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平成最後の冬、起きていたことを書き留めておく、5年後、10年後にこれらのことはどう変わっているだろう。
思い出すかはわからないけど、もしかしたらたまたま今日のこの記事を読むことがあるかもしれない。
新聞・テレビの見出しようになってしまうけれど、備忘録のつもりで10個ほど挙げておく。
1)日韓関係が悪化・・・韓国の人の中では、慰安婦、今度は徴用工と先の大戦の清算は終わっていない。レーダー照射とか、軍事問題も起こってきた。
2)北方領土問題・・・日露の連携を深め、平和条約を結ぼうという両国の意図はいいのだけど、その前に領土問題がある。ロシア側から見て、領土問題がすでに解決済みの問題としたら、なにをいまさらという話になる。双方の認識の違いという点では日韓関係と同じかもしれない。
3)安倍政権と統計処理問題・・・厚労省の手抜き仕事が明るみになった。不祥事が頻発しているのに、大臣も官僚も誰も自ら責任を取ろうとしない。こうなってしまったのは、総理大臣みずからの問題をうやむやにしてくきたからだろうと思う。
4)野党・・・自民党に選挙で負けるのは、野党が乱立しているからだと分かりきっているのに、百家争鳴というかそれぞれが勝手な主張をしていて、自民党への対抗軸を作れないでいる。このまま参議院選挙に突入したら、やっぱり負けて自民党政権が延びていよいよ憲法改正へと進んでいくだろう。
5)災害・・・天災は忘れた頃にやって来る。関東地方に大災害が起こっていない今こそ、防災意識を強く持って日々を送らなくては。
6)大坂なおみ・・・全豪オープン決勝は、いよいよ明日。黄金時代の幕開けとなるか。
7)大相撲・・・稀勢の里が引退してしまったのはとても残念。白鵬も絶対王者かと思っていたが、ほころびが少しずつ見えてきている。5年後、10年後の横綱は今の誰なのだろう。
8)ブレグジット・・・イギリスは本気でEUから離脱したかったのか。国民投票という手法は果たして本当に正しかったのか。そしてEUはどこへ進んでいくのだろうか。
9)トランプが変えたアメリカ・・・世界の一等国という座から降り、世界でいちばん自分大事の国となってしまったアメリカ。
10)中国とGAFA・・・GAFAは電脳社会から世界を支配していくのだろうか。それを追い越そうとする中国。GAFAのソフト面に対して、中国は監視カメラとか、タクシーの配車とかいう、後発技術で追いついてきた。日本のタクシーの動きは中国の監視下に置かれることになるわけだけど、考えてみたら、GAFAはすでに、それぞれの人間の位置情報を持っていたわけだ。
雑駁な話となってしまったけど、皆さんは今の時期の話題としてはなにを選ぶだろう。
生々流転
さて、恒例の今年のボツ記事、今年はそんなにないと思っていたけど、案外ありました。
並びは、古い順ですが、シリーズ物(くずれ)など、書いた日が前後しているものがあるので日付はつけません。どれも出来損ないで申し訳ありませんが、私の備忘録のようなもので。
『』内がタイトル、続く文章が記事(もちろん書きかけ)。・・・以下は一言コメント。
『わたしはしあわせ』・・・本記事『分相応であるべし』と比べると、こっちの方がお気楽でよかったかな。
新年明けましておめでとうございます。
今年もこんな気持ちでいられたら、よろしくお願いします!
それにしてもブログ主、不肖コロ健、しあわせです。
こんなにたくさんの読者の方に支えていただき、かれこれ10年
『ネガティヴ・ラヴ』・・・ホント、出だしは傑作だったんだけど。小説書くのって、難しい。
「先生さ、自分の年、考えたことあるの?そこそこイケメンのつもりかもしれないけど、どうやったってこんな若い子の恋愛対象になれるわけないじゃない。地位とか金とかに寄ってきているだけで、先生が自分で考えるドキドキするような恋なんて今さらできないんだからさ。こんなところでいつまでもクダ巻いてないで、早く帰って奥さんと昔話でもした方がいいよ。」
こんな出だしの恋愛小説を書こうと思ったのだけどやめた。残念ながらこういう状況に対して気持ちが動くことがなくなっているためで、日常生活では多少の下心のようなものを感じることはあるけど、それを増幅させての不倫小説なんかはなかなか書けない。
『こんな雪の中お仕事ありがとうございます』・・・これ、頑張るべきだったのでは。
予想通り、関東地方は大雪に見舞われ、私も帰宅難民になりかけたけど、なんとか家に帰りつくことができた。
首都圏の交通が雪に弱いというけれど、これほどの過密ダイヤにもかかわらず、30分程度の遅れで運行しているなんて、驚異的。鉄道各社の努力に感謝します。道路を走る車は少ないけれど、路線バスはがんばって走っている。ありがたいことだ。
便利さを当たり前のように享受しているけれど、それぞれの人が仕事をしてくれるから私たちはやっていられる。
『他人の足を引っ張る』
他山の石として自ら気をつけなくてはいけないことはたくさんある。
最近気をつけているのが、卑怯な手段で他人の足を引っ張ること。ライバル、競合者というのはいつも突然に出現する。商売をしている人ならそんなことしょっちゅうだろうけど、医者の世界でもしばしばある。もし私がそんなことに巻き込まれたとしても、インチキなどしないで対抗しようと思う。もちろん、斬新な発想、とか仕事上の工夫は尽くさないといけない。
『ちゃんと働いたらそれだけのことを』
ブラック労働が問題となって久しい。
医療の現場は、残業代度外視の医療従事者の働きが半分くらいを占めてきたが、労働環境の見直しが始まり、大混乱をきたしている。大学病院、名門病院に労基署が指導に入り、残業代の支払いで経営危機に瀕しているところもあるらしい。
『日本の愛国心のありかた』・・・日本人としての誇りが揺らいでいる。
昨日、ロイアルウエディングとのことでイギリスのハリー王子の結婚式が中継されていた。その中でコモンウェルスという言葉があるしばしばでてきた。
これは言わずと知れた英連邦、すなわち旧植民地に発するイギリスの富の源泉のことだ。何ということはない、数百年前から、イギリスは世界を征服し、英語は共通の言語となっている。その、コモンウェルスを愛国心の象徴としている。
第二次世界大戦後の枠組みは、戦勝国が作ったものであり、負けた日本はこの枠組みの中ではいつまでたっても敗戦国だ。かといって、非核保有国で新しい国際的な連合体を作ったところで、核保有国によってバラバラにされて終わりだろう。
戦勝国側はナチスドイツ、悪魔のような日帝から世界を救ったという自負があるから、堂々としているし、それへの誇りが愛国心日本繋がっている。
一方で、敗戦国である日本はどんな愛国心を持ったらいいのだろう。
幸い、昔からの日本の国土はほぼ残されて、分断もされなかった。そうした日本への愛情を、私たちはどう持っているだろうか。
『やってはいけないことをやってしまったら』・・・政治家が責任を取らなくなって久しい。
この国、日本は法治国家で、民主的な方法で選ばれた政治家が公明正大な政治を行っていることになっている。だから、政治家は不公平なことをしてはいけない。不公平なことは政治家としては犯罪なのだ。
犯罪者は犯罪を犯したらその罪を認めて償わなくてはいけない。そしてその場からは退場する。
『母は強くて頼りになる、はずなのに』・・・お母さんはどうして止めることができなかったのか。
5歳の女の子が継父に虐待され、死に至ったという痛ましいニュースが流れている。
『私のプレゼンテーション考(1)私は何を伝えたいのか?』・・・このシリーズは復活させたいが。
大山鳴動鼠一匹となってしまった、「私のプレゼンテーション考」改めて書いてみようと思う。
『私のプレゼンテーション考(2)テーマと内容』
昨日、”何を伝えたいか?”ということについて考えたのだけど、その”何”とはすなわちテーマだ。
『私のプレゼンテーション考(3)発表内容に関する制限』
”発表内容は先生のご判断に任せます”と言われても、大まかなテーマが決まっている場合、判断なんてそうそう簡単にはできない。
『私のプレゼンテーション考(4)プレゼンの技術』
手が震えるかもしれないから、レーザーポインターは両手でしっかり握る。とは、むちゃくちゃ厳しかった指導教授の言葉。
発表はハンズフリーで、は発表をイロハから直接指導してくれた先輩の言葉。
両方とも、しっかりいまでも覚えていて、体に染み付いている。
『私のプレゼンテーション考(4)プレゼンの技術』
手が震えるかもしれないから、レーザーポインターは両手でしっかり握る。とは、むちゃくちゃ厳しかった指導教授の言葉。
発表はハンズフリーで、は発表をイロハから直接指導してくれた先輩の言葉。
両方とも、しっかりいまでも覚えていて、体に染み付いている。
『私のプレゼンテーション考(5)聴衆と幸せな時間を共有する』
講演では会場にいる聴衆とともに、その幸せな時間を共有する。
『許せない心』・・・テーマが大きくなりすぎるとまとめられなくなってしまうう。
人を許す、許さない、というのは結局は自分の心一つだ。
無差別テロは世界中で起きている。
オウム真理教事件、秋葉原通り魔、無差別銃撃、自動車テロ。規模の大小、関わった人間の数はまちまちでも、結局はそれぞれの人の身勝手な思い込みが、それまで何の関係もなかった無辜の人々の命を奪う。
『ナンパをしている若者を見て思うナンパのテクニック』・・・他人をネタにするのは、よほどのことがないと文章にできない。
とある駅前で、友人と待ち合わせて立っていたら、真横で大学生ぐらいの男が高校生ぐらいの女の子を口説いている。
二人がどのような状況でその場に連れ添っていることになったのかはわからないけど、わかるのはその男がその女の子を”お持ち帰り”しようとしてるということだった。なにせ、真横なので口説き文句も聞こえてくる。
男「ウチに来たら、親もいるから安心しなよ」女の子「・・・」男「今日はもう遅いからさ、ウチに来て寝てって、それで明日の朝早く帰ったりいいじゃない」あれこれ考えたのだろうか、女の子がやがて家に電話しているが、「ママ、出ないなぁ」とかいっている。男の方はあとひと押しということであれこれ一緒に帰ってくれるよう懇願している。
大したものだ。人を見かけで判断してはいけないけれど、その男それほどパッとした風貌ではないしかといって遊び人風というわけでもない。それでもそうやって”お持ち帰りしたい”という一念でそこまでやるかという感じだ。そういえば、私が浪人している時に、憧れていた女の子をやすやすと持っていった男がいたが、ちょうどそれを思い出した。彼女のことが気に入っていると言ったら、その1週間後には肩に手を回して私の前を歩いていた。そういう、天性のナンパ野郎、というのはどこにでもいて、この私の横で必死に口説いている男もその口なんだろう。
女性は、男性とそういう関係になる時には”なんらかの理由が必要”だというけれど、この男はそれを実践している。
『次のミッション』
一昨日のプレゼンはまあまあよかった。一度に二つも三つもの仕事はできないので、結局、次の仕事はこれからということになる。
『PPD(Pack per Day)というよりは』
タバコの数え方としてPPDという方法があることを話題にしたことがあった(PPDはタバコの数え方 2017年07月27日)。
『”人生”という大きくて長いトンネルの中で(4)魂を感じ、コントロールする』・・・このテーマも大きくなりなりすぎた。
”人生”が大きくて長い真っ暗闇のトンネルのようなものであることを思いついてからというもの、そのことの意味をよく考える。とくに、心に乱れを感じたとき、目をつぶって、自分はトンネルの中にいるだけなのだと思い出す。でも、ここでいつもそう思うことの邪魔をしてくるのが、肉体だ。私が魂を感じ、コントロールすることをまるで邪魔するかのように、刺激を送り込んでくる。それは、匂いであったり、音であったり、触覚であったりする。さらには、痛み、空腹感のみならず様々な精神的苦痛といったようなものも、”気を散らす”ように襲ってくる。
心頭を滅却すれば火もまた涼し、という言葉がある。極端な暑さや寒さは別だが、それ以外の大小の刺激ですら、なかなか除外することは難しい。逆に肉体と魂を分離するということにこだわる必要なんて無いという考え方もある。心休まる音楽と香りに身を委ねて全てが渾然一体となった中で過ごすのも良い。それはそれでとてもいいことだけど、自分自身の魂のありか、というか存在が純化されない危険がある。自分の世界がその中で閉じてしまって、暗闇の中の自分周囲が照らし出されるだけで、もっと広い世界に心が広がっていかない。
自分の知覚を自分の存在する周囲に限ることなく、もっと広くしなくてはいけない。世界は広く、果てしないということを意識しなくては、魂を解放することはできない。自分の魂、感覚を内向きのものにしてしまわないためにも外部からの刺激を切り分ける術を身につけたい。その一つが瞑想だろう。瞑想といっても、それほど難しいものではなくて、静かな場所と椅子があればできる。そういうところで、目を閉じて鼻の頭あたりを見つめて、自分の心の中にある魂を感じる。寝てはいけない。
そうするうちに、自分が大きく長いトンネルの中にいるということが感じられるようになる。やがてはその外により広い世界があることを感じることができるようになるかも知れない。
『”人生”という大きくて長いトンネルの中で(5)肉体を解放するには』
魂を感じ、コントロールし、やがて解放することができても、でも肉体はどうやって解放したらいいか?
芸術とかスポーツとかさらにはゲーム、賭博は魂と肉体を結びつけてします。
『”人生”という大きくて長いトンネルの中で(6)肉体は消滅に、魂は解放へ』・・・でも、なんとかまとめないと。
矛盾した関係
『麺類の食し方』
私は蕎麦が好きだ。学生の頃はうどんが好きだったが、ここ20年ほどは8対2ぐらいで蕎麦を食べる。お腹の調子が今ひとつの時は消化の良いうどんを食べる。だから、月曜日には妻にうどんを作ってもらって食べた。
『国際学会に行ける人、行けない人、行かない人。』・・・ひがみっぽい文章もダメですね。
今年の国際病理アカデミー年次総会が中東のヨルダンで開催されている。日本からも多くの病理医が参加していて、早くもFacebookに死海の写真をアップしている人もいる。どうやって休みをとって、渡航費を捻出しているのか教えて欲しいが、先生方それぞれなのだろう。残念ながら、私の場合は貧乏暇なし、とても1週間も仕事に穴をあけることなんてできない。それに海外に一人で行ってもそう楽しくない。
国際学会では、公用語が英語で、英語がそれほど流暢でない私はつい二の足を踏んでしまう。学会場では英語が上手でないことは、ディスカッション能力がかけているということで、よほど良い論文でもを持っていなければ、英語が下手な人は下に見られてしまう。語学力でしたに見られるというのもなんだか悔しいので呼ばれなければ行かない。
何しに行くのだろう?と思える人もいる。とくにこれといった研究をしているわけではないのだけど、とにかく勉強目的で行く人なんて、すごい。
私は、国際学会に行こうと思えば行けるけど、諸般の事情で行けないというか行かない人だ。国際学会に行けないのならば、せめて論文を書いたらいいのだけど、ここのところ書いていないというのは良くない。全部ただの僻みになってしまうので、気をつけたい。
『スイカもパスモもイコカも対象に?』・・・消費税、どうなるんだろう。大混乱じゃない。
消費税増税に際して、軽減税率が話題となっている。
『笑顔はなぜすぐ忘れてしまうのか』・・・いつも笑顔で。
油断すると、すぐ仏頂面。
誰かが、ちょっと気にさわることをすると、きつい目で睨む。私はなんてつまらない人間なんだろう。
(ありがとう 平成 @海ほたる)
『自分の歳を考えよう』
人が誰かと接する時、年齢差が問題となることは少なくない。
スポーツとか将棋や囲碁のようなゲームならば同じルール内で戦うので、年齢差はほぼ関係ない。でも、一般社会では”年齢”を相手に対して優位に立つために利用する人は少なくない。
私が小学生の頃、担任の先生は30代、40代、50代といたように思うが、それぞれ同じようなおじさんおばさんだった。大人なんて、子供の目から見たらそうだ。中学、高校あたりになると、若い先生、年配の先生の違いぐらいは認識できるようになってくるけど、やっぱりみんな大人だ。結局、いつまで経っても年上の人は、みんなある程度年配者であり、自分から見たら”ずっと”年上の存在だ。
でも、自分の立ち位置はあまり変わっていない。いつも自分が一番若くて、自分より年上の存在が重しというかプレッシャーになってある。
『一度死んだと思えば』・・・交通事故は怖い。
私は一度死んだ。
そう考えることにした。
奇しくも55歳の誕生日に私は一度死んだのだ。
だからといって、また死にたいとは思えない。少なくとも(あの時のように)意味もなく死ぬのは遠慮したい。
『たとえ、週一だとしても』
ここのところ、スポーツジムには週に1度程度しか行けていない。
『タバコの匂いはどこからくる?』
スポーツジムのあるエリアでは
いつか書こうと思っていただけなんだけど
昨日、55歳を記念しての中学高校の同窓会があった。前回は2016年だったから、開催頻度は高い。それでも50人近くの人が集まり、盛会となった。
同窓会の企画といえば、思い出話に思い出の品といったところだけど、今回もそれなりに面白い話や品物が出てきて楽しませてもらうことができた。
中1の時、私が校内誌に新入の喜びを書いていた記事が出てきた(下欄に添付)。この時から書いている調子が基本的に今と大して変わらないので笑ってしまった。”たり”の使い方が間違っているなど、推敲の跡がほとんどないという点でも今と変わらず、情けなくなる。文章というものは残るものだ。どんなものでも心して書かねばならない。それにしても、ずいぶんな喜びようだ。
再認識したのが担任の先生方が若かったということ。学年主任の先生はすでに50近かったはずだが、その他の先生たちはせいぜい30歳だったということ。私の中一の時の担任の先生は母校に就職してから初めて担任として受け持ったクラスだったというし、他のクラスの先生も副担任の先生たちも同じ様な年だった。そう考えてみると、よくあんな生意気な中学生を曲がりなりにもコントロールしていたものだと思う。学校の先生というのは大したものだ。
多くの先生が定年まで勤めあげられたが、高三の時の担任の先生は早期退職で陶芸家となり、山あいの集落で作陶に励んでいらっしゃる。先生の人生もいろいろある。
10年近く前に私たちが学んだ校舎は取り壊されてしまったので、かつての面影は校門へのアプローチに植わっているイチョウの木だけとなってしまった。それでも、ここに立つと新しい校舎の向こうにかつて私たちがかけずり回ったグラウンドが浮かび上がってくる。6年間毎日通った思い出が褪せることはない。
次は還暦を記念して会うことを約束して別れた。
健康に気をつけて
Googleのトップページを開いたら、今日10月5日は”世界教師デー(World teachers' day)”とあった。教師といっても、いろいろな教師がいる。
わたし的には、小、中、高等学校の教員を教師といって、大学の先生は教員、幼稚園の先生は先生と区別している。なぜなら”教師”というと、朝礼で出席をとってそれから板書しながら教えを施す、そんなイメージを持っているからだ。小学校時代、中学、高校時代それぞれにわたしが影響を受けた先生、教えを受けてありがたい先生は何人もいる。今でも同窓会などにお招きして昔話に花を咲かせることもある。だが、教師はもちろんそれだけではない。
先日、わたしが留学していた大学の先生の訃報を耳にした。その先生の教えを乞うてお願いしたら、幸運にも受け入れてくれた。期間中は日々、先生の病理診断を見学し、それ以外の時間は日本から持参していった先生の書かれた分厚い教科書を読み、わからないところを色々と教えていただいた。その時に学んだことは今でもわたしのスペシャリティーとなっている。
わたしも遅ればせながら、去年から大学教員になって、一病理医であることに加えて教師となった。毎日研修医や医学生が次々とやってくるが、そういった人たちに色々と教えなくてはいけない、というかそういう人たちの相手をしなくてはいけない。ただでさえ人一人を預かるのも大変なのに、英語が下手くそな日本人を預かり、先生はさぞかし大変だっただろう。わたしにとって大恩ある教師だった。Dr.B
のご冥福をお祈りする。
わたしもわたしなりに自分の持っているものを後進に伝えるつもりで、手を抜かないでやってやっていきたい。
師はいたるところに
先日の弟のグループホームへの入居の手伝いは午前中のうちに終わらることができたので、午後には妻とドライブをした。
結婚前からよく行っていたところで、葉山の少し先。
畑の間の農道を歩いていると急に目の前が開けて海が一望できるところがあって、ここが私たちのお気に入りの場所だ。
手前の藪も、向こうの小さな漁港も、30年前とほとんど変わらない。
結婚してからは子供達も何度か連れてきたことがある。いつの間にか、その子供達は大きくなって、4人一緒にここを歩くということももうなさそうだ。
漁港の近くの魚屋で安くて美味しい地魚を買い込み、家で食べるのが楽しみだった。その魚屋も変わらずある。東京あたりからも、プロの料理人が買い付けに来るとかで、結構繁盛しているようだ。
ここには写しこまなかったけど、この左手は大規模な開発が行われて、緑は半分ぐらいになってしまい、景色は随分と変わったものになっている。
人口が減少していく社会で、なぜ、豊かな緑を伐採して大規模な宅地を開発しなくてはいけないのか全く理解に苦しむ。新築の家を建てたいのならば、今ある古屋を更地にして新しいものを建てたらいいのに、どうしてそうできないのだろう。業者さんとしては大規模に開発してまとめて売る方がいいのはわかるが、残り少ない自然を守る手立てはないものだろうか。
それにしても、人間というのはなんとまあ地球にとって迷惑な存在だと、なんともやりきれない気持ちになる。
歴史ドラマの中の景色が羨ましい
週末、友人に会った。友人といっても旧友で、会うといっても35年ぶり。
彼とは浪人時代のほんの半年ほどの付き合いだった。医学部志望ということで、同じく浪人していた私の高校の友人を通して顔見知りとなった他校卒の同じく一浪生だった。なぜかウマが合い、いろんなことを話し、いくつかの大学は一緒に受け、合格発表も一緒に見にいった。浪人生活は互いに一年で切り上げ、大学は別の大学に進み、そのまま疎遠になってしまったが、折に触れてどうしているだろうと思い出すことはあった。とくに大学受験の季節となると必ず一度は思い出していたのではないか。
半年ほど前、高校時代の同級生(彼とは年に1、2度集まりがあって会う)が、「オマエ(コロ健)、〇〇って、知っている?あいつ今、俺と一緒のところで仕事しているんだよ」と、「え?」と二の句を継げないでいたら、「オマエのこと、あいつに話したら是非会いたいって、どう?」ということになり、35年ぶりの再会となった。
はたからみれば50代半ばのおっさん3人だが、お互いの目には若かった頃の顔が重なる。その旧友も、浪人時代の思い出の中にあったままの笑顔だった。35年というと随分の年月のように感じられるが、不思議なもので、つい先日あったばかりような気がする。積る話をいちいちするほど時間はなかったが、仕事上の繋がりもあって、再会を約束して別れた。
彼はそのまま大学に残って今では某科の教授だという。母校とは遠くなってしまった私とは大学進学後に歩んだ人生は大きく違う。それでも、お互い、健康と家庭に恵まれたということが、この再会を素晴らしいものにしてくれた。
語らなくていいことは語らない
毎年恒例にしていた今年のボツ記事、いざ書こうと思ったら去年の書きかけ記事がたくさん出てきた。そこで、『今年のボツ記事 2016(!)』を1年遅れで書いた。と言っても書きかけていたものをコピペしただけだが。
いよいよ、これが本当の今年のボツ記事。やっぱり、記事にならなかったのはそれなりに原因はある。
『捨てる神あれば、拾う神あり』
今回、東京都知事選挙に出馬した、小池百合子さん。自民党から見捨てられ、応援を得られず、それでも自らは自民党員として頑張った。
彼女のインタビューで、「捨てる神あれば拾う神あり」と、党には見放されたけど、応援してくれる人がいたことを述べ、それを頼みとして頑張り通したのだろう。
『病理のこと・・・シリーズ集』(という、これまでの病理関連記事をまとめようとした)
病理診断科のこと
(1)・・・2007-11-21 (2)・・・2007-11-24 (3)・・・2007-11-25
病院で死ぬことと病理解剖
注1) 日本の医療はなぜ、何も変わらないのか?・・・2010-01-30
注2) なぜ、私の代わりの病理医はいなかったのか?・・・2010-01-30
注3) 病理解剖は何のために行うのか?・・・2010-01-30
病理医になるための勉強
医療を哲学的に考えてみる
(1)(2013年08月05日) (2)『医療』の定義、医術(2013年08月07日) (3)『医療』の定義、病気(2013年08月08日)(4)『医療』の定義、治す(2013年08月14日) (5)『医療』の定義(2013年08月23日) (6)『哲学的に考えてみる』の定義(2013年09月12日) (7)患者の願いはなにか(2013年12月03日)
病理医になるには
『久しぶりにお相撲をみて』
昨日、一昨日とお相撲をテレビ桟敷で観戦した。
たっぷりみるといって、42人中13人が外国出身だった。
『継続は力になるかな?』
このブログが書けなくなりそうになると、「継続は力なり、頑張って続けてください」というコメントをいただいたことがある。
『自分の周りにあることしか話さない人』
昨日、私の歓迎会があって、二次会にカラオケにいった。この前も書いた通りカラオケは好きで若い頃はずいぶんと楽しんだ。だが数年ぶりとなると何を歌っていいかわからない。なんせ、私の半分くらいの歳の人もいる。結局、自分のオハコを何曲かうたって、温かい拍手をいただいた。だが歌いながら別の私が
あのさー、お前、なん年前の曲を、歌ってるの?それも立て続けに。
心の奥からそんな声が聞こえてきた。
"自分の周りにあることしか話さない人。"
コロ健のやってることはそれかい⁉︎なんて、思ってしまった。
私は芸能人でもなんでもないので、あまり余計なことを考える必要なんてないのだけど、年をとると余計なことばかり考えてしまう。宴会は参加している人みんなが楽しまなくては意味がない。
『医学と医療と病理学』
『ヤンキーの方が、勉強ができただけで出世したような人よりも、よほど礼をわきまえている。』
この歳になるまで気がつかなかったことがある。「おい、みっともないからやめなよ。」なんて周囲のことを気にするようなことを大人が言ったら何となくその人はヤンキーっぽい。
『"こんな人たち"の生活とバラマキのために私の収入の多くを税金として納めている。』
税金を納める、ということは国を支える人間の一員として義務であることはよくわかっている。国民の誰もが税金を納めなくなったら国体護持は叶わない。
『そんなに不機嫌にしていたら、誰も近づいてこないわよ』
先日の出張の朝、忙しくてイライラしていたら「そんな顔で行ったりしたら、周りの人に嫌われちゃうわよ!」と妻に言われた。
これには続きがあって、「わかっている?”私”だからあなたがそんなでも耐えていられるけれど、そうでない人だったらあっという間にどこかに行ってしまうわよ。それでもいいの?」というものだった。
以前、私は”仕事がいっぱいいっぱいになると、イライラして周りの人が怖くて近づけなる”と言われたことがあった。妻も、そのことは知っていたようで、あまり言いたくはなかったようだったが、先日はよほどひどかったのだろう。私に対して忠告しないではいられなかったようだ。
たしかに、最近また忙しくなってきた。世の中には私などよりもっと忙しい人、多くの仕事を抱えている人というのはいくらでもいる。だが、私には現状が大変なのだ。この歳で新しい職場に4月に移り仕事に慣れてきたところで、学会の仕事やら、研究のことなどとあれこれある。
私でなくてもできるようなことばかりだろうけど、もっとふさわしい人はいるだろうが、私が適任者の一人であることも間違いない。そんな私が引き受けたことでいっぱいいっぱいになっている。そして不機嫌になる。
これまでにも、そういったことはたしかにあった。だから、それを思い出して妻は私に忠告したのだろう。
『初期研修医への病理診断学の指導』
医師臨床研修制度が10年前に始まった時、私は専門病院に勤めていたので、研修医というと後期研修医すなわち将来の方向性がある程度決まっている医者のことだった。医師国家試験に合格してすぐに来る初期研修の医者というのがどんな存在、というか何を考えているのかよくわからないでいた。昨年、一般病院に勤務し初めて初期研修医に接して、どんな感じか少しわかった。今年は、初期研修医指導の2年目、新しい大学病院に移ってからは初めてだ。
初期研修医が病理診断学の研修プログラムの中で学ぶのは、CPCレポートという病理解剖の所見をまとめることで、これを病理医が指導する。病理解剖は病理医として初歩の初歩であり、究極の仕事でもある。研修期間という限られた時間しかない中でそんな大それたことをマスターするなんて土台無理な話なのだけど、病理診断学のさわりだけでも学んで欲しい。
初期研修医なんて学生の延長みたいなもの、なんていうことをまだ初期研修医を知らなかった頃、小耳に挟んだことがあったけど、そんなことはなくて、皆さんよく勉強していて感心した。これが、1年目の医者だったらどうだったかわからないけど、ここでは2年目の医者というのもある程度臨床的なことを理解しているという点では良いのだろう。
そんなことより、嬉しかったのは熱心に病理医のいうことに耳を傾けてくれること。医療の現場で何かとないがしろにされている感を感じるけれど、この研修期間に病理診断学の重要性を少しでも教えることで、そういったことも解消されていくだろうと思える。
『ご恩は忘れずに』
昔お世話になった人。
『考えれば考えるほど悲しくなる国』
昨年、パナマ文書というのが漏れて大騒ぎになって先日は、某国のジャーナリストが暗殺されてニュースになったが、今度はパラダイス文書。
ケイマン諸島の租税回避地での文書が漏れた。アメリカの高官だとか、有名歌手、日本の有名漫画家がお金を預けていたということで騒ぎになっている。超富裕層の税逃ればかりではなくて、仙台では勤務していた医師のみならず病院ぐるみで、公正であることが絶対条件である治験に絡む医療機器会社の未公開株を利用しての売却益を得ていたということも話題になっている。一億円以上儲けた医者もいるということだ。その会社が租税回避地に登記していたということで蓄財が明るみに出た。
稼いだ金の一部を税金として支払うのはなかなか辛いが、結局のところ、その国にいる限りはその法律に従うしかない。無駄な税金は払いたくないけど、一定のものは仕方ない。でも、会計検査院の決算報告で国の無駄遣いが874億円というのには涙を禁じ得ない。トランプ米大統領の訪日に合わせてのイバンカ基金への寄付だの武器購入ももちろん税金。女性の起業、国土防衛のためになるのであればこれらを頭ごなしにダメとは言わないけれど、今目の前には貧困で苦しんでいるシングルマザーや被虐待児がたくさんいるし、紛争国では難民が大量に発生している。そちらの方に回すお金は足りているのだろうか。
トリクルダウンという言葉がある(『金持ちがもっと金持ちになると、貧乏人も金持ちに・・・なるわけない(2008年10月20日)』)けれど、あれはどこまで本当なのだろう。お金持ちは儲けた金をこぼしたりしない。儲けたら儲けた分を溜め込んで、それを周りの人や物に使うということはないのではないか?
日本はもう借金まみれのお金が無い国だ。そんな国なのに、過去(ほんの20年前)の栄光を忘れられずに無理をしているように思える。
『国を背負う人たち』
先日、東南アジアのある国の病理医数名が私の勤務先に視察としていらっしゃった。
『ルイヴィトンとかグッチは日本に無い』
いわゆるブランド品、日本人女性の10人に1人は愛用しているだろう。男性でも財布とかネクタイは一つぐらい何か持っている人は少なからずいるのではないか。
かつて日本製品が世界各地で受け入れられていったのはその品質の高さ故だった。いわゆるブランド品はその品質を保持するためにたゆまぬ努力を続けている。どこかで手を抜いてしまったのか、最近とんと見なくなったブランドもある。
『ブログを夜書き始めると元気が出ない』
週末の学会の準備が遅々として進んでいないのに、通常の仕事、というか本業の方が忙しくて、何も進まない。さらに、今日ショックなことがあった。
その学会ではセッション一つのお世話をしているのだけど、そのプログラムが主催者側のミスで落丁。全く参る。erratumを出してもらったところで、国際学会なので相手の先生方が気を悪くしないでくれたらいいのだがと心配になる。セッションの場ではホスト国を代表して謝るのは私になるので、私の拙い英語でお詫びの気持ちが伝わるだろうか、今から心配だ。国際問題というのは、意思疎通が上手にできないために生ずるに違いない。
それにしても忙しい。ヘトヘトだ。
こういう時は免疫力も落ちやすくて、先日来の風邪がまた悪化しそう。といっても、誰も助けてくれはしない。私は私で踏ん張らないとならない。
なんてことを、帰りの電車の中で書いていると、なんだか自分が哀れに思えて来る。夜になってからブログを書き始めるということはあまりないので、こんきもは比較的元気なブログだと思っている。だから、こういうのはあまり良くないのだが、今日のプログラムの件はさすがに落ち込んだ。
でもまあ、そうは言ってももう仕方がない。主催者だってやりたくてやったみすではない。今夜無事に眠れたら、寝て起きたら気持ちを変えていくしかない。
というか、準備しろ。これでは逃げているだけだ。
日に二度更新というのもどうか
『一昨日の夕食の献立』
一昨日、夕食は家でとった。
その時のメニューはなんだったか、直ぐには思い出せない。
これは作ってくれた人に対してとても失礼なことだ。
『コロの復調』
先日来、ご心配をおかけしてきたマルチーズのコロだが、おかげさまで復調の兆しが見えてきた。
3系統ともの高度の貧血になって、精も根も尽き果てたようになっていたのだけど、クッシング症候群(副腎皮質機能亢進症)に対する薬を休薬したら症状が改善してきたのだ。薬剤性の副腎皮質機能低下の状態だったのではないかと推測している。
今回のコロの経過は、脱毛と多飲多尿、皮膚の張りの低下などからクッシング症候群(副腎皮質機能亢進症)が疑われ、検査をしたらACTHが高いことがわかって、クッシング症候群と診断された。クッシング症候群は犬でもしばしばみられる病気で、副腎からのステロイドが多く分泌されることで、前記のような症状が出る。したがって、このステロイドが副腎で合成されるのをブロックする薬を飲んで、症状を抑える。
薬物治療の効果は良かったのだけど、どうやら長期投与が良くなかったようだ。
『病気が急によく見える瞬間』
こういうことを書くと、お前は一体何年病理医をやっているのだ、と呆れられてしまいそうだけど、やっぱりそういう時はある。
病理診断をしていると、病気の成り立ちが急に分かる瞬間がある。もともと、誰もが知っていることなのだろうけど、自分で病気の本体を理解しない限りは自分で診断したことにはならない。
癌の診断をする時、その腫瘍の顔とか浸潤の広がりとか、そういったものが理解できていないといつまでたっても癌取り扱い規約に振り回されることになる。
それ以外の病気でもそうだ。
病理標本をじーっと診ていると眼前に患者さんの病態が一気に広がって見えるのだ。そして、それを文章、すなわち診断書に記載する。
『従軍慰安婦問題について考えること』
韓国が従軍慰安婦問題についての日韓合意を見直そうという動きがある。
この問題については、双方の国、いや世界中で風化させることなく語り継ぐ必要があるだろうけど、他国の大使館の前にその問題を象徴するような像を置くというようなことは礼を失していると思う。
日本のニュースでは割と大きい問題として報道されているが、韓国でもやはりそうなのだろうか。行きすぎた対応は両国間の関係を悪化させる以外ない様に思う。
それぞれいいテーマではあった
まだ、新婚の頃のクリスマスイブ。妻も私も仕事が終わらなくてお互い家に帰り着いたのは夜の10時ごろとなった。
それぞれの職場から自宅に帰りつき、顔を見合わせて「クリスマスイブでも、一人で電車に乗っている人って、結構いるんだね」など同じことを言ったことがあった。電車は結構空いていて、確かに一人で乗っている人が目についた。もうバブルは崩壊していたけど、余韻は残っていた。今思えば、無茶苦茶な言い方だったけど、恋愛至上主義のような時代だったから出たような言葉だった。
子供はまだいなくて、二人でクリスマスケーキを食べた。
結婚して2年ぐらいは子供を作らないでいた。妻も仕事が忙しかったということもあったし、子供にあまり興味が持てなかった。それでもやがて、子供を授かり3人、4人でクリスマスを祝うようになった。でも、まず兄がクリスマスイブに出かけるようになり、今年は娘もいない。二人ともどこかでクリスマスパーティーとのことで、久しぶりに妻と二人で過ごすクリスマスイブとなった。
つい昨日のよう
6月9日がロックの日いうことで、gooブログでこのようなお題がでた。お題にはあまり応募していないけど、私も若い頃は御多分に洩れずロックにハマったクチなので、久しぶりに参加することにした。
あれが一番これが二番というのは無理なので、10枚あげることにする。どれも若き日にカセットテープが擦り切れるほど聴いたアルバムだ。少し時代考証を少し加えてあげてみる。 アーティスト一組につき一枚挙げてみた。それぞれのアルバムについて、ちょっと調べてみたら、ユーチューブで曲まで聴くことができてうれしかった。
まあ、私の青春の10枚です。
ローリングストーンズ
ホット・ロックス1964-1971 | |
The Rolling Stones 1972年 | |
USMジャパン |
ストーンズは、1963年生まれの私が物心つく前から、おっさんたちの集まりだった。だから、中学生で初めて聴いた時はもちろん、大人の集まりで、アイドルではなかった。特に、大人っぽかったのはキースとチャーリーで、ミックはただの不良っぽい兄貴だったように思う。中3ぐらいで初めてサティスファクションを聞いた時の衝撃はもうなんだかよくわからなかった。よくわからなかったけど、あっという間にファンになって、随分いろんなアルバムを買って聴き込んだ。この後に挙げるアルバムそうだけど、あの頃は、アルバム1枚が完成品として存在していた。もちろんジャケットもアルバムの一部をなす重要な作品だった。そういう意味では、『レットイットブリード』も、『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』もいいのだけど、どっちみち『サティスファクション』はリアルタイムでは聞いていなかったので、ズルしてベスト盤を選ぶことにした。私にとっては、ストーンズから1枚だけ選ぶというのは土台無理な話だ。
ビートルズ
サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド | |
The Beatles 1967年 | |
Universal Music |
ビートルズもリアルタイムで聴いていたわけではない。初めて聴いたビートルズはHey Jude。そもそもロックとの出会いがこの曲で、ラストの方のシャウトで衝撃を受けたのが、私とロックンロールとの出会いだった。ビートルズから1曲選ぶとなると難しいけれど、アルバムだったらこれしかない。曲、構成そしてジャケット全ての点で完璧だ。曲だけで選ぶのなら、レットイットビーかもしれないし、アビーロードもやっぱり名盤なのだろうけど、一枚となれば、これでしょう。
イーグルス
Hotel California | |
Eagles 1976年 | |
Rhino/Elektra |
まあ、なんというか、何もいうことはありませんね。この曲が出た頃は、毎晩ラジオから流れていたな。かけているDJも聴くたびに涙流していたような気がする。中1でラジカセ買ってもらって、エアチェックして、テープを何度も聞いて。You tube で聴き直しても、やっぱりかっこいい。ホテルカリフォルニアだけ聞いていたけど、さすがに聞き飽きてNew kid in town以下の曲を聞いたら、これも良くて、お気に入りのアルバムになりました。
クイーン
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ボヘミアンラプソディーの入っている、『オペラ座の夜』とどちらにしようか迷ったけど、TEO TORRIATTEの入っているこちらをクイーン一押しとしました。初めて聴いた時にはまさか歌詞の一部が日本語だなんて思いもよらず、空耳かと思ったのだが、そうではなかった。余計に感動してしまった。アルバムとしての完成度は、神がかっていますね。芸術です。
エイジア
時へのロマン | |
Asia 1982年 | |
Geffen* |
この記事を書いて初めて知ったのだけど、こんな邦題がついていたのか、知らなかった。このアルバムが出たのは私が浪人していた年。なんで、そんなこと覚えているかというと、思いっきり振られたから。相手の子も浪人生で、真面目な子だった(受験生なんだから当たり前か)。何度かデートしたけど、勉強が大事だからと言われてフラれた。可愛らしい子だったな。
ということで、Heat of the momment の、じゃっ、じゃっ、じゃっ、じゃっ、じゃじゃー、がどこかから聞こえてくると、内心あの時のことが思い出されてしまうのだが、妻と一緒の時は、ちょっとどぎまぎしてしまう。もちろん、妻は私のそんな思い出など知らない。
キッス
地獄の軍団 | |
KISS 1976年 | |
USMジャパン |
私は、エースが一番好きだったので、4人がそれぞれのアルバムを出した時もエースのをまず買った。キッスが好きになったのは、もちろんハードラックウーマン Hard luck womanからで、このアルバムに入っているベスといい、ピーターのファンになっても良さそうなのだけど。結局、大人になって、コンサートに行ったら、やっぱりポールのかっこよさが一番いい。だから、ラブガンもいいのだけど、キッスはデトロイトロックシティーだよな。
スーパートランプ
BREAKFAST IN AMERICA | |
Supertramp 1979年 | |
A&M |
10枚を選ぼうと思って、あれこれ思い出していたら、Breakfast in Americaがすぐに出てきた。何度聴いてもいい曲だよな。声もいいし。ジャンボで海を渡ってアメリカに行ってどうするんだろう?なんて、そこしかわからないのだけど、歌詞を理解しようともせず聞いていた。The Logical Songもいいメロディーですね。
そういえば、トランプを超える、なんて名前なんだなどと思ったら、トランプ大統領の名前はDonald Trumpだった。
ピンクフロイド
Dark Side of the Moon | |
Pink Floyd 1970年 | |
Pink Floyd Records |
このアルバムに出会ったのはもう高校生になってから。プログレッシブロックなんて、難しい言葉の意味、あの頃わかっていたのかな。イエスも、活動していましたね。このアルバムの邦題は『狂気』。確か、このアルバムは輸入盤を買ったので、邦題にしても歌詞にしても知らずに聞いていた。
これも、完成度の高いアルバムだったなー。いつから、一発一曲当てたらいい、みたいになっちゃったんだろう。やっぱりCDが普及するようになってからだろうか。
レッドツェッペリン
レッド・ツェッペリンIV | |
LED ZEPPELIN 1971年 | |
ワーナーミュージック・ジャパン |
レッド・ツェッぺリンを知ってから、バンドのメンバーの来歴というものに興味を持った。ジミー・ペイジがいたというヤードバーズなんて全く知らなかったのだけど、エリッククラプトンやジェフベックがいたということを知って、すごいものだと思った。それにしても、ロバート・プラントの声はすごい。
ツェッぺリンの他のアルバムもいいけれど、階段+Rock and rollということで、この1枚に。
ドゥービー・ブラザーズ
Minute By Minute | |
The Doobie brothers 1978年 | |
Warner Bros / Wea |
最後の1枚は、ドナルドフェイゲンとどちらにしようかと迷ったけど、What a fool believesのドゥービー・ブラザーズにした。
こうしてみると、大ヒット曲が1つあって、その曲を軸にしていかに完成させるのかがアルバム制作の手法だったのだろう。
それそれの時代にそれぞれの思い出が