最近読んだ雑誌に、今日の人間が1日に生み出す情報量は、人類が太古から2003年までに生み出した情報量に匹敵する、というようなことが書かれていた。
今、私たち人類は、未曽有の情報の洪水にさらされている。そして、この洪水はしばらく収まることはないだろう。
病理の教科書、参考書を読むにあたり、そこになにが書いてあるのか、ということを考えるとき、少なくとも教科書レベルではもう病理学を語ることは出来なくなりつつある。
教科書にある項目数は膨大な数である。だが、それらがすべて最新のものであることは難しい。
先日、ある教科書の執筆に加わらせていただいたが、書いていく端からデータは陳腐なものとなってしまう。
病理学は広大な学問であり、それこそ、基礎医学から臨床医学までの幅広い分野を統合したものであり、それぞれが爆発的な広がりを持ってしまった今日、1冊の教科書でそれぞれの分野の先端の知識をカバーすることは難しくなりつつある。
なにより、教科書は改訂が数年に1度しか行われない。だから、一部の分野について新たなことが分かっても容易に改訂できないために、古い知識が残ってしまうこととなる。
教科書にはたくさんのことが書かれているが、それらはすぐに古くなってしまうというのが、現状である。
一方、参考書。
日本の病理学の参考書の最高峰は「外科病理学」である。
あんな立派な本を参考書とは何事、とおっしゃる方もいるかもしれないが、病理総論が述べられていない点で参考書であると考える。
「外科病理学」だけでなく、病理診断のための参考書的な書物はこれまたたくさん発行されている。
消化管、皮膚、乳腺、呼吸器、血液疾患、リンパ腫、腎臓・・・数え上げたらきりがない。
これらの参考書は、小さい分、小回りが利く。それぞれの臓器、疾患について細かく書かれている。
病理学の初めて勉強する学生にとっては教科書でいいだろうが、病理診断を行う病理医にとっては参考書を多数そろえて業務にあたることになる。
次回は“誰が書いたものか”について。
今、私たち人類は、未曽有の情報の洪水にさらされている。そして、この洪水はしばらく収まることはないだろう。
病理の教科書、参考書を読むにあたり、そこになにが書いてあるのか、ということを考えるとき、少なくとも教科書レベルではもう病理学を語ることは出来なくなりつつある。
教科書にある項目数は膨大な数である。だが、それらがすべて最新のものであることは難しい。
先日、ある教科書の執筆に加わらせていただいたが、書いていく端からデータは陳腐なものとなってしまう。
病理学は広大な学問であり、それこそ、基礎医学から臨床医学までの幅広い分野を統合したものであり、それぞれが爆発的な広がりを持ってしまった今日、1冊の教科書でそれぞれの分野の先端の知識をカバーすることは難しくなりつつある。
なにより、教科書は改訂が数年に1度しか行われない。だから、一部の分野について新たなことが分かっても容易に改訂できないために、古い知識が残ってしまうこととなる。
教科書にはたくさんのことが書かれているが、それらはすぐに古くなってしまうというのが、現状である。
一方、参考書。
日本の病理学の参考書の最高峰は「外科病理学」である。
あんな立派な本を参考書とは何事、とおっしゃる方もいるかもしれないが、病理総論が述べられていない点で参考書であると考える。
「外科病理学」だけでなく、病理診断のための参考書的な書物はこれまたたくさん発行されている。
消化管、皮膚、乳腺、呼吸器、血液疾患、リンパ腫、腎臓・・・数え上げたらきりがない。
これらの参考書は、小さい分、小回りが利く。それぞれの臓器、疾患について細かく書かれている。
病理学の初めて勉強する学生にとっては教科書でいいだろうが、病理診断を行う病理医にとっては参考書を多数そろえて業務にあたることになる。
次回は“誰が書いたものか”について。