こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

久しぶりに逗子の花火見物

2024年05月31日 | 鎌倉暮らし
また、大雨。
今度は台風1号に伴うものらしい。
つくづく日本という国は水に恵まれたところだと思う。

花火大会はごく普通に行われるようになっていて、去年は都内にある娘のマンションから隅田川の花火を観た。
昨晩は逗子で花火大会があり観に行った。
逗子の花火大会へ行くのは久しぶりだ。
車ででかけどこかのコインパーキングに停めてから、海岸まで歩いて行こうと思っていたらどこも”満”の表示。
逗子なんて田舎の花火大会だからとたかを括っていたらとんでもなかった。

葉山に大きな駐車場のあるスーパーがあるので一縷の望みを持ってそこまで行ったが、やはりダメ。
もう諦めようかと思ったところで、その先に森戸神社のコインパーキングがありそこに車を停めることができた。
思いの外の穴場で海岸近くまで行ったら、人はそう多くなく、地図で調べると逗子海岸から2キロ余りで、花火は葉山マリーナ越しによく見えた。
子供たちが昔遠泳で森戸から逗子海岸まで遠泳で泳いだことを思い出した。

海は穏やかで、そよ風で煙が程よく飛ばされ、花火の影が海面によく映えていた。
残念ながら音楽は聞こえてこなかったがそれこそのどかな花火見物ができた。

帰りの道は少し混んでいたが、夏の海水浴シーズンと同じ程度で馴れたもの。
戦々恐々として家のドアを開けたらアンが飛び出してきて妻に飛びついていた。室内は出掛けた時のままでおしっこなどもしておらず、良い子で留守番してくれていたようだった。
それにしてもよく降られなかった

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病理診断科ー放射線科合同歓迎会

2024年05月30日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今日も天気は良い、稜線がはっきりくっきりしている。
湿度も低くて清々しい。

昨夜は今度病理にきた新人と、放射線科にきた新人二人合わせて三人を歓迎する会を開いた。
私の勤め先は専門病院なので、とても狭い領域を深く極めることになる、そういう点で、この分野に入ってくる若者は貴重だ。

なぜ病理診断科と放射線科かというと、どちらも診断学がメインの業務ということと、病院の縁の下の力持ち同士ということ。
実際、診断に際しては放射線科の先生に画像所見を聞くことは多い。
逆に、放射線科の先生が結果(病理診断)を聞きにくることも多い。
一見、関係が無いように見えても案外繋がりがある。

といっても、病理診断科に比べて放射線科はメジャーで一般の人もよく知っているので、なんとなく羨ましい。

支払いはあちら(放射線科)の部長と私とで持ったのでだいぶの出費になったが、飲み会自体が減っているのでたまにはいいだろう。
若者はいいね

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顔を洗って出直してこいといわれた首相はそれでも立ち直るのか

2024年05月29日 | 日々思うこと、考えること
台風一過のような静けさ。
昨日の大嵐でわが家の鉢植えもずいぶん吹き飛ばされてしまっていた。
出勤前に、アン(犬)の散歩をしたら大量の落ち葉で、掃き掃除をしている方が多くおられ、挨拶しながら歩いた。
カラッとした暑さになるというが、朝のうちは蒸し蒸ししていて気持ちが悪くなった。

自民党は政治改革法案が依然としてまとまらずにいる。
先日、衆議院予算委員会で岸田総理は、自民党の政治改革案を、かつて故安倍晋三元首相との党首討論で総選挙を受けて立って華々しく敗れた立憲民主党の野田佳彦元首相に、  

「顔を洗って出直してこい」 

と批判され、完全に炎上していた。
その後、総理総裁に恥をかかせてはいけない、もしくはこれ以上答弁させては火に油を注ぐことになると考えたのか、下の若手議員が出てきて、余計に下手くそな対応をしていた。
とにかく裏金を確保したいと考えているのかもしれないが、自分たちだけは当選すると思っているのだろう。
とんだ正常バイアスだ。

議員個人個人が悪いわけではないが、自民党そのものがダメなわけで、そこに異議を唱える人が見えてこないのが残念だ。
野党も反自民として一枚岩になれないので、結局自民党政権は続くのだろう。
それにしても毎度毎度不祥事ばかり、政治にまつわることは古今東西こんなことばかりだと思うが、残念としか言いようがない。

岸田さんが何をどう考えているのかわからないが、にっちもさっちも行かなくなっているのは間違いないだろう。
果たして立ち直ることはできるだろうか、それともそこは政治家厚顔無恥にあらゆる批判嘲笑を乗り越え、秋の自民党総裁選挙に臨むのか。
期待してはいけない

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夫婦を維持するには互いの健康が何より大事

2024年05月28日 | 家族のこと
台風1号と梅雨前線の影響があるのだと思うが朝から大雨。

今日は妻の誕生日。
元気で迎えてくれてよかった。
最近は私同様ちょっと物忘れが出てきているが、大きな病気も数年前に1度患っただけでその後は元気だ。

夫婦という単位がどうあるべきかは、カップルによって違うから千差万別だと思う。
私のところはたまたま異性婚で、たまたま長く一緒にいる。

同性婚が悪いわけではないし、別に長く一緒にいる必要はない。
そもそも婚姻という制度があるから、それを盾に権利とか義務が生じてしまい、恋愛の自由が失われているような気がする。
何度もくっついたり離れたりする人も少なからずいて、そういう人たちを否定することもできない。
離れる理由などいくらでもあって、これは正しくてこれは間違っているというのもない。

結婚など、当事者同士が勝手にしたらいいように思うが、その様態は憲法によって定められている。

憲法第二十四条
  1. 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
  2. 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
解釈は色々あるだろうが、夫婦は平等であるということが基本である。
従って、少なくとも日本では結婚は夫婦平等なものだ。
金銭的な部分を私が負担し、家事育児を妻が負う専業主婦体制をとっているわが家は妻と私が平等かどうかはわからない。
というよりは、これは正しい夫婦の在り方というようなものはそもそもないので、これも一形態だということになる。
できたらこのまま続いて欲しいと思っている。
夫婦であることを維持するには互いの健康が何より大事なわけで、妻にはまだまだ元気でいてもらいたい。
おめでとう

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身動きがとれないでいる世界

2024年05月27日 | 日々思うこと、考えること
台風1号の影響なのだと思うが、強い南風が吹いていて、さらには湿度も高く、蒸し蒸ししている。
朝は北朝鮮が人工衛星を打ち上げるというアナウンスからはじまった。
またか、と思うが、ICBMの開発と考えたら身の毛がよだつ。

今、世界はこう着状態にあるようにみえる。
ウクライナが頑張っているのは大したものだと思う。
一方の勝手に攻め込んでいるロシアは経済制裁に対しても根を上げず、攻撃の手を緩めていない。
イスラエルによるガザ地区への攻撃も人道問題との間で決定力がない。
何よりハマスが人質をとったことに端を発しているのだから、人質が解放されなくては話は前に進まない。
イスラエルによる攻撃の意味はわかるが、ハマスの声明がわからないので何をどう考えたらいいかわからない。

日中韓3カ国の首脳会談が開かれているそうだが、有意義な話はできるのだろうか。
そもそも何をもって有意義というかがわからないので、結論を導くのは容易ではない。
日本と韓国は現状維持を求めていると思うが、中国は日韓そして台湾が仲良くするのは嫌だろうから、間を裂くためのことをするかもしれず、予断を許さない。

翻って日本国内は、というと自民党の甘えの政治と、各種凶悪犯罪の頻発が続いている。
ただ、昨日の静岡県知事選挙で野党系候補が勝利したというから、政治改革が少し進んでいるのかとも思う。

大相撲で大の里が優勝した。
久しぶりの横綱誕生と思わせてくれる大器で、これまた膠着状態にある相撲界を変革してくれることを期待している。
よく乗り越えた

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犬生は人生よりもずっと過酷

2024年05月26日 | 犬との暮らし
それでも今日は適度な湿度の適度な風が吹いていた。
横浜で用事があるからといって帰ってきていた息子が朝早く出てゆき、そのあと散歩にでかけた。
やっぱり犬がいるがいるとよく歩く。

散歩ができるようになって行動範囲がひろがった。
大谷のドジャースが4連敗になったのを見届けてから、横浜ベイサードマリーナへ。
ここは犬も入って良いので一緒に行ける。
たくさんの人を初めて見てアンはちょっと驚いているようだった。
帰りの車の中で、妻が、
 
 山奥の人より犬の方が多いようなところから連れてこられて、こんなにたくさんの人間がいるところ。
 アンもびっくりしているでしょうね。

と言っていた。
たしかにこれが人間だったらずいぶん過酷な話だ。

だからこそ一旦引き受けた犬は大事にする。
動物愛護は当たり前

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犬はペットか家族か

2024年05月25日 | 犬との暮らし
昨日お散歩デビューした、フラットコーテッドレトリバーの子犬のアン。
犬も歩けば棒に当たるで、人も犬も知り合いがどんどん増えている。
私が若かった頃は犬といえば、鎖に繋いで番犬にするのが定番だったし今でもそれが大勢だろうが、”室内犬”というジャンルが市民権を得てからは、鎖に繋いでおくなんてというような雰囲気だ。

我が物顔で家の中を走り回るアンを、いまさら鎖で繋ぐのもどうかと思うし、それでは災害があった時に逃げられない。
時代が変われば考え方も変わるというが、犬の飼い方一つだってそうだ。

犬はどこまでペットでどこから家族なのか。
それにしても、一旦飼い始めるとめんどくさいのだが、かわいい。
一体これはなんなんだと思いながら毎日が過ぎてゆく。
これは時間の無駄か

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ちかごろ相次ぐ訃報に接し

2024年05月24日 | 日々思うこと、考えること
まずまずの晴天。
子犬のアンが4時半ごろに起き出してきた。
彼女も寝ぼけていたので、6時ごろまで2度寝した。
昨日、狂犬病のワクチンを打ち、散歩もOKということになり、今朝初散歩に出かけた。
すぐに何頭かの散歩する犬とすれ違ったが、ナイトやコロの時代の犬はどこにもおらず、アンも含め私たちはまるっきりの新参者になっていた。
犬の一生はせいぜい15年、人間の寿命から見ればあっという間に10年20年分が過ぎていることになるのだから、当然と言えば当然だ。

著名人、有名人という人の訃報が連日のように流されているが、中にはそれにどれほどの価値があるのだろうかと首を傾げたくなるようなものもある。
その人が活躍していた分野に興味がないからだが、では意味のある訃報とはどんなものかと考えるとこれまた適切なものは思い浮かばない。

いわゆる現役の人の場合、現場や関連するところへの影響もあるから、亡くなったこと自体がニュースとして重要性があるものの、その組織の中には必ず”代わり”がいて、組織自体は存続するから問題はないということになる。

芸能人の場合、たいていは旬を過ぎているので、その人のファンか懐古趣味の人以外は興味を持たないし、すでに引退している政治家は必ず失敗をした過去があるからその人を礼賛するような訃報に興味は持ちにくい(注;成功を収めた政治家がいたとしたら今全ての人が幸せである)。
その点、芸術家は生涯現役の人が多く、惜しまれて亡くなる人も少なくない。ただ、物故作家作品などといって亡くなったから値段が上がるという、訃報を待っていたかのようなこともなんだか切ない。

注意しなくてはいけないのは、マスコミが訃報を情報操作に利用するということだろう。
紙面、電波を割いてまで報道するからには、政治勢力、スポンサーの意向を忖度しているという一面必ずあって、それによって社会がどのような影響を受けるか、自分の考えがそれに流されてしまわないか、ということを確認する必要がある。
もちろん、これは訃報に限った話ではない。
ジョン・レノン

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最近また本を読むようになった

2024年05月23日 | 読書、映画、音楽、美術
フラットコーテッドレトリバーの子犬のアンのしつけで四苦八苦している。
昨夜はクレートに入れて寝たら、夜中に出せ出せと啼きだし、結局こちらが折れて出してやった。
生後4ヶ月の子犬をどう躾けたらいいのかむずかしい。
同じフラットのナイトは、わが家に来た時はすでに6ヶ月近かったし、なにより先住犬だったマルチーズのコロが躾けてくれたのでだいぶ助かった。
犬は集団生活が基本なので、私たち夫婦と一緒にしてあげるべきなのかもしれないが、それはそれで問題も生じる。

最近、本をよく読むようになった。
読書メーターで確認したら、昨年は年末に1冊読んだだけで、一昨年も似たようなもので、過去2年間ほぼ読んでいなかったようだ。
読書が途絶えた理由の第一は2022年の12月にあった分子病理専門医試験のせいだ。
この歳になってからの資格試験の受験は厳しい戦いが予想されたし、精神的にも2度は受けられないと背水の陣を取り、当然のことながら読書も封印した。
試験が終わってからも読書を忘れてしまっていたようだったが、

 このまま名作と言われる作品を読まずして死んでいいのだろうか

という考えがふと頭をよぎり、再び本を手に取った。

私は読書家というほどの本読みではない。
そもそも、なんのために本を読んでいるのかもよくわからないできた。
ただ、以前にも何度か書いているが、読書は心の栄養補給だということ。
論文を読むのは知識の補給だが、文学作品は心に滋養を与えてくれる。

私の心に滋養が入っても、人間的な成長はほとんど見られないが、ブログを書く時は登場人物の心模様が参考になる時がある。
肥料をやって花を美しく咲かせるのと同じで、心に滋養を与えたら少しはマシな文章も書けるような気がするし、滋養が枯渇してしまったことを心がSOSとして発信して知らせてくれたのかもしれない。

どうでもいいことかもしれないが、できたら、○月の読書記録が定期的に復活できたらいいと思っている。
その読書記録の日のエントリーには、リアクションがあまり付かないが、そんなことはもう気にならなくなっている。
立体的に読むようになった

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どこまでが大目にみてよくて、どこからはダメになのか

2024年05月22日 | 生き方について考える
今日も薄曇り。
昨日ほどは暑くならないそうだ。
またまたエントリーをアップし忘れて、今日のこのブログを書こうと開いたらおとといのエントリーがトップにあってそのことに気がついて急いで先ほどアップした。
日付が昨日の夜11時になっているのであまり多くの人には気がついてもらえないだろうが、仕方ない。
それなりになるほどということを書いているので、もしよろしければ昨日のエントリーもこの後読んでいただければ幸いです。

このごろこの間の盗撮犯取り逃しの時に痛めた左薬指の痛みがやっと引いてきた。
1ヶ月以上経つので全治2ヶ月の負傷ということで結構なことだったことになるが、だれにも評価されない。
犯罪の被害に遭うとか、それを防いだり救ったりとかそういうことはずいぶん割に合わないことで、犯罪には巻き込まれたくないものだ。
それにしても犯罪を犯す人間というのはどうして自分のことしか考えなくなってしまうのだろうか。

どういうきっかけで犯罪者になるのだろうか。
手口がわかっていたから特殊詐欺の被害を未然に防ぐことに貢献できたのかもしれない。
それまでにすでに悪事に手を染めていたかどうかはわからないが、良心というか正義を守ろうという気持ちはどこかにあって、”それとは別の次元”で犯罪を犯したのだろうか。

私だって、いつ邪念に支配されるかわかったものではないと思う。
そもそも邪念の範囲だってよくわからない。
人それぞれだし、それぐらい大目に見てよ、という大目ですませる人もいるだろうし、それはちょっと針小棒大というようなことが当たり前の人だっている。

人を一人二人殺したところで、戦争で人を殺すよりはよほどマシ、と本気で考えている人はいるだろうし、それとこれとは別という人もいるだろう。
この間のナントカりりちゃんなんて、恋愛感情につけこんだ詐欺をしたと裁判にかけられているが、美人局に始まりロマンス詐欺、ホストへの入れあげとか何がどれだけ犯罪になるのか線を引くのは簡単なことではない。

ちょうど今、NHKの連続テレビでは女性法律家が主人公の話をしている。
見ていると法律というものは自分目線で利用するものなのだと感じるが、確かにそうだし、では法律が絶対に正しいかといえばそうともいえないのは当然だし、それを簡単に変えるわけにもいかない。

法律に頼るのは当然、というかやむを得ないこととして、それより何より大切なのは、まず、自分が間違ったことをしないということが生きてゆく上での大前提となる。
自分に嘘をつかない

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言葉のオブラートで物事の本質を隠してはいけない

2024年05月21日 | 日々思うこと、考えること
朝のうちは霞がかかっていたが、出かける頃にはそれはすっかり消えてさっぱりした空になっていた。
昨日の天気予報で、”暑さの質が変わってきました”と言っていたが、いよいよ蒸し蒸しの暑さがやってくるのかと思うと、うんざりする。

相変わらずあちらこちらで凶悪犯罪が起きている。
その犯人の人となりを報じる報道で、知り合いという人などが、

  小学生の頃はおとなしくて目立たなかったけど、中学に進んでからはやんちゃになってましたね

などと答えているのをよく聞く。
この、やんちゃ、という言葉だが、本来小学生低学年までの子供に使うべき言葉だ。

飲酒、喫煙、カツアゲ、万引き、そんなのをするような中学生、高校生を表現する場合は、ぐれちゃってとかすっかり不良というようなより具体的な表現をするべきで、やんちゃなどという言葉を使ってはいけない。

やんちゃという言葉は、子供であることが前提であるから、なんとなく愛らしいイメージがオーバーラップしてくるが、そんなことは全くない。
言葉は正しく使わないと物事の本質が見えなくなるわけで、物事をオブラートに包んでいるようなものだ。

それにしても、やんちゃ、の誤用はいつから始まったのだろう。
2、30年前にはそんな使い方をしている人がいたのは確かなのでそのあたりか。
いまさら元には戻らないだろうが

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それぞれのところでそれぞれの人がいろいろ頑張っている

2024年05月20日 | 日々思うこと、考えること
午前中は大雨。
休みをとって来年2月に開催する学術集会の準備のために銀行口座の開設をした。

そもそも学術集会のお世話なんて引き受けなければよかったのだが、なんとなく流れでこうなった。
小さな学術集会なので大したお金が動くわけではないがこんな口座一つでも多くの人が動いていると実感する。

学生時代はそんなことあまり考えたことなかったし、医者になってからも誰も彼もがお膳立てしてくれているところで、仕事(私の場合は用意された標本を診断)をするだけだった。
上げ膳据え膳ではその準備をしてくれている人のことに気が回らないというか、そういうことが見えていなかった。
医者なんてずいぶん楽なもので、世間知らずだ。
こういうことが尊大というか、感謝の気持ちを持たない、そんな人が多くなってしまうのかもしれない。
それは私だけ?

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今日は1日寝て曜日

2024年05月19日 | 日々思うこと、考えること
1日中小雨が降ったり止んだり。
鉢植えのオリーブが満開。
可憐な花が良く見ると美しい。

なんだか疲れがでたのか、今日は1日寝て曜日。
市内の商店街ではボーダーの日というイベントが開催されていたそうだがそれに行くのも億劫だった。
フラットコーテッドレトリバーの子犬のアンとゴロゴロしていた。
大リーグ大谷翔平のことをここであれこれ言っても今さらだが、書き留めておきたいことがある。
人間として当たり前のことをしているだけだが、それがどれほど多くの人の尊敬を集めるか、それが世界共通であることを如実に示している。

 仕事にまじめに取り組む。
 仕事のためのトレーニングを一生懸命する。
 余裕があれば社会貢献をする。
 礼儀正しくする。

あげたらキリがない。
どれも当たり前のことだが、それができることが人間として大切。
このところの報道を見聞きしてそのことを実感する。
スーパースターである前に一人の当たり前の人間。
そんなことを教えてくれたのが大谷翔平、どこまで素晴らしい人間なのだろう。
当たり前にいよう

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物価高を実感

2024年05月18日 | 日々思うこと、考えること
今日はさわやかないい天気。
のんびりすごした。
午後になってコストコに買い物に行ったらどれも値段が上がっていてびっくりした。
値段が上がっているのはもとより、どれもお決まりのステルス値上げも。
容器のサイズダウンはもとより、形も変わっている。

コストコでの買い物はどうしても多くなってしまうが、こんなにスケールダウンしたら、普通のスーパーで買うのと同じになってしまうんじゃないかと、不安になる。
これで育ち盛りの子がいたら

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緑生い繁る国とそうでない国の住民の意識の違い

2024年05月17日 | 日々思うこと、考えること
気持ちの良い朝。
気温は上がるが湿度は上がらない1日になるようだ。
今日はジャケットを羽織って来なかった。
欧米式だと、ジャケットを着ないのは下着でいるようなものだ言われるが、日本の夏はそんなこと言っていられない。

昨日、少し年上の病理医と世間話をしたら、面白いことを言っていた。
まずは、新緑の話をして、日本というところがいかに水と緑に恵まれているかということから始まり、それに比べると欧米は緑も水も日本とは違うからという比較になった。
日本にしても東南アジアにしても、水と緑が豊富にあり、わざわざよその土地を求めなくてもいい。
それに比べてヨーロッパの緑はこういったものとは異なるという。
たしかに、北欧は針葉樹林だし、フランスもこんなに雨は降らないし、南欧はオリーブばかりのような気がする。
だから、色々なものを獲りに他所に出かけて行ったのが大航海時代だったのだろうと。
そして、他国の土地を分捕ることも。

 日本人て、世界征服を考えたことはないんじゃないかな

秀吉にしても、あれは戦国時代の終わりに武士の食い扶持がなくなってしまうからやったことだから、目的が違う。
中国にしても、基本的には国内に軸足を置いておき、そこから世界に出て商売をするのが基本的なスタンスだ。
その最たるものがロシアへの支援という名の商売だ。

通信機器、移動手段が発達してグローバル化が進んでしまったので、必ずしもこれまでの考え方を当てはめることはできないが、古くからの”傾向”みたいなものは保たれているだろう。

それにしても車窓から見える緑は日を追うごとにどんどん濃くなってゆく。
雑草も嫌というほど出てくるが、冬になれば枯れて肥やしとなって未来へと繋がってゆく。

こういう自然を享受している日本人に欧米や中東の人の考え方をしろと言われても、それは頭では分かっていても実行するのはなかなか難しい。
むしろこういう考え方を世界平和に生かしていくことはできないだろうか。
水と緑に感謝

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