こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

成功のイメージを持つって、結局はしっかり準備するということ

2014年05月31日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
次の講演が迫ってきた。今日の鎌倉、とてもいい東風が吹いているのだが、家に缶詰で発表スライドを四苦八苦しながら作っている。



講演の準備で一番大事なのは、聴衆の関心をどれだけ惹くかということだが、そのためにどうしたらいいのだろうと考えた。
タイトルは決めてあるので、それに従って話の展開を考える。
総論的なことから話そうか、各論にいきなり入ろうか。どれも難しい話なので、基本的なことをどこまで話すか。などなど、考えはじめたらよくわからなくなってしまった。

まあ、何を話すかはここではさておき、準備って、本番を考えながらやっているということだと気がついた。



“成功のイメージを持て”、などということが自己啓発本とかに書かれていることがあるけど、なんてことはない、コロ健だってそのイメージを描いていた。

講演が終わったところで拍手喝采、なんてことは夢夢思ってはいないけど、話を聞いてくださっている方々が興味を持って、寝ないで聞いてくれる話をイメージしているわけだ。
それに、私だったらどんな話が聞きたいだろう。

なんてことはない、“成功イメージを持つ”ということは、結局、”ことを成功させたいならば、入念な準備をしておけ”、ということだ。
世の中のことに、王道は無い。


わかったから、さっさと準備しなさい
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通勤三題・・・徒歩編

2014年05月30日 | 通勤・交通・旅行
最近、通勤時に気がついたこと。前回の通勤電車編に続いて、今回は、徒歩編。
家の近所を歩いている時には気がつかないことだが、通勤時、病院までの往復で見かけたこと、気がついたこと、考えたことを残しておく。



その1
犬の糞を回収しない人はいまだに多い。


夜の散歩の途中、暗くて犬のオトシモノを見失いそうになったことはあるが、拾って持ち帰るのは飼い主の義務だと、今では思っている。
朝、通勤で歩いていると、犬に散歩をさせている人とよくすれ違う。もちろん、私はただの通行人で、マルチーズのコロもフラットコーテッドレトリバーのナイトも連れていない。

そんな中、小型犬が糞をしているのをグイグイ引っ張って歩いて、そのまま立ち去っていく人とか、公園の植え込みの中にさせている人がいる。何度か注意しようかと思ったが、面倒なことになっては困るので、見て見ぬ振りをしている。
自分もこの人と同じ゛犬の飼い主゛かと考えるにつけ、暗澹たる気持ちになってしまう。



その2
車関係のことは、これまでにも書いてきたが、あらためて。
住宅街の抜け道となっている道路の”止まれ”はほぼ”徐行”にしかなっていない。
とても止まれそうにないスピードで走っていく車も少なくない。


付け加えるならば、国内の信号機の無いほとんどの横断歩道は徐行ですらない。
横断歩道以外の場所で渡ったりしたら、轢こうとしてくる車すらいる


こういう、マナーの悪いドライバーを見ると、大声で文句を言いたくなるが、一体どんな人が乗っているか、わかりはしない。車から降りてこられたりしたら、面倒なことになってしまうので、チラッと一瞥するだけにしている。



その3
スマホ・携帯をいじっている人とすれ違う時、いじっている方は絶対に道を譲らない(譲れない)。

おまけに不満そうな顔までする。

こういう人とのすれ違いでは、前を見て歩いて、すれ違いを予知しているほうが九割よけて、ながらスマホのほうはすれ違う直前に少し(一割)よけるか、まったくよけない。
そして不満そうな顔をする。

そうしたいのはこちらの方だと、何度か言いかけたことがあるが、面倒なことになっては困るので、何も言わないですれ違っている。

ソフトバンクとドコモとauは迷惑スマホ取り締まり隊でも作って、安全なスマホ利用を推進するべきだと思う。



さて以上、前回の通勤編をあわせ書いてわかったこと。
公共の場で嫌な思いをさせるのは一部の身勝手な人である。そして、自分がその身勝手な人ではないという確証は一つもない。というか、これ全部が自分がしてしまっていたとしても、おかしくない。

だから、よけいにいろいろ気になってしまうのである。

人のふり見て我がふり直せ
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いったい、いつから”たいへん”なの?

2014年05月29日 | 日々思うこと、考えること
最近、家族の前での私の口癖となっている“たいへん”。
昨日も夕食の時に「もう、たいへんだよ」などと口走ったら、息子に、「いつも”たいへん”じゃない。」と笑われてしまった。
隣では、娘がニヤニヤしている。



「ところで、いつ頃から”たいへん”になったの?」と息子に訊かれたので、考えてみたら、ちょうど10年ぐらい前。
その頃、今、専門(実際のところ、それほど大それたものではないのだが)とする領域が固まりはじめた頃で、学会や研究会での発表や講演、依頼原稿が増えはじめた。

以来、多くの先輩後輩、上司同僚に助けてもらってここまでやって来ることができたのだが、不肖コロ健のレベルだけは相変わらず変わらない。



だから、残念ながら今日も”たいへん”な一日になりそうで思いやられるのである。

今夜は逗子の花火大会なんだけど・・・(たいへんな状況なので行けない)
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ながらスマホでだいじょうぶ?

2014年05月28日 | 電脳化社会
歩きながらスマホをいじっている人の事故が後を絶たないそうだ。

『歩きスマホの事故増加=最多の36人救急搬送―昨年、死亡例も・東京消防庁』[時事通信社]
 歩いたり自転車に乗ったりしながら携帯電話やスマートフォンを操作して事故に遭い、救急車で搬送された人は、昨年1年間に東京都内で36人に上り、過去4年間で最多だったことが東京消防庁の調べで分かった。2010年(23人)の約1.5倍で、スマホ普及に伴い年々増加している。
 同庁は歩きスマホや携帯について、「自分自身がけがをするだけでなく、周囲の人を事故に巻き込む恐れもあり、大変危険」と注意を呼び掛けている。
 昨年の事故原因で最も多いのは、操作中や画面を見ているときで、26人。次いで通話中が5人だった。
 10~13年の4年間に歩き携帯やスマホなどで事故に遭った人は計122人で、年代別では40代、20代の順。事故の形態は「ぶつかる」が約4割を占め、「ころぶ」「落ちる」が続いた。搬送直後のけがの程度は8割が軽傷だったが、入院や死亡に至ったケースもあった。
 13年10月、東京都板橋区で、歩きながら携帯電話を見ていた男性(47)がそのまま踏切内に進入し、電車にはねられ死亡した。同年5月にはJR四ツ谷駅(新宿区)のホームで、携帯電話を操作しながら歩いていた小学5年の男児(10)が線路に転落し、重傷を負った。同庁によると、道路・交通施設でのけがが8割以上で、中でも駅での事故が目立つ。 

もって他山の石とする。


一方、議員先生達はいかがだろう。居眠りは減るだろうけど、審議に集中してくれるだろうか。

『国会でもスマホ解禁検討へ 「緊急時の危機管理に必要」』[朝日新聞デジタル]
 衆院議院運営委員会は17日、国会審議中のタブレット端末やスマートフォン(スマホ)の使用解禁を検討することを決めた。3月末に小松一郎・内閣法制局長官が携帯電話の画面を見ながら答弁して注意されたが、逢沢一郎委員長(自民)は「時代と共に世の中は進歩する」と前向きだ。
 国会の取り決めでは、本会議や委員会中の携帯電話の使用は禁じられている。これに対し、安倍内閣は緊急事態が起きた場合、首相や閣僚に情報を伝える内閣官房副長官や秘書官らに使用を許可するよう議運に求めた。
 菅義偉官房長官はこの日の会見で、外国によるミサイル発射などの事例を挙げて「緊急時に(首相の補佐官に)情報が携帯で送られても、首相には紙に書き直す必要がある。危機管理なので配慮を頂きたい」と理解を求めた。
 議運は今後、副長官や秘書官だけでなく、国会議員のスマホなどの使用解禁に向け検討を始める。ただ、議員が審議と関係ないスマホ画面を眺め続けることになれば、かえって審議の妨げになるかもしれない。

全員でないにしても、必要だからといって、相当数がそうなるのではないか。

一度解禁したら、元には戻せない
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推敲不足で、

2014年05月27日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
6月にある学会での発表の準備のため、少し前に病理の雑誌に書いた今度のテーマに関連した内容の文を引っ張り出して読み返してみたら、少々おかしなところを見つけてしまった。
それは、ある症候群(○○症候群)についての説明のところで、

「(3)病理所見
(中略)・・・.これが最も本症(○○症候群)に特異的な変化で、典型例はこの変化が□□全体に及ぶが・・・(以下略)」
と書いている。”最も特異的”という表現もいささか疑問が残るが、それはさておきその次の項目で、
「(4)・・・とその意義
(中略)・・・.さらに、電顕においてみられる基底膜の△△化は○○症候群特有の病変ではなく、(他の疾患)などでもみられる.」
と書いているのだ。



読みようによっては、「”最も”特異的な変化であるはずなのに、特有の病変ではない」って、どういうことよ。となりかねない。
書いた時は、「○○症候群では基底膜に様々な変化が現れるが、そのうちの一つである△△化は他の疾患でもみられる」というつもりだったのだろうと思う。

結構書くのに苦戦して仕上げた原稿だったが、あとからこういうことが分かってしまうと、残念でならない。



先日読んだ村上春樹の短編小説の”まえがき”のなかで、村上は一つの作品の推敲に時間がかかったということを書いている。プロの文章家というのは推敲に作品を書く以上の時間をかけるのだろう。推敲に時間のかけすぎなど、無いと思う。

私も見習って、事実の羅列だけではなく、整合性のとれたより正確な文章を書くよう、常日頃心がけないといけない。


余計なことの書きすぎにはご注意
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こういうの、縁起悪い

2014年05月26日 | 日々思うこと、考えること
病院で使っている院内PHSにつけておいた根付けが切れた。
まあ、長く使っていたらこんなこともあるのだろうけど、少し嫌な気分だ。



下駄や草履の鼻緒とか、靴ひもが切れると縁起が悪いというが、そんな気分だ。

ちなみに、この根付け、もとは娘が瓢箪がついたものをくれた。これに病理に勉強に来ていた他科の先生の北海道土産のパピオカメロンがくっつき、さらに静電気防止装置をつけて、白衣の胸ポケットから出していた。




縁起をかつぎすぎといわれたらそれまでだが、念のため、机の引き出しの中にしまってあった、この根付けの前に使っていた鎌倉の荏柄天神社の根付けに再登場願ってPHSにつけた。

のんのん。

病院出たらいきなりすごい嵐だった
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こんな日、忘れてた。

2014年05月25日 | 家族のこと
息子が所属していたボーイスカウトの、今日はバザー。
息子は高校生のときに世界ジャンボリーに参加したあと引退のようになっていて、二年生になってからは忙しいようでほとんど顔を出していないようだが、ボーイスカウトは一度スカウトになると一生続くらしく、今朝も早くに会場に顔を出したあと、大学に行ってしまった。
私と妻は、OBの父母という立場でお手伝いに行った。私にとっては二年ぶりの参加だった。



私の担当は焼きそば。
息子が現役の頃は骨付きウインナーをローズマリーとともに焼いていたことが多かったのだが、ブランクがあって別の担当となった。
最初のうち、ちょっと焦げ気味のものを作ってしまったが、途中からはそれなりに上手にできるになった。

今日、私の作った焼きそば、ひとパック300円、召し上がってくださった方にはいい思い出を作ってくださっただろうか。
この場を借りてお買い上げいただいたお礼を申し上げたい。



朝10時から売り出して、焼きそばは12時半には、150食完売。まずは一安心。
売り場にいる私を見て、「お、久しぶりですね!」などと、声をかけてくれる人が何人もいて嬉しかった。

ゴールデンウィーク後のせいもあろうか、暑すぎもしないいい天気なのに、今ひとつ人出が少ない。
例年は4月中に開催しているのだが、会場の都合で5月下旬となってしまったのだ。

最後は、ほかの売り場の売れ残りを、デパ地下ばりの叩き売りとなってしまった。



オンコールの当番もなく、朝から一日仕事のことを考えないで過ごした。
子育てに忙しかった、息子が小さかった頃は、キャンプにしても、バザーにしても、試合の応援にしても、こういう日は当たり前のあった。
あの頃のことを思い出すことができて、元気が出たような気がする。


子育てで元気をもらう
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続・こいぶみ、恋文、ラブレター

2014年05月24日 | 愛と女性とジェンダーと

口でいくら好きだとか、愛しているだとか言ったところで、口から出た言葉は次の瞬間消えてなくなってしまう。

だからあとあと言った言わないの問題が発生する。

それが紙に書くとか、メールにするとかすると、そこに書かれた言葉は証拠として残すことが可能になる。

これは、仕事の場であっても恋愛の場であっても同じである。



いくら口でいうよりも信頼性が増すからこそ、ラブレターは恋愛における強力な武器となる。

「愛してる」の言葉も口約束ではもちろんダメで、ラブレターに相手への愛をしたためることで、「愛してる」の信用性は飛躍的に増す。

ラブレターなんて絶対書かない、なんていう人もいるだろう。

私のかつての悪友共なんて、絶対にラブレターなんか書いたりなんかしなかった。

プレイボーイは愛をささやくだけだ。



ところが、メールの出現によって、状況は急速に変わってきているようだ。

メールが本格的に利用されるようになった頃にはすでに結婚していたので、婚活に利用することは全くなかった。

だけど、時々露見する不倫メールだとか、リベンジポルノだのといったような話を見聞きすると、一般的な恋愛にメールはごく普通に用いられ、さらに危険な恋愛にも無防備で使われているということなのだろう。



そうはいっても、今も昔も愛情表現にはラブレターが用いられてきていて、それが紙媒体から電子媒体に変わってきたということだ。

ただ、紙媒体と違って電子情報は一気に拡散されて、広く残ってしまうという点で始末が悪いように思う。

ネットは怖い

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こいぶみ、恋文、ラブレター

2014年05月23日 | 愛と女性とジェンダーと

今朝、目覚ましのFM横浜で、今日はラブレターの日という話を聞いた。
5月23日をこいぶみ、恋文、と読んでラブレターとのこと。こんな語呂合わせから記念日を作るなんて、日本人て不思議な民族だと思う。



私にとって、ラブレターの記憶というと、あの複雑にたたまれた便箋がすぐに思い浮かぶ。難しくて再現不可能なものがたくさんあった。
そう考えてみると、そんな便箋のたたみかた一つとっても、あの頃の女性は今でいう女子力が非常に高かったように思う。今の若い女性はどんなところで女子力を発揮しているのだろうか。



互いの気持ちのやり取りもデートの約束にしても、今だと、メールやラインでパパっとやりとりするのが本流だろうが、お互いの思いを伝え合うのは古来恋文しかなかった。
だから、男女とも手紙でやり取りをする上でいろいろ工夫をしていた。だが、男の方は字がきれいであれば十分だったが、女性の場合はそれだけではすまなかったのかもしれない。


恥ずかしながら不肖コロ健も30年以上前には、ラブレターを書いたことがある。もちろん送ってしまったので、内容は忘れてしまったが、その頃、好きだった女性の気を引くためにあれこれ歯の浮くような言葉を並べたのだろうと思う。



私は私がもらった(数少ない)ラブレターを現在持っていない。今ではその頃の思い出よりも芸術的な便箋の折りたたみ方のほうが失われてしまい残念である。

私も妻に書いてみようかな
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爽やかな鎌倉の朝の空気と今日一日の記録

2014年05月22日 | 日々思うこと、考えること
まるで台風一過の、さわやかな晴天となった。
湿度と気温がマッチして、風が肌を優しくなでてくれる。



こんな気持ちのいい朝だと、昨日までの疲れも癒やされる。
今日一日、通勤も仕事も頑張ろうという気になる。一例一例、丁寧に対応していこう。



だか、東京で降りるのは8時前、日も高くなっていて、歩くには暑そうだ。



横須賀線の中でこれを書いていて思いついたのだが、朝、ここまでをアップして、帰りに今日1日を追加してみよう。
というわけで、何事もなく生きていたらこの続きは、今夜。



書き出しは次のところから。お楽しみに。
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やれやれ、今日一日、朝の切り出しに始まり、夜のカンファレンスまで、無事終わった。

カンファレンスでのプレゼンで、゛ライトアンドダーク゛という言葉が出てこなかったのは残念だったが、ほかの仕事はまずまずだったと思う。
今日1日、「続きを書くと宣言したからには、必ず書かねば」と緊張していた。書くことができなくなる状況はいくらでもある。天災かもしれないし、自分が急病になるとか怪我をするとか、なんでもありだ。今日ほど1日何事も起こらないで欲しいと思ったことはなかったのではないか。
何事も無いことの有り難さを実感した。



病院を出たらずいぶん涼しい。涼しいのを通り越して寒いほどだった。昨日の台風のような低気圧が通過したせいか、それとも寒冷前線が通過したのだろうか。昼間はずいぶんな大雨だったし、帰りの時間も雷が光っていた。
雷が光っているところをカメラに収めようと、何度か立ち止まってカメラを構えたのだが難しい。それに夜遅くに中年のおっさんがカメラを構えて立ち止まっていたら、職務質問されるかもしれない。そんなことになりでもしたら、この続きを書くことはできなかった。

朝撮ったのと同じ花の写真を撮って終わりにした。
とりあえず、今日の文章はここまでにしようと思う。



無事、家までたどり着いたら、夜の写真をアップしよう。



少し疲れた

2014年05月21日 | 日々思うこと、考えること
ここ数日、忙しい。

おまけに台風のような嵐。



なかなか疲れがとれないとだんだん気分も落ち込んでくる。

少し早めに帰ろうと思ったら、夕方になって仕事の依頼。
一仕事終えて、部屋から外を見たら美しい残照。どうやらきれいな夕焼けだったようだ。見たかった。

いつもよりは少し早めに出られたので、どこにも寄らずにさっさと帰った。

今夜は早めに寝よう
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鎌倉の天気、東京の天気

2014年05月20日 | 通勤・交通・旅行
天気は西から変わる。

神奈川が晴れていれば、東京もたいていは晴れている。
だけど、神奈川が雨でも、東京はまだ晴れているということもしばしばある。
鎌倉から東京の勤め先まで、おおよそ40キロ。時速30キロの台風でも移動には一時間以上かかる。鎌倉と東京の天気が違ってもおかしくない。



爽やかな季節もそろそろ終わりに近づき、空気は湿っぽくなり、天気は次第にぐずつきやすくなってきた。
朝晩の天気は大変気になる。理由の一つに傘のことがある。
とくに電車に乗っている小一時間、その扱いには大変気を使う。ただでさえ重くて邪魔な代物だが、傘の先が足に少し触っただけで嫌そうに顔をしかめる人は少なくない。だから、傘を持って電車に乗る時は、それが濡れているいないに関わらず、他人に当たったりしないよう、十分気をつけねばならなくなる。



したがって、傘を持って家を出るか否かの決断は慎重にならざるを得ない。

とくに夜来の雨が上がりかけている朝は困る。鎌倉駅までは妻に車で送ってもらって濡れないで行けるのだが、都内の駅を降りた後、雨は上がっているか否か。鎌倉でほとんど上がっていればいいが、駅までは送ってもらわないとならないような降りのような場合、一時間東に向かった後、どうなっているかなんてわかるわけがない。
雨雲と一緒に東上ということもある。



帰りについては、駅までの35分が乗り切れたらいい。三階にある病理の部屋から外の様子を見る。夜遅くに雨でしょう、などという天気予報の時には慎重になるが、暗くて空の様子がわかりにくく、時々歩いているうちに降られてしまう。最近では病院を出たところで少々ぱらついていたら、それだけで傘を持つようにしている。
今夜のように、途中でぱらついてきたら、足早にするしかない。幸い降られはしなかった。

鎌倉では、雨が降っている時には妻か息子が迎えに来てくれるのでさほど問題にはならない。ありがたいと思っている。

暑さは鎌倉も東京も同じか
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医療を哲学的に考える(16)・・・医療経済の観点から

2014年05月19日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
このテーマ、このまま放っておくと自然消滅ということになりかねないので、適当なところでいったん完結を目標にしようと思う。これまで、いろいろな観点から“医療”というものを考えてきたが、結局のところ漠然として捉えどころの無いまま今日に至っている。実をいうと、最近では、本格的な哲学(入門)書に手を出してもみたものの、“医療”というある意味“実業”を哲学的に説明すること自体、無駄な様な気がしてきている。

その理由の一つとして、医療にはお金が介在するということがある。



ボランティアだけで医療を行うことができる医者がはいない。金がなくては医療行為そのものを行うことができないわけで、それは仕方の無いことだし、薬も出してくれない医者に誰がかかりたいと思うだろう。哲学というのはもっとこう、純粋なものであり、少なくともお金の介在するようなものでは無いような気がするのだ。だから、医療というものに普遍性を持たせて定義することが果たして可能であろうかと思うのだ。


先日、ビットコイン(Bitcoin)、というインターネット上の仮想通貨の取引所が破綻したという騒動があった。日本政府はこれに対して、「通貨ではない」との公式見解を示した。通貨というものは国家が命がけで守るものであるということがよくわかった。そして、通貨以上に大事なものが国民の生命である。だから、国家は高い金をかけて医療者を養成し、医療者を通じて病気の治療を行う。

これが、『医療とは国家が医療者を通じて行う生命のサービス』という、言葉に連なっていく。
日本の医療費は30兆円をゆうに超え、毎年1兆円ずつ増加しているという。団塊の世代の引退により、労働人口は激減しているのに、出て行く金はどんどん増えている。国家予算の半分が医療に費やされているというのは果たして許されることなのだろうか。医療技術は日々進歩し続けているが、その技術にも限界が来ている。所詮人間が行うことなので、限度があるのは当然である。しかしながら、薬はどんどん進歩している。とくに、抗がん剤関連の進歩は、分指標的薬剤の開発ラッシュにより劇的なものとなった。こういった薬剤の使用について検討するという点で病理医も無関係でいられない。



「この薬を使えば、治るかもしれません」自分では金を出さない医者が、新薬を治療適応外の疾患に対して使いたがるのをしばしば見る。確かにそうだが、ではなんのために使うのか、とも思う。本当に患者のためか。その薬を使うことができたら、“自分が”名医の称号をうることができるからではないか。そんな可能性は無いか。チャレンジングな製剤の投与は、効果がなくて当たり前、効果があったら儲けもの、といったような側面がある。ただ、患者の側にも、わらをもつかみたくなる気持ちがある。私だって、生命予後の悪い病にかかってしまったところで、「最近、あの薬が、この症状にも効果があるという話があるんですよね、保険適応外なので自費になりますが」と言われたら、相当悩むだろう。
子供二人が無事家を出て行ってくれ、コロもナイトも面倒を見る必要がなくなってからなら別に心配は無いが、それまでは死ぬわけにはいかない。というか、できれば生きていなくてはいけない。
そうすると、たとえ高額であってもその薬を自費扱いで買い求めることとなる。でも、その薬を買うことができなかったらどうしようもない。
しばしば物語にもなるように、薬は昔から高価で、容易に買い求めることのできるものではない。



これは、薬剤に例をとった話だが、医療には金が介在する。これは、古来常識的なことである。『医は仁術ならず、算術なり』などと、儲け主義の医者を揶揄して言うが、どの程度まで儲けてよくて、どこからは儲けてはいけないなどということは誰にもわからない。
“哲学”というものが、ソクラテス、プラトンの時代に始まったものとすると、それは紀元前400年頃である。“医聖”ヒポクラテスの生きた時代と同じだ。
ヒポクラテスの誓いの対象は“医療”を生業とする“(よき)医者の心得”である。ということは、“医療”は“哲学”に先んじて存在していたことになる。そして、“医療”には様々な矛盾や危険がすでに包含されていたことを示している。

医療と経済の写し鏡
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国民医療費、過去最高の38.5兆円 1人30万円突破 (日経新聞 2013/11/14)

 厚生労働省は14日、2011年度に病気やけがの治療で全国の医療機関に支払われた医療費の総額(国民医療費)が、前年度比1兆1648億円増(3.1%増)の38兆5850億円だったと発表した。国民1人当たりでは9700円増(3.3%増)の30万1900円で、30万円を初めて突破。いずれも5年連続で過去最高を更新した。高齢化が進んだ上、医療技術が進歩して治療費が膨らんだのが主な原因。国民医療費が国民所得に占める割合は11.1%だった。年齢別では、65歳以上の医療費が21兆4497億円で全体の55.6%を占めた。75歳以上に限ると13兆1226億円で34.0%だった。医療費を賄う財源の内訳は、国民や企業が負担する保険料が18兆7518億円で全体の48.6%。患者の自己負担は4兆7416億円で12.3%、国と地方を合わせた公費は14兆8079億円で38.4%だった。診療種類別では、医科診療が27兆8129億円で全体の72.1%。薬局調剤は前年度比7.9%増と高い伸びで6兆6288億円となり、歯科は2兆6757億円だった。国民医療費は、保険診療の対象になる病気やけがの治療に掛かった費用を推計する。保険外の診療や健康診断、正常な出産などの費用は含まれない。労災分などを含まず、国民医療費の98%程度をカバーする概算医療費は12年度分が既に公表済みで、38兆4千億円に達している。〔共同〕

路傍の花

2014年05月18日 | 鎌倉暮らし
鎌倉という町のいいところのひとつに、庭の素敵な家が多いということがあげられる。昔は豪邸がおおく、高い塀の向こうはよく見えなくても、立派な庭木が道路から見ることができ、それだけでも美しかった。
最近では、そういった家々がどんどん細分化されてしまって立派な庭木はどんどん減ってしまった。
かくいう不肖コロ健の拙宅もそんな家の一つであり、もともとの地主さんは拙宅”一帯″を持っていたとかいう話である。
でも、そのおかげで、どの家の庭も外から良く見えるようになった。そのせいで、多くの家の庭や玄関先に花や緑が多く見える。
散歩のときは、そんな風にしてよそ様の家の緑を楽しんでいるが、谷戸の奥まで切り開いた住宅地などだと、結構な崖があって、その下のほうや石垣の隙間から、いろいろな植物が生えていて、この時期可憐な花を咲かせている。



香りの強い花が好きなコロ健としては、今の時期、ジャスミンがいい。
ジャスミンは香りが強く、香りのもとを探すのは楽しい。結局、見つからないなどということもたまにはあるが、たいていは茂みになじんだ白い花を容易に見つけることができる。



残念ながら、私は花の名前に不案内で形は覚えていても、なんといっていいかわからない。
「あの、丸い、小っちゃい花。白とか、ピンクとかの。」といっても、そんな花いくらでもある。



花の季節を過ぎると、ただの雑草にしか見えないのだが、近所の人は時期がくれば美しい花の咲くことを知っているのだろうか。


近所の人が植えたと思われる花が、ちょっとした空き地に植えられているのもよく見る。



一時期、観光客が花を摘んで行ってしまうということが問題になった。丹精した花がなくなってしまうというのはとても悲しいことだ。
最近はどうなっているのだろう。

犬の散歩ついでだと、見逃すことも多々あるが
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行きと帰り

2014年05月17日 | 通勤・交通・旅行
仕事を持っていれば、たいていの人は職場への往復がある。通勤だ。
不肖コロ健は朝晩およそ一時間ずつ、往復二時間電車に乗る。当然のことながら、朝と晩では乗っている人の構成が異なる。



朝の出勤時間帯はサラリーマンおよび学生、とくに小中高校生が主だ。

帰宅時間帯のうち、21時前はサラリーマンおよび学生、とくに部活帰りの高校生と大学生が主となる。

この時間帯を過ぎ、終電までの時間帯は、酔っ払ったサラリーマンおよびだれか一人を介抱している大学生のグループになる。



昔も今も、通勤電車はどの時間帯も混んでいる。少なくともウィークデイの通勤時、空いていると感じることはまず無い。それでも、どの時間帯が楽か、順番をつけるとすれば、21時前、朝、21時過ぎ、となるだろうか。
なぜ、そうなるのかについて、多くの説明は必要は無いだろうし、文句を言っているだけならこの前の通勤電車話の続きになってしまう。



しばらく前までは、このようなことはあまり考えたことは無かったのだか、最近は多くなった。
まったく、通勤には気力も体力も要る。

何年続けられるかな
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