こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

マスメディアの敗北とこれからの社会

2024年11月19日 | 電脳化社会
冷たい北風とともに冬がやってきた。
昨日から急速に気温が下がり、今朝は8度。
明日も寒いようで1月並みとか。

たしか、始まりは石破さんが自民党の総裁になったことだと思うが、それから総選挙で国民民主党がこの国の政治のキャスティングボートを握ったかと思ったらその党首が不倫問題で大騒ぎ。
米国の次期大統領選挙ではトランプ氏が圧勝。
SNSによる勝利だと公言する兵庫県知事選挙。
どれもマスメディアと称される組織の予想を覆す結果となったわけで、とくに兵庫県知事選挙は衝撃だった。

どれにも共通しているのは、国民にしてもトランプ氏にしても兵庫県知事選にしても、SNSを上手に使った陣営が勝利したということだ。
マスメディアがSNSに敗北したということは、正直残念だが、その動きはずっと前から始まっていた。
その先駆けが、新聞をとらない家庭の増加で、新聞が世論を形成していくということはもはやないだろう。

となると、SNSでうまい具合に世論を作っていくことができたらいくらでも自分の好きな方向へと誘導することができるようになる。
私にしても、Xよりはブログのほうがじっくり作られているつもりでいたが、あそこに”長文になりますが”などと書かれている細切れの文章をつなぎ合わせて読むほうが若い人には合っているのだろうと感じる。

そのXにしても、逃げ出す人がいてほかのSNSサービスに転じる人がいる。
まあ、ひとつのSNSサービスに人が集中してはある意味危険だからそれはそれでいいが、これからの社会はどこへ向かってゆくのか全く先が読めなくなってしまった。
信じられるのは天気予報だけ

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SNSと民主主義

2024年11月18日 | 電脳化社会
ポカポカ陽気も今朝までで、このあと寒気におおわれ、寒くなるそうだ。
本格的な冬の到来とはならないまでも、冬は確実にやってくる。
寒いのは苦手だが寒くなってくれなくては困る。

エックス、フェイスブック、ユーチューブ、ブログほかSNSには色々なサービスがあって、それぞれの場で口コミのような情報があれこれ語られている。
その情報もどれが本当で、どれは贔屓目の話で、どれが嘘かなどわからない。

そもそも人が何か口にした途端、それは真実かそうでないかなど誰も保証できない。
SNSの中に書かれていることを自分なりに相対化して評価するということは難しい。
自分の考え方というものが正しいというところから出発した場合、ある意味正常化バイアスがかかっているわけで、そうすると”これは正しい。これを誤りだというこの意見は間違っている。”となる。

普遍的に正しいものというのはこの世の中には存在しないから、民主主義は相対的に正しいものを選ぶということになる。
そういう意味で、SNSはそれぞれが絶対的に正しいという意見を発信しているわけで、フォロワー数が多ければ多いほどその意見が正しいということになる危険性がある。
SNSが現代社会の中で占める役割とういのは、以前の小さなコミュニティーから行政や国家を動かしてゆくものと変貌しており、今を生きる私たちはその中から本当のことを見出して方向性を決めて行かなくてはいけない。
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SNSに誘導されないように

2024年11月14日 | 電脳化社会
小春日和も今日までということで、陽の光をたっぷり浴びておきたい。
最近、Xをよく読んでいる。
10年以上前からやっているが、一時期はとんとごぶさただった。

Xの情報というのがどこまで正しいのかわからないが、NHKをはじめとするマスコミ各社もニュースソースとして利用しているのでそこそこ正しいのだろう。

国民民主党の玉木党首の不倫問題はじめ、いろいろなことがよくわかって役立てているし、ときとして社会事象について書くときはネタにもなる。
この点は、テレビ、新聞と同じなので、特に問題ない。
中立的な人の投稿を読むようにしているし、結構常識的な投稿がほとんどなので、一応安心している。

ただ、心配なのはXまるごとで、おかしな方向に行ってしまわないかということがある。
例えば子育ての話題。
子供を持ちたくない、自分だけの生活をしていたい、という投稿がふえていて、私も確かにそれには一理ある、と思うようになってきた。
以前だったら子供を持ったからといって、それが負債のように扱われることはなかっただろうに、今はそんなことがない。
こういった論調が膨らんでいったら、やがては子供を持ったら損、のようなことに行ってしまうのではないかと心配になる。

他にもこういうテーマはあるが、耳障りのよい論調にSNS全体が巻き込まれていないか注視しながら付き合っていきたい。
炎上は嫌

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SNSでの人とのお付き合い

2024年09月13日 | 電脳化社会
今朝も風は気持ちよく、すっかり秋だ。
それでもやっぱり昼間は暑くなるようで困ったものだ。
昨日の記事が下書きのままだったので、慌ててアップした。
今日も短めにしておこうと思ったのだが、昨日の寝入り端に考えたことを書いておきたい。

先日、あるブログを読んでいて気になる言葉があった。
だいたいはそれきりにして、繰り返し読むのが嫌になったらそのまま読まなくなる。
ただその方のブログは大変おもしろく、ファンとしては読み続けたい。
でも口ぐせというか言葉ぐせは目にしたくないと、コメントしてした。

対応して下さるとの丁寧なお返事をいただき、気にしてくださったのか、その後その言葉表現ぐせはなくなった。

相変わらず楽しく読ませていただいている。
そんな時、ふと、この方の表現の幅を狭めてしまったのだろうか、と思うことがある。
SNSの世界では互いに干渉することなく、いいねとだけ言っていた方が無難なのだろうか、それとも互いにフォローしているような仲であれば一言二言は許されるのだろうか、などと悩んでしまう。
今日も忘れるところだった

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人間関係2:6:2なわけで

2024年06月21日 | 電脳化社会
梅雨前線が九州南部まで迫り、関東地方も今日明日にも梅雨入りとなりそう。
『こころ』は昨日のうちに読み終え、感想も読書メーターに書き込んでおいた。
さっそく”ナイス”をいただいたが、その中のお一人に私と同じような感想を書いておられる方がいた。
私と同じような感覚を持つ人っているんだな、と思えると嬉しい。

相互フォロー、というのか、そういう関係のブロガーさんたちとのやりとりというのも面白い。
直接コメントをいただくこともあれば、あれ?これ、私に共感してくれているのかな?と思う記事を読むこともある。
こんな小さな発信であっても一緒に考えてくれる人がいるというのはやはり嬉しいものだ。

Xにはこのところ1日2度ぐらい投稿している。
せっせとやっているせいか、ちょっと病理ネタにしているせいかわからないが、アクティビティというのか、ケータイのアンテナみたいなのが、少し伸びるようになってきたのは面白い。
でも、長年のブログ生活で、こういうのの数にはだいぶ興味がなくなってきたので、それほど高いところではなくプラトーに達してくれたらいいと思っている。
他人の日々の感想が書かれている日記になんて誰も興味を示さない、というのはブログで収益化をという指南書によく書かれていることだが、そんなことをほぼ目論んでいない私としてはそれでいい。

何人かの方がブログの記事をほぼ完全に記事をパクられているのを見ると気の毒になる。
Xでもパクリは酷くて、PDFなのだろうか縦書きの付箋のようなものに書いたものをアップしてコピペを防いでいるツイートをよく見る。
私の記事は日々の感想で、生き方指南なんていうのはないので、パクられることはないだろう。
人間関係は2割味方、6割中立、2割敵、という262法則というのがあるそうで、すべての人に自分の思いや考え方が受け入れられるわけがない。
あまり目立たずに続けてゆきたい。
無理せずに
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あちらの私とこちらの私

2024年06月06日 | 電脳化社会
薄曇りで、ほんの少し蒸し蒸しする。

少し前に、病院の方から公式X(エックス)への投稿を促され、ちょっとまとめて原稿を作った。
いずれも月〜金の一週間単位5本ずつで、一つのシリーズはコンサルテーション、セカンドオピニオン外来について、もう一つが小児がんについて。

さすがは病院の公式Xだけあってアクティビティはすぐに5000ぐらいになるので、私の個人Xが100を目指しているのと比べてアピール力の違いは明白だ。
ただ、他の部門からの投稿がほとんどなく、あんまり前がかりになって目立つのもどうかと思うので、しばらく大人しくして、個人Xのアクティビティ100を目指すことにする。

Twitterに登録したのが、2010年1月となっているので、かれこれ14年になるが、つい最近まで#(ハッシュタグ)の使い方を知らないでいたほどだし、そもそもひらいていなかったのほどなので、幽霊もいいところだった。

病院のアカウントに投稿しているツイートでは病理医として当たり障りのないことを書いている。
個人アカウント上では、このブログでのスタンスとあまり違いはなく、ほかに裏垢なんてものは持っていない。
一人でいくつものアカウントや居場所を持ってそれぞれの世界でそれぞれの顔を持つということも可能になるが、私の場合は、まあ、仕事場とプライベートの場という違いぐらいしかない。
過激にならないよう抑制的に

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あまりにも酷いことが連日多く起こる

2024年05月10日 | 電脳化社会
気温も湿度も低いすこし肌寒い朝だったが、気温はみるまにぐんぐん上がった。
テレビの天気予報でも5時台は10度だったのに、7時過ぎには13度を表示していた。
今日は23度ぐらいまで上がって、いい陽気になるようだ。

連日悲惨な戦争・紛争、陰惨な殺人事件、さらには貧困、少子化、高齢者の問題などが、これでもかというほど報道されている。
どの戦争、どの事件といっても、それらに対していちいち論評を加えても意味がないように思える。
もちろん、一つ一つのことに含まれているであろう問題を考えることは重要だが、それには時間も能力も足りない。

私自身が今、この世界のどこに存在しているかを考えればいいのかもしれないが、それすらも今ではわからない。
私は自分を他人と比べることをあまりしてこなかった。
とはいえ、他人への羨望や嫉妬心が全く無いわけでもないから、そういうところを起点とすれば自分の立ち位置がわかるはずだが、世の中には様々な情報が溢れていて、価値観のスケールをどこに合わせたら良いのかが判らない。

自分自身に基軸となる価値観があればいいのだろうが、それは移ろいやすく、壁掛け時計のようにぴたりとそこに固定されていてはくれない。
ネット環境が脳の延長上にあるようになって、大量の情報を個々人が処理することはほぼ不可能になってきている。
とすると、それぞれの人の思考というか、思惟というかそういったものが巨大なプールのようなところに浮いていて、相互に信号を送り合っているだけのようにもみえる。

もちろん、それぞれの実体はこちら側に存在しており、映画マトリックスの世界とは違う。
でも、VRを使えば、実体の困難さからの逃避が可能になるかもしれない。
そうすると、実際の戦争・紛争は無くなってゆくだろうか、それともやはり人間の感情のせめぎ合いは最後まで残るだろうか。

頭がパンパン

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AIに餌をやりすぎ逆に支配される

2024年05月02日 | 電脳化社会
2日続きの雨が上がった。
今朝はだいぶひんやりしていたが、日中は気温も上がり、明日からの大型連休後半は天候にも恵まれる様だ。
フラットコーテッドレトリバーの子犬のアンがやってきたばかりで、どこかへ出かける予定などないが、やはり天気は嬉しい。
などと長閑なことを書いていたのだが、校正してからアップしようと思っていたのだが、これをそのままにしていたことを、昼休みに知って急いで公開した。

今朝、NHKニュースを見ていたら、


という話が出ていた。
AIの学習データとして新聞記事が使われたということに対する訴訟だと思うが、二律背反する事項の対立で、考え方は難しい。
私のこの文章もAIの学習に使われていると仮定したら、タダで使うなと憤慨するべきか、人類の叡智の発展の足しになっていると満足するべきか。

そんなニュースを眺めながら朝日新聞を斜め読みしていたら、文化欄のところに、AIを用いた文章作成に関する問題点についてのインタビュー記事が出ていた。
AIの作成する文章というのはあくまでも機械が単語のつながりの組み合わせであって、実際に使う場合には校正が必要だという様なことだった。

たしかに、私は時々AIに文章を整えさせたりするが、読み返すとおかしな文脈が出てくることがある。
それは微かなものなのだが、文章を俯瞰すると歪んでいて違和感を感じる。
事実を伝えるだけならその内容に誤りがなければそれでもいいかもしれないが、筆者の気持ちを加えた文章の場合それではいけない。
仮にこのブログをAIに下書きをさせるとしたら、私の”こんな気持ち”は絶対に表現できないということだ。

私としてはそうやってAIに抗いたいと思っているのだが、うまい具合に付き合っていくことのできる人が上手な文章家になっていくのだろう。
AIに文章作成を手伝ってもらっているという作家は少なくないそうで、まあ学校における勉強の要領の良い優等生の様なものだ。
それはそれで悪いとは言えないし、翻訳AIは私も散々使っている。
でも、そうやってAIに餌となる文章をやり続けるうちに、人間としての独創性は失われていってしまうのではないか、結果としてAIに支配されていってしまうのではないかと危惧する。
AIにも日本語は難しいらしい

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情報発信には相手(読み手)と興味と情熱とが必要

2024年05月01日 | 電脳化社会
5月は唐突な感じで始まった。

唐突というのは、連休の間の3日のさらに中日で、区切りとしてはなんだかはっきりしないうちにカレンダーをめくったら5月だったので感じたことだ。
それでも、1、2月、3、4月ときて今日から5、6月となると初夏の訪れを実感として受け止められる。

今朝、ノートを開いたら昨日のエントリーが下書きのままなのに気づいた。
円安に対し、日銀が5兆円の介入を行った(らしい)というニュースがすでに流れていているところで、おとといの財務官の動きについて書いたところで、陳腐なものになっている。
せっかく4月30日(の朝)に書いたエントリーなので、今日の日付にするのはいたたまれず、昨晩の23時過ぎの日付でアップしておいた。
大谷翔平の成績を書くのが2、3日遅れてもそれは記録としての意味があるが、社会経済のことは同時進行でないと読む人の興味を惹くことはできない。

昨日、病院幹部に病理診断科のことをプレゼンした。
その時に情報発信をしてほしいという話があった。
幹部の一人が私が病院のX(まだTwitterの頃)が始まった頃に、大量のツイートを提供をしていたことを覚えていて、その話が出た。
このところツイートネタが湧いてこないので、困っているが、これはどうしたことなのだろう。

このブログは、内容はさておき自分でも感心するほど続いている。
その原動力は読者、すなわち相手の存在だろう。
ときどきコメントを下さる方はもちろん、たまに”読んでますよ”と言ってくれる知り合い、そして、あれこれのボタンをポチしてくれる方、そんなことすらしないが読んでくれる方に届く様に書いているのは、共感を得たいからだろうと思う。

そして、興味と続けるという情熱が必要だ。
しばらく前に、私のブログをけちょんけちょんに貶した人とはこちらから縁を切らせてもらったが、そりゃそうだ、そんな人のことを思って、興味のないこと、めげながらでも書くなどということは馬鹿馬鹿しい。

では、病院のXのツイートをどうやって書いたらいいのだろうということになる。
どうしたら読んでもらえる文章が書けるのか。
そんなものがわかれば誰も苦労はしない。

それでも、私がいつも感じるのは、”誰に向けて、何を書くか”を明確にしないと文章は出てこない。
私の勤務先は専門病院なので患者さんは都内に限らず少なくとも関東一円からやってくる。
これは医師もそうで、医局会で新入医局員の自己紹介があったとき、”やっとこの病院に辿り着くことができました”などとありがたいことを言っている人もいた。
そうすると、患者さん、患者さんの家族に向けて、と同時に優秀な若手医師のリクルートも行うことができるような文章を書かなくてはならないわけで、さらには、興味を持ってもらえる自分の情熱のある文章を考えなくてはならない。
言うは易しだが、文章をむから生み出すと言うのはなかなか難しい。
バズる必要はない

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私のブログは心のストレッチ?

2024年03月06日 | 電脳化社会
昨日からの冷たい雨は今朝もまだ続いていて寒い。
啓蟄を過ぎたとはいえ、寒さはまだ冬のそれ。
とはいえ、少々のことでは雪にならないぐらいに地球の平均気温が上がっているので、交通機関に遅れが生じるようなことにはなりそうにない。
啓蟄をキーワードにして過去のエントリーを検索してみると、寒さのことよりも花粉症のことをよく書いている。
今ではいい薬が出て花粉症の症状に苦しめられることはほとんどなくなって、ずいぶん楽になったものだ。
このように、ブログを読み返すとそんなこともわかって面白い。

ブログを書くというのは結構時間がかかる。
こんな駄文でも書き出したらあっという間に1時間ほどかかってしまう。
ウィークデイなら電車の中でちまちま書いていても、気にならないが、休日となるとどうしてもまとまった時間が取りづらくなる。
妻も、私の日課を知っているのでとくに何も言ってはこないが、同じ家にいて知らんぷりしてパソコンの画面を覗き込んでいるのもどうかと思う。
そんなこともあってか、無理をしてまでエントリーを書こうという気がなくなってきた。

電車では、ブログ書きが第一だが、ネットでの振込やメール、出張の予約などをしていると案外こういったことも時間がかかるということがわかる。
論文なんかA41ページ読むだけでも結構かかる。
ブログを書いていると、いったい何やってるんだとふと我に帰る時がある。
なんでもお金に換算する時代にあって、ブログ書きというのは換金できないことだが、それでも結構熱心に書いているのは何故だろう。

Chat GPTに「人間がブログを書きたくなるのはなぜ?」と訊いてみたら、こんな返事が来た。

人間がブログを書きたくなる理由は多岐にわたりますが、いくつかの一般的な要因が挙げられます:
  1. 表現の欲求: ブログは自分の意見や考え、感情を自由に表現する手段となります。人々は自分の声を発信したい欲求を感じ、それをブログを通じて実現することができます。
  2. 情報共有: 人は学び、経験したことを他の人と共有したいと考えることがあります。ブログを通じて知識や情報を発信することで、他の人と交流し、共感を呼ぶことができます。
  3. コミュニケーション: ブログは読者との対話の場でもあります。コメントやフィードバックを通じて他の人とコミュニケートすることができ、新たなつながりや交流が生まれることがあります。
  4. 趣味や専門知識の共有: 特定の趣味や専門分野に興味を持っている人は、その分野に関する情報や体験をブログで共有することがあります。これにより、同じ興味を持つ人々と交流しやすくなります。
  5. 創造性の発散: ブログは文章や写真、イラストなどのクリエイティブな表現手段となります。自分のアートやストーリーを共有することで、創造的な一面を発散させることができます。
  6. ビジネスや個人ブランディング: ブログはビジネスや個人のブランディングにも利用されます。自分や自分の提供するサービスや製品を広く知ってもらう手段としてブログを活用することがあります。
これらの要因から、人々は自分の考えや経験を発信し、他者との交流や情報共有を通じてブログを書きたいと感じることがあります。

ということらしい。
私の場合は、1、3および4あたりが当てはまるのかもしれない。
いずれにせよ、自分の考えや経験を発信するということは、人間の根源的な欲求の一つのようで、私も日々こうやって気持ちを発散しているのかもしれない。
心のストレッチ?

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公私の境目というものをどう認識したらいいのか

2024年02月26日 | 電脳化社会
久しぶりの晴天だが、北風がつよく気温はあまりあがらないらしい。
昨日は不覚をとって久しぶりに記事を落としてしまった。
朝から細々したことが続き、コストコに行ったり、元町に行ったり、さらに夜には同窓会の準備会で渋谷まで行ったりと、まとまった時間が取れず、大河ドラマの録画を見終えたら、”アストリッドとラファエル”が始まり、寝ぼけながらも最後まで視てその後寝てしまった。
このような場合、公私ともに忙しくと言っていいのだろうか?

私は固有の存在だが、私に接する人は職場や地域の人がいてその人たちの前にいる場合が公的な私となる。
SNSが発達した今は、そういった場での私も公的な私となる。
匿名であれこれ書いている場合は、公私ともに存在はないが、私の場合たまに自身の写真や氏名がわかるようにしているので、このブログでの私は8割ぐらい公的な私ということになる。

どこからどこまが公的で私的であるのかよくわらからない。
噂話なんていうもののその始まりが私的なことを自分の中で抱え込んでいられずに誰かに言ってしまうことであるのはよくある。
こういったものとSNSとの違いもよくわからなくなっている。
ブログは匿名性は高いが、XやFBだと実名で書いている人も割合多い。
それぞれの人が公私を使い分けているのだろうが、気にしていない人もいるように見える。
SNSでの立ち居振る舞いというのはまだまだ発展途上で、これがいいというのはないし、そう言ったものが定着するということは永遠に来ないような気がする。
露悪的にならない

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夜中についスマホに手が伸びてしまうのは人間との親和性の高さのため

2024年02月20日 | 電脳化社会
昨夜は、風と窓をたたく雨粒のせいで、夜中時々目が覚めた。
結局、一晩中大嵐だったみたいだが、日が上がってからは風はピタリとおさまった。
気温は18度と、季節感という言葉そのものが失われてしまったようで、もう地軸が動いてしまったのではないかとも思える。
だが、夜には10度を切るほどまでに下がり、このまま真冬、というか本来のこの時期の気温に戻るらしい。
どんな格好をしたらいいのかよくわからず、長袖シャツの上にダウンジャケットを着て出てきた。

昨晩は仕事で頭が疲れてしまったのか、そんなことはなかったが、いったん目が覚めてもすぐ寝たらいいのについ枕元にあるスマホに手が伸びて、しょうもない時間を過ごしてしまうことがある。
私に限らず多くの人がそんな経験をしていると思うが、それはスマホと人間の親和性の高さのせいだと思う。
人間は自分に身の危険が無いかを常に注意しながら生活している。
そうはいっても結構ぐっすり寝てしまうから、大したことないといえば大したことはないのだが、少なくとも覚醒している時はこまめに情報を集めながら生きている。

情報源の最たるものが、新聞、ニュースだったが、いまやそれはスマホに取って代わられた。
そして、多くの人がスマホにすがって生きるようになってしまった。
私も、わざわざスマホの画面を開く必要などないのに、時計を見て、天気を見て、ついでにグーグルの提供するニュースを眺め、そのうちのいくつかを開いてしまうし、だれかのブログを開いて読むこともある。
そうしてあっという間に2、30分すぎて、あわてて寝ようとするがそう簡単にはいかないで、結局1時間ほど睡眠時間を無駄にしてしまうことも少なくない。

スマホを枕元から離しておけばいいのだが、災害時にはぐれてしまうのが心配で、それはそれで簡単なことではない。
そんな不安心理を突いてくるという点でもスマホとの人間の親和性は高いといえる。
死ぬまで縁を切ることができないとなると、付き合い方を考えるか、それともすでにそこにあるものとして自然に受け入れるか、それが問題だ。
無ければ無いで困る

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タイパもコスパも重要、だけど大切なのは人との繋がり

2024年02月15日 | 電脳化社会
久しぶりに美しい朝焼け。
前線が南下してくるようで、夜には雨が降るらしい。
花粉が飛び始めていて、頭痛、咽頭痛そして鼻水。
薬を飲み始めているものの、なかなかおさまってくれない。

昨日もらったチョコレートは、妻からのも入れ、全部で6個。
ぶうぶう言いながらも貰うと笑顔を作って嬉しそうにしなくてはいけない。
もらって嬉しい人もいるが、そうでもない人もいる。
でも、そんなことを言ったらばちが当たるので、すべて均等にありがたくいただく。

最近、タイパだとかコスパという言葉をよく聞く。
日本人による訳のわからない短縮英単語には辟易するが、なんとなく意味がわかってしまうのが悔しい。
マルチタスクが要求される仕事をしていると、いっぺんに2、3個の事項を考えなくてはいけない。
顕微鏡の横にあるPCを気にしたくはないが、30分に1度はメールをチェックする。
半日も放っておいたら、大量のメールに対してまとまった時間を取らなくてはならないので、こまめに返事をした方が時間的効率、すなわちタイパが良い。

コスパが良いという言葉は、リーズナブルとかお安くとか使う人によっていろいろな意味があり、一概にどうとは決めることはできないが、最近では、良質なものを適切な価格で手にいれることを指しているように思う。
すなわち、安ければいい、というわけではない。

タイパにしてもコスパにしてもZ世代が注目している言葉だというが、そんなこと今に始まったことではなく、それを求めるということは、ずっと昔から行われてきていた。
違うといえばこれらのことをより”合理的な”方法によって求めるようになったことではないだろうか。
ITの発達は止まるところを知らず、今後もタイパ・コスパは向上していくだろう。
一方で、それを使うのはあくまでも人間であって、人間関係が面倒だからと避けないで、その介在を前提として社会を回していかなくてはならない。
今日も電車は遅延して

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SNS上で感じるくびきというか拘束感

2024年01月22日 | 電脳化社会
気温は7度と、この時期には暖かい朝。
腰痛さえなければ気持ちよく起きられるのだが、残念ながら今日も腰の奥の方がしくしくするので湿布を貼って出てきた。
来週からちょっと忙しくなるので、少し余裕のある今週はそのためある程度貯金をしたいところだが、他所の施設からのコンサルテーションがたまっていて、そんな悠長なことも言っていられない。

しばらく前に、懇意にしてもらっていたブロ友さんからキツイことを書かれて、きっぱり訣別したのだが、それ以来ブログ書きが心なしか楽になった。
どうもそれまではその方の目を、気にしていたようで、別れてしまったあとだと何も気にすることがなくなりのびのびと書かせてもらっている。
無意識のうちに、くびきというか拘束感を感じていたのだろう。

こんな小さなブログ、バズるとか炎上などという言葉とは縁がないと思っていたが、実はそれなりにそういったものに囚われているのだと知り今更ながら驚く。

先週から始まった病理医が主人公のドラマを(ささやかながら)私なりに宣伝しようと久しぶりにXに投稿したり、自負と偏見、街とその不確
かな壁、と立て続けに長い小説を読んだことを読書ノートに書き込んだりしたりしたらいいねが来て、他人の反応が気になるようになった。

表を歩くときには人目を気にするわけだが、SNSの世界にいても人目を気にせざるを得ない。
こういうくびきというか拘束感など気にせずに自由にやったらいいのだろうが、茶々を入れてくる人というのはどこかにいる。
SNSの世界でも常識のある無し、言葉使いの上手い下手、語彙の多寡といったものが結構重要になるのは現実世界と同じなのかもしれない。
言葉を磨く

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考え方の相違と諦め

2024年01月07日 | 電脳化社会
先日、このブログでもこれまでに何度か話題に出したことのあったブロ友さんのエントリーにコメントを入れたら、けちょんけちょんにこき下ろされた。
人格否定というほどではなかったが、その方と私とでは生きてきた世界が違う、私のブログへの取り組み方は甘い、というようなことをけっこうな剣のある言葉で批判され、ずいぶん落ち込むことになった。

このブログで何を書くなんてことは私の勝手だし、だからこそこの世界は自由だし、さらにはこのブログを読んでくださった方が何についてどう思うかなんて、私にはわからないし、それがどうあって欲しいかなどとは思わない。
それでもやっぱり攻撃されると残念だし悲しい。
そしてこれは1度ならず2度目のことだった。

他人とわかりあうというのはずいぶん難しい。
育った環境がまったく一緒の人などいないのだから、その溝を埋めながらわかり合う努力をすることがある意味楽しくもあるのだが、バッサリ切り捨てられては残念としかいいようがない。

元来、孤独を愛している人だから、私がその方のブログにときどきコメントを入れていたのも気に食わなかったのかもしれない。
わかり合おうなどとは思っていなかったのだが、こうまで言われてしまってはどうぞご勝手にという感じで、お付き合いもこれで終わりにしようかと諦めることにした。

諦念という言葉をこんなところで味わうことになるとは思っていなかった。
このブログを止めるよりは

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