こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

私はどこまで多様性を受け入れることができるだろうか

2024年08月02日 | 愛と女性とジェンダーと
気温は昨日よりも1、2度低く、湿度も低い様に感じるが、これだけでずいぶん助かる。

パリオリンピックは、日本選手の勢いが止まってきて、ちょっと一服。
個人的には好スタートをきったゴルフの松山選手に期待している。
出ているだけでも素晴らしい団体競技の予選敗退が決まってきそうだが、最後まで諦めず悔いのない戦いをしてほしい。

今回のオリンピックは結構メッセージが色々詰めまれている。
こういったことが全くなかった、というか人類対コロナだった前回東京大会と異なって、人間の多様性というメッセージが前面に出ている。

人間には多様性がある。

同じ人間というは地上には存在せず、将来クローン人間を作ってもそうだ。
もう、3年以上前になるが、あるエントリー(女性にとってそれはいつも真実)で、男性性・女性性について考えたことがある。
人間の多様性というものの一つがこの性的な違いになる。

日本でも性自認に関する法的判断が下され、話題になっている。
判決文を読んでいないので詳細に言及することはできないが、戸惑っている人は少なくない様だ。

多様性というものを突き詰めてゆくと、それはそれぞれの人の自分勝手な解釈に行き着いてしまう可能性がある。
だからこそ、互いの意思を尊重する必要があるのだが、線の引き方は難しい。

私はどこまで多様性を受け入れることができるだろう。
仮にある程度頭で分かったとしても、実際にどこまでそれを受け入れることができるか全くわからない。
考えるきっかけ

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男性と女性の脳の違いを感じた時

2024年06月27日 | 愛と女性とジェンダーと
蒸し暑く湿度の高い日が続く。
気温はさほど上がらないようだが、体に熱がこもりそうだ。

庭のバラが咲いたはいいが、みんな壁の方を向いてしまっていたので、雨が降る前に切って家に入れた。
外で見るよりもよほど大きく、顔を近づけなくても良い香りだ。

裏山の紫陽花は何株かあってそれぞれが順次咲いている。
青とピンクが混ざり合っているので、土のpHは様々な程度なのだろうか。
などと思いながら今朝もぼんやり眺めていたが、後から見た妻が、

 あら、百合が頑張っているわね!

と、声を上げた。

そこに百合があるのは知っていたが、それに目はいかなかった。
この写真のちょうど真ん中に膨らみつつある白い蕾が4つほどあり、それらのことを言っているのだった。
こんな時、男性的は視覚感覚と女性的な視覚感覚の違いを感じる。

男性である私は、紫陽花を見たらそればかりに目がいって、それらがどれほどあるか、どのような色がどのような割合になっているか、この先花はもっと増えるかもう終わりかというようなことを考える。
一方、これは私の想像だが、女性である妻はこの情景の全てを均等に眺めて、自分にとって心地よいものというものを抽出しており、この場合とくに新規の百合の蕾をトピックとして取り上げたのだろう。
もう、紫陽花は旧いものになっている可能性はある。

買い物に行ったら、私は目的とするものの売り場に向かうが、妻は、その日のうちにたどり着くことができるのかが心配になるほど、あれこれを見ながら歩いている。
”早く(売り場に)行こう!”と促しても、”せっかく(あなたと一緒に)いろいろなものを見ることができるのだからそんなに急がなくてもいいじゃない”といって、ノロノロ(しているように見える)歩いている。

こういった特性が普遍的なものなのか、私たち夫婦に限ったものかはわからないが、ある程度は男女の違いとなってはいるのではないか。

男性は目的達成のために女性よりも突進してしまう傾向がある。
男性が政治家のトップにいると戦争に突き進みやすいように見える。
目的達成のためには手段を選ばないという男性的な特性はもちろん必要だが、目的物以外にも目を配る女性的な特性というのも必要で、この二つがバランスよく共存するのがいい社会のような気がする。
理解し合うのは難しいけど
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憲法13条と夫婦別姓と男だらけの東大

2024年06月11日 | 愛と女性とジェンダーと
スッキリした青空。
湿度も心地よい朝。
アンがいないのが寂しいが、彼女の実家は遠くでおいそれと会いに行けないのは良かったのか。

NHKの連続テレビ小説『虎に翼』は、いよいよ佳境、日本国憲法が発布され主人公が法曹家として活躍しはじめるところとなった。
憲法13条(すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。)にある法の下の平等がクローズアップされ、私が当たり前のように享受していたことが実はつい最近からのことだと認識を新たにした。
そんな中、今日は二つの気になる記事があった。
一つは朝日の一面トップの夫婦別姓のこと。
夫または妻の姓を名乗ることはよいにしても、名乗らなくてもよい自由があってもいいというのはずっと思っていた。
このことが”家”制度の存続を守ることとなって、多くの人の自由を奪っている。

私自身は夫婦別姓に反対ではないが、できたら息子も娘もそのままの姓を名乗っていて欲しい。
消極的な賛成論かもしれないが、とにかく自由に自分たちで決めてもらったらいい。
もう一つ気になったのは、朝日にあった、東大は男だらけ、という記事。
私もたくさんの同期生が東大に進む都内中高一貫校に通っていたので、たいしたことが言える立場にはないのだが、医学部を含めクォーター制を導入することには賛成だ。

日本の男性中心社会はすでに破綻していて、女性の意見を取り入れなくては立ち行かないのに、なぜ、ここで女性の力を活かすことに舵を切らないのかがわからない。
東大生が優秀だというのは大学受験の時点でのことであって、平均的に優秀な人間を集めることはできるだろうが、社会性を含めた総合的人間力に優れた人であるかは不明だ。
男性が女性の考えていることを完全に理解することは困難だし、逆もまたそうだ。
でも、男同士のように殺し合いに発展することは少ないような気がする。
考え方の違いを乗り越える

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バレンタインデーによせて考える人間の生物学的成長と精神的成長

2024年02月14日 | 愛と女性とジェンダーと
バレンタインデー。
駅に着いたら、お目当ての男子が出てくるのを待ち伏せているのか、改札口の前で2、3人の女子が固まって立っていて、通行の妨げとなっていた。
朝は少々寒いものの、昼間は4月並みの気温になるというので、カバンに入れっぱなしにしていたら、手作りチョコが溶けてしまうのではないかと余計な心配をしてしまう。

本人たちは幸せいっぱいで、まさかそんなことになるかもしれないなどとは思わないだろう。
このぐらいの年でのそれは、幸せな思いと共にあるが、それが本当の意味でドロドロになっていく転換点はどのあたりなのだろうか。

中学生でも、ヘタをするといじめにつながるだろうし、高校生ぐらいになるとその他にも色々心配事が出てくる。
18歳以降になると、モテるモテない、というか他人との関係性をどの程度築くことができるかという問題も生じてきて、単にチョコレートをあげるあげないということではなくなる。
職場では義理チョコというのがあるが、あげる方も面倒だろうが、もらう方も面倒になる。

いい加減、菓子屋に踊らされるのもよしたらいいのにと思うが、これで経済の一部が回っているとなるとこの風習を無碍に否定するわけにはいかない。
とはいえ、義理チョコの意義は確実に薄れてきているので、お礼のことで頭を悩まされることがなくなる日も近いような気がする。

妻はミーハーというわけではないが、こういう機会が好きで、今朝も一箱プレゼントしてくれた。
さっそく一粒食べたら、ずいぶんと複雑な味だったが、とても美味しかった。
プロの作るチョコレートは確実に美味しくなっている。
こんな芸術品のようなものを作ってしまう日本のパティシエというのはすごいと改めて思う。

結局のところ、こんなに美味しく進化したチョコレートであれば何歳にになっても食べたいので、結局のところ、ことチョコレートに関して精神年齢は中学生あたりから一つも進歩できないということになるのか。
甘みの恐ろしさ

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自分なりに考えることを止めてはいけない

2024年01月09日 | 愛と女性とジェンダーと
各校一斉に冬休みが明けたようで、駅に学生が戻ってきた。
彼らのせいではあるまいが通勤電車があちこちで大幅に遅れている。
こうして、ラッシュ時の混雑に巻き込まれていると若者は多いように見えるし、私の勤務先の病院では毎日多くの赤ちゃんが産まれていて、少子化など縁のない話と思うのだが、実際のところはそうではない。
東京、神奈川といった人の集まる地域で生まれ育ったせいか、地方の人口減少が私には理解できない。
祖父母は地方都市の出だが、田舎の話を聞かされていた頃は、残っていた人たちもまだ若く、限界集落などという言葉はなかった。

少子化の原因の一つに女性の社会進出の遅れが指摘されている。
女性の雇用形態が不安定なせいで将来設計を描けないというが、これは結局男性による女性からの搾取ということになる。

先日、娘が連れ合いの両親の住むアテネに行くついでにトルコに行ったら、行く先々で女性である娘が全く無視されたということを憤慨していた。
女性は男性の持ち物に過ぎないというような扱いだったらしい。
女性に教育を受けさせないという国もあることを考えたら宜なるかなだ。
宗教上のことなのだろうが、どのような教義を解釈するとこうなるのだろう。

男女共同参画社会基本法というのが日本にはある。
Wikipediaによれば、男女が対等な社会の構成員として、各分野への参画機会が確保され、男女が均等に政治的、経済的、社会的、文化的な利益と責任を共に担う社会を目指すことを規定した法律、とのことで、1999年に施行され、もう4半世紀になる。
それでも未だにジェンダーフリーがどうのとかいうことで、女性の地位向上は目にみえて進んでいるとは言えないのはなぜだろう。

障害者雇用最大のハードルは障害者のためのバリアフリー化が足りないからだと思うが、これは女性の雇用問題も同様で、男目線の職場環境の改善を行わなくては解決は見えない。

地方の過疎化、少子化そして男女格差、こういった諸問題をどう分解してどのように再結合させて考えるかが私たち年長者には求められる。
それは、年金問題、医療費問題にダイレクトに跳ね返ってくることであり、簡単にまとめることはできないが、少なくとも常に考えることを止めてはいけない。
私にできることは女性医師、女性病理医の働き方改革であって、それに取り組みたい。
できることはたくさんはないが

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ダイバーシティーの意義を共有する

2023年11月09日 | 愛と女性とジェンダーと
美しい朝焼け。
これを曙光としてそこに希望を探すか、世界中で流されている血の色を思うかは人それぞれ。
それぞれの人がそれぞれの意見を持ち、それを尊重する。
ダイバーシティーという言葉がよく使われるようになって久しい。
私ははじめ、それが少数者の権利の尊重という程度にしか考えていなかったが、そうではなく、多様性を認めることでさまざまな意見を社会に反映させ、それをより良いものにしていくことだとわかるようになった。

パレスチナ問題などが話し合われたG7の外相会合では、議長の上川外相を含め、8人中4人が女性だった。
男性の能力がどうとかいうわけではなく、女性がいることで見方が変わるということだ。
男性目線、女性目線ということを口にするとすぐにセクハラに結びつける人がいるが、男と女では生物学的に立ち位置が異なるのだから、それぞれの視点があることは否めない。

諸外国のことはどうか知らないが、日本では岸田内閣での女性の大臣は5人と過去最多だが、副大臣に女性はおらず、ハリボテとも言われている。
そんなことを言っても人材不足、まずは中堅層を厚くしなくてはいけないところだろうから、まだまだ時間はかかる。
自民党はこれからの10年で、所属国会議員の割合を30%にまでするといっている。
果たして達成できるだろうか、本気度が問われる。

話は少し変わるが、世襲議員のことも気になる。
女性閣僚のうち3人は世襲だという。
江戸時代、藩の数は幕末に最も多く266もあったそうで、国会がこうした各藩からの代表者による会議の場となっているようにも見える。
多選禁止、というわけにはいかないだろうから、4選以上は歳費を減額するとかしないと、いつまでも同じ人がその場にしがみついて政治の硬直化を招いてしまうのではないか、そんな気がする。
特別職の給与をあげている場合ではないのではないか。
それでもやりたい人はきっといる

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おちんちんのあるなしと性自認の問題

2023年07月12日 | 愛と女性とジェンダーと
昨日、最高裁はトランスジェンダーの職員が、職場の女性用トイレの使用制限を認めた国の対応は違法だという判決を出した
性的マイノリティーの人の職場環境に関する訴訟で、最高裁が判断を示したのは初めてだということで、今後色々な方面へと影響が出てくる可能性があるらしい。
性的マイノリティーとはどんな人のことを指すのか、言葉だけが一人歩きしていて、一般の人が理解できる定義というのは一体なんなのだろう。

私は性自認というか、そのようなものには男女問わずグラデーションがあると思っている(男が女であっても女が男であってもどうでもいい 2022年05月26日)。
肉体的表現型として、オチンチンのあるのが男で、そうでないのが女性であり、これは遺伝子の発現によって制御されている(LGBTQと男女比 2020年03月28日)。
しかしながら表現型と性自認というのは必ずしも一致するものなのかは疑問だ。
性自認が未熟な幼児にとって、なぜおちんちんがあるのかないのかは理由がわからない。
すでに性自認が固定観念化している周囲の大人が、男性女性の区別を教え込むことによって、幼児はやがて子供となって小学校に上がる頃には男女の意識がはっきりするようになるのではないか。
もちろん、おちんちんのあるなしだけでなく、性ホルモンの作用によって、肉体的な様々な変化が追い打ちをかけるようにおきるが、それもこれも身体表現の範疇だ。
すなわち、性自認の確立には社会的要因というか要請が強く影響しているのではないかと考える。
力が強ければそれなりの役割を、子供を持つことができる器官があればその役割をということになる。
どの動物の世界に男性用、女性用という場所があるだろうか。
性的マイノリティーというのは、その社会的要請というか強制力に従うことのできなかっただけで、その人たちの性自認についてとやかく言う権利など誰にもない。

人類の歴史の中で、肉体的男性が肉体的女性を支配下に置くという図式が確立されてたために今の社会がある。
それがどの程度の歴史なのかはわからないが、少なくとも生物の歴史の中ではほんの一瞬のことなのではないだろうか。
そして、今後、AIをはじめとする各種技術の発達によって、男女間の能力差というのは減少していくのではないだろうか。
まだまだ先の話かもしれないだろうが、そういう時代が来た時に男性と女性はどのような役回りを演ずることになるだろう。
それともそうなる前に、男性とか女性という社会的区別がなくなっているかもしれない。
男の既得権益を手放すことに

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凶悪犯罪を起こすのはほとんど男

2023年05月30日 | 愛と女性とジェンダーと
さし穂から育てたアジサイ、3年目でいよいよ花が咲いた。
こんなに大きな花を支えるのは大変だろうから、支柱を立ててやりたいのだが、なかなかその時間がなくて、申し訳ない。
鎌倉の環境がアジサイの成育にちょうどいいという話を聞いたことがあるが、たしかに一昨日、3日ぶりに帰ってきて、ここの湿度にホッとした。
昨日、東海地方までが梅雨入りとなったが、前線が南に押し下げられるとかで、関東はまだ確定しないらしい。
長野県で警察官2人を含む4人が殺害された事件の動機が、人に悪口を言われたような気がしたから、ということらしく、こんなことで尊い命が失われたのかと、やるせない気持ちでいっぱいになる。
米国で多発している銃乱射でも、女性の犯人というのを聞いたことはない。
こういう、凶悪、凶暴な事件の犯人は洋の東西を問わず、ほとんどが男性だ。
なぜ、男性が多いのかは色々と調べられているだろう。

Y染色体が悪さをしているのか、それともX染色体が2本あるから女性ではそういった行動を取る人が少ないというようなところだと思うが、かといって、凶悪であるのは生まれつきの性格だから仕方ないというわけにもいかない。
こういう痛ましい犯罪が起こらないようにしなくては、オチオチ散歩もできない。

遺伝的にこのような傾向を有する人を排除していくというのもひとつの手段とも言えるだろうが、それではそういった人の人権が侵されるわけだし、そもそも”このような傾向”というものが悪いものだと定義づけることもできない。
人類の歴史の中にはこのような人の存在が必要だった時代があったから、こういう遺伝子が残っているわけで、安易に否定してはいけない。
将来、宇宙に出ていった時、攻撃的な地球外生物と遭遇したら、人類はそれらと戦う必要が出てくるかもしれない。
そんな時、闘争本能がなければそれらの生物に征服されたり、それどころか地球に攻め込まれて人類皆殺しなんてことにもなりかねない。

したがって、遺伝学的な多様性は今後も必要だ。
男女の違いといったようなことを安易に論ずるのはとても危険で、まずは銃規制など予防的な議論をすることが必要だ。
猟銃のコントロールは大丈夫?

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女性の社会進出が本物となってきた時代に生きる

2023年04月24日 | 愛と女性とジェンダーと
先週の季節外れの暑さから一転、急に寒くなったせいか喉をやられてしまった。
熱は平熱のままだが、とにかく喉がいがらっぽい。
寒暖差には注意といわれていたものの、これほどとは思わなかった。
せっかく花粉の飛散が終わったところなのにマスクをして喉をいたわろう(花粉に関わらず世間はマスクが当たり前だが)。

統一地方選挙の後半戦は、自民党が薄氷を踏みながらも4勝1敗(衆院3勝、参院1勝)と戦い抜いた。
このうち、山口の2人は旧来型の候補が勝ったが、和歌山と千葉そして大分では女性が勝った。
さらに、和歌山は維新。
維新の躍進は本物となったし、女性の政治進出も日常の風景となった。
日本の政治に地殻変動が起こりはじめた。

こと、女性の躍進は政治の世界だけの話ではなく、医者の世界も同じだ。
医学部に入る女性はほぼ半分に達していて、科によっては女性の方が多い。
出産、子育てがあるので、女性医師はつかいにくいという考え方を持ち続けていては科として存続することも難しくなってきた。
科として発展させるためには女性医師からの要求を実現させていかないとならない。
そして政治、医者だけでなく日本式家族観も変えないといけなかなってきた。

昔はよかった、というのはあるかもしれないが、今生きている人が考えること、望むことが実現される方がストレスは少ない。
その先にあることが、良いのか悪いのかではない、そうなっていくことを若い人たちが望んでいるのだし、女性の社会進出により、そう望んでいる人が社会の半分に達しているということを、年長者は受け止めなくては、世の中についていくことなどできそうにない。
自民の敵はもう維新

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神奈川県知事とアメリカ合衆国前大統領の不倫騒動から考える人間の品性の問題

2023年04月08日 | 愛と女性とジェンダーと
台風のような大嵐が明けて、今朝はスッキリした青空。
でも、午後は気温が下がり、雨もよく降った。
明日はよく晴れるとかで嬉しい。

現職の神奈川県知事が、過去の不倫について文春砲を打ち込まれ謝罪に追い込まれた(「戦慄する」「気持ち悪い」“11年不倫”神奈川県・黒岩知事の超卑猥メールにネット震撼 女性自身)。
知事選挙に出馬しているところでこんなこと普通ならシャレにならないし、選挙妨害だと言いたいところだろうが、有力な対抗馬がいないので、選挙への影響は、せいぜい投票率が落ちる程度で、圧勝しそうで金持ち喧嘩せずというところか。
この人、よくFM横浜で喋っていたのを思い出す。
実はとてもまともとは思えない卑猥というか変態的な事を考えたり、言語化していて、そんな人を知事に選び、そんな人がもっともらしく言うことを日々聞かされていたのかと思うと残念だし、この先の県政をまた4年間委ねることになるかと思うと絶望的だ。

一方、海の向こうでは、前大統領がポルノ女優との不倫関係の口止め料を誤魔化したか何かで訴えられている。
人の口に戸は立てられぬではないが、誰しも秘密なんていつまでも隠していられやしない。
金でなんとかなると思ったら大間違いだ。
それにしても、マスコミも、女優とだけ言ったらいいのに、ポルノ女優ポルノ女優と、やたら”ポルノ”を強調しているが、もはや女優という言い方すらしなくなって女性であっても俳優という時代に、この時ばかりは”ポルノ女優”とは。
さらには、”性的関係”とか”婚外子”とか、なんというか前大統領の下半身の大暴れぶりがあの印象深い顔をとともに浮かんでしまい、これまた気持ちが悪い。
あちらはあちらで大統領選への選挙妨害だと論点をすり替え、逆風というか起訴されたことを追い風にしようとしているようで、支持者もこのことが論点にはならないとしているが、ではいったい何が論点になるのかよくわからない。

人間の品性というのはいったいなんなのだろう。
男性にしても女性にしても、そもそも不倫はいけないことなのかとさえ思わされる出来事が続き、なんだかよくわからなくなる。
前大統領は就任した時、女性閣僚にスカートを穿くように強要して、これまた女性陣がこぞってスカートを穿いていた。
あれこれ考えれば考えるほど、よくわからなくなると同時に、私もそんな状況にあったらそんなことをしてしまうのだろうか、人のことは言えないかもしれないと、不安になる。
性的欲求というのは人間の品性という箍(たが)を木っ端微塵にしてしまうものなのだろうか。
もっとギラギラしなきゃダメか

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国際女性デーに考える少子化対策

2023年03月08日 | 愛と女性とジェンダーと
今日は国際女性デー( International Women's Day )。

残念ながら私はこの日を忘れていて、妻が昨日作ったミモザのリースを門扉に飾っているのをみて、
 
  いいじゃない

と言ったら、

  今日は何の日か知っている?

と聞かれ、
 
  うーん・・・

  今日は国際女性デー、 ミモザの日よ

  ああ、そういえば

と、思い出されられた。

2022年の日本の出生数が80万人を切った。
団塊の世代の四分の一以下、私の世代の半分。
少子化は急激な勢いで進んでいる。


結婚というものの魅力はもはや消失しており、結婚しない人が増えているから子供も生まれない。
なぜ結婚というものの魅力が消失したかといえば、女性の社会進出により、女性の経済的自立が進んだからだ。
生活の糧を得るために外界に出ていくことに平和な都市生活で危険はない。
女性が男性に頼る必要がないということは女性が自由を得るということであり、男性にとっても経済的に依存されないという点で助かる。

だが、それまで。
仕事を持ちながら子供を育てるということは容易ではなく、共働きであれば夫の子育て参加も不可欠となる。
そんなことで子供を持つことを負担に感じるぐらいなら、結婚せず、子供も持たないという選択をする人がいるのは男女に限らない。

私がここで少子化の原因分析を知ろうと考えで行っても仕方がないが、政府が今言っている”異次元の少子化対策”とはいったいどのようなものになるだろう。
少なくとも、子供が成人になるまでにかかる全費用を国民全体で肩代わりするぐらい出さなくてはならないのではないか。
出産費用はもとより保育園代、最低限の大学卒業までの教育費の負担(少なくとも全て公立学校だとした場合の学費および学用品費)、小学校から高校までの給食費(=昼食代)などが担保されたら若い夫婦は随分安心して子供を持つことができるだろう。

世の中、お金は大切だ。
働き手となる若い人が増えなくては国の金は増えない。
このまま、手をこまねいて少子化を放置するのであれば、今度はその人口に応じた社会を構築するというのもいいのではないだろうか。
口で言うのは簡単だが

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ヒトもスギも男は男

2023年02月28日 | 愛と女性とジェンダーと
朝はコートが必要ですが、日中はそのコートも邪魔になるほどに気温が上がります、と天気予報で言っていたが、ではその邪魔になったコートはどうしたらいいのかは提案してくれなかった。
確かに足先はちょっと冷たかったが、それも日の光を浴びているうちに体全体が温まり気にならなくなるようだったから、今日もジャケットにマフラー、手袋。

気温が上がって植物も次々と開花し、いよいよスギの開花も本格的になってきた。
昨日、玄関前の腰掛けを拭いたら雑巾が真っ黄色になったと妻が嘆いていたが、私も外から帰ると身体中が埃だらけで、ベトベトしている様な気がする。

あの山を覆っている黄色い粉は杉の雄花のもので、スギ花粉の飛散量は、その開花具合に依存する。
何もあんなにばら撒かなくてもいいじゃないかと、テレビに映る花粉の画像を見ながら思う。

これじゃあ人間の男と一緒だな。

健常な男性であれば精子は一度の射精で1億個放出され、3日もあれば満タンになるというから、人間男性の生殖能力はもしかするとスギに勝るとも劣らないようだ。
いや、ヒトの場合、年中発情しているのでスギ以上かもしれず、ヒトがこの地球上に溢れるほど増えたというのもむべなるかなだ。

いずれにしても、ヒトもスギも男は男、自らの遺伝子を残すための圧倒的な物量作戦を実行している。
この時期だからスギの雄花の話にしたが、これは生物すべてに共通した仕組みで、とりたてて珍しいことではない。

自己複製をしていたら生物として弱くなるので、多様性を獲得するためにオスが発生した。
そのオス、発生以来自分の遺伝子を残すためにあれやこれやの方法を生み出し、その一つが大量の生殖細胞を作ること、力をつけることなど涙ぐましい努力を続けている。
結果として、この辛い春先の1ヶ月があるわけで、種は違えども男としてはスギの雄花に同情してこの状況に甘んじるべきなのかもしれない。
元は雌雄同体

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社会と医学とジェンダーと

2023年02月27日 | 愛と女性とジェンダーと
今日から暖かくなるというので、コートは着ないでジャケットにマフラー、手袋で出てきた。
太陽も顔を出していて、寒さをほとんど感じない。
冬は終わったと感じるが、次は花粉の季節だ。
土曜日に洗った車の上には、花粉が被膜のように乗っかっている。
一難去ってまた一難、寒さ対策の次は花粉症対策だ。
テレビ、新聞でジェンダー問題についての話題を見たり読んだりしない日はほとんどない。
病理医としての仕事をしていると、人間の性別についてほぼ毎日意識する。
意識する、というよりは患者さんの性別は診断に必須な情報の一つであって、そのことを抜きにして診断を進めることは不可能だ。
遺伝性疾患には圧倒的に男性の方が症状の強い出るものがあるし、膠原病のように女性に多い疾患もある。
だから、特徴的な症状を有する患者さんの診断をするときなどは性別を加味して進めなくてはいけない。

私は、患者さんから病変部として切り離されてきた組織を見て診断するので、患者さんの性自認について考える事はいまのところ無い。
今後、ホルモン療法などその人固有の状況が生じる可能性はあるものの、そのような事態はまだしばらく先になるだろう。
だが、臨床医にしても性別について区別した上で診断、治療を進める必要があり、そういう点に配慮しながら行うことになる。
例えば、女性病室、男性病室という区別、名札、カルテ上の性別の表示、その他諸々のことを細かく対応しなくてはいけない。

昨今、こういったことに対応しようと頑張っているのはいいことだが、このような事は、”もともと”配慮しておかなくてはならなかったのではないだろうか。
以前から時々考えていた、障がい者と健常者の違いというのは、”健常者”という人が作った環境こそがスタンダードであるということから始まっていることであり、ジェンダーギャップについても状況は同じだ。
人間、誰一人他人と同じではない。
思想信条にそれぞれ違いのあることは比較的容易に受け入れるのに、障がいのあるなし、ジェンダー認識の相違についてはなぜそれが難しいのか。
そのことを考える社会を実現することがより幸せな世界をもたらすことにつながる。
私もあなたも違うのだ

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男の子の死と飲む中絶薬の承認

2023年02月22日 | 愛と女性とジェンダーと
寒さの底という朝だが、たっぷりの日差しがある。
明日から天気は下り坂とのことで、今日の晴天はありがたい。

藤沢市の2歳の男の子の虐待死が疑われ、その母親が逮捕されたというニュースを昨晩からNHKが再三流している。
朝日新聞では湘南版に載っているだけなので、全国放送で流すNHKの並々ならぬ思いが伝わってくる。
基礎疾患のない2歳の男の子が亡くなるというのは尋常ではないので、間違いなく捜査の必要がある。
親以外に頼るもののない子供が虐待によって亡くなる時の気持ちを思うと胸が張り裂けそうになる。
母親によるネグレクト、虐待の話を聞く時、子供を授かった時、産むことを決心した時、生まれた時、初めて笑った時、子供の成長にどうして寄り添ってあげることができなかったのかと思う。
そして、父親が不在で母親が孤独であったとか、父親による虐待を止めることができなかったということを聞くと、男性として残念だ。

使用するには医師の処方箋が必要というのをみて、

 女性が自分の判断で自由に使うのなら、薬局で売って、もっとハードルを低くしたらいいのに
 そうすれば、責任を取ろうとしないロクでもない男からも自由になれるのに

と、深く考えずに言ったら、即座に妻が呆れた顔で、
 
 あなたね、一体何を考えているの?
 日本では中絶ができるのは何週まで?
 そのロクでもない男に無理やり飲まされたらどうするの?
 いろんなことを考えなくちゃいけないのよ。

と言った。

私は何も考えていなかった。
赤ちゃんの権利、母親の権利、女性の権利、経口中絶薬の承認には多くの守らなくてはならない権利、そして果たすべき義務があって、そのようなことまだ含めて私は考えなくてはならなかった。
アメリカでは国を二分するほどの議論になっているのに、日本ではこのような話が活発に議論されない原因の一つには、私のような男がいるということがあるかもしれない。

普段からジェンダー問題について関心を持っていたつもりだが、しょせん男の立場からの発言で、わかったようなフリをしているに過ぎなかった。
男である私がしなくてはいけないのは、女性の言葉に耳を傾け、それを真剣に受け止めること。
そして普段から女性との距離には注意して失礼のないように
付き合うこと。
どちらもすごく難しいことだが、いつもそうしようと心がけて生きることで、初めて女性を大切にすることができるのではないだろうか。
互いを尊重して

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ジェンダーギャップとバレンタインデー

2023年02月16日 | 愛と女性とジェンダーと
凍てつくような寒さの朝ではあったけど、日差しがあるおかげで昨日よりずっと暖かく感じられた。

一昨日は今の病院に移って4度目のバレンタインデー。
チョコレートをくださる方はいつも同じだが、おかげで、この時期はチョコっとしたおやつに事欠かない。
ただ、ひと月後にはお返しをせねばならず、出費は馬鹿にならない。
そんなわけで、今年こそもう要らないと、もらう前に断ってしまおうかと思うのだが、それも無粋で、結局その日を迎えてしまう。
誰がどれをくれたかわかるように科の名前を書いた付箋を貼って、お礼に備える。

毎年くれる人は決まっているのだから、あらかじめ準備して交換してもいいのだが、そんなことをして”万が一”もらえなかったらなんとなくみっともない。
誰もそんなの見ちゃいないがまだ、私にも男としての下心が残っている。

女性からもらうと嬉しく、好きなもの同士、気の合うもの同士でやり取りするということだとどうも、もらえるもらえない、というスリルがなくなってある意味つまらなくなってしまう。

バレンタインチョコは年賀状以上お中元・お歳暮以下という微妙な立ち位置にある。
もうそんなご時世ではないと、チョコレートをあげるほうも、止め時が見つからずに困っているのではないかと心配になるが、ではその”ご時世”とはどんなものだろうか。
義理チョコという言葉が定着したのは昭和の時代だったから、延々とこの風習が続いている。
それを無駄と言われないようにお菓子屋さんは美味しいチョコレートを次から次へと生み出すので、途絶えることもない。
バレンタインデーにチョコレートを女性から男性へという図式は無くなりつつあり、男性から女性へと花その他のプレゼントというのもある。
ただ、単なる挨拶がわりのやり取りだったらわざわざこんな時期に限ってする必要はなく、通年でしたらいいということになる。

日本のジェンダーギャップ指数は世界的に見ると156か国中120位と極めて低い。
海外ではバレンタインデーには男性から女性へプレゼントすることは自然のようで、日本のように女性から男性へ貢がせるかのような図式はないようだ。
こうやって男女の区別をつけている限り日本のジェンダーギャップは上がってこないだろうななどと考えながら、さてどれから開けようか悩んでいる。
男の視点です

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