こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

今日も鎌倉は混んでいた・・・

2013年06月30日 | 鎌倉暮らし
今日も鎌倉は混んでいた。
鶴岡八幡宮では大祓式を行っていて、人形(ひとがた)を預けに行った。
茅の輪くぐりの長蛇の列に驚いたが、その足で行った小町通りにはもっと驚いた。
5メートル先が見えない。

先週、レジデント夫婦が鎌倉に来てあまりの混み具合に辟易したというようなことを言っていたが、確かにそうだったのだろう。
先週末、昼間は外に出なかったのでよく理解できなかったのだが、週末の鎌倉はここのところこんなだったのか…

世界遺産に選ばれなかった程度の街にどうして?と思うが、神社仏閣あり、山あり海ありのこの街、多くの人が来るのも無理のないことかとも思う。

さて、その小町通りには「みよし」という、鎌倉一美味しい(と私たちが決めている)うどん屋がある。美味な天麩羅といっしょに食べるうどんは絶品だ。
娘が漢字検定を受けてきたので、妻と娘と私の3人でお疲れ会で遅い昼食を食べに行った。30分待ちだったが、その間、私の前の組で待っていた横須賀基地に勤務するアメリカ人のカップルに声をかけてしゃべっていた。来月からオーストラリアにホームステイに行く娘に持たせるお土産には何が良いかを聞くことができた。
そうこうするうちに、彼らが先に呼ばれ、私達もしばらくして呼ばれ、店に入ったらまた、彼らの隣りで、話の続きができた。

やっとありつけたうどんは、やっぱり大変おいしかった。

6月も今日で終わり。今年も半分、あっという間。

19時近くになって、ナイトを連れて八幡宮にいったらとても空いていて、茅の輪をくぐることができたのだが、緊張して3回のところを2回しか回らなかった。



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スペシャリストとそれ以外

2013年06月29日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
病理学会関東支部の学術集会が都内であり、昼前に鎌倉を出た。
今日も鎌倉には多くの人が訪れ、特別列車も仕立てられている。こういう列車に一度乗ってみたいと思うが、朝乗ってくるわけにはいかないし、夕方乗っていったらいったいどこに連れて行かれるかわからない。

さて、そんな鎌倉を後にして横浜経由で会場の大学へ。
今日の会は婦人科病理学会との共催ということであった。今日のテーマは卵巣腫瘍で、その道のスペシャリストが講演をした。
普段、雑誌や教科書でみるような有名病理医がこれでもかという感じでお話をしてくれ、4時間余りの間、まったく眠くならなかった。
スペシャリストの話というのはどの分野であっても傾聴に値する。

私も小さな研究グループにはいっていて、その会主催の研究会とか勉強会では講師を勤めさせてもらうこともある。
今日は全くの、”それ以外”であったけど、私の番になったら、今日の先生方を見習って、聞いている人を眠くさせない興味深い話ができるようになりたい。

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楽チン

2013年06月28日 | 日々思うこと、考えること
昨日一日、何も考えずに過ごしたら、とても楽だった。
生きていく上での疑問など持たずに、仕事だけしていたらあっという間に一日が終わった。
たしかに、仕事ははかどったし、論文も読むことができた。
これはこれで良いのだろうが、私の人生全てからみたらどうかはわからない。
要は仕事とブログとその他の趣味にかける時間のバランスだと思うが、その取り方はなかなか難しい。





写真まで上手く撮れなくなってしまった。

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1,000日連続投稿

2013年06月26日 | 日々思うこと、考えること
こんにちは、コロ健です。もともとは、コロコロ健太もしくはcolocolokentaでした。
私のブログ、『こんな気持ちでいられたら』、略して『こんきも』、を読んで下さりありがとうございます。
6年前、まだ小学生だった娘に意地悪をしてしまい、そんな自分を見つめ直そうと始めた日記ブログですが、おかげ様でずいぶん続けることができました。
さらに、2010年9月30日から今日で1,000日連続投稿となりました。


毎日、ほぼ300人の方が読んで下さり、多くの方から温かいコメント、一緒に考えてくれるコメントなどをいただき、それらを励みに続けて来ました。

本業の病理学も道半ばであるのに、人としてのあり方だとか心だとか存在だとか、不遜なことも数多く書くようになってしまいましたが、私の気ままな日記ということでお許し下さい。

これでこのブログを終わりにする気はまったくないのですが、目標を達成できたので毎日続けての投稿は今日で終わりにします。もったいないかもしれないのですが、ブログにかけてきた時間を勉強に回します。あと、読書にも。
私は、病理医の仕事をするかたわら、ヒトの誕生に関わる研究をほそぼそとしています。私の研究への社会的なニーズも高まってきて、これまでの貯金だけでは対応できなくなってきました。
また、読書量も減って、心がちょっと貧しくなってきています。

毎日だったからこそ、毎日読んでいただけたということはよくわかっていますし、そんな方に毎日会えると思って頑張ったということもあります。
ですので、毎日楽しみ(?)にしてくださっていた方には、投稿が不定期になってしまうことをお詫びします。

ブログの内容について、どうこうしようなどということは無意味だと思っています。
これからもみなさんそれぞれに受け止めて下さい。

これからも、こんきも、どうぞよろしくお願いします。






はじめ と おわり

2013年06月25日 | 日々思うこと、考えること
すべてのことには“はじめ”があり、そのどこかに“おわり”がある。

それが、生成から消滅に向かっているのかそれとも、その逆に向かっているのかはわからな生成も消滅も人間が決めているだけのものだ。

いずれにせよ、ことが向いている方向は一つで、それはほぼ時の流れに一致している。時間にも乱れや歪みといったものがあるかもしれないが、その流れはいずれにせよ一方向である。

仮に“はじめ”を生成とすると、“はじめ”からいろいろなものが派生したというように考えることができる。
派生した、という場合、難しいのは“無生物”と“生物”の境界線となる。

“生物”を定義するのは遺伝子である。遺伝子は自己複製のためにキャリアーとしての生物を必要とし、生物を”生かしている”。

だが、遺伝子はDNAの組み合わせであり、DNAは窒素、水素、リンと酸素の各分子の組み合わせからできている。これらの分子を生物ということは困難なので、無生物の組み合わせが生物になっていることになる。
遺伝子が“無生物”であるとなると、生物は無生物と等価になる。というか、生物と無生物をわけるということも意味が失われてくる。

それぞれの”物”が持っているエネルギーとか質量とかのことを言い出すとこんがらがってしまうが、結局のところ、私たち人間も、ほかの生物もさらにはすべてのモノも同じ地球上というか宇宙にあって、同じ時間軸上でどこかに向いて進んでいる。

そしていつかはすべてがおわりになる。
おわりとは一体なんなのかわからないが、おわりは必ずある。

今というのは、はじめとおわりの間のどの辺りなのだろう。
そして、自分というのはそのどこにいるのか?
すべてが無生物であるならば、自分ははじめからいて、おわりまでいることになる。

自分(というのが、正しい表現なのかよくわからないが)というものの存在を明確化しようとすればするほど、どんどんおかしな方にいってしまう。

今日もまた、落としどころがわからなくなってしまった。

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『空飛ぶ広報室』と東日本大震災に関わる私の記憶

2013年06月24日 | 自然災害・事故・感染症
TBSテレビの日曜劇場『空飛ぶ広報室』の放映が昨日で終わった。最後まで、一家で楽しませてもらった。一テレビドラマの感想をただ書き留めるというのはどうかと思ったが、最終回を観て、どうしても記憶しておかなくてはならないことがあるのだとあらためてわかった。

2011年3月11日に起きた東日本大震災のこと、私は少し忘れていた。

ドラマを見終わったあと、あの時の不安、混乱を思い出し、心がざわめいてなかなか寝付けなかった。震災に関連したメールは、未だに捨てずに保存している。
最終回冒頭のメールのやり取りのようだが、私が関わったメールをいくつか挙げておきたい。



妻へ送った1本目のメール。一番最初のメールは、発生から1時間後だった。

送信日時:2011年3月11日 15:51 タイトル:収まったかな
(親子)3人一緒だったんですね。
安心しました。
医局の本棚から少しノートが落ちていましたが、すぐ戻せました。
ひどい人は、ずいぶんひどい状況です。
電車が動くようになるまでどうするか、考えます。
返信メールは携帯に下さい。


送信日時: 2011年3月30日 10:48  タイトル:「東北地方太平洋沖地震」被災地支援へのカレンダー送付ご協力のお願い

各位
平素より、お世話になっております。
さて、「東北地方太平洋沖地震」被災地支援へのご協力のお願いを致したく、個人的にメールを出させていただきました。
今般の大地震では、多くの方が被災されたことは皆様ご存知のことです。すでに、皆様方、様々の方法で支援活動を行っておられることと思います。
さて、被災地では、たくさんの家財道具のうち、カレンダーも消失し、大変困っているとのことです。長引く避難生活により、日付の感覚が失われるということは、阪神淡路大地震の際にも問題になったそうです。
そのようなことで、私どもは被災地へのカレンダー送付を準備しています。
今年のカレンダーで、余っているものがありましたら被災地への送付をご検討ください。
すでに、行っておられるようでしたら、いいのですが、もし、カレンダーの余りがあるのに、送る手だてが無いという状況でしたら私にお預けください。
責任を持って被災地に送ります。
送る方法は、
(中略)
私まで、お届けくださる場合は、さしあたり、4月8日(金)までにお願いします。
量の多寡は問いません。カレンダー一部あれば一人、いえ、もっと多くの人が助かります。
また、皆様の周りでもカレンダー送付の輪を広げていただければ、幸いです。
ご無理の無い範囲で結構です。
被災された方へのご支援、よろしくお願いいたします。
用件まで。

この時のカレンダーは、お役に立っただろうか。このあと、妻らで企画した復興支援イベントのお手伝いをした。



あの日は金曜日。夜に高校の同期会を開こうということになっていた。その中止の連絡が来た。
高校のメーリングリストに投稿されたメールのいくつか。

送信日時:2011年3月11日 17:37  タイトル: Re:
宮城の○○、大丈夫かな?
××

約1週間後、返事があった。

送信日時: 2011年3月17日 23:23  タイトル:無事です。(○○)
同級生の皆様、この度はご心配いただきましてありがとうございます。○○です。私の自宅は宮城県□□市にあり、この度の大地震で自宅から300m付近まで津波がきました。仕事場は宮城県△△市で海岸から400m位離れたビルの2階にありますが、1階が津波で床上浸水しました。仕事場は地震の揺れにより中はめちゃくちゃで、器材の交換工事等を行うため回復するまでは1ヶ月位かかりそうです。自宅は2日前に電気が開通し、本日固定電話が開通しましたが、依然として水道とガスが不通です。仕事場はライフライン全て不通です。皆様がテレビ等でご覧になっているとおり、津波の被害は甚大です。私は現在自宅にて過ごしてますが、自宅も仕事場も本当に紙一重で津波から逃れることができ、たいへん運がよかったと思ってます。今も余震が続いていますが、関東地方も地震が多発する様になってきているようですので、ご注意ください。ライフラインが一瞬にして全て通じなくなるのはたいへん怖いです。さらに、地震で怖いことは揺れで室内が散乱することよりは、火事により煙に巻き込まれることと津波です。地震発生日の夜は、火事と津波からいつでも逃れられるように車内で過ごしました。救いは家族全員が健康なことと、停電で町中が暗いと星空がたいへんきれいに見えることです。

石油会社に勤めている友人からのもの。

送信日時: 2011年3月30日 21:23  タイトル:燃料供給状況
☆☆です。■■に会社組織の中で応援に行きましたが、◎◎のスタンドもかなりの数が津波の被害に遭いました。支店の社員が連日被災した販売店さんを訪ねて、今後燃料供給ができるのか確認に回っていますが、ご家族の安否が不明の方もいますし、ご家族を亡くされた方もいます。スタンドが津波で跡形も無くなり廃業を決めた販売店さんもいます。状況の悲惨さには本当に辛いものがあります。

良い話としては◇◇県内のガソリンスタンドも徐々に立ち上がり始めています。供給量はすぐには回復できませんが、タンクローリーでスタンドにガソリンが入れば、その量により車は台数制限があるので並ぶのですが、20L前後は1回に入れられるようです。元売各社でガソリンを融通しあい、できるだけ広い地域に満遍なく行き渡らせる動きもあります。緊急車輌は緊急車輌専用のスタンドが割り当てられていて決められたスタンドでの給油が必要です。燃料供給支援はまだまだ継続的に頑張る必要があります。
できることは限られているので、できることを一所懸命にやるのみ、それしかできませんしそれで良いと信じています。
☆☆

送信日時:2011年3月19日 13:27   RE:◆回生の皆様へ
◆回生の皆様、ご無沙汰しております。
★★です。
同窓会には参加出来ずに大変残念でした。
私は現在、※※国に在住です。
こちらにはNHKプログラム中心の日系ケーブルテレビがあるのですがいつものように夕食後、退屈な番組を観ていたときに地震速報が流れて状況を知りました。
そのまま番組は街々が津波に飲み込まれている姿を流し続けました。
結局、そのまま今日の午後(8日間休み無く)までコマーシャル無くNHKのニュースを24時間流しておりますのでもしかすると日本で仕事をこなしながら生活している皆さんよりも状況把握しているかも?
(中略)
ボランティアへ伺おうと考えているのですが、被災地は未だ入れる状況に無くただただ離れた地から手を拱いているばかりです。
そこでお願いですが、何方か猫の手でも借りたいを言う方いらっしゃいませんか?
玄関でも貸して頂ければ寝袋、食料持ってでも伺います。
後方支援等、なんでも必要とされているからどうかご一報ください。
★★

彼はその後、被災地で連日黙々と、大変な活躍をされたと、Facebookで知った。
ほかにも多くの旧友、知人が震災復興へと走り、いまでもそれを続けている人もいる。

もっと、いろんなメールを載せたいが、とてもではないが載せきれない。
メールを読み返すと、いろんな人がいろんな思いで大震災を受け止めていたことがわかる。その事実を覚えてもいる。だけど、少し忘れていたこともあった。

先日会った被災地在住の友人が「だんだん、忘れられてきているんだよね」と、さびしそうに言っていた。

『空飛ぶ広報室』の最終回でのメールのやり取りは、最後に東日本大震災を忘れてはいけない、という重要なメッセージを私に送ってくれた。

なお、震災の日のこんきもの記事は『大地震』だった。
残念ながら、机の上はあの日よりも汚くなっている。

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芝刈り日和

2013年06月23日 | ガーデニング・菜園・花・緑
週末が学会だったり、大雨だったりしているうちに、いつの間にか6月も下旬になってしまった。家の前を車庫にしているのだが、枕木を敷いてその上に車を乗せている。そして、その枕木の間に芝を植えている。
3月頃に目土をしたきりでいたら、いつの間にかぼうぼうになっていた。

ずっと気になっていたのだが、そんなわけで手入れをする機会がなかった。
昨日、今日は梅雨の晴れ間。昨日は大雨のせいで庭がびしょびしょだったので手入れできなかったが、今日も快晴。久しぶりに芝刈りをすることにした。

今日の鎌倉、湿度もほどほど、風も穏やかで、過ごしやすかった。
思ったほどの伸びではなく、芝刈り用のバリカンで、1時間半ほどで刈り終えた。

終りかけのマーガレットの刈り込み、ラベンダーの花柄摘みなどをあわせて行ったら、ずいぶんきれいになった。
なかなか手を付ける暇がなかったが、やっとできてよかった。

ただ、熊手の歯が折れていて刈った芝を集めるのが少々大変だった。
そろそろ買い替えないといけない。

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夢を持ち、夢に向かって進め

2013年06月22日 | 生き方について考える
昨晩、小さな研究会があり、関西から来ていた病理の先生と帰りに食事をした。
例によって、ずいぶん飲んでしまったのだが、飲むうちに私もその先生もおおいに酔っ払って話が盛り上がった。

そこで言われたのが、

 コロ健先生、先生は、夢を持ってはりますか?

 先生、夢は持たなアカンですよ。そりゃ、先生が今からアイドルになるのは無理かもしれんけど、何か夢を持って、それに向かって進んでいくんです


はっきり言って、虚を突かれた。

「夢」と言われ、思い浮かぶものなどなにもなかった。

当面の片付けなくてはいけない仕事、それに付随するいくつかの事項はあるものの、将来の夢などというものを思い浮かべたことはなかった。

小学生のころの夢は外交官になって世界中を飛び回ることを夢想していた。
少し大きくなって、小説家になりたいと思ったこともあった。

結局、父の希望通り医者になった。
そして、それまで抱いた多くの夢は潰え去った。
医学部に入って、医者になったら将来ダウン症の弟の治療ができればと思ったこともあったが、染色体異常を根本的に治すこと(すべての細胞の染色体を入れ替えること)は無理と知ってあきらめた。

医者になって病理に進んだものの、そこでの専門は夢見ていたものとは別のものとなり、人事は私の希望とは違った。

こうして、「夢」などと言うものは次々と失われ、いつしか忘れ去った。


そこに来て、突然「先生、夢、持ってはりますか?」である。

その先生は52歳、不肖コロ健49歳。
お互いこの先何が何年残っているかもわからいような、そんな二人のおじさんが、居酒屋の片隅で、”夢”の話で盛り上がったのだった。

具体的な話はしなかったが、彼は確固たる夢を持って、その夢に向かって進んでいるそうだ。

正直いって、彼が、うらやましかった。

別れ際に、もう一度、

 コロ健先生、夢はいいですよ。
 先生も夢を持ってください。

そう言われた、それはほとんど励ましだった。

そして、私も夢を持つことにした。

だが、それから一晩たっても、夢は思い浮かばない。
さて、私はこれから夢を持つことはできるだろうか?
夢を持つにはどうしたらいいのだろう。

ちゃんと考えないと、夢を持つことはできない。

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今すぐにでも謝りたい。

2013年06月21日 | 日々思うこと、考えること
今すぐにでもその人のところへ行って謝りたいこと、というのが私にはいくつかある。

“今すぐ”といって、数年、なかには数十年謝ることができないでいることがある。
それらの中には、今更謝っても取り返しのつかないものも含まれている。

去年の今頃、『なぜ、心にも無いことを口を滑らせて言ってしまうのか』(2012年7月5日)『なぜ、心と裏腹なことを言ってしまうのか。』(同7月6日)という記事のなかで、私の口の軽さを後悔し、少しでも良い生き方をしたい、と述べた。
だが、もっと根っこのところで、私は謝らなくてはいけないことがあった。

多少なりとも、互いの間に不満や誤解があって私が相手を傷つけたり、迷惑をかけたりしたのであれば、相手にも“何らかの落ち度”があったわけで、今更謝って、過去を蒸し返す必要は無い。

だけど、相手に落ち度が全くないのに、傷つけたこと、迷惑をかけたことがある。それらのことについては、謝りたいのだけど、今となっては相手との連絡はつかなくて、謝ることができない。

本当の意味での後悔、というのはこういうものを言うのではないかと思う。

妻や子供に対して、何も悪いことをしていないのに、怒ったこともある。だが、家族には謝ることができるし、実際にそんなときにはすぐに謝った。

だが、傷つけた、迷惑をかけた相手が、家族以外であったら、謝罪、釈明する機会というのはなかなか無い。というか、そのことがきっかけで、二度と会わなくなってしまうこともあろう。
実際、私が謝りたくても謝れない人とこの先、“偶然”出会うことはないだろうし、仮に会ったとしてなんと言って謝ればいいのかもわからない。

「あの時は、あんなことを言って、ごめんなさい」などと謝ったところで、相手の心は少しも晴れないだろう。もし、ずっとそのことを根に持たれていたら、おかしなことになりかねないし、せっかく忘れていてくれたら、思い出させることになる。

日々、思慮深く、心を広く持って、人に優しい気持ちで生きていなければ、結局のところ自分自身につらい思いが返ってくる、ということだろう。

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クチナシ(梔)ロード

2013年06月20日 | ガーデニング・菜園・花・緑
 今年もまた、クチナシの季節がやってきた。
 梅雨時は花境期、ひまわりやカサブランカなどの夏の大輪の花はまだつぼみのものが多い。
 クチナシも可憐な一重のものはすでに咲いているが、より香りのつよい八重のものはこれからが本番だ。

 こんきも(このブログのこと)では、去年(クチナシの季節)一昨年(虫の気持ちがよくわかる)と、クチナシの花について書いているが、やはり今年も書かないでいられない。

 花の香りは様々あるが、私にとってクチナシの花の香りは尋常な気持ちではいられないほどのもの。緑の蕾の中にたっぷりと詰め込まれた香りが、開花とともに清楚な白い花からあふれでて、あたり一体に満ちる。風に乗ればずいぶん遠くからでも花のあることがわかる。

 朝晩、通勤の時には必ず、クチナシの植わっている家の前を選んで歩いる。いわば、わたしにとっては“クチナシロード”。

 今夜もクチナシの香りをたどって帰ってきたが、どんなに暗い道でもクチナシの植わっているところはわかる。近づいて、胸いっぱいに香りを吸い込めば、今日1日にたまったストレスも吹き飛ぶ。

 そんなことを言っても、クチナシのファンになったのは、一昨年のことで、それ以前は香りは知っていたが、花のことはほとんど知らなかった。

 歩いて通うようになって知った香りとしては、ほかにキンモクセイがある。どちらも普段は地味な木だが、その香りを知ってからは、花が咲いてない時期でも気になるようになった。

 こうして、クチナシの美しさ、香りを思い浮かべるとそれだけで、ドキドキしてしまう。まるで、恋人を思うときのようだ。

 都内のクチナシが咲き始めているのに、家の玄関前のクチナシの花がまだ蕾ばかりであるのが多少残念ではあるが、逆に咲いた時のことを思うと、とても楽しみである。

 もちろん、この季節の代表はバラでその美しさは言わずもがなだが、香りも美しさもクチナシも負けていない。


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嵐はすべての人に

2013年06月19日 | 生き方について考える
台風4号(リーピ)がフィリピン沖から北上してきている。
今日は19日(水)。予報だと、22日(土)に本州の太平洋岸を東進している。

天気図をみると、梅雨前線が上下して、週末にかけて北海道を除く日本列島は大荒れとなりそうだ。

見上げれば、不吉に渦巻く雲と総裏白となった木の葉。
ここのところの体調不良に追い討ちをかけられるような気がしてならない。私の運命は、ますます混迷の度合いを深めていきそうだ。


などと思ったが、これはまったく身勝手な言いぐさだ。
自然のうねりというのは、その地域にいるすべての人に平等に訪れる。
だから、私の不安は、程度の差こそあれ、周囲の人も同じように感じているはずだ。

ある人にとっては、それは将来への漠然とした不安かもしれないし、ある人にとっては明日の屋外での活動が滞り無くいくかの心配かもしれない。


『不吉な予感』などといったところで、結局のところ、皆一緒で、そこにいる全ての人の行く手を暗示することになる。

地球温暖化も同じ。
あるところでは潮位の上昇が問題だし、よそでは氷河が溶け、ワインの味が変わる。

つくづく、地球なんて小さいもので、その上でちまちま生き延びている人間などとるに足らない存在だと思う。

昨今の不毛に見える諍い、当事者にしてみれば大事なのはわからないでもないが、本質的には一体何をしているのだろう。
たぶん、当事者も自分達のしていることが、目的化していることを知っているはずだ。
だが、それぞれがもう戻れなくなっているのだろう。

さて、私はどうか。
目的があって存在しているのか、存在することが目的なのか。





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大学入学はゴールかスタートか

2013年06月18日 | 家族のこと
大学一年生の息子、楽しく学生生活を送っている。
私としては、部活には是非バスケットをやって欲しかったのだが、結局バスケット部には入らず、ほかの運動系の部活やら非運動系の部活複数に入った。中学時代地区代表にまで選ばれたほどの腕前で、身長も十分にあるので医学部のレベルであればけっこういいセンいくだろうと思っていた。私の母校のバスケ部のOBで息子と一緒にプレイした後輩も、息子がバスケットを再開することを期待していた。だが、部活に入るのは私ではない、4月の始めにちょっと話したきりで、その後は黙っている。

彼の選んだ部活は、いずれも練習とかミーティングは週一回前後で、複数入ることができたようだ。結構ユニークなことを行っているようで、息子にとって、大学がいろんなことのスタート地点になっているように見える。

私が学生の頃、”大学デビュー”とかいって、大学に入ったとたんはじけちゃっていた学生がいたが、今も状況はそう変わらないだろう。私は、デビューというほどはじけはしなかったが、大学に入ってからそれまで以上のことはしなかった。
私は、“医学部に進め”という父の希望に応えたことで、子としての義務を果たしたと思い、そして、それで終わった。
私にとって、大学はゴールだった。

息子が大学に入学した時に、「せっかく大学に入ることができたのだから、もっと勉強しなくちゃ」と言っていた。本人が希望して進んだ道なので、当然といえばそれまでだが、やまあ、入ってしまえばそれまでと思っていた。ところが、まだせっせと勉強しているようだ。息子と大学生活の話をすると、勉強熱心な学生はほかにもいるそうで、そういった学生と一緒にいることが多いらしい。
大学に入るまで、勉強しろと言ったことはあまり無かったが、このまま言わずに済みそうである。

そもそも大学生というのは、自分の意志を持った大人である。
スポーツや芸術さらには芸能界などを見渡せば、同じ年の若者は独り立ちして世界を目指して努力を重ねている。うまくいけば賞賛されるし、ダメなら忘れ去られる。
大学生も同じだ。大学に入って、“これで上がり”ではない。勉強する場を得て、いよいよこれから本当の学問を始めるのが本当だろう。

一方、不肖、コロ健、自分のこれまでの生き方を思い出すと、恥ずかしさ、後悔しか浮かんでこない。大学ということろがどのような存在であるのかを、正しく認識していなかった。

大学は、ゴール地点ではなく、スタート地点だった。
今頃気づいたところで、あとの祭りである。

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体調不良につき

2013年06月17日 | 日々思うこと、考えること
風邪の後遺症の咳がなかなか取れないでいるうちに、今度は胃が痛くなってきた。
昨晩から痛みは増強して、今朝は相当つらかった。

さすがにこれほどだと、ブログを書く手も進まない。
一日黙りこくって黙々と仕事をしていたが、夜になっても痛い。
困ったものだ。

自分の見立てで、薬を飲んでいるのだが、効果が無いようだ。
明朝も痛みが持続しているようだったら、消化器内科にかかろう。
体調不良につき、今日はこのへんで。

それにしても、まいった。


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雨の日と白黒映画

2013年06月16日 | 日々思うこと、考えること
中学高校時代、部活のない雨の日曜日は一日家にいることが多かった。
音楽を聴くか、テレビを見るかだった。

もう、30年以上前の話かと思うと時の流れの速さに驚くが、あの頃の休日の午後の映画と言えば、ヒッチコックものや植木仁のものとともに、特撮もの(ガメラ、ゴジラ、大魔神等々)がよく流れていた。
雨の日は日の光が乏しく、そもそも背景となる風景が灰色だということがあるからかもしれないが、雨の日曜日というと白黒映画の思い出が強い。

日本の白黒映画はセリフが時代ががったものが多く、どれも大げさだった。
セリフが大げさだったから、逆に印象に残っているのかもしれない。情景と言葉というものはずいぶんリンクしている。さらに雨の日となると、湿気までも思い出されてくる。

晴れの日は何かのイベントが続いてきて、天気そのものは話題にならない。
雨の日は、雨であることが一つのイベントというか話題になる。

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ブログの書き方5・・・話はどの程度まで

2013年06月15日 | 電脳化社会
”ブログの書き方”というタイトル、去年の3月から数度にわたって書いている。その時は、結局のところ、好きな時に、好きなことを、楽しんで書けばいい、という結論に達した。

もちろんそれはそれで一つの結論であったのだが、最近書いていて困っていることがある。ここのところ、話題が大きくなってしまって、どれもこれも収拾がつかなくなっていることだ。
そりゃまあ、コロ健、そんなのいつものことだろう、それでも付き合ってやっているんだから、まああんまり深刻になるな、といわれればそれまでのことなのだが、私は大まじめだ。

毎回毎回、結論が出ないのは本当に困る。
なぜ、話題が大きくなってしまうのか。ということで、考えているときに考えがどうやって広がっていくかを考えてみた。

例えば、今朝。フラットコーテッドレトリバーのナイトの散歩に鶴岡八幡宮まで行ったときのこと、途中で蟻を踏みそうになった、すんでのところで踏まなかったのだが、そこからいろいろ考えがとびはじめた。
蟻を踏まなかった→芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のような話だ→(ここでぐっと飛躍して)→私一人が踏みつけなかったからと言って戦争では多くの動物が巻き込まれて死んでいる→戦争は自然破壊に他ならない→人間を殺すのと人間以外を殺すということの違いはあるのか?→戦争で殺された人たちは、そこにいた動物たちとともに抹殺された→ヒロシマ、ナガサキ→誰が殺した?→時計の針は元に戻せない→結局、いつもこの(時間の)話になるのか…。

この辺りで、暑さにやられてナイトがハアハア言い出したので、急いで家に帰った。

人というのはちょっと考え出すと、それが止まることはない。そして、それをブログでやってしまっているから、収拾がつかない。
ではどうしたらよいのか。

連載モノにするか? 
上の話を、(昨日の続き)、でつなぐとしたら次のようになるだろうか。
曜日 カテゴリー      タイトル
月  こんきも       蟻を踏まなかった私
火  読書         芥川龍之介の「蜘蛛の糸」
水  こんきも       戦争という自然破壊
木  生き方について考える 空襲という殺戮
金  電脳化社会      無人戦闘機
土  こんきも       人類の行く末
日  生き方について考える 時計の針は元に戻せなくて
 


うーん、これはこれで、どれもまた結論というか収拾がつかなくなってしまう感が山盛りである。
そもそも、1シリーズごとにタイトルを決めなくてはならない。
この場合、『蟻と私と戦争と』とかか?
だが、そうなるとまずはプロットのようなものをたててからではいけないので、もう病理医が日々あれこれ考える日記ブログの範疇ではない。

さすがにそんな時間的余裕はない。いまでも読書の時間を相当とってしまっている。
とまあ、ここのところ、そんなことを考えていたが、結局ひっちゃかめっ茶菓になってきた。
結論を出して一話完結などというごたいそうなことはこの際やっぱりあきらめた。毎日書いていけば、多少は文章も上手になろう、これまで通りその日その日の話題を、なるべくコンパクトにおさめることを目標としてやっていくことにした。


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