こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

日本の危機を乗り越えるなら、和の心をもって

2012年02月29日 | 日々思うこと、考えること

恥ずかしながら、エルピーダという会社、経済産業省の役人(資源エネルギー庁前次長)がインサイダー取引で逮捕されたというまでは、名前すら知らなかったし、破綻の発表があるまで、これほど大きい会社とは知らなかった。
この会社の破綻、”産業の米”である日本の半導体事業、海外企業との価格競争に敗れた、とかいうが、本物の米と同様、世界的な価格が下がってしまえば、それに合わせるしか無い。日本国内的に薄利多売となってしまっても、しょうがないだろう。同等のデザイン、スペックのPCがあれば、安い方を買う。
本物の米だって、こうまでして守らなくては立ち行かないのだから、産業の米もまたしかり。だが、守れなかった。米が無くなると、経済制裁かなにかをされたときに生きていけない。産業の米、はどうなることやら。禁輸されると産業界全体にとって深刻な問題だが、会社が潰れてしまっては致し方ない。あれこれ言っても、後の祭り、早急に善後策を考えねばなるまい。

日本は確実に世界の他の国から追いつかれてしまった。
少し前までに手を打っておけば、差を維持することもできただろうが、それができなかった。
そもそも、公的資金を導入して、自分の懐を肥やしているような役人のいる国である。情けないにもほどがある。
さて、諸外国に対して明確なアドバンテージが無くなった今、私たち、日本人はどうすればこの危機を乗り越えられるのだろう。
放っておけば、本当に貧乏になってしまう。

橋下大阪市長は日本がこのまま貧乏になっていくのを必死になって止めようとしている。その方策の一つが先日発表した船中八策だろう。

では、コロ健はどう思っているか。
私は政治家ではないし、個別の問題について、具体的なことはわからないが、私たち日本人が元々持っている、和の心をもう一度見直してはどうだろうかと思う。
日本人はもともと自己主張がなく、控えめ、といわれていたが、最近はそうでもなく、どんどんいろいろなことを言う人が増えてきた。これはこれで、お上に押さえつけられていた過去からの脱却という意味では良いことだ。
だけど、控えめなところ、自分自分と自己主張をしないところ、悪いばかりでもない。さらには、Cool JAPANと言われる日本の和の伝統、文化。そういったものに対する、誇りをもって社会全体で頑張らなければなるまい。
その上で、誇りを持った大和民族が力を合わせて、相互に高めあっていく。そんな道しか、われわれ日本人には残されていないと感じる。
和の心で、格差を無くすことも大切だ。

様々な格差がいわれているが、もっとも深刻なのは世代間の格差だろう。
今の高齢者は、年金をたっぷりもらえるが、今の若い世代はもらえるかどうかもわからない。

これは相当な世代間格差だ。
日本人、年寄りも若者も皆で痛みを分かち合うことも必要だ。若者は自動的に痛みを被ることになっているので、あとは年寄りも痛みを引き受けなくてはならない。
そうでなければ、高齢者は若年者からの尊敬を得られること無く、さびしい余生を送ることになる。それとも、金さえあれば良いとでもいうのか。尊敬され、金もよこせというのは両立しない。

世代間格差を和の心で乗り越えることが、今、しなくてはならないことと考える。

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世界と対等な環境を=エルピーダ破綻で米倉経団連会長
時事通信2012年2月28日(火)20:03

 経団連の米倉弘昌会長は28日、福岡市内で記者会見し、エルピーダメモリが会社更生法の適用を申請したことについて「日本最大の半導体メーカーの破綻で極めて残念だ」と述べた。その上で破綻の要因として、競合する韓国企業との電気料金、為替、人件費の「格差」を指摘。「世界と対等な条件のビジネス環境をつくってほしいというのが切なる思いだ」と政府に注文を付けた。

 破綻の影響に関しては、自動車や電機など大口需要家を念頭に「かなりの被害を受けるのではないか」とする一方で、「これに屈することなく、日本の産業界はイノベーションを加速すべきだ」と強調した。 

いつも歩く道にある灰皿

2012年02月28日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
都内の駅から病院までの往復を朝晩歩くが、その間に灰皿が少なくとも4カ所ある。
駅のまわりに喫煙所はなく(鎌倉は裏駅に未だ喫煙所がある!)、駅から少し離れたところにそれらはひっそりある。

それもタバコの自販機の裏。タバコの自販機と灰皿はワンセット。抱き合わせ販売だ。
さて、朝、ここを通り過ぎるとき、人の姿は無いのに、煙だけが漂ってくることが多い。「ああ、今朝も誰か吸っているのか」と思いながら、横を通り過ぎる。自販機の裏に隠れるようにして吸っている同世代の人がチラッと見える。恥ずかしいのだろうか。恥ずかしいのなら、吸わなければ良い。惨めなら吸わなければ良い。それで死ぬことは無い。誰にも責められもしない。
と、惨めになって、タバコをやめた身としては、そう言ってあげたい。

この灰皿は例のコンビニの前。

最近、一時ほどの人数ではないが、それでも気持ち良さそうに吸っている人は必ずいる。この灰皿を目指して周囲から歩いてくる人も多い。ある意味『道の駅』ならぬ『タバコの駅』。
「あなたは、ここで吸わなくても、いや、ずーっと吸わなくても、大丈夫、タバコ無しでも生きていけますよ」と、心の中でつぶやきながら、横を通り過ぎる。

駅に一番近いこの自販機+灰皿では、夜、帰りによくタバコを吸っている人を見かける。
朝は人通りが多いのと、喫煙者本人も急いでいて一服するわけにもいかないのだろう。

先日、この横を通り過ぎたときに、ママチャリで買いにきているお母さんがいて、チャイルドシートに座っている4,5歳の女の子に「なに買っているの?」と尋ねられ、「大人になったらね、吸っていいものなの」と返答していた。

「私の一本目のタバコは親のタバコを盗んだものだった」と、言いたかったが、ぐっとこらえた。
ママチャリのシートに座っていたあの女の子が将来ニコチン中毒にならないことを祈る。

ところで、病院脇の公園の喫煙所(考えてみると、灰皿が置いてあるだけで、”喫煙所”ではない)。以前はAEDの看板の前にあることが、滑稽でならなかった。


プレーの合間に一服するテニスプレーヤーがいて、横を通るたびに閉口していたのだが、2月いっぱいで撤去するとのこと。久々の朗報。

大丈夫、タバコを吸わなくても、テニスは下手になりませんよ。
学生時代、バスケをやっていたときに体育館の前でさんざんタバコを吸っていた人間としては、確信を持っていえる。タバコでスポーツは上達しない。
タバコを吸ってもテニスは上手になりませんよ。まあ、テニスよりタバコの方が大事では、かける言葉もない。

タバコが無くても、何も変わらない。だから、以前のタバコ無しの生活に戻ってみたらどうだろう。あの頃、タバコが無くても、あなたは生きていられたのだから。

タバコがいらなくなったのに、相変わらず、タバコの自販機と灰皿の場所はしっかり頭に入っている。悲しいが、未だニコチン中毒から離脱できていないということか。

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風呂の入り方

2012年02月27日 | 日々思うこと、考えること
冬も終わりかけだが、あいかわらず、寒い日が続いている。
異常気象ではないらしいが、相当寒い。
ラニャーニャで偏西風の向きが変わったせいだとか。だけど地球温暖化は改善していないらしい。

わが家のミモザ(パールミモザ)、葉のほとんどが茶色くなって青息吐息。
つぼみも枯れ始めて心配だ。


あまりにも寒い日が続くからか、新聞やテレビで風呂の入り方が今頃になっていろいろいわれている。
風呂場をシャワーで十分に温めてから入るようにとか、カラスの行水はだめで、ちゃんと15分くらい入らないといけないとか。

だが、風呂温度については、あまり良いアドバイスがないように思う。

入浴剤によっては、ぬるめの温度で、とか40度くらいで、とかあり、さらに、10分から15分程度とかある。
風呂の温度も1度違うと、ずいぶん違う。私の場合、41度だと7、8分しか頑張れないが、40度なら15分くらいのんびり入っていられる。
ということで、お湯を張る時は41度。そのあとは、温めない。というようなことで、12、3分を目標にしているが、また、春が来て、夏にもなればまた変わる。

なにごともいい塩梅を見つけるのは、難しい。

ところで、減量のため、食事の後に風呂にすれば酒量も減るだろう、というあまい予測を元旦にたてたが、これは全くダメだった。単に酔っぱらって入って、三度ほど溺れかかって、食事時の酒はやめず、食後の風呂をやめることにして、やっぱり風呂は食事の前にした。まあ、こちらの方が元々良い入り方であるらしい。
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死に時

2012年02月26日 | 生き方について考える
今すぐ死にたいわけではないが、私はいつか絶対に死ぬので、死ぬ時のことを考えてみた。

『どうせ死ぬならピンピンコロリ』と願う人が多いようだが、人間、自分の死だけはなかなか自由にできない。自殺は自分で死期をコントロールしているが、後始末を考えると、「後顧の憂い無く」とはいかない。
気分がふさぎこんでいるときに、「もう死にたい」などという思いが、ため息とともに、頭をよぎることもあるが、死ぬのは難しい。
家族のことを考えたり、残りの仕事のことを考えたり、そもそもどうやって死ぬかを考えるのも難しく、結局のところそのまま気分は上向いていって、死ぬことは無くなる。

では、自殺ではなく、普通に死ぬ場合はどんなタイミングがいいか。
冒頭のピンピンコロリ、脳出血か心筋梗塞でもで、そのまま亡くなってしまうことを想定しているのかもしれないが、どっこい現代医学はそうやすやすとそういったことを許してはくれない。AEDも数が増えてきて、救命率はどんどん上がってきている。脳出血も少なくとも初期の診断技術の向上により正しく診断して救命率は以前よりは多少なりとも向上している。一部の癌は分子標的薬や免疫療法の進歩により治癒、延命が可能となってきている。

映画や小説の世界のように、「眠るように、おだやかに」などというのは、難しい。

などと、いっていて、あれ?私は人の死に立ち会ったのはどれほどあるのかな?と気がついた。
臨床実習の時以来、人が亡くなるそのときに立ち会ったことはそれほど無い。親族が亡くなった時のことは、その場にいたが、あまり覚えていない。
死ぬ瞬間、それほどの痛みが無ければよしと、残される人間は思うし、自分も死ぬ時は、そんなふうが良いと思う。
ちなみに、剖検では、遺体を切らせていただくが、このときには医者、というか科学者の気持ちが99%を占めている。残りの1パーセントはご遺族への配慮、ご遺体への畏敬の念である。

さて、そうすると、死ぬ瞬間というのは、それほど問題ではないことになる。生と死を分けるものが何かということ自体曖昧で、自分自身にとって生はもちろん大事であるが、自分以外の人にとって、生と死はどれほど重要なのだろうか。
すなわち、生きていても会わなければ思い出にしかならないわけで、死んでいるのとあまり変わらない。遺訓を残せば、いつまでも生きていられることになる。

死に時、と一言でいってもいろいろに捉える人がいるだろう。
死ぬ時の場所、死ぬ時の年齢、死ぬ時の死に方。どれも大切だが、しょせん、なるようにしかならない。生きていれば多少なりとも抗うこともできようが、死んでしまえば何もできない。
生まれてすぐに亡くなる運命の子供もいれば、100歳まで生きようと頑張っている人もいる。

病理医は、いろんな方の剖検をさせていただき、いろんな死に方があることをみている。
でも亡くなった方の臨床経過は知っていても、社会的にどんな生活をして来たのかはあまり知らないし、病気に関係のないことまでは知る必要も無い。

さて、私にとっての死に時、親と障害のある弟より後に死にたいし、子供たちが大学を出るくらいまでは、元気で働いていたいと思うが、若くして事故、病で倒れた友人もいた。自分の番はいつめぐってくるなどわからない。

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インターネット依存症5・・・ スマホ登場

2012年02月25日 | 電脳化社会

スマホの登場を待つまでもなく、携帯ですでに始まっていたが、”どこでも、いつでも”ネットに接続できるようになった。
私は、永らく携帯のみに固執し、目の前の人が着信と同時にメールに目をやり、返事を打ち始めるのがとても嫌だった。
なぜって、目の前の人をそこに待たせておいて自分の用事を済ませるなんて、ひどい話で、それなら、こっちを解放してくれ、と言いたかった。
そうではあったが、緊急時、災害時のために必要だからということで、携帯を持つことになった。
そして、去年、ついにスマホユーザーとなった。
確かに便利。PCと同等というか、電話ができて、写真が撮れるということでは、PC以上の機能と言える。まあ、電池の減りが恐ろしいほど早いのには閉口するが。
これほど便利、というか使い勝手(ユーザーインターフェース)がよくなれば、誰しも手放さなくなる。機械への依存。

さて、電車で座っているひとをみると、12人掛けのシート中、6人が携帯またはスマホ、1,2人がゲーム、同様に1,2人が読書、残り1人か2人は何もしていない。

本や雑誌が携帯、スマホ、ゲームに変わったというのとは、ちょっと違う気がする。
かつて歩きながら、本や雑誌を読んでいる人はいるにはいたが、電子機器をいじっている人のほうがどう見ても多い。画面が明るくて、視認性がよいということもあるかもしれないが、手放せない、いじっていたい、そんなことになってきている。
そういう人が増えるということは、周りを気にしないで自分のことばかりしている人が増えるということでもある。

インターネット依存、ということで考えを進めてきたが、これらの機器、現象をどう捉えていいのか、残念ながら、わからなくなってきた。IT産業にかかわる人は、新たなビジネスチャンスへ向けて、日々努力して、少しでもよい機器、よいソフトの開発を行っている。
インターネットにおける進歩ももちろんそうだ。

もう、一個人(コロ健)の考えの及ぶ範囲をはるかに超えていることは間違いない。

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2月29日、一日増えて、得か損か

2012年02月24日 | 日々思うこと、考えること
来週はもう三月、月日の経つのは恐ろしいほど早い。
ところで、今年は閏年。いつもの年より一日多い。

あたりまえのように、四年に一度、丸一日差し込んでいるが、よくよく考えてみればとても乱暴な話で、しょせん人間の作った暦(太陽暦)などというもの、ずいぶんといい加減なものだということだ。

とはいえ、実際一日多くなるわけだが、一日多くなって良いのか、悪いのか。得か、損か。

奇しくも、仕事の日程調整で、お互い二十九日(木)しか空いていない、ということになった。曜日として木曜日が空いていただけの話だが、なんだか、得したような気がした。
あと、原稿の締め切りが、三月一日必着となっていた。これも一日得したということか。

来週の学会も、再来週の学会も一日遠のいてくれている。やはり得なのだろうか。
だが、給料日は一日遠のいた。損したような気もする。

誕生日も一日遠のいた。これは、一日長生きしたことになるか。

まあ、すべての人の上に、時間は均等に流れているのであり、私一人が得した損したなどということはあり得ない。
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50歳を超えても30代に見える生き方 という本

2012年02月23日 | 読書、映画、音楽、美術
読まずにあれこれいうのはいけないのはよくよくわかった上で、この本はおかしいと思う。
ここ2週間で3度書店に入って、その度にこの本が平積みになっているのをみて、ついでにこれも買おうと何度も思った。立ち読みでぱらぱら目を通してもみたが、結局どうしても買うことができなかった。

どうみても、本のタイトルがおかしい。間違っている。
『50歳を超えても30代に見える生き方 「人生100年計画」の行程表 (講談社プラスアルファ新書)』

ベストセラーになっているようで、最初電車で座っているとき、横の人の日経新聞に出ていたので目についた。
内容は、いつまでも若々しくいるための、適切な生活習慣、適切な食習慣についての話であるようで、ためになる本なのであろう。読書メーターでの評判も良い。

だが、”50歳を超えても30代に見える生き方”というのは一体なんなんだろう。
老化とはそれまでできたことができなくなること、であり、50歳を超えたらいろいろなことができなくなる。だが、それでは不便なので、少しでも長く健康でいようと、体をいたわる。

だが、30代に見られる必要があるのか?

この本のタイトルからは、年齢相応の外見は悪。とさえ、感じてしまう。
人間にとって大切なのは、年とともに蓄えられていく経験であり、思慮深さである。

若いということは、単体としては高い能力を発揮することができるわけであるので、運動するにも、勉強するにも、年寄りとは比べ物にならない。
私は、4年前にこのブログで「オヤジ化」という記事を書いている。そこでは、感性の減退だの、ふしぶしの痛みについて嘆いているが、外見についてはそれ相応になると受け止めている。

年を取ることは、どんどん死に近づくことだが、そのサインとしての外見、というものがあってもいいと思う。人間、年を取ることと引き換えに、経験や思慮深さを得ていくのだから、他人からそういった目で見てもらえるということだと考える。

コロ健、別に童顔というわけではないが、わざわざいつまでも青二才にみられるのは、ごめん被りたい。
内容はいい本かもしれないが、残念なタイトルだ。

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50歳を超えても30代に見える生き方 「人生100年計画」の行程表 (講談社プラスアルファ新書)
講談社

どこまで許せる?どこからは許せない?

2012年02月22日 | 日々思うこと、考えること
先日、新聞の投書欄に、『今の世の中、寛容さが失われてきている』というものが載っていた。
これは、暖炉の煙が迷惑、という投書がきっかけとなった挙げ句の話なのだが、確かに世の中以前ほど寛容では無い。
私の家のまわりには暖炉の煙突が3個見える。

家に帰ると暖炉からと思われる臭いがどこかからしてくる。たき火によく似ている。
たしかに、気にならないかといわれると、気にならなくもないが、家に入ってしまえば臭いはしない。
昼間だと、干した洗濯物や布団に臭いがつくのは確かだろう。
たき火はそんなことで、やれなくなってきている。暖炉のことを悪く思う人がいても仕方ない。

さて、これは、寛容さが失われたからなのかどうなのか。

何をどこまで許せて、どこからは許せないか。

臭い、騒音、その他もろもろのマナー。
人それぞれ、好みも、許容範囲も異なる。

社会で皆が一緒に暮らすには困難を伴う。けれども一緒でなければ、人間は生きていけない。

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ため息をついてはダメ、悪い気が入ってきちゃうわよ。

2012年02月21日 | 妻の名言

なんとなく、ため息をついてしまうことが多い。
若い頃は、成績が悪い時だったり、人間関係で悩んでいたりとか、ため息の原因が比較的わかりやすかったのだが、最近はいったい、何のためにため息をついているのかわからなくなってきている。

昨日、夕食時にため息をついていたら、妻に

「ため息はついちゃダメ、悪い気があなたに入ってきちゃうわよ」

といわれて、はっとした。

ため息をつくと、ボコッと心のなかに穴が空く気がする。

そのあと、その穴というか空間を埋めるものが必要となる。
それが何かわからないでいた。

おそらく、その穴というか空間を埋めるものは、本来そこにあったものよりは多少なりとも劣ったものでしかありえない。
なぜかというと、調和の問題がある。
たとえ、それが別の場所では優れたものであっても、本来そこにあるべきものとの調和はとれない。
それが、妻のいう”悪い気”だと思った。


自分の能力がどうとか、収入がどうとか、家族がどうとか・・・隣の芝生をみてうらやましがり、自分とひき比べてため息をついても仕方がない。
今、周囲と調和して生きている自分を肯定し、そのなかで人生を味わいながら生きる。そのことこそが大切なのだ。
何か一部を取り除いてそこに代わりの何か埋め込もうとしても、それが仮に自分の持っているものの数倍価値のあるものであっても、そこに埋め込んだとき、今ある自分の中に調和して入るかは別の問題だ。
どれだけ価値のあるものでも、ため息とともにできた穴に入ってくるものは”悪い気”だ。
穴など空けず、しっかりした土台の上に調和良く積み重ねられていくものが“良い気”だろうと感じる。

今日から、ため息をつかないことにした。

ため息をつきそうになったら、途中で息を一度止めてから、ゆっくり吐いてみた。
そしたら、心に穴は空かなかった。

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ネットワーク依存症 4・・・ ブログとランキング

2012年02月20日 | 電脳化社会
どこで読んだか失念してしまったが、ゲームというのは自分にとって『プラス』しか残らない。だから、ゲームにハマるのだと。
所詮ゲーム、勝ったら楽しい、負けたらリセット。記録は勝ちだけしか残らない。これまでの勝ちの記録だけが残っていれば、満足できる。負けるためにかけた時間などは終わってしまえば気にならない。

フェイスブックのいいところは、「いいね!」しかないところだという。
あそこに、「よくない」とか「不適切」なんてボタンがあって、5人くらいに「よくない」とか「不適切」なんて、ボタンを押されたら、めげてしまい、早晩誰もやらなくなる。
ブログにも似たような点がある。
記事のカテゴリー、内容、形式、字数などすべて自由。自分で思いついたことを書き連ねているだけ、世界は自分の考えられるところで完結できる。
コメントは客観性を維持する意味で大切だが、多くは、共感してくれるもの(=いいね)で、これに発展的な意見が混じる。たまに嫌なものももらうが、論陣を張ってきたものは無い(非難の嵐でブログやツイッターが炎上、なんていうのを時々聞くが、だいたいは炎上してしまった方が非常識なことを言っていることが多い。ネチケットというのか、ネット世界でも常識は大切だということ)。

結局、ネットワークの世界で受けているもののほとんどは、残るものが『プラス』だ。だから、多くの人がハマる。

さて、このブログにゲーム性を取り入れたのが”ランキング”だと思う。
はじめ、gooブログに”アクセス状況”とか”閲覧数”とか”訪問者数”はたまた”ランキング”などというのがあって、何のことかわからなかった。数年無視していたのだが、去年の6月『病理医は 暇? ひま? ヒマ?』という記事で、“にほんブログ村”と”人気ブログランキング”とにエントリーしてみた。
やってみると、理由はよくわからないが面白い。毎日、順位が変動して、ちょっとでも順位が上がると何となく気分がよく、下がるとがっかりする。
ボタンにも、「クリックよろしくお願いします」とか添え書きしている。
ひどい記事では、去年の8月31日の『Facebook, Twitter または Blog 情報発信は何のため?』などという、釣りというか、さもしいというか、そんなものまである。
その後、学会出張で、二度海外に行ったが、その時もブログが気になり、熱心に更新を続けた。

あの頃は、何も見えないようになってきていた様な気がする。
朝昼晩と順位を気にするようになってしまった。
ブログで生計を立てているのであれば、それはテレビの視聴率と一緒で死活問題だが、私は文章を読んでもらって生計を立てているプロのブロガーではない。

ああ、私はネットワークに依存しているのか?
恐ろしくなった。
ランキング、というものを意識するようになって半年。やっと気がついた。
このことに気がついてから、ネットワーク依存症のことを考えるようになって、新聞記事にも注意するようになった。

私自身がこのネットワーク依存症(とまではいえない状態であることを祈るが)を離脱するには、まずは、この゛ランキング゛から自由になることも大事なことだと思う。
さて、どうするか?

明日から、少しずつ、依存症からの離脱を試みてみたい。

こんきも、をやめるわけではありません。少なくとも、連続1,000日はコロ健個人としてな達成したいことですので、是非、今後ともおつき合い願います。

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病理医になるための勉強・・・下

2012年02月19日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

昨日は、病理医になるための必須と考えている3つのプロセス(解剖、外科病理診断、講義)について考えた。
このコースに乗れば、一応それなりの病理医にはなれると思うが、では、なぜ不肖コロ健はいまだにあれこれ考え悩んでいるのか、という疑問がでる。
病理医になってしまえば、一応目的は達成したといえ、それなりにやっていればいいはずだが、そうはいかない。

病理医になるために、3つのプロセスを挙げたが、病理医を辞めることになる理由はその10倍はある。ホントにそうなら、30、挙げてみろ、と言われそうだが、私の場合、結構簡単に挙げることができる。だが、それでは、話が散漫になってしまうので、代表的な3つについて考える。

一つめは能力の限界。
病理診断部で診断の下書きをするのは病理医見習いばかりではない。臨床医で、専門分野の病理診断だけを勉強しにくるような医者もいる。私が見習いをしていたころ、外科系の医者で、診断の勉強をしに来ている医者の一人にとてつもなくできるやつがいた。彼の診断センスは横で見ていても惚れ惚れするほどで、良性悪性の判断を悩むような症例でも明快に診断を付けていた。このときは、相当落ち込んだ。臨床医でも、自分よりできる医者は山ほどいる。
限界を感じた挙句、上司に病理医になれる自信が無いと、相談した。
すると、上司は、「おまえな、そんなことで悩むな。俺たち病理医は、病理総論を勉強しているんだぞ。それに自信を持て。」コロ健「いや、学生時代病理総論なんて…」上司「馬鹿、解剖やって全身の臓器を診て勉強するのが、総論なの。だから安心して勉強しなさい」
いまでも、唯一、私が病理医としての自信を持つよりどころだ。
二番目は孤独。
大学をいったん離れてしまえば、一つの病院に病理医は一人か二人(私のところは二人)。東京など大都市圏の病院には5,6人の規模でやっているところもあるが、欠員のあるところもあると聞く。それは別として、一人病理医の問題。
臨床系でも、小児科とか皮膚科とか一人医長でやっている科がないわけではないが、あくまでも”臨床医”である。病理医は臨床医とは目されず、一人孤独にやっている人が多い。パートで応援が来てくれるようなら、まだいいが、『最後の診断』のジョーピアソンよろしく、ホントに一人だと、厳しい。逃げ出したくなるのもむべなるかな。
特に、臨床研修制度が始まってからは、それなりに臨床で食べていけるようになっているので、仕事を選ばないで若いうちに病理をやめて方向転換するのも楽だろう。
私の場合、病院外に活路を求めた。大学から離れて立派にやっている先輩の紹介で、いくつかの研究会に参加し、大御所と呼ばれる先輩の先生たちに教えを乞い、また教えていただく。そのうち、そちらを通して、最初は小さな会のコメンテーター、次にちょっとした講演をさせていただいたり、原稿をいただいたりするようになった。
単に、人的ネットワークの重要性と言ってしまえばいいかもしれない事ではあるが、病理医にとって、閉塞感・孤独感を打破するためには、特に大切なことだ。
三番目は患者との距離。
つい数日前にも病理医のモチベーションを保つことの難しさに関連したことを記事にしたが、病理医には患者からの声、というものがこれまでほとんどなかった。
難しい症例の診断をしても、解剖をしても説明するのは臨床医。実際のところ、年間数千、すべての症例の説明を病理医が患者に対して行うことは無理なので、「これとこれは、病理が説明します」なんてことはできない。そんなことをしたら、どれがその対象症例なのかわからなくなってしまうので、臨床医も患者も困る。
ということで、病理医の目の前には標本という、患者そのものがいながら、声を聴くことができない。今、どんなことで悩んでいるのか、どんな病理診断を望んでいるのか。何もわからない。真の顧客が患者なのか、臨床医なのかが、漠然としてわからないでいるというのが、病理医の持つ、なんとなくもどかしい思いの原因ではないか。
これについては、数年前に始まった病理(診断)科の標榜、病理診断外来の開設、といったことが大きな突破口になりそうだ。病理医による病気の説明を聞きたいという方は思っていた以上に多く、月に数度は直接説明している。これだけは、日本病理学会がおこなった、ここ数十年で最大級の功績だと思う。


どれも、病理医以外の職業でも感じるような、一般論に収束されてしまうようなことではあるが、私がこのブログで毎日あれこれ考えていることの元となっていることのような気がする。

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病理医になるための勉強・・・上

2012年02月18日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
学問に王道無し、というが、比較的正しい筋道というかそういったものはどの学問にもある。
小学校の勉強を飛ばして中学校の勉強をすることができないように、病理学の勉強にもそれなりの道がある。ただ、病理学の定義については、日本の病理医の間でいろいろとくだらない論争があるので、ここでは、ATGCの抜け、欠け、マウスの組織、スポットの色の濃さの解釈などの技術は除き、人体病理学について考える。

私の場合、母校の病理学教室の当時助教授だった先生に弟子入りしようと思っていのだが、助教授に弟子入りというわけにもいかず、先生の出身教室を紹介され、そこの大学の大学院に入ることになった。
大学院といっても、校舎があるわけではなく病理学教室の一員として一人前の病理医になるための業務と学位のために研究に励むことになる。
前者の病理医となるのには、3つの重要なプロセスがあるように思う。
一つは剖検(病理解剖)。
何例経験しても未だまともな剖検診断書を書くことができないでいるが、とにかく、極端なことを言えば、ご遺体からは頭の先から足の先までの臓器がとられ(実際のところほとんどは胸部、腹部の臓器)、それをすべて顕微鏡用の標本にして診断する。とてつもない量の情報が臓器、標本に含まれていて、剖検のときにわからなかったことを明らかにするために、顕微鏡で詳しく調べるはずが、わからなくなるところが別なところから出てくるということもしばしばだ。そして、指導教官に何度も突き返され、呆然として、それからまた、足りないところを診断して。繰り返し、標本を診るのだが、標本はそれ自体が一体なんなのかは教えてくれない。病理医がそこから読み取るしか方法は無い。それでも、数ヶ月かけて、やっとこさ剖検診断書を書き上げると、とても嬉しい。
二番目は外科病理診断の下書き。
病院病理部で患者さんからとられた、生検、手術材料を診て、診断書の下書きをひたすらする。いまでは、PCで上書きされてしまうが、昔は上司が苦労して書き上げた診断書が真っ赤になるほど朱をいれて、訂正してくれる(これがあるから、先輩病理医が輝いて見える)。それをまた書き直して、診断書が完成する。それを、半年から1年やる。
三番目は講義の手伝い(および講義)。
学生時代、病理学が大好きではなかった私(病理医になろうと思ったのは6年生の時)としては、病理実習で(優秀な)学生さんから、とても根源的な質問を受け立ち往生するたびに復習し、教授のスライド係をしながら復習し、ということの繰り返しだった。知識の整理のため、とても良い経験であった。残念ながら、ティーチングスタッフになる前に教室を出されてしまったので、講義のための勉強は経験することができなかったのが、心残りである。
その代わりと言ってはなんだが、CPC、カンファレンスなどでなるべく勉強することで臨床医に指導、講義することで代用している。

この3つのプロセス、三つ目は「人に教えることが、最も効率の良い学び」ということで、どの学問にも共通していることだが、これらを経験することが、一人前の病理医になるための必須条件である。

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橋下徹大阪市長の「船中八策」

2012年02月17日 | 日々思うこと、考えること

橋下市長は自分の頭でよく考えてものを言っている。
彼自身が、この国を救うための学会発表のようなものが、先日発表した、「維新版・船中八策」だろう。
聴衆は一般国民で、政治家や官僚、政治や経済の学者や企業経営者および金持ちではない。
既得権を持っている人は変化を嫌うが、それは少数だ。圧倒的多数にはそういう権益はない。
それがいろいろ騒がれることになる原因だろうが、内容をみると大したことはない。どれも「どうして、そうしないの?」ということばかり。
在日米軍の問題も、神奈川県民としては当たり前の範囲だ。地位協定をなんとかしてくれさえすれば、問題はない(敗戦国だから難しいかな?)。

この、数日前に氏が新聞のインタビューで述べていたが、その中で、
「東南アジアの若い人の教育レベルが日本に追いついた今、日本人は今の豊さを守るために頑張らないといけない。」というのがあった。
とても印象的で、彼の焦りに共感するところ大であった。
今の日本、そのことを認めたくない人が多すぎやしないかと思う。

あと、印象的だったのは「自分自身の賞味期間は4年」というもの。
現実問題として、彼がどこまで引っ張られるのかわからないが、まあ、そんなところだろう。
民主党は「何が何でも政権交代」。これはこれで、役割は終わったのかもしれない。


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文藝春秋 日本の論点 The Issue for Japan PLUSより
「(大阪維新の会の選挙公約は)国民に嫌なことばかりだ。ただ、これをやり切れば、日本はもう一度リンゴがふさふさ(実る国)になる」 (読売新聞2月15日付)
橋下徹・大阪市長、「大阪維新の会」代表
2月13日、大阪維新の会は次期衆院選に向けた公約集「維新版・船中八策」の骨子を発表。翌14日の記者会見で、これについてコメントを求められて

 地域政党・大阪維新の会は、2月13日、所属議員約100人が出席して全体会議を開催した。会の代表を務める橋下徹大阪市長は、その席上、次期衆院選向けの公約集「維新版・船中八策」の骨子を発表し、注目された。内容は次のとおり。
(1)統治機構の再構築   地方分権の推進/大阪都など地域の事情に合った大都市制度の創設/道州制の導入/地方交付税の廃止
(2)行財政改革   プライマリーバランスの黒字化
(3)公務員制度改革   人事評価や処分の厳格化を求めた職員基本条例案の法制化
(4)教育改革   教育委員会制を採るか採らないかなど、複数の仕組みを選択できる制度にする/学習塾バウチャー制度の法制化
(5)社会保障制度改革   年金を掛け捨て制と積み立て制の併用にする/高齢者と現役世代の格差是正/政府が国民に現金を給付するベーシックインカムの導入を検討/税と社会保障の共通番号制の導入を検討
(6)経済政策・税制改革   自由貿易圏の拡大、TPP参加/所得税率カット、資産課税と消費税増税
(7)外交・安全保障   日米同盟を堅持し、豪州との関係も強化する/日本全体で沖縄の基地負担の軽減を図る/領土を自力で守る防衛力のあり方を検討する
(8)憲法改正   首相公選制の導入/参院を廃止し、首長の代表機関に/改正発議に必要な衆参の賛同を現行の3分の1から2分の1に緩和
 大阪維新の会によると、この「維新版・船中八策」は、橋下氏が主張する「決定できる民主主義」を反映させたもので、国と地方の役割分担を明確にし、各都市が統治機構の在り方を自己決定できる仕組みづくりを基本にしているという。冒頭の橋下発言は、「船中八策」をつくった思いについて答えたものだ。
「船中八策」とは、明治維新の志士・坂本竜馬が、1867年(慶応3年)、長崎から上洛する船中で、大政奉還など新しい日本の国の形を土佐藩の後藤象二郎に示した国家構想とされるが、その証拠となる歴史資料は残っていない。それでも近年、改革派を自任する政治家の間で、自らの政策に「日本国の洗濯」や「船中八策」と命名するケースが少なくないのは、司馬遼太郎氏のベストセラー小説『竜馬がゆく』で描かれた維新の志士のイメージが広く国民に浸透しているためだ。いまから12年前、落選して浪人中だった野田佳彦首相も、自身のホームページで竜馬を気取るように、「日本を丸洗い」というキャッチフレーズを掲げ「年金改革」など「八策」を掲げていた。
 石原慎太郎東京都知事を中心に旗揚げが進められている“石原新党”でも、「結党の精神」を坂本竜馬にあやかって「救国八策」とすることが検討されているという報道が流れたばかりだ(MSN産経ニュース2月8日付)。
 同報道によると、“石原新党”の「救国八策」は、日本国の建国の精神を「征服や支配ではなく、自然をいつくしみ、神々を畏怖し、和を尊んできた伝統的精神」と定義し、(1)国家再建(自主憲法制定、教育改革)、(2)政治改革、(3)経済政策(政府紙幣100兆円の発行)、(4)外交・防衛、(5)国土再建(防災・農業)、(6)構造改革、(7)行政改革、(8)明日への希望(オリンピックの招致と羽田空港を東洋一のハブ空港化)、の8項目について新たな取り組みを起こすという内容だ。
 前述の大阪維新の会の選挙公約は、期せずしてこの“石原新党”の「救国八策」と響き合うかたちとなったが、橋下大阪市長と石原都知事は大阪都構想では協力しても、国政における連携となるとそう簡単にはいきそうもない。"石原新党"を支える一人、立ち上がれ日本の平沼赳夫代表は、「公約集『船中八策』を読んで、国家観が無いな、という感想を持った」(朝日新聞2月16日付)と、スタンスの違いを強調した。
 既成政党の反応も複雑だ。少し前まで橋下人気にあやかりたい一心で維新の会に秋波を送ってきた民主、自民、公明の各党は、対立する政策を掲げられたことで、一転して厳しい評価をくだした。
 なかでも民・自・公との距離が大きいのが、首相公選制の導入、参院の廃止で、自民党の石原伸晃幹事長は「言うのは簡単だ。参院廃止や首相公選は、憲法改正というプロセスがないと成就できない」と批判した。溝手顕正自民党参院幹事長も「できそうなことと、できそうにもないことがごちゃ混ぜだ。民主党よりひどい」と酷評した(産経新聞2月15日付)。公明党の山口那津男代表も、「議論を重ねたのか。いささか性急な印象だ」(朝日新聞2月15日付)と批判的だ。
 党内で評価が分かれたのは民主党で、「参院の廃止」については、前原誠司政調会長は「われわれと考え方が近い。一院制はねじれ解消の一つの考え方だ」と肯定した。逆に輿石東幹事長は「二院制は必要だ。一院制にするには憲法改正が必要で簡単にはいかない」と否定的だ(産経新聞2月15日付)。
 橋下氏は、「首相公選制と参院廃止を出したら、いまの国会議員の98%ぐらいが去っていくと思った。国会議員が去っていくような案を出さないと、日本は変わらないですよ」(朝日新聞2月15日付)と強気だ。ただ、大阪維新の会のブレーンで大阪市特別顧問の堺屋太一氏が、「(船中八策は)遠い先の話がほとんどで、いずれなったらいいなという程度だ。参院を廃止するなんてとんでもない」(国会内の講演で。時事通信2月15日付より)と苦言を呈したように、現実を踏まえていない荒っぽい粗案なのも事実だ。
 しかし、橋下氏としては、あくまで「維新版・船中八策」を他党との連携の条件としていく考えで、となると、今後これが踏み絵となって、政界の合従連衡・再編に発展する可能性は十分にあり得る。
 産経新聞とFNNが2月11、12日に実施した合同世論で、野田内閣の支持率は26.4%と、前回調査(1月14、15日)にくらべて9.6%の大幅下落となった。政党支持率では、民主党16.2%(前回18.0)、自民党15.5 (17.7)と、大政党が大幅に支持率を落とすいっぽう、公明党は3.9(3.5)、みんなの党が8.4(8.6)と、ほぼ横ばい、支持政党なしが 46.2%(45.2)と微増だった。今後、大阪維新の会や“石原新党”の中身が鮮明になれば、これら新党に無党派層からの支持が急速に集まる可能性は大だ。

大家族と核家族・・・将来人口推計

2012年02月16日 | 家族のこと
去る、1月30日に「将来人口推計」というものが発表された(下記参照)。
このブログでも話題になることの多い、少子化。こんきも読者のご意見の一つに、敗戦後の我が国の家族のあり方の変化が核家族化に拍車をかけた、というのもあった。先日、NHKの「先読み」という、土曜に放送している情報番組でも少子化について議論していたが、子育てにかかるお金の問題も出ていた。これも、大家族であれば、子育て世代が貧乏でも、じじばばが、『あたりまえのように』生活費の援助というか、自分たちの生活の一部に、孫を育てる世代がいるので、子育て世代は教育費うんぬんで悩むことは、今ほどではなかったろう。親は親、子は子となっているのは、ある意味、効率が極端に悪い。

私は、核家族化は、GHQの作戦というよりは、嫁姑戦争の回避という意味で、世の多くの夫も選択して、加担したことでは、と思っている。

私は、祖父母、両親、障害のある弟、と年の離れた妹の7人家族で育った。あの頃は、このようなのは普通の家族構成ではあったが、今から思えば、結構な人数であり、いろいろな人間関係をそこで経験して育ったのだろう。妻も私と似たようなもので、義母の嫁姑戦争をみて育ち、ときどき思い出話を聞かされることがある。
現在の私は妻と子供二人。義母が時々遊びにきてくれるし、妻は私の両親のところへ子供達を連れて行くが、なんせ、両親は都内住まい。鎌倉からだと交通費だけでもバカにならない。結局、なかなか年寄りとは会えないし、いろいろなことを学ぶことも少ない。

年寄りを知らないというのは、将来年寄りになる人間にとって、あまりよろしいことではない。
自分が年寄りになった時、どのようになるのかが想像できず、いつまでも若いつもりでいる。
でも、核家族化、少子化は老々介護を招き、「将来もらえないかもしれない年金を払うのはばかばかしい」ということになっていく。やはり、世代間で支えあう必要はある。

一方で、子育て世代から切り離された高齢者に富の8割が集中しているとのこと。子育ては社会全体で、と友愛総理は言っていたが、それは本当のこと。年金が入っているのだから、溜め込んでいるものの半分くらいは、景気浮揚のために使って欲しいと思うが、いかがなものだろう。

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社会保障制度「肩車型」に変化 産経新聞2012年1月31日(火)08:00
 ■1.3人で1人、生産年齢人口が半減
 30日に発表された将来人口推計によると、50年後には日本の人口の約4割が高齢者という超高齢化社会が到来する。逆に、その時点で15~64歳の生産年齢人口は半減しており、雇用政策を含めた社会構造の抜本的な見直しが急務となる。
 推計の起点となる2010(平成22)年時点で、65歳以上の高齢者は「4人に1人」。ところが平均寿命の伸びなどで35年には「3人に1人」、60年には「5人に2人」が高齢者となる。
 生産年齢人口を社会保障制度を支える現役世代と仮定すると、高齢者1人を2・8人の現役世代で支える今の「騎馬戦型」が、50年後には1人を1・3人で支える「肩車型」に変化する。
 11年度に108兆円だった社会保障給付費は、25年度には151兆円に拡大する。国の財政はここ3年連続で税収を借金が上回る状況で、このままでは増え続ける給付費に対応できない。政府・与党が社会保障と税の一体改革で、5%の消費税増税分のうち1%を社会保障費の自然増に充てる対策へと乗り出したのには、こうした背景がある。
 しかし、一体改革に関する大綱素案は次期衆院選への悪影響を恐れて年金、医療、介護の各制度で高齢者の負担増・給付減につながる政策を先送りにしており、社会保障費の自然増を消費税で手当てする以上の効果はない。
 労働力人口の減少とそれに伴う日本経済の縮小も深刻な問題だ。10年に8173万人の生産年齢人口は60年には4418万人に半減。3464万人まで増える高齢者の雇用促進は避けて通れない。厚生労働省は、企業に65歳までの再雇用を義務づける法案を今国会に提出する予定だ。
 ただ、こうした対症療法を重ねても人口減少自体を食い止めなければ、問題の抜本解決にはつながらない。06年の前回推計で1・26だった合計特殊出生率は今回、1・35に上方修正された。直近5年間の回復傾向を反映させたためだが、子育て支援の充実は待ったなしの状況だ。

さびしい思い・・・病理はつい忘れられてしまう・・・

2012年02月15日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
先日、フラットコーテッドレトリバーのナイトの組織球腫の件で、動物病理の先生にきちんと診断していただいてとても嬉しかった。自分なりに、ほかの病理医に対するリスペクト、さらには、自分が病理医になろうと思った二つのこと(外科の臨床実習のときに迅速診断の結果が出るまで、手術室の時間が止まった時、と、自分が関わっていた患者さんが亡くなってその病理解剖に立ち会った時)をあらためて思い出したのだが・・・

勤務先の病院が出しているメールマガジンで、某専門診療科の先生が
「もちろん他の診療科との連携なしでは最善の医療は提供できません。当院では一般外科、内科、小児科、循環器科、放射線科など各専門診療科と協力し、最善の管理、治療を提供しています。(一部改)」
いろいろな科を列挙していたが、「あれ?病理は?」。

その科の検体、年間数百は扱っているし、カンファレンスにだって参加して、関連症例については、それなりに準備してプレゼンもしているのに・・・


結局のところ、臨床にとって、病理は単なる検査部門でしかないということか。

そうまでいかなくても、ついつい忘れられてしまう。


「やっぱり病理って、こんなものか」
病理は患者さんからの声も聞こえてきにくく、モチベーションを保つための頼みは臨床医からの声。

こういうことがあると、「なんのためにがんばっているのだろう?」と思ったりもする。
私の努力が足りないだけだし、こんな言い草も子供っぽい、いじけたものとは百も承知であるのだけど。なかなか、さびしい思いだった。
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