こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

楽しい思い出と友情

2020年06月30日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
この病院に異動してきてからの9か月、実にあっという間だった。骨を埋めようと思ってやってきた職場での新生活は、私の人生にとってインパクトの大きな出来事とともに過ぎている。まずやってきたのは、愛犬フラットコーテッドレトリバーのナイトとの悲しいお別れ。それに続いては言うまでもなく、新型コロナウイルス(COVID-19)感染症、そしてやっと心のわだかまりが消えてきたと思えてきた父が85歳で亡くなった。なんと、息子の入籍もあった。考えようによっては、こんなに大きなことが次々とやってくるという環境の激変があったからこそ、新型コロナウイルス感染症がもたらした”新しい生活様式”に適応することができたのかもしれない。それにしてもこれほど多くのことがわずかな間に次々と起こるのを目の当たりにすると、人生一寸先は闇、無事に定年まで働けるなどとは思ってない方がいいかもしれない。

それはさておき、異動の前日、たしか9月30日。荷物を運びこんだ医局の机の上に、ゼリーか何かのプラスチックカップに生けた日日草の切り花が置いてあった。一緒に添えてあったメモには、隣の机の先生の名前があった。仕事の関係で以前より顔見知りの好人物だ。しばらくたってから知ったが、その日日草はその先生がデスクの横で育てているものだった。ちょっとした心遣いだったが、こうしてもらい、もちろんうれしく、何かあったら相談できるものと心強かった。
日日草は次々と花が咲き、そのまま水やりを続けていたら、ひと月ほどで根が生え、鉢に植えたら根がついた。そして今ではこんなに立派になった。これまでは日当たりのよい医局の机で育てていたが、今週は仕事部屋に持ってきた。小さなつぼみが数個付いているので、今週中にあと2、3個は咲くのではないか。

日日草の花言葉は『楽しい思い出』と『友情』。次から次へと花が咲き続ける姿と、友達同士で集まって和気あいあいとしている様子を重ね合わせてうまれたものだそうで、確かに見ていると前向きな気持ちにさせてくれる。この9か月、悲しいことはあったけど、それは楽しい思い出があったからこそのこと。今、『楽しい思い出』を日々積み重ねていることが出来ているとすればそれは『友情』のおかげだろう。可憐な白い花を見て、私はもっと周りの人に感謝し、その気持ちを忘れずに持ち続けなくてはいけないと思うのだ。
大病はしたくないなー

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梅雨の晴れ間には日を浴びて

2020年06月29日 | 日々思うこと、考えること
梅雨の晴れ間。
こんな日は気温も湿度も上がるようだが、今朝は少し湿度が低いぐらいでマスクをしていてもなんとかなった。週間天気によると明日からは梅雨本番で、蒸し暑い日が多くなりそうとのこと。むべなるかな、もうすぐ7月だ。

ところで、私の仕事場である病理検査室には窓がない。いわゆる行燈部屋というやつで、窓があったら診断で疲れたときには、外をぼんやり眺めるだけで気分転換ができるのに、と思うがそれはできない。

病理検査室だけでなく、この病院の検査部門は全部がバックヤードにあって光は届いてこない。一方、患者さんのいるスペースには光が多く届く。午前中、医局に行こうと検査科の暗い廊下の端にある鉄扉を開け外来のスペースに出たら、天窓から明るい光が降ってきた。とてもまぶしく、ルーベンスの絵か何かのようで天使が今にも降りてくるのではないかと思えたほどだった。
せっかくのいい天気、昼休みには病院の建物の外に出て、ほんの少しの間マスクを外して深呼吸してみた。駐車場のケヤキの木の上には青空がみえ、それはもう夏の青さだった。
明るい気持ちで

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“When it rains, it pours.” (降れば土砂降り)

2020年06月28日 | 日々思うこと、考えること
それにしてもよく降るなー。
ハイビスカスを昨日のうちに雨宿りさせておいてよかった。
神奈川県には大雨警報がでていて、とても外に出られる感じではない。

大雨で思い出すのは“When it rains, it pours.” (雨が降れば土砂降り)という英語。大学受験の時に覚えた短文集にあった文。日本語だと泣き面に蜂に相当するということだったが、どうも違和感を感じている。雨が降ること自体、泣き面というほど悪いことではないし、蜂の方が土砂降りよりもよほど嫌だ。
言語による感覚の違いというのは、最終的には抽象的な思考の違いとなって現れる。これに宗教の違いがあったり、気候の違いがあったりしたら余計に考え方はずれてくる。外国人と理解し合うというのはそれだけ難しいことだ。中国や韓国などは地政学的には近所だが、言葉は全く違うということもあり、わかりあうのは難しい。
丸くは収まらない

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ひと月おくれの誕生日プレゼント

2020年06月27日 | 家族のこと
妻の誕生日は先月末だったのだが、父の容態があまりよくなく、プレゼントを用意する時間もないまま過ぎてしまった。その時はバラの苗を一緒に選ぼうと約束したが、父が亡くなりそれどころではないままひと月が過ぎた。

近所のスーパーまで買物に出かけたらなかなか立派なハイビスカスの鉢植えがありその前で妻が立ち止まっていた。妻はバラと並んでハイビスカスも好きなので、誕生日プレゼントにちょうどいいと買い求めた。家に持ち帰ってさっそく鉢増しした。

久しぶりの晴天、とはいかなかったが、薄曇り、やっと雨が一息ついてくれたので、他の鉢植えの手入れなどた。長雨のせいで、枯れてしまった苗もあってやることはたくさんあり、あっという間に一日が終わった。
いいものです

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マスク外して家まで帰った

2020年06月26日 | 鎌倉暮らし
 たまには息子と二人で飲みたいからと、感染対策が十分と思われる店を探してもらった。息子が選んでくれたのはそこそこの人気店らしかった。座席は半分程度にしてあり、ゆったりとしていたが、まあ、本来こうあるべきだろう間隔。カウンター席に並んで座り、食べながら飲みながらあれこれいろいろなことを話した。一家団欒、家族みんなで話すのももちろん大事だが男親でしか聞いてやれないこともある。それにしてもこの半年で外食は何度目だろう。片手で足りるはずだが、残念ながら、その都度感染のことを心配せねばならず、今回もこの先一週間ほどはなんとなく気持ちが悪い。

 そのことはさておき、楽しい時間はあっという間にすぎ、私が鎌倉に帰り着いたのは夜の11時。帰りの電車はとても空いていて、改札を通る人もまばら。雨上がりであったからかもしれないが、街中にはコンビニに向かう人が数人いるだけ。以前だったらそれほど遅いとは感じない時間だったのに、まるで真夜中の様だった。飲んで帰る人がいかに多かったかということだ。私にしても、午前様でもないのに11時に帰るというのが後ろめたく感じられる。少し歩いたところでマスクをとったら、途端に息が楽になった。

 家までの道すがら、連れ立って歩く若者が2、3組見えたが、どの人たちとも十メートル以上離れていたので、互いにマスクをする必要もなく、久しぶりにマスクを片手に持ったまま家まで歩くことができた。

 日常が非日常となり、非日常の中にかつての日常がこんな形で突然現れる。でもそれは控えめで、ひっそりしていた。やがてはこの非日常が新しい生活様式として日常となっていくのだろう。この日常が再び非日常へと変わる日がやってくることはあるだろうか。

フィジカルディスタンス

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分離分断社会がくる

2020年06月25日 | 電脳化社会
医局会があり、3密対策としてオンライン参加併用で行われた。この前のCPCでもそうだったが、メイン会場となる会議室には人数制限をしたうえで人が集まり、それ以外は各自のPCを用いて参加する。それなりに発言もありまずまずの会議だったと思い、私と同じ様に医局のデスクから参加していた先生に「(このやり方も)まあまあだったですかね。」と声をかけたら、「顔を見ながらでないと今ひとつですね。」との返事。ディスプレイ越しに互いの顔を眺めても、”同じ空気”を吸っていないとどうもしっくりこないということらしい。たしかに、今のところは話している相手が誰かを知っているので、顔だけ、声だけ、名前だけでもなんとかなっているが、今の調子で顔を突き合わせてのディスカッションが無くなってしまったら、そう遠くない将来には直接顔を合わせたことのない同僚というのが出現し、お互い科名と名前だけの付き合いとなってしまうだろう。そうなったら、今のようなウェブ会議は成立しない。

そんなことを心配していたら、もう次を視野に入れている企業があった。今朝のNHKニュースで、採用に際して”居住地条件”を廃止するという企業の話で、年にほんの数度出勤したらそれでいいということだそうだ。そうすることで優秀な人材を集めることができる。今ある環境でできるかできないか、ではなく、今できないことは何があり、それをできる様にするにはどうしたらいいか、ということを考える企業というのがこれから生き残っていくことになるだろう。ただ、これは会社内という一つの閉鎖空間内でのこと。これが外につながるとなったらどう対処したらいいだろう。

先日、ある施設との間でウェブカンファレンスを開こうということになっていたのが、いよいよという段で話がつぶれた。もちろん、一番の問題はセキュリティーに関すること、がっかりしたが、仕方ない。医局会でも、カンファレンスをオンラインでどう行っていくかが問題となった。”命に関わる”個人情報が外部に漏れることは”絶対に”あってはならない。どうしたら、行うことができるか、解決しなくてはいけないことは多いが、それ以上に深刻な問題があることが分かった。分断化だ。このような状態が続けば、医療機関同士の意見交換という機会がどんどん減っていく。もちろん、インターネット環境は保たれ、論文をはじめとする医学情報にはこれまで通りアクセスることはできるが、直接の意見交換、ディスカッションの機会というのは減っていく。現に、Web開催されている学会への参加はこれまでとは違った形に変容している。この先にあるのは、それぞれの細分化されたコミュニティーでの交わりかもしれない。

こういったことは、この先社会のすべての領域で起こっていくだろう。会社であればその会社内のみで空間は閉じられるし、一般的な地域コミュニティでもそのようなことは起こっていくだろう。これまでのような、人と人との交わりの濃厚な社会がやってくることはもうないと思って次の時代をどう生きていくか考えていかなくてはいけない。もちろん、新型コロナウイルス感染症は数年のうちに終息へと向かうだろうが、それが3年かかるとすれば、3年のうちに世界は大きく変わる。変わるというか変わった先に次の社会は出現するのだ。そのような流れにあらがう人もいるだろうが、残念ながらほとんどすべての大人がスマホというPC端末を持っている世の中、そのようなことはできない。

今はもう過去

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民度とか品位とか、そんな言葉を口にするときは覚悟をもって

2020年06月24日 | 日々思うこと、考えること
某大臣が、よその国(のたぶん高官)に対し、『おたくとうちの国とは、国民の民度のレベルが違うんだ』と電話で言ったということで物議を醸した(麻生大臣、「他国と比べて日本は民度レベルが違う」発言が物議(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース)。個人的な間柄でのやり取りという側面もありそうで、評価は難しいが、国会の委員会での発言となると揚げ足を取られても仕方あるまい。彼の言いたいことはなんとなくわかるが、それを表すために”民度”という言葉を使ったのは適切ではなかったのではないか。そもそも民度という言葉に対応する英語の単語はなくて、cultural standard とかPeople's degreeと表現される。フランス語でも同じようなもので、どのような言葉で伝えたのかそちらのほうに興味が湧く。記事の字面だけ読むと、日本語でいう”民度の違い”というよりは、その国と日本との国民性の違い、考え方の違いというような意味で伝わった可能性はなかろうか。

家の中では靴を脱ぐ、ハグはもとより握手だってあまりしない、”たまたま”冬の花粉の季節にはマスクをする習慣がある、といったようなことが重なったのが感染拡大を防止した一助になった可能性はある。さらにはお上の言ったことは概ね良しとしてそれに唯々諾々と従う国民性もロックダウンなどという恐ろしい措置を持ち出させずに済んだ(憲法でそれはできないとのことだが)。仮にこういったすべてのことが、新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大防止の役に立ったのだとしても、それだけでこの国のcultural standard とかPeople's degreeが高い、というのはどうなのだろう。それに、それぞれのこと、裏を返せばよくないところもたくさんある。ただ、お上に従順な国民性は為政者にとってはとても都合がいいものであるだろうから、御し易く、「言うこと聞いてくれてありがとう」といったところだろうし、そのご褒美として10万円はある意味妥当な額かもしれない。あと、「みんな絶句して黙るんです。そうすると後の質問が来なくなるので、」というのは、民度の違い、という変えようのない言葉を持ち出すことで自ら対話を終わらせてしまっているのだということに気がついていないわけで、これはこれで政治家としてはいただけない。

民度、とは違うが、品位という言葉も最近よく耳にするが、では品位とは一体何か。その本質的な意味が人口に膾炙しているとは決していえない言葉を使って、聞く人の自己満足感をくすぐるように使われてはいないか。”品位”という言葉、字が簡単なのでなんとなくわかりやすく感じるが少なくとも、自分自身を高く見せるための言葉ではなかろう。品位のある人は他と自分を比較する様なことはしないだろうと思う。それこそが品位ある人の行動だと思う。品位という言葉をむやみに使うと、それこそ品位という言葉が台無しになってしまうかもしれず、注意しなくてはいけない。

民度にしても品位にしても、自分の所属する社会(地域、国)、自分自身にはそういった美点がもともと備わっているのだ、などと思い込んでいると、その集団、個人はある一定の方向に進みかねない。自分は正しいものという思い込みは、正しい人間の行うことは正しい、という思い込みに進んでしまう。この時正しいという判断が、自分が自分に対して行なっているに過ぎないということを忘れてはならない。いつも自分を、批判してくれる人をどこかに求めながら生きていかなくてはいけないし仮に批判されたら真摯(この言葉も最近軽くなってる!)に受け止める。こういった言葉を使うからには、それなりの覚悟がいる。
対話を大切に

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気がつけば4005件

2020年06月23日 | 電脳化社会
gooブログの編集画面の記事一覧というページには、投稿記事(エントリー)数という表示があり、その数字が4004件となっていることに一昨日気がついた。アラビアンナイト4回分。まだ削除していないボツ記事や忘れないようにと書き留めた下書きが15件ほどあるので、実際にネット上にアップしたのは、3990件となってしまうが、まあだいたい4000件前後ということろだ。

キリはいいが、このことをとりあげるのは5000件の時でいいかと一度はスルーしたが、そんなことをしたら、この先毎日欠かさず書いても2年8ヶ月かかる。そもそもあと3年近くも生きていられるかなどわからないし、どこかでスランプに陥って、そのまま書けなくなるかもしれない。普通に続けたとしても、多少波があったら3年4年とかかって、あっという間に還暦をすぎてしまう。仮に順調に書き続けることができたとして、5200件あたりでそのことに気がついて、タイミングを逃して大いに後悔することになる可能性もある。そもそも、件数とかそういったものに興味を失っているかもしれないので、とりあえず書き留めておくことにした。

ブログ開設以来何年、というのはいったん始めてしまえばやがてはその日がやってくる。これに対して、件数というのは一つ一つの積み重ね、書かなくては到達できない。4004件というのはそれなりによく続いてきたと思える記録ではある。野球選手のイチローの4367安打というのはそう考えるとすごいことだ。
私の場合ブログ開始から4754日/4005件で、記事1件に1.2日かけて書いていたこととなる。ちなみにトータル閲覧数(Webサイトに訪れた人が閲覧したページの数)が4432551PVで、トータル訪問数(Webサイトに訪れた人数)は12045465UUだそうだ。今のところこのブログで商売をしているわけではないのでこれらの数字はあまり気にしてはいないが、数が多いのはやはり積み重ねのおかげだろうし、これほどの数の人が、たとえ一瞬でもこのブログを訪れてくれたのかと思うと感慨深い。

この先もせっせと書いていこうと今の所は思っているけど、そもそもそれだけ話題が続くかは心配。これまで自分の身の回りに4000も話題があったというのもよくよく考えてみると驚くべきことだが、それは世の中というものがいかに起伏に富んで多様なものであるかを示していると言える。この先もブログを書き続けることができたとしたらそれは自分の居場所がこの世の中のどこかにあるということで、それは幸せなことだ。その居場所というのは現実世界かもしれないし、バーチャルの世界、それとも、両者の境界領域なのかもしれない。
その頃どうなっているか

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誤字脱字、文の質、書き手のレベル

2020年06月22日 | 電脳化社会
梅雨寒。
日中気温は20度ぐらいまでしか上がらなかったようで、道中往復ともに寒く、朝の気象予報士さんの忠告に従い長袖のシャツを着て出てきてよかった。同じ雨季であっても、東南アジアのそれと違って日本では気温の振れ幅が大きい。

昨日の記事を読み返してみたらひどい誤字があり、慌てて直した。句読点の誤りもあった。少々酔った頭で走り書きの様な記事を書いてしまったが、間違いはいただけない。いつもなら、最低1度は読み返すところ、パパッと書いてそのままアップしてしまった。

誤字脱字があると、なんとなく書き手のレベルというかお里が知れる。ワープロが出現する前、手書きが当たり前だった時代でも誤字脱字はあったが、機械に字の変換を委ねる様になってからはとんでもない間違いが起こる。客観的な事項を羅列するのに機械は有能だが、伝えたいことを書き出すのはあまり上手ではない。病理の診断書も、ときどきおかしな変換をしでかしてくれるので油断できない。
原稿を書いた時には、さすがに何度か推敲してから脱稿するが、著者校正に戻される原稿を読むと思ってもいないところに朱がはいっていて、校正者というのがプロの仕事だということがわかる。学術書の文章校正がAIに取って代わられることはまだしばらくはないだろう。
最近、ネットニュースの誤字が目につく。それこそパパっと文章を打ち込んで、ロクに読み返しもしないでアップしているのだろうと思ってしまう。まあ、無料で配信される使い捨ての様な文章だから、書いている当人にも愛着がなのかもしれないが、あまり低レベルだと読むこと自体疲れてしまうのでそっぽを向かれるだろうから気をつけた方がいい。そういう文章を他山の石とし、私自身このブログでの文章をもう少し大切に、丁寧に書く様心がけたい。
そんなわけで昨晩、おかしな文章を目にされた方にはこの場をお借りしてお詫びします。
今日は大丈夫?

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夏至、大雨、部分日食、父の日

2020年06月21日 | 日々思うこと、考えること
早くに目が覚め、外を見たら夜明けの時間。
朝焼けが美しい日は、天気はくずれるというとおり、一日雨が降ったり止んだり、今日は夏至。
母の所に顔を出した。父の日の感謝を伝えたくても、父はもういない。遺影に向かって手を合わせ、感謝の言葉を伝える。

帰りがけ、改装なったという海辺のアウトレットに寄った。隣接するヨットハーバー越しに見た夕方の空が暗かったのは、また降り出した大雨のせいか、部分日食のせいか。

娘が腕によりをかけて作ってくれた夕食を食べたていたら、父親のいる娘がうらやましくなった。
こちらこそ、ありがとう

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新型コロナ感染症、最近の動向

2020年06月20日 | 自然災害・事故・感染症
あるブロ友さんの記事にコロナうつに関連したことが書いてあり、昨日の、曜日の感覚が薄れている、というのも大きく捉えたらコロナうつに関連しているのかとぼんやりした頭で考えた。とはいえ、新型コロナウイルス感染症のことを考えないわけにはいかないし、正しい情報を収集する必要はある。

私のブログの一番最後に貼ってあるランキングボタンの下には、うつらない、うつさない。私のため、みんなのために。という、厚労省のホームページの中の>新型コロナウイルス感染症について、というページへのリンクが張ってある。最近、ここに記載されている内容の更新頻度が低くなっているように見える。このページのレイアウトがそもそも今一つセンスがないというのと、ただ書類を載せているだけのようなリンクもあって、どこを読んだらいいのかわからない。私も無責任なわけで、今日からはこの一文は削除することにした。
最近、役に立ったといえるのは5月7日の「新型コロナウイルスを想定した「新しい生活様式」を公表しました」で、一番上の行の「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」なんて、37ページもあって、読む人に対して不親切だ。いったい誰に向けて載せているのか教えてほしい。新しい生活様式を公表しました、は一般の人向けだろうが、後者はどう見ても違う。そういうやり方で情報提供をしていていいと思っているのだろうか。

厚労省はさておき、各都道府県の新型コロナウイルス感染症対策サイト、はすっきりしていてわかりやすい。なんといっても各都道府県でほぼ共通の美しいデザインとなっているのがとてもいいし、情報が豊富で有用だ。
全国のものを開いたわけではないが、すべての自治体が足並みをそろえているというのは地方自治体のほうが住民目線でのやさしさを感じる。

米国国立医学図書館が作成する、MEDLINEという文献情報データベースは、最近仕様が変わってまだ使い慣れないが、そのページの一番上には、”COVID-19 is an emerging, rapidly evolving situation.”とあって、CDCやNIHからの情報やCOVID-19に関する論文へアクセスできるようになっている。論文は今日の時点で2万3千、ものすごい量だ。その1本も読まずに、ネットからの耳学問でやっているのはわれながら少々いただけないと反省する。

いよいよ日本の暑い夏を、マスクを着用して迎えることになるが、先が思いやられる。ユニクロ製の機能性マスクが発売当日から爆発的に売れているというのも無理はない。いろいろ探すうちに偶然見つけた環境省と厚労省が共同で出したと思われる‘熱中症予防行動‘の啓発用ポスターが秀逸だった。
新型コロナウイルス、抑え込める方法は見つかったわけだけど、経済的、社会的な理由で抑え込まなければ結局のところ抑え込むことはできず、感染は再び拡大する。わかっちゃいるけど、どうしたものか。

犬も歩けば




いったい今日は何曜日?

2020年06月19日 | 日々思うこと、考えること
昨晩降り出した雨、今朝は土砂降り。気温は低く、肌寒い。帰りもやっぱり寒かったので、薄手のストールを首に巻いて出たらという、妻のアドバイスは正解だった。

それにしてももう金曜日。今週も仕事や社会にはあれこれあった。あんまりありすぎていちいち覚えていられないほどだが、出来事は人間の数だけ起こるのだから、それは当たり前のことか。そしてそれらがいつ起こったのかもわからない。

歳をとると時間が過ぎるのが早く感じられる様になる。新しいものに出会うことが少なくなり、新しい事物に出会うその時々のドキドキ感、感動が減ってしまうことで時間の密度が失われてしまうらしい。歳をとると未知のことにも手を出さなくなるから、余計に時間は早く流れ、変化は乏しくなる。浅学の病理医としては、知らないことだらけで日々新しいこと(知見)に出会ってオタオタしているが、それでも早く感じる。まだまだ修行が足りないのか、怠け癖が顔を出してそう感じさせるのだろうか。伊能忠敬の爪の垢があったら煎じて飲みたい。

時間の過ぎるのが早く感じられるようになるのと同じメカニズムなのかどうかよくわからないが、最近、曜日の感覚が薄れてきている。とくに、火、水、木はよくわからない。今日は水曜、と思ったらまだ火曜だったり、まだ火曜か、と思ったらもう木曜だったりする。さすがに金曜日の場合は、翌日が休みだと、ある程度はわかる。新型コロナウイルス感染拡大防止のために、各種の学会、研究会が中止、延期となって人と交流する機会が激減して、”予定”というものが無意味になってきているからかもしれない。一人で仕事をしていると、他の人と時間を合わせる場面がただでさえ少ない上、それがこんなことで余計に減ってきているからだろう。

ただでさえ時間が早く流れてしまう上に、曜日という”生活の区切り”までわからなくなってしまっては、満足な社会生活を送っていくことができるのか不安になる。そうは言っても、このコロナ禍、自分一人だけ感染拡大防止に抗う様な行動をしたところで、多くの人は付き合ってはくれない。とすれば、この状況に自分を合わせていくしかない。社会は確実に大きく変化しているのだ。100年前はシステムの変化は起こせなかったが、今はICT化が感染症への対応を手助けしてくれている。わずか半年の間に進行しているICT社会への変革。精神的に少々辛いところはあるものの、それでとって食われるわけではない。自分なりに対応していきたい。
それともコロナうつ?

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昨日のトマト、今日のお弁当

2020年06月18日 | 日々思うこと、考えること
今日は曇天、梅雨空に戻った。気温は高くないが、湿度は昨日よりも少し高く、空模様同様に気分はあまり晴れない。それでもいつも通りに水やりをして花や野菜とおしゃべりする。今年はその量が目に見えて多くなっている。

”今年は(花や野菜の)鉢植えがいつもよりずっとたくさんになってしまったね”と妻に言ったら、”(去年の12月に死んだフラットコーテッドレトリバーの)ナイトが「ボクの代わりに可愛がってね」と言っているのよ”と、そのわけを説明してくれた。これで、(マルチーズの)コロ(14歳)に何かあったらどうしようとふと考えたが、それはすぐに打ち消した。そのナイト、父が亡くなる2、3日前にベランダでボーッとしていた私の横に来て一緒に空を見ていたが、あれは父を迎えにくるという知らせだったのか。今日は義父の命日。いまごろナイトは一杯やっている二人の横でゴロゴロしているのだろうか。そんな楽しいところなら、私も加えてほしいものだと思う。

昨日のトマトが真っ赤に熟していたのでありがたく摘み、弁当に入れてもらおうとキッチンの上に置いておいた。今日の弁当は焼き鳥風弁当。レタスも自家製だ。私の出かける時間となり、ご飯に何も手をかけられなかったのが妻としては不満の様だったが、毎日完璧にするのは難しいだろう。もちろん美味しくいただいた。病院では孤食が推奨されていて、自分のデスクでのんびり食べることのできる弁当はありがたい。このお弁当に、インスタント味噌汁にとろろ昆布を加えたものをいただくと体も温まる。冷房は体に良くない。

忌引休暇の間に少し溜めてしまった仕事も、なんとか片付いてきた。
帰りには雨が降り出した。明日は一日雨らしい。
体調管理はしっかりと

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さわやかな日には明るい笑顔で

2020年06月17日 | 日々思うこと、考えること
今朝は柔らかい空気に包まれて目が覚めた。初夏というには暑すぎる日が続いているが、湿度が低ければハワイのように気持ちよく過ごせる。天気予報でも、爽やかな1日というのを繰り返し話していた。せっかくの梅雨の晴れ間、こんな日を暗い気持ちで過ごしてはもったいない。マスクの下ではあったけど、明るい笑顔をして過ごすようにつとめた。

家庭菜園のトマトが色づき始めた。私のお弁当に加わってくれるのももうすぐだと思うと嬉しい。キュウリもいいペースでできているが、ナスはもう一息頑張って欲しいところ。妻に言わせると、”先は長いから”とのことで、焦らず待っていよう。冬から春の花の徒長が目立ってきて、そろそろさようならということろ。夏の花への移行は徐々に進めている。
カンファレンスはぼちぼち再開し始めていて、今日は結構遅くまでかかった。ネット利用での他施設との合同カンファレンスも検討しているが、顕微鏡画像をどの様に提示するかがなかなか難しい。お金をかけたらある程度のことはできそうだが、残念ながらその余裕は今のところない。
密にならない様にして

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後戻りするのは容易ではない

2020年06月16日 | 自然災害・事故・感染症
東京での新型コロナウイルス感染者数が二日続けて四十人を超えた。感染の疑われる人が検査を受けたためという事情もあるらしく、直ちにパンデミックに結びつく様なことではないらしい。いまのところ、感染ハイリスク生活圏とそうでない生活圏という異なるグループがあり、感染リスクの低い生活圏であればそれほどピリピリする必要はないだろうが、両方の世界を行き来する人がけっこういるし、それが誰なのかはわからないので結局全員がそういった人に引っ張られることになる。そういった店に出入りした記録の残るアプリが普及するといいのだが、行動を隠す人は多いから思った様にはいかないか。

感染拡大状況が悪化したら、緊急事態宣言が再び出される可能性もある。そうしたら、飲食業の人たちには大打撃となるだろうが、それに従う人は少ないだろう。いったん緩めてしまったら後戻りするのは容易ではない。再び数十人単位で人が亡くなる様なことにならない限り後戻りはしないだろう。さらに、新型コロナウイルス感染への治療方法が見つかってきたため、重篤化しても死に至ることは減ってきていそうなので、命が失われる事態は起きにくいということもある。対策会議の議事録が残っていないというのは残念だが、おびただしい数の論文が世界から発表され、それにAIによる解析が行われ、こうなったらどうしたらいいというのがある程度わかってきている。医療資源の枯渇さえ起こらなければのらりくらりとやっていくに違いないし、それはとてもいいことだ。
帰りがけに駅近、駅ナカの食堂、レストランが目に入ったが、どこもそこそこ人が入っている。フィジカルディスタンスはほとんどとられておらず、隣同士で飛沫を掛け合っている様に見える店もあった。そこにいる人たちが、感染のリスクも、感染した時の苦しみも想像できない正常性バイアスにどっぷり浸かっているのか、それとも恐怖から逃れるためにそうした行動に出ているのかはわからない。店の人も、背に腹は代えられないとばかり、客が来ればそのまま案内してしまう。こうして市中感染は広がっていく。このまま都知事選に入って、どの様な選挙戦となるのか、論戦の内容といい、戦い方といい、新しい時代の政治への試金石になりそうだ。

およそ100年前に多くの人の命を奪ったスペイン風邪のことが注目されている。防衛研究所が、巡洋艦内で感染の蔓延したことの資料を公開した(100年前の「スペインかぜ」でもマスク着用など呼びかけ | 2020年6月15日 NHKニュース)。なんのことはない、今も昔も感染リスクを減らせば感染は拡大しない。それができるかどうかが、今後の感染の広がりを左右するというだけの話だ。言うは易く行うは難しだが、個人レベルでは節度ある行動をしたら、感染のリスクは低いだろう。最近、ワクチン開発の話が現実味を帯びてきた。当初、1年半ぐらいかかるといいっていたから、あと1年か、1年半ぐらいである程度のものができるかもしれない。だからといって、その効果が公衆衛生学的にどの様な効果をもたらすものになるのかということは全くわからない。手探りの状況はまだまだ続きそうだ。
長期戦

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