こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

マジかよ!?おい。

2011年05月31日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
臨床系学会で病理解説を頼まれて、明後日がプレゼン。明日の午後には病院を出る。
その準備で、ひっちゃかめっちゃかで、頭を痛めているところに・・・再来週の学会のスライドを今週いっぱいに出せ!?
と、モデレーターの先生から指令のメールが来た。


それは無いでしょう。

だって、今朝、「ここのところ、先生話してくれない?」って、電話してきて。
「はい、ハンドアウト用スライドの〆切は、11日でしたよね、それでしたら、なんとか頑張らせていただきます」
という返事で引き受けたのに。


ほぼ一週間前倒しって、いったい、いつやればいいのですか?
物理的に、ほとんど無理ですよ。

とは言い返せない。もちろん、相手は大先生、逆らうわけにもいかない。

さすがに、当日行かないわけにはいかないわけで・・・そうすると

「なんで、あいつだけ、ハンドアウトの原稿が無いんだ?」
と、逆の立場であれば、そう思う。

そう思われないためには。
やっぱりやるっきゃないのだろうが、物理的に相当きつい。

なるようにしかならないと、腹をくくるしかあるまい。



病理医の席

2011年05月30日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
某科のカンファレンス、今日は迅速が遅くにあって、少し遅刻。
病棟も落ち着いているようで、カンファレンスルームはいっぱい。
あれあれ、どこに座ろうかと思って、いつもの席を見たらちゃんと空いていた。

病理は症例があればプレゼンをするので一番前の席に座る。
今日はとくにプレゼンする症例はなかったのだが、いつもの席でないと、なんとなく落ち着かないし、そもそも不自由だ。

病理医の席、みんな覚えていてくれたんだな、と、感じる。
勝手な思いかもしれないけど、みんなと一緒に頑張ろうと思える。

平凡で、大したことではないのだが…うれしかったので。

雨続き、お留守番。

2011年05月29日 | 犬との暮らし


台風2号は温帯低気圧に変わったものの、日本列島は大雨に見舞われている。
ナイトもコロもなかなか散歩に出られない。

とはいうものの、マルチーズのコロはボール遊びをして、1階と2階を往復していれば多少は運動になるが、フラットコーテッドレトリーバーのナイトは、そうもいかない。というか、家の中を走り回られた日にはひっちゃかめっちゃかになってしまう。
ということで、朝のまだ、小雨のうちに30分ほど散歩に行った。

今日の我が家はちょこちょこ忙しかった。
息子はボーイスカウトの打ち合わせがあり行けなかったが、今月の16日が誕生日だった祖母のところに月内に顔をだすことにした。
ということで、ナイトはお留守番。

御年94歳の祖母。私もやっと半分に追いついた。施設に入っているが、まだまだ矍鑠たるもの。元気そうな顔を見ることができてよかった。お別れの時に、たくさん手を振ってくれた。

明日、予演会があるので、私は病院へ。妻と娘はその間買い物。

夜の娘の楽器の稽古があり鎌倉に戻った。
ただいまナイト。お留守番、ありがとう。

コロもね。


あいかわらずの大雨。大雨警報、波浪警報が出ている。
明日の朝は止んでいるといいのだけど、雨の状況は温帯低気圧の動きだけでなくて、暖気と寒気のせめぎ合いだったり、梅雨前線の影響だったり色いろあるようで・・・
土砂災害は起こらないでほしい。


ともに白髪の生えるまで

2011年05月28日 | 家族のこと
今年は、ずいぶん早い梅雨入りとなってしまった。
今日は妻の誕生日。バースデイ・ランチにと、都内の高層ビルのレストランに連れ立って行ったのだが、さすがに、視界は悪く、眼下の庭園と林立するタワーマンションしか見えなかった。

それでも、料理はとても美味しく。ランチタイムということもあり、ワインも白と赤それぞれ一杯ずつで済ませ、仕事のことも忘れ、妻と二人、出会った頃の話などして楽しく過ごすことができた。


お互い気がついてみれば50も近くなり、階段の昇り降りも気になるようになってきた。子供たちも私たち夫婦だけで出かけても、文句を言わなくなってきた(もっとも、息子は明後日から中間試験、一足先に試験の終わっている娘はバレーボール部の練習)。子供は親のものではないのであたりまえだが、結局最後は夫婦ふたりに戻って行くのか、と実感する。
共白髪などという言葉があるが、夫婦仲良くするのはもとより、お互い元気でありたいものだ。
逆に言えば、お互いの仲がよく、お互い元気である今を大切にしていたい。

娘が腕に縒りをかけて夕食を作ってくれるというので、ウィンドウショッピングもそこそこに、鎌倉に戻る。
さすがは人気者の妻、花束がいくつか届いていた。

娘の食事も美味しかった。


今日の妻へのお祝いの言葉は、
「お誕生日おめでとう、またひとつ一緒に年をとってくださいね」

ブログ(こんきも)に何を求めているのか?

2011年05月27日 | 日々思うこと、考えること

書くことが無くなった。
というか、書きたいことが無くなった。


いったい、自分はこのブログで何をやっているのだろう?
私は、いったい何を求めてブログを書き連ねているんだろう。

日記と言うか、その時々に考えたことを記しているつもりだが、本当のところ、一体何?

ただ、学生の頃書いていた日記よりは、書きやすいということはある。
だけど、表層的なことばかりで、自分の心の底を吐露する、と言ったようなことは書いていない。

いったい、何を求めているのだろう。

書く為に書いていなかったか。
惰性になっていないか。

ちょっと、考えてみよう。

コロ健コード?

2011年05月26日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

先日、とある病理の先生と話していたら、
「そういえば、先生のところにはコロ健コードがあるんだって?」
と尋ねられた。
一体、なんのことだろうと思って詳しく聞いてみれば、私の決めたドレスコードがあると、若い先生が言っていたらしい。
「ああ、そのことですね。ジーンズとTシャツはダメ、というだけですよ」
と返答した。一応、通勤、仕事に関わる時の服装としてのこだわり(大したことは無い)はある。

病理医にふさわしい格好とはどんな服装かと、以前書いたが、今年のクールビズを前に、通勤、仕事にふさわしい格好とはどのようなものかと、悩まれる方は多いと思う。

さて、私の”ドレスコード”のうち、ジーンズはダメ、というのは当然で、いくらスタイリッシュであっても、ジーンズというのは作業着もしくは遊び着である、と思うからで、私自身休日以外は履かない。それと、駆け出し病理医の頃、某出張病院の技師長さんに「先生、ここの病院は通勤にジーンズなんか履いてきちゃダメなんですよ」と注意されたということもあり、社会人たるものそれなりの格好をする必要があると考えている。

Tシャツ、もダメ。
これは私が学生の頃、Tシャツを着て講義に出ようとしたところを親父に見とがめられ、「教えを乞いにいく人間が、そのような格好でいいと思っているのか。少なくとも襟のついた服を着ていくようにしなさい」と言われ、なるほどTシャツでは教授に失礼か、と思い、それ以来最低でもポロシャツを着て、講義に出席するようになった。
社会人になってもやっぱり、最低でも襟付きの服をきる必要があると思っていて、夏場はポロシャツで通勤、仕事をしている。
これが”コロ健コード”、別に大したことではない。

今年の夏も、これで行こうと思う。ちなみに、通勤で汗だくになるので、着いたらもう一枚に着替える。

サラリーマン諸兄からみれば、病理医のこんなたわいもないこと、鼻にも引っかけられないかもしれないが、やっぱり、上着を着ての通勤、仕事というのは、少なくとも今年のように電力事情が逼迫している状況下では控えた方がよいだろう。
とすると、チノパン、ポロシャツ、といったあたりが、今年の夏の通勤着としての落としどころではないかと思う。
みんなで、楽な格好をしよう!

いい後輩

2011年05月25日 | 日々思うこと、考えること
教室の後輩で、海外で活躍中のやつがいる。
その後輩が、帰国中に私の職場に顔を出してくれた。
(上は私の台湾土産)
学問的な能力において私の数倍優秀であることは知っていたが、それ以上にすごいのは人間性。
いつもニコニコしていて、怒った顔を見たことが無い。
周りの皆から、愛されかわいがられている。
焼きもちを焼かれることはあっても、恨まれることはないのだろう。

私とは大違い。

この話を妻にしたら、
「彼のそういうところ、見習ってあなたもそうしなさい」
とのこと。
とは言っても・・・

以前、彼に
「歩きタバコ、気にならない?」といったようなことを尋ねた時、
「いや、僕、そういうの気にならないんです」と、返答された。
ほかにも何点か話したが(私は別に怒っているわけではなく、普段から’問題提起’しているに過ぎないのだが、妻に言わせると、私が怒っているように見える事項)、日常生活の中でおこる”(私コロ健が)むかつくできごと”は、彼にはさほど気になるようなことではないらしい。

自分がこうやってストレスを溜めながら生きていることを嘆いても仕方が無いが、ストレスが少ない考え方のできる人はうらやましい。
この年になると、自分よりも年下でも立派な人が目に付くようになる。
彼のような、見習うべき後輩が近くにいるということは、幸せだ。

Take home message 次は何を?

2011年05月24日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
いずれも臨床系の学会だが、来週とその翌々週に2つ発表がある。
一例は、自分の経験した症例。もう一例はコンサルテーション症例。

臨床系だなんだといっても、お目付役としての先輩の専門病理医はいるし、臨床でもその分野で論文を書いた人はそれなりに一家言持っていることが多い。
要するに、楽なもんじゃない。
病理医が貢献できるのは、専門医が各論的にディープになってしまっているところを病理総論的なスタンスから標本を見ることができるようにすること。
全身疾患からその疾患の転帰を考えるサジェスチョンを与えることか。

人生は長い。
私の人生、というわけではなく、ヒトの寿命。
そのうち、亀にも追いつくかもしれない。

もとい、病理医は、その人の現在の病気、では無く人生の最後のところで、どのような転帰を迎えるかを視野に入れて考えていかなくてはいけない。

のだが・・・

難しい。

なんといっても、時間が無い。そんなこと言っていられなくなる。
近視眼的に、病変の説明を病理用語だけで話してしまう。

「カンラクエシ、だか、ギョウコエシ。ワイアーループにデポジット」
耳ざわりのいい、どこかで聞いたような病理用語を並べて終わらせる。

いかんいかん。

時間のある限り、頑張ろうと思うのだが、さすがに先週末のお粗末なプレゼンからのショックから立ち直っていない。あれも、臨床の先生相手の会だった。

病理学会であれば、世の東西を問わず、病理医同士、率直にいいところ、悪いところをディスカッションできるのだが、臨床の、すなわち専門外の先生相手に話す方が、よほど頑張らないといけない。

Take home message.
今度は、なにが提示できるだろうか?

講演にしても学会発表にせよ、人様に時間を費やしてもらうわけで、演者にはそれなりの責任がある。
頑張ろう。




台湾でかんがえたこと

2011年05月23日 | 日々思うこと、考えること
今回の台湾訪問、あわただしく過ぎてしまった。外国に行ったら、いろいろなことを考えなくてはいけないのに、学会のことだけでほとんど終わってしまったのは、残念。

街は比較的綺麗で、なんとなくモラルが高いのかな?と思わせるような、雰囲気があった。
日本人は礼儀正しいというが、台湾の人も多くは礼儀正しく、夜の繁華街もそれほど心配な気はしなかった。ある意味、昔の日本のよう。

台北駅の周囲はやや古い町並みが残っていたが、市役所の周りの再開発地区はすごく整備されていて驚いた。学会場のすぐそばにはすごいタワービルが建っていた(残念ながら登ることは時間の都合でできなかった)。

大手町から銀座にかけてよりも綺麗な感じだ。やはり大陸ふうの街路整備がなされたということなのだろうか。



電車が地下化されているというのも大きな要因かもしれない。街が静か。
(話がそれるが、東京はガード下。うるさいが、猥雑さと隣り合わせ。帝国ホテルの50m先にはガードがある)

路上喫煙も極端に少ない。法律で規制されているせいもあるが、煙草の臭いに悩まされるということはなかった。レストランはもちろんすべて禁煙。
日本て、なんて喫煙天国なんだろう。情けないというか、なんというか。

タクシーはすべて黄色。色彩が統一されていると安心感がある。

物価は安い。
泊まったホテルも、日本だったら目が飛び出るほどの値段だろうが、1/3くらい。

食事も安く、300円もあれば、お腹いっぱいに食べられる。

台湾の方と話しをすることができたが、中国と台湾、複雑な関係である。
でも、市井の人々はみなさん、礼儀正しく、まじめだ。
平和に共存してもらいたいと、願う。
機会があれば、また行きたい。今度は地方にも足を延ばしたいものだ。

かけつけ

2011年05月22日 | 日々思うこと、考えること
昼の出発ということで、あわただしくチェックアウト。
それにしても熱い。
9時ですでに30度を超えている。
こちらで買うプレモルは、日本で飲むほどおいしくなかったのは、日本から運んでいるせいか、などと思いながらホテルを後に。


あと、2日学会三昧できたらと思うと、名残惜しいが、今日は大学のバスケット部顧問の先生の傘寿のお祝い。台湾から福岡経由東京。という強行軍ルートがあったそうだが、臨床細胞学会は残念ながら出席できず。
年をとると、しがらみが増えて、身一つではもたない。
これは、”忙しい“とは違う。なんというか、あれもこれも、という状態で、ともするとどれもが中途半端な、はなはだ散漫な状態だ。とはいえ、人生一度、一期一会を大切にするとこうなる。そういったものをとくに大切にしなくてもいいのだが、そうもいかない。

今夜お祝いする先生、最悪だった私の学生時代でもっともご迷惑をおかけした先生だ。
先生のほうで、どう思われていたかは関係ない。私が迷惑をおかけしていたということで、こんなとき、直接お話しができなくても出席するだけでもいいので、感謝の気持ちを伝えなければ、私の気持ちがおさまらない。

こういう、気がすまない、とか収まらない、というのは個人的な、きわめて内向きな問題であり、いわゆる『手前勝手な』話だ。
そもそも、私が何かなす、ということがこの世にたいして、どれだけ意味があるのか。
となるのだが、“タイムトラベル”のパラドックスの問題では髪の毛1本、チリひとつ痕跡を残してはいけないことになっている。
世の中、すべてのこが、相互に影響を及ぼしあっているはずで、私も何かの働きをしているはず。

話しがそれたが、やっぱり、気が済まないというのは、どうしようもなく、可能であればできることはしたいとなる。

冠婚葬祭、というものは何でもそうだが、できれば、お伺いしたい。

東京には18時。会場は新宿で、開宴は18時。
ちょっと遅刻するが、頑張ってお伺いしたい。

と、ここまでを台湾松山空港で書いた。

会場には19時半に駆け込んだ。

八十になられても、お元気そうなお顔を拝見し、ご挨拶もできた。
先生からしてみれば、やはり、その他大勢だったようだが、なんでか私は幸せな気持ちだった。

こういう気持ち、いいなと思う。

発表、無事(?)終了

2011年05月21日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
朝から、スタバで原稿最終チェック。

これ以上、どうしようもないと、あきらめいざ会場へ。


アジア太平洋といっても、米国、オーストラリア、東南アジア、日本およびホストの台湾。
たくさんの国があり、出席者もずいぶんいた。


これまでIAP(The International Academy of Pathology)の会合にはあまり出たことがなかったのだが、これからはもう少し真面目に出てみよう。

発表は、なんとか無事。終了。

病理医同士、言葉も、人種も違っても、やってることは同じ。
英語で話すのが少々もどかしかったが、何とかなった(と思う)。
お互いやっていることが同じようなことなので、大体通じたように思う。

明日は、帰国。

それにしても、台湾はいいところ。
さすがに2泊3日はもったいない。

APIAP

2011年05月20日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
国際学会で台湾に来た。今回はまぎれもなく病理の学会。
私の発表は明日。昨日のショックからあまり立ち直っていないのだが…
仕方がない。連戦もまた、試練。

羽田の国際線ターミナル、正式オープンになってから来るのははじめてだが、あまりのきれいさにびっくり。去年、北京に行ったときに便利だと思ったが、どんどん使わないともったいない。


台湾の気温は28度、湿度はどのくらいだろう、夏の日本と同じようなもの。
タクシー代が安くてうれしい。
故宮博物院に立ち寄った。
清朝時代の財宝を目の当たりにして驚いた。

我々日本の歴史も相当なものだと思っていたが、やっぱり中国4000年の歴史はすごい。

台北駅近くのホテルに投宿。駅舎がやたらでかい。

オートバイが多くて、オートバイ専用のエリアがあるのには驚いた。


さて、今夜は夜遊びせずに、原稿チェック。
いまさら、手を加えても仕方がないので、恥ずかしくないように整えるだけにしよう。

あとは、読みの練習も!




修行が足りん!

2011年05月19日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

まずは、今日、ひとつめの講演が終わった。
内科の先生相手に、膠原病関連の病理像の話をした。まあ、いつもどおり、それなりに皆さん「良かった、良くわかりました」と言ってくれた。

私が危惧していたのは自分の引き出しの中身の少なさ。
それなりに年をくっていると、耳年寄りというか、それなりの引き出しのあるタンスにはなるのだが、私のように中身が無いと悲惨なものだ。

引き出しを開けても何も無くちゃ、聴いているほうもさぞかしつまらなかったろうと思うと申し訳なく思う。
反省点はわかっているから、足りなかったところはスライドを足して対応できるが、それは自分自身に対してのみのこと、今日の聴衆に対してフォローする機会はない。

これじゃあダメだ。
場当たり的な絵合わせ病理医の末路はこんなところか。
それでも、やっぱり、前に進むしかない。
今度、自分用のスライドを作ろう!

さて、落ち込んでばかりもいられない。
明日から、7thAPIAP。発表は明後日。
発表原稿は一応できている。
ブラッシュアップもかねて、発表までに、3回は読もう。

ところで、当たり前の話だが、今日の症例にしても、明後日の症例にしても、臨床医のおかげで発表できる。
優秀な臨床医にこの場を借りて、感謝する。

それにしても情けなさすぎるのは私だ。

そんなにだめなのか?

2011年05月18日 | 自然災害・事故・感染症

総理大臣がダメだから、復興が進まない。
だから退陣を。という論調がかまびすしい。
    そんなにダメなのか?
私は、総理およびその周囲の政治家、役人がどんな仕事をしているのかつまびらかではない。東京電力の問題にしても、原発事故が絶望的であることと、社長(およびその他の役員)の報酬がとてつもなく多いということくらいしか知らない。
だから、本当は、誰がどうしているかなんて、マスコミを通じて漏れ聞こえてくる情報を自分で斟酌して、最後は自分の思い込みで考えていくしかない。

そもそも、去年、退陣要求の理由は、復興が進まないからではなく、不景気、北方領土、ダムが問題だった

こんきも、開始以来、安倍さんが辞め福田さんが辞め、麻生さんで政権が代わったのに、勝った鳩山さんがまた辞めた
総理大臣が何度変わっても、結局は同じなような気がする。というか、途中で投げ出さず、辞めずに頑張っている人を辞めさせるそれほどの理由が、どこにあるのだろうか?

現政権が震災の対応をしているのも、巡りあわせ。
総理大臣が変わっても現場で頑張っている人は頑張っているわけで、誰がその人たちに号令をかける(働いてもらう)か。だと思うのだが。

いい加減、足の引っ張りあいは止めたらどうなんだろう。
現地視察が多くて困っていると言われる政治家は、そんなに見に行きたいのなら、私の友人の一人のようにボランティアとして一ヶ月くらい現地に入ったらどうなんだろう。せっかく国会も休会となるわけだし。

なんだか、足を引っ張っている人たちは言行不一致のように思えるし、現政権が本当にそんなに悪いのかと、首をかしげてしまう。

そもそも、政治家とは、一体どんな人たちなんだろう。
あの人達は、一体今、何をしているのだろう。本当の意味での汗をかいているのだろうか?

なんだか、釈然としない。

てんでんばらばら

2011年05月17日 | 日々思うこと、考えること

学会の準備が終わらない。
こうなると、いったい自分が何をやっているのかわからなくなる。

ひどいのは、論文のつまみ食い。
Abstractはさすがに読み通すが、Figureとなると単なる絵合わせ病理医と成り下がってしまう。情けない限りだ。

それでも、期日は迫ってきており、逃げおおせるものでもない。
論文を書いて頭を抱えているというのであれば、まだしも、せいぜいが講演。

医学とは何か。
生命とは何か。
存在とは何か。

よりよく生きるにはどうすればよいか。
複雑系の中にある、人間という存在をどうとらえて生きていくのか。
うんぬんかんぬん・・・

などということを考えている場合ではない。

導入はいいか。   わかりやすい図を使っているか。
写真はいいか。   撮り直さなくていいか?染色は薄くないか。
考察はいいか。   いくらやっても、つっこみどころ満載。
結論はいいか。   何が言いたいの?

これが、2倍。

あれを発表する私、これを発表する私、もちろんルーティンワークをする私、脳外科とのカンファレンスで話している私、腎臓科とのカンファレンスで話している私、リスクマネージメント会議で話している私、いろんな私がいて、私の思考はてんでんばらばら。収拾がつかなくなってきた。


とはいえ、今日、なんとか予演会一つを終えることができた。やれやれ。
やっぱり、図を1個書き直すことになってしまったが・・・