昨晩の夕食どきに、息子と話すうち女性に多い病気のことになった。その時に私が息子には通じる言い方で女性患者さんに比較的多くみられる特徴を息子に向かって話したら、娘が「パパ、そんなこというと、セクハラになるよ!」と横から叱られた。「え、こんな言い方でもそうなるの?それに、外ではこんな言い方はしないよ、第一お兄ちゃんに対して話していたつもりだったし」と応じたけど、虫の居所が悪かったのか、プンプン怒っている。息子が「そんなに突っかからなくてもいいじゃない」と息子がなだめても、「だって、(病気のことが)わからない人にとってはそう聞こえるんだから」と取りつく島もない。結局、「俺が悪かったよ、もうやめるよこの話は」とその話題を打ち切った。妻はことの成り行きにあっけにとられていたが、珍しく黙っていた。もちろん、一家団欒はそれで終わり、子供達は部屋に戻ってそのまま寝てしまった。たしかに一家団欒で、私と息子にしか分からない話しをしたというのもよくなかった。
元はというと、私の同僚の女性医師と話題にしたことがあるような話で、もちろん医師である彼女は客観的事実として、その疾患にまつわる傾向を把握していて、その話題にしても医者同士だったら特に問題にはならない。でも、そういった背景を持たない人にとっては、苦痛なのかもしれないし、もし私自身だって何らかの特徴的な傾向を有する疾患が持病にあったら嫌な思いもするだろう。気をつけなくてはいけないのかもしれない。医者同士とか医療従事者同士の専門知識を暗号の様に使ってやりとりするのを聞いたら、嫌な思いをしたり、それこそセクハラ、パワハラと思ったりする人もいるだろう。私も昔、意地悪な臨床医出身の病理医に臨床医でしか通じないような会話を臨床医との間でわざとされてとても嫌な思いをしたことがあるのを思い出した。でも、難しいのは、普通の会話をしていても相手が医者だとわかると、医療相談の様なことをしてくる人が少なからずいるということ。そういう人は自分が話題となっている疾患に該当していると、興味深く会話に参加してくる。何れにせよ、誰かと病気とか医学についての会話をするときは医者として内容に対して責任を持ち、さらにはそこにいる誰かに不愉快な思いを持たれない様にしなくてはいけない。
それはさておき、娘とまた険悪な雰囲気となってしまった。寝る前に、妻から「あの子は、パパに’セクハラになることもあるから気をつける様に’って言ったつもりなのよ。」と言われた。娘の本意がどうだったのかはわかないけど、妻のいう通りに考えてみたら、家族としてありがたいことだ。明日の朝、起きたら私から謝ろうと決めて寝た。
・・・
だが、目覚めてからが大変だった。「どのタイミングで謝ろう」と考えると、なかなかその’タイミング’が見つからない。山行があるので、すでに娘も起きていてアレコレと身支度をしている。むしろ赤の他人だったら簡単に謝りもできるのだけど、娘だとかえって難しい。走行するうち、朝食のシリアルをコーヒーで流し込みながら食べていたら、娘の方から全く別のことで話しかけてきた。ある意味、事務的な連絡事項で、まあ当たり障りないことだった。家族というもの、喧嘩をしても翌朝はケロっとしているもので、娘としてもそうだったのだろう。私もそれに倣って、昨夜のことはうやむやにしてしまえばいいのかもしれない。でも、それでは朝から悩んでいた甲斐がない。それに娘が言っていたことは、正しい。医者がエラそうに専門知識を隠語の様に使って、専門外の人の前で会話してはいけないのだ。
先に出かけようとする娘の名前を呼んで「昨日はごめんね」とやっと謝った。娘は「ああ、別に。じゃあ、行ってきます!」と言って、重そうな大きなザックを担いで出かけて行った。
そうしたら、出掛けて2分後に「登山靴忘れた!」と取りに戻ってきた。私がしおらしく謝ったのに動揺でもしたのだろうか。そうだとしたら可愛いところもある。
いつまで経っても、娘との付き合いは難しい(人にはやさしく、そして自分を幸せに 2007年09月09日)。でも、娘も成長したと考えると、彼女の意図を理解するようにしたら、私も彼女から学ぶことがあるということだろう。
いつまでたっても成長しない私