元気の出ない朝だった。覚えていないがなんだか嫌な夢を見て夜中に目が覚めてしまった。戦争は終わればその後には銃弾や爆弾の飛んでこない平和がやってくる。でも、COVID-19という新規の感染症に終わりは容易にやってこない。そんなことを考えると余計に目が冴えてしまう。この戦いに終わりはない。新型ウイルスの出現を戦いだと思うからそう感じるのかもしれないが、現実に起こっていることはそれに近い。でも、建物が破壊されることを目撃するわけではないし、1つの弾痕すら見当たらない。
長い目で見たら、この新型コロナウイルス感染禍も人類滅亡とまでは至らずにやがては、人類が集団免疫を獲得し、平衡状態へと収束するだろう。でもそれは、何年も先のことだろうし、インフルエンザのように毎年ある一定数の人の命を奪いながら存続する感染症の一つになるだけだろう。それでも人類はそれまで、人類は戦い続けなくてないけない。でも、人類には”医学”という叡智がある。医学がこの新たな感染症に立ち向かう力をつけたら被害は最小限にとどめていくことができるに違いない。医学は人類最大の保険と言える。
私が関わっている病理学は基礎医学と臨床医学を結びつける医学の根幹をなす領域だったが、今や古典的ないわゆる医学だけで行うものではなく、物理、化学、数学など多くの基礎研究の集積によって発展している。このことは、病理学だけではなく、すべての学問に共通したものであり、学問に垣根は不要となっている。多くの人材が縦横に活躍していく時代となっているが、この国の学問は果たしてボーダーレス化しているかという疑問を持つ。
さらには、学問を支える人材の育成も十分とは言えない。歴代のノーベル賞学者が基礎研究への資金増を訴えるほど、日本の公的研究領域への資本投資は少ない。お金は出していると言っても、研究者の身分保障が不安定なままでは、優秀な人材は集まってこない。「この人なにやってるんだろう?」みたいな人の”なに”が大きな発見だったりするが、この国にはその余裕もなく、目先の結果ばかりが優先されている。
国家100年の計、という言葉がある。もともと、人を育てるという思想を表した言葉で、似たような四字熟語に一樹百獲という言葉がある。一本の木を植えることで、将来多くの実りを得ることができるということだ。多くの優れた人材を育成することを私たち大人は考えなくてはいけない。いつの間に私たち大人は次の世代、人類の未来を考えなくなってしまったのだろうか。
自分のことを棚に上げて、と言われてしまうかもしれないが、今はダメな大人が多すぎる。その見本が政治家だという、きわめて悲惨な状態にあるのがこの国の現状だ。
こんなことばかり考えているから、元気が出ないのだろうが、考えることをやめてしまってはいけない。
頑張っている人はたくさんいるのに
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