夜、都心に向かうすいた電車に乗っていたら、どこかで見たことのある人が、二つ先のドアから乗ってきた。あれ、誰だろうと思いを巡らすと、ああ、大学の同級生だ。
卒業以来会っていないと思うが、学生時代はよく一緒に飲んだ仲。でも、本当に本人か、いまひとつ自信が持てない。とにかく、本人であることを確認しないといけない。SNSにはよく写真付きでアップしているので、本人の風貌が学生時代とあまり変わっていないことはわかっている。遠目にみると顔の輪郭は本人そのものだけど、髪の濃さが違うような。年相応といえばそうだし、そうでないといえばそう。一日、仕事をした後だから疲れているのかもしれない。
メッセンジャーを使ったらいいのかもしれないけど、違っているとなんだか間抜けだ。ウェーブ、というのを送ったら、しばらくたってスマホを見ている。多分本人なのだろう。でも、ウェーブというのを送った後、先方にどう届いているのかよくわからないので、確信とまではいかない。電子データは、送るのは勝手だが、受け取る方がどう受け取っているのかは不明な点が困る。今度会ったら、ラインで連絡が取れるようにしておこう。
私の座っている方を眺めてくれるが、私には気がついていないようだ。彼の勤務先はこの辺りというのもSNSで読んで知っていたが、私がこんなところにいるなんて思いもしないだろう。結局、下車駅まで来た。そうしたら、一緒に降りることになった。意を決して名前を呼ぼうと近づくが、近寄ってみると本人ではないかもしれない。私と話すときはいつも笑顔なので、その印象が強く”普通の顔をして”歩いている彼の顔が想像できない。それでもと思い、名前を”控えめに”呼んでみた。
反応なし。というか、蚊の鳴くような声で、相手にどとかなかったのだと思う。
電車を乗り換えて、メッセージを送ってみたら、「それ、多分自分です、無視するようになって申し訳ありません。今度お会いしたら軽く一杯やりましょう」という返事が来た。
彼は、その後会議があって、どのみち旧交を温めることはできなかった。厳しい顔をしていたのも、仕事を控えてたら当然だ。それでも、もう少し勇気を出して声をかけておけばよかった。
懐かしい人と会う時、あの頃の自分と今の自分を比べて、昔より少しマシになっているかどうか考えてみる。学生時代よりは今の私は多少マシになっていると思うから、わざわざコソコソする必要はないだろう。
結局のところ、彼に声をかけそびれた私が発した声の大きさはどんな思いの中で調整されて出たものだったのだろう。
彼と会うことはまたあるか
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