今回の病理学会、私にはとても大きな転換期となったように思う。
東日本大震災を経験し、中止になるかどうかの不安、演題が一つ消え、残りの一つを発表。
学会では、エントロピーの増大しきった医学の一端を目の当たりにした。
100回という区切りの年にこのようなことを体験できたのはよかったのだろう。
わかったのは、私が何も知らないということ。
どうしてこんなことわかっていなかったのだろう。
”無知の知”はソクラテスの言と言われる。
ソクラテスがこの境地に達したのはどの様な経緯の末だったのだろうか。
いろいろなセッションで話を聞いて印象に残ったのは、「それはまだ分かっていません」ということ。
一昔前は「これは、〇〇である」と声の大きい先生が言えば、議論も続かず、結論めいたものが出ていた。
今は違う。
仮に、発がんのメカニズムが分かったところで、遺伝学的に、がんにかからないことが分かった人には関係ないし、ましてや心筋梗塞で死ぬかもしれない人にとっては、動脈硬化、心筋機能の研究のほうがよほど興味があるだろう。
ワークショップにしても、シンポジウムにしてもずいぶんそうそうたる経歴の先生がたが話をされていたが、以上のような理由からは、それぞれの先生がやっている仕事は地球に対しての砂粒一つにも満たないことだろう。だから、結論めいたものすら出にくくなってきている。それでも、挑戦し続けるのが学問なのかもしれない。
病理学者たる存在理由になるだろう。
私は病理医。臨床医のための臨床医でありたいと願っている。
昨今の情報過多のなかで、良心的な臨床医はわからない事だらけの中で、よりよい答えを求めて苦悶しているの
だろう。
剖検してもわからないことはままある、とは、あるワークショップでの司会の先生の弁。
わかったことはたくさんあるが、それ以上にわからないことがたくさんあることがわかった。
こんな事ばかり考えた3日間だった。
まあ、四の五の言っていないで、論文の一つでも出さないといけない、ということもわかった。