛下が退位される。即位されてから30年間、ご公務お疲れ様でした。

勤続30年というのは大変なことなうえ、公私もない激務の上に、転職もままならないことを考えると、大変なお勤めであったことと拝察される。

 

元号を使い続けるかどうかについての議論がこの前あった。外務省が西暦を優先したいというようなことを言ったらずいぶん叩かれたみたいで、話は立ち消えになったようだ。病理診断をしていると生年月日が元号、たとえばS25年などと書かれていると即座に西暦に換算することができないので、自分の誕生年(昭和38年)の西暦(1963年)から13を引いて、1950年を出し、2019から引いて、69歳とだす。でも、平成は困る。基軸になる年がないのだ。せめて、1990年が平成元年だったら良かったのに、平成元年は1989年。1990年は平成2年だ。息子の誕生年が平成6年なのは覚えているのだけど、西暦(1994年)となるとすぐに出てこない。娘のそれにしても同じようなものだ。かといって、暦全てを西暦にしろと言われたからといってそうしたらいいかというと全面的に賛成はできない。複雑なものがある。履歴書にしても、公的文書にしても元号が多く使われているが、それらはそれらで元号が使われていると偽造防止とかにもなっていいのかもしれないと思うのだが、時系列として捉えるのはやっぱり大変だ。大河ドラマで元号で表記されるとよくわからないのがいい例だ。

明日から時代は令和、果たして、令和は30年続くのだろうか?仮にそうなったとして30年後というと、私は85歳。生きているかもわからないし、仮にそうだとしても元号そのものがよくわからなくなっているに違いない。

仕事が終わってから床屋に寄った。病理学会までの間、時間が取れそうもないので予約を入れたら、今日は平日扱いでやっているとのこと。平成最後の日にさっぱりできて良かった。

有楽町まで来ていたので、和光の時計が平成最後の時を刻んでいるのを写真に撮っておこうと、小雨の中を少し歩いた。どうせなら20時ちょうどにしたら良かったのだが、銀座は外国人観光客でごった返していてなんとなく落ち着かず、そそくさと帰ってきた。

 

令和も平和な時代でありますように

 

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かえってきたカマキン、ではなく鎌倉文華館鶴岡ミュージアム

2019年04月29日 | 鎌倉暮らし

神奈川県立近代美術館鎌倉、鎌倉近代美術館、愛称カマキンが閉鎖(さよならカマキン(神奈川県立近代美術館 鎌倉)20160130 )となってから3年と少々、リニューアルオープンとなった。

正確には神奈川県を離れて、鶴岡八幡宮の鎌倉文華館鶴岡ミュージアムとして戻ってきた。

板倉準三1951年に建てた時の建物を元に耐震処置や防火対策が施されたというようなことが説明のビデオで紹介されていた。

外装の大谷石は洗ったのかと思ったら、大部分は新しいものに変えられていた。

鶴岡八幡宮もずいぶん頑張った。

以前のような彫刻がなくなっていたのは残念だけど、新しい歴史を作ってくれるのかもしれない。

かつての階段は使わなくなったよう。

この先どんな展示がされるのか、楽しみ。

カマブン?

 

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雨上がり、新緑の鎌倉

2019年04月28日 | 鎌倉暮らし

鎌倉は昨日ずいぶん雨が降ったようだけど、雨に洗われた新緑が眩しい。空気も澄んでいる。

昨晩帰ってきたときの肌寒さ(7.5度!!)は今朝起きた時も続いていたけれど、日が高くなるのに合わせ気温も上がった。少し寝坊となってしまったけど、ナイトの散歩に山から下りて近くを少し歩いたら、ほかにも散歩の犬が多くいた。

近くのお宮の緑も美しかった。我が家のもそうだけどほうぼうのお家の庭からジャスミンの香りが漂ってくる。のんびり歩きながら深呼吸する。やっとゆっくりできて嬉しいのだけど、1本原稿の締め切りが近づいていることをふと思い出してしまう。病理学会での(ミニ)講演とともにちょっと気になる。

散歩から帰ってきて裏山を見上げたら山藤が満開。先日まで咲いていた山桜のそばの枯れ木に寄りかかるように育っていて、うっすらと藤色の花が見える。

今日は、余計なことは考えないようにして、新緑を眺めながらゆったりした気持ちで1日を過ごすようにしよう。

休める時にはゆっくり休む

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ヒンヤリ(世間は)10連休

2019年04月27日 | 日々思うこと、考えること

改元というか天皇家の代替わりをゴールデンウィークに重ねたことで、今日から世間的には10連休。感覚としては2週間足らずが休日ということになる。そんなに休んで日本は大丈夫なのだろうかと思うけど、2/3ぐらいの人はほんとうに10連休らしい。病院はそうもいかないので、営業している。外来も手術もない今日もやっていれば、病理にも仕事は自動的に入ってくる。連休という言葉はどこからくるのだろう、と思っているうちに突入した。

5月の第2週には第108回日本病理学会総会があるので、出番が少しある私としてはその準備もある。このところ、忙しすぎるような気がしているので、少し寝坊してゆったりした気持ちで過ごすことができたら体にはいいけど、少なくとも今日は朝から仕事。

さて、その10連休、そもそも土曜が休みという人でないと休みは10にはならないが、朝の電車はとても空いていたから、そういう人は多いのだろう。でも、通勤の人も少なからずいた。せっかく電車が空いていたから、車内では4月いっぱいが締め切りの原稿書きをした。そして病院に着いたら標本が山積みだった。それでも電車が空いていたというだけで、精神的にはずいぶん楽になった。

ところでこの連休、前半は曇りがちということ。10日もあることだからずっと快晴とはいかないだろうけど、私が休みの日は好天になってほしい。

数日前から少々寒く、今日もヒンヤリとしている。

山などは大荒れになるというから、連休中に山行を計画している人は無理のないように十分注意してほしい。

ハイビスカスの新芽が出てきたけど、寒さで縮こまってしまって、次の葉が出てこないでいる。

ルピナスは多年草だった!

新緑は目に染みる

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ふと、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド

2019年04月26日 | あの頃のこと…思い出話
FMヨコハマを聞いていたら、昔よく聴いていたフランキーゴーズトゥハリウッドの”リラックス”、が流れてきた。
”おー、なつかしい!”と聴き入ってしまった。やっぱりいい曲(歌詞はいただけないが)。
平成が終わろうとしているけど、この曲が大ヒットしたのは1983年、昭和58年の曲。私の感覚はまだ昭和のままということで、こんなんで令和に突入していっていいのか、不安になる。
カルチャークラブの”カーマは気まぐれ”も1983年だというし。じゃあ、a-haの”テイクオンミー”は?と思ったら、1984年。わたしゃ化石か。
ここで改めて、平成元年はいつかというと30年前の1989年で昭和64年。うーん、1980年代というとずいぶん最近のような気がしていたのだけど、やっぱりずいぶん昔ということになる。それで、令和元年は2019年。平成の30年間をまたいで生きることができたというのは、幸運だと思う。人の命は死と背中合わせということを忘れずに生きていたい。

そんなんで、ムキになってググってみても、出てくるのは1980年代が中心。つぎに当たったのはユーリズミックスの”スウィートドリームス”これまた、1983年。やっぱり二十歳前後が一番記憶に残っているのだろうか。

これより前となると、ローリングストーンズ、キッス、クイーンとなるのだが、これらの私がハマりまくっていたバンドはさすがに昭和。”ボヘミアンラプソディー”(1975年!)がリバイバルヒットしているということを考えると、昭和は良かったといってもバチは当たらないだろう。

令和になってもいいものはいい

意地悪がわかるのは自分が意地悪だから?

2019年04月25日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
なんだか昨日(最近意地悪な私)の続きのようにな話になってしまうけど、もう少しお付き合いください。
 
 
意地悪といえば、私もしょっちゅう意地悪される。それが意地悪されているように感じるからなのか、本当に意地悪されているかはわからない。
 
私自身がそれを意地悪と感じるかが問題で、意地悪と感じなければ意地悪ではない。意地悪をしてくる相手に意地悪をしているという意識がなければ意地悪ではないかもしれない。でも、受け止める方が意地悪だとかんじたら、それはやっぱり意地悪で、言い換えるとハラスメントに近い言葉に言い換えることができるかもしれない。
 
ところで、動物は意地悪を知らないから意地悪をしない。
 
だから、コロは嫌なことをされたら怒ることがあるけど、それは身を守るためで私に嫌なことをしようと考えて噛み付くわけではない。彼が嫌なことをやめさせるために怒るのだ。ナイトも意地悪をされるということを知らないから、ずっと足元でイビキをかいて寝ている。嫌なことがあったらその場を去る。人間に噛み付いて殺してもしょうがないのだ。意地悪を知らないというのはそんなことだ。逆に、犬は意地悪を知らないから、犬たちは私たちに意地悪なことをしてこない。
 
人間にしても、しょせん動物だから意地悪にも目的があるのかもしれない。人の足を引っ張ると単に面白いとか、自分ファーストで行動したいからとか。そうやって生きていったら楽なのだろうけど、社会とはそういうものではない。周りに意地悪ばかりしていたら誰も近づいてこなくなる。その方が気楽かもしれないが、孤独は寂しい。孤独にならないために、意地悪ばかりしていては社会の中では生きていけない。
 
 
私が最近意地悪なのは反省しなくてはいけない。そして私が意地悪なのは他人に意地悪をしているからそれがわかるのかもしれない。意地悪はイジメにつながり、社会生活の中では各種のハラスメントとなる。そのどれもが相手の立場に立つという思いやり、想像力が欠如するから起こることだ。
混雑するコンコースで立ち尽くしている人を手伝うことはできないかもしれないが、そういう人を邪魔だとは思わず、心の中で”大変ですね、がんばって!”ぐらいの温かい気持ちは持てるようでいたい。
そうすればこの血圧も多少は下がるかもしれない。
 

犬の心で

 

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最近意地悪な私

2019年04月24日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
ここ数日、なんだか周りの人に対して意地が悪い。
車を運転しているときとか、電車に乗っていたり、移動していたりするときとか。自分で意地悪なことをを自覚してしまうほどだからずいぶんひどい状況だと思う。
 
お年寄り、若者、いや誰彼なく接する人に対して、運転の仕方、電車の乗り降りが下手だったりするのにイラついてしまったり、ムッとしてしまったりする。
 
 
たとえば、
 
狭い道を互いに少しずつ譲ろう気もなくスピードを落とさずに走ってくる車、側道から勢いよく頭を出してくる車、さほど広くない道で人を乗り降りさせている車、駐車場を探しながらノロノロの走る車。数え始めたらきりがない。
都心の大きな駅で、自動改札を上手に通過できない人、コンコースの真ん中でスマホをいじって立ち止まっている人、数人で通路に広がってタラタラ歩いている人、そして大きな荷物を引っ張って歩いている人、そんな人が目の前にいるとイライラしてしまい、意地悪な気持ちが頭をもたげる。
 
どの人も、数秒出会って、そのすぐ後には別れてしまう人。2度と会うこともあるまい。そんな人がすることにいちいち腹を立てて、高めの血圧をさらに上げたところで何もいいことはないのにそれでもイラっとして、意地悪な考えが頭をよぎる。
自分という人間が嫌になる。
 
 
このことに昨日ふと気がついて、これ以上、この状況が続かないようにと自戒の念を込めてそのことを書いてみた。
そう、そういう状況がずっと続くわけでもないし、その人と会うこともない。また、似たような人や状況はいくらでもあるだろうけど、そんなこといいだしたらきりがない。
自分の身の安全、心の安寧を守りながら、ゆったりした気持ちで生きている方がどれほどいいことか。
 

血圧も上がってしまうし

 

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空調が喉に追い打ち

2019年04月23日 | 日々思うこと、考えること
咳がとまらない。一時期に比べたらずいぶん減ってきたけど、喉の奥は相変わらずイガイガして、腫れていることがわかる。さらには、空気が乾燥してくると、粘膜がヒリヒリして咳が出る。いったんはじまると、結構ひどい。
 
自己診断としては、スギ花粉ではじまって、それが慢性炎症の足場(粘膜の軽度の炎症による上皮の脆弱化)をつくって、その後襲ってきたヒノキ花粉のせいでその状態が酷くなっ(増悪し)て、咳がとまらなくなったというもの。花粉症は単なる花粉に対するアレルギー反応ではなく、花粉の中に含まれる各種物質が悪さをするので鼻水とは関係のなさそうな部分、喉頭とか気管までやられてしまうことになるのだろう。という仮説を立てていたのだけど、それを裏付けてくれるようなことがあった。
 
 
 
こんな症状は私だけのものかと思っていたら、この前の研究会で演者の先生が講演に先立ち、”喉を痛めておりまして、途中で咳をしてしまうかもしれません。お聞き苦しいことがあったら申し訳ありません。”と言っているのを聞いて、これは私と同じ状況だとすぐにピンときた。たので私だけではなさそうだと確信した。
花粉症の後遺症と言えるような状態だ。
 
 
症状についての(自己)診断がついたからといって安心できるわけではないが、死ぬような病気ではないからこのまま経過観察となる。悪いながらも症状は改善しつつある。花粉は飛んでいないからマスクは外すようにしている。実際、マスクをしている人は激減している。
 
ところが、マスクをしないでいると困ることがある。空調の乾燥した空気だ。
とくに電車とかバスの空調は吹き出し口と顔との距離が近くて乾燥した空気がモロに顔に当たり、鼻からそれが入って、粘膜を刺激する。空調の風による追い打ちだ。
結局、むさくるしくもマスクが欠かせない。マスクをすると湿度が保たれ、喉はずいぶん楽になる。
 
出張で宇都宮に行ったのだけど、大宮からタバコの煙をばら撒きながら乗ってきた人に隣に座られて参った。
「あなたがばらまいているその匂いというのはタバコの有害成分の微粒子なんですよ」と、心の中で苦情を言いながら、ハンカチで匂いを塞ぐ(花粉症よりタバコの副流煙  2019年03月06日 )。さらに喉がヒリヒリする。空調に追い打ちをかけられたわけで、全く参った。

 

 
 色々な意味で、しばらくはマスクを手放せない。
 

連休明けには治っておくれ

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声の小さな人と話すのは苦手

2019年04月22日 | 日々思うこと、考えること
私は声が大きい方だ。声は大きい方がいいのか、そうである必要はそもそもないのかはわからないが、自分の意思を相手に伝えるには声が大きくて困ることはない。
私は声の小さい人というのがどうも苦手だ。
声の小さい人といっても、いろいろなタイプがある。
私の苦手な声の小さい人を分けると以下のようになる。もちろん対象は社会人だ。
①若い男性で声の小さな人、②若い女性で声の小さな人、以下は男女を問わないが③30代で声の小さな人。④4、50代で声の小さな人、そして⑤60代過ぎで声の小さな人に分けられるだろう。
障害とか加齢で大きな声を出せない人はもちろんこの範疇ではない。それぞれのタイプについて簡単に私の気持ちを書いてみたい。
 
①若い男性で声の小さな人;世代が親子ほどなので理解すること自体難しいのでだけど、どうせあなたにはわからないよ、という感じがして嫌な気分になる。
②若い女性で声の小さな人;今にも泣き出してしまうのではないかとオロオロしてしまう。コミュニケーションをとること自体に自信が持てない。
③男女問わず30代で声の小さな人;自信が無いのだからなんだかわからない。世代間ギャップはまだまだ大きいので理解することは難しいけど、おっさん相手でもハッキリした声で話してくれないと信頼できない。
④男女問わず4、50代で声の小さな人;この辺りの人は、私と同世代ということになる。私が苦手なのは声の大小が顕著な人だ。普段は人によく聞こえる声で話しているのに、すぐ横にいる人にだけ伝わるような小声になる。でも、その場にいる人みんなに話していることにしているので、言った言わないでもトラブルになる。そういう人と相対すると、さすがの分かちも足を引っ張られやしないかとヒヤヒヤ喋っていまう。
⑤男女問わず60代過ぎで声の小さな人;大きな声が出せないのならばそのことを言っていただけると助かる。
 
こうして挙げてみると、なんとなく声が大きい人が乱暴なように聞こえるが必ずしもそうではない。声の大きい人も場合によっては消え入るような声で話す。
声の大きい小さいというのはある意味、人間の裏表ということにつながるのかもしれない。
伝わらなければコミュニケーションではない
 
 

プレ連休の鎌倉界隈

2019年04月21日 | 鎌倉暮らし
朝から晴天。
鎌倉まつりの最終日、流鏑馬があるようだけど昼間は車どころか何も動かなくなる。
コストコで買い物をしようと出かけたが、このあたりどこもすでに連休モード。
八景島の潮干狩り渋滞も大変なものだった。
買い物を済ませてから、小柴漁港のどんぶりやでお昼。
日曜午後の漁港はのんびりしていました。
鎌倉に戻ったら、まだまだ人がたくさんでした。
やれやれ、どんな10連休になるのだろうか。
 
シーパラはどうだったろう?
 
 

いい季節になっていた

2019年04月20日 | 日々思うこと、考えること

久しぶりのノーマルバージョン。そうはいっても、ではなにがノーマルで、どれがスペシャルかを明確に区別するのはむずかしい。まあ、いちおう、カテゴリーが”こんきも”になっているのは、とくに気負わずに書いているもので、ノーマルバージョンといえるだろうか。goo blogが新しくなってハッシュタグで分類されるようになったので、またそれもはっきりしなくなってはいるが。

それはさておき、気がつけばもう、すっかり新緑の季節。新緑が眩しく、鎌倉宮の森も美しい緑に包まれている。

気温もぐんと上がって、犬の散歩もTシャツ1枚。

スピンオフも含め、”がんは何のためにがんになるのか”ということばかり考えていたから、季節がどんなになっているのかをすっかり忘れていた。

 

ずいぶんいい季節になっていたものだ。

花粉も終わりかけてみたいで、喉の奥のイガイガはまだ少々残っているけど、これもなんとかずいぶん楽になってきた。このまま10連休までいい季節が続くことだろう。この10連休、元号が変わるということで、記念すべきものではあるものの、病院仕事はおいそれと10日続けて休むわけにはいかない。病院の対応もそれぞれ違うみたいで、働き方改革といっても、医者がその恩恵に預かるのはまだまだみたいだ。

午後から小さな研究会が川越であった。昼前に出かけたので、久しぶりに昼間の鎌倉を歩くことができた。大勢の観光客で街はごった返していたが、みなさんニコニコしていて楽しそうだった。

段葛のソメイヨシノはもうすっかり終わっていたけど、多くの観光客が街角の八重桜の写真を撮っていた。

 

 

昨日は結婚記念日

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がんは何のためにがんになるのか?(4 最終回)病理医として病気と向き合い

2019年04月19日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

昨日からの続き、このシリーズ最終回)

細胞自身が寿命に抗って生き延びようとしているのががん細胞。がん細胞、すなわちもともとは自身の細胞だってなんとか生き延びたいのだ。でも、その上手な方法がみつからない。だからがん化するしかない。そしてせっかく不死化能を獲得したのに、それを上手に使って個体としての人間を生き延びさせることができないのだ。

”人生50年”とかいわれていた頃は、感染症で亡くなる人が多かった。感染症がほぼ制圧され、栄養状態も良くなって人間全体の寿命がどんどん延び、人間が生物として生きることのできる限界まで生きることができるようになったからこそ、このがんとの戦いという現象が起こったといえるのではなかろうか。

”世界最高齢”クラスの人の年齢が110歳すぎ。そこが人間の生物学的な限界だとすれば、その手前で細胞自身が身の危険を感じてがん化するのも理解できる。がん細胞もヒトの体の一部。自らの命を奪ってしまう恐ろしい存在ではあるけれど、がん化は彼らなりに生き延びるすべを必死で考えた結果なのだと思う。

医者が、何のエビデンスももたないで、自分の妄想を不特定多数の人に向けて発信するのは社会的責任を考えるとやっていいことなのか自信が持てない。けれども、スピンオフの下手くそな物語を含め、日々癌の病理診断で顕微鏡を介して癌細胞と対峙している病理医の気持ちだと理解していただきたい。

がんの臓器を手に取り、顕微鏡で調べることができるように病気の部分を探し出し、標本化する。そして、そのがん細胞の広がり、悪性度を日々評価検討する。がん細胞は凶暴な”モンスター”の顔をしていたり、狡猾な詐欺師のような澄ました顔をしていたりする。がん細胞が、いかに人の体の中で生き延びようとしているのかということを考えながら診断するということで、病理診断にも新しい方法論が出てくるかもしれない。そしてそれは人間の新たな生き方を提示してくれることにつながることになるかもしれない。

 

”病気”はなぜ”病気”なのか

 

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がんは何のためにがんになるのか?(3)不死化による不死化の失敗

2019年04月18日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

414からのつづき)

感染症が原因の子宮頸癌がん、タバコが原因の舌癌とか咽頭癌、一部の肺癌など、発がんのメカニズムがある程度わかっているがんは、全部のがんの一部で、多くのがんについての発がんの機序はわかっていない。発がんの機序がわかっている癌については、なんらかのDNA損傷の刺激がトリガーになるだろうというのは容易に想像がつく。

ウイルスが生き延びるためにヒトからヒトへと渡り歩くことが原因となったり、タバコの刺激に対して対抗するために癌になってしまったり、というようにそういう類いのがんはそのうちもっと詳しいことがわかってくるだろう。

私が声を聞いてみたいと思っているのは、高齢者のがん細胞の声だ。顕微鏡のレンズの向こうにいる大腸癌、前立腺癌、乳癌、子宮体癌、膵臓癌、甲状腺未分化癌など、ほかにもたくさんあるけど、なにがその原因になったのかがよくわからない癌。

この世にあるすべてのものには存在意義がある、そうすると、彼らは何のためにがん化するのか、なぜがんとして生きるのか。私にはそれは、生物としての延命が目的では無いかと思えるようなってきた。人間の細胞分裂の限界は50回程度、おそらくそれは、純粋培養されたようなとても環境の良い細胞のことで、他の細胞はもっと早く死に絶えていく。そこで、分裂回数が限界に近づいてきた細胞が生き残りをはかるのは想像に難くない。そこでなんとか、生き延びようと自身の遺伝子を操作して不死化を試みる。不死化能を獲得したのががん細胞であって、これがやがて人間そのものを蝕み、死に至らしめることになるのは皮肉なことである。

またいれこみすぎてるな

 

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限界集落から出たモンスター(完結編) がんは何のためにがんになるのか?(スピンオフ)

2019年04月17日 | 料理・グルメ

(前回までのあらすじ;85歳の某高齢男性のS状結腸の上皮細胞沢田。限界集落と化した老いゆく肉体の若返りをもくろみ、癌化し再び若い活気ある肉体を手に入れようとした。ちなみにこの方の既往は、子供の頃に脛骨骨折、成人してからは高血圧、糖尿病があり、腎機能はCKD3で、67歳時に前壁梗塞でバイパス手術を受けている。既婚。こども二人。4年前から認知症の症状が出現している。「黄昏の街編」「癌化編」)

 

下山「沢田のやつ、S状結腸切除で取り切られちまったな。」

横路「そうだね、ラパ(腹腔鏡手術)であっという間だったね。僕ら、ほとんど気がつかなかった。それにしても左半結腸切除にならなくてよかったね。」

下山「まったくだ。そんなことになったらとんだとばっちりだったよ。でもあいつ、俺には迷惑をかけないと言っていたけど、その通りになったな。まずは、作戦成功というところか。」

横路「どういうこと?」

下山「沢田は、この時期に血便を発見させたら、比較的小さなオペになるってわかっていたんだろう。肺転移はまだ見つからないほどだからな。」

横路「そうか、それで、原発巣だけ切らせて、肺転移巣から目を逸らさせる。最初からインオペで化学療法をやられちゃ困るからね。」

下山「多分そうだ。どのみち QOLを上げるためにオペはすることになっただろうけど、それでも、肺の転移巣への備えは多少なりとも遅くなる。それが狙いだったに違いない。」

横路「この先どうなるんだろう」

下山「病理診断で高度の静脈侵襲が見つかるだろうから、担当医もびっくりしているんじゃないか。リンパ節が無事(Ly0)だったぶん余計だろう。これから抗がん剤が入るだろうな。分子標的薬も入るんじゃないのか?」

横路「そうすると、沢田の残した”モンスターの末裔”もだいぶやられるね。」

下山「どうだろう。そうなってくれればいいけど、そもそもこの国自体が老いているからな。体がもつかどうか。感染症もあるし。それに、沢田の言っていた肺に送り込んでいる連中が生き延びたらどうなるか。」

横路「全部を叩くのは難しいからね。あとは、放射線療法か。なかなか大変だね。」

下山「ああ、モグラ叩きだ。心臓の方も大変だっていう話だし、満身創痍だ。認知症もだいぶ進んできているしな。」

横路「治療適応をどう考えるかか。」

下山「これ以上、高額な医療費を投入するか。もう、医療費は国家予算の半分まできているっていう話だ。」

 

男性はその後、抗がん剤治療を1クール受け、その後5年生きた。最終的には呼吸不全で亡くなった。剖検時、結腸癌の局所再発はなかったが、肺と肝臓には転移が多数あった。癌の転移そのものが死因というよりは、もともと肺気腫があり呼吸機能が低下していたところに、誤嚥性肺炎が加わっての呼吸不全といえるようだった。心臓のバイパス手術のあとのところはとくに問題なく、新たな(心筋)梗塞は起こしていなかった。直接死因は呼吸不全となるが、もう、老衰といってもいい状態だった。少なくともモンスター(沢田)の末裔が死因に直接関わったとは言えなかった。

 

下山「おお、横路よ、長い間世話になったな。いよいよ、ダメそうだな。」

横路「そうだね。僕ももう疲れたよ。最近じゃあ、流動食の残りばかりで働き甲斐もなかったところだし、お役御免ということでいいよね。」

下山「90年か。沢田が癌化した時にはずいぶんと驚いたが、ああいうやつが出てもおかしくないのかもしれない。私たちみたいにただ死んでいくだけの運命を辿るのか、それともああいう風にもう一花咲かせようという生き方をとるのか。どちらがよかったのかな?

ほら、頭頸部で舌癌とか咽頭癌、食道癌になるやつらは、喫煙がきっかけで癌になるだろう?あいつらは、DNAに傷がつくから、なんて言っているけど、喫煙による攻撃から自分たちを守ろうとしているんだよ。生き延びようとしてかえっておかしなことになっちまうんじゃないのかと思うんだ。

だからさ、沢田も自分の肉体が滅びることを細胞分裂の回数で察知したんだろう。テロメアの長さを見たらすぐにわかるからな。それで、街全体、世界全体の再活性化をしたかったんじゃないのか、って思っていたんだ。まあ、今となっちゃあどうでもいいことだけどな。」

横路「そうか、そうかもしれないね。認知症が始まったころはまだ考える力も残っていたけど、もう今となってはよくわからない。あ、そういえば沢田さんが残したモンスター軍団はあのまま全部やられたのかな。」

下山「さあな。十人二十人は残っていたかもしれないけど、あいつら自身も最初の頃の増殖能はなくなっていたのかもしれない。」

横路「このところ、よく肺炎になるね。この前入り込んできた肺炎球菌は潰せたのかね?敗血症にならなくてよかったよ。」

下山「ああ、まったくだ。敗血症は嫌だな。この間も、変なのがこの辺りをうろついていた。抗がん剤治療の頃は好中球もずいぶん減っちまってもうダメかと思ったけど、よく回復してくれたよ。生き物っていうのはすごいね。」

 

 

横路「・・・。心臓が止まるみたいだね。もう、これ以上無理に動かさないでほしいけど。」

下山「延命措置を望んでいる家族がいるんじゃないのか?」

横路「僕自身としては、延命措置はして欲しくないな。静かに死なせてほしい。痛みが無いという条件付きだけど。まあ、粘膜固有層まで神経は来てないから関係ないか。」

下山「そもそも感覚神経が無いけどな。

私もこれ以上はもういい。

長生きすりゃあ、おめでたいと言われていた時代があったらしいが信じられないな。いまじゃあ、長生きこそが人生最大のリスクだなんていわれてるっていうじゃないか。なんかおかしくないか?」

横路「そう思うよ、それぞれの人の生き方と医療レベルが乖離して、治療が個々人の意思に優先されているからね。」

 

下山「・・・・、あ、心臓が止まったみたいだな。血液が来なくなった。いよいよ終わりか。」

横路「そうみたいだね。下山さん、90年間ありがとう。いろいろ話ができて楽しかったよ。」

下山「そうだな、沢田は切除されちまったけど、それ以外の大腸はみんな残ったからな。直木さんもいい人でよかったし。」

横路「・・・、ああ、そうだったね。・・・さよなら、下山さん。」

下山「ああ、さよなら。そういや、俺たちのクローンがいたはずだけど、どうしてるかな。」

横路「はは、見えないのかい?目の前にいて手を握ってくれているじゃないか。涙まで浮かべてるよ。」

下山「ほんとだ。孫もいる。・・・、幸せだったな、私たちは。」

横路「そう思う。いろいろあったけど、これまでのことを変えることはできないけど、今こうして幸せだと感じることができるということが何よりだよ。これまで、善く生きてきてよかったよ。」

 

下山「春か、外は花がたくさん咲いているのだろうな。いい季節に逝くことができてよかった。」

 

 

Fin

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限界集落から出たモンスター(癌化編)がんは何のためにがんになるのか?(スピンオフ)

2019年04月16日 | 料理・グルメ

(昨日からのつづき)

下山「おい、沢田、一体そこでなにおかしな火山みたいなのを作っているんだ。それに、何だそいつらは?」

沢田「下山さんよ、悪いな。俺はあんたたちのように何もしないまま死んでいくなんてことはガマンできない。俺は俺で生きることにしたんだ。不死身となって外の世界に出ていくんだ。こいつらは俺のクローンだ。もう数千はいる。」

下山「おいおい、そんなことやめておけ、やがて自分の首を絞めることになるぞ。頭頸部のやつらだってあっというまに見つかって一網打尽にされたじゃないか。お前だって、もう立派なボルニだ、そんなんじゃすぐに内視鏡で見つかっちまうぞ。そもそもそんなことして、一体誰の得になるっていうんだ。」

沢田「ふん、そんなことあんたには関係のないことだろ。この限界集落と化した街をもう一度昔の活気ある街に戻すんだ。いや、この街だけでなくて、この世界すべてを元気にするんだ。そもそもこれまでに失敗した奴らと俺は違う。」

沢田の作戦は綿密だった。禁止されているテロメラーゼの独自合成に成功し、不死化能を獲得した。さらに、T細胞と不可侵条約を結んで、自分だけは攻撃してこないようにしたのだった。著しい増殖能に対応するための血液補給路も十分整備していた。

沢田「誰が何と言おうと、俺はこのまま黙って死んでいくなんて嫌なんだ。俺はもっと生き延びたいんだ。そのために不死化の技術を手に入れたし、T細胞とも手を結んだ。というか俺はもともとここの住民だ。ここで生まれてここで育ったんだ。T細胞の奴らだって俺のことが一方的に悪いとは考えていないんだ。」

下山「私たち細胞の寿命の限界分裂数は概ね50回って決まっているんだ。それを過ぎたらだんだんと年老いてやがて死ぬんだ。それが人間を支える私たち細胞の運命なんだ。運命を受け入れろ、沢田。テロメアを元に戻すんだ。」

沢田「ふざけるな!このまま、分裂回数に支配されて生きてなにが待っているっていうんだ。下山さんよ、あんたはこのまま黙ってこの街で消えるように死にたえろというのか!」

下山「ああ、そうだ。そんなに長生きしたかったんなら心筋細胞にでもなっときゃよかったじゃないか。」

沢田「ふん、胚盤胞になる頃には俺の運命は決まっていたんだ。それに心筋梗塞でこの間一気に大量死になって、いまじゃリハビリ中じゃないか。あんなに働きづめに働いて、動脈硬化なんて自分とは全然関係ないことで被害を受けるなんて全くやってられないね。」

下山「それはそれでしょうがない。心臓もあの時の一件でずいぶんへたってきているけど、それなりに頑張っている。最後の力を振り絞って動いているじゃないか。沢田、お前もあいつらのように自分の持ち場で最後まで働くんだ。癌になるなんて、やめておけ。」

 

沢田「いやだ、俺は癌細胞に生まれ変わって、この街から出ていく。心配するな下山さんよ、あんたら結腸の他の部位には迷惑をかけない。オペになっても、部分切除で終わるはずだ。そして、俺は、地下に潜る。」

下山「それって言うことは、遠隔転移。お前、MMP(マトリックスメタロプロテアーゼ)まで手に入れていたのか?」

沢田「そう。もう静脈侵襲は終わっている。」

下山「手遅れだったか。」

沢田「それにもう、肺に行った奴らの何人かはそれぞれ定着しつつある。もう、俺自身の手にも負えなくなっているんだ。」

下山「それでもな、沢田。そんなことしてもそいつらも結局見つかっちまう。放射線を当てられて終わりだぞ。そうしたらお前の苦労も水の泡じゃないか。」

沢田「はは、そんなことはとっくにわかっているさ。その代わりに、俺の遺志を継いだ何万という癌細胞がいろんなところで新しい”街”をつくってくれる。肺だけじゃない、肝臓でも、脳でも。そして、この国を再び若さに満ちた楽園に変えてくれるんだ。」

下山「沢田・・・お、おまえ、狂っている。モンスターだ。」

沢田「なんとでも言え、俺はもう、以前の俺じゃないんだ。」

 

(つづく)

明日、完結編

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