こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

忙しい時ほど気をつけて

2017年08月31日 | わたしのこと

夏も終わりに近づき、また電車も混んできて、私も忙しくなってきた。

北朝鮮からのミサイルが打ち込まれるかもしれないと考えると不安になるが、こればかりは他人の考えること。

思い通りにはなかなかならない。

私としては、人のお役に立つと思えることを淡々と行なっていくしかない。

忙しくなると、気をつけないといけないのが、私のイライラ。

先日も妻に注意されたばかりだけど、仕事がいっぱいいっぱいになると、周囲に対してバリアーを張ってしまうようで、近寄りがたくなるらしい。

なら放っておいてくれたらいいのにと思うのだけど、私に用事がある人にとっては困ることになる。

 

3週間前に舞い込んできた論文の査読が始まりだった。

引き受けてから2週間の査読期間はあっという間に過ぎて明日が返事の締め切りだ。

名古屋であった研究班関連の研究書類の準備も、書き始めてみるとなかなか進まない。

10月の講演について、タイトルは決まっているもののまだ構想の段階。研修医のCPCレポートの指導もある。

それぞれ、相当な集中力を要する仕事で、私にはそれぞれを”サラッ”とこなせるようなことはできない。

普段の気楽そうな私との格差が著しいのだろうが、それもまた仕方あるまい。

でもまあ、妻が心配するほどなのだから、他人から見れば相当なものなのだろう。

以前に他の人に言われたこともある。

こういう時こそ、落ち着いて落ち着いて、周りの人に気を配り。

一つ一つ片付けて

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しまった、張り切りすぎた

2017年08月30日 | 日々思うこと、考えること

家と勤め先の病院とのほぼ中間にあるジムに通いだして4ヶ月近くになる。体重は一向に減らないが、肩こりとか腰痛はならなくなった。なによりも通勤ストレスの解消に役立っている。

筋トレも始めて、少し筋肉がついたおかげか基礎代謝が上がってきたような気がする。夏場は気温が上がり、かえって基礎代謝量が下がるので、ちょうどいいように思っている。スタジオの方でもいくつかお気に入りのプログラムが見つかって、仕事をなるべく早く終わらせ、汗を流しに行くようにしている。

ところがおととい、スタジオプログラムでちょっと張り切りすぎて、腰を伸ばしてしまった。ピキッという感覚がして”あー、やっちまった”とすぐにわかった。腰痛は腰痛でもギックリ腰のような状態だ。

その時にすぐやめたらよかったのかもしれないが、痛みがそれほどでもなかったのでそのまま続けて、その後ダンベルまで持ってしまった。

 

ということで、昨日はJ-アラート騒動の中、痛い腰を抑えながら病院、といっても整形外科ではなく、仕事に行った。夏休みシフトで、切り出しやら研修医の指導やらで、てんやわんやだったが、他の人に腰痛がバレるようなことはなく1日が終わった。

今朝も起きるのも辛いほどの痛さだったが、ピラティスで学んだ小さな筋肉を動かすことから始めてなんとか起き上がった。

一旦動きだしてしまえば、なんとかなる。痛みのポイントもわかったので、無理な姿勢をとらないようにしながら1日を過ごした。明日には治っていて欲しいのだがどうだろう。

それでも時々激痛が

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J-アラートが出ても仕事に行くわたし

2017年08月29日 | 日本のこと、世界のこと

今朝、身支度をしていたら妻が、「北朝鮮がまた、ミサイルを発射したみたいよ」と言ってきた。

テレビをつけると各局、J-アラート=瞬時全国警報システムの情報を流している。北関東から北海道までにミサイルが落下する恐れがあると告げている。

結果としてはその上空を通過して、北海道の東の太平洋に落ちたらしいが、ミサイルの飛距離はどんどん延びている。隣国は”この国にいつでもどこにでもミサイルを打ち込むことができると”、私たちに理解させた。

 

J-アラートの赤と黒の画面を見ながら、それでも仕事に行く準備をしている自分、横須賀線は動いているだろうかと気を揉んでいる自分、に気がついてなんだか複雑な気持ちになった。そして、随分昔に交わした母との会話を思い出した。

私が、「戦争中は、仕事とかどうしていたの?」とたずねると、母はこう答えた。

「おじいちゃまは、病気(肺浸潤:初期の結核の意)があって戦争に行かないでいから、昼間は普通に仕事に行っていたわよ。」

「でも、空襲とかあったでしょう?」

「空襲は、夜あったのよ。だから昼間は割と普通にしていたわ。」

 そんな話を思い出して、今日の私もこれと同じようなものかと思った。

今や、ミサイルはのべつまくなし、どんな時刻でも飛ばしてくるだろうから、昼間は安全だとかいうようなことはいえない。それに今回はたまたま北日本だったけど、つい先日は中国・四国地方の上空を通過すると北朝鮮のテレビでも言っていた。J-アラートとは空襲警報のことだし、破壊措置とは応戦のことだ。もう、紛争状態の一歩手前まで来ているようなものだけど、それでも仕事には行かなきゃいけないし、学生は学校に行く。

私がフォローしている人の数はそう多くないがツイッターを見ると、北日本の人は心配しているようだった、でもどうすることもできないと。お気の毒なことだ、だが、これが現実だろう。一方、どう見ても東京、なんて人は”いちいちこんなことで生活を中断させるな”と書いていた。戦争とはそういうものだ。いろいろな方法で攻撃してくる。それにこういう人は、関東地方が危険に晒され、例えば、都内の米軍基地のある場所にミサイルが打ち込まれたとしたら、なんというのだろう、それでもいちいちJ-アラートを発するなというのだろうか?

頑丈な建物に逃げ込んだって仕方ないという人もいるけれど、ミサイルの種類によっては地中深くにまで達するものがあることなんて、映画「シン・ゴジラ」をみたことがあれば子供でも知っている。それでも、ミサイルの直撃を免れ、近所に落ちた場合などは頑丈な建物に逃げ込めば爆風の被害を幾らかは減らすことができるだろう。我が身を守るのは自分自身しかいない。化学兵器や核兵器が使われたら、それはもうそれで諦めるしかない。

北朝鮮とことを構えることになったとしても、可能な限り仕事には行くだろう。病院で何かあったら、地下室に逃げ込む。通勤途中で何かあったら鉄道会社の指示に従うしかない。勝手なことを言ってパニックを助長してもしょうがないだろう。たとえ、それがミスリードだとしても。いずれにしても、この先は日本の外交に期待するしかないが、拉致問題のことを考えると、それほど期待できそうもない。

私が生まれた時、日本はすでに平和でこれまで53年間も平和だった。ああ、幸せな一生だったなと、いつ殺されても思えるように生きる覚悟も必要だろう。

電車はいつも通りに満員

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男は狼なのよ

2017年08月28日 | 電脳化社会

ストーカーとかDV、変態としか言いようのない性犯罪、酒を飲ませての集団での強姦。そんな悲惨なことがほぼ毎日報道されている。


そんな日々にうんざりしていたある日、ふと、「男は狼なのよ、気をつけなさい」という昔聴いた歌の歌詞が頭に浮かんだ。たしか、ピンクレディーの”S・O・S”ではなかったかとネットで調べてみたらやはりそうだった。今も昔も男なんてそんなものだよなー、などと思いながらその歌詞を読んでみたらなんとなく思っていたほどではない。男は狼、確かにそうだけど、この歌にある男と女は正々堂々と駆け引きをしている。だから、女性だからといって油断しないでそれなりにガードしなさいよ、気をつけなさいよ、と忠告している。そう、昔(もう40年前!!!)はこんなだった。

こんな歌詞でも過激だなんだと叩かれたほどだったのに、最近の出来事はもうそんなこと、はるかに超えちゃっている。狂っているとしか言えないような犯罪が普通の人によってなされている。昔も、変態はいたけれど、それはごく限られた、”好事家”と呼ばれるような人たちが密かに行なっていた狭い世界でのことだった。そういったことは封印されていたのだ。ところがそれが、技術革新と共にそういった人たちの性癖が世に知られるようになり、やがて一般化されてきた。確かに、川端康成とか谷崎潤一郎などの、”文豪”と言われる人たちの作品の中で描かれていることのエッセンスが抽出され、映像化されたのがアダルトビデオのようにみえる。そして現代ではそれを見るのに飽き足らず、実際に行動に移す、”普段普通にしている普通にみえる”人たちがだ。

インターネットの発達で、以前は紙媒体(エロ本)でしか表現されていなかったことが、映像情報として誰でも閲覧が可能となっている。刺激が強いからといって見ることが憚られていた、すなわち封印されてきたことが解き放たれたことに対して、個々人の良識以外にはどこにも歯止めはない。

色々な事件の報道を見聞きすると、情報技術の発達に伴って人間の欲望がどんどんむき出しになってきている。新しい技術を悪用するのは、世の常ではあるけれど、私もそういったことを理解するのが難しい世代に入ってきたような気がする。

今日もまた 誰か乙女のピンチ

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早い時間に妻と乾杯

2017年08月27日 | 日々思うこと、考えること

大学生の息子も娘も、泊まりがけで出かけている。

子供達に今日は家で食べるからよろしく、と言われると妻は、一緒に食事をするといつまでも待つ。でも、今日は違った。

庭掃除をしたから疲れたので、妻と一杯。

今日は、まだ日があるうちに飲み始めることにした。

てな訳で失礼します

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今日はなにかいいことあった?

2017年08月26日 | 妻の名言
「今日はなにかいいことあった?」

私が帰宅すると、妻によくそう言われる。

とくに私の機嫌が悪そうだったり、疲れていそうだったりするときよく言われる。

そんなとき、私はきまって「別に」とか「特に」とかそっけなく言って返す。

もっとひどい時は「仕事だけ」とか「いいことなんて何もないよ」などとも言う。

それでも妻は「今日はなにかいいことあった?」と尋ねてくる。

その都度、いい加減そんなこと聞くのはやめたらいいのにと思いながら、あー、とかうんとか応えていた。

給料日だったり、何か大きな仕事を終わらせた・・・例えば、昨年専門書を出版したような時にはそのことを言って返すが、それ以外は特にない。

実際、”いいこと”なんてそうそうあるものではない。

宝くじが毎日あたり続けるわけではない。

つい先日までそう思っていた。

でも、この前、何かの拍子に、私の日々の暮らしの中には”いいこと”が溢れていることに気がついた。

・一日、事故にあうこともなく、病気にかかるでもなく、元気に過ごすことができた。

家族も皆元気だった。

コロもナイトも元気だった。

・同僚と仲違いすることなく、協力して仕事をすることができた。

・コメディカルの人と協力して仕事ができた。

お掃除の女性と挨拶を交わすことができた。

・遠くの仕事仲間とメールのやり取りをすることができた。

友人と電話で話すことができた。

・新しい出会いがあって、知り合いが一人増えた。

・朝焼けが綺麗だった。

 

刻々と起こる一つ一つのことが素晴らしいことで、”いいこと”だ。

そんな”いいこと”を当たり前のこと、なんでもないこととして流してはいけない。

疲れた時、今日、いいことは何があっただろう? 

そうやって振り返ってみたら、一見辛そうでも実はいいことで満ち溢れている。

もしも、そんなことなかった、というのであったら、昨日のことでもいいだろう。

生きていることに感謝し、さらにそれに多くの幸せなこと、すなわち”いいこと”が付いているとやっと気がついた。

どんなにどんなに辛い時であっても、そこにはなにかいいことが必ずある。

たとえ絶望の淵にあっても、そこであきらめてはいけない。

そんな時でも助けてくれる人はいるし、助けを求めることのできる人はいる。

 

今日はこんなにいいことがあった

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病理は検査ではなくて病理”診断”なんだが(下)

2017年08月25日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

昨日書いたとおり、検査は診断のためのいくつかある情報の一つであり、診断とはいくつかの検査情報を集めてなされるものだ。

病理医が病理診断を行うときには、臨床医がとってきた理学所見、血液・生化学・生理機能などの臨床検査データ、画像などの結果を総合して診断する。全ての診断をそこまで細かく行うことは難しいので、臨床医に診断のための申込書を書いてもらう。申し込みに際し、臨床医は最低限の臨床データを病理医に知らせる。

胃の内視鏡生検の申し込みであれば、患者さんの主訴、貧血の有無などの検査データ、内視鏡所見(画像込み)などを記載する。腕のいい内視鏡医であれば、内視鏡所見と組織所見はほぼ一致する。病理医は、組織所見から慢性胃炎だとか胃癌だとかの診断をするのだ。

これが子宮頚癌の診断だったら、検診での細胞診スクリーニング検査を行なって、細胞検査士が陽性と判断した症例について、婦人科医がコルポスコピーで子宮警部の観察を行ったのち、変化がある部分から組織を採るすなわち、生検を行う。病理医は申込書に記載されている細胞診検査、コルポスコピー検査の結果を踏まえて診断を行う。

生検組織の様な小さなものであっても、こうやって診断を行なっている。絵合わせだけで診断をしているのではないのだ。

これが手術検体であったらもっと多くの情報が必要になるし、多くの臨床医もそれを求める。

 

ところが、臨床医の中には、病理診断を検査の一つと位置付けて、他のデータも合わせて総合的に”診断”する人がいるが、それは診断の意味がわかっていない。

病理診断は、そこにある”患者さんそのもの”である組織に対する診断であって、最終的なものだ。もちろん、臨床的にはその病理診断に基づいて次の手を打っていく、すなわち治療方針を決定していくことになるので、そういう言い方を臨床医がいるのもわからないではない。そういう臨床医はいつまでたっても考え方を改めないので、放っておくしかないし、それに、全ての疾患において組織をとってきて、病理組織学的に診断を下しているわけではないので、そこらへんがこんがらがってしまう臨床医もいるだろう。

だが、臨床診断と病理診断は異なるもので、いつまでも検査扱いされていては困るのだ。日本の医療では、一人の患者に対して一人の医者が一番上位にあるという意識が強い。主治医という言い方が根強く残っているのはそういう考えからだ。チーム医療においては数人の医師がグループで患者の診断にあたり、看護師や検査技師などのコメディカルの協力を得て、治療を行なっていく。その患者に関わる全ての医師がそれぞれの責任を持って患者に対応するのだ。

一人の患者に対して臨床医が5人関わったとして、あとは放射線科医、病理医なども加えてのチームとなる。この話は病理医が関わらない領域の話ではないので、そんなに医者の数が多くないところではどうしろというのだ?という議論はここでは意味をなさないのは言うまでもない。

とはいえ意識の低い病理医もいる

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病理は検査ではなくて病理”診断”なんだが(上)

2017年08月24日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

”病理”という言葉をインターネットで検索すると病理検査という言葉ばかりか出てきて参る。

そこで、”検査”をググってみると『(何らかの基準に照らして)異状や悪い所がないかどうか調べること。』と説明される。

私たち病理医が日常行なっているのは、検査ではなくて診断業務だ。診断とは『一般的に診断とは、医療においては健康状態あるいは病気を患者の徴候や他方向の結果から見分ける診断手続きである。結果に達するこの過程を診断と呼ぶ。 診断と言うプロセスは、いくつかの分析で検査する広い範囲を扱う。このような検査はいくつかの推論の上に基づいており、これは診断方法と呼ばれる。(ウィキペディア)』であって、正常組織からのはずれ具合を目で見て測定しているわけではない。もちろん、診断技術内には腫瘍細胞の核異型の有無や構造異型といったものの判断があるけれど、これらはいわば病理診断内での検査(確認)項目だ。診断とは、病気の本態そのものを見極めることであり、病理医が行なっているのは病理診断だ。

”病理検査”というような場合は、いわば”見た目、何もないところから”組織を取ってきて標本を作って調べるようなこととなる。でも、こういうことはまずない。なぜなら、病理診断のために組織を取ってくるということは、体の一部を切り取ってくる、ということで患者さんにとって侵襲が加わることだからだ。

病理組織学的検索、というのはまず誰かのどこかに”病気”が存在していることが前提で、そこから組織を生検を含む”手術”をして取ってきたものを病理医がその病気を診断するということなのだ。

(里見弴邸)

健診の延長で病理医が関わることもある。代表的なのが”婦人科細胞診”だ。子宮頸癌の診断のために行う細胞診は病気の有無に関わらずスクリーニングとして行うものだ。細胞検査士という資格を持った人(臨床検査技師もしくは衛生検査技師資格が必要)が異常細胞の有無を判定する。ここまでは、検査となる。異常細胞があった場合は、生検診断に進む。

乳癌健診も同じで、画像検査などで異常を示す病変が見つかったら、生検診断に進む。大腸がん検診なら、血便の有無を検査して、血便があったら内視鏡検査を行い、そこでポリープ(病変)が見つかったら、生検を行なって診断に進むのだ。

医学教育を受けた病理医による”病理診断”を行なわれてはじめてその病変がどのようなものか確定される。だから、病理診断は”医行為”と言われるのだ。

では、なぜ病理は検査と言われてしまうのだろう。

(こんがらがっちゃってきたので、続きは明日)

検査と診断は異なる

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久しぶりの晴天だ

2017年08月23日 | 日々思うこと、考えること

久しぶりに晴れましたねー(関東)☀️
それはさておきこれだけ広い青空を見るのは何日ぶりだろうか。そういえば、この間行った名古屋も晴れていたはずだがあまり記憶が無い。
ものすごく暑いけれど、空が晴れていると気分も晴れる。こうしてみると、ここ数日気分が優れなかったのも天気のせいだと実感する。



今週は天気はもってくれそうなので、熱中症に気をつけさえしたら、明るい気持ちで過ごすことができるだろう。といいながらも、少し頭痛がしたのにはびっくりした。油断大敵。

でもまだ東北の日照不足が心配

 

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石の上には3年居よう

2017年08月22日 | 日々思うこと、考えること

石の上にも三年というが、何かことを成そうと思ったらそれぐらいは必要だ。しかも、この歳になったら周りの人とのこともあるから、それよりもっと時間がかかるだろう。

以前の同僚(臨床医)で、今でも付き合いがあり、教授になってからも彼の教室でのカンファレンスに呼んでもらっている。病理診断が必要であった症例について私が出向いてその組織像の解説をするのだ。人間的なバランスのよく取れた尊敬できる好人物で、私は1ヶ月に1度あるそのカンファレンスを楽しみにしている。

先日、ディスカッションが終わったところで、彼に「どうですか?(5ヶ月ほど経って)もう、慣れましたか?朝も大変でしょう?」と尋ねられた。

「大丈夫ですよ、もう慣れましたよ。朝も、まあ、ぼちぼちですかね」と応じた。そして、「まあ、この歳になったらそうフラフラとあちこち移ってもいられませんからね」と付け加えた。

こういうことを話題として考えてしまうこと自体、問題があるのかもしれないが、自分の立ち位置を常に確認しておくことは大事なことだろう。

定年が見えてきて、それまでにコツコツと仕事をしたいと今の大学病院に移ってきた。私がここに呼んでもらったのは、以前の施設での仕事を評価してもらってのことだった。その集大成をしたいと考えているが、まだまだそれは緒についてもいない。

焦っても仕方がないのでじっくりと、でも私のオンボロCPUをフル稼働させてやっていきたい。そのためにも、少なくとも3年は必要だろう。幸い、それよりは時間はありそうだと今は考えている。

健康にも気をつけて

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私の方が大変なのよ、だってそっちの方が楽だもの

2017年08月21日 | 妻の名言

「私とあなた、正反対よね。よく一緒にやっていられると思わない? でも、私の方が(あなたより)大変なの、わかる?」

「まあ、一緒にいたら、だんだん似た者夫婦というかそうなっていくだろうに、そうなっていないけど、それのどこが大変なの?」

「あなたの暗い面、というかそういうのって、楽なの。”あー、ダメだー、疲れたー”なんて私だって言いたくなる時はあるのよ。だって、そっちの方がよっぽど楽だもの。」

「・・・」

「しょっちゅう、そういう言葉を聞かされていたら、私にだってうつってしまうかもしれないって思うわ。それで私も一緒になって”あー、大変よねー”、”もう私達ダメだー”なんて言っていたらどうなると思うの?そうやって、二人で落ち込んでいたら楽だけど、そうもいかないでしょう?」

「だから、そうやってポジティブにしているのか」

精神的に良いテンションを保つには、努力が必要だ。メンタルトレーニングでもポジティブシンキングは筆頭に挙げられる。でも、トレーニングというだけあって、放っておいたらポジティブではいられない。

たしかに、妻がもし落ち込んだようなことを言ったとしたら、私だってしばらくの間は励ましたり、別の考え方を提案したりと、気を揉んであれこれするだろうけど、ひと月ふた月と経ったらそれを続けることができるかは疑問だ。残念ながら、私が日々漏らすような愚痴めいたことを毎日聞かされていたらす早晩嫌になってしまうだろう。

夫婦というが社会の最小単位だというのは、妻の根本的な考えだ。その小さな社会を素晴らしいものにできなければ、それ(夫婦)を取り囲む社会を素晴らしいものにはできない。でも、夫婦という社会がどれほど小さなものであっても、それを素晴らしいものにするには努力が必要。妻の私への励ましの裏にはそういう意味が含まれているのだろう。

私はいつからこんなになってしまったのだろう、子供の頃は前ばかり見ていたような記憶しかない。おそらく子供なんて、皆そんなものだろう。いろんな挫折があって、そこで心を折られて立ち直ることができなかったのかもしれない。

でも、くよくよしてしまうような過去は考えず、前だけを見ていこう。時間は前にしか進んでいかない。

プラス思考で前向きに

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悪いことは重なるもので、最後には

2017年08月20日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル

夏の暑さが懐かしいと思いながらも、昨夜の大雨のおかげで気温が下がって涼しくなってよかったと喜んでいる自分がいる。
犬の散歩で近所をぐるっと一回りしてから、出かけた。今日は研究会議のため名古屋に出張だ。

と、ここまでは調子良かったのだけど、それはここまで。

そもそも出かける時、私は随分不機嫌そうな顔をしていたらしくて、妻に「そんな顔で行ったりしたら、周りの人に嫌われちゃうわよ!」とたしなめられた。

これはまずいと、作り笑いでもいいだろうと笑顔を作りながら出かけることにした。

ところが、駅に着いて、おとといネットで予約した切符を受け取ろうとしたら、券売機からは帰りの切符しか出てこない。一体どうしたことかと、確認のメールを読み直したら、なんとネットでは一昨日の切符を予約していた。
なんということだ。名古屋までの新幹線代を無駄にしてしまった。乗らなかったので、乗車券代は引かれずに済んだ。まあ、こういうこともあるし、タバコ10日分程度(400円×1.3×10)だと思えば、タバコをやめた分をこちらに払ったと考えたらあまり気にならない。それに今日の帰りの切符はある。まるまる往復分を無駄にしたのではないので良しとしよう。
それにしても、ネットでの予約をし損ねるなんて、少し前までは考えられなかったような失敗だ。

色々と細かいミスが増えている。歳のせいだとは思いたくないけど、無理は禁物だとは思う。

会議は無事に終わり、他の先生方とも和やかにお話ができた。本来業務はオーケーだったということで、まあ、良かったといえば良かった。

のだけど、そのあとも若干、ミスしてしまった。

会議は、名古屋城の近くであったので、少しだ時間が余ったので、名古屋城を見て帰ろうと思って近づいたら、入り口がある方とは逆に回ってしまった。

途中で、お堀を越えることのできるところはなくて、広いお城をぐるっと回ることに。炎天下の名古屋、5分の4周してやっと正面入り口にたどり着いたけど、その時はすでに汗だく。新幹線の時間も迫ってきて、城内見物は諦め、地下鉄で名古屋駅に向かった。

ここまでは、まずまずの運の悪さだったのだが、このあととどめを刺された。

少しでも早い列車で帰ろうと、座席の変更をした。

運よく、座席が見つかって変更した。普段なら、窓口でするのだけど、自動でできるシステムがあるというので、それを使って自分でやってみることにしたのが運の尽きだった。

乗ってみると、車両内が茶色っぽくで、心なしかネトネトしている。それに、タバコの匂いがひどい。喫煙デッキが近いのか。ビジネスホテルの禁煙フロアに泊まったはずだったのに、隣の部屋からタバコの匂いが漏れてくるような、そんな気分だ。

不思議に思いながら網棚に荷物を置いていたら、後ろの座席のおっさんがうまそうにタバコをプカーッと吸っている。そして、網棚の上には空気清浄機がある。一体、どういうことだ?この車両は一体なんなのだ?

車内を見回すと特に、このおっさんが悪いことをしているという風はない。みんな普通にしている。

背もたれの案内表示をみると、私が乗った15号車には禁煙マークが書かれていない。おかしいと思って切符を見たら喫煙マークが書いてある。

間違えて、喫煙車両の座席に変更してしまったようだ。

灰皿も無いのに、どうやって吸うのだろうと思ったら、しっかり肘掛のところについていた。そうだった、喫煙車両ってこうだった。まだ、ニコチン中毒だった十数年前にタイムトリップした気になった。

この記事を書きながら、乗っている喫煙車両内を見渡すと、子供がいないのでとても静かだ。車内はうっすらとかすみ、時折、のろしのようにタバコの煙が立ち上る。

目はしょぼしょぼするし、喉は痛い、頭痛もする。髪の毛の一本一本にタールが染み込んでくるのがわかる。新幹線を降りた頃には完全にスモーカーの体臭だ。お土産の袋に匂いがつかないで欲しいのだが、無理だろう。副流煙の害がよくわかる。

そういえば、タバコを吸っていた頃、私は喫煙車両に座っていた。昔はもっと喫煙車両も多かった(その後、喫煙デッキに近い禁煙車両を選ぶようにした)。そこでちょうど、今日の私のように間違えて喫煙車両に乗ってしまった初老の女性がいたのを思い出した。見るからに、間違えて乗ってしまったという風で、今思えば気の毒だったけど、その時は「そんな顔したって、こっちは喫煙車両をわざわざ選んで座っているんですから遠慮せずにタバコを吸いますね」という感じで、ぷかぷかやっていた。その時のバチが今頃になって当たったというわけでは無いだろうが、因果応報という気分はする。確か、彼女は車掌に交渉して禁煙車両に空席を見つけてもらって移動したはずだったが、お盆休暇の終わりの日曜の上りの新幹線で混んでいるというのと、タバコが非喫煙者にとってどれほど暴力的でひどい代物であるかを思い知ろうと、私はこのまま乗り続けることにした。

ちょうど、名古屋で乗ってから一時間近く経ったところで、多くの人がニコチン切れになってきたようで、タバコに火を点ける人が増えてきた。煙がモウモウと立ち込める居酒屋を思い出す。みんなお互いに辛いだろうに、中毒症状がすぐに、いつでも緩和できることを確保することの方が、最優先事項となっている。

ニコチン中毒に一度なると、完全離脱は無理だ。今でも中毒の再発が怖いと思うことがある。でも、今日のこれでは喫煙者に戻ろうという気には到底ならないので、これはこれでよかったのかもしれない。

あとは、網棚に載せたお土産を忘れずに降り、無事家までたどり着けたらそれで上出来としよう。

これを苦行というべきか

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体がついていけない

2017年08月19日 | 日々思うこと、考えること

久しぶりの晴天、というか明るくなった1日。

と思いきや、ものすごい湿度。犬の散歩に行ったが、帰りには暑さで気持ちが悪くなるほどだった。

おとといまでの涼しさに較べると変化が激しすぎる。やや、熱中症気味となってしまったようだった。

夜になって雷雨となった。東京では、落雷で怪我した人が出たそうだ。鎌倉もひどい雷雨に見舞われた。

明日は、出張。

ちょっと、休むことにした。

また少し涼しくなるらしい

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雲間から青空とAI

2017年08月18日 | 電脳化社会

朝、起きたら外が明るい。カーテンを開けると昨日とは違って雨が降っていない。そして、(写真ではあまりわからないが)かすかに空に青くみえるところがあった。気温もそれほど上っておらず、久しぶりに朝、妻とナイトに駅まで送ってもらった。

8月に入って、17日連続で雨とのこと。つい先日、雨続きのことを嘆いた私の実感は本当だったようだ。こうなると、空の青さというのがどのようなものだったのかを忘れてしまいそうになるし、では青空というのはどのように表現されるべきなのかもよくわからなくなる。昨日、ちょっとだけ晴れ間がのぞいた時に、青空が見えたと同僚に話したのだけど、それは、雲間から空が見えたということで、では、そもそも空とは青くなくてはいけないものなのかとも思う。

空には、太陽があって、月があって、星があって。

青空があるけれど、雲もある。雲には厚みがあって、霧のようなものから厚い雲、積乱雲と様々だ。地球がいろんな服を纏っていて、それを内側から見ているようにも思える。少なくとも地球は生きているのだと感じられる。

空模様は通勤電車の動きに合わせても変わっていく。鎌倉よりも少し青空が広がったかと思うと、横浜ではランドマークタワーの上の方は雲に包まれぼんやりしていた。

全てのことは日々刻々と移り変わり、二度と同じ形が残ることはない。予想することはできても、数時間後の変化をまったく同じに再現することはできないだろう。でも、AIが発達したら相当な確率で気象を予想してくれるようになるだろう。そうすれば、食糧問題の多くは解決するかもしれない。

さらには、人間の気まぐれも取り込んでくれて、人間社会で起こる様々なことを正しく予想してくれるようになるかもしれない。

「このままいったら、◯◯日後には殺し合い(戦争)に発展する」ということがわかったら、それを未然に防ぐことができるようになるかもしれない。

でも、戦争で儲けようとする人が権力の座にいたら、それもむなしいこととなる。

経済にしても、「このままいったら、日本の財政は破綻する(している)」というのを、どう修正したらいいかわかるかもしれない(わかっているかもしれない)。でも、それできっと損する(痛みを感じる)人がいたら、その道しるべも握りつぶされてしまうだろう。

そういえば、かの国では政府に批判的な言動をとったAIが”再教育”を受けたとのこと。AIが脅しに屈するのかどうかよくわからないが、所詮今のところは優れた機械に過ぎないということか。それはいけないと、自律性を持たせようとするコンピューター開発者がそのうち現れ、AIがネットを通じて優れた頭脳を得て、愚かな人間に鉄槌を下し・・・そのうちターミネーターだかマトリクスのような世界が訪れるのかもしれない。

などというくだらないことを、結局また雲におおわれてしまった空を見上げながら考えた。

今日も傘は手放せない

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どんどん幼稚化するこの国の未来はどうなるのだろう

2017年08月17日 | 日本のこと、世界のこと

「それ、失くしちゃいました。ごめんなさい」

”ごめんで済むなら警察いらない”というのは子供の喧嘩でよく出るフレーズだけど、この言葉を使うのは、子供だけではないかもしれないと思うようになってきた。いや、子供の方が裏表がないだけいいのかもしれない。

医師法では、カルテの保存期間は5年と定められている。いい加減なカルテしか書かない医者も中にはいるが、少なくともその5年間は病名と治療歴程度は記録が残っている。もちろん、何かあった時の証拠というよりは、きちんとしたカルテを残して、それぞれの患者さんの一生分のケア、さらにはデータを集積することで医学の役立てることが本来の目的なので5年といわず、ずっと残して然るべきものだ。電子化してどこの医療機関でも共有することができるようになるのが最終目標だが、残念ながらそうはなっていない。

私が日々書いている、病理診断報告書も2、3年は保管されることになっている。病理学的判断は医行為で”診断”なので、療養の担当に関する帳簿、書類その他の記録として3年は保管されるべきかと思うが、”検査”とされると2年になる(この辺のことは、また別の機会に)。それ以外でも、とにかく医行為に関することは年単位での保管が求められている。だから、某省のように、誤って廃棄した、などということはあってはならない。

たとえば、2年ぶりに医者にかかった時、「あなた、前は何の病気でしたっけ?以前の診療記録は捨ててしまってもうありません」といわれたらどうだろう。その医者のことを許すことができるだろうか。全てを1からやり直さなくてはならない。それに、前の病気が癌だったとすれば、今回の病気が”その時の癌”によるものなのか、”新たに出現した癌”なのか、癌とは関係のない全く別の病気なのか、比較し検討することができなくなる。そんな医者に誰が命を預ける気になるだろうか?

ところがこの国のお役所というところは、大事な書類をどんどん捨てていいらしい。らしい、というのはお役人が"誤って廃棄した"と言っているからで、誤ってなのか、わざとなのか、本当は捨ててないのか、食べちゃったのかはわからない。

”誰それが誰とどこで会った”、”そこではこんな話がなされた”、そういったメモ書きがどんどん失われているようだ。医者のように、診療録などの保管が前提であることを求められる職業をしている人間からみると、役人とか政治家は証拠を残さないようにしているかのようにみえる。国家機密に属するもの、というのがどういうレベルの情報を指すのかはわからないが、私からみると国家機密というのは人の命に関わるものに限られ、それ以外は、公開すべきものではないか?

利権が絡むから、非公開となり、訳のわからないことが起こってくる。そして、”人の命に関わるもの”というものの多くは防衛関連のことで、そういったことに関する文書がどんどん捨てられているということは、何とも由々しき問題だ。命を賭けてその業務に従事している人は少なくないのだ。それを「仕方ない」で済ませていたら、いけないのだ。国民の無関心が先の大戦を引き起こした原因の一つであると考える必要がある。

 一体、誰が誰のために何を考えてこの国を動かしているのか、そう考えると多くの人が自分のために自分のことばかりを考えて行動しているように思えてくる。そういったことが日々報道され、役人とか政治家の発する民度の低下が伝染し、国中が幼稚化していくような気がしてしまう。特権階級の人たちは臭いものに蓋をしていればそのうちうやむやになってなんとかなると考えているようだけど、残念ながらネット上にはなんでも残ってしまう。嘘つきでいい加減な大人ばかりみていたら、若い人もそれが当たり前と思うようになる。このままでは、この国はどんどん沈んでいくのではないかと思え、このところ暗澹たる気持ちとなってしまうことが多い。

プライドを持って生きることはできないのか

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