こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

大晦日、水やりがてら病院へ

2021年12月31日 | 日々思うこと、考えること
 今年最後の夜明けは雲で日の出は見えなかった。
 4日の仕事始めまで6日もあるので、病院に置いてある植物たちの水切れが心配で、午前中のうちに水をやりに行った。うちで調子の良くないフィカスも持っていった。家を出たのはいつもと同じ時間。

 医局の私の机は陽当たりがいいので、どれもだいぶ調子がいい。水をたっぷりやり、メールの整理をし、途中洗車をして帰ってきた。道路は比較的空いていて昼過ぎには帰ってきた。

 まだ、いろいろやることがあるが、あとは蕎麦を食べながら一杯やりつつ紅白を見る。
みなさま良いお年を

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今年のボツ記事 2021年

2021年12月30日 | 日々思うこと、考えること
 毎年、12月30日に書いている今年のボツ記事。昨日寝落ちしてしまい、書き忘れてしまった。いずれにしても不人気記事なので、昨日の日付にして残しておこう。ちなみに写真も今日(31日)のもの。

 『』内がタイトル、続く文章が記事(もちろん書きかけ)。・・・以下は一言コメントです。それにしても、ほぼ完成しているものもあり、何を書きたかったか今やわからないものも・・・
『戦国幕末忠臣蔵』
世界のどの国のどれだけの人が関心を持つかはわからないが、日本の歴史は豊かで起伏に富んでいる。
昨日、麒麟がくるという、希代の逆臣明智光秀を主人公にしたNHKの大河ドラマが大団円となった。
結局、麒麟とはなんなのかはわからずじまいで尻切れ蜻蛉とはなったが、これまで封印されてきた明智光秀の再評価を促したことは日本の歴史にすら影響を与えかねないインパクトがあった。
歴史の解釈などいくらでも

『タバコとギャンブルの損得』
昨日おとといとおかしな夢を見た。おとといは、何かの拍子でタバコを吸う夢、昨日の夢は麻雀の夢。タバコの夢を見た動機はおそらく先週末に行った床屋の理容師さんと、彼がなかなか禁煙できずにいることを話したからだろうと思う。ニコチン中毒は喫煙関連事象もチャンスとみて依存症状を想起させようとするので恐ろしい。それにしても面白い夢で、コロナ禍でタパコが売れず、千円でタバコ5箱というのがあり、1パッケージ買ったらセブンスターのようなスタンダードのタバコのほかにわかばとかショートホープとか廉価のものが入っていた。嬉しかったのはタバコの銘柄がわからなくなっていたこと。それなりに記憶は薄れているようだが、一度記憶に刷り込まれてしまった中毒症状というのはなかなか消すことができないものだ。

麻雀の夢も久しぶりだった。三麻で、メンツは出目徳みたいなおっさんと、私のことをよく知っている上品な女性。久しぶりなものだから牌を上手につかめなくてちょっと恥ずかしかったが配牌はすごく良くて、発3枚に中と白が2枚ずつあとは索子。大三元を狙うか、緑一色を狙うか、鳴いてさっさと小三元か混一であがるかというところで、二筒をツモって目が覚めた。これはもちろんギャンブル中毒の後遺症だろう。そんな夢をみたのは昨日わが家に遊びにきていただいた方の実家が私の学生時代の友人の家の近くだったということで、思い出したのかもしれない。そもそも麻雀なんて知らなければこんな夢を見るわけがない。

これまでの人生、無駄なことをたくさんしてきた。ニコチン中毒とかギャンブル中毒などはその最たるものだ。そういうものを提供することが生業の人もいるし、中毒症経験者であるという後ろめたさもあってそういったことに対する反対運動をするほどの気持ちはないが、自分のブログでその依存症状の恐ろしさを訴えることぐらいはしていいだろう。

『周回遅れの人生』
浪人などしないで走る人生があれば私のように少々のんびりとしている人間もいる。

『ものは考えようで、一事が万事塞翁が馬』
私は医者になるのに時間がかかった。ろくなことをして遅れたわけではない。
医者になりたいと思っていなかったが、結果としていまだにやっている。
病理医は臨床医に比べると患者さんからのお礼は無く、アルバイトも限られていて安い。開業もできないものだから、ずっと宮仕えで、理不尽としか思えないことをされたこともあった。不満を上げたらきりがないが、それは考えようだということに気が付いた。

いまさらなんだという話。

自分がつらいと思ったことがあるから、次に何かあってもそれを乗り越えることができる。もちろん、愛する人との死別などは別だが、少々のことではビビらなくなったように思う。
そして、そんなこんながあったからこそ今の自分は自分でいられる。

過去にとらわれずに生きるということは、過去を受け入れ、過去を前向きにとらえることではないか。

『政治家のおべっかに騙されるな』
私たち国民はネットやらなんやらで政治や政治家の批判をしていい気になっているが、それでもそんなの政治家にとってはなんたことはない。
政治家にとって大事なのは自分の選挙区の票数であって、ほかはどうでもいい。
そして私たちだって、政治の、ご機嫌取りにさんざん乗せられている。

『小さな美術館』
新しい1週間がはじまる。今週末は春分。
季節は巡り、コロナ禍は相変わらず続いていて、自分の決断に自信がなさそうな目の総理大臣とその周辺の人で日本の舵がとられている。




『昨日はナイトの誕生日』
昨日は

『ここはぐっと我慢しよう』
マンボウの語感が緩いからと、まん延防止等重点措置 の略称はとくに作られないようだ。それはそれでいいのだが、緊急事態宣言との差異がよくわからない。
ネット報道から拾うと
・・・
ということのようだ。

このご時世で宴会はご法度となっている。それでも、宴会をやっている人は少なくないが、

『日本男子の度量が試されるとき』
東京2020もいよいよ目前となり、このまま二方面作戦、すなわち、中国戦線と太平洋戦線ならぬ、対コロナ禍と東京2020という二つの厳しい戦いに東京が挑むことになる。客観的にいったら7対3ぐらいで無理かもしれないが、選手・役員を都内に閉じ込めてしまい、近隣県からの人の流れを止めてしまえば何とかやれるような気がしないでもない。その時は、虎の子の男子バスケットボール(予選)のチケットも無駄になるかもしれないが、仕方ない。返金してもらえたらそれでいい。

このタイミングで都知事をやっている小池さんは気の毒だが、よく頑張っているし、橋本さんも丸川さんも、急な抜擢をよく引き受けたと思う。私たち、少なくとも日本の男性は彼女たちにこの窮状を救ってもらうべく託したという立場だ。

いまさら、女だから失敗しただのなんだの言ってはいけないと、私は思う。もし、彼女たち、実働している男性はいくらでもいるが、が強行突破したところで、それを突き放すようなことはしてはいけない。ここで、彼女たちを守ってこそ、日本男児の本懐ではないだろうか。

この期に及んで、足を引っ張ってどうなるというものだろう。彼女たちにすがった、託したのはわれわれ日本の男社会だということをしっかり理解した上で応援し、守ってあげるべきだろうと、おもうのだ。
手のひら返しは許されない。

『飲み会、酒の提供をやめたら感染状況はどうなるのだろう』
大型連休が始まった。といっても、今日明日は土日で通常の週休。月火水はなんだかおまけの様だが、暦通り休む。5月11日に緊急事態宣言を解除するという、解除日ありきの全く馬鹿げたことをやっていながらオリンピック・パラリンピックはやるって、一体どういうことなのだろう。オリンピック・パラリンピックをどうしてもやりたいので、飲食業界の皆様は客に酒を出すことはやめてください、宴会をやらせないでください、と頼んだらいいのに、それもしない。

どこかに人が集まって、そのついでに酒盛りをするからそこで感染が広がる。酒盛りをしたメタボ男性が重症化して、そのうちの何人かは”こんなはずじゃなかった”と思いながら命を落とす。それとも、大学生の子供が飲み会で感染し、本人は味覚異常に脱毛症状、さらに家庭内感染を起こして父親が重症化、なんてこともあるかもしれない。飲み会を一切やめさせたら感染状況はどうなるかというシミュレーション、誰かやってくれないだろうか。

東京の寄席組合は東京都の要請を受け入れ、明日から休業するそうだが、腰砕けもいいところで、それなら初めから威勢のいいことなど言わなければいいのに。

『責任ある立場って、誰のこと?』
代議士や大臣が、ワクチン接種を優先的に行うべきだと言い出している。
責任ある立場の人は、堂々と打てばいい、というが、誰が誰に対してどれほどの責任を持っているといえるのだろうか。

医療従事者をはじめとするエッセンシャルワーカーは、それこそ感染と紙一重の状況下で命がけで仕事をしている。そのための優先接種だ。警察官や消防士、そういった人たちも優先順位は高い。学校の先生も危険に身をさらしているわけだから、優先順位は高い。

だが、政治家はどうだろう。コロナ対策は分科会とあとは役人がやっているし、ほかのことも大体は役人がやっているのではないか。議員はどうなのだろう。そろそろ国会の会期は終わるので、あとはステイホームしていたらいいのではないか。大臣だって、率先してリモートワークをしたらいいのではなかろうか。

国会議員を優先接種の対象にしたら、一気に地方議会までそれは広がる。

『バジルスパゲッティ』
 朝のうち少し雲があったけど、昼間は快晴。
 トマトのコンパニオンプランツとして植えているバジルが徒長したきたので切り戻しのつもりでだいぶ切った。
 300グラムぐらいになったが、葉をむしってバジルペーストを作り、お昼ご飯に使ってもらった。
お昼はバジルペーストのパスタ。
これは妻が作ってくれた。
あっという間の1日

『余計なことを言ってしまう心理』
炎上なんてことをよく聞くが、米国で大谷に関して…とツイートした人がいて炎上したそうだ。

心の中では同意している人は少なくないだろうし、このような話はどこの国にも多かれ少なかれある。

よせばいいのになぜ口をついてでてしまうのか?

自分の考えは必ず正しいという、正常性バイアスに囚われているのではないか。

『最近のコロナ話』
緊急事態宣言のおかげか電車が少しだけ(1割ぐらい?)空いたように思う。これで学生が夏休みに入ったら通勤はもっと楽になる。ただ、ワクチンの効果は重症化のリスクを減らすだけぐらいに思って、自らの感染リスク対策はこれまで通り続けなくてはいけない。国にも自治体にも打出の小槌はないのだから、一人一人が気をつけるだけだ。それにしても大リーグのオールスターの風景を見ているとコロナ対策の違いがこれほどまでの差を生むのかと、残念になる。

『知らないことばかりの私だからこそ』
いよいよ新規感染者数が日に万単位で増加するようになって、もう歯止めは効きそうにない。
一を知って十を知ったところで、人一人が一生のうちに知ることができることなど高が知れている。若い人と話すと、自分の世界がとても狭いことに気がついていないことにイラついてしまうことがあるが、それは私にしても同じ。しょせん、どんぐりの背比べだ。だから、少しでも知恵知識を得るために人間は勉強しなくてはいけない。”経験”だけで乗り切ろうなどと考えたらそれは動物と一緒だ。多くの人が心血を注いで蓄積してきた”知”を守り、それらを謙虚に吸収していかなくてはいけない。

『メダル争いという国威発揚策とスポーツの本質』
東京2020オリンピックでは、日本のメダル獲得数は第3位だったいうことで、大健闘だった。単純に嬉しいとは思うが、このご時世、どの選手がどの国の国籍だろうがどうでもいい様な気がする。世界トップクラスの争いをしているのを応援するのには国レベルがちょうどいいという様な話かもしれない。サーフィンにしてもテニス、ゴルフの選手もアメリカで活動しているし、マラソンでは、アフリカ出身の選手が韓国代表で走っていたし、中国出身の卓球選手は世界中にいる。少なくともスポーツに国境なんて必要ないのではないだろうか。まあ、各国で予選をしてもらわないとそうもいかないのだろうし、そうすると結局、国別対抗戦となる。

ところで、金メダル獲得数で1個の差で2位に甘んじた中国だが、今回、中国選手団のこと、あまり聞こえてこなかった様に思う。もちろん、卓球、陸上、体操、水泳、ほか様々な競技で顔を出しているが、なんとなく相手にしていない、というか。日本が強い競技で競合することが少なかったからだろうか。なんとなく興味がわかなかった。

『その人の人生に期待しない』
それはお節介と言えるのかもしれない

『言いたい言葉が出てこなくなってきた』
最近、私より若い臨床医とディスカッションしていて、言いたい言葉が出てこなくなった様な気がする。ボケてきたんだと思うが、

『人間一人の権利と一票の重み』
人間一人一人にはとても大きな犯さざる権利がある。

『私の体重とコロナのリバウンド傾向』
一時期は60キロ台をうかがっていた私の体重だが、この間の旅行後からぜんぞう傾向にあったそれが

『眠れず眠い』
昨晩はやけにテンションが高くて眠れず、今朝は眠い。

『人に渡したお金の行方』
街頭募金、ネット募金、カンパ、自主的に寄付したお金というものが具体的にどう使われるのかということはあまり考えることはない。

税金にしても同じようなもので、持っていかれる額を考えると、国のため、県のため市のために働いているのだと思う。

ゴルゴ13の言う通り、金には名前も色もついていない。一旦他人に渡したらそれがどう使われようがこちらは一切関知しようがない。

これは食費に
と念を押して渡したところで、
別の同額を遊興費に回したところで誰も悪くない。

『日本という国の硬直したシステム』
日本の

『コロナ禍もあと一息か』
いよいよ日本にもオミクロン株が上陸したようだ。
残してあげたよ

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まんざら嫌だというわけでもない

2021年12月30日 | 日々思うこと、考えること
 明け方の写真を撮りにベランダに出たら南風が吹いていて、少し暖かかった。

 今日も年末の掃除。
 午前中、早いうちにお墓の掃除。ポカポカ陽気で助かった。
 市内が混む前にうちに帰った。杉本観音の前を通ったら、今年も除夜の鐘は中止とのこと。あそこは、いつも鐘をつかせてくれるのでありがたかったが残念。
 うちに帰ったら今度は、ベランダの掃除。タワシで緑の苔をゴシゴシ落としていたら、あっという間に時間が過ぎた。日が傾いて寒くなってきたところで、次は納戸の整理をしていた妻を手伝った。

 こうして、家が綺麗になるのは嬉しいもので、そう考えるとまんざら掃除が嫌いというわけでもないようだ。
明日もいそがしくなりそう

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年の瀬にあれこれ

2021年12月29日 | 日々思うこと、考えること
 寒々とした空。大寒波のせいで、たくさんの草花の葉が茶色く変色してしまった。厳冬のためにと不織布を用意しておいたのに、うっかりしてかわいそうなことをした。さらには、寒さのせいで、花たちの元気も今ひとつ。乾燥も相まってガーデンシクラメンは萎れてしまっている。陽当たりがよくても、寒さがそれ以上だ。

 掃除だ、買い出しだ、年賀状の印刷だといろいろやっているうちに、1日終わってしまった。青森の親戚は雪かきで参っているとのことで、そんな苦労がないだけありがたいと思わなくてはいけない。
車が雪で埋まっている

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床屋さんでのタバコ談義

2021年12月28日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
   寒さのせいで、庭の花たち、とくに鉢植えにしていた子たちがやられてしまった。ハンギングのパンジーも元気がない。昼間はいい天気となるらしいからシャキッとしてくれるだろうか。

 昨晩、仕事帰りに床屋に行った。少し伸びてきたなと思う程度で、普段ならあと十日ぐらい粘るが、年末年始をまたぐとぼさぼさになってしまうので、今年最後ということで遅い時間から切ってもらった。

 私がいつも任せている理容師さんは五つほど年上で人柄も腕もよく、気に入っていて、かれこれ五年ほど面倒を見てもらっているが、残念なことが一つある。タバコ飲みなのだ。昨晩も店に入ると少しタバコの匂いがした。髪の毛を切ってくれている間も指や髪の毛についたタールの匂いがただよってくる。髪の毛を洗い終える頃にはその匂いも弱くなるが昨日はなかなかしつこく残っていた。

 ハサミを当ててもらっている間、タバコの話をよくする。どちらが言い出したか忘れたが、昨日もタバコの話になった。

 タバコを吸うというのは、ニコチンの補給をして中毒症状を緩和しているだけだから、タバコを吸わなくても大丈夫、生きていけるという話をこれまで幾度も話してきたが、一向に止めようとしない。

 タバコさえなければ、というタバコにまつわる事件・事故、ちょっとしたエピソードというのはタバコ飲みそれぞれにある。以前は立派なニコチン中毒患者だった私にもここには書けないようなズッコケ話がいくらでもある。その理容師さんなど数年前に店の外でタバコを吸った後不注意で階段を踏み外して大怪我をしていた。昨日もその話が出たが、
 
 あのときも、タバコさえなければね、とはわかっているんですよ

 と、笑い話で終わらせてしまう。

 私のブロ友さんで、今回の大雪に見舞われている土地の方がいる。その方も”確固たる喫煙者”すなわちニコチン中毒からの離脱が困難なようだが、ブログに大雪の中、決死の思いでタバコを買いに行ったということを書いていた。無事帰宅されたからこそその顛末を面白く読ませていただけたが、タバコのために凍死なんてことにならず良かった。その記事を読んで、私が若いころひどい風邪をひいたときに動けず、親にたばこを買ってきてくれとも頼めず、シケモクをひたすら集めて吸い直していたのを思い出した。タバコさえなければそもそも風邪をこじらすことはなかったろうし、シケモクを吸ってみじめな思いをすることもなかったろう。思い出すと滑稽以外の何ものでもないが、あの時は必死だったし、その時の気持ちは今でもわかる。

 NHKの連続テレビ小説では太平洋戦争前後の、すなわち昭和時代が主になることが多い。それを観ていて思うのは、画面からタバコが消えているということで、灰皿すらほとんどみない。飲み屋の場面でもなんとなく靄がかかっている程度だ。あのころ、というか平成の始まる頃まで世の中では多くの人がタバコ片手に生活していたのだから、時代考証としては間違っているということになる。だが、そのうち、タバコというものに接することのない世代が社会の中心となっていったら、キセルもタバコも前世紀の遺物として歴史的な記憶に置き換わっていくに違いない。

 ちなみに、件の店は理容師さんが二人いて、二人揃って喫煙者だ。この場合、片方がタバコをやめるのは不可能に近い。店を出るときに、

 今年も残り五日、あと百本吸って終わりにしたらどうですか?

 と勧めたが、もう気持ちはタバコに向かっているようであまりまともに聞いちゃいない。

 次来るときは、タバコが要らなくなってるといいですね

 と言ったが期待せずにいる。

 人生にはタバコにまつわること以外にも面白いことはあるだろうし、人生の話題作りをわざわざタバコに委ねる必要もない。
別に止めろとは言ってない

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世代の変化を実感して受け入れる

2021年12月27日 | 日々思うこと、考えること
 まだ暗いうちに目が覚めた。普段の起床時間よりはずいぶん早いだろうと思いながら手洗いに行ったら、もうその時間だった。ずいぶんぐっすり眠ることができたなと少し喜んでいたら私の目が覚めるよりも少し遅れて鳴り出した目覚ましの音が寝室のほうからしてきた。そのアラームで起こされたのか、妻が止めていた。二度寝するつもりで起き出したのだけど、仕方なくそのまま顔を洗い、髭を剃ってから寝室に戻ったが、つい布団に入ってしまったらなかなか出られなくなり少々困った。

 大寒波の来襲で鎌倉もずいぶん寒い。車載温度計の表示は−2.5度。車のフロントガラスに着いた氷の粒が朝日にキラキラ光っていた。横須賀線から見える新川崎の貨物列車の基地には、北の国から運ばれてきたであろう雪の塊が落ちていた。学校は冬休みが始まったようで、駅のホームも車内も空いている。私も勤務日はあと2日。とはいえ迅速診断の予約も入っているし、気を緩めずに最後までしっかり仕事しよう。

 昨晩、フィギュアスケートの全日本選手権で羽生結弦がものすごい演技を見せてくれた。テレビ画面から伝わってくるその素晴らしさは、野球の大谷翔平に勝るとも劣らないものだったと、素人目にもわかった。息子もちょうど同じ学年で、親としてはその3人がその世代を代表しているように感じている。その3人に共通する点は、礼儀正しく、猜疑心がなく、純粋であるところ。もちろんいろんなことがあるだろうとは思うが、私の苦悩と彼らのそれは違うように思う。

 新しい時代に新しい人たちが育ち始めていると感じる。私は1963年生まれだが、戦前生まれ、戦中生まれ、団塊、ポスト団塊、というわかりやすい世代に続けて出てきた色の無い世代だ。私たち以降の世代というのは皆世代間格差をあまり感じないでいたような気がしていたが、それは当事者だったから気がつかなかったのだろう。さすがに自分の子供たちの世代をみると、時代が変わったこと、世の中の主役が代わりつつあるということを実感せざるを得ない。彼らの未来が平和であることを祈るばかりだ。
令和の主役

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寒かったお墓参り

2021年12月26日 | 日々思うこと、考えること
 何年かぶりの寒波がやってくるとニュースで散々言っていただけのことはあって、寒い一日となった。

 病理学教室の大先輩のお墓参りに先輩と久しぶりに行った。ずいぶん寒かったが、少し苔が目立っていた墓石を綺麗にすることができた。
 お墓参りの後、昨年定年退職した先輩のご苦労さん会。2年前に一旦予約していたのだけど、コロナ禍でキャンセルしていた予約をもう一度入れ直した。お店がお祝いのプレートを用意してくれて、みんなで先輩の退職をお祝いした。
 もちろん、先輩は第二の病理医人生を歩んでいるのは言うまでもない。
今年もあと少し

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一般社会におけるSOP(標準作業手順書)

2021年12月25日 | 日々思うこと、考えること
 病院の必須の力量として求められるのが、臨床検査室の検査レベルだ。国際規格「ISO 15189(臨床検査室-品質と能力に関する特定要求事項)」というのがあり、病理検査室の品質もこれに含まれている。具体的には病理診断をおこおなうための高品質の標本を作ることが求められる。なぜ、こんなことが求められるようになったかというと、病院ごとのローカルルールがまかり通っていたためだろうと思う。

 誰もが同じ手順で同じことを行うことが求められ、その基本がSOP(Standard Operating Procedure)すなわち標準作業手順書だ。すなわち、SOPに従わずに作業をしてはいけないということになる。すなわち融通が利かなくなるということといえる。

 そこで、気がついたのは役人の木で鼻をくくったような対応。

 この書類の記載では受け付けるわけにはいきません

 それならこの書類を出してください

 それはここが担当ではありません

 これというのは実社会ではすでにSOPが当たり前で、病院のやり方がバラバラだったのかと思った。役所とか事務方の融通が効かないというのもこういうわけかと理解した。
たらいまわし

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笑顔でメリークリスマス

2021年12月24日 | 日々思うこと、考えること
 外国から日本に移入された考え方、文化をいくつかあげるうちの代表的なものの一つがクリスマスだ。私はよく知らないが、この日にはキリスト生誕のお祝いにとどまらず様々な意味が含まれているのだと思う。ただ、多くのキリスト教徒以外の日本人にとってはいまだ年末の書き入れ時にすぎないように思える。若い人にとっては恋人同士で過ごすという理由づけになっていて、私も学生の頃のあれやこれやの画策がいまだに思い出されるが、今の人はどうなのだろう。

 昨年未亡人となった母が、

 このままだと老け込んじゃうから今年(のクリスマス)は七面鳥を焼くわ、(コロナのことがあるから)パーティーまではしないけど、取りに来てね。

 と言い出したので今夜仕事帰りに寄ることにした。クリスマスを家族で祝うのは正しい在り方の一つだろう。せっかくなので息子夫婦や妹の家族にプレゼントすることにした。

 昨晩、早めに職場を出て妻とデパートに行ったが、クリスマス前というのに売り場はずいぶん空いていた。ウィークデイということもあったろうが、昔の熱気はそこにはない。コロナのせいで、買い物の多くがネットにシフトしているということも加わっているのだろうと思うが、デパートは大変そうに見える。この苦境を救う奇跡は起こるだろうか。まずは、中国人観光客に来てもらうことだろうが、コロナでままならないのは気の毒だ。

 海外ブランド品の値段がずいぶん高いと思ったが、この値段、30年前からあまり変わっていないんじゃないだろうか。日本人の収入が下がりこそすれ上がらないままだった30年間のうちに世界ではどんどん上がっている。日本人の収入も昔の1.5倍ぐらいになっていたら、ブランドものも、外車ももう少し手に入りやすくなるだろうに。ブランド物が貧乏な日本に見切りをつけて引き上げてしまうことが心配になる。

 今夜は母の顔を見たら、笑顔で”メリークリスマス”と言おう。父が亡くなってから一人で頑張っているのだから、それぐらいのこと当たり前だろう。姪たちにも会えたら明るい顔でプレゼントを渡してあげることにする。
皆様も良いイブを

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クリスマスツリーの場所を変えた

2021年12月23日 | 日々思うこと、考えること
 日々募る冬の寒さに先が思いやられるが、これが冬ということで、暖冬よりはシャキッとしていい。

 あまり目立ってはいけないだろうと遠慮して、初めは私の部屋の中に飾ったクリスマスツリー、暗い検査室の廊下に明るい光が届くようにと外来者管理のための記名帳を置いてある机に移動した。病理に限らずどの検査室の部屋にも非感染区域、感染区域が厳格に区切られているのだが、ここなら安全だ。
 この奥にある私の部屋に置いていた時は、あまりリアクションはなかったのだが、今度は何人かの人がいいですねと声をかけてくれた。このことを妻に話したら、

 それって、あなたが飾った(クリスマス)ツリーが(あなたの部屋に置いておいたものだから)あなただけのものと思われていたんじゃない?

 と、指摘された。
 それって、私がケチだったと思われているかな?

 と、尋ねると、まったくその通り、とのこと。ガックリきた。

 過ぎてしまったことをあれこれ言っても仕方がない。来年も生きていたら今度はちょっと大きすぎて頭でっかちになっている星を新しくして初めからここに置くことにする。
 私の部屋の方には去年飾ったイケアのツリーを置いた。実は、これが出てきたからドミノ式にこうしたということもある。それに、この小さなツリーをまず台の上に置いてあまりに寂しかったので入れ替えたというのが実際のところで、どこまでいってもつくづくケチな性格だと、残念な気持ちになってしまう。
結果としては

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レ・ミゼラブルより、アンジョルラスの演説

2021年12月22日 | 読書、映画、音楽、美術
月曜日から再開した読書。
まずは9月に中断していたレ・ミゼラブルの最終巻(5/5)を開いた。
読書メーターを見直すと、4巻を読み終えたのが8月で、かれこれ3ヶ月のあいだ小説とかそういった類いの読み物には一切触れていなかったようだ。
もちろん、新聞や雑誌のコラム、エッセイ、ブログでも作家ブロガーさんのそういったものを読んでいたが、そもそも本は紙で読むのが好きな私にとって、ページをめくる感触に代わりうるものはない。
そのレ・ミゼラブルだが、3ヶ月も放っておいたので、物語の筋はすっかり忘れていただろうと思っていたが、案外覚えていた。
私のこの年になっての短期記憶ははそう馬鹿にしたものではなさそうだ。

この有名な物語はフランス革命後に民衆が自由と権利を勝ち取っていく過程を描いた群像小説であり、ユゴーの思いが詰まっていて、出版されてからの100年以上のあいだ、世界中の多くの人に支持されている。
そんな小説だからご存じの方は多いと思うし、とらえ方もいろいろなはずだ。
今の時代に生きる私には、この世界のヨーロッパ民主主義、米国民主主義、日本の民主主義と中国共産党の対峙する理由がよく分かるという意味で大変興味深い。

クライマックスとなる4巻、5巻にはパリでの民衆の暴動が描かれている。
暴徒の指導者であるアンジョルラスという若者が行った演説に感銘を受けたのでその一部を書き留めておきたい。
なお、ネタバレにはならないので未読の方もご安心ください。

「市民諸君、諸君は未来を想像しているか?・・・・・・・・・平等とは、・・同じ高さの植物をさすのではない。
・・・・・・政治上では、すべての投票が同じ重みを持つこと、宗教上では、すべての良心が同じ権利を持つことである。
・・・・・・・・同等の学校から平等な社会が生まれる。
・・・・・・・市民諸君、十九世紀は偉大だが、二十世紀は幸福になるだろう。
そのころは、もう・・・・・・征服や、侵略や、武力による各国の争いや、・・・・・・飢えも、搾取も、貧苦のための売春も、失業による悲惨も・・・恐れる必要は無くなるであろう。(以下略)。」(新潮文庫 佐藤朔訳 ユゴー レ・ミゼラブル (五))
文庫本では5ページに及ぶ長広舌である。

コロナ対策のマスクの強制をヨーロッパの人間はなぜあそこまで拒絶するのかが、この物語を読んできてやっとわかった。
それはその一部でも、たとえ一時的であるにしても公権力に自らの権利を委ねてしまったら何が起こるかを彼らはよく知っているに違いない。
また、アメリカ人、とくに共和党支持者に多いようだ、が嫌がるのは、自由が侵害されるという観点からで権利意識の質は若干異なるが、やはり自分たちで築き上げてきた価値観だ。
一方、中国にも中国共産党の指導に基づく民主主義、すなわち"中国的民主主義”があるそうだが、そもそも民主主義とはお上が作ることなのだろうか?

それはさておき、先の大戦での敗北とともに米国によって"移植"された民主主義を日本人はうまい具合にアレンジしてきた。
でも日本人には、お上が言うことに従うばかりで自主性はあまりない。
ルールとは上に決めてもらったことだけで、自主的なルールというか規範というのは、特に最近失われつつある。
それは高度成長期を経て、世界のトップに立った途端、精神的、文化的に進歩することを忘れ、平成の30年間のうちに、"いい加減"がまかり通る並の国となってしまったのを見れば一目瞭然だろう。
マスクに限らず、改憲論議にしてもその先に何があるのかが、国民的関心事となっていない。
政治家はそのことを皆に分かってもらうことに心を砕くべき時だ。

さて、話をレ・ミゼラブルに戻すと、残念ながら、アンジョルラスの思い描いた、まともだけれどもささやかな幸福は二十一世紀になっても一向に見えてこないどころか、その萌芽すら無い。
 それでも、私たち一人一人がこの国の未来、世界の未来を考えていく努力を怠ってはならない。
打ったところがけっこう痛い

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この国がいい加減なことであふれてしまうようになったのはなぜ

2021年12月21日 | 日々思うこと、考えること
 先週までカリカリしていたのだが、日曜日にひと段落したおかげで昨日はおとなしく仕事ができた。裏を返せばそれまでは周囲の人に有形無形のご迷惑をおかけしていただろうということで、われに返った今、大変反省している。いくつになっても小人のままで情けない限り。

 昨日から始まった新型コロナワクチン接種証明アプリ、いきなり不具合が明らかとなった。10万だか何万件だかの登録情報に誤りがあったとのことだ(「接種したのに記録が0回」接種証明アプリ初日、不具合の報告相次ぐ     読売新聞オンライン 2021/12/21) 。どこの誰がいい加減なことをしたのかわからないが、関わる人すべてがことの重大さを認識していたらこんな事態には陥らなかっただろう。国土交通省のデータ改ざんの問題といい、日本の国力の低下の原因はどこにあるのだろうかと考えると、なんとなくわかるような気がする。

 みずほ銀行のシステムトラブルはもう何年も続いている。それなのにあの銀行が命脈を保っている理由はなんなのか。どこかに甘やかしていることがあるからだろうが、それを断ち切ることがこの国ではできない。

 まあ、人のことをあげつらったらその分自省しなくてはならない。そんなことを続けているとまた具合が悪くなるのでこの辺りにしておく。
きょう3回目

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気がつけば今年もあと2週間足らず

2021年12月20日 | 日々思うこと、考えること
 冬らしい寒さに手はかじかむが、全体としては体はすこしずつ慣れてきた。

 昨日までの忙しさも終わり、今日からは普通に過ごすことができそう。
 週明けの今日は20日。12月も残すところもう2週間を切った。忘年会を開く暇はもう残っていない。あっという間というよりは、五里霧中というかオブラートに包まれた感じで過ぎた1年。2021年というのは私の人生、人類の歴史にどんな年として記憶されるだろう。

 あと一息、落ち着いて色々と考えながら、やり残したことがないかを確認したい。そして何か見つかったら手当をすることにしよう。
読書再開

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今日は朝から忙しく

2021年12月19日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今朝の鎌倉はいよいよ1度で、まさしく真冬。

今日1日過ごしての感想はちょっとショックだった。
新しい病院で2年とちょっと、外の先生たちとディスカッションして、自分が情報過疎になっているということを感じたこと。
さらにコロナ禍で学会にも行かないでさぼっていたから余計にそう。

お昼にちょっと外に出た時はポカポカ陽気で日向ぼっこ、でも、実のところこれではまずいと思いながら過ごした1日だった。
どうしたら巻き返すことができるか。
いまさら無理か、と思いつつもまだジタバタしたいと思う私もここにいる。
あれやこれやと班会議まであり、全部終わったのは19時前。
東京に用事のあった妻と東京駅で待ち合わせ。
無事会いやっとホッとした。
12月の月はコールドムーンとか。
1から出直し

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寒かった

2021年12月18日 | 日々思うこと、考えること
 午前中は風もなく暖かだったのだが、午後から風が強くなって寒さが強くなった。

 息子夫婦が来てくれたので昼食を共にした。来てもらったのは来年の年賀状用の写真のためで、去年父が亡くなり今年は年賀状を出さなかったので、彼らの結婚を親しい人に報告できていなかった。親しいというのであれば、年賀状でなくても知っていてもらってもいいところだが、そうもいかないお付き合いもある。

雲でハク(千と千尋)を思い出した

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