こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

ヒトもスギも男は男

2023年02月28日 | 愛と女性とジェンダーと
朝はコートが必要ですが、日中はそのコートも邪魔になるほどに気温が上がります、と天気予報で言っていたが、ではその邪魔になったコートはどうしたらいいのかは提案してくれなかった。
確かに足先はちょっと冷たかったが、それも日の光を浴びているうちに体全体が温まり気にならなくなるようだったから、今日もジャケットにマフラー、手袋。

気温が上がって植物も次々と開花し、いよいよスギの開花も本格的になってきた。
昨日、玄関前の腰掛けを拭いたら雑巾が真っ黄色になったと妻が嘆いていたが、私も外から帰ると身体中が埃だらけで、ベトベトしている様な気がする。

あの山を覆っている黄色い粉は杉の雄花のもので、スギ花粉の飛散量は、その開花具合に依存する。
何もあんなにばら撒かなくてもいいじゃないかと、テレビに映る花粉の画像を見ながら思う。

これじゃあ人間の男と一緒だな。

健常な男性であれば精子は一度の射精で1億個放出され、3日もあれば満タンになるというから、人間男性の生殖能力はもしかするとスギに勝るとも劣らないようだ。
いや、ヒトの場合、年中発情しているのでスギ以上かもしれず、ヒトがこの地球上に溢れるほど増えたというのもむべなるかなだ。

いずれにしても、ヒトもスギも男は男、自らの遺伝子を残すための圧倒的な物量作戦を実行している。
この時期だからスギの雄花の話にしたが、これは生物すべてに共通した仕組みで、とりたてて珍しいことではない。

自己複製をしていたら生物として弱くなるので、多様性を獲得するためにオスが発生した。
そのオス、発生以来自分の遺伝子を残すためにあれやこれやの方法を生み出し、その一つが大量の生殖細胞を作ること、力をつけることなど涙ぐましい努力を続けている。
結果として、この辛い春先の1ヶ月があるわけで、種は違えども男としてはスギの雄花に同情してこの状況に甘んじるべきなのかもしれない。
元は雌雄同体

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社会と医学とジェンダーと

2023年02月27日 | 愛と女性とジェンダーと
今日から暖かくなるというので、コートは着ないでジャケットにマフラー、手袋で出てきた。
太陽も顔を出していて、寒さをほとんど感じない。
冬は終わったと感じるが、次は花粉の季節だ。
土曜日に洗った車の上には、花粉が被膜のように乗っかっている。
一難去ってまた一難、寒さ対策の次は花粉症対策だ。
テレビ、新聞でジェンダー問題についての話題を見たり読んだりしない日はほとんどない。
病理医としての仕事をしていると、人間の性別についてほぼ毎日意識する。
意識する、というよりは患者さんの性別は診断に必須な情報の一つであって、そのことを抜きにして診断を進めることは不可能だ。
遺伝性疾患には圧倒的に男性の方が症状の強い出るものがあるし、膠原病のように女性に多い疾患もある。
だから、特徴的な症状を有する患者さんの診断をするときなどは性別を加味して進めなくてはいけない。

私は、患者さんから病変部として切り離されてきた組織を見て診断するので、患者さんの性自認について考える事はいまのところ無い。
今後、ホルモン療法などその人固有の状況が生じる可能性はあるものの、そのような事態はまだしばらく先になるだろう。
だが、臨床医にしても性別について区別した上で診断、治療を進める必要があり、そういう点に配慮しながら行うことになる。
例えば、女性病室、男性病室という区別、名札、カルテ上の性別の表示、その他諸々のことを細かく対応しなくてはいけない。

昨今、こういったことに対応しようと頑張っているのはいいことだが、このような事は、”もともと”配慮しておかなくてはならなかったのではないだろうか。
以前から時々考えていた、障がい者と健常者の違いというのは、”健常者”という人が作った環境こそがスタンダードであるということから始まっていることであり、ジェンダーギャップについても状況は同じだ。
人間、誰一人他人と同じではない。
思想信条にそれぞれ違いのあることは比較的容易に受け入れるのに、障がいのあるなし、ジェンダー認識の相違についてはなぜそれが難しいのか。
そのことを考える社会を実現することがより幸せな世界をもたらすことにつながる。
私もあなたも違うのだ

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姑息な先延ばし

2023年02月26日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
福寿草というのはけちん坊な花で、お日様が出ないと開かない。
なぜ、けちん坊かというと、開いた花びらで日の光を集めるからとかだが、それはそれでいつも開けていたらいいのにと思うがそうもいかないらしい。
そんなわけで朝私が仕事に出かけるときに福寿草は閉じている。
久しぶりに日中に家にいられた今日は晴天で、やっと開いた福寿草を拝むこと尾ができた。

そんな休みの日でも、メールは次々とくる。
半分近くは不要なものなのだが、仕事のメールも混じっている。

出版社からのメールが金曜日に来ていたのは知っていたが、これを開けば自分の首を締めることになるであろう予感がして、さっきまで放っておいた。
でも未開封のメールはそのまま放っておくとずっと目立つ、結局開けた。
すると、件の改訂第2版のことだった。

先方には、

 構想を練っているところです

などと、のんびり構えていたが、案の定、締め切りについて書かれていた。
あちらとしては書き手に書かせるのが仕事なわけで、こうするのは当然のこと。

 そりゃそうだよな

とため息をついた。
とはいえ、いちどは引き受けたこと、逃げ切れるものではない、やるしかない。

まず目次

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変わる渋谷、変わらない富士山

2023年02月25日 | 日々思うこと、考えること
昨晩、高校時代の友人と渋谷に集まった。
ありがちなのだが、今度還暦を祝っての同窓会をするためだ。
私は、高三の時の優勝色の団長だったということで、こういう時の声がけをする時に名前を使われる。
高校は渋谷に近かったので、その頃の思い出をネタの一つにすることにした。
こういう話をすると、昔はよかった、ということになるのもよくあること。
別の意味で今では考えられないことをいろいろやっていた。
話すうちに武勇伝ははいくらでも出てくるが、男子校だったのがよかったのだろう、女性がらみの話が共通の話題となることはなかった。

帰り、スクランブル交差点を渡るときに、友人の一人が、

 (東急)東横店もあっという間に無くなったな

と感慨深げに言った。
確かにそう、40年前の渋谷の面影はずいぶん無くなってしまった。
東急本店もあっという間に消えてしまうだろう。
それに比べると、江ノ島富士山の姿は変わらず美しく、ホッとする。
建造物のスクラップアンドビルドはいくらでもできるが、自然の景観を迂闊に失うような事はあってはならない。

人新世などおこがましい

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ものは言いよう、大義のすり替え・・・ウクライナ侵攻から1年

2023年02月24日 | 日本のこと、世界のこと
なかなか暖かくならないし、今夜は雨の予報。
こうしているうちに本格的な春がやってくるのを待っているというのはわかるのだが、せっかちなものだからそれが待ち遠しい。
昨日のような陽気だと、とっくりのセーターが暑く感じられるようになったし、来週からはコートは不要になりそうだ。
もうすぐ3月。

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まって1年。
去年の2月25日のエントリーに私は、
昨日、ロシアがウクライナに侵攻した。単なる独裁者に堕してしまったプーチン大統領は、大義すらないまま一つの独立国家を衆人環視の中で凌辱している。先の大戦後、何とか維持してきた世界秩序を覆す暴挙であり、さすがの中国もいまのところ静観の構え。食料、エネルギー供給の点で苦しくなるだろうが、世界中の民主主義国家群は、徹底した経済制裁を科していかなくてはなるまい。
この思いは1年経ってもまったく変わらないし、今日もまた同じことを書く。
そして変わったのはプーチン大統領の言い方だ。
先日の年次教書演説でプーチン大統領は、この戦争は西側によって仕掛けられたものだと述べた。
ロシアが解放を目指すウクライナの東部地域になぜ親ロシア派住民が多いのか、なぜキーウを攻める必要があったのか、ウクライナのどこにネオナチがいるのか、背景にある歴史的経緯、戦略、そういったことについてここで考察するつもりない。
事実として、特別軍事作戦などという、ろくな大義のないまま始めた戦争により、多くの命が失われているというのに、いまさらのように全く違う理由をつけることで大義をすり替え、戦争を継続し、その終わりはますます見えなくなってきている。

人間というのは大なり小なり自分を正当化しながら生きている。
それを表に出すことができるか否かというのには個人差があるだろうが、どんな人もそうしなくては生きていけない

私の周りにも、都合よく解釈をコロコロ変える人がたくさんいる。
いや、たくさんどころか私を含めて全ての人がそれぞれの解釈を持って生きている。
だから、多くの人はまともに生きているにも関わらず、常に諍い、争いが生じる。

人間は言葉をあたえてもらった。
言葉のせいで、物事へのいろいろな考え方が生まれてしまうものの、言葉を使うことで、互いの考え方を示し合うことができる。
話し合うことをせず、殺し合うこと、傷つけ合うことは最たる愚行であって、人間であることの否定であると私は思う。
こんな残念な時代がやってくるとは思っていなかったが、今この地球上でそんなことが起こっている、そのことをいま一度真摯に受け止めどうしたら争いのない世界を取り戻すことができるのかを考えたい。
話してもわからないのか

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意外なところからのリクエストで

2023年02月23日 | 日々思うこと、考えること
昨晩は、某科とカンファレンスを行い、そのあと飲みに行った。
今日が天皇誕生日でお休みということで飲み過ぎてしまったが、楽しかったのでまあよしとしよう。
他科の人との情報交換は色々な意味で有意義だ。

そのカンファレンスの前には病院幹部からのヒアリングがあり、今年度の報告や今後のことにいついて話した。

その終わりに院長が、

  ほかに何かありますか?

というと、看護部長が、

  コロ健先生の病院のTwitterへの投稿が最近減っていませんか。
  私、けっこう楽しみにして読んでいたんですが。
  読んでいる方も多いようですし、また書いていただけませんか。

とのリクエストを受けた。

病院のTwitterが始まった時には毎月2本定期的に投稿していたが、コロナ禍が長引くにつれてちょっとサボり気味となり、ここ半年ぐらいはご無沙汰していた。

何かを始めるということは、それにともなった責任が生じるということで、軽々に止めてしまってはいけなかった。

そんなわけで、隔週で投稿することにしようとカレンダーのリマインダーを設定した。
さて何を書こうか

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男の子の死と飲む中絶薬の承認

2023年02月22日 | 愛と女性とジェンダーと
寒さの底という朝だが、たっぷりの日差しがある。
明日から天気は下り坂とのことで、今日の晴天はありがたい。

藤沢市の2歳の男の子の虐待死が疑われ、その母親が逮捕されたというニュースを昨晩からNHKが再三流している。
朝日新聞では湘南版に載っているだけなので、全国放送で流すNHKの並々ならぬ思いが伝わってくる。
基礎疾患のない2歳の男の子が亡くなるというのは尋常ではないので、間違いなく捜査の必要がある。
親以外に頼るもののない子供が虐待によって亡くなる時の気持ちを思うと胸が張り裂けそうになる。
母親によるネグレクト、虐待の話を聞く時、子供を授かった時、産むことを決心した時、生まれた時、初めて笑った時、子供の成長にどうして寄り添ってあげることができなかったのかと思う。
そして、父親が不在で母親が孤独であったとか、父親による虐待を止めることができなかったということを聞くと、男性として残念だ。

使用するには医師の処方箋が必要というのをみて、

 女性が自分の判断で自由に使うのなら、薬局で売って、もっとハードルを低くしたらいいのに
 そうすれば、責任を取ろうとしないロクでもない男からも自由になれるのに

と、深く考えずに言ったら、即座に妻が呆れた顔で、
 
 あなたね、一体何を考えているの?
 日本では中絶ができるのは何週まで?
 そのロクでもない男に無理やり飲まされたらどうするの?
 いろんなことを考えなくちゃいけないのよ。

と言った。

私は何も考えていなかった。
赤ちゃんの権利、母親の権利、女性の権利、経口中絶薬の承認には多くの守らなくてはならない権利、そして果たすべき義務があって、そのようなことまだ含めて私は考えなくてはならなかった。
アメリカでは国を二分するほどの議論になっているのに、日本ではこのような話が活発に議論されない原因の一つには、私のような男がいるということがあるかもしれない。

普段からジェンダー問題について関心を持っていたつもりだが、しょせん男の立場からの発言で、わかったようなフリをしているに過ぎなかった。
男である私がしなくてはいけないのは、女性の言葉に耳を傾け、それを真剣に受け止めること。
そして普段から女性との距離には注意して失礼のないように
付き合うこと。
どちらもすごく難しいことだが、いつもそうしようと心がけて生きることで、初めて女性を大切にすることができるのではないだろうか。
互いを尊重して

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これが春の陽気の力であっても

2023年02月21日 | 日々思うこと、考えること
今朝の私のBreaking newsは電車の運休だった。
たいていは通勤中に刻々と運休情報が入ってくるのだが、今日は早々にテレビで知らされた。
人身事故といっても、どのようなものであるのかチラッと知りたくもなるが、知ったところで止まった電車が動き出すわけでもなく、私が知らなくてはいけないのは運休区間といつまで止まっているかということにすぎない。
それ以上のことは好奇心の範囲であって、詳細を知ろうとするのは品のないことのような気がする。
だが、好奇心の範囲というのは人それぞれで、個々人の意見はそれぞれ違う。
それが政治の話などになるともう全く噛み合わないこともある。

小沢一郎という政治家のファンだった時期がある。
政党の壊し屋だなんだと言われたような、強面のところはあんまり好きではなかったが、スケールの大きい夢のある話が好きで、雑誌のインタビュー記事などがあれば読んでいた(と、せいぜいその程度なのだが)。
その小沢一郎の主宰していた政治塾が活動休止となるそうだ。
私にしてもTwitterへの投稿は最近ではほとんど読まなくなっていた。
かつての勢いも夕日のもの、寂しい思いがする。

政治に詳しい知り合いが、人間というのはどこかで全力を出さないといけないときがあり、小沢氏はそのタイミングを見誤ったと言っていた。
たしかに政治家などは、そういうタイミングを見極める力が大切だろう。
例えば、故安倍首相は難病をおして再度総理大臣になった時がその時だったと私は思っている。
今の政治家を見回すとそういう人は少ない。
維新の松井、吉村両氏はそのタイミングを掴みかけたものの、残念ながら選挙で敗れた。
今は復活に向けての雌伏の時だろうか。

私も今ちょっと頑張っていることがある。
選挙に出るとか、大金を投じて何かするとかいうような大それたことではないほんの些細なことなのだが、これは後進の育成のためにしなくてはならないことと確信を持っていることだ。
私はこれまで後悔の多い人生を送ってきたが、これをしなくてはまた一つ増える。
意見を取りまとめるのは難しいだろうが、とにかくやってみたい。

このところの陽気がこんな気にさせているのかもしれないがそれでもいい。
やり直しがきく年はとっくに過ぎているが、やらなくてはならないことがある時はやらなくてはいけないのだ。
何を守るというのか

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Breaking Newsは北朝鮮のミサイル発射

2023年02月20日 | 日々思うこと、考えること
さすがにちょっと疲れたようで、昨晩は夜中ほとんど起きることもなくぐっすり眠ることができた。
ただ、2日で2食もの外食がたたったのか、体重が1キロほど増えてしまった。
まさか昨日一昨日の食事で急に増えるということもないので、これはこのところの不摂生のせいだろう、気をつけたい。

今朝のニュースは北朝鮮によるICBM(大陸間弾道ミサイル)を相次いで発射しているという速報のテロップからだった。
もしそのミサイルが自分たちの上に落ちてきたら、どうなるだろうと思いながらテレビの画面を見ていると、そこにはロシアによるウクライナ侵攻1年の話。
ウクライナ兵が1万人以上、ロシア兵は4万人以上の戦死者が出ているという。
国のために戦争で死ぬということにどれほどの意義があるかはわからない。
それを無駄と言ってしまっては亡くなった人に対して失礼というものだ。

一方で、朝日新聞の一面トップは、経済制裁の効果が薄いという話。
戦果の及ばないロシア国内ではウクライナへの侵攻は遠く彼方のことのようだ。数万人の死傷者など、目に触れなければ気にはならないのだろう。
北朝鮮では、キム総書記の娘とかいう子供が将来の後継者として祭り上げられつつあるようだ。

世界が今向かっている方向というものは果たして正しいものなのか、では、その正しいとは一体どんなものなのか。
あくまでも自分中心に考えていては正しいことは見えてこない。
そもそも正しいことなどないのかもしれない。
そうすると、自分が正しいと思うこと、をしていくしかない。
その結果が戦争であり、人民の抑圧であったりしたら残念だが、仕方のないことなのかもしれない。

そういえば、今朝のNHKニュースでは、岸田首相がいまだにウクライナ訪問を果たさないで言い訳を説明していた。
首相官邸からの要請だろうが、こういうことをニュースで流さざるを得ないこと自体がこの国のリーダーシップを発揮するためのシステムの不備を示しているように見える。
ふと、故安倍首相だったらどうしていただろうと思う。
バイデン大統領キーウへ

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神戸をテクテク、アップダウンが多くてきつかった

2023年02月19日 | 通勤・交通・旅行
学会2日目。
会場のある神戸は夜来の雨、と朝のうちは結構な強風と大雨とではっきり言って辛かった。
ホテルから会場はでは、1キロほどと中途半端で、ちっちゃな折り畳み傘をおちょこにしないようにコントロールしながらなんとか辿り着いた。

昨晩はもう20年近く前にこの学会に誘ってくれ、その後あれこれ使ってくれた昔の勤務先の集中治療部の先生と一緒に南京町で夕食を食べた。
これといったお目当ての店もなかったので、店内が広そうな店を選んだ。
元々は北京料理の店のようだったが、四川料理メニューもあって、ビールと紹興酒を空けながら、昔話から近況まで、たっぷり話すことができた。

紹興酒はいくら飲んでも悪酔いしないのがいい。
二日酔いにもならず、今朝はスッキリ、駅前のパン屋のイートインに入ったら、某大学の教授もそこで食べていたので、少し話した。
やはり、対面の学会、とくに地方に行くとこうして食事なども一緒にして、親交を深めたり、情報交換ができたりするのがいい。

昨日の先生とは昼食も一緒にした。
つい昔を思い出してしまったのか、からげ定食なんてものを食べてしまったのは不覚、午後はずっとお腹が膨れていた。

そんなわけで腹ごなしが必要となり、観光がてら、新神戸駅まで歩くことにした。
神戸というところはすべての道路が山から下に向かっていて、まずは会場の前の道を上がったら、平清盛の銅像があった。
ここが福原京のあったあたりらしく、さすがは風光明媚ないいところを選んでいたものだと感心した。
これなら津波、高波の心配もない。
平氏がそのまま栄えていたらどんな国になっていただろうかと歴史に思いを馳せる。
そこから右に折れて風見鶏の館を目指す。
途中、風情のあるお地蔵さんがいらっしゃったり、
ベルゲンのような木造住宅があったり、
ブラジル移民発祥の地、なんてのもあり、学校かとおもったら神戸移民センターという施設だった。

後学のため中をのぞいてみたかったが、だんだんと荷物が肩に食い込んできたので、先を急ぐことにした。
とにかくアップダウンが激しく、足が痛くなってきたところで、煉瓦造りの交番が見えてきた。
ここまで来ると、観光客の女性グループがちらほらと増えてくる。
Googleマップをみても、全行程の半分ぐらいはきた。
風見鶏の館まではあと一息。
閑静な住宅街を抜けたら風見鶏の館やほかの建物が見えた。
大雨のあとのせいか、人気はまばらで外国人ツアー客と日本人の旅行客が半々。
私のような厚手のコートを着たおじさんにはどうも不似合いな場所で、写真を何枚か撮って、北野天神の石段を登ることにした。
雨はすっかり止んでいた。
牛の頭をよくなてで、仕事がうまくいくよう願った。
山沿いの遊歩道を歩いて、新神戸まで歩いた。
全行程は4.5キロ。
途中写真など撮りながらだったが、1時間半ほど。
何度か寝落ちしながら、このエントリーを書いた。
駅に着いたらずいぶん人がいた。
来週は天皇誕生日があるので、仕事は少し楽そうだ。
帰りも三人がけを二人

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学会出張での新幹線の座席の選択

2023年02月18日 | 通勤・交通・旅行
学会出張。

新幹線の座席は早めに予約したつもりだったが、いつもの二人がけの窓際の席が取れず、通路側にするか三人がけの窓際にするか悩んだすえに後者にした。
これというのは閉所恐怖症の私にとっては相当なギャンブルであり、一メンツ、すなわち三人埋まってしまうと、雪隠詰めとなり完全にアウトなのだが、幸い真ん中は空いていて、こうなると逆にゆったり座ることができて、通路側の人と二人で真ん中の席を分け合った。
この車両の中で私の座ったところ以外は全部埋まっていたので、三人1組、もしくは二人+一人という組わせが多かったのだろう。
名古屋から先は必ず空くのでもう安心。
幸先がいい。

おととい、見慣れない顔をした腫瘍を部下が散々悩んで一週間ほど抱え込んだ末に私に回してきた。
私もそれを見てちょと悩み、その日の晩は腫瘍の像が目に浮かんでなかなか寝付けなかったが、改めてHE染色所見をじっくり見直し、一つ一つの所見を積み重ねたら、希少疾患ではあるが、比較的典型的な組織像を呈する腫瘍だという診断にたどりつき、昨日のうちに決着をつけることができた。
おかげで、昨晩は安心して眠ることができ、学会に出かけてきた。

今日の学会は対面形式で行われる。
コロナ禍が始まって、中止(2020)→リモート(2021、2022)となっていたが、今回は対面のみ。
ウェブ参加を望む人は多いし、私のように長距離の移動に困難を伴う人間にとっては地方での学会は躊躇するのだが、理事に推薦されてしまったので、行かざるを得なくなった。

私はもともと学会活動には不熱心で、どれもこれまであまり積極的に参加してきては来なかった。
研究班に入れていただいているので、その研究成果を発表するために病理学会やその関連学会に演題を出すという程度でやってきたのだが、この学会では病理からの理事が空席となってトコロテン式にお鉢が回ってきてしまった。
そう大きくはないが、臨床や基礎領域の人も参加している学会なので、病理代表として、ちょっと頑張らなくてはいけないので、何はともあれ出かけてきた。

朝食にバナナとヨーグルトをトッピングしたオートミールにこれに妻が友達からいただいたガトーショコラを食べたら、思いのほかお腹に溜まって、新横浜で駅弁を買う気にはならずそのまま新幹線に乗った。
ついた先でラーメンでも食べるか。

今日は晴天、途中富士山の横を通っているという車内アナウンスが入ったが、海側に座っているので、遠くに水平線が見えるのみだったが、蒲郡を過ぎるあたりで海越しに渥美半島に海霧が立っているのが見えた。
こうした景色も珍しく、これはこれでたまにはいいと、この席を選んで良かった。
このあとは、色々やることがあり、この辺りで。
みなさま、良い週末を。

しっかり勉強するぞ

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通勤時の音楽鑑賞は趣味と言えるか

2023年02月17日 | 読書、映画、音楽、美術
往復の時間の大半は音楽を聴いている。
こういうのを趣味と言えるかわからないが、好きで楽しんでいるのだからそうしておいていいだろう。
Apple Musicを使うと、色々勝手に選んで揃えて出してくれる。
ここ最近は、「朝の・・・」といれて、クラシック、ジャズなどを集めたリストが出てくる。
クラシックを選ぶとそこそこアップテンポの曲が集められてそれなりにいいのだが、ペールギュントがいつも入っていて、そのレーベルを見るのに飽きてしまって最近は他のジャンルを選んでいる。
今朝は「朝のハワイアン」を選んだ。

冷たい風が吹く鎌倉駅のホームの上で、のんびりしたウクレレの音色が流れ、

 この寒さでハワイかよ

と、選曲を失敗したと別のを探そうとしたが、

 目を瞑ればここもハワイよ

と、そのまま聴いた。

帰りは気分によって色々。
クラシックが中心だが、BGMとして一楽章を切り抜いて聴くというのがどうも、曲に対して失礼なような気がしてしまう。
全体を聴くことが受け止めることができると思うのだが、まあ、駅の発車の合図のメロディーが混じっているのだからそう気にすることもあるまい。
他にも、眠くなる曲だの心穏やかになる曲だののなかから選んだり、自分で集めた曲で作ったプレイリストから選んだりする。

昨日は疲れていたので、眠くなる曲というのを選びたかったが、勉強しながら帰るからと、これではいけないと「邦楽マイヒット」というプレイリストを選んで帰った。
私の10代〜30代、すなわち、1970年後半から1990年代のいわゆる”メガヒット”が並んでいて、それぞれの曲ごとに印象的な出来事が蘇った。

昨夜はNHKで高橋幸宏の追悼番組が放送されていた。
YMOの出現に立ち会えたというのは幸せだったなあなどと妻と話しながらみた。
ジョンレノンが亡くなった時にも感じたことだが、YMOももう2度と再現されないのかと喪失感を覚えた。

ロック、ポップス、そういったジャンルの名曲も、オリジナルのメンバーが亡くなったのちには、クラシック音楽のように若い人がカバーするのが当たり前のようになるのだろうか。
もしかしたら、この間のAIユーミンのようなものが次々と出現して歌うようになり、そのうちには擬人格のようなものを持つようになるのかもしれない。
ただ、似たような曲を作ることはできるかもしれないが、新たな曲を創造することは難しいだろう。
才能はその人一代限りだし、AIが人間の創造性を超えることはあり得ないように思う。
新しい曲についていけない

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ジェンダーギャップとバレンタインデー

2023年02月16日 | 愛と女性とジェンダーと
凍てつくような寒さの朝ではあったけど、日差しがあるおかげで昨日よりずっと暖かく感じられた。

一昨日は今の病院に移って4度目のバレンタインデー。
チョコレートをくださる方はいつも同じだが、おかげで、この時期はチョコっとしたおやつに事欠かない。
ただ、ひと月後にはお返しをせねばならず、出費は馬鹿にならない。
そんなわけで、今年こそもう要らないと、もらう前に断ってしまおうかと思うのだが、それも無粋で、結局その日を迎えてしまう。
誰がどれをくれたかわかるように科の名前を書いた付箋を貼って、お礼に備える。

毎年くれる人は決まっているのだから、あらかじめ準備して交換してもいいのだが、そんなことをして”万が一”もらえなかったらなんとなくみっともない。
誰もそんなの見ちゃいないがまだ、私にも男としての下心が残っている。

女性からもらうと嬉しく、好きなもの同士、気の合うもの同士でやり取りするということだとどうも、もらえるもらえない、というスリルがなくなってある意味つまらなくなってしまう。

バレンタインチョコは年賀状以上お中元・お歳暮以下という微妙な立ち位置にある。
もうそんなご時世ではないと、チョコレートをあげるほうも、止め時が見つからずに困っているのではないかと心配になるが、ではその”ご時世”とはどんなものだろうか。
義理チョコという言葉が定着したのは昭和の時代だったから、延々とこの風習が続いている。
それを無駄と言われないようにお菓子屋さんは美味しいチョコレートを次から次へと生み出すので、途絶えることもない。
バレンタインデーにチョコレートを女性から男性へという図式は無くなりつつあり、男性から女性へと花その他のプレゼントというのもある。
ただ、単なる挨拶がわりのやり取りだったらわざわざこんな時期に限ってする必要はなく、通年でしたらいいということになる。

日本のジェンダーギャップ指数は世界的に見ると156か国中120位と極めて低い。
海外ではバレンタインデーには男性から女性へプレゼントすることは自然のようで、日本のように女性から男性へ貢がせるかのような図式はないようだ。
こうやって男女の区別をつけている限り日本のジェンダーギャップは上がってこないだろうななどと考えながら、さてどれから開けようか悩んでいる。
男の視点です

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思考停止から脱するための思考の整理

2023年02月15日 | 日々思うこと、考えること
ここ最近、少し思考が停止しているように感じる。
加齢による問題処理能力の低下なのか、ただ単に仕事量が多過ぎるからなのか、はたまた睡眠不足によるいわゆる”睡眠負債”の蓄積のせいなのか、原因として思い当たることはいくらでもあげることができる。
おそらくは全ての要因が私という人間に輻輳して加重してきているのだろう。
こういう時は、考えるのをいったんやめて、あれやこれやの問題を整理するのがいい。

今、私がやらなくてはいけないこと、考えなくてはいけないこととは何か。

まずは仕事か。
私がいなくてもできることはいくらでもあるが、人の手当の問題もあるので、当面は私が努めなくてはいけない。
ちょっと難しい症例に手こずっているが、これらは病理医のネットワークを使って対応している。
職場の人間関係にも難渋しているものの、最近では周りに期待し過ぎるのが悪いのだろうと、一歩引いて人間模様を眺めている。
そもそも私は私で楽しくやっているのだからどうでもいいと言えばどうでもいいのだ。

あとは、そろそろ姿が見えてきた病理学会の準備、著書の準備。
どちらもハードルが低くはないが、今から始めれば予定通りに終わるはずで、こんな時は長年の経験が役に立つ。

ブログ。
1日のうちで少なくとも1時間はブログに割いている。
電車での往復の時間がほとんどとはいうものの、勉強の時間、読書の時間をこれに充てているのだからバカにならない。
勉強も読書もブログも目にみえる生産性はないが、いずれも今の私には欠かせないものだ。
ブログの意義については未だよくわかっていないし、そもそもこれがやらなくてはならないことかもわからないが、とにかく毎日のこととなっている。
そんなブログは今日のように”何を書いていいのかわからない”時が困る。
これが思考停止によるものなのかどうかはわからないが、こうやって自分を振り返らせてくれるというだけでも意味があるのではないだろうか。

家のこと。
妻のおかげでわが家は回っていて、彼女無くしてわが家はやってこられなかったし、今後もそうだ。
ゴミ捨てとか風呂掃除など、簡単な作業は私にもできるが、掃除をはじめ、まとまった時間を必要とする仕事はお願いしている。
何はともあれ妻のおかげで、このことで頭を悩ませる必要があまりないのは助かる。
感謝するばかり。

考えること。
世界のこと、日本のこと、近所のこと、いろいろなことが頭に浮かんでは消える。
どれも考えたらキリがないことだが、しょせんどれも私の考えにすぎず、結論じみたものを出したところで、それは私個人の思考の行き着いた先というか限界でしかない。
それでもそれなりに、考えをまとめ、ブログにアップしたり、ノートに書き付けたりする。
まあ、これもこれでいいのだろうか。

さあ、今朝ももゴミ捨てやら小鳥の餌をやったし、こうしてしょうもないことでも考え、ブログに書き付けた。
あとは手抜かりなく仕事をすることができたら、十分ではないか。
雲もとれて青空が

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冬の寒さに人類は

2023年02月14日 | 自然災害・事故・感染症
今朝の空もどんよりとしている。
関東地方のうち太平洋岸はスッキリとは晴れないようだが、職場のある都内も同様。

発生から一週間となるトルコ・シリアの大地震では死者が三万七千人を超え、被災者は二千五百万人にもなる。
夜は氷点下の寒さということで、被災した人は大変お気の毒で、お見舞いの言葉が見つからない。
今回の地震は冬に起こったが、阪神・淡路大震災(1995年1月17日)、東日本大震災(2011年3月11日)のいずれも冬に起きた。

酷寒のウクライナではロシアによる侵攻が続いている。
エネルギーインフラへの攻撃という、非人道的な戦いはいったいいつまで続くのだろうか。
寒さをも利用しての戦いはロシアが得意としてきたことだからとことん続けるのだろうが、ウクライナの人がなんとも気の毒でならない。

人類は冬の寒さを克服するために様々な工夫を重ねてきたが、そもそもなぜこんな寒い北半球にまで住んでいるのか。
熱帯には伝染病を媒介する虫、猛獣も多く、そういったものから逃れるために北上したのだろう。
北上するにつれ、火や衣類、家屋といった”暖かさ”を獲得し、今のような人口分布に落ち着いたのかもしれない。
寒さへの対応ができない動物は人類の主たる生活圏には入ってくることができない。
すなわち人類は冬の寒さを味方につけて地上を征服したと言える。

しかし、残念ながらその冬の寒さが手を緩めることはなく、対処方法を失ったら人類はひとたまりもない。
この寒さに苦しむ人々がまずは春まで耐え忍んでもらえることを願う。

トルコ・シリア大地震への緊急支援のための
国連高等弁務官事務所の寄付サイトはこちら

しょせん人類地球の子

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