TBSテレビの日曜劇場『空飛ぶ広報室』の放映が昨日で終わった。最後まで、一家で楽しませてもらった。一テレビドラマの感想をただ書き留めるというのはどうかと思ったが、最終回を観て、どうしても記憶しておかなくてはならないことがあるのだとあらためてわかった。
2011年3月11日に起きた東日本大震災のこと、私は少し忘れていた。
ドラマを見終わったあと、あの時の不安、混乱を思い出し、心がざわめいてなかなか寝付けなかった。震災に関連したメールは、未だに捨てずに保存している。
最終回冒頭のメールのやり取りのようだが、私が関わったメールをいくつか挙げておきたい。
妻へ送った1本目のメール。一番最初のメールは、発生から1時間後だった。
送信日時:2011年3月11日 15:51 タイトル:収まったかな
(親子)3人一緒だったんですね。
安心しました。
医局の本棚から少しノートが落ちていましたが、すぐ戻せました。
ひどい人は、ずいぶんひどい状況です。
電車が動くようになるまでどうするか、考えます。
返信メールは携帯に下さい。
送信日時: 2011年3月30日 10:48 タイトル:「東北地方太平洋沖地震」被災地支援へのカレンダー送付ご協力のお願い
各位
平素より、お世話になっております。
さて、「東北地方太平洋沖地震」被災地支援へのご協力のお願いを致したく、個人的にメールを出させていただきました。
今般の大地震では、多くの方が被災されたことは皆様ご存知のことです。すでに、皆様方、様々の方法で支援活動を行っておられることと思います。
さて、被災地では、たくさんの家財道具のうち、カレンダーも消失し、大変困っているとのことです。長引く避難生活により、日付の感覚が失われるということは、阪神淡路大地震の際にも問題になったそうです。
そのようなことで、私どもは被災地へのカレンダー送付を準備しています。
今年のカレンダーで、余っているものがありましたら被災地への送付をご検討ください。
すでに、行っておられるようでしたら、いいのですが、もし、カレンダーの余りがあるのに、送る手だてが無いという状況でしたら私にお預けください。
責任を持って被災地に送ります。
送る方法は、
(中略)
私まで、お届けくださる場合は、さしあたり、4月8日(金)までにお願いします。
量の多寡は問いません。カレンダー一部あれば一人、いえ、もっと多くの人が助かります。
また、皆様の周りでもカレンダー送付の輪を広げていただければ、幸いです。
ご無理の無い範囲で結構です。
被災された方へのご支援、よろしくお願いいたします。
用件まで。
この時のカレンダーは、お役に立っただろうか。このあと、妻らで企画した
復興支援イベントのお手伝いをした。
あの日は金曜日。夜に高校の同期会を開こうということになっていた。その中止の連絡が来た。
高校のメーリングリストに投稿されたメールのいくつか。
送信日時:2011年3月11日 17:37 タイトル: Re:
宮城の○○、大丈夫かな?
××
約1週間後、返事があった。
送信日時: 2011年3月17日 23:23 タイトル:無事です。(○○)
同級生の皆様、この度はご心配いただきましてありがとうございます。○○です。私の自宅は宮城県□□市にあり、この度の大地震で自宅から300m付近まで津波がきました。仕事場は宮城県△△市で海岸から400m位離れたビルの2階にありますが、1階が津波で床上浸水しました。仕事場は地震の揺れにより中はめちゃくちゃで、器材の交換工事等を行うため回復するまでは1ヶ月位かかりそうです。自宅は2日前に電気が開通し、本日固定電話が開通しましたが、依然として水道とガスが不通です。仕事場はライフライン全て不通です。皆様がテレビ等でご覧になっているとおり、津波の被害は甚大です。私は現在自宅にて過ごしてますが、自宅も仕事場も本当に紙一重で津波から逃れることができ、たいへん運がよかったと思ってます。今も余震が続いていますが、関東地方も地震が多発する様になってきているようですので、ご注意ください。ライフラインが一瞬にして全て通じなくなるのはたいへん怖いです。さらに、地震で怖いことは揺れで室内が散乱することよりは、火事により煙に巻き込まれることと津波です。地震発生日の夜は、火事と津波からいつでも逃れられるように車内で過ごしました。救いは家族全員が健康なことと、停電で町中が暗いと星空がたいへんきれいに見えることです。
石油会社に勤めている友人からのもの。
送信日時: 2011年3月30日 21:23 タイトル:燃料供給状況
☆☆です。■■に会社組織の中で応援に行きましたが、◎◎のスタンドもかなりの数が津波の被害に遭いました。支店の社員が連日被災した販売店さんを訪ねて、今後燃料供給ができるのか確認に回っていますが、ご家族の安否が不明の方もいますし、ご家族を亡くされた方もいます。スタンドが津波で跡形も無くなり廃業を決めた販売店さんもいます。状況の悲惨さには本当に辛いものがあります。
良い話としては◇◇県内のガソリンスタンドも徐々に立ち上がり始めています。供給量はすぐには回復できませんが、タンクローリーでスタンドにガソリンが入れば、その量により車は台数制限があるので並ぶのですが、20L前後は1回に入れられるようです。元売各社でガソリンを融通しあい、できるだけ広い地域に満遍なく行き渡らせる動きもあります。緊急車輌は緊急車輌専用のスタンドが割り当てられていて決められたスタンドでの給油が必要です。燃料供給支援はまだまだ継続的に頑張る必要があります。
できることは限られているので、できることを一所懸命にやるのみ、それしかできませんしそれで良いと信じています。
☆☆
送信日時:2011年3月19日 13:27 RE:◆回生の皆様へ
◆回生の皆様、ご無沙汰しております。
★★です。
同窓会には参加出来ずに大変残念でした。
私は現在、※※国に在住です。
こちらにはNHKプログラム中心の日系ケーブルテレビがあるのですがいつものように夕食後、退屈な番組を観ていたときに地震速報が流れて状況を知りました。
そのまま番組は街々が津波に飲み込まれている姿を流し続けました。
結局、そのまま今日の午後(8日間休み無く)までコマーシャル無くNHKのニュースを24時間流しておりますのでもしかすると日本で仕事をこなしながら生活している皆さんよりも状況把握しているかも?
(中略)
ボランティアへ伺おうと考えているのですが、被災地は未だ入れる状況に無くただただ離れた地から手を拱いているばかりです。
そこでお願いですが、何方か猫の手でも借りたいを言う方いらっしゃいませんか?
玄関でも貸して頂ければ寝袋、食料持ってでも伺います。
後方支援等、なんでも必要とされているからどうかご一報ください。
★★
彼はその後、被災地で連日黙々と、大変な活躍をされたと、Facebookで知った。
ほかにも多くの旧友、知人が震災復興へと走り、いまでもそれを続けている人もいる。
もっと、いろんなメールを載せたいが、とてもではないが載せきれない。
メールを読み返すと、いろんな人がいろんな思いで大震災を受け止めていたことがわかる。その事実を覚えてもいる。だけど、少し忘れていたこともあった。
先日会った被災地在住の友人が「だんだん、忘れられてきているんだよね」と、さびしそうに言っていた。
『空飛ぶ広報室』の最終回でのメールのやり取りは、最後に東日本大震災を忘れてはいけない、という重要なメッセージを私に送ってくれた。
なお、震災の日のこんきもの記事は『
大地震』だった。
残念ながら、机の上はあの日よりも汚くなっている。