戦争は「平和」を掲げてやってくる 憲法守る主権者の力を示すとき
東京大学名誉教授(政治学) 石田 雄(たけし)さん
東大社会科学研究所所長を務め、日本軍国主義の背景や要因を研究してきた石田雄さん(91)。学徒出陣から復員後、東大法学部で丸山真男ゼミに参加、戦後政治学を牽引してきました。憲法9条全面破壊の戦争法案の審議も始まるもと、思いを聞きました。
聞き手:中租寅一、写真:橋爪拓治
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/4d/d5e61e211c8fd1a583dd0a50ef506b0d.jpg)
もともと左翼文学少年だった自分が、軍国少年となり、軍隊での生活を通じ、終戦の時にはポツダム宣言を読んでも、どうして日本が戦争をやめるのか、隊員に説明できないほど理解力を失っていたのはなぜか―。
私は戦後、どうして自分が戦争に加担したのかを反省、探求するために研究者となり、軍国化の要因について研究してきました。
いま安倍晋三首相は、アメリカとの切れ目のない戦争協力の体制を進める一方で、「徴兵制になることは絶対にない」などと言っています。
しかし、自衛隊に犠牲者が出れば、たちまち自衛隊の応募者が少なくなり、徴兵制になりかねません。私の孫の世代や、さらに若い世代の人たちに、また戦争で人殺しをさせることになる。そうなったら、私が戦後70年間勉強してきたことは一体何だったのか、生きてきた甲斐がない。大きな責任も感じます。せめて生きている間に、できるだけのことをしなければと思っています。
警告したいのは「戦争」と「平和」という言葉の使われ方です。安倍首相の「積極的平和主義」という言葉には注意が必要です。
積極的平和主義を、もし「ポジティブ・パシフィズム」と訳せば、あらゆる物理的暴力だけでなく、経済的搾取や貧困などの構造的暴力にも反対する概念です。しかし、安倍首相は決してそんなことは言いません。「積極的平和主義」を英語にするときには、「平和に貢献するために積極的に行動する」というように変えています。この場合の「積極的」ということは、実は「武力に頼る」という意味です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/79/9e64e25ad9d11f24fddb6a0485f686f7.jpg)
自宅で。「平和」の書は、妻・玲子さんの書いたもの
◆
安倍首相の言葉を聞いて、私自身も平和を望みながら軍国化の道に進んだことを思い出しました。
1931年、小学生のときに満州事変が起こって以降、10年間、日本は中国での軍事衝突を「事変」と呼び、戦争ではないという建前で戦争し、多くの人を殺しました。
私が影響を受けた戦前の哲学者・三木清でさえ、1939年に「今次事変の世界史的意義」として、時間的には資本主義問題の解決であり、空間的には東亜統一の実現にあると述べました。つまり欧米帝国主義とそれと結んだ中国をやっつける。そうすれば大東亜共栄圏ができ、平和がやってくるといった。左翼文学少年だった私は、貧困問題も解決できるのだと思って、軍国少年へと変わっていったのです。
ところが二十歳になり軍隊に入ると、人を殺さなければならないことに気づきました。しかし、自分には銃剣や軍刀で人を直接殺すことはできない、海軍ならば遠くから撃つだけだろうと思って、海軍を志願し、結局、陸軍になりました。
しかし軍の教科書を読むと、軍は戦闘する組織で上官の命令は絶対です。命令の是非を論じたり、理由を問うことは許されない。
人を突き刺す突撃訓練をしながら、理由もなく殴られそれを叩き込まれます。いつでも誰でも、命令で人を殺す。命令に従わず殺さなければ陸軍刑法では最高死刑でした。
言われたことに対し問いかけが許されない状況に追い込まれ、例えば「平和のための戦争」に異を唱えられない一方的な関係になると、人の思考能力が失われ、組織や社会全体が動かなくなります。
戦争と軍隊は人の思考能力を奪う。言葉の意味を問うことを許さない軍事的社会と戦争は、人の理解力を奪ってしまうのです。
◆
さらに言論が制限され人々の行動の範囲が狭くなるもとで、「特攻隊を志願するものは?」と聞かれると、競って一歩前に出るようになります。そのような忠誠心の競争が起こると、最後は支配者をも自縄自縛にして、いったん始めた戦争をやめるにやめられないことにもなる。実際、戦争末期にはそういう状態になりました。
今、特定秘密保護法や政府の言うとおりに教科書を書かせる、日の丸・君が代の強制などが起こっています。安保法制を「戦争法案」と批判したら議事録から削除するという脅しもありました。これら言論の統制、思想動員の動きは、戦前の教訓から見て非常に警戒すべきです。
安倍首相には取り巻きがいて、右翼的な世論を煽って人気を取ろうとするけれども、それで自縄自縛に陥って、首相自身、引っ込みがつかなくなる危険もあります。
戦前と比べ、現在はより悪くなったところもあることに注意を向けたい。日独伊三国同盟の中で、日本は決してドイツに従属していたわけではありません。しかし、現在、日本はアメリカに従属する安保体制のもとにあり、4月末のガイドライン(軍事協力指針)でも、世界中のどこへでも出かけて、アメリカに切れ目のない戦争協力をすることになっています。
より怖いのは、グローバル化した世界で、アメリカの武力行使に加担すれば、世界中で報復を招く。日本人が世界中でテロにあう危険が高まることです。国内50カ所以上の原発が狙われれば、核攻撃を受けるのと同じです。今までより報復の危険が大きい。危険になるのは自衛隊員だけではないのです。
一方、戦前との決定的な違いもあります。
戦前は天皇主権だったのに対し、現在は国民主権の時代であり、平和憲法を武器にして国民が声を上げていけば、十分抵抗していくことはできます。みんなで声を上げ、行動し、安倍政権の戦争政策を批判することです。
◆
さらにいま差し迫っているのは、憲法9条をどうするかという当面の闘争の問題です。
重要なことは、9条は、それだけでは書かれた文字にすぎないが、それを生かすのは主権者の力だということです。
9条をめぐっては自衛隊を合憲とするか、専守防衛を認めるか、PKO(国連平和維持活動)で派遣しても武器を使わないなど、いろいろな段階がある。憲法の解釈論でもありますが、どこまで認めるかは、最後は世論の問題です。
90年代以降、海外派兵が拡大し既成事実がつくられました。イラク派兵は、実際には違憲ですが、ぎりぎり自衛隊が直接殺すことはなかった。
それに歯止めをかけたのは、憲法9条を生かそうという主権者の運動の力です。いまその力が問われている。
公明党は「新3要件」は歯止めだといっていますが、時の政府の判断に任せる限り、全く歯止めにはなりません。
彼らに明確な歯止めを示せなければ、次の選挙で負けると世論の力でわからせる。どこまで与党に圧力をかければ、世論による歯止めを実際に機能させられるか、ここを突き詰めていく必要があります。
私たちには、長期的な課題もあります。
言論統制や思想動員が強まる中で、言葉の創造的機能が失われないようにする努力が必要です。そのために人々が絶えず問いかけ、自分と違った意見と交流し、自分の思考を確かめる。自分よりも不利な状況にあり発言しにくい人の立場にたって、すべての人が発言できるように努力する。現在では非正規労働者など、深刻な状況に追い込まれ、言葉を発することが難しい人々の存在を考えることも重要です。
その努力によって初めて、思想と言葉の本来の機能が発揮されるのではないでしょうか。そうした社会の動きがある限り、希望は持てます。いまいろいろな草の根運動が起き、考える空気が大きくなっていることは希望です。共産党にはそれを支え、励ますような役割を積極的に果たしてもらいたいと思います。
石田 雄(いしだ たけし)
1923年青森市生まれ。1949年東大法学部卒業。東大社会科学研究所教授、同所長、千葉大学教授などを歴任。その間、ハーバード大学(米国)、オックスフォード大学(英国)、ダル・エス・サラーム大学(タンザニア)などで研究、教育。著書に『明治政治思想史研究』(未来社)、『日本の政治と言葉上下』(東大出版会)など多数。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2015年6月1日付掲載
安倍首相の「積極的平和主義」は、「平和に貢献するために積極的に行動する」「武力に頼る」こと。
9条は、それだけでは書かれた文字にすぎないが、それを生かすのは主権者の力。
「新3要件」は歯止めにならないが、次の選挙で与党を負けに追い込み、世論の力で分からせよう。
東京大学名誉教授(政治学) 石田 雄(たけし)さん
東大社会科学研究所所長を務め、日本軍国主義の背景や要因を研究してきた石田雄さん(91)。学徒出陣から復員後、東大法学部で丸山真男ゼミに参加、戦後政治学を牽引してきました。憲法9条全面破壊の戦争法案の審議も始まるもと、思いを聞きました。
聞き手:中租寅一、写真:橋爪拓治
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/4d/d5e61e211c8fd1a583dd0a50ef506b0d.jpg)
もともと左翼文学少年だった自分が、軍国少年となり、軍隊での生活を通じ、終戦の時にはポツダム宣言を読んでも、どうして日本が戦争をやめるのか、隊員に説明できないほど理解力を失っていたのはなぜか―。
私は戦後、どうして自分が戦争に加担したのかを反省、探求するために研究者となり、軍国化の要因について研究してきました。
いま安倍晋三首相は、アメリカとの切れ目のない戦争協力の体制を進める一方で、「徴兵制になることは絶対にない」などと言っています。
しかし、自衛隊に犠牲者が出れば、たちまち自衛隊の応募者が少なくなり、徴兵制になりかねません。私の孫の世代や、さらに若い世代の人たちに、また戦争で人殺しをさせることになる。そうなったら、私が戦後70年間勉強してきたことは一体何だったのか、生きてきた甲斐がない。大きな責任も感じます。せめて生きている間に、できるだけのことをしなければと思っています。
警告したいのは「戦争」と「平和」という言葉の使われ方です。安倍首相の「積極的平和主義」という言葉には注意が必要です。
積極的平和主義を、もし「ポジティブ・パシフィズム」と訳せば、あらゆる物理的暴力だけでなく、経済的搾取や貧困などの構造的暴力にも反対する概念です。しかし、安倍首相は決してそんなことは言いません。「積極的平和主義」を英語にするときには、「平和に貢献するために積極的に行動する」というように変えています。この場合の「積極的」ということは、実は「武力に頼る」という意味です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/79/9e64e25ad9d11f24fddb6a0485f686f7.jpg)
自宅で。「平和」の書は、妻・玲子さんの書いたもの
◆
安倍首相の言葉を聞いて、私自身も平和を望みながら軍国化の道に進んだことを思い出しました。
1931年、小学生のときに満州事変が起こって以降、10年間、日本は中国での軍事衝突を「事変」と呼び、戦争ではないという建前で戦争し、多くの人を殺しました。
私が影響を受けた戦前の哲学者・三木清でさえ、1939年に「今次事変の世界史的意義」として、時間的には資本主義問題の解決であり、空間的には東亜統一の実現にあると述べました。つまり欧米帝国主義とそれと結んだ中国をやっつける。そうすれば大東亜共栄圏ができ、平和がやってくるといった。左翼文学少年だった私は、貧困問題も解決できるのだと思って、軍国少年へと変わっていったのです。
ところが二十歳になり軍隊に入ると、人を殺さなければならないことに気づきました。しかし、自分には銃剣や軍刀で人を直接殺すことはできない、海軍ならば遠くから撃つだけだろうと思って、海軍を志願し、結局、陸軍になりました。
しかし軍の教科書を読むと、軍は戦闘する組織で上官の命令は絶対です。命令の是非を論じたり、理由を問うことは許されない。
人を突き刺す突撃訓練をしながら、理由もなく殴られそれを叩き込まれます。いつでも誰でも、命令で人を殺す。命令に従わず殺さなければ陸軍刑法では最高死刑でした。
言われたことに対し問いかけが許されない状況に追い込まれ、例えば「平和のための戦争」に異を唱えられない一方的な関係になると、人の思考能力が失われ、組織や社会全体が動かなくなります。
戦争と軍隊は人の思考能力を奪う。言葉の意味を問うことを許さない軍事的社会と戦争は、人の理解力を奪ってしまうのです。
◆
さらに言論が制限され人々の行動の範囲が狭くなるもとで、「特攻隊を志願するものは?」と聞かれると、競って一歩前に出るようになります。そのような忠誠心の競争が起こると、最後は支配者をも自縄自縛にして、いったん始めた戦争をやめるにやめられないことにもなる。実際、戦争末期にはそういう状態になりました。
今、特定秘密保護法や政府の言うとおりに教科書を書かせる、日の丸・君が代の強制などが起こっています。安保法制を「戦争法案」と批判したら議事録から削除するという脅しもありました。これら言論の統制、思想動員の動きは、戦前の教訓から見て非常に警戒すべきです。
安倍首相には取り巻きがいて、右翼的な世論を煽って人気を取ろうとするけれども、それで自縄自縛に陥って、首相自身、引っ込みがつかなくなる危険もあります。
戦前と比べ、現在はより悪くなったところもあることに注意を向けたい。日独伊三国同盟の中で、日本は決してドイツに従属していたわけではありません。しかし、現在、日本はアメリカに従属する安保体制のもとにあり、4月末のガイドライン(軍事協力指針)でも、世界中のどこへでも出かけて、アメリカに切れ目のない戦争協力をすることになっています。
より怖いのは、グローバル化した世界で、アメリカの武力行使に加担すれば、世界中で報復を招く。日本人が世界中でテロにあう危険が高まることです。国内50カ所以上の原発が狙われれば、核攻撃を受けるのと同じです。今までより報復の危険が大きい。危険になるのは自衛隊員だけではないのです。
一方、戦前との決定的な違いもあります。
戦前は天皇主権だったのに対し、現在は国民主権の時代であり、平和憲法を武器にして国民が声を上げていけば、十分抵抗していくことはできます。みんなで声を上げ、行動し、安倍政権の戦争政策を批判することです。
◆
さらにいま差し迫っているのは、憲法9条をどうするかという当面の闘争の問題です。
重要なことは、9条は、それだけでは書かれた文字にすぎないが、それを生かすのは主権者の力だということです。
9条をめぐっては自衛隊を合憲とするか、専守防衛を認めるか、PKO(国連平和維持活動)で派遣しても武器を使わないなど、いろいろな段階がある。憲法の解釈論でもありますが、どこまで認めるかは、最後は世論の問題です。
90年代以降、海外派兵が拡大し既成事実がつくられました。イラク派兵は、実際には違憲ですが、ぎりぎり自衛隊が直接殺すことはなかった。
それに歯止めをかけたのは、憲法9条を生かそうという主権者の運動の力です。いまその力が問われている。
公明党は「新3要件」は歯止めだといっていますが、時の政府の判断に任せる限り、全く歯止めにはなりません。
彼らに明確な歯止めを示せなければ、次の選挙で負けると世論の力でわからせる。どこまで与党に圧力をかければ、世論による歯止めを実際に機能させられるか、ここを突き詰めていく必要があります。
私たちには、長期的な課題もあります。
言論統制や思想動員が強まる中で、言葉の創造的機能が失われないようにする努力が必要です。そのために人々が絶えず問いかけ、自分と違った意見と交流し、自分の思考を確かめる。自分よりも不利な状況にあり発言しにくい人の立場にたって、すべての人が発言できるように努力する。現在では非正規労働者など、深刻な状況に追い込まれ、言葉を発することが難しい人々の存在を考えることも重要です。
その努力によって初めて、思想と言葉の本来の機能が発揮されるのではないでしょうか。そうした社会の動きがある限り、希望は持てます。いまいろいろな草の根運動が起き、考える空気が大きくなっていることは希望です。共産党にはそれを支え、励ますような役割を積極的に果たしてもらいたいと思います。
石田 雄(いしだ たけし)
1923年青森市生まれ。1949年東大法学部卒業。東大社会科学研究所教授、同所長、千葉大学教授などを歴任。その間、ハーバード大学(米国)、オックスフォード大学(英国)、ダル・エス・サラーム大学(タンザニア)などで研究、教育。著書に『明治政治思想史研究』(未来社)、『日本の政治と言葉上下』(東大出版会)など多数。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2015年6月1日付掲載
安倍首相の「積極的平和主義」は、「平和に貢献するために積極的に行動する」「武力に頼る」こと。
9条は、それだけでは書かれた文字にすぎないが、それを生かすのは主権者の力。
「新3要件」は歯止めにならないが、次の選挙で与党を負けに追い込み、世論の力で分からせよう。
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