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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

戦後75年 日本の香港占領③ 軍票で奪われた財産

2020-08-19 08:20:45 | 国際政治
戦後75年 日本の香港占領③ 軍票で奪われた財産
1990年代、日本の香港占領で被害を受けた香港住民が日本政府を提訴しました。住民らが求めたのは、日本が香港で大量に発行した「軍票」に対する補償です。
軍票は、軍の作戦展開に必要な物資の調達や占領地経営のため一時的に使用される紙幣です。日本は37年に始まった日中戦争から、中国本土で軍票を大量に使用。香港では日本の占領直後から軍票が発行され、香港ドルとの交換を進めました。
大きな目的は、香港ドルを集め、マカオなどでタングステン(高硬度の希少金属)などの軍事物資を買い付けるためでした。

家宅捜索も
当初は、軍票1円対2香港ドルの比率でしたが、42年7月からは軍票1円対4香港ドルになりました。さらに43年6月からは香港ドルの使用や所持が禁止され、軍票との交換が義務付けられました。憲兵は香港住民の身体検査や家宅捜索を行い、もし香港ドルを見つければ、殴った上で取り上げました。
ジャーナリストの和仁廉夫さんが聞き取りをした梁心(りょう・しん)さんは、金持ち風の香港住民の男性が家の中に香港ドルを隠し持っていたという理由で、路上で日本兵に首を切られたのを目撃したと証言しています。
また、軍票の大量発行はインフレを招き、庶民の生活に打撃を与えました。
45年8月の日本の敗戦で、軍票は無効となりました。そのため、香港住民が日本占領期に必死で働いてためた財産はすべて消えることになったのです。



東京地裁前で軍票を掲げる原告の一人、呉搤興(ご・いつこう)さん=1993年8月13日(和仁廉夫さん提供)

日本を提訴
93年8月、香港住民17人が所持している軍票の補償を求めて東京地裁に日本政府を提訴しました。原告らは「血と汗の結晶を返して」などと訴えました。
99年6月の地裁判決は「香港ドルと軍票の交換は強制的に行われた」とし、原告らが戦争の被害者だとする歴史事実は認めたものの、被害救済の法律がないことを理由に原告敗訴となりました。同判決は2001年に確定しました。
和仁さんは裁判を振り返り、「日本が香港で何をしてきたのかを明らかにする点で役割を果たした」と指摘。その上で「軍票は原告自身や親が働いて蓄えてきた一財産で、戦後もずっと大事に持ってきた。原告の半数以上はもう亡くなったが、彼らは財産権を回復する運動をあきらめずに続けていくだろう」と言います。
和仁さんはこう強調します。「最近は香港に対する関心が高まっているが、75年以上前の香港で日本が何をしていたのか、日本人としてこの機会にぜひ知ってほしい」(おわり)(小林拓也)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年8月16日付掲載


日本国内では国債を買うように仕向けられました。
香港では、現地通貨香港ドルを日本の軍票に。
日本国内の場合は、円の価値が下がり国債ははした金に、香港の場合はまさに無価値に。