こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

おもてなしの気合いがちがう

2015年10月31日 | 通勤・交通・旅行

 学会が始まる前、とても有名なご当地キャラが会場にやって来た。

 一緒にいたお姉さんともどもすごいテンションでおもてなしの体操を披露してくれた。とにかく目が覚めた。

 昨晩、懇親会でもどこかの市役所の人が郷土の踊りを披露していた。熊本県は、すごい。すごい気合いを感じた。

 昼休みに学会場を抜け出して昼間の熊本城を見に行ったが、なるほど国宝。立派なものだった。

 時間がなくて中には入らなかったが、地元のお城ファンにいわせると、ずいぶん整備しているそうだ。広い敷地内どこも綺麗に整備されている。

 熊本の街も綺麗だった。ところどころで交通渋滞があったが、そうたいした距離ではない。

 お土産も充実している。

 馬刺と、からし蓮根と、焼酎ぐらいしか無いのに、それ以外にはキャラクターを貼って頑張っていた。

 いずれにせよ、観光客を招くための気合いが、随所に感じられた。

 翻ってわが鎌倉だが、これほど多くの人をお迎えしているのに、一体どうなっているのだろう。仮にも一度は世界遺産を目指したというのに、相変わらず道はでこぼこで、歩道は狭く、美しさとはほど遠い。

 町おこしとしようというつもりもなさそうで、市役所の人の顔は見えない。市として向かう方向性が見えてこないのはいかがなものだろう。 県と市の違いはあるものの、熊本県とは気合いの入れ方が違いすぎないかと思う。

 黙っていても観光客が来るからって

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これで十分なんだよ

2015年10月30日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

明日の講演の準備、なんとか間に合った。間に合ったのはいいのだけど、他にもやらなくてはいけなかったことがあったのだけど、気力、体力ともに続かず、そちらまで手が回らなかった。
そこで私は考えた

(1)「発表の準備ができた」ことだけでもよかった、十分だったと喜ぶべきか

(2)「手が回らなかった」ことをそれしかできなかったと悔やむべきか

今までの私だったら、当然(2)もう一仕事頑張らなかった自分を悔やんで責めただろう。だが、それってどうなのかと考えた。


一つのことがきちんと出来たのであれば、それで十分ではないか。そしてそれが百点満点でなくてもいい、やれるだけやったのであればそれが私の出す結果だし、私に求められたことなのだ。

さて、準備万端とまではいかないまでも、チェックも済ませた。

あとやらなくてはいけないことが残っているとすれば、今夜は飲みすぎないで、体調を整えて講演に臨むことだ。

 5年ぶりの熊本

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明るい防犯灯

2015年10月29日 | 鎌倉暮らし

鎌倉市では蛍光灯からLED灯へと防犯灯の付け替えが進められていて、去年あたりから我が家の周りでも順次付け替えが行われている。鎌倉市は大部分が神社仏閣か住宅地なので、夜道が明るくなるというのは防犯上良いことだ。
昼間のように、とはいかないまでも、相当明るくなった、というか少々明るすぎるきらいがある。


何よりLED灯はまぶしい。光が目に入ると痛く感じるほどだ。それほどくっきりと何でも見えるというのはいいことで、夕食後の少し眠い時間の散歩には助かる。とはいえ、まぶしいのはまぶしい。
あと、夜空を楽しめなくなったのも残念だ。先日のオリオン座流星群も横から視界に入ってくるLEDの光のせいでよく見えなかった。夜明けが遅くなって、朝起きたときにもLEDが煌煌とあたりを照らしていると、夜明け空の微妙な美しさもわからない。


なにより防犯が目的なので、文句は言えないが、もう少し何とか融通がきくといいと感じる。
そのうち馴れるかな?

 

 

 目もそのうち馴れてくるかな?

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来年はこの月を、どこで見上げていることだろう

2015年10月28日 | 日々思うこと、考えること

昨日の満月、それは見事なものだった。仕事の帰り道、その満月を見上げながら歩いた。

「来年のこの(十月の)満月を私はどこで、どんな気持ちで見上げているだろう」とふと思った。来年の話をすれば鬼に笑われてしまうことはわかっている。それでも、できたら健康な体で、笑顔でこの満月を見上げていたい。贅沢をいえば、わが家から。

だが、そうなる保証などまったくない。

考えれば考えるほど、人生というものがいかにあやういものであるかを実感する。去年の今頃、私の今の境遇など知るよしもなかった。

ぼんやり時間をやり過ごしたら、そのまま明日が来て、来月が来て、来年が来る、なんてことはないのだ。

だからこそ、いつも今の幸せに感謝しながら生きていたい。

 去年の今ごろ、コロ健大荒れでした

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散歩はスロージョギングで

2015年10月27日 | スポーツ・健康・ダイエット

スロージョギングという運動法があるそうだ。先日には天皇陛下ご夫妻もなさっているご様子がテレビで放映されていた。

スロージョギングの方法は簡単で、(1)背筋を伸ばして肘を軽く曲げる。(2)足の指の付け根が地面につくようにする。(3)歩幅は足の大きさの半分ぐらい。というもので、腕を振る、誰かと一緒の時は会話ができるぐらい、などが大事なようだ。

この運動思い出すと、コロ健がバスケットボール現役(学生)の頃に、フットワークのときのインターバルで、上がった息を整えるためのありがたい休憩だった。

 

ところが、一昨日の日曜日、ナイトの散歩のついでにやってみたらあっという間に息が上がってしまった。ほんの少しの距離をやってみただけだったのだが、ショックだった。

わが身がいかになまってしまったかを、身にしみて感じた。

まあ、水泳もやめてしまい、かれこれ1年近く運動らしいことをしていないので当たり前といえば当たり前だろう。

まずは無理せずインターバル(今はウォーキング)を入れながら、200メートルを3回ぐらいから始めてみることにした。軽くジョギングを始めたとたん、体中の余分な肉のだぶつきを感じる。特に背中とお腹。

今日で三日目。体重は79キロ、ショック!なんと増えている。さて、今後の効果やいかに。

 

ナイト君、よろしくね

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もっと優しくしていたらと後悔しないように

2015年10月26日 | 生き方について考える

夜、眠るとき「今日、あの時あの人にもっと優しくしていればよかった。」とか、「今日、あんな言い方しなくてもよかったのに。」などと後悔することがある。

相手は、家族だったり、友人だったり、同僚だったり、通りすがりの人だったりする。

病理医は患者さんと接することが少ないが、病気の説明をすることがあり、その時の患者さんであったりもする。

社会で生きている以上、日々人と接していれば、こんなことの連続で、いちいち気にしていたらどうしようもないのかもしれない。

そもそも人のことなど気にすること自体、無意味なことかもしれない。

でも、人間、自分のことしか考えていないようだが、それはことと次第による。人間にとって大切なのは人とのつながりであり、自分の存在を認めてもらうことだろう。だから、他人の目から見た時に、自分がそういったことをしてもらうにはどうしたらよいかを考えなくては、自分の存在を認めてもらうことはない。

自分が人間として存在していく為にするべきことの一つが、人に優しくすること、意地悪をしないことではなかろうか。

それは、家族であっても、友人であっても、同僚であっても、仕事上のお付き合いの相手であってもだ。

 

眠るとき、優しくしなかったこと、意地悪をしてしまったことで、後悔することが無いよう、日々心がけていきたい。

 

思いやりの表現方法

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木枯らし一号

2015年10月25日 | 日々思うこと、考えること

朝からつよい北風が吹いた。

10月半ばから11月、西高東低の気圧配置になった時の北よりのつよい風(風速8m/秒以上)を木枯らしと定義するそうだが、まさに今日の風は木枯らし1号とのことだった。

散歩に出かけたら、落ち葉が舞っていた。気がつけば桜の木はほとんどの葉が落ちていた。

秋はどんどん深まり、鎌倉もいよいよ紅葉が楽しみな時期となってきた。鎌倉の紅葉は11月下旬から12月中旬までが見頃だ。

 

空が澄んで富士山もよく見えた。

 秋の観光シーズン本番

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体を意識して生きる

2015年10月24日 | 日々思うこと、考えること

健康なとき、自分の体を意識することはほとんどない。でもいったん体のどこかが傷んでしまったら、自分の体の存在というものを否応なしに感じるようになる。それが急な大怪我だったり、大病だったりしたら、もう大変なことだ。

そう考えると、自分の体というものを意識しないでいることができるというのはとても恵まれた状態にあるということだ。不肖コロ健、今日のところは自分の体を意識するようなことはない。だが、全くの健康体というわけでもない。手足の関節はギシギシするし、虫歯もありそうだ。少々胃も痛い。体の隅々までを意識すればそのようなところはいくらでもある。普段から、こういう体の小さな不具合を注意しながら生きていけたら、いざというときにもそうあわてずに済むように思う。

全く何もないというのであれば、自分の一挙手一投足を意識するのもいいだろう。グーパーを意識的するというようなことも良いだろう。

丁寧に生きる

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プロの仕事というもの

2015年10月23日 | 生き方について考える

病院近くの公園のバラの花壇。今年も秋バラが見事に咲いている。

2ヶ月ほど前に、バッサリと剪定しているのをみて、この秋冬は見ることはできないかと思っていたら、全く違った。プロの仕事というのはすごいものだ。

剪定を見た時、これほどまでにはできないと躊躇した私の庭のバラも咲き始めたが、なかなかこうはいかない。素人には技術も時間もないので致し方ないことだ。

さまざまな情報が簡単に得られるようになって、だんだんと”素人”が生き残りにくくなっている。昔だったら、近所の“○○上手”みたいな人に頼むようなことがあったが、今はプロとのアクセスが容易になってきて、LINE などを使えば比較的容易に仕事を頼むことができる。料金だってそれなりに比較できる。

だが、プロにはそれなりの責任がある。最低限やれること、やれないことというのを明示して仕事を受ける必要がある。すべてをオープンにすることは依頼主にとっても、本人にとっても幸せだ。だから、フォルクスワーゲンとか、横浜のマンションの手抜き工事のようなことはしてはいけない。天網恢々粗にして漏らさず、は当然だが、バレて困るようなことはしてはいけない。それが、プロ、すなわち職業人だろう。

私もそれなりの仕事に携わっているわけで、人ごとではない。

 普通にやっていればいい

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ナイトのボランティア歴

2015年10月22日 | 犬との暮らし

 昨日、フラットコーテッドレトリバーのナイトが、老人ホームを訪ねた。夕食の時、その話となり、ナイト(もちろん妻も)のボランティア歴がもう4年にもなるということを妻から聞かされ、私も子供たちも少なからず驚いた。2歳の時から月にほぼ1度のペースで、ほかのボランティア犬たちとともに老人ホームへ行き、入居者やデイサービスで来ている人たちと接する(『ナイトの仕事』2013年11月23日)。行くごとに、認知症の程度が進んていたり、亡くなったことを聞かされたりするとつらいこともあると言っていたが、妻も頑張っている。

 お年寄りにも、いろんな人がいてそれぞれ反応が違うようだが、飼い主ともどもおおむね歓迎されているらしい。もちろん犬嫌いの人はそんな場には出てこないだろう。

 慰問の日はナイトもずいぶん疲れるらしく、昨夜もいつも以上におとなしくしていた。妻によると、たくさんのお年寄りとの交流はとてもエネルギーを奪われるそうだ。

 それにしても4 年とはずいぶん続いたものだ。ナイトも(妻もだが)ボランティアグループの中では中堅どころとなってきたとのこと。これからもせいぜい頑張って、多くのお年寄りのお役に たってほしい。

 

 ナイトももういいおじさん

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ブログのタイトル自動生成機能

2015年10月21日 | 電脳化社会

gooブログには昔、『トラックバック練習板』(っと、また、板を帳と間違えた)というのがあって、ブログを始めた頃、それこそ”お題”に困ったときには助かった。いつの間にか終わったが、今度は装いもあらたに、”gooブログ『お題』投稿キャンペーン”が始まった。毎日あれこれ考えても、それにタイトルをつけて文章にする、というのはなかなか大変な作業で、今度の”お題”シリーズがいつまで続くかわからないが、ついつい甘えて参加してしまう。

ブログであったらいいなぁと思う機能は?といわれたとき、「タイトルの自動生成」というのがあれば、ずいぶん上位に来るのではないかと思う。もちろん、誰でも共通の普遍的なものでもいいが、これまでの私のブログ、この『こんきも』の傾向を分析し、中でもアクセス数の高い記事を抽出し、そこからコロ健専用のタイトル、すなわち”お題”を生成する。

毎日、これにしたがって書いていれば、アクセス数は右肩上がりとなるし、何も考えないでいいし、といいことずくめのように思うのだがどうだろう。Googleの検索機能などを考えたら、来年あたりにはできてしまいそうな話しだ。だが、それはこちらから願い下げとさせてもらいたい。

こんきもは、コロ健の日々の心の記録であって、なにか一つの主題があってのブログではない。だから、”お題”を頂戴して、日々思い悩むことを書き綴ることができなくなっては、私にとって意味がなくなってしまう。

これから先もスランプは来るだろうけど、なんとかかんとか自力で続けよう。

決して、この”お題”企画が悪いということではない。

 

 安易に頼らないように

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秋の夜明けもまた美しい

2015年10月20日 | 日々思うこと、考えること
夜明けの空は春にかぎらず美しい。

今朝、起きたら日の出前の太陽が、雲を赤く照らし出し、空がうす赤く染まっていた。

見事な朝焼け。

春はあけぼのと、古来春の明け方の美しいことがいよくわれるが、どうしてこの秋の明け方の空も負けず劣らず美しい。

病理医たるものこのような景色を言葉に表してこそどれだけのものかと思うのだが、あまりの美しさは残念ながら不肖コロ健言葉にできない。

南の空など、まるで虹がかかったようだった。

写真ではあまりよくわからないのが残念だけど、寝ぼけまなこには全くそう映った。

そのまま夜が明けていくさまをずっと見ていたかったが、朝の貴重な時間をそんなことでは潰せない。

顔を洗い、ひげを剃り、髪の毛をなで付ける。

コーヒーメーカーをセットしたら、犬の散歩に出かける。

海まで行きたいところだが、そんな時間などもとよりない。

ただ、鎌倉湾は東に山があるので、水平線からの日の出というわけではないから、などと思いつつ、空の広いところをさがしながら近所を歩いた。

今朝の日の出は5時51分だったとのこと。

散歩から帰ってきたら、いつもの朝の空の色になっていた。

3枚目の写真は6時。

ケヤキの向こうに太陽が見え、雲の輪郭はもうくっきりとしていた、

こんきものこれまで書いたものの中で、よく覚えている記事の一つに、『春一番、というか大嵐(2013年3月1日)』というのがある。

その時、夜明けの時間の表現についてコメントをいただいた。

それ以来、この時間のこの空は何、と考えるようにしているが、刻々と変化する夜明けの空をそれぞれ表現するのは難しいようだ。

昨日の続きではないけれど、あれからもう2年以上経っているのかと思うと感慨深い。

 秋は夕暮れだけど、気づいたときに日は沈んでいる

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何もしないでいても時間は無くなる

2015年10月19日 | 生き方について考える

今年も残すところあと二月半。いつも思うが、時間が過ぎるのはあっという間だ。生きるということが、時間とともにあることなので、これらを別々に考えることはできない以上、仕方ない。生きるということは失うことだ。

少なくとも、時間というものは放っておくとどんどん無くなってしまう。

生きるということと同じ、何もしないでいるとそれは無くなってしまう。

今年の場合、いろいろあって落ち着かない時期があったが今はもうだいぶ落ち着きつつある。結構大変だった時期というのをどう捉えるかも難しい。手入れのしようがあったのか、なかったのか、その時期は無駄だったのかどうか。その時期というのを人生に置き換えると、どうか。

その期間の人生は無駄だったのか。

となると、人生無駄なことなど一つもない。という、根本原則に立ち戻り、その時期も無駄ではなかったということになる。

少々ぼんやりしていたばかりに、やらなくてはいけないことがたくさん残ってしまったが、これまでを悔いても仕方がない。

何度でもやり直せばいい。今から、そして生きている限り。

 自分を手当てしよう

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鬼とプレモル

2015年10月18日 | 日々思うこと、考えること

ビールはあれこれ飲む。普段よく飲んでいるものとなるとその時々変わる。もう30年以上飲んでいれば当たり前だ。

キリンビールが当たり前の頃から、スーパードライ全盛の時代になって、キリンビールの迷走がはじまって、と。学生時代はやっぱりスーパードライだったか。結婚してからは一番搾りと半々。一時期はサッポロも飲んでいた。と、美味しいビールが出たら出たでそれなりにいろいろあった。

よく飲んでいるというより、お気に入りのビールがある。

サントリーのプレモルとインドの青鬼。

インドの青鬼というビールはヤッホーブルーイングというところが作っているビールで、苦みがいい。

あるとき、妻がみつけてきて飲んだら、この苦みが忘れられなくなってしまった。このビールを置いてある店が限られているので、なかなか手に入らないが、目についたときには5、6本買っている。

新モルツが”また”出たが、プレモルの味にはおよばない。同じサントリーなのにと考えるのは素人だからか。

値段の違いが味の違いになるということを実感する。

新しいモルツよりは一番搾りとか秋味の方が美味しい。

箱買いのほうが得なのはわかるのだが、買い置きしておくスペースを考えるとせいぜい一ダースぐらい。

たまには外国ビールを一、二本買って飲むのも悪くない。

 犬に飲ませてはいけません

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天は二物も三物も

2015年10月17日 | 日々思うこと、考えること

人間というのは、どうしてこれほど不公平な存在なのだろうかと思う。

テレビを観たり、新聞を読んだりすると、才能にあふれた人たちが様々な能力を披露している。

もちろん、才能だけで世に出ることができるわけはなく、才能ある人たちのなかでの競争があって、それを勝ち抜かなくてはいけないのはわかっている。

うらやましいとか、そういうのではない。この不条理さを受け入れることが、人生の目的のような気がする。

受け入れることができたところから、人生が始まるように思う。

人間誰しも不条理に生きていることを知れば、不条理さを受け入れることはそう難しくない。

それは決してあきらめ、とかそういうものではない。ただ単に、そういうものなのだ。

 そこから進んでいこう

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