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日本共産党兵庫県委員会で働いています。

安保改定60年 第一部① 目的は占領軍の駐留継続 闇の交渉 日本側一人だけ

2020-01-14 09:07:44 | 平和・憲法・歴史問題について
安保改定60年 第一部① 目的は占領軍の駐留継続 闇の交渉 日本側一人だけ
対米従属国家・日本。その大本にある日米安保条約の源流は1952年4月28日、日本の「独立」が承認された対日平和条約(サンフランシスコ講和条約)と同時に発効した旧安保条約です。なぜ、安保条約がつくられたのか。その目的は、日本の「独立」後も占領軍=米軍の駐留を継続させるためでした。条約の作成や交渉過程でも、米軍の意見が最優先されてきました。



日本全土を基地に
45年8月、日本は第2次世界大戦での無条件降伏を勧告したポツダム宣言を受諾し、米軍を中心とした占領軍の支配下に置かれます。同宣言では、日本に「責任ある政府」が樹立されたら、占領軍は「直ちに撤退する」と明記されています。
しかし、米軍を統括する米統合参謀本部(JCS)は49年6月9日付の報告書で、ソ連を念頭に、西太平洋における「島嶼(とうしょ)チェーン」を維持するため日本における基地の継続使用を主張。ジョンソン国防長官は「対日講和は時期尚早」だとして、占領の継続を訴えていました。
最終的に、米政府は50年9月8日、対日平和条約と一体で、日本との2国間協定(安保条約)を結び、米軍を維持する方針を決定。ポツダム宣言を公然と踏みにじるものでした。
しかも、「必要な限り、(日本の)いかなる場所でも米軍を維持する」=いわゆる「全土基地方式」を採用。これが、日本が今なお、世界でも類を見ない「米軍基地国家」にされている元凶です。



1951年9月、サンフランシスコ講和条約に署名する吉田茂首相(共同)

また、沖縄を日本本土から切り離し、軍事支配を継続する方針も確認されています。
安保条約の草案は同年10月末、米陸軍省のマグルーダー少将を代表とする作業班が作成。前文で「日本全土が防衛作戦のための潜在区域とみなされる」と明記し、「全土基地方式」を定式化します。
最終的には、安保条約第1条に「アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与」すると明記されました。条文はわずか5条。第1条以外は形式的な条項にすぎず、米軍の駐留継続以外の内容は一切ありません。
51年1月、ダレス・米大統領特別顧問が来日。条約を吉田茂首相ただ一人に通知し、合意させました。条約が署名された同年9月8日まで、ほかの日本人は一切、内容を知らされず、講和会議が行われていたサンフランシスコで署名したのも吉田氏ただ一人でした。事実上、日本の占領を継続する安保条約が、闇の交渉で押し付けられたのです。



安保条約を調印したサンフランシスコの下士官クラブ=2001年、新原昭治氏撮影

“植民地化”の協定
安保条約以上に屈辱的なのが、日米地位協定の源流である日米行政協定です。同協定は旧安保条約3条に基づくもので、米軍や軍属、その家族に、日本の国内法を上回る特権を与えています。これについてもJCSが、米軍関係者の犯罪で、米側が全面的な裁判権を有するなど、いっそうの権限拡大を要求。
これが米側の案として採用され、52年1月29日から日本側との正式な交渉が始まりました。
刑事裁判権をめぐっては、NATO(北大西洋条約機構)では「公務中」「公務外」で裁判権を分割することになっていたことから、日本側も「せめてNATO並みにしてほしい」と要請しました。これに対してJCSは、NATO協定がまだ批准されていないことから、「日本は米軍に対して、欧州各国より強い力を得る」として反対。日本側の要望は却下されました。
結局、行政協定はわずか1カ月後の2月28日に締結され、4月28日に発効しました。
超短期間の交渉はほぼ、刑事裁判権や「有事」における米軍の指揮権をめぐる問題に終始。
米軍による基地の治外法権的な管理権や空域の独占使用などの問題は議論された形跡がなく、これらは現在の日米地位協定にそのまま引き継がれ、米軍機の騒音や事故、環境汚染など、深刻な被害をもたらす元凶になっています。
当時のラヴェット国防長官は、「極東軍(現在の在日米軍)司令官は、緊急事態の作戦任務を遂行するために十分な権限を持つべきだ」と述べ、米軍司令官が占領軍さながらの権限を持つことを当然視しました。当時、若手代議士だった中曽根康弘氏(のちの首相)も、「要するに、この協定は日本を植民地化するものですナ」ともらしたことが、日本外交文書に記されています。
各国の地位協定に詳しい東京外国語大学大学院の伊勢崎賢治教授は、「日米地位協定がひどいのは、元をたどれば占領下でつくられたから。日本はいまだ米国の占領下にある」と指摘。
「かつては不利な地位協定を受け入れていた他の同盟国も、冷戦崩壊後、米国との対等な関係を求めるようになり、相次いで地位協定が改定されました。流れが変わった以上、日米地位協定の改定は当然です」と訴えます。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年1月9日付掲載


ポツダム宣言では、「日本に「責任ある政府」が樹立されたら、占領軍は「直ちに撤退する」と明記」
しかしアメリカは、平和条約と一体に、日本との2国間協定(安保条約)を結び、米軍を維持する方針を決定。しかも「全土基地方式」。

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