私の病院の男子トイレのひとつに、アサガオ3、個室3、手洗い2、という組み合わせの場所がある。
あるとき、入ったら、個室三つのドアが閉まり、アサガオを二人、手洗いを一人が使っていた。
『イーシャンテン(一向聴)』即座にそう思った。実際、私が入ってアサガオについたので、アタマ待ちでテンパったわけだが、残念ながら「あが(和了)り」にはならなかった。
その後も、私が入っているときに、あがり、ということにはなっていない。おそらく、あがるのは実際の麻雀で役満をあがるよりも難しそうだ。
学生時代、週末などは、部活(バスケ)の練習が終わったあと、よくマージャンをした。徹麻もたびたびだった。くわえ煙草に、出前のカレー、全自動卓の真ん中のサイコロというのも懐かしい。勝っているときはカレーにはカツを乗せた。役満は四暗刻を一度上がったことがある。
スッタン(四暗刻単騎待ち)は、プロ級の先輩に振り込んだ。スジで安パイだと思っていたのだが、引っ掛けだった。私自身はダブル役満をあがったことは無い。
もう、かれこれ20年以上牌を握っていないが、それでも折に触れて思い出してしまうということは、麻雀中毒だったのだろうか。
昭和の終わりから平成の始め、バブルの真っ盛り、麻雀界も元気があった。片山まさゆきの『スーパーヅガン』だとか、能條純一の『哭きの竜』などというマンガがはやっていた。麻雀が下火になったのはいつごろからだろうか。
例によって、本当のところは実際の市場の動向に疎くてとろいマスコミが麻雀ブームを企画にし始めた頃だと思う。阿佐田哲也の麻雀放浪記が映画化されたあたりがピークで、そのあとはたいして上手くもない芸能人がテレビで対戦するようになり、麻雀が日陰から日なたに出るようになって、雀狂たちは駆逐され一般化された。
最近、雀荘を見なくなったと思っていたが、先日の病理学会が新宿だったので、雀荘を探してみた。アルタの横あたりの雑居ビルに雀荘の看板を探し出すことはできなかった。私があっという間にすっからかんにさせられたフリーの雀荘の影も形もない。
歌舞伎町の方に行っても同じだった。客引きの声を振り切りながら、裏の方まで見て歩いたが、雀荘の看板を見つけることはできなかった。
馬場や下北あたりで探せば、まだまだあるのかもしれない。それに今でも麻雀好きはいるだろうし、すごいハイレートでやっている場所などもあったりするのだろうが、ちょっとだけアウトローの娯楽としての麻雀は事実上消滅してしまったような気がする。
麻雀業を生業としている人は多いだろうし、麻雀が消えたとは思わない。競技麻雀とか、老化防止のための健康麻雀とか、麻雀は明るく正しい遊戯に姿を変えて存在している。ただのゲームとして。
だけど、麻雀という「文化」を利権としてこれに多くの人が群がりすぎ、消費しつくしてしまい、その「文化」が消滅してしまい、現在のような姿に変わるしかなかった。
大学の目と鼻の先の、ボロのビルの3階くらいで少しくたびれたおばちゃんが店番をしているような雀荘、そんなものがひっそりと、でも確実にあった頃、麻雀は密かな文化として社会に存在していた。でも、もうそんな時代には戻ることは二度と来ないのだろう。
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1枚目
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あるとき、入ったら、個室三つのドアが閉まり、アサガオを二人、手洗いを一人が使っていた。
『イーシャンテン(一向聴)』即座にそう思った。実際、私が入ってアサガオについたので、アタマ待ちでテンパったわけだが、残念ながら「あが(和了)り」にはならなかった。
その後も、私が入っているときに、あがり、ということにはなっていない。おそらく、あがるのは実際の麻雀で役満をあがるよりも難しそうだ。
学生時代、週末などは、部活(バスケ)の練習が終わったあと、よくマージャンをした。徹麻もたびたびだった。くわえ煙草に、出前のカレー、全自動卓の真ん中のサイコロというのも懐かしい。勝っているときはカレーにはカツを乗せた。役満は四暗刻を一度上がったことがある。
スッタン(四暗刻単騎待ち)は、プロ級の先輩に振り込んだ。スジで安パイだと思っていたのだが、引っ掛けだった。私自身はダブル役満をあがったことは無い。
もう、かれこれ20年以上牌を握っていないが、それでも折に触れて思い出してしまうということは、麻雀中毒だったのだろうか。
昭和の終わりから平成の始め、バブルの真っ盛り、麻雀界も元気があった。片山まさゆきの『スーパーヅガン』だとか、能條純一の『哭きの竜』などというマンガがはやっていた。麻雀が下火になったのはいつごろからだろうか。
例によって、本当のところは実際の市場の動向に疎くてとろいマスコミが麻雀ブームを企画にし始めた頃だと思う。阿佐田哲也の麻雀放浪記が映画化されたあたりがピークで、そのあとはたいして上手くもない芸能人がテレビで対戦するようになり、麻雀が日陰から日なたに出るようになって、雀狂たちは駆逐され一般化された。
最近、雀荘を見なくなったと思っていたが、先日の病理学会が新宿だったので、雀荘を探してみた。アルタの横あたりの雑居ビルに雀荘の看板を探し出すことはできなかった。私があっという間にすっからかんにさせられたフリーの雀荘の影も形もない。
歌舞伎町の方に行っても同じだった。客引きの声を振り切りながら、裏の方まで見て歩いたが、雀荘の看板を見つけることはできなかった。
馬場や下北あたりで探せば、まだまだあるのかもしれない。それに今でも麻雀好きはいるだろうし、すごいハイレートでやっている場所などもあったりするのだろうが、ちょっとだけアウトローの娯楽としての麻雀は事実上消滅してしまったような気がする。
麻雀業を生業としている人は多いだろうし、麻雀が消えたとは思わない。競技麻雀とか、老化防止のための健康麻雀とか、麻雀は明るく正しい遊戯に姿を変えて存在している。ただのゲームとして。
だけど、麻雀という「文化」を利権としてこれに多くの人が群がりすぎ、消費しつくしてしまい、その「文化」が消滅してしまい、現在のような姿に変わるしかなかった。
大学の目と鼻の先の、ボロのビルの3階くらいで少しくたびれたおばちゃんが店番をしているような雀荘、そんなものがひっそりと、でも確実にあった頃、麻雀は密かな文化として社会に存在していた。でも、もうそんな時代には戻ることは二度と来ないのだろう。
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1枚目
2枚目