こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

鎌倉の晩秋

2009年10月31日 | 鎌倉暮らし
 鎌倉の秋、今年は少し早めのような気がする。
 通勤時に、鎌倉駅からホテルニュー鎌倉の屋根越しに見える源氏山の色で季節を感じる(最近、ホームの逗子寄りで乗るようになったので、ちらっとしか見えないが…)。
 で、今年だが、どうも色づくのが早いように思う。

 鎌倉の紅葉はとても美しい。開発がずいぶん進んで、鎌倉の緑もずいぶん減ってしまったが、それでも獅子舞の銀杏の美しさには、毎年感動する。

 わが家は今年で引っ越すので、リビングの窓から見える景色も、今年が最後。
 夏、涼を与えてくれたタブの木の葉も黄色く色づいてきた。

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合唱

2009年10月21日 | 家族のこと
子供の学校で合唱大会があった。先週まで、新型インフルで学級閉鎖になるような厳しい状況下、今日は無事、咳払いもほとんど聞こえないほどみんな元気な中で挙行された。
PTAの役員をやっているため、この行事は外すわけにはいかず、上司に有給を取ることをお詫びしつつ、参加した。

中学生の歌声に感動した。
自分の子供は、合唱を授業で選択し、NHK合唱コンクールや合唱連盟のコンクールにも参加しており、私もコンクールの会場で聞いていていたのだが、今日のはクラス対抗。これはこれで大変感動した。
特に、中一が下手で、中二になると少し上手になって、中三ともなると、いろいろ工夫して大変楽しませてもらえた。

私は、合唱を一生懸命した覚えはなく、子供たちがたいへんうらやましかった。
ラジオでプロの声楽家が自分の経験から、「合唱は、音楽の中に包まれている感じです」と言っていた。
合唱は、素晴らしい。みんな、素晴らしい歌声、ありがとう。

二度目の人間失格

2009年10月20日 | あの頃のこと…思い出話
 太宰治の「人間失格」を読んだ。

 以前にも読んだことがあったはずだったのだが、内容をほぼすべて忘れてしまっていたので、新潮文庫を新たに買った。

 最後まで読み、やっと以前読んだことがあったのを思い出した。でも、読んだのはずいぶんと昔、おそらく、高校時代のことで、その時には何の話だか理解できなかったように思える。

 この年になって、私の人生がこれまで決して人様に話せるようなものではなかったと多々思う。
 本当に悔いの多い人生を送ってきた。

 一番後悔していることは、いじめ。けがをさせるとか、登校拒否にさせるといったことにはならなかったものの、相手を深く傷つけたことに変わりなかった。中学高校時代の私は最低の人間だった。
 二つめは女性を傷つけたこと。容姿のことを平気で悪しざまに言ったことが何度かあった。その点で私はゴミ以下の人間だった。

 こんなことを考えさせること自体、太宰の術中にはまっている訳だが、それはそれで、自分を考えるきっかけにはなる。

 ゴミ以下だった私がこの先どうやって、生きていくか?
 女房、子供(二人)をかかえて、どうやって生きていくか?
 生き様って?
 何が人生の本質なのだろう。
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運動会日和

2009年10月11日 | 日々思うこと、考えること
今日は、とてもよい天気に恵まれた。
私の周囲では運動会が2つあった。
一つは、来賓として呼ばれている小学校、もう一つは鎌倉市市民体育大会の二つ。

市民体育大会にも参加したかったのだが、小学校の方の運動会に出た。

息子が卒業した小学校でもあるのだが、この運動会がずいぶんと様変わりしていてびっくりした。というのも、この小学校の運動会は長いことで有名で、小学生が要領悪く、ながながと競技だの演技をするので、そうなってしまっていた。
小学生の要領が悪いのも、きりがわるく、競技などが長引いてしまうのも当たり前で、仕方がないと思っていたら、今日は違った。

子供達がきびきび動いている。次の競技の前には、もう準備ができていたりして、すごい。もともと、出来のいい子達なので先生の要求もすんなり受け入れ、実行できているように見えた。

幹部の先生に尋ねたところ、「今年は、体育科の先生方が頑張っておられるので、それがいいのでしょう」とのことだった。

その時々のことを安易に否定することはよくないので、よく考えてみたいが、子供たちがやりたいようにやってだらだらと時間が延びてしまうのがよくないことなのか、先生がきっちりやってピシッとやるのがいいのか、“自主性”と“管理”という言葉を考えさせられた。

某学会にて

2009年10月10日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今日、ある学会があって、コメンテーターとしてプレゼンをした。

結構自信があったのだが、発表が終わった後、先輩の病理の先生にずいぶん否定的な意見を言われた。肯定的な意見も別の先輩の先生からあったのだが…

このことがあって、帰り道いろいろ考えてしまった。一体、何のためにこういうことをやっているのだろう?と。
交通費として本当に実費しかでないのに、数時間もかけて準備、発表しても誰からも賞賛されず、あるのは意見が違う人とのディスカッション。臨床系の学会であれば薬屋さんがいろいろと便宜を図ってくれる。
ところが病理医となると、何も無い。何も無いから自活の道を探すことになる。
開業する先生や、研修に際してお金を取る先生が現れてくる。

病理の道は自己との戦いであり、苦難の連続だ。
人数が少ない代わりにポストが少ないので立身出世は望むべくもなく、もちろん給料は額面通り。当直手当も何も出ない。勉強すればしたで、おかしな所に引っ張り出されて喧々諤々、でもインセンティブは皆無。おまけに院内では不採算部門として事務屋や幹部医師に邪魔者扱いされ、使い勝手がよく、文句を言わない”検査屋”であることが要求される。

病理を続けていると、よくへこんでしまう。
患者とのトラブルがないことを病理のいいところだというが、それは、患者と接したくないから病理医になった先生の考え、もしくは、患者とのトラブルがストレスな臨床医の考えで、私のように臨床と病理が等価で病理を選んだ医者にとっては、純粋に仕事の内容だけが、比較の対象となるわけだが…
こんなにへこんでしまうことが多いと、正直、後輩に病理への道を進めるきが失せる。   なんで、こんなに戦い続けないといけないのだろう・・・

友愛総理に期待すること

2009年10月06日 | 日々思うこと、考えること
最近読んだ本の中にこんな一節があった。
  多くの患者さんと話をすると、どの職業の人も「以前よりゆとりがなくなった」と言います。この三年くらい「自己責任」「合理化」が強調される社会となり、一九九八年以来、日本の自殺者の数は年間三万人を超しています。定年を迎える六〇代以上の人々はウォーキングや山歩きに励み、世界でもっとも健康維持に力を注いでいる国民ですが、四〇~五〇歳代の健康管理が悪すぎます。(岩波新書 腎臓病の話)

これというのは、働いている人間はそれこそ”馬車馬”のように働くことがよしとされ、定年まで”生き延びた”人間だけが、長生きしてよい生活をすればよいという社会になってきているということだろう。私自身、いつも追い立てられている気がする。変人総理が導入した競争社会、自己責任社会というのに、はじめは同調していたが、私自身も巻き込まれることになるとは思わなかった。
そして、これが“どの職業の人”も感じるようになっていたとは・・・
だけど、健康維持を定年後に始めるのでは遅すぎるので、ささやかながら、通勤にウォーキングを取り入れることにした。

政権が変わって、友愛総理(友愛社会の厳密な定義はよく知らないが)となったが、彼には今の身も心もゆとりがなくなってしまった社会を、手に手を取り合って皆で助け合いながら暮らしていける社会に変えて欲しい。

電車に乗っている時間を短くする

2009年10月05日 | 通勤・交通・旅行
今週より通勤ルートを大幅に変えた(ルート変更)。
最大の目的は鎌倉から東京の職場までの片道1時間40分の有効利用だ。

これまで、鎌倉駅から勤め先までの、電車に乗っている時間(乗り換えを含む)が1時間17分だった。これに駅から職場まで徒歩17分が加わっていた。door to doorで1時間40分。
今回は、路線を変えて電車に乗っている時間を1時間4分にした。そのかわり、下車駅が遠くなり、徒歩35分が加わる。door to doorで、1時間45分。5分延びたことになる。

しかしながら、歩く時間を倍にすることで、これを”ウォーキングの時間”と捉えることにした。理想的なのは、職住近接で、朝ウォーキングをした後、一度汗を拭いてから出勤、というのだが、朝晩35分ずつ、合計1時間あまりをウォーキングに充てると考えることにした。そうすると、通勤時間が実質圧縮されることになる(と思う)。

通勤時の下車駅は一つ手前から、というのの意義をあまり理解していなかったが、遠距離通勤を余儀なくさせられている世のメタボ(もしくは予備軍)の皆さん、ルート変更で、”電車に乗っている時間”を圧縮するという方法があります。
検討されてはいかがでしょうか?

病理診断とは・・・検査ではない

2009年10月04日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
先の総選挙で落選した大臣経験者が亡くなった。
その死因については行政解剖を行って検索を行うことになったのだが、一部の報道では”病理検査”を行って死因を検討するとなっていた。
病理診断には確かに検査としての側面があるが、やっぱり”検査”ではなく、診断なんだと言いたい。病理診断は病理医すなわち、医師が行う行為だ。
もちろん、病理”検査”という言い方は臨床医が患者さんに対してするもので、一般的にはそれでいいのだが、われわれ病理医(少なくとも私)は”検査”というよりは”病理組織学的診断”を行っているという意識だ。

とくに、死因についての検索は“病理検査”ではなく、“病理解剖”もしくは”剖検診断”だ。
「行政解剖を行ったが、死因は判らず、病理検査を行う」って、どういう意味なんだと言いたい。解剖から組織学的診断までを含めたものが病理解剖”一式”であり、だから、”組織や細胞を調べる病理検査”って言うのはどうもしっくりこない。

病理解剖は、亡くなられた方の一生を振り返ることとなる極めて高度な診断業務だ。それだけに、2、3日で結果が出るものでもないし、今回の死因の究明についても、明日明後日には(おそらく)結果は出ないだろう。

マスコミの病理に関する認識も低くて悲しい。
先日も某大新聞の記者が、私の知り合いの病理医に、「病理医ってどんなことやっているんですか?」と聞いていたそうだ。
臨床医が病理診断を行っているのは、実は自分とは別の医者が行っているということをわざわざ言いたがらないので、なかなか一般の人の間で認知度が上がらないのもわかるが、医療関連のことを取材している記者でも病理医の仕事内容を知らないとは残念だ。

まずは、アーサーヘイリーの「最後の診断」を読んで欲しい。
それとも、山崎豊子の「白い巨塔」を読んだことはあるのだろうか?日本の医療小説の金字塔だ。
そこに登場する病理の大河内教授を知らないのか?

こういうことがあるたびに、病理医としてのプライドを傷つけられ、病理を続ける気持ちが萎える。

ルート変更

2009年10月02日 | 通勤・交通・旅行
来週から、朝の通勤ルートを変えることにした。
現在は病院に向かって北から入るルートにしていて、駅から徒歩20分。ちょっと飽きてきたのと、脂肪が燃焼し始める頃に到着では今ひとつなので、もう少し距離の長い南から入るルートにすることにした。これだと40分ほど。
定期が切れるのを機に、先日試しに歩いてみたら、これがちょうどいい。うっすら汗をかいた頃に病院の隣の運動公園に着く。早朝テニスを横目でみながら病院に入ることができた。

使う電車も、横須賀線は使うものの、その先の路線は変わり、最寄り駅もがらっと変わる。通勤ルートというのは、確立するまでに試行錯誤が必要で、特に3年くらいまえにあった大幅なダイヤ改正のときは大変だった。
今回も乗る場所、乗る時間、を考えないといけないが、それもまた、楽しみだ。

駅をおりてからの、この景色もしばらくは見ないことになるし、朝すれ違う人ともお別れだ。週に3、4回は顔を合わせていたいたのが、これっきりとなるとちょっと寂しい。心の中で「さようなら、お元気で」といいながら、歩いた。

一期一会というには、あまりにもはかないことだが、袖触れ合うも他生の縁という言葉もある。心の中でおはよう、と(私が勝手に)言ってきた皆さんが、お元気であるように。


重なるときは重なるもの

2009年10月01日 | 日々思うこと、考えること
重なるときは重なるもので、この一週間のあいだに私の周りに大変なことが立て続けにおこった。
尊敬する先生が急病で倒れ、3年半闘病してきた親族が亡くなり、一緒に医療安全管理の仕事をしていた検査技師さんも倒れた。
私自身皮膚腫瘍を切除した(幸い、seborrheic keratosisでした)。
お見舞いや葬儀、自分の手術と術後の傷のケア、とかで身も心も落ち着かない。

明日は小さな研究会があり、明々後日もあり、来週には別の学会の予演会、来週の土曜も学会の症例検討会。原稿は2本ある(締め切りはまだ)。

「どう?忙しい?」なんて、聞かれるが、なんと答えていいか悩むことが多くなった。私なりに、大忙しで、どうしていいか判らなくなっているのだが、どうなんだろう。
こんなとき、「仕事はもらっているので」なんて、立ち位置不明な返事をするのだが、この年になってこういう返事もどうかと思ったりする。