こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

ブログの書き方1・・・テーマをどうするか

2012年03月31日 | 電脳化社会
つい先日の新聞の投書欄に、77歳の女性の『ブログ毎日更新、忙しい老後』というタイトルの文章が載っていた。おととしから始めたということで、75歳からだ。まずは、いい趣味を見つけられたといいたい。
文章の締めくくりがすごいので、引用する。
『ブログは毎日、写真付きで更新しています。だからいつも目を光らせ、耳もそばだてて材料を探しています。ブログのおかげで私の老後は忙しく、目も頭も休む暇がなくなりました。』(朝日新聞 2005;3.28: 14)

すごい。77歳である。30年近くたって私はこの、こんきもを続けていられるか、とも思うが、そう長生きもできないと思うので、考えることはやめる。

さて、『ブログの書き方』、などというタイトルを出してみたが、これというのは私の勤務先で仲良くしている臨床の先生が、ブログを始めたいのだがどうしたらいいだろうか、言っていたので、つい、「私(コロ健)もブログやっていますよ」などと言ってしまい、なにか役に立つことがあればと思い、ここ1か月ほど悩んでいたところに先の投書を読んだ。

その先生は、自分の専門をテーマにしたブログを開設したい、と考えておられるそうだ。
去年の8月、『Facebook, Twitter または Blog 情報発信は何のため?』というタイトルの記事を書いたが、そのときに感じた、それぞれのツールの特長を私なりにご説明した。その先生もFacebookはずいぶん書き込んでおられて、仕事関係の記事も多い。だけど、友達はどうしても医療関係者が多くなるし、そういった人への活動の説明はしなくても、興味があれば先方からアプローチしてくる。
これに対してブログは広く一般の人への情報発信だ。
できれば、終始一貫したスタイルである方が、記事を読む方も安心だ。

このブログ(こんきも)は娘にちょっと意地悪して、そのことを反省して、『人にはやさしく、そして自分を幸せに』というので4年半前に始めた。こう振り返ってみると、いまだに、このスタイル、というかテーマは一貫している。

私がエントリーしている“にほんブログ村”と”人気ブログランキング”で、医者が書いているブログを見ると、スタイルは3つに大別できそうだ。

一つは、現場ネタ。これは、匿名化したノンフィクションがほとんどだ。
日々の診療の中で起こった話を紹介している。困った患者のことに始まり、医療政策についても言及している。
もう一つは、医療解説。専門分野についての紹介。外科、内科、耳鼻科、いろいろある。
残る一つは、日記ブログ。これは、まあ、書いているのが医者だというだけのはなしで、ほかのジャンルのブログと大差ない。

件の先生に勧めるならば、”医療解説ブログ”を、となる。医療解説に徹するならば、
名前も出して困っている患者さんへの周知にもなるだろう。でも、これだとあまり自分の考え、意見というものを出すことはできない。私でも、ときどき院内で、「先生のブログ、読んでますよ」とか、「こんきも、読んでますよ」などと言われると、少しばかりトーンを落とそうか、などと思ったりする。過激なブログではないが、同定しうる困った人のことに触れることがないわけではない。実名でのブログとなると、そのあたりが難しいだろう。

インターネット依存症について考えた時、最終的に『依存するか、さもなくば取り込んでしまうか』ということに行き着いたが、『ブログの書き方』を考えるということは、インターネットをどう利用するかということをあわせて考えていくことになりそうだ。指南とまではいかないけれど、ほんのわずかなブログ歴を振り返って、こんな風にやってます、と整理してみたい。


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なぜ、人は諍うのか

2012年03月30日 | 生き方について考える

松任谷由実の中で、私が一番好きなのは『ナビゲイター』という曲で、その歌詞の一節に

同じ景色に 心を動かして

というのがある。
ドライブしているカップルが車窓から見える美しい風景を見て幸せを感じているという情景だ。
人間の感性というものは、それほど差があるものではなく、美しいものは美しいと感じる。


日本人であれば、いや、日本人に限らず、ほとんどの人は富士山は美しいと感じる。

匂いであっても、沈丁花の香りを嗅げばほとんどの人は心癒される。

なのに、人は諍いする。
互いに、同じ感性を持って生きているのに、相手のいやがることをするようになってしまう。

何故なのかわからない。
そもそも、同じ感性を持っているのに、という前提がおかしいのか。

相手の立場に立って、というのはいつも心がけている。
それは、個人レベルに限らず、話し合いという形で、社会レベル、国家レベル、いろいろなレベルで行われているが、それでも共感と諍いが混在している。

現代の人間のレベル、この程度のこともコントロールできないレベル、ということか。



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三月はあっという間に

2012年03月29日 | 日々思うこと、考えること
もう三月二十九日。もうすぐ、四月、あっという間の(年明けからの)三ヶ月だった。
・・・一体この間、私は何をしていたんだ?とかいう、いつも通りの落ち込みはこの際やめて、実際なんで、こんなに早いのだろうということを考える。

二月が早く過ぎるのは日にちが少ないのであたりまえだが、三月というのも劣らず早く過ぎる。

先日、妻が、
「三月はお別れがたくさんあるから、あっという間に過ぎちゃうのよね」
といっていたが、思い出に残る出会いと別れは大切だ。

今日は私たち病理診断科の送別会。

臨床他科からの研修の先生を含めると、四人もの先生が新天地に向かって旅立つ。
・・・一体、そうなったら私たちの仕事はどうなるのか?なんてことは深く考えまい。


彼等が私達、病理で、少しでも何かを得てくれたことを期待し、そのことが将来生かされることを希望する。

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これが私の人生なんだ、と考える

2012年03月28日 | 生き方について考える

生きとし生けるもの、それぞれの生は一度しか無い。

人間であれば、人生。

この人生をどう生きるか、人それぞれ違う。

でも、すべての人は、与えられた人生を肯定して生きるのがいいだろう。これというのは、ポジティブ思考、とはちょっと違う。

ダメなことはダメなわけで、くよくよしても仕方がない。

仕事や勉強で思い通りの結果がでない場合はやっぱりダメなわけで、これを塞翁が馬とばかりにおかしなポジティブ思考で置換してはいけない。大切なのは、その結果を無かったことにせず、肯定することだ。

いつも、自分の人生を肯定して生きていけば、自らの死であっても、受け入れることができよう。

人間、一度しか生まれて来れないし、一度しか死ねない。それぞれの人生、否定して生きていては何にもならない。 自分の人生を肯定することで、初めて生が自分にとって有意義なものになる。

ああ、これが私の人生なんだ、と。

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メンターに頼る人生・・・人生に近道は無いけれど

2012年03月27日 | 日々思うこと、考えること

私の高校時代の友人の一人で、大学に入ってからいわゆる新興宗教に熱心になったやつがいた。
彼は超難関国立大学医学部に現役で合格してしまうほどとても勉強ができたが、どうも私のことが気に喰わなかったらしい。

それでも、腐れ縁というか、何となく連絡は取り合っていた。
そんな彼が、超難関国立大学医学部に現役で入ったあと、宗教に入ったということを聞いても別に何も思わなかった。一浪ののち、私立医大に入学した私が高校のクラス会に出たときに、その彼が勧誘だったのだろうか、宗教のことを話してきた。
そこで、何故、宗教なのか、彼に聞いた。
すると、
「メンター(という意味だったと思うが)がいると、その人がより早く、人生の高みに導いてくれるから」といったようなことを返された。
さらに、
「(コロ)健ちゃんも、一緒にいかない?」のようなことを言われたような気がする。

そのとき私(コロ健)が返した言葉は今でも覚えている。
「要らない。自分で考える。苦しんでもいい、時間がかかってもいい、それが自分の人生だから。」

メンターというのは良き助言者、指導者、顧問という意味で、別に人生の高みへの近道を教えてくれる人、というわけではない。
メンターに頼る人生が悪いというわけではないが、多くの人はメンターに頼ってしまう人生に陥りやすい。そして、何かの弾みで失望、裏切りが起こる。

私はその時のことがトラウマになってしまったのか、未だによきメンターを得ることなく、一人でもがき苦しんでいる。
もちろん、背水の陣といって海外に活路を求めていった親友や、先日講演を聴きにいった大先輩とか、大学院時代の仲間ほか、拡大解釈すれば、その人生をリスペクトしたくなるメンターたる人は私のまわりには数多い。

メンターというのは、必ずしも自分の生活に深く関わってこなくてもそういうようで、ある程度の距離があっても問題は無いようだ。したがって、こういった尊敬できる人をメンターとして頼ることもできよう。いざとなったら、会いに行っておおいに語り合おうとは思っているが、まだその時期にはいたっていないようだ。

メンターに頼る人生というのが悪いわけではない。ただ、良いメンターを選ぶこと、そしてその選んだメンターとどうつき合うか、ということは難しいようだ。

そういえば、彼は開業してずいぶん流行っているとのことだが、人生の答えは見つかっただろうか。
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あいさつの言葉がなぜすぐ出てこないのか?

2012年03月26日 | 日々思うこと、考えること

朝の病院に着くと警備員室の前を通る、その時にまず
「おはようございます」

病理の部屋に行って、部屋の電気を点け、PCのスイッチを入れる。
臨床検査技師さんに、「おはようございます」

ここまではいい。
途中で会う顔見知りのお医者さんや看護師さんにも「おはようございます」

だけど、こうやって挨拶をかわせる人は院内のごく一部にすぎない。
本当は、すれ違う人皆に挨拶したい。

いや、挨拶をしようと思えば挨拶できる。
躊躇する必要などないのだけど、なぜすぐ挨拶の言葉が出てこないのだろう。

返事が返ってこないことが怖いのか?

それでもいいじゃない、それはそれで。

明日からはもっともっと、挨拶しよう!



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やっと・・・鎌倉にも春が来たみたい

2012年03月25日 | 鎌倉暮らし
今日の鎌倉、少し雲は多めだが、朝からきれいな青空が広がる。

高三になる息子は朝から塾へ。中三になる娘はバレーボールの試合。少し、遅れて妻もその応援に出かけた。息子のバスケの試合は鎌倉市内がほとんどで、ずいぶん応援に行ったが、娘は横浜市の学校に通っているということもあり、試合会場が遠くてつい、億劫になってしまい、応援は息子の半分以下。
今日はフラットコーテッドレトリバーのナイトとマルチーズのコロと留守番することにした。

玄関掃除をして、一息ついていたら、ナイトが日陰に逃げ込んでごろごろしている。たまのヒマな日、ゆっくりしていればいいのだが、これほど天気がいいと出かけたくなる。
      

ナイトを連れて、私の家のある谷戸をさらに奥へとわけいり登る。
山の頂上から振り返れば、キラキラ美しく光る海が見える。
そこから下ると建長寺の裏に出る。
      

半蔵坊の方へ廻り、鎌倉アルプスのハイキングコースに向かう。
   

富士見台からとてもきれいな富士山が見える。東京から見る富士山とは迫力がまったく違う。それにしても今日の鎌倉、ずいぶんな人出だ。ハイキングコースもたくさんの人が歩いている。普通に歩いている人のほかに、走っている人も多い。
やっと鎌倉にも春が来たようだ。
  

昨日の雨のせいで、ハイキングコースのあちこちがたいそうぬかるんでいたが、何とか歩けた。途中、きれいな山椿が。

永福寺の横から降りて、全行程小一時間。
少し汗もかいた。

今年の冬は、本当につらかった。朝、仕事に出かけるときの気温(車載温度計)が氷点下6度とか信じられないほどだったが、もう寒の戻りもあるまい。
活動性も気力もほとほと減退していたが、これで少しはコロ健も元気になるといいのだが。

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プレゼンテーションの技術(の勉強)

2012年03月24日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
プレゼンテーションの技術を向上させるのはとても難しい。
とくに、私のように基礎体力(知識、経験)の乏しい人間が話をするときなどは、その乏しい内容だけでもオウディエンスに理解し、お持ち帰りいただこうと、努力をするが、大概は徒労に終わる。

パワーポイントで美しいスライドを作ることが大切なのは、大前提であるが、そのまた前提として大切なのは、゛話し方の技術゛だ。


今日、日本病理学会関東支部の第54回学術集会が横浜で開催された。横浜で、近いということもあったのだが、それよりも私がとても尊敬している先生のお話を聞けるチャンスだったので、時間に遅れないように行った。

その先生は病理医としてはわが国を代表する実力を有し、人間的にも素晴らしい方なのだが、さらに、すごかったのは、文章力。
診断書を添削していただくときにはじまり、各種論文などの文章はとても解りやすい。
CPCや学会のプレゼンテーションも同様だ。
対象をとても深く理解されているから、わかりやすいのだろうと思っていたが、どうやらそれだけではなさそうだということを、先日お電話で話した時に思った。

「これには、何か目に見えない秘密(コツ)があるにちがいない」


その秘密(コツ=プレゼンテーションの技術)を知るために行ったようなものだ。

いくつかわかったことがある。
1)ゆっくり話す・・・よくわからないまま話しているとどうしてもごまかしたくなって、スライドの方を向いて早口でぼそぼそ話してしまうが、それはダメだ。
聴衆の方をみて、そのスライドで言いたいことを限りなく絞って、ゆっくり話す。私の場合まずは、発声練習から。

2)ユーモアをまじえる・・・日本人にとって一番難しい技術。それを、先生は今日、3,4度会場を笑わせていた。無理やり笑わせるような内容ではなく、温かいさらっとした内容で、笑わせ、聴衆をリラックスさせる。あれは、ちょっとやそっとではまねのできないものだった。どうやればいいのか、コツがさっぱりわからなかったが、少なくとも上から目線では笑いは取れないことは分かった。

3)スライドはスッキリ、美しく・・・表はスッキリと大きく、顕微鏡写真は美しいものを極力少なく、かつ、その1枚で10枚分の内容を聴衆にわからせるもの、そういう写真を厳選する。まだ、私が駆け出しのころからわかっていたことだが、いまだ、その域に達することができない。もっと標本を読み込まないとならない。

4)正しく美しい日本語を使う・・・電話で話して気が付いていたことはこれ。病理医は病理診断書という文章こそが技術の表出方法。私が駆け出しのころから尊敬していた文章力というのは、正しく美しい日本語を駆使することでしか実現できない。プレゼンの時も当然、このことが大切になる。それには、ボキャ貧の私としてはどうするか。やっぱり、改めて読み原稿を作ってよく推敲することが大事か。このブログも、もう少しきれいな文章にしよう。

5)与えられた時間は正確に・・・残念ながら2分ほど超過してしまったが、超過する際には、最後のスライドであること、2分ほど超過することを座長に断ってから、話す。
私なんぞ・・・もう情けなくなるので、これ以上、考えたくない。



ほかにもたくさんあったのだと思うが、私にとっては、上記が理解、文章化することのできる精いっぱいのこと。なにか、ご意見があれば、お知らせいただきたい。

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部活、新歓・・・大学生、酒は飲んでも飲まれるな

2012年03月23日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル

楽しいはずの春の合宿シーズン、とても悲しいニュースがあった。
サークルの合宿で、飲み過ぎた学生が亡くなった。
急性アルコール中毒ではなく、吐物をのどに詰まらせたらしい、とのこと。せめて、寝かせるとき体を横向きにしておいてあげれば・・・。
などという問題ではない。

自慢ではないが、不肖コロ健、酒の飲み方はうまくない。すぐに酒に飲まれてしまい、この年にもなっていまだに、飲んだ帰りの電車の乗り過ごしが絶えない。

学生の頃はひどかった。時代も時代、とんねるずの『一気』などという歌が流行った頃でもある。
飲み会といえば一気の挙げ句…(この先は読者諸兄姉のご経験とご想像に任せる)。

いずれにしても、ひっくり返ったことは数知れず、一つ間違えれば大けが、大事故にだって会いかねなかった。

進級、進学が決まって、嬉しい限りの時期とは思うが、酒で身を滅ぼしては、人間なんのために生まれてきたのかわからない。
これからの季節、新歓コンパ、部活の飲み会、ゴールデンウィーク合宿と、酒を飲む機会がどんどん増える。でも、君たちのほとんどは、酒は初心者、仲間同士お互い気をつけながら、楽しく飲んで欲しい。

つい先日、自分に向かって言い聞かせたことだが、

酒は飲んでも飲まれるな。

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朝日新聞デジタルより
合宿で飲み過ぎ、立教大生死亡 テニスサークル
 立教大(東京都)のサークルの合宿で、経済学部1年の男子学生(20)が酒を飲み過ぎて死亡していたことが同大への取材でわかった。吐いたものをのどに詰まらせたのが死因で、一気飲みなど飲酒の強要は無かったという。

 同大によると、3日夜、千葉県白子町の旅館であったテニスサークルの春合宿で、学生や卒業生計約80人でビールや日本酒などを飲んだ。死亡した学生は午後10時から3時間ほど飲酒。何度も嘔吐(おうと)し、布団に横になった。翌朝、息をしていなかったため病院に運ばれたが死亡した。

 また、5日に茨城県神栖市であったサッカーサークルの春合宿でも経済学部1年の女子学生(19)が酒を飲んで意識不明となり、翌朝に病院に搬送された。同大は二つのサークルを活動停止とした。

「先生変わりませんね」と、言われて

2012年03月22日 | 日々思うこと、考えること
昨日、大学院時代の仲間と食事をした。

先日あった彼の教授就任祝賀会ではろくに口をきくことはできなかったのだが、今回はゆっくり飲みながら話をした。

アルコールもずいぶん入ってきたところで、彼に言われた。
「先生、全然変わりませんね」

そんなことはない、私は、変わった。
今日になって、彼がメールで送ってきてくれた写真をみれば一目瞭然。
フラッシュの光は髪を透かして頭皮を照らし、腹はずいぶんせり出している。
どこからみても、文句なしの50がらみの中年オヤジだ。

そのあとも、美味しい料理に舌鼓を打ちながら、大学院時代の苦労話に花を咲かせ、さらには今後の研究協力などについても語った。

彼と別れたあと、一人になり、あらためて「変わりませんね」の意味を、酔った頭で考えた。

そして、わかった。
変わってなかったのは、私の気持ちであり、考え方、生き方なんだと。
彼が言いたかったのは、そういうことだったのだ。

このことに気がついてとても嬉しかった。

人間見た目が大事という人が多いが、いくら見た目を気にしたところで、考え方、生き方が老けていてはいけない。
また、考え方が老けていないといったところで、単に気が若いというだけではしょうがない。若々しいというのが、軽薄でしかない人はよくみる。

年をとれば、若い人たちにとっての手本となる生き方をしなくてはならない。
教授となって多忙な彼が、私に連絡を取ってくれたのは、昔、一緒に頑張ったことを覚えていて、果たして私がその頃のままであるかを確認したかったのだろう。

4年ほど前の記事(オヤジ化)で、私は『感性の退化、減弱』を嘆いていた。だが、そのこと(オヤジ化)をポジティブに考えてみるということも大切なのかもしれない。この年になって、自分というものを自他ともに肯定的に認められる、確固たるものとなってきたことと考えることもできる。

これから、もう一花咲かせよう。そう思わせてくれた再会だった。

なお、酒量は以前より増えていた。
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3月21日はダウン症の日 (World Down Syndrome Day ; WDSD)

2012年03月21日 | 家族のこと
 先日、「3月21日って、ダウン症の日なんですって」と妻に言われ、思わず吹き出してしまった。妻はなぜ、私が笑ったのかわからずにきょとんとしている。

 ダウン症は正しくはダウン症候群といい、発症率は新生児1,000人に1人とけっして低くない。 病気の原因はtrisomy 21が最も多い。trisomyとは三染色体性という意味で、本来は46本の染色体にさらに1本余分な染色体がある状態をいい、trisomy 21といえば、21番染色体が1本余分、3本あることをいう。日本語だと21トリソミーとなってしまうが、英語表記ならばtrisomy(三染色体) 21である。だから、321日。

 「よく考えたなー」と、理由を妻に説明しながらも、「では、3月はトリソミーの月とした方がいいのではないか」などと考えたが、ほかのトリソミー症候群についてもそれぞれあるのかもしれない。

 私より3歳年下の弟はダウン症で、私が小学生の頃、医者になろうと思ったのは弟を治してやりたい、と思ったからだ。その後、ダウン症が治らない病気であることがわかったのと、医者以外に進みたい道があり、医学部進学を躊躇したりもした。それでも、小さい頃、弟のために医者になると公言してしまったことから引っ込みがつかなくなり、結局医者になってしまった。これが良かったのか悪かったのかはわからないが、今の私があるのは結局のところ弟のおかげであることだけは間違いない。(一度の人生を良いとか悪いとか言うのは意味が無いのだが・・・)

 妻に321日がダウン症の日だと言われて吹き出してしまったのには理由がある。なるほどよく考えたなー、ということが一番ではあるが、ダウン症児はとても明るく、優しく、愛嬌があり、微笑ましい。だから、一緒にいて楽しく、障害を持っていることによるハンディキャップを感じさせないでくれる。最近ではタレントになっている人もずいぶん増えてきた。

 数年前にも書いたが、"障害者の人というのは、いわゆる"健常者"のシステムに合わせるのが困難な人"にすぎない。だから、そういう人たちを障害者と表現するのは不適切である。現状、ほかに代わる言葉が無いので、障がい者といったりもしているが、もうちょっとましな言い換えは無いものだろうか。また、昔は”知恵遅れ”などと言ったりもしたが、戦争をしたり原発を作って自滅するような知恵を持った人(=健常人)を知恵者といえるかといえば、決してそのようなことは無い。価値、善悪など、相対的なものでしかない。

 ダウン症の人たちもそれなりの行動基準、判断がある。駅などで、ダウン症の人が困っているようなのを見ると、手助けしてあげたくもなるのだが、家族でも何を考えているのかわからないこともあるし、下手に誘導すると迷子になりかねない。困っていそうだからといって、不用意に”健常者の常識”を押し付けてはいけない。

 trisomy 21として生まれてきた人の、体中の細胞から1本余計な染色体を消すことは不可能だ。皮膚や腸管上皮のようにターンオーバーのある臓器の細胞であれば可能性も残っているかもしれないが、脳や腎臓の細胞のように一旦形成されて死ぬまで使い続ける細胞というのもある。こういった細胞一旦構築され、組織を形成しているため、どうしようもない。別の世界からやって来た人と思うしかない。

 私の願いは、一度でもいいから弟が考えていることを、彼の口から聞くことだが、残念ながら、私は一生彼と日本語や英語で話すことはできない。単に、弟は、私に対して普通にしゃべっているのに、それを私が理解できないだけなのだが。ときどき兄弟喧嘩もするが、兄弟仲は悪くないと勝手に思っている。

 今日321日がダウン症の日(World Down Syndrome Day ; WDSD)ということを知って、こんなことを考えることができてよかった。家族のみならず社会全体でダウン症のことを考える日、ということだろう。


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口の中のデキモノ

2012年03月20日 | 日々思うこと、考えること

食べながらしゃべると口の中を噛む。

そもそも、口の中に物を入れたまましゃべると中の物が飛んで汚い。
だから、そもそもそういったことはしてはならない。これは、普通のエチケットだ。

ところが、しばらく前から食事中に下唇の裏をしょっちゅう噛むようになった。ノルウェーでの学会に行く前からだったので、かれこれ半年。
食事中に噛むことが多かったので、食べながらしゃべっているのがよくないのだろうと思っていたのだが、ただたんに喋りながらでもよく噛むようになってしまった。
噛むところにちょっとした盛り上がりを感じるようになった。
当初は、口内炎がひどくなったのだろうと思い薬を塗ったりしたのだが効果なし。
あきらめて、放っておいたら、だんだんそこの部分が膨れてきた。

もうどうにも我慢ならない、どうしようと思っていたある日、病理に粘液嚢胞という病気の標本が出てきた。
ああ、私のもこれだ!と思って、歯科の先生に相談した。
「この前、先生が出された嚢胞、私もそうではないかと思うんですが…」
「そうですね、では今度とりましょう」

1週間後、歯科の先生に取ってもらった。
局麻して、取って、3針ほど縫っていただいた。時間にして15分ほど。
久しぶりに味わう患者さんの気分。

取った組織を(標本にして)見たら、嚢胞はもうなくなっていて、硬くなった線維性結合織だけ。診断はハズレではなかったと思うのだが、病変そのものが消えてしまっていたので、ちょっと拍子抜け。

今のところ、ちょっとした縫いあとを感じるだけで、再発はない。やっぱり取ってよかったのだろう。


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人に任すと自分はボケちゃう

2012年03月19日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今期のレジデントの先生、とても優秀なのだが、その優秀さを頼って仕事を任せていたら、自分がずいぶんとダメになってしまっていた。 いざ、いつも通りのテンションでやろうと思っても、なかなか元に戻らない。 前だったら、絶対に挙げていたような鑑別診断が抜けていたりする。 やれやれ、最初は、指導のつもりでいたのだが・・・人に任せてばかりで、自分はボケてしまっていた。 下になんか何も教えず、全部自分でやっていたら、こんなことにはならなかったハズと思っても、あとの祭り。
人にものを教えるということにはこんなこと以外にも様々なジレンマがある。 それでも、後輩には教えなくてはならないし、後輩には自分を越えてもらわなければ医学の進歩、人類の進歩は無い。 そして、自分も越えられぬよう、さらに高みを目指して精進していかねばならない。
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インターネット依存症6  依存するか、さもなくば取り込んでしまうか

2012年03月17日 | 電脳化社会

寡聞にしてお恥ずかしい限りだが、オンラインゲーム内のお金やアイテムを現金化するというのをリアルマネートレードといい、いまやその世界ではごくあたりまえにおこなわれているとのことを先日知った。

ゲームの中でのことが現金になる、というのと、昔のゲーセンの(今でもあるか?)ポーカーゲームの換金とどう違うか、と考えるとよくわからなくなる。パチンコ/パチスロもゲームと同類なわけで、景品が現金になるということでは、こういったたぐいの物はすべて同じとなる。ゲームの中での賭け事は、現金化できるということか。

事ここにいたっては現金、というか、お金のあり方ということを考えなくてはならなくなるし、では、ネットトレーダーというのは、ゲーマーとどう違うか。逆に、ネトゲを利用して数千万の金を稼ぐゲーマーというのは、どういう存在なのか。

ブログで金を稼ぐのは普通の事である。

インターネット依存、といっても、主たる生活がある人がインターネット世界に多くの時間をとらわれているような状態をいうのであって、生活自体がインターネット無しでは成り立たない人にとってインターネット依存は、”依存症”ではなく、依存せざろうえないだけだ。したがって、こういった人たちは、インターネットをすでに身体内に取り込んでいる、ということになる。人間というもの、まったくカオナシのような存在で、何でも呑み込んでしまう。

 

このテーマは今回で一旦終わりにする。というのも、この先人間というものが、インターネットに依存するのか、身体の一部に取り込んで行くものになるのかがよくわからなくなってしまったからだ。私自身、インターネットに依存しているんか、取り込もうとしているのか、それとも取り込まれつつあるのか、一体、どのようなものを人類は産み育てているのか、わからない。

こんきも を読んでくださっている方々も、インターネット利用者。みなさんは自分のことをどう考えておられるだろうか。そして、私たちはどこへ向かっていくのだろう。

 

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今朝、”手紙 ~拝啓 十五の君へ~”が流れてきた

2012年03月16日 | 家族のこと

今日は、神奈川県内の公立中学校の卒業式。

それにあわせてだろうか、朝のFMヨコハマから、Angela Akiの”手紙 ~拝啓 十五の君へ~”が流れてきた。

年月の経つのはとても早い。

幼かったあの頃、あれこれ悩んだことを思い出すのはとても難しい。

けれども、一つ一つの悩みや苦しみが、人を成長させる。

いかん、またネガティブになってしまった。妻だったらこういうかな?

一つ一つの嬉しさ、喜びが、人をより幸せにさせる。

 

春は新しいことが始まる季節。

羽ばたいていく若者達みなが、幸せになってくれることを心から願う。

 

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