きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

資本主義の病巣 日本をカットした日産② 膝腰痛め2度の解雇

2019-01-23 13:01:38 | 経済・産業・中小企業対策など
資本主義の病巣 日本をカットした日産② 膝腰痛め2度の解雇
「ぼろ雑巾のようにされました」
日産自動車横浜工場で働いていた岡田知明さん(44)はゴーン流人減らしの暴風雨に襲われた一人です。

体に大きな負担
派遣社員として働き始めたのは2004年9月。主な仕事は「持ち回り」でした。5キロ近い部品を両手に持ち、溶接機械に運んで設置する作業です。小走りで1日に10キロメートル移動し、足の裏や膝に痛みが走りました。
溶接した部品をクレーンに設置する作業にも携わりました。重さ20キロ超の部品を1・6メートルの高さまで持ち上げ、腰に大きな負担がかかりました。
忙しい時は朝8時から12時間働きました。仕事を極めたい。毎朝6時半に出勤し、生産計画などを頭にたたき込みました。疲れ果て、休日は寝て過ごしました。仕事ぶりが評価され、課長表彰を何度も受けました。
07年9月。工長に呼び出されました。「試験を受けて正社員にならないか」。自分が認められた―。二つ返事で引き受け、束の間の達成感に浸りました。
体はすでにぼろぼろでした。痛む腰や膝。湿布や塗り薬、鎮痛剤でごまかしていました。「正社員の話が白紙になるかもしれない」。けがを工長に報告できませんでした。



岡田さんが勤めた日産横浜工場の申し送り帳

いじめの指示も
「使えない」と判断された人はいじめられて追い出されていました。「少し厳しくしてやめてもらってもいい」。派遣社員へのいじめを上司が社員に指示する姿も見ました。昼休みに突然辞めた派遣社員は社内で「脱走者」と呼ばれました。
しかし、過労にきしむ身体の痛みは限界を超えていました。階段を上るのもつらくなり、タクシーで通勤するようになりました。
08年2月中旬。在庫に余裕があると聞き、休養をとりました。
通院すると「こんなになるまでなぜ我慢したのか」。
医師に叱られました。右ひざ関節炎、腰椎椎間板症(ようついついかんばんしょう)、足底腱膜炎(ていそくけんまくえん)。診断書に三つの病名が記載されました。療養後、工場に向かうと契約解除を告げられ、抗議は通じませんでした。
足の裏の刺すような痛みは完治しません。でも生活しなければ―。派遣先から紹介された日産車体湘南工場(神奈川県)で働きました。リーマン・ショックを口実に09年3月に再び解雇されました。
日産で派遣切りにあった4人と、正社員化を求めて裁判をたたかっています。ゴーン被告のニュースを見ると怒りが込みあげます。
「隠した役員報酬は90億円だと言われています。信じられない。年収300万円の労働者を何人雇えるのか」
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2019年1月21日付掲載


日産でも、アマゾンの配送倉庫での過酷な肉体労働の様なことが行われていたのですね。
労働者を育てるのではなく、即戦力にならないと切り捨てる体質ではダメです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする