祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。 たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ
平家物語
2日続けて何か気取ったつもりはないのだが、某大学の理事長が脱税で逮捕されたという話を聞き、平家物語のこの一節が頭をよぎり、こんな書き出しとなった。件の人物の噂はたびたび報道されたが、いつのまにかうやむやになる、そういったことが繰り返されてきた。今回の騒動も尻切れトンボになるのではと思っていたら、検察の描いていたシナリオはそんなことでは収まりそうにないようだ。
こういう人は程度の差こそあれ世の中には大なり小なり、はいて捨てるほどいる。強欲であると言われても、その人自身は自分が強欲だなどとは思っていないわけで、捕まって自分のどこが悪事であったかもわからないでいるだろう。ごく当然のことをしているだけだから、自分が妬まれ、羨ましがられているということももちろん知る由も無い。
だが、これは他人ごとではない。こうしてのほほんと日々ブログを書き連ねている私自身の人生も、人から見たらおごったものであるかもしれないが、それがどのようなものであるかを知ることはできない。わからないならわからないなりに、自らがおごった人間にならないよう戒めて生きることが唯一の道だが、それは難しい。
昨日思った方丈記(13世紀初頭)にせよ、この平家物語(14世紀初頭)にせよ、いつの世も人は無常感を抱えながら生きているということが伝わってくる。人は誰しもいつか死ぬ、世界は無常であるということを自覚すれば多少は道は開けるかもしれないし多少は心を落ち着けて生きることができるかもしれない。
人間としてのあり方を考える