こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

この命、おまけなのなら失うものは何もない(前編)

2019年08月31日 | 生き方について考える
病理診断科の部屋で仕事をしていたら、癌の予後についての話になった。病理医が癌の話をすることは珍しいことでは無い、というか癌の病理診断をしながら話しているので、なんだかおかしな言い方だが、この話題を考えるきっかけになったので、どんな状況でこんなことになったかを覚えておきたいので書いておく。
で、その時、30代の若い先生が、「膵癌のように好発年齢が比較的若くて予後の悪い癌はつらいですね。」と言った。膵癌は皮膚癌のような高齢者に多い癌にくらべ若い人に多く、まだまだ働き盛りの50代で発見されることが少なくない。さらに、発見時は進行していることが多く、予後は悪い。

そもそも癌という病気はほとんどが50歳過ぎで生じる。子宮頸癌や一部の胃がんのようにもっと若い年齢で発症する癌もあるけど、多くの癌は加齢にしたがって発症率が上がる。子供に大腸癌や肺癌が生じることはほとんどない。発症率が高くなるという印象を私が持つのが50歳を過ぎてからだ。寿命が短かった頃、というのをどの程度と考えるかはいろいろあるけど、わかりやすいのは織田信長が残したとされる”人生50年”という言葉。織田信長はたった50年で、(ほぼ)天下布武を成し遂げたのだからすごい。それはさておき、人間にはもともと50年程度の命しか与えられていなくて、そのあとは、細胞があちこち変調をきたして癌が生じるようになっているように思う。そうであれば、その50年を過ぎたらあとの命は神様から与えられたおまけの様なものだ。
(明日に続く)

命は大事に

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相鉄12000系電車が横須賀線で試運転

2019年08月30日 | 通勤・交通・旅行
先日、横須賀線武蔵小杉駅のホームに、ブルーのなかなかカッコイイ電車が停まっていた。近づくとSOTETSUの文字があって、”試運転”の表示を出していた。以前、相鉄線が横須賀線に乗り入れるという話を聞いたことがあったが、どうやらそのための試運転のようだ。
そのうち、日常的にこのような場面にであえることになると考えると、これがラッキーなのかどうかわからないがとりあえず写真を撮っておいた。せっかく写真を撮ったのだけど、すぐに私の乗る電車がやってきてしまい、先頭車両の写真を撮ることはできなかった。

この車両、相鉄の12000系という新型車両だそうで、相鉄・JR直通運転のために導入され、今年の4月から運行しているらしい。この直通運転で新宿までつながるそうで、この11月末に始まるとのこと。これまで”横浜を中心としていた神奈川の電車”という相鉄線のイメージが随分変わる。それにしても、横須賀線は今の様な過密ダイヤのどこに新しい列車を組み込めるものだと思う。貨物線も利用して可能になるらしい。心配なのは、関係する路線のどれか(横須賀線、湘南新宿ライン、相鉄線、東海道線、根岸線・京浜東北線)一つで何かあったら一体どうなるのかというのと、これ以上武蔵小杉に乗降客が集中したらあの狭い地下通路は一体どうなることか、ということ。ぜひ、利用客目線の安全対策をとって運行してほしい。

E 217系と比べるとちょっと小ぶり

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今の社会を回転寿司に例えてみたら

2019年08月29日 | 電脳化社会
新聞を読む人がずいぶん減ったそうだ。原因として新聞のコンテンツに問題が無いともいえないが、やはりモバイル機器、特にスマホの発達が原因で、情報をスマホでとってくるので十分であると考える様になったことは否めない。でも、新聞と違ってスマホの記事はとても短く、新聞記事の要約だけのものがほとんどだ。スマホの記事の見出しは15文字程度で、それらはよく凝縮されていて素晴らしいのだけど、そこを開いたあとの記事は、内容が少なかったり、制限がかかっていたりして、一般紙と比べると見劣りがする。そのこと自体はいいのだが、ニュースソースを選ぶ時、最近の私たちはずいぶんと狭い領域から情報を得ているものだと思う。

回転寿司屋に行くと、たくさんの寿司ネタが目の前を次から次へと流れていく。客はそこから、自分の好きなネタを選び取って読む。好きなものを立て続けにとる人も少なくない。これはまるでスマホ画面に次々と登場する多数の情報のようなものだ。すなわち、好きなネタ=好きな情報、耳障りのいい情報、ということで、逆にいうと嫌いなネタは最初から自分の判断で無視することになる。
最近では板前さんに直接注文することも少なくなく、普通の寿司屋に近いところもある。人間同士の会話があって、ときどき嫌いなネタも提案されるという点では、新聞のようなものか。まあ、寿司屋は店主のバイアスがかかっているわけでその点も新聞各社と同じではある。

現代社会は、思いの外自分勝手に行動することが可能となっている。好きなことだけをしていて許される権利がある。嫌なことは無視していいし、嫌なことに直面したらそのことを声高に否定していい。好きなことも嫌なことも次から次へと送られていって、一緒くたになっているので、それぞれの軽重も皿の色ぐらいの違いにしかない。
結果として、他者への配慮は欠如して、人の命は軽んじられる。そんな社会に向かっていることを自覚し、その流れを食い止める必要があると思う。

値段も違う

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「献立アプリ」第13話・・・ヘヴンの秘密

2019年08月28日 | 料理・グルメ
第12話からの続き)
新聞かなにかで知ったことだが、国産型プラットフォーマー”ヘヴン”のAIによるディープラーニング能力は、人間の感情、善悪判断に迫るもので、従来型のものとは全く異なるタイプだそうだ。何が異なるかというと、従来型のAIは自己判断ができるといっても、ゲームとか戦争における最善手を自律的に判断するだけで、感情的なこととか、善悪の判断とかの能力は含まれていない。したがって、無差別殺人すら可能となる。
一方、ヘヴンのAIには感情というか、善悪判断能力があるそうで、”人間の不利益になることはしない”という原則を学習させておけば、ある程度の幅を持って不利益になることはしないようになる。
兵器の発達がどこまで進むかはわからないが、極小の弾丸を仕込んだドローンに効率の良い殺人を学習させたAIを積んでおけば永遠に人間の殺戮を続けるが、無差別であるという点で、そこにいる人すべてを殺してしまうから、環境破壊を伴わない爆弾ということになる。
そこで、この国はヘヴン型のAIを登場させたことなる。これなら、敵味方の判断を行いながら殺人を行うことも可能だし、手加減することも可能になる。専守防衛が可能なのだ。
AIを搭載するのがドローンではなく、人間型ロボットだったらどうだろうか。そして、私たちを救ってくれたのがヘヴンの従業員ではなく、ヘヴンの新型AIを搭載したロボットだったという可能性はないだろうか。
ヘヴンはユーザーの顔と名前をすでに知っていて、従業員、というか新型AIを搭載した店員ロボットは誰がキムチを買いに来るかは知っていたのだ。そこへ、通り魔が”大切な顧客”を次々と襲った。そこで、ロボットは顧客を守った。顧客は味方で、味方を攻撃するものは敵ということだ。

でも、その詳細を知られてはいけないから、あの事件の後、関係者同士は連絡が取れなくなり、事件自体もあっという間に消し去られつつある。
なぜ、そんな役に立つロボットの存在を隠す必要があるのだろうか。ヘヴンには別の目的があるのだろうか。そして、ワゴン販売はそのためのちょうど良い隠れみのだったのか。ヘヴンにはどんな秘密が隠されているというのだろう。

通り魔はなぜ

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第14話に続く

いつの間にか自分がおじさんだという自覚

2019年08月27日 | 生き方について考える
若い先生と話すと相手がすくなからず緊張しているように見えることが多くなったような気がする。私の白髪混じりの中年太りの外見からしたら、彼らの親、中学・高校時代の年配の教師並みの歳だからむべなるかなと考えるようになった。中身はあまり進歩していないのに、外見だけはどんどん老けていっている。
実際、55歳といえば十分なおじさん、というか初老の域に近づいているのだから当然のことだ。

自分は自分であって、その自分をどう考えるかは相手次第なので、自分をどうこうしたところで、相手が変わるわけではない。だけど、社会規範を形作る上では年齢相応の身だしなみと振る舞いをするべきだと思う。
駅のホームでは走らず駆け込み乗車をしない、列に並んでわれ先にと席取りのために乗り込まない。自動車の運転なら、急発進をしない、あおり運転をしない、おまけに車庫入れが上手だといい。酔っ払って周りに迷惑をかけない。何にしてもマナー違反は厳禁だ。
職場では年長だからといって知ったかぶりはしないで、自分の専門領域をより深めた指導をする。学会や研究会でも同様で、自分の仕事を助けてくれた人、話す機会を与えてくれた人への感謝の気持ちを常に持ちながら振る舞う。
なによりも、他の人の人格、権利を尊重し、大切に考えるようにする。

歳を重ねてよかったのは、気配りや感謝といったことを考えながら生きることができるようになったことだろう。ただ、その分、目に見えない何かを失っているわけで、そういったものがあることを常に自覚して、謙虚に生きていくことが大切だろう。
自分勝手な振る舞いはある意味、滑稽であり笑いの対象にもなる。

残りの方が短いのだから

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ToDoリストを再確認

2019年08月26日 | 日々思うこと、考えること
夏休みは二泊三日で、昨日は家事の手伝い。手伝いといっても、若い頃のように子供達にいいところを見せよう、なんて必要がないのでゆっくりとごく少量。
温度が30度に届かず、湿度も50%台。昔の夏はこんなものだったと妻と話した。おかげで夕方、葉山まで用があって私と妻とナイトとで散歩ができた。

NHKで藤井聡太七段の将棋とのど自慢をそれぞれ観た後、BS朝日でバスケの日本対チュニジア戦。八村選手が出るかと期待していたがベンチ登録もなくて、ちょっと残念。最後に決められたワンゴールは国際試合レベル。いい勉強になっただろう。あそこはダブルチームで相手シューターを押さえ込みに行くべきだった。ベンチの采配ミス。
休みはあっという間だったけど、楽しかったな。妻とも仲良くしていられた。
この先、頼ることができるのはこの相手しかいない、と思うからか、それとも私に仕事のストレスがなかったからか。週末で目立った悪いニュースがなかったかもしれない。
夏休みは短かったけど、それなりに心も体も休まったような気がする。
それだけに、今朝の目覚ましの音で、血圧が一気に上がるのを感じてしまってちょっと残念だった。
病院に着いたら、まずはやってあること、やってないこと、やらなきゃいけないことの再確認。これを書き終えたら早速メールを確認しなくては。

楽しかった思い出を活力に

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休暇と仕事

2019年08月25日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
大学病院ともなると、病理診断の件数もさることながら複雑な症例の頻度が上がる。近隣の病院から移ってくる患者さんが少なくなく、その分診断に手のかかる症例が増える。私の勤務先の病院もその医療圏内では唯一の大学病院であり、そんなわけで病理医は教授以下複数いるがみんな忙しい。お盆休みに一緒に休みたいが、病気には盆も正月もない。病理も臨床と同じく、誰かがずっと働いている。

大学病院とかそういう規模の病院でないからといって、病理医を取り巻く環境はどこも変わらない。病理医は各病院に1人のところが多いので、一般病院の病理医も仕事量は馬鹿にならず大変だ。症例数が少なくても、それぞれの症例に対して丁寧に対応したら結局大変で、あまり休みは取れない。
日本の病理医不足は慢性的で、今の二倍病理医がいたら、各医療施設に十分かと思うが、医療レベルの進歩がそれをはるかに上回っているようで、なかなか厳しい。それに、少し地方に行けば、足りないのは病理医だけではない。一人で頑張っている臨床医も少なくない。そういう先生は代診に来てもらうしかないのだが、それもいろいろと大変なようだ。
人間は生き物なので、ずっと働き続けるわけにはいかない。働いてばかりでは、精神的、肉体的に疲弊し、壊れてしまう。二泊三日で、丸一日休むことができたというだけで随分楽になったけど、明日から仕事かと思うと体はもうそれようになり始めている。
かといって、休むにもお金がかかるのでそれほど贅沢もできない。結局のところ、家でゆっくりしているのが一番いいのかもしれない。

テレビは消して

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夏休みは会津旅行

2019年08月24日 | 家族のこと
夏休みの予定がなかなか決まらないでいたのだが、小学校の頃家族旅行で訪れた五色沼に妻を連れていきたいと思って、会津旅行となった。
昨日、鶴ヶ城と大内宿に行ったが、幸い好天に恵まれた。
そして、今日は五色沼。
三週間ほど前にクマが出たという話で、少しビクビクしながら1時間あまり歩いた。今日も好天で、高原の晩夏を楽しんだ。

喜多方ラーメンでお腹いっぱいになってから、三ノ倉高原のおはな畑が見頃ということで足を延ばして、散策。丘いっぱいのひまわりは圧巻でした。
福島県を磐越道で横断して常磐道で帰った。快適なドライブだった。

たまにはゆっくり

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平和を守るには勇気が要る

2019年08月23日 | 日々思うこと、考えること
日本は先の大戦に負けて以来戦争をしていないし、戦闘で亡くなった人はいない。
平和であるということは、平和を維持するということであり、それは努力によってなされる。
今日は期せずして白虎隊自刃の日。偶然会津若松、鶴ヶ城を訪れ、そのことを知って驚いた。
戊辰戦争は戦国時代以来の内戦で、多くの人が命を失った。
戦争というものがどれだけ意味のないことであるかをいまさら強調しても仕方がない。でも、白虎隊の隊士がみな16、17歳であるという展示を見て、昨日の甲子園の決勝を戦う高校生を見守ることができる私たちはどれほど幸せかと思った。

日本は、軍備を増強してはいるけれど、それは専守防衛のため。戦争を他国に仕掛けることはしないだろう。そして、そうあることは勇気の要ることだけど、権力者にはその勇気を持っていてほしい。
平和を守るには勇気が要る。そして、勇気を持つには努力が必要だ。

いい天気でした

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躊躇している間に

2019年08月22日 | 日々思うこと、考えること
前にも似たようなことを書いたことがある。
どうせやるのなら早いうちにやる。
躊躇していては何も始まらないから、見る前に飛べ、なんて言い方もある。

たとえば電話。
苦手な人に、頼みごととか、弁明しなくてはいけないとか、そういったことをしなくてはならない時、結局はその人に頼んだり、言い訳しなくてはいけないのならば、さっさと電話をした方がいい。

なんにしても、あれこれ考えたところで、解決策はないのだからさっさと早く腹を決めて行動に移すことが何よりの解決策だ。

さっさと済ませる

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「献立アプリ」第12話・・・国産プラットフォーマー

2019年08月21日 | 料理・グルメ
第11話からの続き)
「献立アプリ」を運営していたのは、食事のレシピを集めたのが大当たりしていろいろなグルメページを立ち上げたサイトだった。やがてそのサイトは国内発のプラットフォーマーに買い上げられて、そのグループ企業となった。
そのプラットフォーマー、もともとわが国を代表する規模のポータルサイトだったのだが、海外勢に圧倒されそうになっていたところを、ハイテク産業省の後押しをうけ、国を挙げての体制をとって成長した。さらには東南アジアの友好国を中心に勢力を伸ばし、海外勢に対抗できるほどの大きさまでに盛り返した。そのプラットフォーマー…ヘヴンは、国策プラットフォーマーといえばそれまでだが、こうすることでしか欧米中勢に対抗することはできなかった。
ヘヴン、は次々と国内外の中小アプリ会社を吸収していった。欧米勢が全世界的にネットワークを俯瞰的に支配を強めていったのとは逆に、各国の小さなアプリをしらみつぶしに検討して次々と吸収した。そして、それぞれのアプリ会社が収集した個人情報を集積したのだった。
私たちが使っていた献立アプリの情報もそうやって、ヘヴン、に吸収されていたのだろう。そして、その情報から私たちの行動を推測し、生姜だの油揚げだのキムチだのを売っていた。ユーザーの行動パターンから食品販売、ペット用品販売などを、従来型の駅ナカ商法と異なった方法で行うことがまずはヘヴンの最初の目的だったのか。
そうすると、私が遭遇した通り魔事件は、ヘヴンにとっても突発的な出来事であって、対応に苦慮したに違いない。あの時キムチのワゴンの周りにいた人は、大部分がキムチを買いに集まっていたはずで、そこにあの帽子をかぶった暴漢が紛れ込んできてしまったのは計算外だったはず。
そして、その暴漢に対応したのが、ワゴンの売り子だったということだ。その売り子はヘヴンの従業員というか、関係者だったのだろうか。

あの男はなぜ

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第13話に続く

ラーメンは大盛りもしくは半ライスをつけていた頃

2019年08月20日 | 料理・グルメ
今日はこれから日本中雨となるようで、大きめの折り畳み傘を持って出てきた。お盆を過ぎた途端、気温が3、4度下がったみたいで、楽といえば楽なのだが、今年の夏はほんとうに目まぐるしい。

ところで、私はラーメンが好きだ。少なくとも暑いからといってラーメンを食べることを断念することはないので、こんなにも暑い夏でも週に1度は食べている。
学生時代は、とんこつラーメンに凝っていて、あちこちのラーメン屋を訪ねた。グルメブーム、ラーメンブームの前だったので、友人からの口コミで店を探した。今ではぐるなびとかでランキングが出てくるので、それを読んで有名店に行こうと思う時もあるが、そういう店は大抵混んでいてひどい行列だから、腹ペコの状態で待つことが苦手な私としてはそれをみただけで素通りしてしまう。店によっては店主が威張っていたり、作法らしきものがあったり、常連が幅を利かせていたりで、食事がつまらなくなることが少なくないので、なるべく普通の店構えで美味しい店を探している。

そんなわけで、ここ一、二年の私のお気に入りのラーメン店は、ある私鉄沿線の駅から程近いところにある旭川ラーメンの店。地元の人に聞いたら、以前はもう少し離れた商店街にあったのだが、数年前に駅前に移ったそうだ。行列を見たことhないけれど、客は必ず1、2人いる。テーブル席で家族連れが食べていることもよくある。いつ行っても必ず座れるので月に3度は行っている。

そこのランチメニューではチャーハン、餃子ライスがついて850円、安くはないが味とボリュームを考えたらリーズナブルだ。でも、一度食べただけで、このセットは食べていない。食べるのは各種ラーメン一杯だけ。この前、味噌バタコーンにしたら、それでも多くて胃がもたれた。学生の頃から30代あたりまではラーメンは大盛りか半ライス、餃子をつけて食べていた。車でなければビールも。それでももちろんスープまで飲み干して完食。それを週2回は食べていた。なんでもおいしくたくさん食べることのできたあの頃は、幸せだった。妻も、私が大盛りネギチャーシュー麺、なんてのを完食していたのに惚れたと言っていたことがある。
でも、今の私の内蔵脂肪と高めの血圧、コレステロールはこの十数年間のラーメンの蓄積もあると思っているが後の祭りだ。
そうはいっても、美味しいラーメン屋さんに巡り会いたいといつも思っている。そんなお店で、スープを2割ぐらい残してしまうが、健康のためだと理解していただきたい。

昨日は正油ラーメン

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ナイトの近況

2019年08月19日 | 犬との暮らし
お盆休みも終わって、通勤電車には混雑がもどってきた。電車を待つ人の数が少し増えただけで、駅の慌ただしさが増す。溜まっていた仕事を片付けに土曜に休日出勤したが、半日で切り上げたので疲れを取ることはできた。昨日は1日鎌倉で過ごした。昨日はいかにも夏らしい天気だった。

さて、緑内障で左目を失明したフラットコーテッドレトリバーのナイト。左目の眼圧は依然として高いままだが、いっときほど悪くはなく、悪いなりに安定はしているという状態のようだ。犬猫病院の獣医さんによれば頭痛はあるだろうということだから気の毒だ。さらに、かわいそうなことに片目が見えないためだろう、塀とか壁によくぶつかっている。これ以上、余計な怪我をさせないように日常生活では気をつけている。人間と同じで、犬の気持ちも思いやってやりたい。
脂肪腫は体のあちこちに増えているのが目立つが、血管肉腫の再発については不明だ。獣医さんのお見立てでは再発の兆候は無いようで、一時期高くなっていた炎症反応も落ち着いている。
散歩に出るとすぐに家に戻りたがるのが年のせいなのか、病気で辛いせいなのか、それとも暑さのせいなのかはわからない。おそらく、暑さ>年>病気の順だと思っているが、わからない。もしかすると目が悪くなったこともあるかもしれない。それでも散歩にはでたがるから、まずまず元気だとは思っている。

夕方、先日葉山でオープンしたペット用品専門のコインランドリーにナイトの使っているラグとクッションカバーを洗いに行った。ペット用品専門というのは気兼ねなく洗えて嬉しい。大型犬は同伴できないので、ナイトは娘とマルチーズのコロとお留守番。
ドラッグストアでお土産におやつを買って帰った。

コロは元気です

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今からでも遅くないし、やらないよりはいい

2019年08月18日 | 日々思うこと、考えること
昼、駅前のスーパーまで買い物に行ったら、レジ袋に関するこんな張り紙があった。
レジ袋が出現したのはいつ頃だっただろうか。中学に上がる頃あたりではないかと思う。そうするとかれこれ40年。私自身、一体何枚使ってきただろう。
平均すれば1日1枚使ったとしても過言ではない。そうすると、365枚X40年で14600枚。
サイズを変えただけでどうなるというものでもないかもしれないが、それでもやらないよりはいい。
一人一人が少しだけ不自由な思いをするだけで、地球汚染を止めことができる。

それほど不自由じゃない

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ひとのことを悪く言わない、考えない(その4)

2019年08月17日 | 生き方について考える
この話題もあまり続けると説教じみて自縄自縛になってしまうので、今日で終わりにしようと思います。お盆も終わるタイミングというのも不思議だけど、なんだかご先祖様が私のところに来て、戒めてくれたような気がする。

さて、人のことをわかりたいと考えるのなら、その人のことを自分本位の視線で評価しても意味がない。その人のことをわかりたいと考えるのなら、その人の気持ちになる必要がある。その人の気持ちになるとは、その人の心を想像すること、その人がどんなことを考えているかを考えることだ。
そして、そうすることには勇気が必要となる。

自分本位の考え方から脱却しない限り、人として真っ当に他者との関係を構築することはできない。相手のことを考えない生き方をしている限り、人を幸せにすることはできない。
例えば犯罪者、痴漢・万引き・放火・ひき逃げ、そういった身勝手な行為は相手の人生を踏みにじるものだ。被害者は一生癒えることのない傷を負うが、犯罪者には被害者の気持ちを想像することはできない。罪として咎められるから、それがいけないことだということを知るが、被害者の心がわかるわけがない。

人のことを悪く言う、すなわち悪口を言うということは、ある意味、犯罪につながる。
それは、自分本位の勝手な解釈で、他人を貶める行為で、それはその人への侮辱であり、罪となる。

ひとのことを悪く言う前に、自分自身を見つめなおさなくてはいけない。
「なにが悪いのだろう?」、「なにが悪かったのだろう?」まずは”自分なりに”そう考えた後、想像力を働かせ、「(その人は)何を考えているのだろう?」、「(その人は)何をしたいのだろ?」そう考えなくてはいけない。そう考えるには努力が必要だ。

奇しくも、去年の今頃もそんなことを考えていたようだ。お盆というのはそういう時期なのだろうか。

ということで、1年経って、私はどうなったかというと、ちょっとだけ進歩している。努力をするというよりは、その人の気持ちを知ろうとすることができるだろうと考えるようになっている。人の気持ちを想像しようという勇気が出てきている。まだまだ捨てたものではない。

人間誰しも必死に生きている。自分のことばかり考えて、なんて言われるが仕方ない、それで精一杯の生き方もある。でも、何かしら考えて生きていることを認めないといけない。それが社会だ。社会の中では、その人の都合を考えることでしか関係を発展させることはできない。そもそも過去と他人は変えられないのだ。

人が考えていることを想像すれば、その人のことを悪く考えないで済むかもしれない。そうすれば、悪口を言うこともなくなるかもしれない。

”必ず”はないけれど

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追伸(そうはいっても)

それでもどうしてもダメな人がいたら、その時はその人から離れるしかない。そうしたら、その人のことを言わなくなるし、考えなくなる。たとえそれが夫婦でも職場の上司同僚であっても。