昨日に引き続き寒い朝。
阪神淡路大震災から今日で30年だそうだ。
妻が30年前、ちょうど息子の世話をしていた時だったと思い出を話してくれた。
30年という時間の中には多くの人それぞれの軌跡があり、それぞれの人がそれぞれの人間関係を持っている。
地震では6千人以上の方が亡くなったが、それぞれの人が持っていた二元関係を掛け合わせると、数十万の人の心にいろいろな軌跡をもたらしたに違いない。
人一人の人生はその人だけのものではないのだ。
昨日、歯科の検診で奥歯が一部尖っている様で気になると担当医に相談したら、
ちょっと欠けているだけで、(虫歯の)心配はないですよ。
ストレスがあったりすると寝ている間に歯軋りしたりとかでこうなることがあるんですよ。
と説明された。
歯軋りはしないはずなので、ちょっと違うかもしれないが今度の学会のストレスが関わっていることは間違いない。
その担当医は、開業するということで今通っている歯科医院をやめる。
やめる直前に虫歯が見つかったなんてことにならずまずは良かった。
それでも、今の職場に移ってすぐに急患同様で見てもらって以来5年かかった。
ていねいで、落ち着いた歯科医だったので少々残念。
開業するのはやや遠くで、追いかけていくには無理があり、別の医師に引き継がれるが、腕はどうだろう。
次の検診は春
寒の入り。
少し気温は高めのようだが、明日からは本格的な寒さがやってくるとのこと。
体調管理はしっかりしたい。
結局9日間、のんびりした。
今日が仕事始めと思うと、昼間散々歩いたおかげで早く寝たものの、夜中に目が覚めてから再び寝付けず困った。
この休み、ダラダラ過ごしたというわけではなく、親戚付き合いとか、賀状書きとか、庭いじり(維持のため)とか、アンの散歩とか無駄に過ごしたわけではなくそれでもあっという間に時間が過ぎた。
二月の学会の準備をしても良かったのだが、まあそれは間に合うだろうと思っている。
いずれにせよ、たっぷり休んで十分リフレッシュができた。
そういえば今年の抱負は特にないと思っていたが、一つ大事なことをそれにしようと思っている。
それは、
過ぎたことは後悔しない
これまでにも『過去と他人は変えられない』などといっていたが、それよりもう一歩踏み込んだ心がけだ。
昨日、妻と歩いていてふと頭に浮かんだのだ。
過去のことが全て詰まった今こそが常にスタートラインであり、それがどこなのかを見極めることがこれからの人生に大事だろう。
済んでしまったことをクヨクヨしても始まらない。
今日からまた新しい毎日を始めよう。
常に心掛ける
朝から大雨。
1日降り続くとかで、行きも帰りも交通の便が心配になる。
最近Xづいているということを書いたが、その後もそれは続いている。
こういうのは中毒性があって、まんまと引っかかっているのだが、いったい今の時点ではどんなところが刺激されてこうしているのか。
ブログを書いて刺激されるのとはちょっと別の部位なのだろうが、その明確な違いはわからない。
Xの中には色々なジャンルがあるらしいが君子危うきに近寄るべからずと、Xを始めて間もない頃からフォローしている一部の政治家とか評論家、生き方指南と、最近増えた(おそらく若手の)病理医の投稿などを主に読んでいる。
このうち、生き方指南は、アドラー関係と筋トレ関係を以前から読んでいたが、最近は、こうして生きると良いとか、メンタルが弱った時は、とか、そんなのが多い。
いちいち目を通し、なるほどそう考えたらいいのか、そうかそうだったのか、とか、早速やってみようとかいろいろあって面白い。
でも、最近はそれらの指南にはちょっと食傷気味だ。
そもそも、こういうのは本として駅ナカの書店にたくさんあり、これまでずいぶんたくさんの本を買ってきた。
Xはそれらのエッセンスが出ているのでコスパ、ダイパがいいということになる。
それはさておき、どれもその時々には瞬間的に役立つものの、それらの考え方を永続させるのは難しい。
お経のように毎朝毎晩唱えたらいいのかもしれないが、それでは思考の自由が奪われてしまう。
よりよく生きるための考え方、というのは決して悪いものではないが、それに束縛されてしまうと、また新たなプレッシャーを感じるようになってしまう。
こういうのは実はメンタルが強くないと読めないのかもしれない。
そこに列挙されている考え方は、どれも悪くはないのだが、では、それで楽しい人生が得られるかというとこれまた微妙な話だ。
結果として、勝手に軌道修正して元の木阿弥となってしまう。
生きるというのは難しいものだ。
あれこれ気にせず
少し蒸し暑い朝で、じわじわと梅雨の足音が聞こえてくる。
最近、仕事の調子が今ひとつ。
いろいろなところでの小さな失敗が目につく。
良かれと思ってしたことでも、別の立場に立ってみればそれは良くないことだったり、少なくとももっとやりようがあったと思ったりすることがある。
具体的にどれがどうというわけではない。
ブログやXの記事などでもそう思うことは少なくない。
ましてや仕事とか、職場でのこととなるともっとたくさんになる。
生きていく中でつまずいたり、突き当たったりすることというのは、自分で蒔いた種による自縄自縛なのか。
それとも不可抗力で遭遇してしまうものなのか。
こういう時、自分を救ってくれるのは一体なんだろう。
自分か、自分以外の誰かか、それとも神か。
といっても、神様もいろいろいらっしゃる。
アカウントぐらいなら簡単に消去できるが、人間同士のことや仕事のことはそう簡単にはいかない。
いろいろごちゃごちゃしているので、どかかでリセットしたい。
生きているだけで丸儲け
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今日も薄曇り。
昨日ほどは暑くならないそうだ。
またまたエントリーをアップし忘れて、今日のこのブログを書こうと開いたらおとといのエントリーがトップにあってそのことに気がついて急いで先ほどアップした。
日付が昨日の夜11時になっているのであまり多くの人には気がついてもらえないだろうが、仕方ない。
それなりになるほどということを書いているので、もしよろしければ昨日のエントリーもこの後読んでいただければ幸いです。
このごろこの間の盗撮犯取り逃しの時に痛めた左薬指の痛みがやっと引いてきた。
1ヶ月以上経つので全治2ヶ月の負傷ということで結構なことだったことになるが、だれにも評価されない。
犯罪の被害に遭うとか、それを防いだり救ったりとかそういうことはずいぶん割に合わないことで、犯罪には巻き込まれたくないものだ。
それにしても犯罪を犯す人間というのはどうして自分のことしか考えなくなってしまうのだろうか。
どういうきっかけで犯罪者になるのだろうか。
手口がわかっていたから特殊詐欺の被害を未然に防ぐことに貢献できたのかもしれない。
それまでにすでに悪事に手を染めていたかどうかはわからないが、良心というか正義を守ろうという気持ちはどこかにあって、”それとは別の次元”で犯罪を犯したのだろうか。
私だって、いつ邪念に支配されるかわかったものではないと思う。
そもそも邪念の範囲だってよくわからない。
人それぞれだし、それぐらい大目に見てよ、という大目ですませる人もいるだろうし、それはちょっと針小棒大というようなことが当たり前の人だっている。
人を一人二人殺したところで、戦争で人を殺すよりはよほどマシ、と本気で考えている人はいるだろうし、それとこれとは別という人もいるだろう。
この間のナントカりりちゃんなんて、恋愛感情につけこんだ詐欺をしたと裁判にかけられているが、美人局に始まりロマンス詐欺、ホストへの入れあげとか何がどれだけ犯罪になるのか線を引くのは簡単なことではない。
ちょうど今、NHKの連続テレビでは女性法律家が主人公の話をしている。
見ていると法律というものは自分目線で利用するものなのだと感じるが、確かにそうだし、では法律が絶対に正しいかといえばそうともいえないのは当然だし、それを簡単に変えるわけにもいかない。
法律に頼るのは当然、というかやむを得ないこととして、それより何より大切なのは、まず、自分が間違ったことをしないということが生きてゆく上での大前提となる。
自分に嘘をつかない
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小雨混じりの朝、少し蒸し暑くなるらしい。
5月というのは新緑の清々しい季節を考えてしまうが、結構雨がちだ。
このまま、あとひと月もすれば入梅だ。
最近小説ばかり読んでいてあまり勉強をしていない。
医学への知的好奇心が失われたわけではないのだが、若かった頃と違って新たな知識を取り込もうという気概が減少しているように感じる。
最近の科学の進歩はずいぶん遅くなったように思う。
DNAの二重らせん構造が提唱されたのが、1953年で、私が大学院で研究をしていたのが30年ほど前の1990年代。
その頃はすでに、私のような素人でもDNAとかRNAといった核酸をいじることができるようになっていた。
それ以来セントラルドグマ(DNA⇨RNA⇨タンパク質)の概念を大きく変えるか飛躍的に推進する理論、発見は無く、ブロック1個1個を積み重ねるような努力が進められている。
目をほかに転じてみると、音楽。
ビートルズ、ローリングストーンズさらにはサザンオールスターズやユーミンといった昭和の音楽を超えるものはなく、リバイバルがいまだに多い。
文学、美術もほとんどの手法が使われてしまっているようで、出てくるものの多くは陳腐だ。
今後はインターネットで瞬時に類似性を指摘されてしまうから、クリエーターという人たちも大変だ。
経済成長という言葉を聞くが、地球から、資源、自然を搾取し続けてそれを達成する必要があるのだろうか。
これ以上の発展をやめたら、格差の拡大も地球温暖化も進まないのではないか。
全ての領域で、プラトーにあると考えてはいけないのだろうか。
それなのに、新たな発展を目指すから世界からは戦争が消えないし、環境破壊は終わらない。
もう、この辺でいいような気がするが、そうもいかないのは人間の宿命なのか。
他の動物にはそんなことはないように見える
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爽やかな1日になるということで頑張ろう。
今週は早かったような、ちょっと遅かったような感じだったが、振り返ってみるとまだやり残したことはたくさんあって、結果としては時間は足りない。
時間が足りない、時間が早く過ぎると感じるのはなぜだろうか。
体感時間を自身の移動する時間に例えるとすれば今の私は60キロ。
一般道なら快適なスピードだ。
でも、この考え方だと死ぬまでスピードが上がり続けることになって、最後は息切れしてしまう。
それよりも人生を短く感じてしまうのは残りの人生で選ぶことのできる選択肢が減ってしまうからではないだろうか。
人生にはさまざまな局面でそれぞれの選択肢と可能性がある。
生まれた瞬間には選択肢・可能性は無限大だ。
人生80年として、1歳ではそれが80通り、10才で70通り、となって、今の私には20通りの選択肢しか残されていない。
年をとり、毎年選択肢が限られてゆく。
かつては無限だったものが限られてしまうことで、この先の人生を短く感じてしまうのではないだろうか。
だからこそ、その限られた選択肢をより良いものにするというのも人生のありかただし、むしろその方が効率は良いかもしれない。
などと、しょうもないことを考えている暇があったら、今日やらなくてはいけないことをやらなくてはいけない。
残り時間がわかるといいが・・・
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穏やかな朝。
鶯の声を探していると、突然けたたましいガビチョウの声で遮られてしまう。
それでもまあ、それなりに彼らも頑張っているわけだから許容していかなくてはならないのだろうと思いつつ、ホーホケキョの声を待つ。
今日明日はオンライン形式の学会がありの、この間の還暦同窓会の幹事会の打ち上げありで、いろいろあって落ち着かない。
昨日から娘夫婦が来ているが、娘婿が、
日本では土日に学会というのは当たり前なのか
と聞いてくるので、
そう、ウィークデイは働かなくちゃならないからね
と応えた。
この春から勤め始めたラボの同僚に聞いてもおなじような答えだったそうだ。
何か言いたそうだったが、これが日本だからとそれ以上私も何も言わなかった。
欧州人の彼の目に日本人のこんな働き方はどう映るのだろう。
少なくとも人生をそれほど楽しんでいるようには見えないのではないか。
では、人生を楽しむ、というのはどういうことなんだろう。
自分の好む土地に住むことか、でも、週末以外はそこにおらず、普段はそこから往復4時間をかけて通勤することはそれほど楽しんでいるとは思えない。
起きがけに、テレビをつけたら、NHKで”あの人に会いたい”というプログラムで、青色LEDを開発してノーベル物理学賞を受賞した赤崎勇さんのことが紹介されていた。
この人は大きな成果を挙げて、人生をさぞ楽しんだ事だろうと思ったが、そのことと引き換えの努力もあったはずだ。
失敗から学ぶこと、役立つことがあるとも言っていたから、失敗すらも楽しみ、歓びだったのかもしれない。
それぐらいじゃないと、そもそも生まれてきた意味もないのかもしれない。
自慢の一つにもならないことだが、私は失敗の多い人生を歩んできたし、今でもしょっちゅう失敗している。
そんな失敗でも役に立っていると思えば後悔などせずに楽しむことができるかもしれない。
楽しけりゃそれでいい?
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今日は暖かくも寒くもないちょうどいい天気とのこと。
妻はどんな格好をしていたらいいのかわからないとこぼしていたが、その点男は羽織るもの一枚でどうとでもなるので楽だ。
父が残してくれたヒポクラテスの木の末裔(プラタナスの木)に新芽が出たと思ったら、あっという間に葉っぱが出てきた。
新緑の季節、コナラにも天ぷらにしたくなるような芽がたくさんだ。
それにしても1日の過ぎるのが早い。
昨日にしても、切り出しをしていたら、新任院長の巡視が聞かされていた時間より早くにあってちょっと中断し、その後数例を診断していたらあっという間にお昼。
久しぶりの病理外来で汗をかき、そのレポートを書き終えたら、エキスパートパネルがあり、これまたいつもより症例数が多かった。
そうこうするうち終業時間。
この間、臨床医が何人か顔を出しにやってきていたはずだが、内容は覚えているが、それが昨日のことだったかそれとも一昨日のことだったか正確には思いだせない。
こんなことでいいのかと心配になってしまうが、時間なんてこんなふうに飛ぶように過ぎていってしまうものだ。
時間を無駄にするな、という言葉があるが、ならば有効な使い方とはどんなものをいうのだろう。
大学受験、試合に勝つために、そのための勉強、トレーニングを1分1秒無駄にせず行うとしても、休息は必要で、その時間は一見無駄のように見える。
昨日の私にしても昼休憩はしっかり取ったし、仕事の合間に世間話という無駄話をする。
生物の中で時間の概念のあるのは人間だけではないだろうか。
正確に言えば、時間という概念に”縛られている”のは人間だけなんじゃないかと思う。
暗くなったら動く動物、明るくなったら開く花、あらゆる生物は自然の相互関係の中で生きているが、人間だけはそれは関係ない。
関係しているのは時間だけで、昼間だろうが夜だろうが忙しく活動する。
人間がこんなに忙しくなってしまったのはいつからなのだろうかと、睡眠時間6時間確保に汲々としながら考えてしまう。
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今日も雨で、さらには朝より気温が下がるということだ。
そんなことで結局今日もダウンジャケットを着て出てきたが、中にセーターは着ないでおいた。
昨晩も段葛を歩いたが、桜の蕾はずいぶん大きくなっていたものの、案の定1輪も咲いていなかった。
明日には気温が上がるというので、桜もチューリップも一斉に開花してくれることを期待している。
電車で外国人観光客がつまらなそうな顔をしているのをみると気の毒になる。
ここ数年であれば、今頃はもう満開なのに、アテが外れるにしてもあんまりだ。
朝食を食べていたら、大谷翔平選手の会見というのがあって、経緯を説明していた。
じき真相は明らかになるだろうが、彼の身の潔白を信じようと思える内容だった。
それにしても彼も気の毒だ、1000億円もの契約を取り付け、結婚もし、新天地で全力を発揮しようと思っていたところでの”側近”による金の使い込み、プレーに雑念が入らないわけがない。
彼がこれまでに積み上げてきた実績は本物だからそれが傷つくことがないことを願うばかりだ。
好事魔多し。
人生どこで何が起こるかなんてわからない。
時としてささやかな幸せすら突然奪われてしまうことがあるのはその人が悪いのか、それとも理由などなく理不尽なだけなのか。
物事を多面的に捉えたら良くみえる点もあるかもしれないし、人間万事塞翁が馬という言葉だってある。
では、自分のこの先の人生はどんな風に転がっていくのだろう。
あれやこれやに一喜一憂することなく、結局人間最後は死ぬと思って、泰然自若、それまでたっぷり人生を味わってゆきたい。
こんなものなのだ
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今日も快晴だが、空気は冷たいまま。
そうはいっても、陽の光をたっぷり受けたら地面はずいぶん温まるに違いない。
今年は閏年で、2月は29日まであるがそれでも残り3日。
時間があっという間に過ぎていく。
あれほど先のことと思っていた還暦祝いの同窓会も今週末に迫ってきた。
世話人会の仲間たちの協力のおかげで準備万端、あとは当日を迎えるだけだ。
毎日、時間は猛烈なスピードで過ぎて、止まるところを知らない。
やらなくてはいけないこと、考えなくてはいけないことが大量にあり、整理が追いつかないように感じるのは、実際にそうなのかただ単に認知力が低下しているからなのか。
ただ、後者である場合、それは私に限ったことではないわけで、高齢の政治家、企業家はいくらでもいて、実際見ているだけで怪しげな人はいる。
そうしてみると、必要なのは能力よりも気力なのかもしれない。
父が亡くなった時もそうだったが、先日亡くなった叔父も最期は生きようとする気力が見えなかったといとこが言っていた。
もう十分生きた、と思って亡くなるのが穏やかな死というものかもしれない。
今の私が心の底から生きたいと思っているのかどうかよくわからないが、とりあえず、人からの頼まれごとがあるうちはそれらをうっちゃるわけにはいかないので、それらは済ませようと思う。
やる気を失わない
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今朝はいつもより少し早く出た。
妻に駅まで送ってもらうのはいつものことだが、その妻がハンドルを握りながらふと、
時間が早いと、歩いている人や車がずいぶん違って、いつもと景色が違うわね
と言った。
たしかに、すれ違う車、追い越す自転車、散歩中の犬、ジョッギングする人、一見、似ているようだがどれも違う。
背景としての鶴岡八幡宮にしても段葛、若宮大路はなにも変わらないのに、と考えると不思議なものだ。
人間など、しょせんはこれらの構造物の上を動き回っているに過ぎない存在だと感じる。
さらには、これらの構造物にしてもしょせんは人工物であり、やがて(といってもとてつもなく遠い将来だが)朽ち果て塵埃に帰する。
今日は札幌に来た。
覚悟していた以上に寒いが、今年は例年よりも暖かいという。
何てこった・・・。
それはさておき、すべては、雪に覆われていて、下のものはなにも見えない。
あれこれ作った構造物すらも簡単に隠されてしまうのかと考えるとなんだか儚い気持ちにもなる。
夕食は味噌ラーメン
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研究班の会議があって午後から東京へ。
午前中のうちに、水やりと野鳥たちへの給餌をした。
バードフィーダに餌がいっぱいになると、鳥たちがどっとやってくる。
鳥たちは、餌が増えるのを一日中待っているのだろうか。
たまにはネクタイを締めようと思ったら、ずいぶん下手くそになっていた。
ダブルノットはやめてシングルノットにしようとしたらネクタイが長くて、断念。
少し手こずったが、予定していた電車に乗り遅れることはなかった。
”東京へ”といっても、今日の会議場は東京駅の近くで、勤務先よりも近い。
ウェブ参加も可能だったが、久しぶりに研究仲間にも直に会いたかった。
鎌倉東京間は55分。
昔はちょうど1時間だったので、5分ほど短くなっていて、その分電車内での準備時間も短縮される。
そういえば、昨日の大学共通入学テストで、一部の科目で15秒ほど短くなってしまい、再受験の措置が取られることになったそうだ。
話を聞いた時、たったの15秒、と思ったが、その15秒が”たった”どころではないということを思い出し、再受験になった受験生たちに対して申し訳なく思った。
時間の流れというのは人によって全く異なる。
2時間半ほどの会議の間、自分がプレゼンをしたり、他の研究者の話を聞いたりしていると時間はあっという間に過ぎる。
そして、帰りには日はすっかり傾いている。
例えば、同じ時間を駅前でぶらぶら過ごして潰そうと思ったらそれはずいぶん長い時間に感じるだろう。
銀座に移動して映画でも見たら、やっぱりあっという間だろうし、それどころか時間は足りなくなる。
人それぞれが時間を持っていて、私の人生は今のところ時速60キロ。
自分だけ早くても遅くてもだめで、みんなと調和させていかなくてはいけない。
案外これって難しい。
今週末はろくに休むことはできなかったが、いろいろ頭を使って過ごすことができたので、ヨシとして明日からの仕事にむすびつけていこう。
人生をゆったり生きる
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久しぶりに寒い朝。
明日は小寒なのだから、こうでないと調子が出ないが、能登半島の方々のことを思うと、今年の冬は少しでも暖かくあってほしい。
地震のせいにしてはならないが、ちょっとぼんやりしているとあっという間に時間が過ぎる。
何もしないでいたら、小寒どころかあっという間に大寒、立春となってしまう。
まず考えなくてはいけないのは今年の抱負。
人生の残り時間なんてまだまだあると思っていたが、同期の友人の訃報を聞くと、自分だって一体いつ死ぬか、死なないまでも体調を崩して伏せってしまうかなどわかったものではないと実感する。
だからこそ、毎日を充実したものとして生きなくてはもったいない。
それなのに、相変わらず無駄なことばかりしながら生きている。
太宰治ではないが、恥の多い生涯を送って来たわりには、われながらいけしゃあしゃあと生きているのはなんなのだろう。
学生時代、もっと勉強したらよかったのに、とか、タバコなんか吸わなければよかったのに、とか、バスケットボールをしていた頃1本でも多くのシュートを打っておけばよかったのに、とか、研究に際してはもっと論文を読んでおけばよかったのに、とか、病理診断の勉強をもっとしておけばよかったのに、とか後悔ばかりしているが、かといって、今それを取り返そうともしていない。
後輩や他人にも、もっと頑張れ、ああしろこうしろとせっつくのに、いざ自分がそうされたら嫌に決まっている。
やればやっただけの結果が出ることはわかっているのだから、頑張ったらいいのに、なかなか頑張れない。
ダメだダメだと思いながらも、自分に対しては極めて甘い。
人間いくら歳を重ねても自分に対して甘くて怠惰だ。
そんな自分に対して、プレッシャーをかけるのが”抱負”なるものなのだ。
そんな今年の抱負は何にしよう。
・人の生き方(=考え方)を受け入れ、人と争わない。
・丁寧な生活を心がける。
・努力すべきことは努力する。
・そして、なによりもこういうことを呑気に考えていられる今の自分の状況に感謝する。
今、ここにこう書いてみてもすぐに忘れてしまうから、紙に書き出して机の前にでも貼っておこう。
自分に対して厳しくも優しく
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