昨日の雷雨でずいぶん流されてしまったが、かろうじて残った花びらがはらはらと、時に吹雪のように下を歩く私たちの上に舞ってきた。
今年の鎌倉の桜も今日で見納め、晴れてよかった。

生垣のモッコウバラがちらほら咲き始めた。
いよいよ季節にスイッチが入った。
このところ老いを強く自覚するようになったが、力強い季節がやってくると多少は元気になる。
米国のトランプ大統領は78歳なのだから、老け込むのはまだ早い。
日本は一般的に定年年齢が60歳となっている。
もちろん、定年延長とか、再雇用とかでそれよりも長く働くことはできるが、第一線というわけにはいかない。

これに対して、政治家は皆60歳を過ぎてくると重要な役職が回ってくる。
判断能力など衰えているはずなのにと思うが、ますます意気軒昂にみえるのが不思議だ。
政治が既得権益化していることに危機意識を持つ人は少なくないのだろうが、その不満を掻い潜って利益を享受している一定の集団がいるので、どうしようもない。
歴史など、こんなことの繰り返しなのだろう。
今日も1日頑張ろう
お花見日和の晴天。
こんな日は花粉の飛散もすごいことになっているだろうと情報を見たら、スギもヒノキも”非常に多い”、これ一体いつまで続くのだろう。

鎌倉の桜はいよいよ満開を迎え、朝から大変な人出だ。
近所の人も少なからずいるが、遠くからやってきている人もたくさんいそうだ。
私たちもアンを連れて出てきたが、歩けるところを見つけるのが一苦労だった。
私はそのまま横須賀線で仕事に出た。
車窓からもたくさんの桜が見られる。
春は日本じゅうがお花畑になる。

株をやっている友人が、トランプ関税を”人災”といっていたが、たしかに株は暴落しているようだ。
株のことはほとんど知らないが、細々やっているNISAも随分目減りしてしまったのをみると、洒落にならない状況なのはわかる。
トランプが世界中に向かって仕掛けた経済戦争のほうが、プーチンがウクライナに対して行った武力行使よりはマシだ。
合衆国大統領が米国民のために保護主義をとらざるを得ないのは仕方のないことなのだろう。
トランプ大統領が私腹を肥やすためにやっているのではないというところが、厄介といえば厄介で、一歩も後には引かないという意志は変わらないだろう。
輸出産業は戦々恐々といった風を装っているが、まずはこれまでの内部留保を業界全体に還元して、この難局を乗り切ることを考えるべきではないか。
もしかしたらドルが大暴落して、原料が安く手に入るにようになって原価がとっても低くなるかもしれない。
食糧を安くして
今日も雨、それも大雨で、段葛の花見は断念。
頭が痛いのは、寒さのせいか、低気圧のせいか、それとも花粉もしくは黄砂のせいかよくわからない。
明日には上がってくれることを願う。
今年のNHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」は斜陽の吉原を盛り上げようとする男の一代記。HPでの番組紹介が『日本のメディア産業、ポップカルチャーの礎を築き
時にお上に目を付けられても面白さを追求し続けた人物
“蔦重”こと蔦屋重三郎の波乱万丈の生涯。』となっていて、これって、フジテレビの”楽しくなければテレビじゃない”という方針に重なっていて興味深い。
フジテレビの出演タレントと女性との問題に端を発して設置された第三者委員会の報告書というのが、主だった人物が逃げるようにして表舞台から去った後の三月三十一日に公表された。
目次だけ見たがおぞましくて内容までは読む気にならないが、そのうち時間ができたら読んでみようと思う。
ただし、フジテレビがこの報告書をネット上から削除しなければの話で、そうならないうちにダウンロードしておいた方がいいだろうか。
今回の大河ドラマを見ていて、主人公が吉原に客を呼ぶために、遊女をタレントのようにして扱って”細見”を売り出して大当たりしたというのは、今の芸能界に通じるものを感じる。
当時と今とでは倫理観が異なるため一概には言えないだろうが、実際フジテレビでそんなことが起こっているという話を聞いたらそんなものだろうと思うし、それはフジテレビだけではなく、業界全体の話なんじゃなかろうか。
その防止のために、NHKは2、3年で転勤させて社内での色恋の不祥事が起こらないようにしていうのではないかと勘ぐったりするが、外郭団体ではしょっちゅう不祥事があるので、その効果も限定的だ。
メディア業界のような華やかな世界に憧れる人はあまたいるが、そこで成功する人はほんの一握りで、成功の鍵は実力だけではないというのが残念だ。
不思議なのは、どうしてああいうところにお金が集中するかということ。
スポンサーという名の会社は社会的役割を果たす一環で民放を支えているということになるのだろうが、民放が公共放送としての役割を果たしているかというとはなはだ疑問だ。
吉原とテレビ局を一緒くたにしては失礼だが、少なくともその売り出し方の基礎が江戸時代に確立したというのは興味深い話だ。
局の幹部が置屋の旦那衆
真冬並みの寒さの四月一日。
新年度が始まる。
こんなに寒いとエイプリルフールの冗談も言えない。
誰が今日までダウンコートを残しておくべきだと考えただろうか。
というか、四月になってダウンコートなんか着ている方がおかしいのだが、今春はそれの方が正しい選択だったということになる。
常識はいつでもくつがるので、疑ってかからなくてはいけない。
昨日、南海トラフ大地震の被害想定が発表されたが、被害総額は240兆円とかで、この国は破綻する。
地震なんて来るかどうかわからない、今後30年以内に80%といったところで、来ないかもしれない。
などといっていても、いつ、どこで起こるかなど誰もわからない。
今回のミャンマーの大地震だって、誰が予想していただろう。
ましてやタイの人なんて、思いもよらない被害に遭ってしまったということになる。
常識に囚われていてはいけないが、かといっていつも常識はずれのことをしようとしていては余計なことが多すぎて効率が悪くなる。
バランスをとりながら生きるというのは難しい。
工夫が大事
昨夜からとても寒くなって、しばらくゾクゾクしていたが、やっと落ち着いてきた。
寒の戻り。
しばらくは油断しないで過ごそう。
咳の方はやっと治ってきたが鼻水は止まらない。
結局熱は出なかったので風邪ではなくて花粉症が喉に来ただけのような気がする。
これで熱が出たらだるくて外に出る気も失せるがそうでもない。
私と同じような症状なのだろうか、電車に乗っているとあちこちで変な咳をしている人がいる。
困るのが、咳をした時に隣の人に睨まれること。
色んな意味で咳をした人のことを見るのだろうと思う。
少なくともマスクをしているか、体調はどんなふうか、そんなことを思ってのことだろうが一瞥された方としては好きで咳をしているわけではないし、マスクをつけて咳エチケットは守っているのだから責められるようなことはないのにと思ってしまう。
睨み返してもしょうがないが、こっちも気を遣っているということはアピールしたくなるが、とにかく咳がとまらないのではそうもいかず困る。
のど飴を舐めたり、スプレーをしたり、と色々やってみる。
花粉症が猛威を振るうこの時期、何か一定のルールがあればと思ってしまうが、さすがにそんなもの作ることはできないだろう。
ケホケホ
いつの間にか夜明けが早くなって、出かける時間に花の姿を見ることができるようになった。
シクラメンの鉢に植えたチューリップが咲き出して、うまく行ったと思っていたが、ちょっと鉢が小さかったか気の毒に思っている。
日差しは春の力強さを持っているものの、今日は強い風が吹いていてその暖かさも若干相殺されている。
手袋をつけて出るつもりだったが忘れてしまい失敗だ。

風邪の方はだいぶ治ってきたように思うが、そもそも風邪というよりは花粉症で粘膜がやられていただけなので、シーズンが終わるまでは治ったともいえない。
今日は、”大量”の花粉が飛散するそうで全く参る。
いいたいことはいくらでもあるのだが、キリがないので今日はやめておく。
ウクライナでの戦闘が1日も早く終わることを祈念する。
平和な日