こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

今が、わたしたち日本人の転換点では

2013年01月31日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
今度は、柔道女子日本代表合宿でパワハラがあったということが、選手たち自らの告発で明らかとなった。報道を見る限り内部でうやむやにしようとしていたが、どうしようもなくなり露見したという感じがする。
きょうび、犬のしつけでも、体罰は効果がない、ということはあきらかで、マルチーズのコロがいくら吠えてもたたいたり怒鳴ったりしたりしない。さらに、コロの尻馬に乗って吠えるフラットコーテッドレトリバーのナイトについても同様だ。

日本ではあまたのスポーツ選手が、”指導”という名のもとに、犬以下の扱いを受けている、ということになる。多くの選手は、自己決定権を他人、すなわち監督、コーチに委ねるという楽な選択の代わりに、言いなりになることを選んでいるのかもしれないが、プライドのある人はしかるべき場所に訴える。中には、プライドがずたずたにされて、自殺する人もいる。

体罰というと、戦争映画でそういったシーンを見かけることがしばしばあるが、日本にはそういった伝統があったのだろう。相撲部屋でのしごきで死者が出たこともあるほどで、しごき、体罰というような方法での指導というのがあたりまえになっていた。
これは、何もスポーツ界の話だけではない。
学校や塾で、竹刀や木刀を持ってうろうろしている教師の姿は容易に思い浮かばれよう。それらは、教師の意にそぐわないことがあれば、それで打擲するという暗黙の意思表示である。
人間は、言葉を持つ生き物であり、言葉によって互いの考え方を伝えあうことができるはずだ。

だから、言葉で伝えることを怠ってはならない。言葉で伝えることを怠るということは、面倒だからであり、その能力が無いからである。
そのことを認めようとせず、のうのうとしているのは怠慢であり、幼稚であり、モラルの低下である。

そして、教育現場をはじめとするモラルの低下は、幼稚な大人の再生産につながる。
大人同士でのなれ合い、例えば、体罰が当たり前だと思う大人、電車内で電話の通話を平気でする大人、横断歩道で待っている人がいるのに通過する運転手、そういった、モラルの低い大人、幼稚な大人が幅を利かす・得するような社会が定着していくことで、大人は大人達のテリトリーを失っていく。
子供、若者に対して模範となれない大人が減る、ということは子供、若者にとって不幸なことだ。

格差社会が現実のものとなって、それどころではないという大人も多かろうが、公共の場や職場では大人は大人としての振る舞いをするべきである。

今、この時こそが、私たち日本人それぞれが転換する時ではないだろうか。


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犬のテリトリー

2013年01月30日 | 犬との暮らし
フラットコーテッドレトリバーのナイト、夜の間中、こうやって家の中を覗き込んでいる。



ところが、昨年末のクリスマス寒波のときにかわいそうになって、つい家の中に入れて何日か過ごさせたら、あっという間に家の中にいることが当たり前になってしまった。それ以来、外に出しているとワンワンうるさく、ご近所迷惑となってしまうようになった。
はじめは、オスワリなどさせて、じっとさせていたのだが、だんだんと家の中をうろうろするようになってしまい、ついに檻を買った。



幸い、この檻を飛び越えるようなことはなく、ナイトの上陸によってピンチに陥っていたマルチーズのコロもホッとしているように見える。



現況ではナイトが家の周りおよび、この檻のところまで、コロは、1階の檻以外の部分と2階全部、がそれぞれのテリトリーとなっている。面白いのは、人間のテリトリー、すなわち、子供部屋とか親の部屋、といったものは全く関係なくうろうろしているということだろう。

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明るい夜道

2013年01月29日 | 日々思うこと、考えること


ここ数日、月が大きいせいもあって夜道が明るい。月もそれなりに明るいのに、全く暖かく感じられないというのは、なぜだろう、などと下らないことを考えながら歩いたりする。
折角の月夜、綺麗な写真を撮ろうとするのだが、うまくいかない。夜なので、おかしなことをしていると怪しまれてしまうので、人様の家の写真を撮ったりはしない。
夜というものは、何かと物騒であり、大抵の人にとって夜道は暗いよりは明るい方が良い。



この辺り、かつては畑しかなかったのだが、どんどん宅地化が進んで、今や一軒の区画が300坪くらいある家と、高級マンションばかりの都内でも指折りの高級住宅街となりつつある。宅地に転売されていない畑もまだまだ残っているが、先日も一町ほどの畑があっという間に細分化されて十数軒の家が建っていた。せっかく、一区画が広かったのに、もったいない話だ。

それはさておき、この私の帰り道、ひとけが少ない。車は頻繁に走っていて、ときどきひかれそうになるが、よく通る神社の裏は袋小路のようになっていて自動車は通らず、犬の散歩で歩く人にすれ違うこともほとんど無い。
だからだろうか、そこのところだけ、唐突に明るいのだ。



人感センサーで照明がどんどんつくので、後ろを振り返ると遊園地かどこかの広場のように見える。
テレビドラマか映画のロケででも使えそうな綺麗さ、明るさだ。そこに歩いていくと、自分がスポットライトを浴びているような気分にすらなってしまう。



ただ、この広場、というか道を抜けると神社の裏参道に入る。ここは暗くて、境内もひっそりしていて、灯籠が月明かりに照らし出されていて美しい。

今日も一日、あっという間に終わってしまった。それでも、こうやって夜道を楽しむこともできるなんて、それなりに良い一日の終わり方といえるだろう。

鎌倉の山奥にある私の家の前も比較的明るくしている。


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粉砂糖をかぶりながら

2013年01月28日 | 日々思うこと、考えること
夜半から明け方にかけて、関東地方に雪が降った。横須賀線の車窓からもところどころでチラつく雪が見えたが、都内の駅で降りたときにはすっかり止んでいた。

歩いていると、あちこちに粉砂糖が振られたように雪が残っていて綺麗だ。うっすらと降っただけで、朝日の当たる道ではすでに雪がずいぶんと溶けてしまっているが、日陰に降ったものや先々週の大雪の溶け残った雪の塊の上にあるものは溶けずに残っている。
雪の上に残っているものなどは、白い雪に着いてしまった汚れを覆い隠しているように見える。

すべてのものが、こうやって時間とともに変化していく。
土ぼこりで薄汚れてしまった雪の塊でも新たな雪に覆われたら、その汚れは見えなくなる。そして、新たな雪、古い雪はいつの間にか一塊となって、溶けていく。

一つ一つの事象は千変万化であるように見えて、実のところは、すべての事象が一方向にしか進まないたった一つの時間軸の上に乗っかっている。そして、すべての事象は遠からずたった一つの事象に集束されていくであろう。
まるで、ケーキの上に綺麗に振られた粉砂糖が、ケーキを食べる段となれば、スポンジもなにも一緒に口の中に放り込まれ、それらは渾然一体となって味わわれていくのと同じようだ。

帰りの夜道、月明かりを頼りに見てみると、わずかに道路を覆っていた雪は跡形もなくなっていたが、雪塊の雪は残って、一つになっているようにみえた。

人生、こんなものだろう。粉砂糖をいくらか多くかぶってきれいそうに見えても、本質は変わらないし、その逆もまた、しかり、か。

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それ、ちょっと違います(3)・・・低温やどけにご注意を

2013年01月27日 | 日々思うこと、考えること

先日用を足しているときに、便ふたの裏側の注意書きが目に入った。

そうしたら、なんだか、妙な感じがする。

 

この便器のふたをなぜ便ふたというのか、大変疑問に思ったが、それはどうやら決まっていることのようで、私が気がついたのはそんなことではない、

 

その注意書きだが、

 

 

 

とある。

 

内容は、低温やどけに関するものと、便ふたに関するもの。

読んでいて、なんだかおかしい、どこかおかしいと思って、何度か読み直してみらた、わかった。

 

 

 

割れてけがをするおそれあがります。

 

おそれあがります。

 

日本語ではない。というか、あまりにもしっくりくるので、いったん目を離して、

「あれ?どこがちがうんだっけ?」と見直すと、見えなくなってしまうほどだ。

 

おそれあがります。

 

どうやると、こういう間違いができるのか。

 

恐れがあります、とか漢字にしておけばよかったろうに、そうしなかったために違ってしまった。

漢字にしたところで、便ふたの裏側の話だから女性はおそらく誰も気がつくことは無いし、男性であってもまじまじと注意書きを読む人などそうはいないだろう。

さらに、乗るにしても、寄りかかるにしても、閉めた状態で使うしかないであろう便ふたに関する注意書きはここに貼ってあってもあまり意味がない。

 

このシールを作ったメーカーの人はこのミスに気がついているだろうか?

 

”やけど”を”やどけ”という程度の間違えだったら、たいがいの人が気がつくかもしれないが、この間違いに気がつく人はほとんどいないのではないかと思う。

だから、間違っていても、まあ、どうでもいいのかもしれない。

 

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それ、ちょっと違います(2)・・・JR東日本の鎌倉観光キャンペーンポスター

2013年01月26日 | 日々思うこと、考えること
鎌倉駅の駅員室の前には吉永小百合さんの等身大(?)の立て看板があり、その横には鶴岡八幡宮の舞殿前で撮られたポスターが貼ってある。朝晩、吉永小百合さんに「いってらっしゃい」「おかえりなさい」と言われているようで、なんとなくうれしい。
だが、最初、このポスターを見た時、いったい、ここはどこなのだろうと思った。



JR東日本の鎌倉観光キャンペーンのポスターであることは明らかだし、婚礼の列も舞殿の前のように見える。
正確には、舞殿らしいのだが、どこか違うのだ。

私がフラットコーテッドレトリバーのナイトの散歩の途中でよく目にする舞殿前の婚礼の列とは何かが違う。だけど、その何かがわからなかった。



毎朝、毎晩、このポスターに違和感を感じていたのだが、先日、その原因がやっとわかった。

列席者の立ち位置が近すぎるのだ。ポスターのためだろう、前後の間隔が異様に短い。
これでは、通勤時のエスカレーターに乗る手前で、よちよち歩いている時の距離だ。
小さく前にならえ、などして調整したのかもしれない。



とてもつめて並んでいるので、舞殿の大きさに対して、やたら人が多くなってしまっている。その結果、相対的に舞殿が巨大化して見える。
さらに、大石段はちょっとしか見えないし、本殿は全く見えないので、比較すべき背景もよくわからない。

それが、私がこの写真が理解できなかった原因だったのだ。
それ以来、朝晩、このポスターを見ると、絶対にあり得ない婚礼の列のちょっと滑稽な状態が思い浮かばれて、思わず微笑んでしまう。
だが、近づいて見ないとよくわからないので、このポスターを見ている私は、吉永小百合好きの変なオヤジと思われているかもしれない。

今日は、鶴岡厄除大祭が行われるため、舞殿の周りは囲まれていました。


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それ、ちょっと違います(1)・・・マスクの表裏

2013年01月25日 | 日々思うこと、考えること
なんだか最近思いつめたようなことになっていたので、話題を変えて、ここのところ気になっていること3題を。
まずは、間違っていると、ちょっと恥ずかしいかもしれないマスクの正しい使い方。
今世紀に入って、SARSウイルス、鳥インフルエンザ、豚インフルエンザと、なにやら恐ろしいウイルス感染症が世間の耳目を集めるようになってきた。それに伴って、感染対策に使い捨てのマスクが市中の薬局でも売られるようになった。はじめのうちは、街なかで白いマスクをつけているのが奇異にも見えたし、感染に対してナーバスになり過ぎのような感じにも見えたが、いざ使ってみると、保湿効果抜群で、冬の乾燥対策にもなり今では、(おそらく日本だけの話だとは思うが)ごく普通の冬の風景となっている。
こんきもの読者の方の中にもマスクの愛用者がおられると思うので、間抜けに見えない正しいマスクのつけ方をお教えします。

受験生の息子にも、マスクの着用を勧めたら、最初のうちは気恥ずかしいのか嫌がっていたが、やっぱり喉が楽なようで、今ではお気に入りのものをコンビニで見つけてそれを使っているらしい。

そうしたら、「ねえ、マスクはどちらが表なの?」と聞かれた。
マスクの表裏(裏表)とは、
  と   のどちらかということだ。


手術室や解剖室で使うひも付きのマスクは、表裏の色がそもそも違うし、メーカーの文字も表向きなので表裏を誰かに聞くまでもなく正しくつけることができる。だが、恥ずかしながら、この両面白のゴムでひっかけるタイプのマスク、私はこれまで適当につけていた。まあ、鼻の形を作って、あごの下まで覆えば良いだろうぐらいで、表裏には頓着しないでいた。

だから、ある時は     だったり、ある時は     だったりした。


結局、正しい表裏がわからず、答えに窮して過ごしていた矢先、院内感染対策の勉強会があって、マスク、エプロン、手袋の使い方の確認があった。そこで恐るべき事実を知った。
マスクをつけているのを見ただけで、表裏がわかるのだ。
両面白なのに何故?
なにせ、たいていの人間、歩く時は顔を突き出しているわけで、その一番先にあるものが、正しくつけられているかどうかが、瞬時にわかるということになる。

で、その正しい表裏だが、マスクというもの合理的にできているのだ。

マスクには蛇腹があるが、それが下向きになるのが表だそうで、上の写真では、先の写真にある付け方が正しいマスクの付け方となる。確かにこれなら、表裏が瞬時にわかる。

考えてみれば、蛇腹が上向きだったらそこに液体やらホコリやらが溜まってしまうことになる。
私にしても、裏表逆につけていたのはしばしばで、時にはこれで通勤していたかと思うと恥ずかしい。

マスクの表裏の存在を知ってから、駅などで行き交う人のマスクの状態を見ると、3人に1人は裏表逆だ。その誤りは、瞬時に、しかも合理的に間違いなく判定できる。
よくすれ違う人の中にも、そういう人がいる。汚れを溜めながらマスクをしている人。
Vネックのセーターを後ろ前に着ているようで、声をかけて誤りを教えたくなるが変なおじさんになってしまうので、やめている。

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次の、そしてその次の高みに

2013年01月24日 | 日々思うこと、考えること
どうにもこうにも調子が上がってこない。
毎年、秋に感じる気分の落ち込みとは異なる。どちらかというと、スランプというもののような感じだが、それとも違う。なんだか、こう、足が前に進まないという感じだ。

言い換えると、先に待ち構えているものに対してひるんでいる。という状態ともいえる。


駆け出しの頃は、怖いもの知らずで、どんどん前に進んでいるような気がしていたが、ある程度経験を積んだところで、自分が知らないことがどれほど多いか、ということを知るという壁にぶつかる。
無知の知。

そこで、今度は勉強をしながら、少しずつ進むことになる。
私にしても、人様に自慢できるほど勉強したわけではないが、それでも、勉強していくと、次に誰も知らないこと、というのが出てくる。教科書はもとより、論文をさがしても、でてこない。
Nobody Knows.
神のみぞ知る。


このあたりにくると、しんどい。
診断をしたり、研究をしていても、どこかに書かれていることを引っ張ってくる、あるいは、焼き直しのようなことをして済んでいる状態なら良いが、気がついたら自分が先の方を歩いていた。

iPS細胞の山中先生のようにとてつもなく高い山を登って、さらに、その先を目指している人がいるのに、我ながら情けない話だが、コロ健なりに緩やかとはいえ坂道をそれなりに登ってきて、ちょっと小休止というところにいる。そして、その先に進もうと思ったら、いよいよ急坂が出てきた、というところだ。

先へ進むことの困難さにひるんで動けなくなっているが、そうしている時間はそれほどない。
周りにはたくさんの人がいる。じっとしていてはみんなに迷惑をかけてしまうことになる。それに、私の代わりなどいくらでもいる。

さらなる高みを目指して前に進むか、引き返すか、いずれにしてもじっとしてはいられない。

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一番小さくて一番大きい幸せ

2013年01月23日 | 生き方について考える
生きていることそのものが、最大の幸せであるという、当たり前のことを忘れそうになるときがある。
生きていること自体がポジティブな状態であり、それを維持しようとするのだから疲れるのは当然。時々やめたくなることもある。だが、その生きているというポジティブな状態を最も小さくしてみたところで、生きていること自体が、何にも例えようがなく幸せな状態であるということを知った。

私は病理医なので、間に臨床医がいる分、生きている患者さんとは離れている。それでも、命をかけて手術に臨んでいる患者さんもいれば、治療方針決定のために生検診断のための組織を採取されている患者さん、それ以外にもいろいろな理由、方法で患者さんの組織が採取され、それぞれに診断をつけていっている。そのほとんどすべては患者さんの命につながっていく。だから、目の前に生死をさまよう患者さんがいなくても、できる限り努力する。

生きているというそのことだけで、とても幸せだ。生きている限りは、どんなにささやかなものであっても、幸せを感じることができる。だから、できうる限り生きる努力をしなくてはならないし、人が生きることを妨げることをしてはならないし、生きることを助けることも必要となる。

それがたとえ小さな幸せであっても、生きているということそのものが、最大の幸せに違いない。

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身体感覚の急激な速さでの拡大

2013年01月22日 | 電脳化社会
すべてのことは雑然と、同時に進行している。3ヶ月ほど前にそんなことをぼんやり考え、一日をやり過ごした。その時の気持ちは、遠くアフリカのアルジェリアの地で起こった悲劇によって、より鮮明に実感された。

通信技術の発達によって、世界の、日本のどこか、すなわち私の身体感覚の届かないところで起こっている様々な現象があたかも目の前で起こっているように実感できるようになってきた。
かすかな記憶にある、浅間山荘事件。弟のボーイスカウトの手伝いに行った先で知った日航ジャンボ機墜落事故、自分が乗っていたかもしれない丸ノ内線を降りてから知った地下鉄サリン事件、そして、帰宅したらテレビで放送されていた9.11。すべてのことが、“同時に”起こっているということを身体感覚として実感するようになってきた。
東日本大震災では、東京も揺れたということもあったが、テレビを通して流される津波の映像が、現実であるということを受け入れるのに、困難はなかった。

今回の事件でも、刻一刻と入ってくる情報を、政府はおそらくそれほど隠さずに公開したのではないだろうか。もちろん、プライバシーに関わる問題を明らかにする必要は無いし、機密に属する情報があるのも致し方ない。その上で、私たちはテレビやラジオそしてネット上のニュースで経過を追った。事件は最悪の事態となって、終息しつつあるが、事件はこれで終わりというわけにはいかない。事件を生んだ社会状況も続く。アラブ世界での若年者の失業率は20パーセントにのぼるという。仕事をしたくても、仕事すら無い、という人々が数百万人いるという現実が今、地球上のどこかで進行している。

そもそも、“どこか”という表現が不適切とも言える。スケールの問題では、人間個人の身体感覚の及ばないところは、“どこか”になってしまうが、通信技術の発達によって、人間個人の身体感覚は無限に解放されつつある。
”誰かが”そこに存在する、もしくは一度でもそこに到達して、そこに通信機器を設置してしまえば私たちの感覚はそこまで到達していることになる。それは、人間でなくてもいい、通信機器だけをその場に移動させておけば、可能なことである。

従って、私たちの身体感覚は急激な速さで拡大しているということになる。その結果、大量のデータが一時に雑然と流入してくる。
私のような中年でも、そういった事象に今のところ、なんとか追いついているが、いつ脱落してもおかしくないスピードだ。

とくに問題になると思うのは、情報だけが流入してくることによる精神的な整合性をどう調整していくか。今回の事件のような悲惨な出来事が起きた場合、それを私たちは知っているにもかかわらず、何もできない。このようなことを知って、義憤を感じても、それに対して何もできない。そして、ただいたずらに自分のふがいなさを感じてさらに無力感を感じる。
私たち人間の技術の行き先は、一体どこにあり、それは果たして私たち人間に幸せをもたらしてくれるものなのだろうか。

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残念で、悲しい事態

2013年01月21日 | 日々思うこと、考えること
この記事を書いている段階ではまだ、全容はわかっていないが、アルジェリアの石油プラントでの人質事件の状況が刻一刻と明らかになってきている。そして、多くの日本人技術者の方が命を落とされてしまったようだ。
大変、残念で悲しい事態となってしまった。
命を落とされた方たちは、年齢、職種は異なっても、私と同じように、頑張って仕事をしていたのであろう。それなのに、それとは全く関係のない暴力によって命を落とされたわけで、本当に無念なことだっただろう。
理不尽な暴力にさらされた恐怖と、無念を慮るに、亡くなられた方のご冥福をお祈りするしかできないことが残念で悲しい。

”企業戦士”などという表現をする報道、論説が多いが、そういったくくりはどうかと思う。皆さんそれぞれの方が、それぞれの意志、考え、理想をもってそれぞれの会社での仕事に従事している。そして、過酷な状況へと赴いていっている人もいる。
私は、たまたま医者ではあるが、労働者の一人であることには変わりない。「職業に貴賤無し」という言葉もあるように、仕事をしている人というのは、それぞれの人がそれぞれの意味、意義を持って仕事をしている。
だから、今回のような事件の報道において、“戦士”などという表現をつけることは、残虐なテロ行為によって命を落とされた方達に対して、気の毒に思えてならない。

人を殺してはならない、それは人として生きている私たちが存在するにおける大前提である。さらに、テロ行為というものは、人を人としてすら扱わない卑劣な犯罪行為である。
このようなことがこの先、もう2度と起こらないことを祈る。

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人質多数が死亡との現地報道 アルジェリア邦人拘束
産経新聞2013年1月17日(木)23:34
 【カイロ=大内清】アルジェリア南東部イナメナスでプラント建設大手「日揮」の日本人駐在員らがイスラム武装勢力に拘束された事件で、菅義偉官房長官は17日夜、記者会見し、アルジェリア軍が17日、人質救出のため攻撃を開始したことを明らかにした。現地からの報道によると、攻撃により人質多数が死亡したとの情報があり、中東の衛星テレビ局アルジャジーラは、外国人の人質35人と犯行グループの15人が殺害されたと報じた。
 日本人人質の安否は不明。モーリタニアの通信社は犯行グループ側の話として、日本人1人を含む外国人人質数人を拘束していると伝えた。ロイター通信は17日、アルジェリア治安筋の話として、日本人2人を含む外国人人質25人が解放されたとも報道。情報は錯綜(さくそう)しており、日本政府は確認を急いでいる。
 武装勢力側がアルジャジーラに語ったところでは、拘束された外国人は日本人少なくとも3人のほか米国人、英国人、フランス人など計41人。国籍は約12カ国に上るとみられる。
 武装勢力は16日、英メジャー(国際石油資本)BPなどが運営する天然ガス関連施設を襲撃、従業員らを人質に同施設に立てこもった。この襲撃で英国人ら3人が殺害されたもよう。
 武装勢力側は、隣国マリでのフランスの軍事介入停止などを要求したが、アルジェリア政府は武装勢力との交渉を拒否するとともに、同国軍が一帯を包囲。
 軍は17日、人質救出のためヘリなどを投入して同施設付近の攻撃を開始。ロイター通信などによると、同国軍は、武装勢力や人質らが乗った車両を攻撃し、双方に死者が出た。住民の話では、現場には多数の遺体があり、アルジェリア人の人質多数も死亡した。
 一方、日本人の人質1人は17日、アルジャジーラの電話取材に「アルジェリア軍の発砲で負傷した。ケガは軽く、手当ても受けている」と話していた。日揮によると、現地責任者の木山聡さんとみられる。
 アルジェリアのウルドガブリア内相によると、武装勢力は約20人で、国際テロ組織アルカーイダ系の武装勢力「イスラム・マグレブ諸国のアルカーイダ組織(AQMI)」のベルモフタール元幹部が率いたとみられる。

あたたかかった今年の大寒

2013年01月20日 | 鎌倉暮らし
今日は大寒にもかかわらず、日差しにも恵まれ、鎌倉の最高気温は10度とあたたかくなった。
それでも、雪が消え去ることはない。今週は雪がちらつきそうとのことなので、とにかく、剪定ゴミとして出せるように先週の大雪で折れてしまったミモザの枝を切って小さくした。



朝、大学入試センター試験二日目の息子を鎌倉駅に送ってから、久しぶりに、フラットコーテッドレトリバーのナイトを連れて散歩に出かけた。
1月15日を過ぎると鎌倉を訪れる人はずいぶん減るのだが、今年はどうやら違うようで、ずいぶんな人出。そういうところをナイトのような大型犬を連れて歩くのは若干気が引けるのだが、家の近所を散歩しているだけなのでお許しいただきたい。
途中、裏駅のスタバによってキャラメルマキアートを一杯飲んで休憩。犬と一緒に入れるテラスは日陰だが、ひざ掛けを借りれば十分暖かい。



どこに出かけるというわけでもなく、のんびり過ごすというのも精神衛生上大切だ。いつもいつもテンションを高くしているということは、ポンプで水をいつも汲み上げているようなものだ。そういうことをつづけていると、ポンプのモーターも焼き付いてしまう。

忙しいだのなんだのいって、あっという間に1月も3週間が過ぎた。そうこうしているうちに、先送りにしてきた解決しなくてはいけないたくさんの問題が生じている。コップの中の嵐と言ってしまえばそれまでだけど、私なりにきつい日が続く。
けれども、なんとかやりくりしながら過ごしていこうと思う。

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そんなに見つめないで下さい

2013年01月19日 | 日々思うこと、考えること
私にはそれほど買い物をする機会はない。
スーパー、コンビニを除けば一番買い物をするのは本屋だ。
そこで最近、感じることがある。
会計の時に店員さんに見つめられるのだ。接客マニュアルでもあるのだろうが、レジの前に立ったらまず一秒見つめられることからはじまり、カバー、ポイントカードの件などを経て、最後に本を渡される時に、「ありがとうございました」とともに、最後にもう一秒。
こちらが気恥ずかしくなってしまう。

一昔前なら有り得ない光景だが、Amazonのような通販が出現して、対面販売の良さを出さないと苦しいのだろう。それに、電子書籍も脅威だ。

これは書店に限った話ではないが、店舗というのは対面販売が売りであったのにいつの間にか、そのことを忘れていたように思う。
で、遅まきながらそのことに気がついた店舗が、書店に限らず、ずいぶんと増えてきたように思う。
最近は多くのスーパーがそうだし、コンビニでも目を見てお釣りを寄越してくれる。

あんまり見つめられるのもどうかと思うが、これなら、「人からものを買っている」と感じられて嬉しい。
せっかくなので、売り場のフロアの方でももう少し愛想をよくすればいいかと思うが、なかなかそこまでは教育できないようだ。


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最近、忘れていたこと

2013年01月18日 | 日々思うこと、考えること
空を見て、最近、空を見ることを忘れていたことを思い出した。
雪のせいで地面ばかりを見ていたからかもしれないが、やっぱり空を見ると気持ちがいい。思い切り深呼吸してみたら、凍てつくような空気が冷たかった。


病院に着いて、医局の秘書さんと話をして、最近、笑うことを忘れていたのを思い出した。仕事がうまくいっていないからといって、まわりの人と一緒に笑うことを忘れていたのかもしれない。若い先生に冗談を言ってみたら、一緒に笑えた。


こんきもに寄せられるコメントを読んで、最近、人の気持ちを忘れていることを思い出した。電車で、道路で、いろいろな人がイライラしたり、困ったりしている。私だけの問題ではない。人にやさしくすれば、自分の心も豊かになる。



なぜ、普段心がけようと思っていることをしなくなってしまうのか。
油断というわけでもないと思う。となると、普段心がけてなどいない、ということか。
そんな調子ではいけない。
よい心がけであるならば、それをいつも忘れないように。



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雪で滑るか、しゃべってスベるか

2013年01月17日 | 通勤・交通・旅行
成人の日の大雪の雪はだいぶ減ってきた。通学路などは雪かきがほとんど済んでいて、心配なのは小学生が蹴った雪の小塊だけとなりつつある。


それでも、雪かきがしたくてもできないのかもしれないが、雪がそのまま家の前に残っている家もまだまだ多く、そのようなところでは車道を歩くしかない。


雪で滑らないようにと、火水木と雪用の運動靴を履いて歩いているが、朝晩は暗くて凍結しているところがよく見えなかったりするので要注意だ。

雪の降った翌日よりも、その次以降のほうが油断して滑る人が多いらしいが、昨日の朝、私の目の前でこれぞまさしくスッテンコロリンと、見事に転んだ人がいて、納得した。
あの人、すぐに立ち上がって、平気そうにしていたけれど、思いっきり手をついていた。大丈夫だったろうか。


人ごとではなく、私も気をつけなければいけない。
「滑る」という言葉、受験生がいるわが家にとっては禁句である。
本人は滑らないように気をつけているだろうに、親が滑って怪我でもしたら困る。
さらに、私自身、今週末には次なる研究会が控えている。
先週末の研究会のダメージから立ち直れないでいる状態で、この研究会でもスベったりしたら、目も当てられない。
私にとっても「滑る」は禁句である。


自分も昔はそうだったのにと思うが、中学生、高校生は凍結気味の道をひょいひょい歩いていく。少々滑ったところで友達同士笑っている。
それに比べてアラフィフコロ健は、凍結が疑われるところでは歩幅を小さくして、ゆっくり歩いている。一見乾いているようなところでも、雪の小塊や微妙な凍結といった滑りポイントが急に出現する。
加えてこの寒さ、オジサンならずとも、体調管理には気をつけないといけない。
気の抜けない日はまだまだ続きそうだ。


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