こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

人の心に寄り添うのはとても難しい

2023年08月16日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
台風7号の余波の強風が一晩中吹いていて、時々目が覚めるほどだった。
鎌倉あたりには昼ごろに雨雲がかかる様で、今日も水やりは要らないから助かると妻とちょっと喜びあって出てきた。

妻とは家計を一つにし、長らくともに暮らしてきたものの、妻の思っていることがわかっていなかったと愕然とすることがある。
以心伝心、あ・うんの呼吸など、実は自分にとっての都合のいい解釈に過ぎないのではないかと思う。
もちろん、力を合わせて何か同じ目標に向かっているのなら、ある部分については同じことを考えているから、そこは理解できるものの、そうでない場合はどうか。

最近、様々な局面で、人の心に寄り添うという言葉が使われるが、どうもそれには胡散臭さというか、曖昧さを感じる。
寄り添う、という行為はあくまでもバイ・スタンダーすなわち傍観者によるものの様に思えるからだ。

いろいろな状況があるので、一概に言えないが、たとえば、理不尽ないじめが起きている場面。
登場人物は、いじめっ子、いじめられっ子、そしていじめっ子の取り巻きといじめられっ子のシンパ。
この時各人に求められる行為を考えてみる。
ただムカつくからといじめるいじめっ子に求められるのは、じめられっ子の立場になって考えること。
いじめられっ子に求められるのは、誰かに助けを求めること。
いじめっ子の取り巻きに求められるのは、自分がいじめに加担しているという自覚とそこから立ち去り、いじめっ子を孤立させること。
いじめられっ子のシンパに求められるのは、いじめられっ子の心に寄り添って慰めることではなく、どうしたらいじめを止めることができるかを考え、いじめをやめさせることだと思う。

人間関係なんて、私とあなたとあいつとこいつ、ぐらいのものだから、登場人物はこれぐらいでいいだろう。
個人レベルから国家レベルまで様々あって、学校でのいじめから、ロシアウクライナ中国ベラルーシ日米欧の戦争のことまでどれも同じ様なものに感じる。

いじめられっ子にとってはいくら話を聞いてもらっても、結局は次のいじめは避けられないわけで、寄り添ってくれるだけでは問題の解決には何もつながっていない。
無力な人にできるのことは寄り添うことが精一杯だし、いじめられっ子に加勢して自分もいじめられる様になってはたまらないと思うのは仕方ない。

人の心に寄り添うという耳触りのいい言葉は使いやすいが、意味は曖昧だ。
自分ではその意味をどう捉えるかということを、よくよく考えて使い、実行しなくてはいけない。
気軽に使うな

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人間の際限ない残虐性とそれへの審判

2023年02月07日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
夕方から雨模様ということでちょっと残念だが、それはそれ、空に悪気はない。
それに朝のうちは少し太陽も顔を出している。
今夜は恵みの雨をありがたく受け止めよう。

先日、ロシアで村上春樹の本が発禁になると聞いて、それは「ねじまき鳥クロニクル」だろうと思っていたら、「スプートニクの恋人」だった。
なぜ、私が「ねじまき鳥クロニクル」ではないかと思ったかというと、その中でソ連軍人の残虐な行為が描かれていたからで、てっきりそれに対しロシアのプーチン大統領が怒ったのだと思ったからだった。
ただ、何も残虐なのはロシア人だけではなく、どこの国の人であっても残虐性は持っている。

人間はひどいことを考えるのは得意だ。
それは自分がされて嫌なことだったらいくらでも思いつくからで、それを実行に移すだけでいくらでも残虐なことはできる。
例えば、「ねじまき鳥・・・」にも出てくる皮剥ぎ。
私など、中指の先のほんの小さなささくれですら痛くて嫌なのに、全身の皮を剥がれたりしたらあまりの痛みで失神し、そのまま絶命してしまうに違いない。
でも、この刑を受けた人はミケランジェの最後の審判にも描かれている(それもイエスのすぐ足元に!)のだから、結構古典的な刑だったのだろう。
こんなことを当たり前のように思いつく人間というのは根源的に残虐で残酷な生き物だ。

今、世間を騒がせている特殊詐欺・強盗殺人の首謀者たちも、血も涙もないような輩だ。
60億を超える金を騙し取っただけでも、万死に値するが、それも面倒だとばかりについに強盗に切り替え、人の命まで奪った。
自分が手を下さないものだからいくらでも酷いことを考えつく。
だが、その彼らも年貢の納め時で、いよいよ日本に強制送還させられる。
警察、検察はその威信にかけてしっかり調べ、罪を償わせてもらいたい。

その罪の償いは裁判官がきめるわけで、その刑は重すぎても軽すぎてもいけない。
刑罰というのは交通違反の反則金程度しか知らないが、どんな場合でもその軽重の判断は難しい。
終身刑がなぜ残酷なのか、死刑はなぜ廃止すべきであるか、私が生きているうちにそれらの議論に決着がつくことはないだろう。
犯罪そのものに同情の余地はないが、それを行った人に対する刑罰はどこまで正当化されるべきなのか。
裁判官や法律の専門家であれば私よりはよほど詳しく説明できるのだろうが、それでも人類にとって普遍的な解答はないだろう。
まず自らを律する

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キオスクで酒に伸ばした手がふと止まり

2023年01月25日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
今朝の鎌倉は氷点下4度。
さすがに寒く、いつもより暖かくして出かけてきた。
それでも電車の車内では、換気のために少し下ろしてある窓から入る冷気のせいで足が凍りそうだ。
その窓からは、寒さのせいで水道管が破裂したのだろうか、マンションのベランダから噴水のように立ち上がる水柱が見えた。
京都ではJR線が一晩中立ち往生となったそうで、乗っていた人はさぞ辛かっただろう。
閉所恐怖のパニック障害のある私としては大いに同情する。
かくいう私も、昨晩は名古屋駅の手前で15分ほど動かなくなった時は症状がちょっと出てあわてたが、その後、新幹線はスムーズに動いてくれてことなきを得た。

昨日は、行きと帰りと現地での仕事とで3分の1ずつという時間配分となり、往復の間も、その仕事の準備と原稿の整理に充てた。
最近、新幹線の中で酒を飲まなくなった。
昨晩も売店で飲み物を探していたときに、ビール、ハイボールをひとしきりながめたあと、温かいほうじ茶を選んだ(こんなふうに駅の売店に酒が大っぴらに並んでいるのもどうかと思うが・・・)。
仕事を少ししようと思っていたのと、新幹線が立ち往生した場合を考えて利尿作用のあるアルコールを控えたというのもあるが、あまり飲みたいと思わなかったというのが正直なところ。
家に帰ってからは、妻の手製のおでんと、お土産に買った柿の葉寿司を肴にして結局のところ飲んだので、酒が嫌いになったというわけではなさそう。

どの程度のアルコール量だと、どの程度酩酊するかということがわかってきたせいもあるのかもしれない。
酒は強い方ではないので、赤ワインならボトル半分、ウイスキーはショットグラス5杯、日本酒だと3合程度で、十分酔っ払う。
ビールはお腹が膨れてしまうのと、それほどコスパがいいわけではないということに気がついたので、滅多に飲まなくなった。
この程度でやめておけばちょうどいいのだが、あと一杯を飲んでしまうのがいけない。

気分がいいから、ついもう一杯となってしまうのがお酒の魔力。
それでも、出張帰りも含めて外で飲まなくなったのは安全上もいいことだろう。
逆に、外での飲み方を忘れてしまったということなので、そんな機会があったら早めに切り上げることを心がけないといけない。
喧嘩やからみはもってのほかで、そんな時はそもそも自分が酔っ払いであるということを忘れない様にしたい。
酒は飲んでも飲まれるな

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子供たちにこそ多様性をきめ細やかに提供するべき

2022年10月28日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
腰回りに岡山行の疲れが残っているものの今日も元気に出勤、といいたいところだが、休みたいと思う気持ちがないわけではない。
ただ、私の診断を首を長くして待っている腫瘍科の〇〇先生だの、消化器科の〇〇先生の顔を思い浮かべると、”がんばって”行かなくてはならないと、奮起して出勤。

NHKも朝日新聞でも小中学生の不登校が24万人余りと過去最多を更新したということを報道している。24万人というとどのぐらいかわからないが、鎌倉市の人口が17万人なので、その1.5倍近くの子供たちが不登校ということになる。
わかっているだけで61万件ということだが、実際はもっと多いに違いない。
 
これらの数字が尋常ではないことは教育関係者でなくてもわかることで、なんでこんなことになってしまっているのかを大人は考えなくてはならない。
不登校の原因は必ずしもいじめだけでないから、1対1対応で考えることはできないが、深い関係はあるだろう。

私が子供の頃は、学校は行くのが当たり前のところだった。
学校は人間関係を構築していく上のトレーニングの場で、意地悪したり、意地悪されたりということを繰り返していた。
意地悪されたことを覚えているが、意地悪したことも苦い記憶として覚えている。
他愛のない意地悪は、陰湿化していじめと化している、いや、私がかつてした意地悪も、された方からしてみたらいじめだったに違いない。

こういうことを含めて、社会訓練の場としての学校は限界に達していているのではないだろうか。
いじめだけでなく、ただ単に旧来の学校というシステムそのものが"合わない"という子供は少なくないだろう。
そもそも学校が好きだったという人にとっても、では学校の何が好きだったのか。
いろんな人がいるから公立学校がいいなどという人もいるがではそれは社会的ヒエラルキーの中のどこに位置する人の発言なのだろうか。

無知でいたら必ず知識のある人によって搾取されるので、教育は絶対に必要で、全ての人にされなくてはならない。
だが、それはよりきめ細やかにお金をかけてなされなくてはならないことなのではないだろうか。
教育にお金をだそう
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床屋さんでのタバコ談義

2021年12月28日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
   寒さのせいで、庭の花たち、とくに鉢植えにしていた子たちがやられてしまった。ハンギングのパンジーも元気がない。昼間はいい天気となるらしいからシャキッとしてくれるだろうか。

 昨晩、仕事帰りに床屋に行った。少し伸びてきたなと思う程度で、普段ならあと十日ぐらい粘るが、年末年始をまたぐとぼさぼさになってしまうので、今年最後ということで遅い時間から切ってもらった。

 私がいつも任せている理容師さんは五つほど年上で人柄も腕もよく、気に入っていて、かれこれ五年ほど面倒を見てもらっているが、残念なことが一つある。タバコ飲みなのだ。昨晩も店に入ると少しタバコの匂いがした。髪の毛を切ってくれている間も指や髪の毛についたタールの匂いがただよってくる。髪の毛を洗い終える頃にはその匂いも弱くなるが昨日はなかなかしつこく残っていた。

 ハサミを当ててもらっている間、タバコの話をよくする。どちらが言い出したか忘れたが、昨日もタバコの話になった。

 タバコを吸うというのは、ニコチンの補給をして中毒症状を緩和しているだけだから、タバコを吸わなくても大丈夫、生きていけるという話をこれまで幾度も話してきたが、一向に止めようとしない。

 タバコさえなければ、というタバコにまつわる事件・事故、ちょっとしたエピソードというのはタバコ飲みそれぞれにある。以前は立派なニコチン中毒患者だった私にもここには書けないようなズッコケ話がいくらでもある。その理容師さんなど数年前に店の外でタバコを吸った後不注意で階段を踏み外して大怪我をしていた。昨日もその話が出たが、
 
 あのときも、タバコさえなければね、とはわかっているんですよ

 と、笑い話で終わらせてしまう。

 私のブロ友さんで、今回の大雪に見舞われている土地の方がいる。その方も”確固たる喫煙者”すなわちニコチン中毒からの離脱が困難なようだが、ブログに大雪の中、決死の思いでタバコを買いに行ったということを書いていた。無事帰宅されたからこそその顛末を面白く読ませていただけたが、タバコのために凍死なんてことにならず良かった。その記事を読んで、私が若いころひどい風邪をひいたときに動けず、親にたばこを買ってきてくれとも頼めず、シケモクをひたすら集めて吸い直していたのを思い出した。タバコさえなければそもそも風邪をこじらすことはなかったろうし、シケモクを吸ってみじめな思いをすることもなかったろう。思い出すと滑稽以外の何ものでもないが、あの時は必死だったし、その時の気持ちは今でもわかる。

 NHKの連続テレビ小説では太平洋戦争前後の、すなわち昭和時代が主になることが多い。それを観ていて思うのは、画面からタバコが消えているということで、灰皿すらほとんどみない。飲み屋の場面でもなんとなく靄がかかっている程度だ。あのころ、というか平成の始まる頃まで世の中では多くの人がタバコ片手に生活していたのだから、時代考証としては間違っているということになる。だが、そのうち、タバコというものに接することのない世代が社会の中心となっていったら、キセルもタバコも前世紀の遺物として歴史的な記憶に置き換わっていくに違いない。

 ちなみに、件の店は理容師さんが二人いて、二人揃って喫煙者だ。この場合、片方がタバコをやめるのは不可能に近い。店を出るときに、

 今年も残り五日、あと百本吸って終わりにしたらどうですか?

 と勧めたが、もう気持ちはタバコに向かっているようであまりまともに聞いちゃいない。

 次来るときは、タバコが要らなくなってるといいですね

 と言ったが期待せずにいる。

 人生にはタバコにまつわること以外にも面白いことはあるだろうし、人生の話題作りをわざわざタバコに委ねる必要もない。
別に止めろとは言ってない

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痛みの程度と怒りの程度

2020年10月20日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
電車を降りたところで、私の目と鼻の先で、体の前で抱えていた男性のカバンが、斜め前から来た男性にすれ違いざま当たり、そのまま少し引っ掛かってたように見えた。二人の動きが止まり、始まるぞ、と私が思った次の瞬間、案の定、双方が「オォー」とか「アァー」とか怒声をあげて喧嘩が始まった。私は先を急いでいたので、言い争う声を背にその場を立ち去ったので、その後二人がどうなったのかわからない。当事者の少なくとも一人は私が降りた電車に乗る予定だったから、ドアの閉まる前に飛び乗っただろうか。それともそのままホームで本格的なつかみ合いになったか、はたまた片方が飛び乗った電車内まで追いかけたか。顛末はさておき、「そんなに怒ってどうするの?」というのが正直なところ。カバンがぶつかった、引っかかった、こっちが避けていただろう、お前がぶつかってきた、なんて瑣末な、実に瑣末なプライドとも言えないような意地にこだわって、下手をすれば傷害罪でも起こしてしまいそうなことをしても仕方がない。

だがこれは岡目八目。私もイラッとかムカッとかして相手を睨みつけることはある。睨み返されるどころか「なんだお前やるか」と酔っぱらいに言われたこともあった。いざ、そう言われた時は、即座に頭を下げて、すごすごと引き下がった。格好なんて気にしてられない。
私が怒りたくなるのは大抵マナー違反だが、その範囲が広かったら、ことによっては大きなお世話だと逆ギレされても仕方ない。参考までに一例を挙げておきます(心に波風 2011年12月14日)。こんな時、私に限らず男の人の方が怒りやすいような気がしていたが、それは戦闘態勢に入るのが早いというだけで、女性にしても怒る人は怒っている。SNSやらブログに怒りをぶちまけている人は、男女ともとてつもなく多い。男女の違いを挙げるとすればそれを実際に表出するかしないかぐらいだ。
怒りとは何か、それにはいろいろな種類があるが、それぞれに程度もある。怒りの程度を痛みと同じように0〜10に例えてみたらどうだろう。
痛みのスケールは
0=痛みが全くなく、幸せである
1=わずかに痛みがある
2=ほんの少し痛い
3=少し痛い
4=とても痛い(中くらい痛い)
5=これ以上ないほど痛い
というのが一般的。私の場合、低気圧で頭が痛いのが1〜2痛み、口内炎が2痛み、ギックリ腰が3痛みぐらい。4痛みともなるとあまり考えたくないし、5痛みとなったらくも膜下出血の痛みということで死線をさまようことになる。

これを怒りに置き換えてみたら。

怒りのスケール
0=怒りが全くなく、幸せである
1=ほんのすこし怒っている
2=少し怒っている
3=怒っている
4=かなり怒っている
5=これ以上ないほど怒っている

こういうのも既にあるかもしれないが、わたしなりに考えてみた。めざすところは常に0怒りだが、まずは1〜2怒りを目指したい。喧嘩に発展するのは3怒り以上のあたりで、どちらかが4怒りぐらだとまず喧嘩になるだろう。4怒り、5怒りあたりは障害とかにも発展してしまうだろうから危険だ。ただ、こちらが1怒りぐらいであるにも関わらず、相手が4怒りで襲ってきたら応じなくてはいけない。アンガーマネジメントが必要なのは喧嘩を売ってきた方だが、売られた喧嘩をどうしたらいいかについての解説はあまりない。とにかく謝り、その場から去ること、逃げること、が最善だと思っている。

怒りなんて、当人にしてみれば大変なことだが、はたから見たら馬鹿馬鹿しいこと。そう考えてみると、怒ること自体馬鹿馬鹿しいということになる。そのあたり、よく自覚して日々過ごしていきたい。
負けるが勝ち

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タバコは楽しかった日々の思い出にヤニのようにこびりついて

2020年07月25日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
久しぶりにタバコを吸っている夢をみた。
子供連れのいる温泉ホテルのようなところで、「タバコを吸ってくる」と、家族に言って外の喫煙所についたところで目が覚めた。
昨日、タバコを吸っていた頃の写真を整理して思い出したのだろう。

楽しかった思い出に、タバコはヤニのようにくっついている。
いくらやめようと思っても、いくら忘れようと思っても、タバコどこまでも私を追ってくる。
私よりもずっと前にタバコをやめていた先輩病理医が、
「タバコをやめる、っていうのは、一生吸わない、ってことなんだよ。
それが君にできるかな?むずかしいよ。」
と言われたことをよく思い出す。

本当にタバコのヤニが脳の中にこびり付いているわけではないが、ニコチンによる快感を脳が忘れることはない。
いま、私がタバコを吸わないでいることができるのは、自分自身の意思、理性によってだが、ちょっとした契機でそれは崩れてしまう。
タバコは悪だという社会的状況が醸成されたからこそできているのだが、一旦そういった歯止めが効かなくなったらどうなるかわからない。

薬物中毒からの更生に挑戦して失敗する人は後を絶たない。
ニコチンなどよりずっと刺激のつよい薬物からの離脱などはより困難だ。
くじけて”どうにでもなれ”という気になってしまったら、もうそれだけで手を出してしまい元の木阿弥となる。
そんなことの繰り返しでやがて廃人に至る。
楽しかった日々の思い出はタバコのヤニにまみれているのだと自覚し、薬物依存症の恐ろしさをしみじみと感じる。
今日も巣篭もりで

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コロナといじめとタバコとパチンコ

2020年05月08日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル

かつて、他人に対して厳しいというかいじめのようなことをしたことがある人間としては、今の”自粛警察”状態はとても嫌なものに感じる。今でも自分は自粛警察的な感情がある。その証拠に、さっきゴルフバッグを担いだ人が駅のホームにいるのを見て、心がざわついてしまった。でも、先日書いた通り、自粛警察などやったところで、やられた人は被害者意識だけで生き方を変えるようなことは”絶対に”しないのでやるだけ無駄で余計にストレスが溜まるだけだ。注意喚起は必要だけど、過激にはやらないほうがいいと思う。

タバコについては、私も深刻だ。40過ぎまでの20年間、ニコチン中毒でタバコを吸いまくっていたので、おそらく肺はずいぶんダメージを受けていると思う。ここ10数年間はタバコを吸ってはいないので、肺胞上皮はだいぶ改善しているからウイルスそのものによる障害は少ないだろうが、一旦呼吸障害を程したら呼吸不全に陥るリスクは非喫煙者に比べて高くなっているだろう。後悔先に立たず、タバコなんて吸わなければよかった。あと、今タバコを吸っている人(私に言わせると”確固たる喫煙者”)は、コロナによる増悪のリスクが高いということがわかっているのに、タバコの罠にはまっている。それはやめようと思えばやめることのできるニコチン中毒でしかないのにその、中毒にはまっている。さらに、COPD(慢性閉塞性肺疾患)が進行しているのに、それが徐々にしか進まないため、死ぬことがわかっていないのと同様、いざ自分がCOVID-19に感染していないものだから、その辛さ、死の恐怖というのが実感としてわからないだけ。まあ、タバコで命を落とすのは自己責任でもあるけど、医療崩壊の後押しはしないでほしい。

パチンコは十分感染防御対策をしているからいいのかもしれないが、ギャンブル依存症にちかかっ頃を思い出すと、どんどん台を変わるというのはリスクが高いし、玉やコインにウイルスが付いていたらやっぱり感染のリスクは高くなる。そもそも多くの若者が閉門蟄居、外に出ないで頑張っているのに、いい大人がそんなのも我慢できないというのが情けない。大人は大人として若者の模範になろうと思わないのだろうか。かっこいい大人になってくれたらいいのだけど、ダメな人たちなんだろう。パチンコ屋に自粛要請をしてもしょうがないので、景品交換所に営業を自粛してもらったらどうだろうか。そうしたら、8割減も簡単に達成されるのではないだろうか。

居酒屋が早じまいするようになって、おおくの人が家飲みで頑張っている。その代わりアル中が増えそうだと危惧されているらしい。これはこれで困ったものだ。ちなみに、私はほぼ毎日飲んでいるのでまあ、もともとダメなほうだが酒量はあまり増えてはいない。

COVID-19の正体は少しずつわかってきた。なんとか負けずに力を合わせて頑張っていきたい。



大人として

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”これって、パワハラですか?”にハッとして

2019年09月14日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
ネットにはいろんな質問サイトがある。最近よく読むのが、教えてgoo。質問のほとんどは若い人からのもののようで、人間関係についてのものも少なくない。質問を読んだり、それに対する回答を読んだりする。自分も読み始めた頃、2、3回回答を書いたが、自分の出る幕ではないと違和感を感じ、今ではもっぱら読むだけ。
違和感の原因を考えるきっかけとなったのが、ある質問。内容はよく覚えていないが、質問者は学校の先生か、部活のコーチの指導が厳しいということを訴え、最後に「これって、パワハラですか?」と締めくくっていた。
若い人の辛い気持ちを垣間見た気がした。
そして私と同じ様な歳であろう年長者の思いやりの無さも。
その質問主(トピ主、というらしい)はたぶん学生さんで、相談の対象となっているのは、中年以上の年配者だろう。その年配者は自分がそんな質問をさせるようなことはしていないと思っている。自分の行為がハラスメントだなんて思っているわけもない。質問への回答は読まなかったけど、たぶんそれをパワハラだというものもあったに違いない。私だって、そう回答していたかもしれない。そうしたら、質問主は、これをハラスメントだとどこかに訴え、問題になるかもしれない。
ハラスメントは、受けた人の感じ方次第という。ある意味防ぐことのできないことだけど、お互いが気持ちよく過ごすためには互いの領域を尊重することが大事になってくる。
努力が必要なのだ。

私は、このブログにああしよう、こうしようと考えたことを勝手に書いている。でもそれは自分で良かれと思ったことで、果たしてその”私が考えたこと”というのが、どこまで相手のことを考えてのことなのか自信が無くなる。これまでの人生を振り返っても、取り返しのつかないことをたくさんしてきた。でも、取り返しのつかないことは取り返しがつかない。そのことに対しては周りの人が判断する。
私にできることは、この先にしか無い。
”いつの間にか”大人になっている自分というのを改めて自覚し、生き方を考えていきたい。

何かあれば鏡を見る

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意地悪がわかるのは自分が意地悪だから?

2019年04月25日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
なんだか昨日(最近意地悪な私)の続きのようにな話になってしまうけど、もう少しお付き合いください。
 
 
意地悪といえば、私もしょっちゅう意地悪される。それが意地悪されているように感じるからなのか、本当に意地悪されているかはわからない。
 
私自身がそれを意地悪と感じるかが問題で、意地悪と感じなければ意地悪ではない。意地悪をしてくる相手に意地悪をしているという意識がなければ意地悪ではないかもしれない。でも、受け止める方が意地悪だとかんじたら、それはやっぱり意地悪で、言い換えるとハラスメントに近い言葉に言い換えることができるかもしれない。
 
ところで、動物は意地悪を知らないから意地悪をしない。
 
だから、コロは嫌なことをされたら怒ることがあるけど、それは身を守るためで私に嫌なことをしようと考えて噛み付くわけではない。彼が嫌なことをやめさせるために怒るのだ。ナイトも意地悪をされるということを知らないから、ずっと足元でイビキをかいて寝ている。嫌なことがあったらその場を去る。人間に噛み付いて殺してもしょうがないのだ。意地悪を知らないというのはそんなことだ。逆に、犬は意地悪を知らないから、犬たちは私たちに意地悪なことをしてこない。
 
人間にしても、しょせん動物だから意地悪にも目的があるのかもしれない。人の足を引っ張ると単に面白いとか、自分ファーストで行動したいからとか。そうやって生きていったら楽なのだろうけど、社会とはそういうものではない。周りに意地悪ばかりしていたら誰も近づいてこなくなる。その方が気楽かもしれないが、孤独は寂しい。孤独にならないために、意地悪ばかりしていては社会の中では生きていけない。
 
 
私が最近意地悪なのは反省しなくてはいけない。そして私が意地悪なのは他人に意地悪をしているからそれがわかるのかもしれない。意地悪はイジメにつながり、社会生活の中では各種のハラスメントとなる。そのどれもが相手の立場に立つという思いやり、想像力が欠如するから起こることだ。
混雑するコンコースで立ち尽くしている人を手伝うことはできないかもしれないが、そういう人を邪魔だとは思わず、心の中で”大変ですね、がんばって!”ぐらいの温かい気持ちは持てるようでいたい。
そうすればこの血圧も多少は下がるかもしれない。
 

犬の心で

 

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最近意地悪な私

2019年04月24日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
ここ数日、なんだか周りの人に対して意地が悪い。
車を運転しているときとか、電車に乗っていたり、移動していたりするときとか。自分で意地悪なことをを自覚してしまうほどだからずいぶんひどい状況だと思う。
 
お年寄り、若者、いや誰彼なく接する人に対して、運転の仕方、電車の乗り降りが下手だったりするのにイラついてしまったり、ムッとしてしまったりする。
 
 
たとえば、
 
狭い道を互いに少しずつ譲ろう気もなくスピードを落とさずに走ってくる車、側道から勢いよく頭を出してくる車、さほど広くない道で人を乗り降りさせている車、駐車場を探しながらノロノロの走る車。数え始めたらきりがない。
都心の大きな駅で、自動改札を上手に通過できない人、コンコースの真ん中でスマホをいじって立ち止まっている人、数人で通路に広がってタラタラ歩いている人、そして大きな荷物を引っ張って歩いている人、そんな人が目の前にいるとイライラしてしまい、意地悪な気持ちが頭をもたげる。
 
どの人も、数秒出会って、そのすぐ後には別れてしまう人。2度と会うこともあるまい。そんな人がすることにいちいち腹を立てて、高めの血圧をさらに上げたところで何もいいことはないのにそれでもイラっとして、意地悪な考えが頭をよぎる。
自分という人間が嫌になる。
 
 
このことに昨日ふと気がついて、これ以上、この状況が続かないようにと自戒の念を込めてそのことを書いてみた。
そう、そういう状況がずっと続くわけでもないし、その人と会うこともない。また、似たような人や状況はいくらでもあるだろうけど、そんなこといいだしたらきりがない。
自分の身の安全、心の安寧を守りながら、ゆったりした気持ちで生きている方がどれほどいいことか。
 

血圧も上がってしまうし

 

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ピエール瀧のコカイン使用による逮捕はとても残念

2019年03月14日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル

電気グルーヴの”Shangri-La”はお気に入りの曲の一つ。カラオケでも何回か歌ったことがある。ただ、電気グルーヴというユニットをそれほど知っていたわけではなく、電撃ネットワークの逆モヒカンのおじさんが歌っているのだとずっと思っていた。そのわりに、電撃ネットワークが歌を歌うところをみることがなく、いつも芸をやっていたのが不思議だったが、今回の事件報道でやっとそれらのことが解決した。

それはさておき、電気グルーヴのピエール瀧は最近よく出ているなと思っていた。大河ドラマにもよく出ていて、容姿も申し分なく、これから俳優として伸びていくのだろうと思っていた矢先のコカイン使用による逮捕。51歳というと、俳優としては脂ののった時期でもありこのブランクはとても残念だ。この逮捕を機に是非立ち直って欲しい。そのためには周囲の協力も欠かせないのはいうまでもない。

      

コカインが深刻な健康被害をもたらすということはもちろんだけど、麻薬中心の生活になってしまうというのも深刻なことだ。これは、タバコでも同じで、喫煙者は常に喫煙所(喫煙可の飲食店)と自販機(およびタバコの購入可能な売店)を確保しながら生きている。

薬物で幻覚症状を得て精神的に自由になる、ということは一切なくて、逆に生活は縛られてしまう。

他人、すなわち薬物を使用していない人、に対して薬物使用を隠してビクビクしながら生活しなくてはならなくなる。そのストレスから、余計に摂取量が増えてしまうという悪循環にも陥る。そして最後には廃人となる。廃人となる前に逮捕してもらえたら幸いかもしれない。

金栗四三の足袋がどうなっていくのかとても心配だ(いだてんIDATEN〜東京オリムピック噺〜)。芸能人は金回りも良く、近づいてくる良からぬ人も少なくない。どういうきっかけで薬物に手をだすことになったのかはこれからの捜査を待たなくてはいけないが、こういう話をきっかけに芋づる式に他の誰かが捕まったという話を聞いたことは、残念ながらない。この話もこれで終わってほしくないのだが、どうなるだろう。

人間は弱い。ちょっとした好奇心で薬物に手を出してしまうことが絶対にないとは言えない。薬物中毒者は、犯罪者であると同時に、被害者でもある。社会全体で麻薬を撲滅することに努めなくては、つぎの被害者をだしかねない。

力を合わせ

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花粉症よりタバコの副流煙

2019年03月06日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル

病理の切り出し室に入ると、ときどきタバコの匂いがする。私が思うに、裏が駐車場で、病院の敷地内というのに隠れて吸っている不届きな人がいて、その煙が流れ込んできているに違いない。火のないところに煙は立たない。もちろん、普通ならそんな匂い、窓を閉めていたら入ってくるわけがないのだけど、どこかに隙間でもあるんだろうぐらいに考えていた。それにタバコの匂いはどこからでも入ってくるのが常だ。

昨日は切り出し当番だった。雨が上がって暖かくなり、朝からたくさんの花粉が飛ぶだろうと警戒していたが、通勤中も診断室に入ってからも特に問題なかった。だが、いったん切り出しを始めた途端に鼻水が出始めた。あれ、おかしい。さっきまで平気だったのに。この部屋に入ってからだ。マスクは部屋に入ってから間違えないようにつけた。念のため、鼻のところの金具の向きを直してよりぴったりくっつくようにしたけど、その後もなかなか止まらなかった。

 x

部屋にいた臨床検査技師に聞いた、「この部屋って、陰圧?」「そうですよ、この部屋は陰圧ですよ」。

陰圧、ということは外気がこの部屋に入ってくるということ。ああ、そうか。病理の切り出し室は環境汚染に配慮して陰圧になっているから、以前タバコの匂いが入ってきたのだ。そして、花粉も。花粉の大きさは2050μm程度なのに対して、タバコの煙は1μm以下。これならタバコの匂いが陰圧状態の部屋に流れ込んでくるのは当たり前だ。それにしてもタバコの副流煙も花粉以上に飛散しているものとは考えていなかった。

うっかりしていた。

よく、外から帰ってきて部屋に入るときには衣服に花粉が付着しているので、それを落とすようにと言われるが、タバコのけむりはもっと、ということになる。電車やバスでとなりにタバコの匂いをプンプンさせている人に座られてほとほと困ることがあるが、そんな人はタバコの副流煙の粒子をばらまいているということだ。副流煙の怖さは以前から言われている(副流煙というタバコの罠20181226 )。でも、なんだか当事者(ニコチン中毒の人)には、周りに、アレルゲンをばらまいているという意識が乏しい。花粉症とリンクさせて考えたらもう少し考えてくれるようにはならないだろうか。

タバコの煙は一年中

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あの人もタバコで癌に

2019年02月22日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル

元アイドルだった芸能人が舌癌を公表して話題になった。お気の毒な話で、病気平癒をお祈りする。

ところで、舌を含め頭頸部癌の原因はほとんどがタバコだ。7人の子供の母親が喫煙者とは思いたくないが、タバコ以外が原因である可能性はとても低い。私の周りでも男女問わず喫煙者は依然として多いし、日常の診断業務でも舌癌の症例は少なくない。私もかつて吸っていた人間として、タバコを吸わなくなって10年以上経つがいまだに爆弾を抱えているような気になって不安になる。本人の癌とは関係はないが、副流煙によって7人の子供たちは相当の被害を受けている。子供のいる場所でタバコを吸わなくても、服とか髪の毛についている有害物が子供に健康被害を与えている(副流煙というタバコの罠

20181226 )。

有名人がなぜ癌であることを公表するのかはわからないが、舌癌のようなタバコとの因果関係が明らかな病気の場合、タバコを吸っていたことも合わせて公表してほし。もし、そうでなけれ(タバコを吸っていないのなら)ばそうでないと明らかにしてくれたらいいだけだ。

少し前に”国民的”ロックバンドのボーカリストが食道癌にかかったことを公表していたが、彼もずいぶん多くの酒とタバコを摂取していたという噂をきいていたけど、その時もそういった嗜好品のことまでは、本人からは公表されていなかったように思う。

『え、あの人が癌、そしてその原因はタバコ?』『癌の治療をキッカケにタバコをやめた?』となれば多くのニコチン中毒者がタバコをやめるきっかけとなるに違いない。何歳になってもやめた時点から発がんのリスクは下がり始める。今からでも遅く無いから、タバコの害をもっとアピールしてほしいのだが、なかなかそうならないのは残念だ。

タバコ代+治療費+身体欠損の合計は?

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弱い立場の人の気持ちを想像する

2019年02月07日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル

昔から知っているコメディカルの人が、医者からこっぴどく怒鳴られた、という話を噂で聞いた。伝聞だから、どんな状況で医者の怒りを買ったのかは、その場にいなかったので正確なところはわからない。噂話として私に話をしてくれた人は、その人がちょっと不器用なところを取り上げて、からかい気味に話していたが、僕は逆にその人のそんなところを突かれたことが気の毒だった。僕はその人の不器用な分丁寧に仕事をするのがいいと思っていた。

人間関係で気をつけなくてはいけないのは、立場の違いを考えないで他人を圧迫することだ。何の気なしに、職権とか立場が上の人が下の人に文句を言うのは簡単だ。でも、言われた方はどうだろう?逃げ場はなく、せいぜい言い訳しかできないのに、激昂している人間に怒鳴り散らされたらその言い訳までかき消されてしまう。仕事だから、逃げることもできない。ひどいことを言われて平気な人なんていない。慣れてしまう人もいるかもしれないが、気持ちが鈍化してしまったに過ぎない。


僕自身、以前にも増して色々なことを考えてしまうようになって、その怒られた人のことを思い出した。一人で怒られ、一人で抱え込んで、辛かろうと思った。いじめとか虐待、ハラスメント、そういうものは、すべてがそういったことを”する側”の想像力の欠如から生じる。だから、人を殺してはいけないのだ。

自分がされて嫌なことを人にしてはいけない。それがなかなかできないのはなぜか。それは、字面だけで考えているからではないか。僕はこれまで、ずっとそんな人間だった。口では、というかこのブログのなかでもそんなことを書いてきていたけど、果たして僕はその人の気持ち、立場を切実に考えていただろうか?自分が老い、人間関係に疲れ、仕事に追い込まれ、重いストレスを感じて、初めてほかの人の思いに考えが向かうようになったのかもしれない。人間は優しくなろうと思えば優しくなれる。怒りをコントロールし、その怒りの源を想像力によって封じ込め、優しさに転換させることができる。

感情を理性に変える

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