こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

ルート2

2017年03月31日 | 通勤・交通・旅行

1年限りだったけど、今日でこの病院ともサヨウナラ。勤務最終日の出勤はあいにくの薄曇り、帰りは雨になるとのこと。おまけに寒い。

もう一つの駅からの方が少しだけ近いのだが、こちらはさらに都心らしくて緑がない。

どこにでもあるJR線の改札前の風景。人は多い。

駅を出てすぐにある喫煙コーナー。青空喫煙所なので、ここからの煙が辺り一面に広がって、前を通るたびにいつもいつも息が詰まりそうになった。

  

東京は、神社仏閣が多いのだが、どこも敷地はとても狭い。

東京タワーを探すのはひと苦労。

川の上には首都高速。川の上にこれだけの建造物を作ってしまうなんて、考えてみるとすごい土木技術。でも、もし何かあって橋が崩れたらと思うとゾッとする。

よく買い物をしたコンビニ。朝からいろんな人が買い物にきていた。

商店街でよくみるこの飾り、不思議だ。

公園、といってもすぐ横は首都高。

路地の向うに我が病院。このルートはアップダウンが少ない。

この桜が満開になるのを見届けたかったな。

排気ガスは苦手です

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ルート1

2017年03月30日 | 通勤・交通・旅行

今日明日でこの病院に勤めるのもおしまい。通勤にはJR線二駅利用可能(といっても、どちらからも徒歩約30分)なので、途中見どころも多い。

そこで、大公開!?コロ健の今年一年歩いた道のご紹介。今日は一駅目から病院までのルート1。

朝早くから、駅には人が溢れている。

駅前のホテルの別館。残念ながら桜は間に合ってくれなかった。

バスに乗ったらあっという間なのだけど・・・。

ビルの隙間から東京タワー。昔はこんなじゃなかったんだけどなー。

有名結婚式場の前を通り過ぎ。

某研究所の裏通りを歩くのだが、途中でそこの職員がよく路上喫煙していたには参った。

角を曲がれば職場まではあと少し。

東京には坂が多い。坂の向こうに我が職場。

敷地内の医聖を祀っているお社に手を合わせて、さあ仕事。

  明日はもう一つの駅から

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学校が利権の塊だったとは

2017年03月29日 | 日々思うこと、考えること
少子化の時代だというのに学校というものが少しずつ増えているような気がして前々から不思議に思っていたのだが、そこは役人の天下り先になっていた。
企業がダメなら学校法人へ天下ればいいとは・・・。
そんなことを考えている人達が文教行政を仕切り、国の将来を背負ってくれる若者たちを”導いている”とは、まったく暗澹たる気持ちになる。
元気な高齢者が増えていく中、何らかの形でその人たちの雇用を確保することは必要だと思う。
だが、理解しがたい財団を作ってそこに天下り、週に2、3日出勤するだけのような仕事はいけない。
役人というのは、公明正大であることと職の安定を引き換えにしている。
同じような学歴の人で私企業に勤めた人の中には役人よりも高い給料をもらったり、定年後も子会社に移ることもできるかもしれないが、役所ほど安定はしていない。

役人は不正をしてはならない存在だ。


この話も結局、大阪豊中の国有地払い下げ問題でうやむやになってしまった。

マスコミというのもほとほといい加減と思うというのはさておき、豊中の問題も学校がらみ。

この話、そもそも誰が得をして誰が損をしているのかもわからない。

政争の具となり、いつも通りの泥仕合となっている。

まったく情けない話だ。

いつも振り回されるのはいつも子供。

入学予定の子供もいただろうに、その子達の人生について一体誰がどう責任を取るのだろう。

学校というものは教育と学問のためにあるのであって、大人の利権のためにあるのではない。

次の世代のことを考えているようで、そうでもない人は少なくない。

いつの世もそうなのだろうが、政治家とか役人などという税金で食っている人、さらには教育者と呼ばれている人たちは襟を正して豊かな遺産を残していってほしいのだが、難しいことなのだろうか。

  若い人を利用しての搾取はいけない

 

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モーニングカンファレンス

2017年03月28日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

日の出が早くなったとはいえ、5時はまだ暗い。火曜の朝は7時半からカンファレンスがあって、それに間に合うためには鎌倉を遅くとも6時前後に出なくてはいけない。
内科と外科の合同カンファレンスで、内科医や外科医は、お互いの情報交換のために、患者さんのプレゼンをする時に病理診断の結果を提示する。で、参加している病理医は、試験の採点をされているような気になる。



診断そのものが間違っているということはまずないが、細かい言い回しが相手(臨床医)に伝わっていないことがたまにある。そうすると、病理診断書の文章の書き方が悪かったような気になる。なんといっても、病理は証拠がはっきり残ってしまうのだ。標本しかり、診断書しかり。だから病理だけがきついというわけではないけれど、少なくとも病理もきついのだ。

まな板の上の鯉の気持ちはこんなものかと思ったりするけど、別にとって食われるわけではない、落ち着いて対応して、臨床医のリクエストに応じたらいいだけの話だ。彼らが知りたいこと、彼らを通して患者さんが必要としていることがカンファレンスでわかる。

今日でこのカンファレンスに参加するのもおしまい。私が普段仕事をしている病理診断科は2階にあるので、病院の上層階からみるこの景色ともお別れだ。

次のところではどんなカンファレンスが待っているだろう。

 もう一度ぐらい、上ってみるのもいいかも

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以前のように書けるかな?

2017年03月27日 | 日々思うこと、考えること

昨年、小説でも書いてやろうと筆(ノートパソコン)をとったが残念ながら頓挫した。なぜダメだったのかはまた別の機会に書こうと思うので割愛する。とにかく、少し書いてみただけで職業小説家というのはものすごい才能と努力がなくてはいけないということをまざまざと感じた。才能と努力、と言ってしまえばそれぞれ簡単な言葉だが、その二つは不分離で、互いが寄って立つものだ。努力することのできる才能があってこそ初めて小説を書くことができる。

村上春樹の「職業としての小説家」という本を読んだ時、彼の生き方というものが、他の職業人となんら変わることがなく、たまたま小説を書くことを生業としているだけに過ぎないということを知った。もちろん氏は日本を代表する作家であり、プロ野球で言えば王貞治のような存在であり、病理医としての私とは全く次元が異なるところに位置しているのだけど、プロという意味では少しだけ重なっているところはある。

それはさておき、私の小説への挑戦で、半年ほどこのブログの更新が随分とおろそかになってしまった。シカゴブルズのマイケルジョーダンが一時期大リーガーを目指して、コートの上から姿を消していたようなものだ、というのはおこがましいのだけど、何かに例えればというとこんな言い方しか思い浮かばない。


私には病理医という(自分なりの)天職がある。それにプラスワンというのが、"何かを書くこと"だった。中学高校時代に同人誌に参加していた時にも自分の思ったことを書き連ねるエッセイのようなものを書いていた。確かその頃も作家になりたいと漠然と思っていたけどアクションを起こさなかったというのは、結局作家への思いというのもその程度だったということだったのだろう。

この半年で、私にはこのエッセイというか随筆文を書くことが向いているのだとわかった。文章が随分下手になってしまったけど、また一から出直すつとりになって、読んで楽しいブログをせっせと書いていきたい。

  花冷えどころじゃない寒さ

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寒い1日だったけど・・・やったぜ!キセノン

2017年03月26日 | スポーツ・健康・ダイエット

たまには日帰り温泉でも行こうと思っていたが、箱根では雪が降って、チェーン規制になっているということで、中止。家を出る前にFMラジオを聞いておいてよかった。

鎌倉の最高気温は10度にはるかに届かず、寒い1日だった。

犬の散歩にも出かけることもなく、1日中、窓の外の大雨を眺めながら、家でゴロゴロしていた。(夕方、車でスーパーまで買い物に出た)

おとといの大怪我で優勝は遠ざかったと誰もが思った、横綱稀勢の里。運命とはこれほど残酷なものかと思っていたら、追い討ちをかけるように、琴奨菊が無様に負け、強行出場した稀勢の里も今場所不調の鶴竜にやっぱり負けてと、日本中のお相撲ファンが落ち込んでいたと思われる。

寒くて、どこにも出かけることのないまま、なんとなく大相撲中継を見始めた。解説の北の富士は不機嫌そうだし、アナウンサーも昨日の照ノ富士戦のことを暗に文句をいっていて、なんだかつまらない放送だった。(途中まで、宇良の勝ち越しぐらいだった)

 

特に北の富士は強行出場による怪我の今後の悪化を心配していた。

ところがところが、あれよあれよというまに、稀勢の里が本割り、優勝決定戦と勝ってしまった。照ノ富士は少々気の毒だったが、相性もあったのだろう。

2戦とも、見事な逆転勝ちだった。特に、稀勢の里の足さばきが素晴らしかった。

 

もはや、キセノンなどと呼んではいけないような立派な横綱となった。あとはゆっくり休んで傷を癒してほしい。

  感動した!

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やっぱり、この仕事が好きなんだろう

2017年03月24日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

診断をしていて、ふと我に返ってモニタの右下の時計を見ると17時半だった。

「もう、こんな時間か。迅速(診断)が14時過ぎだったから、それが終わってから2時間半。あっという間だなー」と思いながら、少し伸びをする。窓の外はまだ明るい。あっという間に春が来ている。

病理の検査技師と世間話をすることもなく(技師さん同士も無駄話はしていない)、半日が過ぎる。

臨床医は患者さんのみならず、いろんな人と話しながら仕事をする。ところが病理医は誰とも口をきかず、もくもくと仕事をやっているけど、こんなのって平気なものなのかなと思うが、たぶん平気なのだろう。こうやって、顕微鏡にしがみついて、所見を導き出して、診断を決め、診断書を必死に書く。そんな病理医の仕事が好きなんだろうなと気がつき、好きな仕事をやっていられることがちょっと嬉しくなる。

そして、気を取り直して、まだまだ片付かない標本の山に戻る。

 この職場もあと少し

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鎌倉駅リニューアル

2017年03月22日 | 鎌倉暮らし

去年から鎌倉駅が工事ばかりしていると思っていたら、実は綺麗になっていた。

今日、駅ビル(といっても2階建だが)がリニューアルオープンした。改札口のホールが綺麗になったのが先週ぐらいだったけど、一気呵成という感じだ。

全体的にシックで、モダンな感じだ。とても”古都”という感じはしないが、これはこれでいいだろう。まあ、ちょっとCIALの看板が目立ちすぎる気がするが。

三角屋根をうまく生かしている。

いつも使う古ぼけた階段があるのだが、そこも数日前に”ペンキ塗りたて”とあったりして、徐々に変わっていた。

東口と西口の案内板が着いたのに気がついたのは、つい3、4日前。

こっちから出たら、西口はちょっとなー、と思ったりしたのだが。

で、その階段を出ると、黒く塗られた壁。この通路は団体用の出入り口につながっていた。ここはどこからくるのか、前からタバコの匂いが酷くて困っていたのだが、それがいつの間にか消えていた。

京都駅にはとてもかなわないが、恥ずかしくない程度にはなった。

あとは、駅前の道路の凸凹だ。これは、鎌倉市の問題か・・・。

  桜の季節に間に合った

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祇園山ハイキングコース

2017年03月20日 | 鎌倉暮らし

鎌倉のいくつかあるハイキングコースのうち、祇園山ハイキングコースは歩きやすく、距離も短かくて子供たちがまだ小さかった頃はよく歩いた。でも、二人とも大学生になってからは、4人で一緒に歩くようなことはもうない。春分の日の今日は快晴で、妻とナイトとでその祇園山ハイキングコースを歩いた。このコースは観光スポットが少ないせいか、歩く人も少なくて、犬の散歩にもちょうどいい。

妻とナイトとでミニハイキング。通勤以外で歩くこと、というか体を動かすこと自体めっきり減ってしまったものだと実感しながらのんびり歩いた。

昨晩、というか、今日未明に村上春樹の”騎士団長殺し”を読み終え、少々寝不足だったが怪我などすることはなかった。

それにしても、桜はまだ固く閉じていたが、本当にあと数日で咲くのだろうか?

 

 楽しみ

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本当は書きたかった私

2017年03月19日 | 読書、映画、音楽、美術

村上春樹の"騎士団長殺し"、いつも(少なくとも1Q84を読んだ時)よりはずっと、ノロノロと読んでいる。読了を目指すだけなら(結末を知りたいという)だけならこの連休で読み終えてしまえるだろうけど、どうもそうしたくない。
いよいよ話が佳境にさしかかってきたところで、もう一度最初から読み直そうかどうしようかと悩んでいる。どこを佳境とするかは人それぞれで、ここまでのどこそこが転換点だなどと言いだしたらキリがない。それほど面白くて、読み終わりたくない話になってきている。
とりあえず、"プロローグ"を何度か熟読して、あと、いくつかの重要な(重要だと私が考える)箇所を確認しながら読み返そう。



それにしても、すごいなー、これだけの長編作品をいくつも書けるなんて、本当にすごい作家さんだ。

コロ健、去年の10月に「やりたいことがあって」などとわざわざ宣言してまでブログの更新のペースを落としたのだったのだが、本当のところはそれ、小説を書こうと思ってのことだった。初めのうちは調子よく書いていたのだけど、途中で頓挫。今、私は自分の表出したい世界というものを文字で表すということの難しさを思い知らされているところ。

普段の病理診断報告書を書いていても感じるが、文章で物事を表現するというのはとても難しいことだ。私の上司は「病理診断は、自分に見えていることをありのままに記載しろ」と言う。そうすると、小説などはさしずめ自分の心象風景をありのままに書き出すことだろう。で、結局私にはそれができそうにない。

そもそも昔から、文章は下手だった。

それに、考えてみたら、何年もかけて小説を書くということは、”プロの作家”すなわち”職業”として書くことであり、私のように別の職がある人間が生半可な気持ちでやれるようなことではない。

ということで、小説それ自体はまあ、気が向いたらということにして、こんきもに軸足を戻そうかと思いつつある。

 

  都心は写真が撮りにくいということもある

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大きな学会、小さな学会

2017年03月18日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

比較的規模の小さな学会があった。最近、病理学会とか臨床細胞学会は大都市でしか開催されないので、地方に行く機会というのはこういう規模の小さな学会とか、この前のように地区の研究会とか勉強会の講演に呼んでいただくことでしかない。

新幹線でどこかまで行って、それから在来線を乗り継いでというのはなかなか不便ではあるけれど、これはこれでその地方の雰囲気とかわかってなかなか良い。新幹線みたいに、景色が飛んで行くわけでもなく、街並みがゆっくりとすぎてゆく。江ノ電ほどゆっくりではないけれど。

今回の会場は三重県だったので、お伊勢参りができると、内心喜んでいたのだけど豈図らんや、間に空いた時間でついでに行けるような距離ではなかった。

朝、市内を散歩しただけで観光らしいものはなし。

いつも通り、”ただ単に、そこで学会があったので、そこに行った”、というだけで終わってしまった。まあ、当たり前と言えば当たり前なのだけど、ちょっと残念。

 ついでじゃあね

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今日、結婚式

2017年03月11日 | 日々思うこと、考えること

友人の結婚式があった。
午前中の仕事を終え式場に向かうのに京急線を使った。3.11にこだわるつもりはないのだが、6年前の3月12日の朝、東海道線も横須賀線もダイヤが乱れていて、横浜までたどり着いたもののあきらめ、しっかり走っていた京急線で逗子まで行ったことを思い出した。
その、3月12日の夕方には後輩の結婚式があって、今度は横須賀線で都内まで往復した。その後輩も今では一児の親となっている。

今日の結婚式、色々あった二人が一緒になった。どうなることかと思っていたけど、案ずるよりは産むがやすしで、楽しく温かい結婚式となった。

 

幾つになっても

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ストレスを産んでいるのは自分

2017年03月10日 | 妻の名言

昨年依頼を受けた原稿がまだ仕上がらない。締め切りをずいぶん過ぎてしまっている。なんとか書き進めようと頑張っているのだけど、どうにもうまくいかない。最近では夜中にうなされて目が醒めることもある。ストレスが溜まっていると自覚する。

そんなことを妻にこぼしたら、「みんなあなたが勝手にストレスにしているだけじゃないの。すべて楽しく考えるようにしなさい。あれもだめ、これもだめって、楽しいことを考えられないの?」と言われた。



ものは考えようだ。せっかくもらった仕事、嬉しいことだ。新しいことが多いので少し時間がかかるけど、それだけ素晴らしいものになるだろう。自分でストレスを生み出して、どんどん落ち込むなんて馬鹿馬鹿しいことだ。

今度の仕事の中にも楽しみを見つけることは簡単だ。私自身が読んで楽しくためになる文章を書けば、それを楽しく読んでくれる人は必ずいる。そう考えたらとても楽しい気持ちになる。そう、あと一息で、楽しい気持ちになる。

 ウキウキ、ワクワク

 

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ゆっくり読むのも難しい

2017年03月06日 | 読書、映画、音楽、美術

村上春樹の小説、騎士団長殺し、第1部(上下巻の上巻)を読み終えた。
早く読み終えてしまうのがもったいないから、などという、「美味しいものをちびちびと」的な読み方をしていたのだけど、必ずしもそれがいいわけではないということに気がついた。

ゆっくり読んでいると、これまでにでてきた大事なことを忘れてしまいそうになるのだ。適当に思い出させてくれているけど、それでもやっぱり忘れてしまうので、読み返すことが少なくない。難しい問題だ。

でも、やっぱり、それなりの速度で読むのがいいのだろう。それに、あちらこちらで、ネタバラシ的なことをする人がいるので、おかしなことを見聞きする前に読み終えてしまいたいとも思う。


 

  イデアの次はメタファー

 

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残された人生で

2017年03月01日 | 日々思うこと、考えること

私ぐらいの年(53歳)になると、各界のトップになっている人も少なくない。病理の世界でもそうで、教授とか部長というような枢要な立場の人も私の世代になりつつある。ついこの間まで親しく口を聞いていたような仲でも、公の場に出れば話す順番も座る場所も違う。
そういう先生たちを見ていると、みなさん若いうちからコツコツと努力してきたものだと思う。
だからそういう人たちを見て、羨ましいとか妬ましいとは感じない。ほとんどの場合、その人がしてきたことに対する評価は正しくなされている。そして、私に対する評価というのも正しくなされている。だからお互い、今いる状態は適切なのだろう。仮にそれが理不尽と思われる経緯の果てであってもだ。

 


私にはこうしたい、と思うことはあっても、こうなりたい、という思いはもうない。それは周囲が評価し、決めてくれる。結局のところ、自分がやりたいと考えることに取り組むしかない。そのための努力を惜しむつもりはない。自分探しの旅など、とうの昔に終えている人間は、今あること、できることをやるしかない。
なにも老け込んだとか、諦めたということではない。残された人生の中でなすべきことが見えてきたというだけのことだ。

 何年あるか分からないが

 

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