こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

さよならアイソン彗星

2013年11月30日 | 日々思うこと、考えること
今年最大の天体ショーとなるはずだったアイソン彗星。
太陽に近づいたまま、消えていってしまったと、NASAが発表した。



今月の21日には寝坊したが、22日には是非みたいと、早起きして夜明け前の東の空を探したが、尾を引くほうき星を確認することはできなかった。だから、太陽を回って引き返してくる今週末を大変楽しみにしていたのだが、その前に消えてしまったとのこと。


(鎌倉初霜。舞殿の屋根もうっすらと白く。)


彗星というと、思い出すのは宇宙戦艦ヤマトの続編だかに出てきた、白色彗星帝国。宇宙で音は聞こえないのだが、轟々と突き進んでいたイメージが残っている。
アイソン彗星にもそんな激しい音を立てて、太陽に向かって進んでいるようなイメージを持っていた。ハヤブサでもないが、天空で飛翔しているものに対して何となく人格を与えてしまいがちだ。素人でも歴史的な瞬間に立ち会えるかもしれないとワクワクしていたのだが、残念である。




アイソン彗星、消滅 「太陽最接近時に蒸発」NASA発表
(2013.11.29 10:22 産経ニュース)

「世紀の彗星」になると注目を集めたアイソン彗星が29日未明、太陽に最接近する際に太陽の熱によってバラバラに崩壊し蒸発したとみられると米航空宇宙局(NASA)が発表した。12月上旬には長い尾が肉眼で見えると期待されたが、もはや地上から姿は見ることはできないという。
 太陽系の遠方からやってきたアイソン彗星は29日午前4時ごろ、太陽の直径より短い約110万キロまで太陽の表面に近づき、強い重力や熱にさらされながら通過するとみられ、NASAはアイソン彗星が太陽に最接近する瞬間やその前後を人工衛星で観測する計画だった。しかし、予想される軌道に姿を見せなかったため、最接近する前の段階で崩壊したと判断した。
 彗星の本体は主成分が氷で砂などが付いた「汚れた雪だるま」と言われ、太陽にあぶられ激しく噴出したガスやちりが光って尾に見える。NASAや国立天文台はガスやちりを詳細に分析、太陽系が生まれた初期状態を保っているとされる成分解明を計画していた。


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主婦/主夫は家族のマネージャー

2013年11月29日 | 家族のこと
長男が生まれた時から専業主婦になった妻が、毎日やっていることを一つ一つ考えてみると、実に色々な仕事を切れ目なく行っているものだと思う。

そもそも専業主婦/主夫というのは職業か、という議論がある。
男女間のかかわり合い、事象については、人それぞれ、夫婦それぞれ、様々な価値観があるので、どれが正しいのか、どれがあるべき姿なのか、などという議論自体が無意味である。それを承知で、私なりの考え、というか妻へのリスペクトをかね専業主婦/主夫について考えてみたい。


広辞苑によれば、主婦とは、一家のきりもりをしている人、女あるじ、というようなことになるようだ。スポーツチームで言えば、マネージャーである。

わが家では妻が、主婦としてわが家のきりもりをしてくれている。時々、主婦であることについて共働きの女性から嫌みを言われることがあるらしい。さすがに、三食昼寝付き、というような言われ方は無いようだが、一日中家にいるなんて信じられない、とか言われたり、配偶者控除のことを不公平だと言われたり。
私自身、少しは稼いでくれたら楽になるのに、なんて無神経に言ったことがある。



こういったことは、主婦/主夫に対してずいぶん失礼な話だ。一家を切り盛りする、と一言でいっても、それは大変なことだ。
わが家でいえば、妻は朝起きたら、まずは家人一人一人の顔色を見て、精神状態、健康状態をチェックすることからはじまる。朝食の用意から、駅までの車による送迎、犬のえさ、掃除・・・。銀行に行ったり、保険の更新をしたりと家計のやりくりは家族にしかできない。
これらを高いレベルでこなすとなると、努力も必要になる。


家事だけで終わるのなら、手の抜きようもあろうが、それだけでは終わらない。主婦/主夫だから、ということでPTAの仕事も多く任される。これらはすべて無償。地域の自治会、子供会の役員も任される。これらも当然のごとく無償である。

などなど、専業主婦が無償で回していることは多いが、これらを評価してくれる機会は少ない。
これからの少子高齢化社会、女性労働力には大きな期待が寄せられている。
だが、専ら家事に従事するというのも相当な労働であり、仕事との両立はなかなか難しいように思う。




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医療の地域間格差

2013年11月28日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
先日参加した学会で問題になったことの一つが、医療レベルの地域間格差についてだった。
日本の医療レベルの平均は一般に高いと考えられているが、医療資源の集約化もあって、医療レベルには地域間に格差がある。
先進的医療を行う大都市の病院では比較的豊富な人的資源をはじめとした医療資源をもって診断・治療を行うが、そうでない地域ではなかなか十分な診断・治療ができない。病理医の数だってずいぶん偏在している(日本病理学会病理専門医)。

だが、患者さんというのはどこにでもいる。



その学会でも、大都市の高度専門医療施設でしか治療のできない疾患を、地方都市(それでも県庁所在地レベル)で診断した場合、患者さんをどうしたらいいか、という話になった。
臨床的な診断までは、勉強すれば何とかなる。いまでは、画像送信技術も高いので、ちょっと悩んだら相談することもできる。
だが、実際に治療までともなると難しい。治療中の迅速診断なども病理医がいなくては、なかなか難しい。



もちろん患者さんが、高度専門医療施設に行って治療を受ければいいのだが、そうそう遠隔地に行くわけにはいかない。さらに、退院後も通うとなるとその費用も馬鹿にならない。高度な医療を国民にあまねく行き渡らせるというのは大変難しい。

だから、どうしても地域間格差が問題となる。
「あそこにいたら、治してもらえたのに」というようなことになる。



医療費の高騰に対して、医療資源の集約化は避けては通れない。だから、医療の地域間格差が生じてしまうことが仕方無いともわかっている。私だって、何かあった時のことを考えると鎌倉より医者のずっと多い東京都心の方が安心である。だが、鎌倉を離れて東京に住む気にもなかなかならない。
住み慣れた土地を離れるというのは難しい。だからといって、病気にならない保証は全くない。というかいつかは病気になって、医者にかかることになる。そのとき、どうするか。



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時間厳守と電車の遅延

2013年11月27日 | 通勤・交通・旅行
それにしても電車がよく遅れる。私の通勤経路、3日に一度はどこかが遅れる。
帰りなら、なんとか我慢もするが、朝、電車が遅れると参ってしまう。

片道3路線、朝晩6路線、これの3日分だから都合18路線分となれば、仕方ないのかもしれない。それに、最近はどんどん路線が長距離化しているので、線路上のどこかで事故があるとその影響が遠く離れたところでおこる。
東海道は時々夜行列車の遅れの影響を受けることがあるが東海道は東海道だけで終わっているし、昔からのことなのでいい。ところが、横須賀線は千葉に延びただけならまだしも、湘南新宿ラインにつながってからは、なんだかよくわからなくなってしまった。千葉だの、埼玉での事故が鎌倉通過列車の運行状況に影響を及ぼす。

それでも、私なんかは融通もきくほうだが、これが商売相手との待ち合わせがあるような仕事をしている人だったりすると気の毒だ。時間厳守は社会人として当たり前だ。
自動車での移動はリスキーなので、遅れないようにするには電車しか無いが、これが遅れるとまでなると、どうしようもない。
少々の遅れなのに、殺気立って、周りの人にぶつかりながら歩いている人がいるが、もしかしたら、待ち合わせの時間に遅れてしまいそうで焦っているのかもしれない。
そんなふうに考えてあげれば、そういう人を見たり、ぶつかられても不快にはならないかもしれない。




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鍋の季節と私の歩く速度

2013年11月26日 | 通勤・交通・旅行

鍋のおいしい季節だ。
大学生になって、めっきり夕食を一緒にとらなくなってしまった息子が先週末は珍しく家で食べるというので、二日続けて鍋料理と相成った。
一日目は偶然見つけた、秋田県のアンテナショップで買ったきりたんぽ、二日目はもつ鍋。
美味しくいただいたのだが、ついつい油断し、たくさん食べてしまった。
週が明けたら2キロ増えていた。これにはさすがのコロ健も、ショックだった。

実感としては、「50歳近くになっても、体重は増え続ける。」
いい年になれば、自然と枯れていくように痩せるだろうと思っていたが、全く違うようだ。
今日、帰ってきた健康診断の報告書にもメタボ注意の字が躍っている。



妻に相談すると、「(コロ)健ちゃんの歩き方は遅すぎるのよ。いくら朝晩歩いているからって、あんなにゆっくり歩いているんじゃ、意味は無いわよ」と言われた。
私は、普段犬の散歩でも歩くのが遅い、というかぶらぶら歩いていることを指摘されたのだ。
毎朝、駅から病院までのんびり40分足らず歩いているが、これではダメらしい。
だが、30分速歩だと結構汗をかくのでよくないと言ったら、着替えを持っていけばいい、と一蹴された。



そんなんでは、荷物が増えて、満員電車の中では周りの人にいやがられるだけだ。
仕方が無いので、とにかく少し早く歩くことにする、というところでその話は切り上げた。私もメタボは嫌だ。
それにしても、人間というもの、いったいいつからこう、必要以上のカロリーをとるようになってしまったのだろう。イン(入)とアウト(出)、過不足無く過ごせばそれで満足できる体であれば全く心配はないのだが、生物たるものどうしても溜め込んでしまうようにできている。



昨夜の嵐が明けた今朝は、ぽかぽか陽気となった。
今日は、“てくてく”ではなく、“すたすた”歩いた。病院に着いたら案の定しっかり汗ばんでしまった。



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このままじゃいけないという悩み

2013年11月25日 | 日々思うこと、考えること
もともと私は性格が良くない、というか悪い。
意地悪で、自己中心的で、自意識過剰。
どうしようもない人間だ。
このことについては、ずいぶん前から気がついていて、このブログもそういう自分を見つめ直そうと始めたものだった。
だが、いっこうに私の性格は改善していない。

いや、年齢を重ねるに従って柔軟性が無くなり、頑固さが加わって悪い方へ向かっているような気さえする。
このまま年をとり、認知症を発症してきたら、余計に精神は荒廃してしまうだろう。
このままじゃいけない、意地悪をしたあと、勝手なことを考えたあと、自分の期待を裏切られて憤慨したあと、気がつくのだが、後の祭り。

なにかにつけて、人のあら探しをして意地悪なことを考えている。
自分に対してはとても甘く、人に対しては厳しい。
それでいて、自分は立派な大人だと思っている。周囲の人は私のことを大事に思っているに違いないとも思っている。

そんな自分が嫌になるが、生きている間はそんな自分と向き合わなくてはいけない。

自分をよくしよう、人に優しくしよう、怒らないようにしよう。

こういったことは、人間としての大前提であり、家族と暮らすにせよ、仕事をするにせよ、そんなことができていなくては、社会生活を送っていく資格は無い。
だが、なかなかそれができない。


このままじゃいけない。この年になっても、これからでいいから、私はよい人間に変わりたい。
どうしたら、私はよりよく生きることができるのか。



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草食系から絶食系へ

2013年11月24日 | 日々思うこと、考えること
昨今の男性は、草食系どころか絶食系と表現されるそうだ。朝のニュースでやっていたと、職場で話題になって驚いていたら、その日の夜のニュースでもやっていた。
テレビに出ていたのは優しそうな、一昔前なら絶対モテまくっていたような若者ばかり。

以前は、二十歳も過ぎた男だったらたいがいは、恋愛=肉体関係というように考えていたのだろうが、今では当人同士が恋愛関係にあると認識していても、必ずしもそういうことまでいかないことが、あるようだ。
恋愛に縁がないわけではないが、積極的ではない、肉欲に興味がわかない、そういう男子を草食系といったようだが、さらにこれが進んで絶食系。女なんて、いらない。ということなのだろう。
各種調査では、20代の男性の半分近くが女性との交際経験がないそうだ。20代の女性の3割も男性との交際経験がないという。この場合、どこまでの関係となったら交際なのかは不明だが、女性の3割というのだけでも由々しき問題だ。



異性との交際がめんどくさい。というのはよくわかる。私にしても、素敵な女性は好きだが、苦労をしてまでおつきあいしようとまで思うことはない。だが、若かりし頃は、苦労、面倒というのは二の次だったように思う。

だが、今は苦労、面倒の方が先にあるようだ。インターネットの急速な普及で性的な欲求が解消されるようになったこともあるのだろう。一昔前のように、恥ずかしい思いをして男性向けの雑誌、書籍を本屋で買う必要はない。
だから、そういう目的で女性と交際する必要はもはやないということになる。仮に、交際したとしても肉体関係を持つ必要はないのだろう。

性交と受精、というのは遺伝子の維持のために必須のことである。今のところ、人類は男女二つの性を持っている。だから、女性だけ、男性だけ、で子孫を残すことはできない。こういう男子が増えていくと、少子化を食い止めることができない。

一部の肉食系男子がいくら多くの女性に手を出しても、育てることができなくては子供を持つことは許されない。
ということも、結局多くの男子の絶食につながっているのだろう。

問題は根深く、深刻だ。




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ナイトの仕事

2013年11月23日 | 犬との暮らし
以前、ペットの仕事ということで、人への癒しのことなどがあると書いたが、その中でわが家のフラットコーテッドレトリバーのナイトの仕事は散歩だと書いた。

だけど、ナイトにはれっきとした仕事がある。
月に一度、妻に連れられて近所の老人ホームに慰問に行っているのだ。アニマルセラピーとかドッグセラピーとかいうようなもののようで、ほかの何頭かの犬と一緒に訪れている。
人への癒し力を生かした仕事である。

(この写真は、訪問前に施設の屋上でほかのボランティア犬と一緒に遊んでいるところ。こうして、ほかの犬とまず馴れるところからお仕事開始。けっこうこれが楽しいらしい。ちなみに、真ん中でいじられているのがナイト。)

大型犬にもかかわらず、おっとりした性格のナイト、おじいさんおばあさんに、けっこう人気があるようで、先日など、硬化した顔のおばあさんがナイトに手をなめられて、にっこり笑って、付き添っていた娘さんが喜んでいたとのこと。
役に立っているらしい。

だが、頑張ってナイトを連れて行っている妻、帰ってくるといつも以上に疲れた顔をしている。
おじいさんおばあさんに元気を吸い取られるとのこと。
なら、やめたらいいのに、などと言うのだが、妻は、

「ナイトもそうよ」と、いいながら満足そうな顔をしている。

施設訪問は年内、もう一度あるそうだ。




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ぎっくり背中で、戦々恐々

2013年11月22日 | 日々思うこと、考えること
ぎっくり背中、というような状態になってしまった。打ち合わせをしている時、少し身体をひねったら、ピキっと。

こんな言葉ないと思っていたのだが、ググると結構出てくる。同じような症状で苦しんでいる人は多いということだ。

かろうじて歩くことはできたものの相当痛かった。痛み止めもあまり効かず、昨日の午後は顕微鏡によりかかるように過ご(仕事を)した。
なんとか家に帰りつき、明日もっと悪くなったらどうしよう、下手したら動けなくなるんじゃないかなどと戦々恐々としながら寝たが、幸いよく眠ることができた。



今朝はやっと早起きできて、夜明け前の東の空にほうき星を探した。
山の少し上に白くキラキラ輝く星が見えた。

もしかして、あれがアイソン彗星かも?と思いながら、双眼鏡でしばし見た。
尾がはっきりしないので自信がなく、明朝また見ることにした。
12月以降も見えるようだし。それほど心配する必要もあるまい。

ところで、背中だが、一日鈍痛が続いたものの、仕事は滞りなくこなすことができた。
ちょっと、心配しすぎだったようだ。大したことがなくてよかった。



寝坊した

2013年11月21日 | 日々思うこと、考えること
寝坊してしまった。
別に、病院の出勤時間に遅れた訳ではなく、昨日記事にした通り、ほうき星(アイソン彗星)を見ようと意気込んでいたのに、スマホの目覚ましが鳴らずに起き損ねてしまった。
普段、5時40分にセットしてあるのを20分早めておいたのだが、何かでスイッチを切ってしまっていて鳴らなかった。
50分頃、自然と目が覚めたが後の祭り、白々と明けかけた空に星を探すことはできなかった。


明日こそは万全にして早起きしようと思う。

”アイソン彗星が見えるのは日の出前の東の空で、最接近に向けて徐々に明るくなる見込み。ただ位置が低いため、高台など地平線付近まで見える場所でないと観察できない。最接近の前後数日は地平線の下に隠れてしまう。(産経ニュース2013.11.18)”とのことである。
気合いを入れて起きたはいいが、鎌倉の東の山の端に隠れてしまって見えなかった、なんてことにならなければいいのだけど。

いずれにせよ、今日は11月21日。二度と戻ってこないほうき星である。見逃さないようにしたい。




いろいろな人が、いろいろなことを

2013年11月20日 | 日々思うこと、考えること
フェイスブックやブログを読んでいると、いろいろな人が、いろいろなことをしたり、考えているということがわかる。
この人、こんなにすごいんだ、とかあの人ずいぶん頑張っているんだ、とかいろいろ考えさせられる。

私の場合、そういう記事を読むごとに自分がまだまだだと思い、少々落ち込む。こういうのって、楽しみのためにやっていることなのに、近づいてしまうことで却って楽しめなくなってしまう。

あまりよくない傾向とは思うのだが、一旦参加してしまうと抜けにくい。

しばらく前に頑張ってしょっちゅう投稿していた友人がいたが、最近あまりみない。飽きてしまったのだろうか。

私の場合、昨日今日のように内容の無い内容でも、つらつら記録しておきたい。
この年(平成25年)のこの頃、こんな気持ちで、こんな夜明けだったと。
明朝は、流星を探してみたい。


助けてくれー!

2013年11月19日 | 日々思うこと、考えること
ここのところ、またキツくなってきた。
12月の初めに国際学会があって、そのお世話をしているということもある。

テンションが下がってくるというのもいつものこと。だが、これから各種研究班のまとめの季節。
論文の仕上げも2本溜まっている。早くせねば。

うーん、困った。

さらに、読みたい本がたくさんある。

あれもこれもというところ、首が回らなくなってきている。

だれか、助けて。

とても限定的な領域の学会

2013年11月18日 | 日々思うこと、考えること
マニアックとでもいおうか、昨日一昨日と非常に限定的な分野についての学会に参加した。限定的というのは、テーマが限られた領域であるという意味である。病理医として参加しているのは私一人で、場違いといえば場違いなのだが、ほぼすべての医学領域に病理医は関係するので、病理医が一人ぐらいいても不自然ではない。
それに、この学会には病理学的な裏付けが必要だと思って参加しているので、病理医としてのプレッシャーもある。もちろんほかに病理医がほかにいないからといって適当なことを言っている訳にはいかないので、それほど気楽にしてもいられない。

病理医は数が少ないので、分散してこういった細かい領域にまで参加していくと、ほかの病理医に出会うことが少ない。サブスペシャリティーといえるだろうが、そういった臓器をもって病理の勉強をしているとどうしても臨床的な事項についても知らなくてはならなくなる。
得られた組織は原因があっての結果だ。病気そのものの変化のほかに治療による変化もある。そういったことを知るには最低限の臨床的事項を知らなくてはいけない。

この学会は比較的新しい学会で、結構昔(8年ぐらい?)から参加している私も古株になってきた。この学会以外で顔を合わせることのない臨床医とも少し顔見知りになって、孤独感はずいぶん減った。

こんきもスペシャルウィーク終了とこれからのこと

2013年11月17日 | 日々思うこと、考えること
先週は、スペシャルウィークなどといって、がんばってみたが、やっぱりずいぶん疲れてしまった。
年を取ると、精神的にも弱くなる。

自分を鼓舞しようとナイトとコロのバナーを作ってまでランキングに復帰までしたりしたが、順位は以前(千日連続の最後のほう)ほどはあがらず、無力感の方が強く感じられた。
継続していた頃の方がよほど読んでもらっていたということになる。



これからのこのブログ、こんきも、どうすればいいのかと悩んでしまう。カテゴリーはこんきも、病理、日本の将来、通勤、家族、鎌倉、生き方について考えてみる、妻の名言、医療を哲学的に考えてみる、読書、物語、などなど多岐にわたる。
日本の将来だの生き方だのはどうみても一回の記事で終わるようなものではない。数回に分けて書けばいいのかもしれないが、そういう書き方はプロの文章家が行うことで、私のように時間をかけるべき本業のある人間が行いうる手法ではない。



では、どうすればいいのか。
いまさらスタイルを変えることも容易なことではないので、日々の思いと文章を書き連ねていくしかない。しばらくは、大きなテーマは設けずに日常感じることを・・・

これでは堂々巡り。



まあ、今のところ、軽いバーンアウト状態なのだろう。
ちょっとずつでも続けていけるよう、気張らずやっていこう。


私達が自覚すべき幸運となすべきこと

2013年11月15日 | 日本のこと、世界のこと
日本という国は度重なる内戦とそれに伴う政権交代によって歴史が作られてきた。

日本の歴史はおおまかに分けると、平安時代までの貴族政治、鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府、明治政府そして現民主主義政権、とでもなろうが、歴史上の区分がどうということではない。
その度ごとに内戦があり、その度ごとに不幸が国民を襲った。
だが、明治維新前後を最後に、内戦は起こっていない。
その代わりに、外国と戦争をするようになって、先の大戦では大敗を喫し、それ以来は戦争らしい戦争もない。

今起きている、隣国との島嶼の領有権争いは残念なことだが、戦争には発展しないで欲しい。


日本は比較的昔からの歴史の記録が残っているという意味では古い国である。その歴史の中で、紆余曲折があったものの、日本の精神性はそれほど変わらなかったのではないかと思う。織田信長がもう少し長生きしていればもしかしたらその精神性も変わっていたかもしれないが、暗殺されてしまった。
世界大戦での敗北は国民性に変化を与えたが、根幹の部分を揺るがすものではなかった。

宗教弾圧の過去はあるが、もともと多神教であったので、新しい宗教を含め、宗教に対しても緩やかである。
宗教テロの悪夢はいまだ消えないが、戦争に発展することはないだろう。

民族的にはほぼ全員黄色人種であり、さしあたっては内戦となりそうな民族対立もない。

そういう意味で、精神的には安定、成熟した平和な国家国民であると言える。
だから、日本という国は良い国であるといえる。そして、だからこそ、そこに住む私達は自覚を新たに生きていくことが求めらる。


日本人はどのように生きていかなくてはならないか。
人それぞれの考え方があろうが、ひとつだけ、いえることがある。それは、世界に貢献していかなくてはならない、ということ。
これまでにも多額のお金を諸外国に拠出してきたが、それは稼がせてもらったお金を回したということだ。
平和国家であることにボケてしまわず、より積極的に世界に平和を広げるようにしなくてはなるまい。

平和であることが、どれほどいいことか、それを知らせていけばいいのだろう。

諸外国には日本と違ってさまざまな困難があるが、それを乗り越えるべく貢献があるに違いない。
私自身、これからでも世界に役立つ人間になることを目標に、残りの人生をかけたい。





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