こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

三つ子の魂百までというとおり

2022年04月30日 | 鎌倉暮らし
 昨日の大雨で埃が一掃され、透き通るような青空。
 せっかくなので久しぶりに海まで歩いた。材木座海岸に降りたら、稲村ヶ崎越しに富士山がくっきりと見えた。
 家に帰ってからは庭仕事。
 あれこれやったあと雑草を抜いていたら娘が小学校時代の友達を連れてきた。楽しく喋っているのを聞いていたら、喋り方、立ち位置が皆子供の頃のままで、懐かしかった。
 三つ子の魂百までとはこのことかとつくづく思った。こうやって年をとってくるとそういうこともよくわかってくる。
 そのうち、老いては子に従え、というのもわかるようになるのだろうか。
明日は雨か

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あの斉藤仁の息子が全日本柔道選手権で優勝

2022年04月29日 | スポーツ・健康・ダイエット
 大型連休が始まった。低気圧が通過するということで、連休初日は大雨。
 雨の降り出す前にマルチーズのコロの散歩。16歳の老犬の散歩は結構時間がかかる。家に戻る頃には雨がポツポツ降り出した。家に帰ってきたら自治会の人が来ていて、地域全体で防犯を考えようということを話し合った。
 午後になったら本降りになった。

 夕方、テレビをつけたら全日本柔道選手権をやっていて、斉藤仁にそっくりの選手が出ていたので、まさかと思ってみたら、斎藤立という二十になる息子。原沢、影浦をクレバーというか素晴らしいセンスの柔道で下して初優勝。偶然だったが、とてもいい試合を見ることができた。それにしても、190センチ、160キロと恵まれた体格、インタビューの受け応えも立派で、偉大な父親のような大選手になるのではないかと思わせる逸材で、将来がとても楽しみだ。
若さはいいね

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希望とはこわされ期待とは裏切られ夢とは破れるものなのか

2022年04月28日 | 生き方について考える
 今や世界の多くの人のへあわへの希望と期待と夢を背負っているロシアのプーチン大統領だがウクライナへの侵攻の手を弛める気配は一向にみえてこない。せめて非戦闘員である一般市民の命だけは確保してほしいと願うが、それすらも危うい情勢で、いよいよ核兵器の使用を匂わせてきたし、西側へのエネルギー供給を完全に止めることまでして、戦況はますます混迷の度合いを深める一方だ。世界平和、人類共存などということは所詮絵に描いた餅だったのか。

 生きている限り、人間は常に希望と期待を胸に、少しでも幸せになろうという夢を抱いている。ただ、それらは多分に利己的、自己中心的なものであって、誰もが勝手にそれらを都合よく解釈してたらとてもじゃないがこの世の中は回っていかない。希望とか期待、夢という言葉、どれも素敵な意味を持っているように聞こえるが、実際は個々人の勝手な思いであって、地球上にいる全ての人間が同じ言葉でそれを語ったところで、同床異夢もはなはだしい。

 国家のありようを考えると、数千年にわたって多くの国がスクラップアンドビルドを繰り返してきた。その都度最適な国家体制を考え、理想的なシステムによって国家が樹立されたと考えても、それらはいつのまにか瓦解していく。その第一の原因はやはり人間が介在するからで、さまざまな思惑、利害が理想的な状態を台無しにしていく。そして、このことは国家のみならず、そこに属する多くの自治体・会社・学校などのコミュニティーレベルでも大なり小なり発生する。

 それぞれの人間がそれぞれの希望を胸にし、何かに期待しながら夢の実現に邁進する。だが、その多くは壊され裏切られ破れる。私の人生を振り返っても、多くの希望を持ったがその都度それは壊され、期待したことのほとんどは裏切られ、夢に至っては未だ持つことすらできないまま馬齢を重ねるばかりだ。辛く悲しい思いをしなくてはならないとわかっているのに、人間はこれらを失って生きていくことはできないということは、存在そのものに矛盾すら感じてしまう。
これこそ人生

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いったんしたこと出したものへの見返りを期待してはいけない

2022年04月27日 | 日本のこと、世界のこと
 昨晩は仕事の終わるのが遅くなり、ヘトヘトになりつつ帰ったもののあともう少しで鎌倉というところで電車が止まり20分以上足止めを食って、結局帰りだけで2時間以上かかった。駅を降りたら暴走族が爆音を立てながら走っているわ、駅のロータリーは遅れた電車から降りてくる人を待つ車であふれ、風雨も強く、がっかりさせられるこんなことがあると、朝晩送り迎えを当たり前のようにしてくれる妻に対して感謝の気持ちが湧くのだが、それを言葉として表すとしても”ありがとう”の一言か、これに少し修飾語が加わる程度だ。だが、妻は私からの感謝の気持ちをその都度要求することはない。お礼を言ったら嬉しそうにしてくれるが、言い忘れても不満な顔をすることはない。

 ロシアに理不尽に侵略されているウクライナが、各国からの支援に感謝する動画を公式ツイッターに投稿したところ、その”各国”の中に、日本が入っていないということで、物議というほどではないが、さざ波がたった。ウクライナとしては「武器提供してくれた国に対する感謝」だったそうで、防弾チョッキや金銭的援助に対してではないようだ。ウクライナ支援に血税が投入され、ロシアとの外交関係も大きな転換を迫られることとなって、日本も少しは”よくやった”と評価されたかったのかもしれないが、誰も褒めてくれなかった。だが、武器を提供している国、多くの戦争避難民を受け入れている国などの目に日本の行っている援助はどう映っているかは考えられておらず、一部の日本人の持った不満は子供っぽいものだったかもしれない。

 このことをネット上で知った時、私は少し不快な思いを持った。でも、国は「本件は軍事支援の文脈で謝意が示されたものと推察している」と慌てずに大人の対応ができていて、私も納得できた。ゼレンスキー大統領の米国議会での真珠湾攻撃と9.11をならべて言ったり、昭和天皇を当時の他の枢軸国指導者と並べてツイートとしたりとか、日本人から見たら”せっかく助けてやっている割には態度がデカくない?”と思ってしまうことを、ウクライナは次々とやっているが、それはこちらの視点からの思いであって、これらのことに対して、よその国でどこか抗議反論をしてくれたところがあったかというとそれは聞こえてこない。そもそもウクライナにしてみたって、先の大戦における日本の過失はもはや過去のそれであり、今の日本はそんな国ではないし、同胞を受け入れてくれている国の一つだという認識を持っているはずだ。

 地球上にある国で、他国に一切迷惑をかけることなくやってきた、脛に傷をもたないところなどない。先住民の虐殺から始まる歴史は、戦争での非人道的殺戮、無差別空襲、原爆の使用にまで至った。それぞれ暴挙と言わざるを得ない行為を乗り越えて人類は平和に向けて歩いている。国内問題を抱えながら外交問題を解決していくのはどの国も難しいことだろう。発展途上国にしてみたら欧米の既得権益に対する不満はいつまで経っても消えることはないが、G7がそれに耳を傾けることは少ないように見える。つまるところ外交では相手に期待するようなことをしてはならず、自国の立ち位置というものを客観的に捉えることが必要だし、世界をリードする国であると自負しているのであったら、鷹揚にどっしりと腰を据えて対応することが求められるのではないか。個人レベルでもそうだが、いったんしてあげたこと、出してあげた金やモノをどう使われようが、感謝されようがされまいが、相手に期待してはいけないのだ。
国はよく対応していると思う

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いつ何時上からモノが降ってくるかはわからない

2022年04月27日 | ガーデニング・菜園・花・緑
 上から降ってくるといっても、ロシアや北朝鮮からいつ飛んでくるかもしれないミサイルのことではない。

 昨晩の強風で、2階のベランダの手すりに置いてあった紫陽花のフラワーポッドが飛ばされた。
 外をみたらフラワーポッドが無く、慌てて階下に降りて裏庭を探したら落ちているのが見つかった。フラワーポッドは風に飛ばされそのままスライドして裏庭に落ちたようで、割れてしまったものの、原形はとどめていて、紫陽花は無傷だった。

 幸い夜中のことだったので、誰かがけがをしたりとか、ものが壊れたりといったことは起こらなかった。こんなこと初めてだったが、もし自分がこの下にいたらと思うとぞっとする。高いところに鉢だのフラワーポッドだの置くときはくれぐれも気をつけなくてはならない。
 連休中に新しいフラワーポッドにそのまま植えなおしてあげよう。

 私は以前、飛行機で収納棚に入っていたカバンが落ちてきて死にかけたことがある(死にかけたこと)。今思い出しても怖くなる思い出だ。足元ばかりでなく、上から落ちてくるものに対しても備えておく必要はある。
不幸中の幸いでした

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日本の危機を回避するために今すべきこと

2022年04月26日 | 日本のこと、世界のこと
 今年の連休の天気はあまり良くないとの予報だが、雑草むしりに精を出そうと思っているのでそこそこ曇っていてくれた方がむしろ都合がいい。ただ、今日の湿度は90%を超えていて、早くも蒸し暑さが迫ってきているのは少し気がかり。

 ロシアによるウクライナ侵攻で世界中の資源・食糧供給が大混乱に陥ってしまった。欧米によるロシアへの経済制裁はある程度の効果をもたらしているようだが、新興国グループ(主要新興7カ国(Emarging 7; E7))の抵抗もある。この先どうなるかは予断を許さないものの、どこかで平衡状態になり、今回はG7グループの方が持ち堪えるだろうと楽観視している。というのも、「E7」、中露以外はインド、ブラジル、インドネシア、メキシコ、トルコであって、一応民主主義的な国ではあるから、それぞれの国民の良識がまだ働くのではないかと勝手に期待しているからだ。ただ、今回のフランスの大統領選挙でも、対露外交よりも国内向け経済政策を優先させよという世論がずいぶんと大きかったようで、結局のところ人間は”目の前の人参”を注視することしかしないということがわかったので、期待しすぎには注意が必要だ。

 今後、日本はさらに深刻な資源危機、食糧危機に直面していく。かつては世界を席巻した”総合商社”も、誰もが同様の情報を得ることができる時代となり、どこまで日本人を飢えさせないでくれることができるか不安だ。ただ、食糧供給は近年の帰農ブームが間に合ってくれたら多少は回復するのではないかと期待している。あとは、女性の就労支援の充実、移民の受け入れといったことも徐々にではあるがはじまっていて、日本の沈下との競争だ。いずれにせよ、日本はすでに世界のトップランナーではないということを素直に受け止め、謙虚になる必要がある。

 次の韓国大統領は代表団を日本に派遣してきて、両国の関係改善の糸口を探っているという。”もしも”ではあるが、互いの国が過去を単なる歴史的事実と捉えて、未来に向けての協調を行なっていくことができたら大変な前進だろう。隣同士、対話をせずにいがみ合っても何もいいことはないのは、今回のウクライナとロシアのことをみても明らかだ。外交的課題を含め、目前に迫っている日本の危機回避が間に合うかどうかは日本自身が代わることができるかどうかにかかっているということを自覚して日々行動したい。
誇りを持ち、見返りを求めない

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集団としては進歩し、個としてはそのままな人類

2022年04月25日 | 日々思うこと、考えること
 雨上がりのさっぱりした朝。ゴミ出しに出た時の空気はまだひんやりしていたが、昼間の気温は25度前後まで上がるということだ。昨日立てたポールのところに打ったコンクリに猫の足跡がないかと見たら、誰かの靴の足跡があった。どんなものかと踏んでみたのだろうが、自分達の労作が少しでも損なわれると少し腹立たしくもあり、こういう人はいるものだとあきらめつつ納得する。

 昨晩、NHKスペシャルを視ていたら、われわれホモ・サピエンスは集団が大きかったので知の共有と継承がうまく行ったが、ネアンデルタール人は集団が小さかったため、それが上手くいかず絶滅に至ったという説が語られていた。ネアンデルタール人全ての集団が絶滅に至った理由をそれだけで語ることができるのかわからないが、”知識”というものが”個”のレベルではなく、”集団”で保有されるものだという考え方は大変役立った。

 シンギュラリティが間近といわれるこの時代になっても、戦争という無意味かつ野蛮な殺戮行為が繰り返され、独裁政治はなくならず、安全対策をいくら施しても運輸事故(JR福知山線脱線事故から17年)、海難事故(知床 観光船遭難事故)が起きてしまう。いつまでたっても、”どうしてこんなことになるの?””こうしたらよかったのに”という事態になる。その都度反省して、もう2度とそのようなことが起きないようにさらに高度な防御システムを構築するが、必ずそれを突破する人間が出現し、多数の人間に被害をもたらす。いうまでもなく、今直面している人類最大の危機はプーチン大統領の独断に基づくによる核兵器の使用だ。

 知識の進歩により、人類は倫理的にも進歩したと考えてしまうかもしれないが、そんなことはない。今の日本人倫理観は民主主義という立場からの一方的な考え方に過ぎず、少しでも多くの人が幸せであること、それが人類にとって本質的に有益であるのかということすら、実はわからない。集団としての考え方が同じ方向に向くこと、それはそれで大きな危険をはらんでいるわけで、民主主義、平和主義が愚かなシステムである可能性もあり、そうだとしたら独裁主義、暴力主義こそが肯定されるべきかもしれなくなるし、そういう手段をとる個人、集団が出現してもこれらを否定はできない。愚かな個人の暴走と片付けることのできない難しさが、人類を幾度も絶望の淵に立たせる。人間の本質とは不変であり、そこに立脚した行動規範を作ろうとすること自体が無理なのかもしれない。
人間は間違いを起こすとはいえ

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特殊詐欺から地域を守る

2022年04月24日 | 日々思うこと、考えること

 鎌倉市には地区ごとに自治会があって、これがさらにいくつかの組に分かれていて、私は組長を1年間勤めてきた。これでお役御免と何もせずに次の組長に後を託してもよかったのに、ある事件があってそうもいかなくなった。

 鎌倉では最近特殊詐欺の被害が続発している。
などなど。

 そして、最近うちの地区でも事件が起き、いわゆる受け子といわれる人物がきて、一人暮らしの女性から現金を騙し取った。特殊詐欺の犯人は一度目星をつけると、そこに何度もやってくるという。観光客が多くやってくるので、誰が犯罪者かなど分かりはしない。そんなことがあり、私の組でも防犯カメラを設置することにした。

 今日は、まずはカメラを取り付けるポールを設置した。土木作業に詳しい人の指揮のもと、うちは娘もひっぱり出し、有志4人で穴掘り、ポールを立て、さらにコンクリ打ちまでと、本格的な”土木”作業を2時間余りで行った。昼ごろから雨となり、その前に終えることができた。

 慣れない作業で非常に疲れた。”地域を守る”などと言ったらおこがましいが、地区の人同士、とくにあまり話すことのない男同士で一つの作業を行ったことはとても意義があった。
大切なのは地域の目

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今年も母の日のプレゼントはカーネーションの寄せ植えに

2022年04月23日 | 日々思うこと、考えること
 桜の季節はもうずいぶん前のこととなり、街角ではハナミズキとツツジが満開だ。それにしても街路樹としてのハナミズキがずいぶん増えたと感じる。今年の大型連休、天候は今ひとつとの予想らしいが、どこかに旅行に行く予定はないので庭仕事をしてのんびり過ごすつもり。

 一週間はあっという間に過ぎ、時間の速さは人生の長さに反比例するということで、やっぱりこれは歳のせいかと考える。これは過去に捉われてばかりいるからかもしれず、昔のことを吹っ切ることも大事ではないか。

 今年も母の日のプレゼントに去年と同様、カーネーションの寄せ植えを作った。カーネーションもずいぶん色々な種類ができた。

 この冬、下手に剪定してゼラニウムを何本かダメにしてしまったので、それを植え直した。2年前に挑戦した差し穂の株もいつの間にか大きくなっていた。
いつ持っていこう

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奥ゆかしく礼儀正しい日本人にマスクはよく似合うのかも

2022年04月22日 | 自然災害・事故・感染症
 昨日の夜の大雨をたっぷり吸った木々の新緑が美しく、春本番というよりは初夏の訪れを予感させるような朝となった。今日は気温もずいぶん上がるとのこと。大雨で水やりが入らないのはとても助かる。新型コロナウイルスは相変わらず変異を繰り返して、今度はBA .2株とかで、大型連休で入れ替わりそうとのことだ。感染再拡大との分析もあり、この先どのようになっていくかわからないが、今の”ウィズコロナ”体制が日本には定着していくに違いない。

 米国ではマスクをつけたり外したりというのが、論争になっているが、日本では、法律も何もなく、”自粛警察”といえる国民同士の相互監視体制によって依然としてほとんどの人がマスクをしている。それより何より日本人の顔を日本人として特徴づけている鼻の下から口までがすっぽり隠せるというのは都合がいい。

 ロシアのプーチン大統領がウクライナ東部の要衝マリウポリを制圧したという国防大臣からの戦況報告を聞く場面が流されていた。2月にフランス大統領と大きな机の端と端で話していたのが、今回は手を延ばせば届くような距離で対面、ノーマスク、アクリル板も置かないで話をしていた。あれでプーチン大統領が新型コロナに感染してくれたら侵略戦争をやめてくれるのではと考えたが、それでは”武力による現状変更”を糺すわけではなく、本質的には意味がないので新型コロナに期待するのはやめた。

 テレビでは欧米の首脳たちの集まる姿を頻繁に見るが、ほとんどの人がノーマスクだ。それはカメラが回っているところだけで、普段はつけているのかもしれないが、日本の財務大臣は記者会見でもしっかり顔を隠して日本のG20での対応を話していたので、誰が話しているのか曖昧にして誤魔化すという点でも、マスクは役に立っている。電車などでマスクを外している人を見かけると、"顔を全て晒しているという状態”に対して微かな違和感というか驚きを感じていることに気づくことがある。私は、仕事中はノーマスク。こんなことで、仕事中一人で顕微鏡を覗いていられる病理医になって良かったと思うようになるとは意外だった。ドアに向かって座っているので、ノーマスクで私が待ち受ける部屋に入ってくることに躊躇する人もたまにはいるが、そんな人も私がマスクをつけるまで待った後で入ってくる。
 こう考えてみるとマスク着用は、感染拡大防止というよりはエチケットに近いものとなっている。そういう点でも、奥ゆかしく礼儀正しい日本人にマスク着用という習慣は合っているのではないかと思う。ただ、私の部屋に入ってくるのを躊躇するのは、私のゴリラ顔を恐れてのことかもしれない。
ケバだったマスクは嫌

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年をとると時間が早く過ぎるのは周りの人が自分を置いてきぼりにするからでは

2022年04月21日 | スポーツ・健康・ダイエット
 今後の見通しは依然として立たないままG20が閉幕した。窮屈とはいえ、小さな地球上で互いに妥協しながら生きていたらよかったのに、ロシアというかプーチン大統領がウクライナへの侵略戦争を始めなければ、これほどの経済の混乱は生じていなかった。先日作った寄せ植えが元気になってきた。この子たちが美しく咲く頃にはウクライナに早く春が来てくれるだろうという願いが通じることを祈る。
 私は通勤時、電車とバスを使っている。バスを利用する人のほとんどは病気の人か病院職員で、このうち、病気の人の多くは老人だ。バス停は駅前にあって、改札口を出ると停車中のバスが見える。そのせいで発車時刻を把握している私であっても少し焦って早歩きになる。気の毒なことに(病気持ちの)お年寄りは私よりも余計に焦るようでヨタヨタと小走りでバス停に向かう。

 いくら小走りでも、その歩みは遅くて少なくとも私の倍はかかる。発車時刻が遅れることもしばしばあって、老人たちを追い抜いてバスに乗り込んでいる私は「おそいなー、次の(バス)にしたらいいのに」などと医療従事者にあるまじき感情を持つこともたまにあった。さすがにこれはお門違いと、もう一本早いバスに乗るように時間を調整した。このおかげでお年寄りの(駆け込んでいない)駆け込み乗車については、怪我をしないようにと祈りながらも鷹揚に待っていられるようになった。

 年をとって体の自由が利かなくなってきたことをひしひしと感じる。駅の改札口からバス停までのほんの100メートルかそこいらの距離だって、私が若かった頃はちょっと走って20秒もあったら余裕で着いただろうが、今では30秒、いやそもそも走りたくないので最低でも1分あまりは必要だ。あと、10年もたって70歳近くになったら、早く歩くのも嫌になって2分ほど必要になるのではないか。ということは見方を変えたら、歳をとってのろくなっても100メートルは100メートルであって、単に周囲の時間が早く流れるようになったということではないかと考えらようになった。

 年をとると時間の流れを早く感じるようになるのは、生きてきた年数によって一年の相対的な長さがどんどん小さくなるためだというジャネーの法則がよく知られている。そうなのかもしれないが、子供の頃に夕焼け空をみて感じた永遠とも思えた未来はこれとはちょっと違う。圧縮されてしまったとはいえ、記憶の中では、子供の頃、周囲の時間の流れは今に比べて圧倒的に遅かったように感じる。これに対し、今、周りの人の動きは少しずつ早くなっている。この先、周りの人はもっと早く動き回るようになり、私はゆっくりと流れる時間の中に取り残されていくのではないだろうか。かけっこではるか先を走る友人の背中は永遠に追いつくことはできないと思えるほど遠かった。これが歳をとると時間が早く流れるように感じるようになるメカニズムなのではないかと、乗り遅れまいとバスに向かって走ってくる老人を見て考える。
もう少し年を取ってから死にたい

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オピニオンリーダーのいない日本に対して自分にできることを考える

2022年04月20日 | 日々思うこと、考えること
 どなたのブログだったか忘れてしまったが、近頃の新聞の凋落ぶりを嘆いているエントリーを先日見かけ、私と同じように感じている人は他にもたくさんいるのだろうと思った。新聞はすでに世論をリードする存在ではないどころか、リードできる能力を持った人(記者、論説員)がいないように思う。テレビに出ているのは、感染症にしても戦争にしても経済にしても、それら特定の領域の専門家にすぎず、そこを起点とした世界観は持っているが、総合的な力で世界を俯瞰的にみる能力のある人はみかけない。先日書いたTwitter(ツイッター)に関するエントリーでも書いた日本にオピニオンリーダーたる人がいないということを、私たちは深刻に受け止めなくてはならない。

 そもそもオピニオンリーダーの定義とはどんなものかウィキペディアで調べたら、

 ”集団の意思決定(流行、買物、選挙など)に関して、大きな影響を及ぼす人物。世論形成者、もしくは世論先導者とも呼ばれる。”

とあった。これじゃあ、ネット世代の人はYouTube(ユーチューブ)などのインフルエンサー?と一緒だと考えるだろう。もちろん私の考えていたそれとは若干違うし、そもそもこのような説明のされ方をするようになってしまったのは、世界がそれこそ、流行だ、消費行動だ、選挙だということに振り回され、人間としての本来進むべき道なんていうことに取り組むのはバカバカしくなってしまい、自己完結的にネット上で思想、哲学などというレベルではないただの考え方をその日の気分で取捨選択するようになった人が増えてしまったためではないか。

 私のイメージするオピニオンリーダーとは知識と教養を兼ね備えた、常に謙虚さを失わない人物であり、少なくともTwitterなどによる情報発信を世論形成に寄与するものと考えているような浅薄な政治家とかタレントもどきの学者のことではない。

 奇しくも、某牛丼屋の役員が、地方出身の大学生を客として取り込むための方策を、某有名大学主催の社会人講座でとんでもない言い方で表現したと言う話を聞いた。こんなバカでもそんなにもてはやされるのかと空いた口が塞がらず、同時に悲しくなった。さらには、今後一切関係ないと縁を切るだけで済ませようという牛丼屋の姿勢も情けなく感じた。この人物、NHKの取材を受けたこともあったようで、ニュースでその姿が報じられていた。その当時は自らの”(流行、買物、選挙など)に関して”の影響力の大きさを実感し、絶好調であっただろうし、周囲はこんな三流芸人以下の物言いをする人物をオピニオンリーダーの一人と持ち上げていたかもしれない。

 好き嫌いが罷り通るネット世界にはまり込んでいる人たちにオピニオンリーダーは存在しない。新聞がだめならテレビがあるとも到底考えられない。ある意味今は、情報の分断化が帰結しつつある時代であるのかもしれないが、一方でロシアや中国のような”力による現状変更”を本気で考えている人たちもいるわけで、この国の在り方、方向性に関する国民的なコンセンサスは必要だ。そのような意味で、国民になんらかの”考えるきっかけ”を与えてくれる人物というのがこの国には必要だ。

 今の日本に、知識人、といえるような人はいるか。知識の多い人、特定の領域についての能力の高い人、というのはいても、道徳性と教養を兼ね備えた人というのに会うことはない。日本の知識偏重の戦後教育によって暗記とパターン学習能力の高い人間が能力が高いとされるようになってしまい、ユニークな能力というものが見出されなくなってしまったからかもしれない。

 私たちの世代が死ぬまでの10年20年のうちにやらなくてはいけないことは何か、それを真剣に考えなくては、日本という国を将来に残すことはできない。

困難なことではある

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京都にきて鎌倉を考えた(四)

2022年04月19日 | 通勤・交通・旅行
 太平洋戦争で鎌倉、京都、奈良は文化財保護の観点から米国による空襲を免れた。ウクライナの現状を目の当たりにし、当時の日本が米国のおかげで貴重な多くの文化財を残してもらえることができたのはきわめて恵まれたことだった。これは考えようによっては人の命よりも文化財の方が大切だったともいえて、複雑な気持ちになる。ちなみに今般のロシアによるウクライナ侵攻は一方的な侵略戦争であって、ミサイル攻撃にも屈せずに徹底抗戦しているということは太平洋戦争を起こした日本とは立場が異なるため状況を比較することはできない。

 さて、その鎌倉と京都、鎌倉にあって京都にはないものが2つある、それは大仏と海。鎌倉長谷高徳院の大仏は鎌倉時代に造立されたらしいが由来詳細はほとんど不明。ただ、ずっと昔から長谷にあったことは確かで、鎌倉がただの田舎の寂しい漁村だった時期にもそこにあり続けたありがたい仏像だ。東京で育った私でも子供の頃から、この大仏があるということが、鎌倉が古都であることの唯一の証左であると感じていた。ある意味、鎌倉が古都であることを示す、子供でもわかるようなアイコンはほかにはほとんどない。さらには露座の大仏となったことが結果として東大寺の大仏とは違い、鎌倉が武家の古都であることを象徴している。
(こんなに楽しい頃もありました・・・2016年秋)
 今回の旅行中タクシーに乗ると、運転手も鎌倉なんぞ田舎の観光地、といった感じでたいていは小馬鹿にされたが、一人だけ
 
 鎌倉には海があっていいですね

と言う人がいた。京都そして大仏はある奈良にも海はない。鎌倉では少し山に登ったら海が見える。海を見たかったら、山の方に登ったらいいのだ。北鎌倉から大仏まで歩く途中でも海が見えるポイントがある(鎌倉ハイキング・・・大仏コース 2012年10月21日)。サーフィン、ヨットといったマリンスポーツを楽しむために鎌倉に引っ越してくる人も多い。そのせいで夏になれば日焼けした人そこいらをうろうろするようになり、そんなところも、野卑といえば野卑だ。これが平安末期ともなれば東国武士など地の果てからやってきた夷人そのものだったのではないか。

 久しぶりに京都を巡って文化の違いを実感できた。どうして京都の人(というか洛中の人)というのが排他的であるのか、学生の町として発展したことは街に活気を維持するという点で成功だったこと、鎌倉に花街はなぜないのか、など他にも色々考えたことはあるが、そういったことはどれも多くの人がこれまでに言及していることであり、素人の私がいまさらしたり顔で話すことではない。

 この先、京都に住んでみたいとは思えないが、また訪れてはみたい。ただ、それには一週間ぐらい休みが欲しいところで、それは勤め人でいるうちはちょっと難しい。
鎌倉殿はどうなるか

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京都に来て鎌倉を考えた(三)

2022年04月18日 | 通勤・交通・旅行
 今朝の鎌倉の気温は京都よりも低く、少し肌寒い。午後からは関東一帯雨になるそうで、楽しかった先週末はなんだかもうずっと前のことだったように思える。学会発表も無事終え、今週からは淡々と静かに過ごしていきたい。

 昨晩、NHK大河ドラマ”鎌倉殿の13人、第15回”が放映され、メインキャラクターの一人が命を落とした。すぐ近所でこういったことがかつてあったのかと思うとなんだか嫌な気分にになる。このドラマ、今から800年あまり昔の中世武士団の勃興期における人の命の軽重が伝わってきて、三谷幸喜のストーリーは素晴らしいものとなっている。

 おととい、”京都に来て鎌倉を考えた”というこのエントリーのタイトルを思いついたのは、京都から感じた”鎌倉”という地の遠さのせいだった。源頼朝を伊豆に配流した平清盛は甘かったのではなく、伊豆なんてところを遥か地の果てに感じていたのではないか。だからこそ、あんな温情をかけてしまったのではないか。

 その頃の京都からみたら、鎌倉など野卑な田舎都市であり、”武家文化の中心”といってもはるかに格下の街だ。ただ、そういう観点から考えると、源頼朝が鎌倉を再起の地として選び、発展させたというのは、日本の歴史に一つの変化を残したという点で偉業であった。

 鎌倉の人口は一時は10万人近くもあったというのだから、今とあまり変わらない人口密度だったのではないか。御家人のみならず、商人、農漁業者もいたであろうから大変賑やかな街だったろう。その一方で、京都では人々は静かに暮らしていたのではないか。ただ、その平和が鎌倉幕府によってもたらされたものなどとはあまり意識していなかったように思う。

 今でも、京都から見たら鎌倉など"そういえばそんな街もありますね"程度の扱いだろう。まあ、比較すること自体意味がないかもしれない。タイトルが微妙に何度も変更されていて申し訳ないが、もう少し考えてみる。
偉大な田舎だった

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京都に来て鎌倉を考えた(ニ)

2022年04月17日 | 通勤・交通・旅行
 昨日はちょっと飲みすぎて書いている途中で寝落ちしていて、またもや恥ずかしいエントリーになってしまった。酔いが覚めて、エントリーを確認したら中途で終わっていたことに驚き、とりあえず体裁を整えた。

 今日は嵐山観光。タクシーで松尾大社まで行き、それから渡月橋まで歩き、桂川を渡った。桜はどこもほとんど終わっていたものの、松尾大社では山吹が満開で大変きれいだった。
 昨日は雲はなかったものの、風が強くて、少し肌寒く感じることもあったが、今日の京都はとてもおだやかで、気温は23度、湿度も低く、観光にはちょうどいい気候だった。
 渡月橋を渡ったあとは天龍寺の塔頭を2ヶ所巡った。
 その一つは名園を有し、春の特別拝観という宣伝に引かれて入った。昨日の瑠璃光院もそうだったけど、ずいぶん綺麗にしていて、拝観料が高いのも理解できる。
 精進料理をのんびり食べていたら、あっという間に14時。帰りの新幹線は16時発だったので、急いで天龍寺の八重桜をみて、竹林の道まで抜けて帰ることに。
 嵐山を借景にした庭園見事。
 嵐山はどこもずいぶんな人出だった。タクシーの運転手によれば、観光客の日本人:外国人の比率は1:4だったそうで、「コロナ前は今日の5倍の人がいたと想像してください」とのことだった。いくら京都が広いといっても、この5倍も観光客が来たらさぞかし混雑していたに違いない。鎌倉だって今の5倍も人が来たらパンクすることは間違いない。
 今は帰りの新幹線、ほぼ満席で驚いているところ。

明日考えます

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