「代替わり儀式」と憲法 歴史学者、神奈川大学元学長 中島三千男さんに聞く
今年4月30日に現天皇が退位し、翌5月1日に現皇太子が即位します。予定される天皇の「代替わり儀式」は現憲法に照らしてどのような問題があるのか。歴史学者で神奈川大学元学長の中島三千男さんに話を聞きました。
なかじま・みちお=1944年福岡県生まれ。神奈川大学名誉教授。専門は日本近現代思想史。国家神道と天皇制を中心に研究。著書は『天皇の代替りと国民』『海外神社跡地の景観変容』『若者は無限の可能性を持つ―学長から学生へのメッセージ』など
今回の「代替わり儀式」について、政府は昨年4月、「基本方針」を閣議決定しました。そこでは基本的な考え方として①憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものとすること②「平成の代替わり儀式」(1989~90年)は、現行憲法下において十分な検討が行われたものであるから、基本的な考え方や内容は踏襲するーとしています。
この基本方針には大きな問題があります。
まず、基本方針にある「皇室の伝統」とは何かです。
結論から言えば、現在行われようとしている純神道式の「代替わり儀式」は、たかだか150年前の明治以降に新しく「創られた伝統」にすぎません。
奈良時代から江戸時代までの1100年以上、即位式は中国風の服装で行われていました。さらに鎌倉期から江戸時代までの550年間は、密教(仏教)的な儀式が取り入れられへ神仏習合的な即位式が行われていました。
1990年11月に皇居・東御苑で行われた「大嘗祭」(共同)
「皇室の伝統」というが 現在の“伝統”儀式は明治政府が作ったもの
これが大きく変わったのが明治維新後の近代です。
明治新政府は、天皇を押し出し、天皇の神格化によって国民統合を図りました。それまでは京都市中や畿内近国の一部の人をのぞいて、天皇の存在を知りませんでした。
そこで政府はコ世一元」の元号制や、天皇・宮中行事中心の祝祭日を定めるなど、さまざまな政策で神権的天皇像を国民に浸透させようとしました。その政策の中心理念が国家神道の核心的教義ともいうべき「天皇制正統神話」です。日本は神国であり、そこを統治するのは天照大神(あまてらすおおかみ)の子孫である万世一系の天皇だけであり、天皇とその統治する国は永遠に不滅だという神話です。
近代の「代替わり儀式」はこの「天皇制正統神話」を可視化するものとして作られたのです。
しかし戦後の日本では、日本国憲法や天皇の「人間宣言」で天皇の神格化は否定され、憲法には国民主権や政教分離の原則が規定されました。
旧皇室典範は「即位の礼」について「祖宗の神器」の継承や「大嘗祭(だいじょう)祭」の実施を定めていました。しかし現在の皇室典範は「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う」と規定しているだけです。
「平成代替わり」と同じでは 本来、戦前と異なる形で行われるべきだった
本来なら、戦後、最初の代替わりだった「平成の代替わり儀式」は、戦前とは大きく異なる形で行われるべきでした。ところが、実際には三十数個もの戦前の儀式をほぼそのまま行ったのです。
神話に基づく「三種の神器」の継承を中心とする「剣璽(けんじ)等承継の儀」や、「臣下が天子に拝謁する」を意味する「即位後朝見の儀」など五つの儀式は国事行為とされました。天皇が神聖性を身に付ける「大嘗祭」は完全な宗教的儀式なので、さすがに国事行為にはしませんでしたが、「公的行事」として行われました。
政府の基本方針は、こうした「平成の代替わり儀式」は「現行憲法下において十分な検討が行われた」といいますが、これも全く事実と違います。
88年9月、昭和天皇が重体になり、「代替わり」が予測された時、政府は天皇の容体を口実に、事前の説明も答弁も拒否しました。
翌年1月7日早朝(午前6時33分)に昭和天皇が死去しました。午前10時から新天皇の「剣璽等承継の儀」が行われましたが、その直前の閣議で「剣璽等承継の儀」と「即位後朝見の儀」が国事行為として行われることが初めて明らかにされたのです。
安倍政権が今年行おうとしている「代替わり儀式」は、国民主権や政教分離の原則という、現憲法の理念と真っ向から対立するものです。「大嘗祭」は皇室の私費で行うべきという秋篠宮の発言そのものはしごくまともな意見です。今からでも「代替わり儀式」のあり方を可能な限り検討し直すべきです。
「しんぶん赤旗」日曜版 2019年1月13日付掲載
天皇の代替わりに伴う諸々の儀式は、日本国憲法に則って、神格化にならないように、ふさわしいものに見直すべきですね。
今年4月30日に現天皇が退位し、翌5月1日に現皇太子が即位します。予定される天皇の「代替わり儀式」は現憲法に照らしてどのような問題があるのか。歴史学者で神奈川大学元学長の中島三千男さんに話を聞きました。
なかじま・みちお=1944年福岡県生まれ。神奈川大学名誉教授。専門は日本近現代思想史。国家神道と天皇制を中心に研究。著書は『天皇の代替りと国民』『海外神社跡地の景観変容』『若者は無限の可能性を持つ―学長から学生へのメッセージ』など
今回の「代替わり儀式」について、政府は昨年4月、「基本方針」を閣議決定しました。そこでは基本的な考え方として①憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものとすること②「平成の代替わり儀式」(1989~90年)は、現行憲法下において十分な検討が行われたものであるから、基本的な考え方や内容は踏襲するーとしています。
この基本方針には大きな問題があります。
まず、基本方針にある「皇室の伝統」とは何かです。
結論から言えば、現在行われようとしている純神道式の「代替わり儀式」は、たかだか150年前の明治以降に新しく「創られた伝統」にすぎません。
奈良時代から江戸時代までの1100年以上、即位式は中国風の服装で行われていました。さらに鎌倉期から江戸時代までの550年間は、密教(仏教)的な儀式が取り入れられへ神仏習合的な即位式が行われていました。
1990年11月に皇居・東御苑で行われた「大嘗祭」(共同)
「皇室の伝統」というが 現在の“伝統”儀式は明治政府が作ったもの
これが大きく変わったのが明治維新後の近代です。
明治新政府は、天皇を押し出し、天皇の神格化によって国民統合を図りました。それまでは京都市中や畿内近国の一部の人をのぞいて、天皇の存在を知りませんでした。
そこで政府はコ世一元」の元号制や、天皇・宮中行事中心の祝祭日を定めるなど、さまざまな政策で神権的天皇像を国民に浸透させようとしました。その政策の中心理念が国家神道の核心的教義ともいうべき「天皇制正統神話」です。日本は神国であり、そこを統治するのは天照大神(あまてらすおおかみ)の子孫である万世一系の天皇だけであり、天皇とその統治する国は永遠に不滅だという神話です。
近代の「代替わり儀式」はこの「天皇制正統神話」を可視化するものとして作られたのです。
しかし戦後の日本では、日本国憲法や天皇の「人間宣言」で天皇の神格化は否定され、憲法には国民主権や政教分離の原則が規定されました。
旧皇室典範は「即位の礼」について「祖宗の神器」の継承や「大嘗祭(だいじょう)祭」の実施を定めていました。しかし現在の皇室典範は「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う」と規定しているだけです。
「平成代替わり」と同じでは 本来、戦前と異なる形で行われるべきだった
本来なら、戦後、最初の代替わりだった「平成の代替わり儀式」は、戦前とは大きく異なる形で行われるべきでした。ところが、実際には三十数個もの戦前の儀式をほぼそのまま行ったのです。
神話に基づく「三種の神器」の継承を中心とする「剣璽(けんじ)等承継の儀」や、「臣下が天子に拝謁する」を意味する「即位後朝見の儀」など五つの儀式は国事行為とされました。天皇が神聖性を身に付ける「大嘗祭」は完全な宗教的儀式なので、さすがに国事行為にはしませんでしたが、「公的行事」として行われました。
政府の基本方針は、こうした「平成の代替わり儀式」は「現行憲法下において十分な検討が行われた」といいますが、これも全く事実と違います。
88年9月、昭和天皇が重体になり、「代替わり」が予測された時、政府は天皇の容体を口実に、事前の説明も答弁も拒否しました。
翌年1月7日早朝(午前6時33分)に昭和天皇が死去しました。午前10時から新天皇の「剣璽等承継の儀」が行われましたが、その直前の閣議で「剣璽等承継の儀」と「即位後朝見の儀」が国事行為として行われることが初めて明らかにされたのです。
安倍政権が今年行おうとしている「代替わり儀式」は、国民主権や政教分離の原則という、現憲法の理念と真っ向から対立するものです。「大嘗祭」は皇室の私費で行うべきという秋篠宮の発言そのものはしごくまともな意見です。今からでも「代替わり儀式」のあり方を可能な限り検討し直すべきです。
「しんぶん赤旗」日曜版 2019年1月13日付掲載
天皇の代替わりに伴う諸々の儀式は、日本国憲法に則って、神格化にならないように、ふさわしいものに見直すべきですね。